| 1.南京事件について |
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■質問1
記事では「南京虐殺はなかった」とされていますが、これは「南京事件はまぼろしだった」という意味でしょうか?それとも、秦郁彦氏のように「4万人ほどの虐殺はあったが、20万とか30万という大虐殺ではなかった」という意味でしょうか? ■回答1
単刀直入に申し上げます。ずばり、「南京事件は幻であった」という意味です。 細部にわたる調査の結果、1937年から1939年にかけての海外の文献その他には、目下南京虐殺をあったと認定できる、確実な証拠は何一つ無いことが分かっています。もちろん、これは今現在出ている資料全てを調査した結果、虐殺があったと認定できるものが何一つ見つからなかった、という意味です。その結果につきましては、次の本をご参照下さい。
会員 ヤン・ウェンリー
■質問2
私は日本共産党をウォッチするJCP掲示板に、「自由主義史観とはそんなに非難すべきものなのか」というツリーを立てて、初歩的な議論を開始したのですが、「最近の自由主義史観派は南京事件を否定している」というレスをもらってあわてている次第です。『自由主義史観とは何か?』(PHP文庫)に書かれていたのは「南京事件そのものを否定している」ということではなかった。しかし、この本から5年ほど 経って、自由主義史観の中身が変わってきたのだろうかと危惧しています。 ■回答2
自由主義史観の中身が変わってきたのではありません。正しい研究結果が得られたならば、たとえ今までどのように考えていたのであろうと、過ちを質すに憚る事なかれ、です。 まずは虐殺の定義の問題です。よく、「南京大虐殺があった」という人は、この論点をぼかして先に議論を進めてしまいますが、これが実は最大の問題でして、ここにこそ最大の「虐殺あった」派の欺瞞があります。 当時我が国と中華民国は戦時下にあり、戦闘を行っていましたが、その中ではいろいろなことが起こったことが推定できます。しかしながら、人を有罪と判定するには証拠が必要であり、また有罪の根拠となる罪状が方によって決められていなければなりません(罪刑法定主義)。戦闘を行っているわけですから、当然戦死者は出ますが、戦闘による兵士の死亡はこれ、虐殺には当たりません。 では、とらわれた兵士が殺された場合はどうか?これも捕虜に該当するかどうかで話が分かれます。捕虜になるには、捕虜としての資格がなければなりません。その資格とは、ハーグ陸戦法規(1907年)に次のように書かれています。
などの項目を全て満たしていなければ捕虜とは扱われません。では、国民党軍はどうだったのでしょうか。 1.南京を防衛すると豪語した唐生智は汽車で武漢へ逃亡しました。これは指揮する場所を移したのとは違います。それと時を同じくして、師団長以下の将兵もまた逃亡しました。ダーディン記者はその模様を次のように書きました。 「配下の参謀にさえ知らされなかった唐生智の逃亡は、支那軍を、指揮官不在(leaderless)とした」 これだけでも捕虜となる資格がありません。 2.指揮官不在となった支那兵(国民党軍兵士)は軍服を脱いで、安全地帯に潜伏しました。これは先のハーグ陸戦法規「遠方からでも識別できる固著の特殊徽章を有すること」を破ったことになります。 3.その兵士達は安全区に紛れ込んだだけでなく、いつでも日本軍を攻撃できるように武器を隠し持っていました。これはその後の日本軍の調べで分かったもので、おびただしい武器が隠匿されていたのが発見されました。これもまたハーグ陸戦法規違反です。 4.以上のことだけでも国民党軍には本来、捕虜となる資格がありませんし、そうしたものを収容してまで彼らを養う必要など、日本軍にはありませんでした。だから、極端な話、彼らを皆殺しにしたところで、厳密な話、虐殺には当たらないのです。 ついでに言うと、あの戦争(支那事変)自体は、ラーベも言っているように、日中双方が事変と称していたので、正式な宣戦布告を伴う戦争ではありません。だから本来、戦争法規の適用を受けられないはずなのです。また、以上の条件を満たしていても、こちらで捕虜として収容したうえでの殺人でなければ、捕虜虐殺の罪は適用にはならないのです。詳しくは渡部昇一著、「かくて昭和史は甦る」P.299-301をどうぞ。 捕虜を殺すことは、完全な戦争法規違反であり、戦争犯罪と言われても仕方がありませんが、そうしたこと(戦時国際法違反)はありませんでした。 では、日本軍は無辜の民を殺したのか?ということになりますが、これも根拠が薄弱です。南京市民はその多くが日本軍が迫ってくると逃げだし、あとには引っ越す力もない貧しい人々がおよそ20万人、残っていました。その人達は蒋介石の命令に従い、国際安全委員会の保証する安全区に避難し、立錐の余地もなくなりました。ラーベの日記にはそのときの様子が書かれています(11月28日)。 そして日本軍が南京に突入した12月13日、日本兵の目に映ったのは閑散とした南京市街でありました。それもそのはず、難民は皆安全区にいたのです。また、国際安全委員会の記録でもおよそ20万人が南京市内の安全区に滞在していたことが分かっており、更に守備していた軍の数も含めると初めて25万人に達すると見られます。これらを全部殺しても、30万人にはなりませんね。ところがこの数は陥落から1ヶ月後に安全委員会の発表した南京の人口は実に25万人なのです。 もし、各地で言われているような虐殺が起こっていたとしたならば、どうして人口が増えるでしょうか。東京裁判や、「レイプ・オブ・南京」で言われる所では、陥落から6週間の間にその20万人を超える人々が虐殺されたということになるのですが、これはこの記録と大きく矛盾いたします。また、日本軍の発行した良民証は実に16万枚に達しました。これは10歳以上60歳未満の南京市民に対し発行されたものですが、これだけでも、当時の南京市内におよそ20万人の人間しかいなかったということの裏付けになります。 当時金陵大学の社会学教授を務めたルイス・S・C・スミス(スマイス)教授は、昭和13年3月末に人口調査を行いましたが、これが実に、221,150人にのぼるという結果です。ただし、スミス博士の福田篤泰氏への書簡によると、中には調査員の手の届かない地域もあり、移動途中の民衆を考えると25から27万人にのぼるだろうということです。 同じく昭和13年の5月31日には次のような報告があります。「南京市政公署の5つの地区の役所で登録された住民(シャーカンも含む)は27,7000人であった」つまり、人口は増加の一途をたどっていたのです。いわれているように日本軍の軍紀が乱れて虐殺、強姦、略奪が行われているほど恐ろしいところだとしたら、こんな風に人口は増えはしません。むしろその逆で、治安が回復していたからこそ、人々が帰ってきていたのです。 会員 ヤン・ウェンリー
■質問3
貴研究会の発表されている特定の事件に対する考え方には、一部同意できないものを感じております。しかし、是は是、非は非とする貴研究会の「姿勢」に対しては、全面的に信頼を寄せています。 ■回答3
ありがとうございます。自由主義史観研究会は異なる視座をつき合わせ、よりよい社会科教育を目指していこうという教師と市民の団体です。教育は日本の未来を作ります。まさに、国家百年の計は教育にあります。子供達をよりよい方向に導ける歴史の研究を貴方もやってみませんか。 会員 ヤン・ウェンリー
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| 2.参考図書について問い合わせ |
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■投書
私、ある団体の機関紙(月刊)を編集しているものです。 貴会が出版された「教科書が教えない歴史」に触発されて、毎月の特集ページに「日本の近代史の足跡を追う」という連載を開始しました。私自身、日教組に支配された偏向歴史教育を永年受けてきたため、自分自身の知識を深めるという意味で、謙虚に取り組ませていただいております。 具体的には、明治維新から大東亜戦争の終結までを期間とし、以下の各テーマに分けて、歴史の事実を踏まえながら日本の近代史を追ってみようというものです。
これで、全13回、最後の連合国の占領と新憲法において、全体の総括と現代史の展望につなげて終ろうと思っております。 前段が長くなりましたが、ここで質問になります。教科書が教えない歴史を読んで以降、とにかく様々な資料に当りましたが、機関紙の編集が本来の仕事と掛け持ちのため、図書館でじっくり調べるということができません。どうしても一般の書店が頼りなのですが、とにかく膨大な数の本が出版されており、なかなか「これだ!!」という本に巡り合えません(そうは言っても、たとえば江藤淳さん「閉ざされて言語空間」など、まさに目から鱗のような名著にも沢山出会えましたが)。 非常に難しいお願いだとは思いますが、日本の近代史を忠実に史実に基づいてたどれる「名著」をいくつか推薦頂けないでしょうか?(発行年月が古いと絶版扱いになっている本がかなりありますので、できればここ2〜3年位の物が有り難いのですが) もう一つは、「大正デモクラシーと第一次大戦」の項に関して、参考になる文献はありませんか?もちろん二つがリンクしていなくて構いません。この時期の本自体を扱っている書店が少ないんですよ、本当に。若槻禮次郎の「明治・大正・昭和政界秘史(だったかな?講談社学術文庫から出ています)は購入したのですが。第一次大戦は、シベリア出兵は別として、何となく遠い国の戦争だったので、一般に余り馴染み >が無いのかも知れませんが。第一次大戦よりも、それ以降のワシントン条約、ロンドン会議などの軍縮傾向が、統帥権干犯問題につながり、大正デモクラシーが衰退していった、という感じの文脈にした方がいいのでしょうか?そうすれば大陸進出から大東亜戦争に至るブリッジの役割を果たして、読者には理解しやすくなるかな、とも思っています。この辺りも示唆を頂ければ幸いです。 以上、唐突かつ不躾なお願いで恐縮ですが、是非ヒントを頂ければ幸いです。 最後になりましたが、貴会のますますの発展と、日々奮闘されている会員の皆様に敬意を表します。是非、お体にお気を付けて下さい。 ■回答
当研究会の機関誌である「近現代史の授業計画」9号は文献案内の特集号になっています。当研究会のHPのブックストアに掲載されていますので、御覧になられ発注いただければ幸甚です。 理事 杉本幹夫
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| 3.自由主義史観研究会とは? |
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■投稿
初めてメールさせて頂いております。 只今、ドイツのデュッセルドルフ大学に通う者です。”ドイツ・日本戦後の歴史を比べる”とでも名付けられるような講義をとっているのですが、そこでちょっとした調べ事から貴研究会のことを知りました。 そこで教授にきかれたのですが、貴協会の名前にある「自由主義」とは、一体どんな意味合いのものなのでしょうか?英語でいう”リベラリズム”とはまた違ったニュアンスがあるのでは、と教授には言われているのですが、いまいち私にも分かりません。インターネットで貴協会のことについても読んでみましたが、特にこの言葉に関しての所以を見つけることができませんでした。もしお時間ありましたら、ご説明頂けますか?宜しくお願いいたします。 尚、私は教授に頼まれて小林よしのりの描いた「戦争論」を参考に、日本における新しいナショナリズムに関するリサーチをしていた際、この協会の名前を知った次第です。 ■回答
投稿有り難うございます。 当研究会の趣旨は「自虐史観、マルクス史観」の呪縛を脱し、自由に歴史を語ろうというものです。日本ではすべての歴史教科書が「自虐史観、マルクス史観」で書かれています、それに伴い、入学試験もすべてその路線で出題されます。歴史にはそのようなマイナス面の歴史だけでなく、後世に誇り、言い伝えなければならない歴史が数多くあります。このような点にも光を当てようというものです。大綱としては上記のようなことであり、細部の史観については、各個人がどのような史観を持とうが、全く自由です。そのような本来的な意味での自由主義であり、人権運動、解放運動的な意味ではありません。 尚研究会は「歴史特に近現代史をどのように教えるか」についての、教師の研究会としてスタートしましたが、このような見方に対する支援者も加わり、教師と一般会員の比率はほぼ半々です。 理事 杉本幹夫
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| 4.強制労働について |
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■投稿
強制労働について教えを請いたくメールを差し上げました。 先日知人と植民地支配について議論(議論にもなってなかったですけど)をしていたとき、私が「大東亜戦争は、それまでの白人がアジアの人々を家畜のように扱っていたのを同じ有色人種の日本人が、いったんは蹴散らしたという意義もあるとおもいますけど。」と申しましたのに対して、その知人が下記のようにおっしゃいました。 「私の住んでいるところは、かつての常磐炭田。石炭を産する炭坑地帯。これを先日、他地域に住む70歳をこえる知り合いと話す機会がありました。こんな内容でした。 戦争中、常磐炭坑の採炭現場で働かされたことがある。1年の期限だったと言っていたと思います。1ヶ月だったかな?まともな飯も与えられず、熱い地底で、ほんとに辛い労働だった。朝鮮から強制連行されてきた人と一緒に働いていたが、その人が、こんなふうに言ってた。あんたら日本人は期限があるんだからいいではないか。わたしら朝鮮人は、この地獄がずーっと続くんだ…と。いまでも思い出すと涙がこぼれるよ。そういってほんとうに涙した。 あなたはアジアの解放って言いたいんだろうけど、炭坑で強制労働させられていた朝鮮人やその子孫(残せたとして)の前でも言えますか?次のように訂正して、自分の国の歴史を正視する勇気を持つべきではないですか?それまで、アジアの人々を奴隷どころか家畜のように扱っていた白人達にかわって、こんどは日本が有色人種として奴隷どころか家畜以下に扱うようになった。」 そこでなんですが、情けなくも言い返せなっかたのです。別に白人の非道さぐらいどんな人間の前でも言えますが、この炭坑の話は、ほんとかどうかわからないのでだまってしまいました。 大変恐縮なんですが、この常磐炭田のお話がどういうことなのかわかる本でもホームページでもなんでも結構です、教えて頂けないでしょうか?お忙しいところ本当に申し訳ありません。どこでおたずねしたら良いのかわからなかったので、厚かましくお願い申し上げてしまいました。 ■回答
メールをいただき、有り難うございます。 いわゆる「朝鮮人強制連行」説いつの間にか定説のようになって来ているようですが、これはかなり歪められた見方であると思います。 まづ、お話にでてきた炭坑の事例ですが、はなしにありますように、朝鮮人だけがはたら(かされて)いたのではありません。戦争で、男の若い人々が戦地へどんどん出かけ人手不足になってきたので、「国家総動員法」の徴用令に基づいて、仕事に就いてない(或いは転用が可能な)人々が、こうした職場へ配置されたのです。これは何も「植民地の朝鮮人」を奴隷として連れ来たわけでは全くありません。はなしは全く逆で、「日本国民」だからこそ「徴用」の対象となり、日本人と一緒に人手不足となった職場で働いていたのです。 では何故、おおくの朝鮮のひとが「徴用」の対象になったのかというと、朝鮮では内地と異なり、「徴兵令」が昭和19年まで適用されていなかったので、多くの若い青年が兵隊として戦地に行っていなかったからです。確かに「徴用」は国家権力による命令です。何かこれだけを見ると権力による強制連行ではないか、と思われるかも知れませんが、そうなると「徴兵」はどうなるのでしょうか? 「徴兵」が戦争末期まで適用されていなかった、朝鮮はある意味では優遇されていたとすら言えるのではないでしょうか?炭坑で、朝鮮の人がいっていたという言葉も少々正確であるか疑わしいと思います。別に朝鮮人に限って無期限の徴用をした、ということはないからです。それよりも、そういうことを言っていられるのは、日本の内地のように、「徴兵」の適用がなかったから言っていられるのだ、というのが本当のことです。 朝鮮では、「徴兵令」が戦争末期になるまで適用されませんでしたが、では朝鮮の人たちは戦争に協力しなかったのかというと、とんでもない話しです。実は、昭和13年から「特別志願兵制度」が朝鮮に導入されました。そうしましたら、多くの朝鮮青年が続々とこれに志願してきました。定員の10倍どころではありません。最高は、なんと60倍を越える青年が応募してきたのです。アジアの開放は何も日本が勝手に言っていたのでないことは、次の数字を見ていただけば一目瞭然ではないでしょうか ? 朝鮮人志願兵応募状況 これをいろいろ解釈する事はできるでしょうが、事実に基づかない歴史の歪曲だけは止めていただかないといけないと思います。 会員 茂木弘道
■お礼
さっそくご返事を頂きまして、本当にありがとうございます。 感謝感激でございます。 ご丁寧な内容で大変よくわかりました。よく考えてみれば(よく考えなくても)朝鮮や台湾の方々は共に戦った仲間だったのですね。御教授頂いた「特別志願兵制度」のお話もどこかで聞いたことがあったはずでしたのに、全く心に浮かびませんでした。まだまだ修行が足りません。洗脳が解けていないのかも・・・。相手の異様な情熱に負けたのかもしれません。なぜ、そこまで熱くなるのか奇怪千万ですけど。(かわいそうな位でした) 私の初歩的な質問にお時間をお取りいただき、恐縮しております。貴重なご活動のお邪魔になってなければ、よろしいのですが。 教科書、楽しみにしております。 |
| 5.Time Asia への反論 |
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■投稿
Time Asia のHPに掲載された記事に反論を送りましたので、ご参考までに写しをお送りします。(原文英語) 『2000年1月21日付けMc.Killop記者の「日本からの手紙:不完了過去? (Past imperfect?)」を読みましたが、読者をきわめてミスリードする内容となっています。 (記事の内容は、大阪で行われた「南京大虐殺の大嘘」というシンポジウムに言及し、「ベルリンでホロコーストはなかったというシンポジウムを開催するようなものだ」と断じ、「文部省は歴史の漂白を行おうとしている」「日本国民はみんなして戦争の歴史を忘却のかなたに置き去ろうとしているのだ」と主張したもの。) 日本の戦時中の行動についての国民一般の考え方は、過去を忘れることでも、起こったことを否定しようということでもありません。むしろ終戦後の占領軍によるプロパガンダの呪縛からのがれようとしているのであり、1930〜40年代やさらにその後の時代に中国で本当に何が起こったかのかを明らかにしようとしているのです。 現在の中学、高校の歴史教科書は幾つかの民間の出版社が発行し、文部省の検定を受けたものですが、すべて1937年12月に起きた南京事件を記述しています。その中では犠牲者数についても中国政府の主張を含め、さまざまの見方があることが言及されています。 日本国民が自問しはじめているのは、侵攻前に25万人の人口であった都市で(注:これは20万人が正しい)、37年12月から38年1月までの間にいかにして およそ30万人の虐殺が起り得たのだろうか、ということです。しかも南京市の人口は、その1ヶ月の間にむしろ増えているというのに、です。また、1938年から45年の間、中国はなぜこの出来事を反日プロパガンダに利用しなかったのであろうかということについてもまた、日本人は自問しはじめているのです。 自由主義史観のサイトを一度ご覧になることをお勧めします。 東京足立区 泉 幸男
■返事
Time への反論、感激して拝見いたしました。こうした反論を出してくださる方がおられることを知り、大変こころづよく思っております。われわれもできるだけ反論主張を出していこうと努力しておりますが、なにぶん力不足で、いらいらしております。是非とも、ともに力を合わせて不当な言い分に断固として反撃をしていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。 或いは既にご存じのことかと思いますが、カルフォルニア州議会決議に対する反論を、提案者の、マイク・ホンダ議員宛に添付の通りだしています(省略)。卑怯にも返事をよこしていませんので、在米の同志と協力して、アメリカのプレスにこれをリリースして、話題にしていこうと思っています。ご参考までに。 会員 茂木弘道
■再投稿
茂木様 Timeへの反論投稿につきメールをいただきまして、ありがとうございました。添付されていた藤岡先生のホンダ議員宛書信も拝読いたしました。まさに私たちの訴えたいことが簡潔に纏められていると思います。 ある意味でまさに我々はマッカーサー憲法の第9条第2項が想定(?)した軍事力によらぬ戦争の時代に本格的に突入しているのでしょう。仮に、軍備による威力を軍備以外のもので確保しようとすれば、我が国日本は気の遠くなるようなエネルギーを対外宣伝活動と反論活動に充てるべきなのですが、その認識を欠いて無作為への信仰に堕してしまったのが我が国の政治の一面なのだろうと思います。軽武装国家とは、対外的に「いやらしいばかりに自己主張をし、弁の立つ国」になることではないかと思うのですが、これができていない。とすれば、志ある人々が頑張っていくしかないのだろうと思います。 南京事件のあった昭和12年12月の読売新聞と朝日新聞を、国会図書館で通読したことがあります。(通読といっても、南京攻略関連記事を読み、その他の記事や広告を拾い読み、ということですが。) これを通じて、時代の雰囲気がよく分かりました。昭和12年12月の日本軍は、苦戦をしたものの、決して狂気に陥ってはいないし、また日本本国の雰囲気もまだまだノーマルなもので、普通の市民生活も続いている時代でした。川端康成の『雪国』が書かれたのもこのころです。 歴史を物語るときに、こういう「時代の雰囲気」を流れとしてつかむこと、そしてそこにおいて通常の人間がどう行動するであろうかという常識感を失わないことが、実に重要なのではないかと思います。 応援しています。 東京足立区 泉 幸男
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| 6.パラオについて |
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■投稿
はじめまして。自由主義史観(藤岡先生)および、「新しい歴史教科書をつくる会」を、かげながら応援させていただいております。 ひとつ教えてほしいことがあります。以前、藤岡先生の講演会を聞きにいったときに、パラオについて詳しく話されていました。
これらのことを詳しく載せている本を紹介してもらえないでしょうか。長女(中学一年生)が学校の研究課題として、パラオについて調べたいといっています。よろしくおねがいします。 ■回答
ご質問いただき、ありがとうございました。 お嬢様始め、これからの子どもたちが、自分たちの力で正しい歴史を探し出していくお手伝いができれば望外の喜びです。それでは、以下に参考文献と、その内容を簡単に記します。 ●藤岡信勝著『呪縛の近現代史』徳間書店 1999年刊 本書では、藤岡代表が98年夏にパラオを訪問して、実際に見聞した、パラオの人々の親日感情と、今なお残る日本統治時代への評価の声を紹介しています。また、パラオ共和国の元首であるクニオ・ナカムラ大統領が「新しい歴史教科書をつくる会」の活動を大変評価され、賛同者に加わって下さった経緯も記されています。 ●名越二荒之助著『世界に生きる日本の心』展転社 1987年刊 パラオは16世紀にスペインに統治されて以来400年間、ドイツ、日本、アメリカの支配下にありました。しかし、パラオの人たちは、そのうち、たった30年にすぎない日本の統治時代がいちばん良かったと回顧し、1981年の国旗制定にあたっては、島民の応募により日の丸と同じデザインに決めたといういきさつが詳しく書かれています。日本では失われてしまった「日本精神」がパラオで生き続けていることを教えてくれます。 会員 飯島瑞穂
■再投稿
飯島様へ。 突然の質問、申し訳有りませんでした。またご丁寧に返信いただき本当にありがとうございます。 私は新潟県に住む41歳になる会社員です。昨年の2月28日に上越と長岡のシンポジウムの間に藤岡先生が柏崎で講演したときの聴講者です。 以来日本の歴史に興味を持ち、その時の出席者を集めて月に一度歴史の勉強会をやっています。また、この講演会をきっかけに知った「つくる会」の活動や、「国民の歴史」を知ることもできました。最近は、子供とよく歴史の話をするようになり、日本人の誇りを少しずつ話せるようになってきました。 そういう話をしているなかで、藤岡先生から聞いたパラオの話を子供にずいぶん前にしたのですが、長女がそのことを覚えていて、最近学校の宿題で出た「日本と関係の深い国についての研究」の題材として長女が考えたそうです。私は長女に話したのは良いのですが、あらためて聞かれると自分としても、ちゃんと調べないと答えられず、昨年講演会の場で購入した藤岡先生の本や、「正論」「諸君」等たくさん読み直したのですが、見つかりませんでした。 そんな状況でありましたので、自由主義史観のホームページからメールで質問させていただきました。ホントに突然の質問、失礼しました。 ■再回答
お嬢様が「日本と関係の深い国」という課題に、お父様の話に聞いたパラオを選ばれたとのこと、あらためて家庭教育の重要性を感じます。お嬢様の自主研究の成功をお祈りしております。もし、よろしければ、それを聞いた周りの子どもたちや先生の反応などを、お教えいただければ、わたくしにも励みになります。 また、「日本と関係の深い国」ということでは、ホームページのFAQコーナーで、『教科書が教えないアジア』を書いていますが、もうご覧頂けましたでしょうか。子どもたちには、まず、自分たちの祖先が他国の発展に果たした役割を知っていただきたいとの思いで、こうしたアジア各国の声を紹介しています。他国の人々が今でも、日本人に感謝して、お祭りやイベントなどを行っている!ということが、あまりにも日本人には知られておりません。 このFAQコーナーでは意識的に、プラスの面を紹介していますので、大人の方々には、少々綺麗事にすぎるとの批判もあると存じます。しかし、子どもたちの知育発達期においては、自分たちのおじいちゃんの世代が、世界でこんなに評価されることをしたのだということを、まず学んで欲しいのです。その上で、失敗した面、たとえば、現地の習俗を軽んじてしまったこと、あるいは一部で占領地の民衆を差別的に扱かった日本人もいたこと、等を補足してゆけば良いのであって、それが逆になってはいけないと思っています。 自分たちの祖先が海外で感謝されていることを知り、自分もそれに連なる者なのだ、という意識を持つことが、誇りある日本人をつくりだすことにつながります。真の国際交流のためには、祖先の名を汚さぬように、という気概を持って、世界に臨んで欲しいと願い、海外で語られる日本人の功績を書き続けて参りました。 現在、公開されているのはインドネシア、マレーシア、ミャンマー、インドのみですが、パラオや台湾、韓国等もこれから、書いていきたいと思っていますので、どうぞ、FAQコーナーも、併せてご覧頂ければ、幸甚です。 最近はまた外圧が激しくなっているようで、学校だけでなく、家庭での教育の重みがいよいよ増してきています。貴方様のようなお父様が、もっと増えてくれると、日本は安泰なのですが。それでは、また、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。 会員 飯島瑞穂
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| 7.南京事件について(2) |
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■投稿1回目
戦後ながいあいだなにもなかったのに突然出てきたいわゆる南京虐殺事件は、戦後生まれの私にとって信じがたく真偽は分からないことでした。 最近いろいろな調査、証言が出てくるに及んで、やはりねつ造事件であると感じました。 当時を知る人々の言葉がそれを裏付けていると思います。 あらたに今日1月31日付福島民友新聞の投書欄で見つけた掲載記事を2つ原文のまま紹介します。 (その1)「平和だった南京市街地」福島市・本多四郎さん(無職 75) 南方戦線で日米の大空の血戦が続いていた昭和18年、この血戦に投入されるべく支那方面艦隊付属航空隊の戊基地で訓練を続けていた私たち約120人は上空ばかりでなく地上で南京を視察しようということになった。 (その2)「南京虐殺事件聞かなかった」福島市・大槻繁さん(会社役員・80) 私は昭和15年、現役兵として召集、翌年、中支最前線宜昌に師団編成当時の交代要員として補充された。 われわれの先任将校、下士官、兵に至るまで南京虐殺事件は全く耳にしなかった。 このごろの報道に義憤を感ずる。軍恩新聞を仮借してその実相を記す。以上のごとく、その当時、現地に足を踏み入れた人々の証言は「南京虐殺」を明確に否定しています。ましてこのような虚偽事件を歴史の教科書に載せるなど言語道断なことと私は考えています。 1月28日に記者会見で河野洋平外務大臣は中国の北京駐在日本大使にたいする抗議に関連して「南京では非戦闘員に被害があったとういうのが政府の見解である」と述べています。 この見解は日本の名誉を冒涜しており日本国民として容認できません。 河野洋平氏は外務大臣に不適格です。 河野洋平氏は更迭されるべきです。これが更迭に値しないならば、うそも間違いもなく警鐘を鳴らしたのに品位で更迭された防衛政務次官は浮かばれないことになります。 中華思想にたいするへつらいの姿勢に終始している恥ずべき植民地根性の外務大臣にくらべれば、前防衛政務次官の憂国精神は高く評価できるものです。 もちろん日本政府は中国の抗議にたいして内政干渉拒否声明と虚偽事件否定声明を出すべきです。 ■投稿2回目
会社で「南京虐殺事件」は真実だと信じている仲間2人にたいし私は「いろいろな証言や調査からみてこの事件はねつ造だと思う」と話しました。 そして私はねつ造と思う根拠として元支那派遣軍の日本兵による事件を否定する新聞投書や黄文雄著「捏造された日本史」を見せました。 そうしたところ一人は「あれはウソなんですね」と考えを変えてくれましたが、他の一人は疑わしげな表情はしますが考えを変えてくれません。 なぜなら「自分は15年前に訪中交流団に参加したが、南京を訪れたときに南京虐殺事件の慰霊碑に花を捧げてきた。(捧げるよう案内された?) 慰霊碑まであるのにウソだなんて信じがたい。」というのです。 私は南京に行ったことはないので慰霊碑の存在は知りませんでしたが、現地に行った多くの日本人は「南京虐殺事件」慰霊碑の前で頭を下げさせられ信じ込まされて帰ってくるようです。 とくに純真な人ほど真実と信じています。 ありもしない事件に慰霊碑を建てた中国の狡猾さ、厚顔無恥ぶりに怒りを覚えるとともに、新興宗教ではないがいったん信じた人の考えを変えることはたいへん難しいことを痛感しました。 |
| 8.日米開戦の原因(原文英語) |
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■投稿
Robert B. Stinnett の「策略の日(Day of Deceit)」がアメリカで出版されました。この本では1941年12月8日の真珠湾攻撃は奇襲ではない事を記述しています。ルーズベルト大統領はその日、日本が攻撃することを知っていたか゜、それを誰にも知らせず、多くのアメリカ人を犠牲にしたと書いています。日本に生まれ、日本に誇りを持つ日本人として、アメリカの最高裁に真実を認めさせ、アメリカ人が「日本人は信頼できない人種だ」と考えないよう、法的な行動を起こそうと思っています。その為にはどのような組織とコンタクトし、何から始めるべきか、お知恵があればお教え下さい。 ■回答1
お便り有り難うございました。貴方が言われた本に大変関心があります。最近発行された本ですか。もしそうなら早速アマゾンに発注したいと思います。ご存じと思いますが、同じ趣旨の2冊の本がアメリカで発行されています。貴方の見解の補強に役立つと思います。
私も最高裁に提訴しようという気持ちに同感です。しかしそれは難しいと思います。その理由は告発するためには、我々に被害を与えた個人又は団体を特定する必要があります。しかしルーズベルトは既に死んでいます。我々が今できることは、この事実をTV、新聞、雑誌、その他色々な方法でアメリカ人に知らせることです。この為には第一に為すべき事は同憂の士の組織を立ち上げることだと思います。如何でしょうか。 会員 茂木弘道
■回答2
お手紙有り難うございます。英語のHPの管理者です。 確かに真珠湾奇襲により、アメリカ人の脳裏に、日本人は「詐欺師で信頼できない」というイメージが焼きついたと思います。そして、米国では毎年11月から12月になると、学校の歴史の時間やマスコミでこの真珠湾奇襲が取り上げられ、アメリカ在住の日本人は苦しい思いを味わいます。ただ、この悪イメージについては、日本のすべての日本人が認識してはいないようです。 貴方が日本人は一致して、特に真珠湾のような歴史問題をより客観的に見直す努力をすべきだと言う意見に同感です。ルーズベルトの「罪」については歴史学者が状況証拠の一致について言及していますが、決定的なものはまだ出ていません。しかしアメリカ人も、第2次大戦は単純に善悪でわりきれる問題ではなく、日本側が戦争ではなく平和的解決を求めて米国と同等、あるいはそれ以上に、努力したという言い分にも正当性があることを知るべきです。 真珠湾奇襲については当会の会員であり、武蔵野女子大教授の杉原誠四郎氏が書かれた次の本があります。
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| 9.三重県の教育問題 |
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■情報提供
自由主義史観のホームページに掲載していただけるということですが、今までの三重県の教育正常化運動の一連の経過がわかる下記の論稿をお願いいたしたく思います、これは「祖国と青年」2月号の記事です。 三重の教育正常化運動はいま(上) 日教組王国・三重県に教育は蘇るか。 皇學館大學助教授 新田 均 『日本の息吹』平成12年1月号の新春特別対談において、小堀桂一郎先生が「三重県における日教組との戦いというのは非常に重要だと想いますとと発言されている。この記事を目にした読者も多いことと思う。それでは、どうして、三重県の教育正常化運動がここまで注目されるようになったのか。そして、今、何が起ころうとしているのか。その経緯と現状をレポートしてほしいと、『祖国と青年』編集部から依頼があった。そこで、以下、私が知り得た範囲内で、三重県の教育正常化運動の展開を報告することにした。 教育正常化運動の発端 三重県教育界の異常さが明らかになったのは、『正論』平成11年7月号(6月1日発売)誌上の「全国高校教育偏向度マップ」においてであった。それによれば、日教組組織率全国ナンバーワンの三重県は、入学式における国旗の掲揚・国歌の斉唱が全国でも最低のレベルであることはもちろん、いじめ発生率・暴力行為発生率ともに全国第2位であることが判明した。 この記事を読んだ皇學館大學助教授・松浦光修氏は、自らの大学が存在し、しかも多数の教員を送り出してきた三重県の惨状に非常なショックを受けた。そこで、とにかく、この現状を多くの人々に知らせなければならないという考えから、『神社新報』(平成11年6月28日)に「無惨やな神の御もとの教育界」なる一文を寄稿した。この呼びかけに応えたのが、三重県立公立中学校の現役教員である渡遽毅氏だった。渡遽氏は、『正論』平成11年10月号(9月1日発売)に「私の日教組打倒論− 教員を目指す若い人たちへ」と題する論文を実名で寄稿し、次のような事実を公にした。 (1) 一般に、三重県は日教組加入率が80%以上で全国1位と言われているが、実質は100%に近い日教組の専制支配下にある。 (2) その三重県教職員組合(以下、「三教組」と略す)の組合員数は約11,500人、1人あたり年平均約11万円の組合費が給料から″搾取″されるので、三教組だけで、年間約126,000万円という巨額の活動資金が捻出されている。 (3) 平成14年から施行される小中学校の学習指導要領の「総合的学習の時間」は、日教組のすすめる反日・自虐教育に利用される可能性が高い。 (4) 三重県の教職員の勤務評定は、形骸化され、ABC評価の無差別オールBで、しかも本人に開示されている。 渡遽氏のこの行動は、三教組の専制支配下(後に、その組織率は、正確には98%であることが判明している)にある現役教員としては、非常なる勇気を必要とするものであった。三重県にもこのような気概ある教員がおり、必死の告発を行っている。このことを心ある人々に知らせなければならい。そう考えた私は、『神社新報』(平成11年9月6日)の主張欄において、渡邊氏支援を全国の神社人に呼びかけた。 さらに、松浦氏は、渡邊論文を基礎に独自の調査をすすめ、三教組の実態をさらに深くえぐり出した衝撃的な論文「広島よりひどい″日教組王国々の惨状”」を『正論』平成11年12月号(11月1日発売)に発表した。その内容を簡単に要約すれば、次のようなものである。 (1) 現場教員の証言を基に、渡邊論文で指摘された「オールB・開示」の生々しい様子が明らかにされた − これは、公務員の職業倫理の崩壊である。 (2) 三重県内の公立学校では、各地域の学校の「持ち回り」や「推薦」で三教組の「執行委員」が選出されるが、選出された委員は、年度当初から午前中の授業しか組まれない。「執行委員」は、基本的には午後は、その地域の組合支部で、三教組関係の仕事に忙殺されている。つまり組合活動が、学校の授業計画よりも優先される「不正出張」が全県下の公立学校で行われている事実を指摘した − これは、地方公務員法第35条の「職務専念義務」違反である。 (3) 三重県下のある中学校では、「人権学習」の時間に、近代における日本と朝鮮との関係を題材として、「日本人に内在する残虐性」を生徒に印象づけるために、「細かい歴史的事実の相関関係よりも、日本が自国の利益のためにアジア、とりわけ朝鮮の人々に甚大な犠牲を強いたその身勝手さ、酷さが伝わればよい」という趣旨の授業が、実際に行われている事実を明らかにした ー これは、法的拘束力をもつとされている「学習指導要領」違反である。 次々に結成された市民団体 三教組支配下の三重県教育の惨状が次々に明るみに出されるにつれて、心ある市民が立ち上がり、教育正常化を目指す団体が次第に結成されていった。まず、「日本会議三重」が平成11年8月4日に結成された。この設立総会は皇學館大學の記念講堂を会場とし、約200人の人々を集めて行われた。来賓として祝辞を述べた西宮一民皇學館大學長は「日本会議の趣旨は皇學館大學の建学の精神と同じである」と述べて、満場の拍手をあびた(なお、引き続いて行われた「天皇陛下御在位十年奉祝式典」には700名の市民が参加した)。 続いて、10月3日に、「新しい歴史教科書をつくる会」三重県支部が、日本会議顧問・皇學館大学前理事長の櫻井勝之進氏を支部長として結成された。この成立総会は、津市でおこなわれたが、当日は170人の市民が集まり、この中には多くの教員が含まれていた。 さらに、山野世志満氏(37)を代表とする「三重の教育を正す会」が設立され、県や市町村の情報公開条例に基づいて、「不正出張」の実態を解明する活動が開始された。この活動によって、津市、伊勢市、紀伊長島町、四日市市の高校や小中学校の時間割が開示され、勤務時間中の不正な組合活動の実態が白日の下にさらされることになった。 新聞報道の開始 『正論』12月号掲載の松浦論文が出た頃から、新聞各紙も三重の動きに注目するようになってきた。まず、10月31日に『産経新聞』(大阪版)が、「オールB・開示」の問題を一面トップで報道し、つづいて11月4日に主張欄で「三重の教育・先生の“悪平等″を改めよ」と主張した。これを皮切りに、『産経新聞』は、社会面や三重版で、教育正常化の動きを次々に報道するようになった。また、県庁所在地である津市を中心に約7万部発行されている『三重タイムズ』という『中日新聞』の折り込み新聞は、松浦氏や鈴鹿国際大学教授の久保憲一氏の歴史教育に関するインタビュー記事を掲載する一方、12月3日には、独自の取材に基づいて、不正な組合活動の実態を報ずるようになった。さらに、教育問題が県議会でとりあげられようになると、『中日新聞』『読売新聞』も三重版で報ずるようになった。 県議会に波及した教育正常化の波 平成11年11月下旬になると、教育正常化の波は三重県議会にも波及し、大きなうねりとなっていった。 まず11月19日に、県議会行政改革調査特別委員会で、「オールB・開示」の問題が取り上げられた。浜田耕司委員(自民・伊勢市選出)が「勤務評定で無差別にオールBにしているというが、本当か」と質したのに対し、中林正彦県教育長は「すべての学校ではないが、早急に是正措置を取りたい」と答えたのである。さらに、11月22日には、中林県教育長は、県議会予算特別委員会において、共産党県議の質問に答えて、「長年の労使の慣行として、勤務時間内の組合活動があったようだが、ただすべきはただすとして通達する」と明言した。そして、その言葉通り、11月24日に県立学校長・各教育事務所長・市町村等教育委員会教育長に対して、次のような通知が出された。 勤務評定の適正化と教職員の服務規律の確保について(通知) このことについては、かねてから注意を喚起しているところですが、学校職員の勤務成績の評定及び勤務時間における職務専念義務について不適切な実態があるとの指摘があります。学校に対する県民の関心がますます高まるなか、かかる実態が過去からの慣行により行われている場合には、早急に是正を図り、県民の期待に応える必要があります。貴職におかれては、下記事項により、勤務評定の適正化と教職員の服務規律の確保を図られよう通知します。なお、市町村等教育委員会にあっては、このことについて貴管内各学校長にその趣旨の徴底を図られるよう願います。 記
1.勤務評定の実施にあたっては「三重県市町村立学校職員の勤務成績の評定に関する規則」「三重県立学校職員の評定に関する規則」に則り、適正に行うこと。2.職員は、勤務時間中は職務に専念しなければならないものであること。なお、勤務につかない場合には、事前に適切な手続きをとること。
会計検査院への働きかけ 県議会の動きに注目しつつ、松浦氏と私は、多くの仲間とともに、次々に寄せられよううになった投書を基に独自の調査活動を継続した。そして、勤務時間中の組合活動は、実は膨大な額にのぽる 「税金の不正支出」 ではないのか、と考えよううになっていった。その考えを要約すると次のようだ。 三重県において、組合の執行部・執行委員は、ほぼ 「毎日、午後」不正な組合活動を繰り返している。つまり、彼らが職務に専念しているのは勤務時間の半分だけということになる。したがって、年俸の半分は不正に取得していることになる。年俸の平均を仮に600万円とすれば、一人当たり、毎年300万円の不正給与を受け取っているというわけだ。ところで、三重県には、26の組合支部があり、一支部あたり、約10名、つまり260名ほどの教員が、組合執行部・執行委員となっている。したがって、不正支出の総額は、300×260で、約8億円にものぼることになる。しかも、勤務時間中の組合活動は、執行部・執行委員の活動に限らない。一般の教員も「青年部」「婦人部」等々の活動を勤務時間中に行い、これを各学校長は校長権限で許可している。このような事例を合算していくと、軽く10億円を超えてしまうかもしれない。しかも、これはわずか一年間の額である。 このような試算に基づいて、私たちは、この事実を会計検査院渉外広報室に文書で知らせ、調査を依頼した。各県の公立学校の経費の約半分は国費であり、それについては会計監査院の管轄事項であるからである。果たして市民の問いかけに応えて会計検査院は動くのか。今後の展開が大いに注目される。 さらに、私たちは、金の不正は時間の不正ということになるのではないかという見方もするようになった。つまり、本来教育に充てられるべき膨大な時間が失われ、生徒の「教育を受ける権利」が重大な侵害を受けている可能性があるのである。教師が大会、青年部、婦人部、友好団体の活動に動員されている間、生徒たちはどうしているのだろうか。三重県では、学校をサボっているようには見えない生徒たちが、昼間、町をぶらついているのが目につく。さらに、驚いたことに、上野市・鈴鹿市・四日市市の小中学校では、教員の研修というような名目で、毎週水曜日が半日授業となっているようだ。 「日本会議三重」による要望書の提出 私たちのグループの研究成果は、「日本会議三重」の中林県教育長に対する要望書という形で生かされることにもなった。それは、次のようなものである。
この要望書は、佐野方比古・日本会議三重運営委員長らによって中林教育長に手渡された。中林教育長は、佐野氏らに対して、県教委として誠実に対応していくと述べたという。 国会議員への陳情 12月9日、佐野方比古・運営委員長を団長とする日本会議三重のメンバーが国会議員に対する陳情を行った。この陳情の成果は、三点あったという。 第一は、すでに文部省が三重県に関心を示し、三重県教委の関係者を本省によんで事情を聞く予定になっていることが明らかになったことである。この文部省の事情聴取に応えるのが目的であったと思われるが、日本会議三重が陳情を行った当日、三重県では、県教委教職員課長が、18人の県教委関係者・地教委教育長・学校長らを召集して、「学校管理に関する代表者会議」を開催していた。その議題は「学校管理に関する諸課題について(勤務時間に関する実態調査)」というものであり、「教職員が勤務時間内に職員団体のための活動を行った状況について、現状と今後の課題について、意見交換がおこなわれた」。そして、「調査内容は、勤務時間内の職員団体のための活動について行う。調査時期及び方法については、県教育委員会で検討する。小中学校長及び県立学校長を召集し、説明会を開催する」という三点が確認されている。 陳情成果の第二は、勤務時間内に組合活動を行っていた教員に対する通常の給与の支出状況は、十分に会計監査院の監査の対象となりえると、高市早苗衆議院議員からお墨付きをいただいたことである。そして、高市議員は、行政に関する国民の苦情を処理する「衆議院決算行政監視委員会」なる機関が存在することを教えて下さった(この情報に基づいて、早速、複数の市民が教員の不正給与に対する苦情を申し立てた)。 第三は、「三重県の教育を正常化しようとすれば、三重県選出の自民党国会議員の中には、協力してくれない人物もいるであろう。何故なら、三教組の票をもらっている自民党議員もいるからだーという指摘を複数の国会議員から受けたことである。この指摘は、日本会議三重のメンバーにとって、まったく「晴天の霹靂」であったという。しかし、それがかえって、「今後どのような事態が起ころうとも、教育正常化への歩みはやめない」という決意を固めさせることにもなったというのはたのもしい。 私たちのグループの活動 松浦氏や私の言論活動が注目されようになると、私たちが所属する皇撃館大學に対して、新田・松浦の活動をそのままにしておくと学生募集・教育実習・教員採用その他の就職に影響するぞ、といった圧力めいた投書などが寄せられるようになった。県議会への波及からここまでの状況を『正論』平成12年2月号(平成11年12月24日発売)でレポートしたところ、私たちのところに「先生たちを支援します」という数多くの投書が送られてきた。そのような投書は、我が大学の当局者にも送られてきているらしい。ただただ「ありがとうございます」と、この場を借りてお礼を申し上げたい。 12月10日、松浦氏と私は、依頼によって、若手の三重県議会議員でつくる超党派の研究会「波動21」幹事長は、員弁郡選出の水谷俊郎・自民党県議)で、教育問題に関する講演を行った。この講演では、まず、松浦氏が現行中学校の歴史教科書が如何に偏っているか、三重県下で如何にひどい偏向教育が行われているか、などの諸問題を指摘するとともに、地方公務員法を引用して、自らの論文で取り上げた「教員の不正出張」が如何に許しがたいものであるかを説明した。そして、西欧における議会の歴史に言及して、「税金のチェック」こそ議員本来の仕事であることを強調した。 つぎに私が、自分たちの言論活動が、実は多くの県民からの投書に依拠していることを実例を挙げて説明し、教員を含めた三重県民の間に、三教組に対する「噴憑の気」が満ち満ちている現状を紹介した。部分的に三教組の横暴を知っている議員は少なくなかったが、「これほどまでとは」という感想があちこちで囁かれ、水谷県議は「このままでは昨年度の決算は認定できないな」とつぶやいた。このつぶやきは、後に現実となって、三重県の教育界を揺るがすことになった。 津市議会での議論と圧力 12月13日、田矢修介・津市議(27)が市議会の一般質問において、国旗の掲揚・国歌の斉唱の誠実な実施を求めるとともに、教員給与の不正支出問題を追及した。田矢市議の活躍に関連して、注目すべき出来事が二つあった。一つは、田矢市議に対して、他の会派の市議から、予め質問内容を問いただす圧力に近い電話があったという事実である。議会内における議員の発言を保障することは議会政治の基本中の基本である。それを踏みにじろうとする者がいる。それも議員の中にいる、とは全く信じられない。ところが、これは世間知らずの学者の考えで、ある地方議員にこの話を聞いたところ、「私もそのような圧力をよく受けました」と平然と答えた。この国の議会政治は、どこかで大きな狂いを生じているようだ。それはともかく、そのような圧力にもめげず、田矢市議の質問は問題の核心をつく、まさに諷爽たる若武者ぶりであったという。日本の未来は、このような若い議員たちの肩にかかっていると実感した、とはこの質問を傍聴した人の言葉である。 今ひとつは、田矢議員の質問に関連して、同じ会派の議員が「津市立三重短期大学では国旗・国歌の問題はどうなっているのか」と質したのに対して、三重短大の学長が「これまではやっておりません。これからもやるつもりはありません」と平然と答弁して、田矢議員所属の会派[県都クラブ]の議員たちを激怒させたことである。 さて、12月14日には、自民党県議団と三教組幹部との意見交換会が開かれ、12月15日からは3日連続して県議会で教育問題が取り上げられた。これらを通じて、新たな事実が続々と明らかとなり、三重県の教育正常化運動はもはや押し止めがたいものとなって来た。 |