1.日本の行為に対する責任
■投稿文

今日は。私はミネソタの高校の先生です。最近日本やアジア近隣諸国を含む第二次世界大戦の謝罪セミナーに出席しました。…非常に良い催し物でしたが、「許しを必要とすることなど、なに1つやっていない」と繰り返し主張しているような社会を許すのは、困難で、少し時期早尚だと思いました。しかし、正しい方向への第一歩でした。

貴サイトには目を開かれました。つまり「日本の戦時中の残虐行為について、日本の権威者がまるで認めようとしていないか」ということが、分かったからです。私達の授業では、日常的に、米国や同盟国が犯した残虐行為や不適切な行為について、討議し、補償についても話合います。日本が自らの行為について責任をとろうとしない現象は、私たちが勉強しているところです。貴方たちの教材は、授業のすばらしい肥やしとなっています。

■回答

我々のサイトにコメント、否、ご非難をいただき有難うございます。我々のサイトが一方的だとご指摘のようですが、まだたくさんの資料や違った意見があり、まだ訳されていないのです。(まだ時間が掛かります)

まず第一に、日本は民主的な社会で、言論は自由で色々の考えがあります。ですから、我々の「社会」について、ひとまとめで、こうだ、と(貴方のように)断定なさることは、お避けになるよう、提言します。

二番目に重要なことは、我々を含めたほとんどの日本人は、アジアの国々や世界と仲良くやることを望んでいます。そのため日本はアジアとくに中国には沢山の援助をしてきました。しかし、普通の中国人は、我々が長年にわたって最大の援助国であったことを知りません。ですから、日本では、「これでは何のために援助をしてきたのか、意味がないじゃないか。」という声が出始めています。

また、戦後(1945年以降)戦前の日本の「長所」を指摘した人々は、特に教育界やマスコミから追放されてしまいました。それ以来、今日にいたるまでも、「汝、罪人達よ、懺悔せよ!」との見方は、反対論も出しづらいまま、学問的にも定着していきました。
また、一党独裁の中国や北朝鮮のような国々が、日本の過去を落雷のように、(ときにはありもしないことや偽善的な態度で)非難し、その都度日本政府が何もせず、怒りを静めようと、謝るだけの態度に、国民は飽き飽きし始めています。政府がより真面目に歴史の諸問題に直面し、正しかったこと、間違っていたこと、きちんと考えるべきではないか、という批判も出ています。歴史は決して一方的に片方が悪いということはなく、また、米国も含めて、道義的な問題のみで、国々は戦争などまずしないと言ってよいでしょう。。両方の鏡が検証されてはじめて、双方の正しかった面、悪かった面が理解できます。その行程は今ここで始まったばかりです。
これらのことは、アメリカ人には判りにくいかもしれません。貴方たちの国は戦争の勝者であり、おまけに日本が真珠湾攻撃で大失敗をやったので、自らの正義を疑う必要がなかったからです。(しかしルーズベルトは5カ月前の命令で、日本爆撃のためのパイロットを中国に送りこむことに合意していましたね)

日本の欠点と言えば、例えば人種偏見や女性差別を例にとると、確かに、差別は過去にも、今も、存在しています。これを認め、反省し対策を立てることに、賛成です。私も多分貴方と同じように自分の国をより良い、思いやりのある国にしたいと深く願っています。
しかし、戦前の日本人の中にも高い理想を持った人々が多くいました。ナチドイツやアメリカさえも人種差別を法律化してしまった時代に、断固そのようなことを拒否した人たちがいたのです。このことはあまり知られていないのですが、我々日本人は誇ってよいと思います。

我々のページのどの部分が「(事実の)否認」であるとみなされているのか、又、 「戦争時の残酷行為」という言葉は、何をさしていらっしゃるのか、ご説明ねがいます。もし「南京虐殺」であるのなら、東京裁判の判事達も日本の原告を全員「人道上に対する罪」では無罪としました。ニュールンベルグ裁判で有罪になったナチとは違います。なぜなら大規模かつ意図的な戦争法の違反は無かったからです。(個々の限られた事件はあったかもしれません)

またサンフランシスコ講和条約と戦後の賠償交渉は何のためだったのでしょう。これらですべての傷を癒すはずではなかったのですか?もしカリフォルニアで過去の「残虐行為」を有罪とみなすのでしたら日本人はアメリカや連合諸国の「残虐行為」を訴えるべきではありませんか。東京空襲では十万人も殺され何の軍事目標もないほかの都市も含めて。そうなると、どのような結果になるのでしょうか?貴方または教えていらっしゃる学生さんのほうで、さらにご意見などがおありでしたら、いつでもメールをどうぞ。

以下貴方の質問、ご意見について各項毎に答えます。

★今まで日本の過去のこの部分を否定する例を英語では見たことがなかった。教科書を書き直し、歴史改定する合理性を説明する事は難しいことだ。我々の教科書はアメリカの戦争の残虐さを書き、読んだ時に人間の暗部にあるものを掴み取るようにしているのだ。単に写真が偽造されているとか、参加している人の証言が嘘だと言うのは歴史を否定する良い例だ。私たちは通常では犠牲者の証言を最初に信じるという方法をとっている。アメリカのかかわったベトナムやカンボジアでの恐ろしい出来事に関しては、通常、田舎にすむ農夫の「なぜ「アメリカの戦争だった」というのか」という点から始めるのだ。日本人の性格を貴方たちの書いたものやサイトからもっと学ぼうとしている。貴方たちを決して非難しようとしているのではなく、もっと理解しようとしているのだ。

☆我々のサイトが一方的だとご指摘のようですが、この原因はまだたくさんの資料や違った意見があり、まだ訳されていないからです。(まだ時間が掛かります)

★このような努力に協力しようとする良いネイティブスピーカーを探すのは難しい。どれをネイティブが書いたのか、そうでないのかを見分けるのは簡単だ。又このような作業ては翻訳者のバイアスがかかることも明らかである。私も私のクラスの生徒も楽しみにしている。

☆”「我々は誤らねばならないようなことは何もしていない」と繰り返し言っている団体を許すことは難しい。日本は自身の行為に対する責任をとろうとしていない。”と貴方は言っています。まず最初一番目に日本は民主的な社会で、言論は自由で色々の考えがあり、私は我々の研究会の色々の意見を集合し、まとめようとはしていません。

★貴方の日本には多様な見方があるとの意見に興味を持った。しかし、多分正確では無い。日本人の多くは自分達自身を均一社会といっていることは良く知られている。しかし、貴方は多様化しているとおっしゃる。どちらですか?この多様化していることを、例をあげて説明してください。

☆人種構成は日本では(アメリカ)より同一です。そう言う意味ではより均一です。アメリカより収入がより均一のため、階層はより少なく社会的緊張もより少ないのです。しかし、環境、教育、女性の権利、税、医療制度、外交政策などにおいて利益や意見の違いは多々あります。地域による認識の差もあります。私は伝統的に反中央政府意識の強い関西から東京に転勤してきて大きな態度の違いにきづきました。我々の宗教観、美意識、宇宙観などは、西洋の伝統や想像力に必ずしも縛られることなく、多くは独自のものです。最近のローマ法王の行為に感動しましたが、日本の大衆は全体として、西洋人のイメージとは異なり、宗教には大変寛大でした。日本では神官が仏事に出席することもあります。なぜなら彼の祖先の誰かが仏教徒であったから。仏教の僧侶が神社にお参りしていたのを見たこともあります。私の祖母は仏教徒ですが、娘がキリスト教徒だからイイスターには教会に行き、それを楽しみにしていました。美意識の一例ですが、顔に黒い化粧をし、目や口紅を白くする女の子の流行に苦い顔をする人も沢山いますが、アフリカ人モデルの影響された彼女らを見て楽しく思っています。日本人は西洋人より人種的反目を抱くことが少ないのではないかと思い、他の文化の長所を西洋人よりあっけらかんと尊敬すると感じています。海外文化と接触したことは歴史的には限られおり、植民地化されたこともなく多くの日本人は諸外国間の違いも意識せず(差がわからない)、外国の長所を無邪気に受け入れています。一方、内にこもりやすく、外国人同様偏見も持ちますが、これは同じ島国の英国人も同様です。事実は、内気で外国人に閉鎖的な私達日本人は、そもそも日本人同士でも閉鎖的なのです。したがって多くの日本人が日本人は全て同じだというのは、自分の小さな社会という殻から出ようとしないのだ、というのが私の意見です。「日本人の均一性」は外面的にルックスは同じでしょうが、内面的には考えていることは同じと思っていても、職業、年齢、性、人生経験などにより興味の対象が違うから実際は違うのです。現在我々の社会は静にやっていますが、革命的に変化し世界によりオープンになり、将来はより多様性を帯びてくるでしょう。

☆二番目に重要なことは日本人が私も含めアジアの国々と仲良くやることを望んでいます。そのため日本はアジアとくに中国には沢山の援助をしてきました。しかし特に殆どの中国人は我々が長年にわたる最大の援助国であることを知りません。そこで国民が要求し始めたのです。

★どこの国もこの難しい仕事をしなければならない。問題はお金の額でなく公式の心からの謝罪だ。今、日本が犠牲者の立場になったのだ。「みんながが私たちをいじめる。謝れ、謝れと何回も言う」と言って。当然、あなたたちはまたそう要求されるであろう。もちろん、私は「あなたたち」と言うので、「あなた」ではない。あなたは学者でおそらく平和愛好者でしょう。だから貴方に言うのではなく、あなたの政府に向かって言うのだ。過去、現在、おそらく信じられるまで。私はアメリカ政府が中央アメリカ、日本、東南アジアに同じようにひどいことをしてきたという見方をしている。我々は公平に非難するところは非難しなければならない。

リー・ワー・ラン(江沢民?)は兆しを認めているが、更に目覚めさせるために「日本人の謝罪が無い」と考えている。日本の武士道が日本の社会全体に影響を及ぼしていると。もちろんまるごと信ずることは正しくない。しかし、私の会った多くの日本人は文化や文化遺産は自慢するが、恐ろしい事実を話すことは忘れている。心を癒すことが出来るのはその次のステップです。

☆戦後(1945年以降)、戦前の日本の良い点を主張してきた学者やマスコミの人達は追放されてしまいました。それ以来、今日まで「汝、罪人達よ、懺悔せよ!」との見方は、何の反対論もなく、学問的にも定着していきました。日本の過去を非難し、雷を落されるごとに(ときにはありもしないことや偽善的なことにも)、日本政府は何もせず一党独裁である中国、北朝鮮にも妥協し、謝るだけでした。国民はこれに飽き飽きしてきた。そしてここにきて国民が物を言い始めたのです。なにが正しく、なにが間違っているのか、米国も含め、歴史的事項を評価し、直面しなくてはならないのです。歴史は決して一方的に片方が悪いということはありません。両方の鏡が検証されてはじめて、我々が悪かったかどうか理解することが出来ます。その行程が今ここで始まったところです。

★おっしゃるとおり。その行程が始まったばかりなのが残念です。疑いなく過ちを知っていて追求したくない一派もいるだろう。しかし、多くの人は過ちを認め責任をとるのだ。真実が消されない限り必ず和解できる時が来る。ここアメリカでも奴隷制度や50年代のブラックリスト化、反ユダヤ政策、女性権問題、ゲイの権利などについて熱心に討論してきている。右派の連中はアメリカ人が正しいキリスト教国であり、外国には常にフェアであったという。しかしアメリカに圧迫されていた犠牲者について尋ねると、アメリカに対して尊敬を公言しているに関わらず違った答えが返ってくる。私はベトナム、朝鮮、カンボジア、中国に何回か行ったことがあるが、ベトナムに行った時、アメリカが尊敬されていることに気づき、驚いた。我々の政府に痛めつけられた人々が、なぜ我々をそのように尊敬しているのだろうか。

☆アメリカ人には判らないかもしれません。貴方たちの国は日本が真珠湾攻撃で大失敗をやったのでいつも正義であり、勝者なのですから。(しかしルーズベルトは5ヶ月前に中国にパイロットを送り日本爆撃の準備をしていましたね)

★私は決してアメリカの正当性を主張しているのではない。アメリカは若い国で沢山の過ちをしてきている。過去現在にいたるまで人々にひどいことをしてきた。我々はもっと多くの事を学び、過ちを繰り返さないようにしたいのだ。

☆我々の欠点と言えば、例えば人種偏見、とくに女性への偏見です。我々はこれを認め、反省し対策を立てています。我々も貴方たちと同じように理性ある良い国にしようとしています。

★その通り。日本には旅行したり、住んだことがあるが、50年代のアメリカみたいでタイムマシンで戻ったようだ。家族問題、女性問題、人種問題、ゲイの問題など聞くのが面白い。一方、アメリカは麻薬、ギャング、家族崩壊、銃、等のほか多くの問題を抱えている。

☆しかし、戦前、日本人の中にもナチドイツやアメリカが人種差別をしているときに、高い望みを持ち、人類平等を提案した人たちがいたのです。ただこの提案は否決されてしまったのですが。このことはあまり知られていないのですが我々は誇りと思っています。

★戦前の日本はアメリカ文化を理想とし、まねしたいと思ったのだと思う。日本は言葉、洋服、音楽、食物、メディアの面で多くの西洋の影響を受けた。以前の日本は簡素で、純粋な美しさがあった。もちろん暗い部分もあった。身分制度、アジア近隣諸国への対応、民族優秀信仰など。 アメリカも同じだが!

☆我々のページのどの部分が「否定」され「戦争時の残酷行為」に当たるのか教えてください。もし南京虐殺であるのなら、東京裁判の判事でも「人道上に対する罪」であるのなら無罪になっています。ニュールンベルグ裁判で有罪になったナチとは違います。なぜなら、大規模な意図的な戦争法の違反は無かったからです。(個々の限定された事件はありましたが)

★慰安婦問題を否定している。ぞっとする南京事件を混乱させている。M・スコット・ペックの本の「嘘の国民」でベトナムのメイライで戦争末期、アメリカ軍は恐ろしい虐殺を起こしたといっている。我々の軍隊が朝のうちに非武装の村民を約300名殺したのだ。アメリカの新聞は「殺人コンテスト」は無かったと書いているが、ごく普通の人間が冷血な殺人鬼にどうして変わるのかと考えると当惑してくる。歴史のこういうところを調べ、人間の性について学ぼうとしているのだ。ある日本人が歴史上から見ていっているようにこれはマゾヒズムではなく、現実であり、真実なのだ。

☆またサンフランシスコ平和条約と賠償交渉は何だったのでしょう。これで傷は癒せなかったのですか?

★この問題は判らない。日本の態度は謝罪ではないと感じている。そのため被害者が不満としているのだ。

☆もしカリフォルニアで過去の残虐行為を有罪とされるのでしたら日本人はアメリカや連合諸国の残虐行為を訴えるべきではありませんか。東京空襲では十万人も殺され何の軍事目的もないほかの都市も含めて。どうなっちゃうのでしょうね?

★こんないやなことを弁護しようとは決して思わない。我々の歴史の教科書では二つの街への原爆投下や東京焼夷弾爆撃は日本を敗戦に追い込むための手段の一つだった、しかし、空中爆発させてもその威力を十分示すことが出来、死者を少なくすることは出来たであろうと書いてある。ひどい爆弾の歴史がアメリカにはあるのだ。日本で気になるのは軍隊の特別に冷酷なことだ。私は軍隊の心が理解出来ない。それだから調べつづけるのだが、おそらく理解出来ないでしょう。

☆よろしければ貴方または貴方のクラスの方から私たちのサイトに更に入力していただければと思います。私の入力することは日本史や文化の専門家ではないことを覚えておいてください。できるだけ多くの情報を集めたいと思っている単なる学習者なのです。

会員 野口ひかる
■回答(2回目)

貴方の我々の努力に対する考えは典型的なアメリカ人の反応です。この反応はアジアの歴史的事実、研究、資料、これらから出てくる意見などの英語による情報が欠けていることに起因します。そして日本人の多くがこれらを英訳することが重要だという意識に欠けているからです。これに対する最も良い答えは全ての情報を我々のサイトにアップロードすることです。しかし翻訳するにはずいぶん時間がかかるので、貴方と私たちの意見の違うところを言わせてください。私は現代アジア史の専門家ではありません。役目は会員と学者達の意見を英訳することです。そして日本は責任ある民主主義国家であると思っています。日本人の多くは政府が南京事件の否定についての説明、慰安婦問題、真珠湾攻撃のような歴史的事項を調査もせず、あいまいにし、答えてもいないと思っています。 (国民は死に物狂いで戦かい、決死の打撃を与えたと思っています。悪名をつけられてからの50周年記念日にでも政府はそれをいうべきだったのです)

以下項目別にお答えします。

★(事実が)書かれていない歴史教科書は再構築し、読んだら人間の暗部を掴み取るようなものにしなければなりません。

☆子供達には我々少数派のグループや、社会、政治、弱者の権利を守ることを教えなくてはいけません。また国の過ちを教えていくことも大切なことは私も同感です。例えば多くの朝鮮人が1923年の関東大震災のあとで虐殺されました。非常に悲惨な事件であり、恥ずかしいことだと思っています。同じようなことが少数民族アイヌや社会的差別をエタの人たちにし迫害しました。このような事実は学校で教えられています。しかし戦争の原因を考えることも無く歴史的に検証もされていない慰安婦問題のような事柄を、偏った見方で非難し、小学校、中学校のレベルで教えることに反対しているのです。

教科書の捏造は、強力な政治的には左がかった教育者の責任です。日本では彼らが国歌斉唱や国旗掲揚を学校では禁止するようにしてきました。このような行為は戦後特に朝日新聞のような巨大メディアに支援されて公立の学校では確立されていました。困ったことに多くの今日の若者は国歌も知らず、自分達の国旗も尊敬するように教えてもらっていないので、スポーツなどの催し物のときでも外国の国旗に敬意を表すことも知りません。慰安婦問題を例えば高校、大学のレベルで討論することに反対はいたしません。しかし、男女間に信頼と尊敬を重視しなければならない成熟期に行うことには反対です。

写真について簡単に言いますと不正に修整されたものです。数百の参加者というのも問題です。単に口で言うだけで無く調査した結果です。また数百名の日本人の証言も一様に南京事件を否定しています。検閲者はいませんでした。またあったとしても、あのようなスケールの大きな殺人が噂もたたなかったのでしょうか?(日本人は兵隊や旅行者から隠された事件だとして知るはずです)奇妙なことです。一つの例をあげましょう。南京またはほかの場所で撮った軍検閲の写真集には虐殺の証拠となるものはありません。「南京安全地域の現状」が強姦、殺人、の記録はあるが、欧米人で現場検証したという記録はありません。彼らは申告したものを記録しただけでした。虐殺現場から逃げ帰った生存者の証言では日本軍の城門での警備はとても厳しかったとあるが、そのような警備を潜り抜けて、殺害が行われている市街地に入ったのであろうか?とてもそんなことは信じられない。半年後におこなわれた南京大学社会学のスミス教授は日本人による虐殺は行われていないと述べていた。これには軍事作戦上の戦死者数や連れ去られた捕虜は含まれていない。死体はどうしたのか?誰が埋めたのか?なぜ人口が増えたのか?蒋介石や毛沢東は(このとき)なぜ何も言わなかったのか?日本人弁護団の証拠の多くは連合国(判事側)に無視された。(スミスの証言も含め)そしてあとになってからの言論の自由のない中共側からの証言が多く、抗日戦争を戦かったという存在理由となっていた。(日本軍と戦ったのは蒋介石であるが、(日本に対する軍事作戦)を1934年に出版し、戦略的には効果的に使われた)

日本は軍部を1930年代抑制することが出来なかった責任はある。これは明治憲法欠陥でもあり、軍と内閣という二つの政府を作ってしまった。また多くの中国人を殺したり、苦しめたりした。この事実は否定出来ない。しかし、アイリス・チャン版の誤った証言をいれた南京事件は受け入れることは出来ない。これは捏造された人種偏見のある物語だと思っている。まじめに再検討されなくてはいけない。

★特に南京事件に関するぞっとするような描写は人心を惑わせる。

☆これが私たちのサイトを作った趣旨です。日本人は歴史的にもそのような殺し方をしたことはありません。日清戦争(1894〜5年)のときそのような残酷な方法で日本人捕虜は殺されたので、これに愕然として、「捕虜になるより死を選べ」と日本兵は教えられたのです。封建時代には侍はハラキリのような野蛮なことをしました。戦前の日本軍は兵士に平手打ちをしたが、おそらく捕虜にもしたでしょう。日本では宗教的の理由で100年ぐらい前には肉さえも食べていませんでした。(昔から)中国からはすばらしいものを輸入しましたが、纏足や宦官までは輸入しませんでした。決して人を殺すのに手足を切り刻むようなことは持ちこんではきませんでした。中国の王朝変更時の歴史と中国が日本だけではなく自国民が分裂して戦かっていた混乱した時期を一度勉強されたら、これに似た残酷な証拠を見つけることが出来るでしょう。我々は個々のケースで日本兵が残虐行為をしたことは否定しません。しかし、全軍がやったとは理解しがたいことです。

★日本が関わる恐れのある面は特に軍隊の残虐な本質です。日本軍の理性が理解出来ません。それだから調べつづけるのです。

☆日本軍の約半分の死亡原因は飢えと栄養不良です。これは、軍が広い地域に輸送する良い手段を用意していなかったこと、また連合軍の爆撃が成功していたことに起因します。日本が捕虜を栄養不良で死亡させたことは否定しません。日本軍自体もひどい食糧不足であったことを考えてください。これは食料を故意に抑えたのとは違うのです。戦後私の父は英軍のビルマの捕虜収容所にいました。多くの日本人が同じような理由で死にました。また父はイギリス軍が日本の捕虜をタンク前部に縛り付けて攻撃してくるといっていました。

★金額の問題ではなく正式の心からの謝罪が必要なのだろう。

☆これに関しては我々のサイトの賠償と援助を見てください。我々は54の賠償条約を1977年までに締結しています。日本はアメリカに食料や医療の援助の費用を利子つけて返却しました。このことは殆どの日本人は知りません。ドイツは各国と国ごとの戦争の損害に対し交渉をしていません。彼らが払ったのは大虐殺の犠牲者に対してであり、特異な罪そのものに支払ったのです。日本はたとえ一民族、一グループでも抹殺するような政策は持っていませんでした。もし各国に支払われた金が個人まで渡らないのなら、これは我々の落ち度ではありません。いかにするかはその国の政府が決めることですから。たとえば、韓国は個々の犠牲者に払うのでなく国作りに使いました。しかし、賠償は、戦争の、もちろん個人の損害も含む、あらゆる損害に対して支払ったのです。もし彼らがそれを守ってくれなければ、国際条約とは何なのでしょう。同様に中国にはすでに指導者が会うごとにまた議会声明などで何回も謝りました。今手元にデータは持っていませんが。中国は国交成立一年前に賠償金支払を放棄してくれました。その代わりたくさんの税金が経済援助のために支払われました。振り返ればこれは賢明な方法ではありませんでした。中国大衆(世界の人々も)は知らされていないのです。日本政府は確認をしていません。しかし確かなことは、日本はよい関係を作りたいのです。(私たちもそうしたいのです。しかし、チベット人を100万人も殺したり、もっと多くの国民を殺した政権を心から応援することが難しいのです)

(しかし、運命とは皮肉なもので、父がマラリアで死にそうであったとき、命を英国人医師ハミルトンにより助けられた。あとで父の英語の先生が彼の友人であることが判った。ほかの人は誰もが助からなかったので、父はスパイか何かじゃないかと疑われ、あとで多くの日本人に殴られいじめられた。しかしこれはまた別の話だ。)これが一例

会員 野口ひかる
■投稿(3回目)

このサイトは大変素晴らしく公正でバランスがとれている。両者の立場から見ていることは大変良い。ぜひこの仕事を続け、より平和な世界に導く事実を見いだすことを希望する。


2.支那
■投稿

今回の石原発言で思い出されるのは以前の「シナ人」問題です。

私は「シナ人」と言う言葉がいけないと言うなら「シノワ(フランス)」「チネーゼ (イタリア)」「チャイニーズ(英米)」も差別語ではないかと思います。中国はそれらの国にも抗議しているのでしょうか。例えば仮に「チューゴキアン」「チューゴキー」「チューカーズ」と言うような言葉で呼ぶように申し入れているのでしょうか。一方でイギリスなどが「グレートブリテン」と呼ばれずに「イギリス」と呼ばれる事は差別であると言った事があるのでしょうか。

世界中の人が「シナ人」と呼んでいるのに日本にはそれを許さないのであれば、おたがい「さん付け」で呼んでいるグループの中で日本人にだけ一方的に「様付け」を強要されているようなものです。

日本人の大半が戦争当事者の世代でなくなってもまだ「東洋鬼」「日本鬼子」と言う言葉は何となく耳に入ってきます。その方が余程差別ではないでしょうか。それを使う中国人にもそのつど抗議すべきだと思います。

大陸の人は何かと言うと「秀吉の朝鮮出兵」まで遡りますが来年の大河ドラマは「元冦」が扱われるとのことですね。大河ドラマは視聴率も高く海外での放映の機会も多いので国内外をとわず、ずいぶん日本に対する見方もかわるのではないでしょうか。大陸との関係に於いて日本だけが一方的な侵略者ではないということを外国人が知る機会には成るかも知れないのではないでしょうか。どんな描かれ方をするのか期待半分不安半分ですが、大河ドラマで扱われる事により学校教育において一時的に「元冦」の比重はやや重くなる事でしょう。HPでも「元冦」について取り上げていただけると有り難く思います。

■回答

メール有り難うございました。

支那人についてのご意見全く同感です。支那は秦、晋、清等から出た言葉であり、決して差別用語ではありません。Chinaも同じ語源です。しかし支那事変により、支那のイメージが落ちた事も分からないではありませんが、差別用語ととらえることには反対です。私自身支那と言っても支那を軽蔑して言っている感じではなく、当時の通称として言っているに過ぎません。

理事 杉本幹夫

3.東京裁判の記録はどこのあるのですか?
■投稿

「他の国々を不法に侵略した日本に対する起訴」(というタイトルで)のレポートを書こうとしています。極東軍事裁判(東京裁判)の記録のコピーをどこかのサイトか参考書でご存知ないですか。

テネシー州ナッシュビル 高校生
■回答

アメリカか日本の大学付属図書館か国立図書館を調べたらよいでしょう。東京裁判では国際法の専門家はいなかったことを覚えておいてください。新しく独立した印度出身のラブハビノット・パル判事以外は。彼の判決文では日本の全ての訴因を無罪としています。(http://www.jiyuu-shikan.org/e/index.html のライブラリーをご覧ください)彼の700ページにおけるセンセーショナルな判決文はアジアの歴史に深く踏み込んでおりましたが裁判中は読むことは許可されませんでした。アメリカ占領下における7年間は出版も禁止されていました。もし貴方が図書館で(オランダでもずいぶん前に出版されている)入手出来ましたら公式裁判記録と比較してみてください。非常に興味あることに気づかれるでしょう。

ラダビノッド・パル判事は極東国際軍事裁判におけるインド代表判事。判決書は、正確には25万語位だそうです。(印刷の形態によって長さは異なるので)

英語版サイトマネージャー

4.「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」は間違っているのか?
■投稿

Webmasterさん
貴方のサイトを読みました。あのページにある人口の数字について疑問があります。どうして正しいと思われたのですか?それを検証するために日本以外の本を見たのですか?ザ・レイプ・オブ・ナンキンでは、チャンは非常に多くの本を読んでおり、あの数字も本も正しいものと確信しています。貴方は正当性を評価する引用源も日本のもののみをリストアップしていますね。真実を知るためには台湾や、中国のように違った地域の情報を入手する必要があると思います。おそらく貴方はあの事件の当事者や生存者からの話しを聴くことも出来ますね。正直言って、私は貴方の書いたものをまったく信用できませんし、疑っています。一方的な正当性の無い話で真実を隠そうとしているのだと思います。

追伸:チャンの本では、日本は歴史を書き直し、写真や書かれた記事を隠そうとしているといっています。貴方たちが間違いを正当化するのであるなら、日本の本やインタビューが信用ある参考資料と思われませんね?

中国系アメリカ人女性
■回答

我々のサイトを訪問いただき有難うございます。

ご質問は人口の数字の引用源でしたね。注記では書いているように「南京安全地域報告書」で、国際問題委員会の外交問題省顧問シュ・シ・シュウ博士のまとめたもので、重慶と上海のケリー・アンド・ウォレゥシュによって1934年に発行されました。これは南京の全市民が集まった南京安全地帯の国際委員会の活動記録を編集したものです。

マー南京市長とワン警察署長より安全地域の行政上必要として国際委員会に与えられた情報です。それで彼らは残された人口は20万人と知り、家屋、食料を含む行政サービスを始め、あまりトラブル無く行政をしてきました。したがってこの数字は正確ではないかもしれないが、当時の最も信用置けるものと考えます。このデータに基づき我々は議論を進めているのですが、対照的に、アイリスチャンの60万人の人口は何の根拠も示していません。貴方はチャンが非常に多くの本を参考にしたとおっしゃいます。しかし、それが信頼できると検証されてなければ、また誤って使用されたら、価値はありません。0掛ける0は0なのです。日本軍に関する情報で、どの部隊がどこにいたかというのは主に日本の軍事記録を使用しました。

しかし、主なデータは「南京安全地域記録」を使いました、というのは、たとえ中国人への同情者があり、数字が誇張されていたかもしれないが、当時、最も現場に近いところにいた人々によって記録したためです。それでも我々はこの情報は南京に住んでいた民間人の状況を判断するのには誇張されたものと評価しています。安全地域はニューヨークのセントラルパークぐらいで、そこに20万人もの人が詰められていたのです。それだから、なにか犯罪か事件が起き、20万人の人々の誰かに見られていたでしょう。実際たくさんの苦情が国際委員会に持ちこまれ、その都度日本の大使館・軍本部に訴え、処罰を求めていました。(強姦、殺人)2ヶ月間の記録によりますと、26件(52名)の訴状があります。この中で証人は2名で後は伝聞によるものです。したがって52名は少し誇張されていると思われます。実際起きたのは50名以下です。これは南京陥落後、1ヶ月の1月13日の人口25万人ともあいます。人口が増加していたのです。この基礎事実より30万、10万、5万、1000名の集団虐殺がとんでもないことがお判りでしょう。私たちはこの基礎状況が現場にいた証言者の話と合わないので、証言は信用しないのです。一方的な話をしているのではありません。色々の情報源、主に当時英語で書かれたものからとっています。

チャンの 日本は事実を隠し歴史を書き換えている という議論は一種の大衆煽動です。日本は言論自由な国で多面的な見方があり、南京虐殺説から、幻想説まで色々な本が出版されています。現に、日本ではマルキストが歴史、知識界で強い時には、断然虐殺説が圧倒していました。今、我々は事実や学問的検証された真実で彼らの間違った理論を論破しております。

今ここに東中野教授のアイリスチャンに当てた公開質問状を添付しましょう。彼は、最も進んだ研究と信じられている本「南京事件:事実と虚構」の著者です。チャンはまだこれに答えていません。おそらく彼女は教授の質問に答えては来ないでしょう。議論は殆ど作り物ですから。彼女の本に出てくる写真は南京虐殺の写真ではなく、題名が変えられているか、手元にあったものでこの問題に関係がないのものだということを付け加えておきましょう。

質問がありましたらお待ちしています。われわれは事実や真理に関心があるのであり、決して低レベルの愛国主義で言っているものではありません。よろしく

会員 茂木弘道
■回答(2回目)

貴方が懸念を示された「レイプ・オブ・ナンキン」の資料について、茂木さんのコメントに付け加えさせていただきます。
歴史家は過去起きたことを再現するために1等資料、2等資料を重視します。南京の資料はざっと次のように分けることが出来ます。

1等資料:
歴史上の事件について、証拠となる記録、または人工物は次のように分けることが出来る。個々の事象が最初に反映し、起きた場所で記録されているもの。
2等資料:
2等資料と同じであるが、同じ場所で少し遅れて記録されたもの。
3等資料:
1等資料又は2等資料よりより得えられた情報。
4等資料:
作者、時期、場所について出所不明な情報源より得られたもの。
南京安全区記録は1等資料に属します。西洋の神父の手紙や市の記録、埋葬記録、日本の戦闘記録、兵士の記録などはこのグループに属する。
一方、ジョン・ラーベの有名な日記はベルリンにもどってから書かれ編集されていたことを考慮しなければいけません。全ての情報源は出来るだけ相互にチェックされていなければならないのです。たとえば、金龍女子大学の学長、ミニー・ボートリンの日記に記録されている天候とラーベの日記とは違っています。ボートリンの天候の記録が日本軍の戦闘記録、兵士の日記とあっていたら、ラーベのより彼女の出所がより信頼性のあるものと信じられます。彼女の日記には日本軍占領後、すぐに中国人が運営している泥棒市場が開かれ、繁盛してるというような面白い事実も記録されています。しかし、ラーベの日記に書かれている埋葬の開始が日本当局の証拠とあっていたら、あの特別な事実は真実だと信じることが出来ます。貴方は中国の資料とおっしゃいます。これらの最も早いものは東京裁判で、すなはち8年以上も後で出てきたものです。通常の裁判ではこのような証拠はほかの証拠、この場合は目撃者の証言や戦闘記録ですが、と比べて特別に詳細にチェックされていたでしょう。高度に政策的な極東裁判では、感情が先走って、弁護側の証拠は簡単に却下され、裁判では採用されませんでした。残っている一次資料をチェックしてみると、多くの証言は、南京の地理的にも、場所、時間、参加者については、物理的に不調和で、一致しないことが判ります。中国の気象上からは、これより後からの中国人の証言は精査が困難です。日本の一人の歴史家、獨協大学中村教授、が数ヶ月前南京を訪問しようとしたが、報道筋によると中国当局が安全の保障が出来ないとの理由でビザが下りなかったといわれています。
しかし一等資料より、30万人虐殺されたというアイリス・チャンの主張は、中国共産党の公式数字(何年かにわたり増加している)でもあるか、高度に政策的に操作した数字であり、このようなスケールの殺人は欧米人の注目からのがれたり、日本軍が隠しとおしたり、原子爆弾の一つや二つ落とすこともなく、組織的な計画もなくては困難です。この数字は広島、長崎に対してのアメリカ有罪の意味からいうと効果がありますが、実際的な調査結果ではありません。

普通、読者は作者の引用先のチェックはしません。東中野教授はチェックしてみて沢山のおかしな事例に出くわしたのです。日本の虐殺に付いての過程が引用文の中では発見出来なかったのです。たとえば、1)p―29の日本・・・市を爆撃し、数万の市民を殺し、虐殺し、世界の非難を浴びた・・・、2)p―38の数日間にわたり徐州(Suchow)・・・で殺人、略奪をし、・・・数千人の中国人女性を誘拐し・・・人口が35万から500人以下に減った(チャンは引用源は述べていないが、500名だけが残ったということは、残りは徐州から逃げたことを意味している) 3)p―46 「12月13日、日本軍が北中山路、中央路に集まった負傷兵、老女、子供たちに発砲した」このような血なまぐさい情報は何から引用したのか? 軍の行動記録とあっているのか?
彼女の本は南京と関係のない歴史的事実の誤りが170箇所もあります。たとえチャンが歴史の素人だとしてもこの沢山の誤りは彼女の本を歴史ではなく、極端な政治的なものにしています。

南京の狂気が起きたかも知れない作戦があります。それは安全地区に隠れていた私服の中国兵を掃討する作戦です。
これらは事実上ゲリラであり、国際戦時法からも合法化されていましたが、白昼下でおおっぴらに行われました。
事実多くの武器や戦車までもが含まれていましたが、安全地区から押収されました。大部分の者は連れ去られ放免されるか、ある者は処刑されました。ここで間違えられた人がいるかもしれません。中国人や神父の目からはこの作戦は非常に憤りがあったでしょう。しかし欧米人はこの作戦を明らかに合法的なものとして認め、これを記録の中では苦言として触れていません。

最後にこのwebの中に東中野博士の「南京虐殺:事実と虚構」から引用したものをいれて おきます。貴方への情報として彼は、

  • 1) 22の英語の資料、2つのドイツ語、一つの写真、22の1937年12月から1938年7月までの日本語資料(2つは英訳)
  • 2) 6つの日本語参考書、7つの1938年8月からWWUの初めの1940年までの英語のもの
  • 3) 日本語で5冊、3冊は英語よりの翻訳したもの、1冊の1941年から1945年WW II末までの英語のもの
  • 4) 戦後の121冊の日本語、9冊の英語(極東裁判で突然持ち出された後で多くの日本人がこの問題を取り上げたということが理解出来ます)
ここに1)のグループの英語、ドイツ後の資料の題名をあげてみます。
  • Abegg, Lily, Wie wir aus Nanking fluchteten: Die letzten Tage in der Hauptstadt Chinas, in: "Frankfurter Zeitung" vom 19.Dezember 1937.
  • Bruce, George, Shanghai's Undeclared War, Shanghai; Mercury Press 1937, December 1938.
  • "The China Year Book 1938", Shanghai: The North-China Daily News & Herald 1938
  • Fitch, Robert, The Christian Church and War Relief, in: "The Chinese Recorder", March 1938
  • H.C., One Year of Sino-Japanese Conflict, in: "China Quarterly", Summer 1938
  • K.B., Events and Comments: The War in China, in: "The China Journal", January 1938 & February 1938
  • Nielsen, Peter, The Nanking Atrocities, in: "China Today", January 1938
  • Snow, Edgar, "Red Star over China", 1937, New ork: Garden City Publishing 1939
  • Harold, Timperley (ed), "Japanese Terror in China", 1938, New York: Books for Library Press 1969
  • Anonymity, Japan's "Danse Macabre" in Nanking, in: "China Forum", March 19, 1938
  • Outstanding Events in the Sino-Japanese War, in: "The China Weekly Review", Jan.29, 1938
  • "Report of the Nanking International Relief Committee, Nov. 1937 to April 1939"
  • Editorials: A year of Undeclared War in: "The China Critic", July 7,1938
  • Smyth, Lewis S.C. "War Damage in the Nanking Area, Dec. 1937 to March 1938: Urban and Rural Surveys, On Behalf of the Nanking International Relief Committee", June 1938
etc.

会員 野口ひかる

5.日本の謝罪について
■投稿文

私はニュージーランド大学の学生で、日本と第2次大戦の出来事についての謝罪についての調査を計画しています。最近、これについては、大きな問題になっているようです。http://hermes.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NMNWEI.htmlで、いくつかの謝罪に関する問題点に注目しています。最近の問題なので、これらについての多くの情報を見つけることが困難なのです。

日本が謝罪しなければならないかどうかあなたの見解と理由をお話しいただけませんか?

ここ、ニュージーランドでは、メディアに偏見があり、これに関しての日本の見解をえることは難しいのです。(日本にはすばらしい答えあるでしょう)

敬具

ニュージーランド大学学生
■回答1

ご質問有難うございます。WWUの出来事に関しての謝罪の問題は、最近とくに不公平な方法で、大きな問題になってきています。基本的にはこの問題は国際法や国際習慣に合致させて日本政府と関係諸国の間ですでに合意していたことなのです。これについては我々のメンバーのものが説明いたします。

ここではカリフォルニア州議会議員マイク・ホンダ、(かれはWWUに置ける日本の戦争犯罪に対する謝罪と賠償に関する決議案を提案した人)に対して我々の会からの公開質問状を送付しました。彼はまだこの質問に答えてきていません。決議案がきわめてひどいので、有意義な回答は出来ないと考えています。

会員 茂木弘道
■回答2

日本の謝罪に付いての記録、経過についての参考資料として、英語版デイリー読売の論評を参照して下さい。この記事はご存知の日本最大発行部数の読売新聞にあったものです。岡崎氏はタイ、サウジアラビアの大使をしたことがあり、言論界にも良く寄稿されています。

会員 野口ひかる

海外メディアウオッチ バックナンバー81 デイリーヨミウリ

4/16 歴史家に日本歴史を扱わせよう(世界への洞察)岡崎冬彦

1999年にはWW II中またはそれ以前の日本の行為とこれに対する謝罪は、歴史の一節として静に閉幕を迎えている。高村正彦外相、小渕敬三首相が1999年前半韓国を公式訪問した時,過去の行為やその謝罪に対しては、いわゆる慰安婦問題を含めて何ら言及しなかった。河野洋平外相は、以前、慰安婦問題で積極的に謝罪をしたことがあったが、昨年秋、韓国との外相会議に出席したが同様であった。これは日本が文章で謝罪したことで1998年10月金大中大統領が日本を公式訪問し、終結宣言したためであった。一方中国は、1999年7月小渕首相が中国訪問時は過去の問題に関しては通常通り最低限の言及をしただけであった。アメリカやヨーロッパの学者や評論家は、ドイツが過去に関して完全に終結を迎えているのに関わらず、まだ日本は心からの謝罪がないため、近隣諸国より信頼されていないと信じている。何はともあれ、日本が十分謝罪していないというのは間違っている。当時ドイツの大統領、リチャード・フォン・ワインゼッカ―が1985年に行った謝罪を細かく分析してみると、歴代日本の首相が行った謝罪よりわかりづらい。しかしこのことが問題ではない。問題は、ドイツは謝罪をしたが、日本は敗戦以来50年以上ひきづっているという誤解にある。最近ハーバード゛大学の教授をも含めての日本問題に詳しいアメリカ人のグループと話をする機会があった。「貴方たちは日本が過去50年間この問題を片付けていないという先入観を持っている。そしてもしここにお目えのどなたかで、たとえば1980年に、日本の過去の行為や謝罪についてコメントをつけられた方がおみえなら、どうか私に証拠を出していただけないか」と私は言った。その年にはこれらの問題に誰も触れていなかったことは100%確かであった。1978年から1981年までの間に国会で300回以上も質疑があったが、日本、中国、韓国、アメリカでは何も問題が出てこなかった。事実この問題はすでに一度終わったのだ。

1980年、戦争が終わって35年経った。戦時中の出来事や記憶は政治家から歴史家にわたされたのだ。歴史家の実際的なアプローチは論理的なものだ。例えば、ナポレオンの帝国主義と侵略についての非難は1815年のワーテルローの戦いが激しかったためであったが、記憶は1948年― 一世代後では歴史の記録にゆだねられた。ナチのホロコーストは別の問題だ。これは意図的な殺戮で直接戦争とは関係ない事件だ。この悲劇は多くの人の心の中に残っている。

日本はドイツとWW IIで同盟国であったのでドイツの行為のとばっちりを受け、同じ被害を受けている。(日本はドイツの人種差別政策を決して許していないと明言していたにもかかわらず)しかし日本が南京事件で非難されている事は、戦時下で市民の死傷者を出したことで、定義上これは、広島、長崎、東京、ドレスデンやソ連のベルリン、満州での残虐行為と同じ範疇に入るものであった。これらの事件は今では歴史の一部になっている。ソ連大統領ミハエル・ゴルバチョフの日本訪問時に満州で行われた虐殺はロシアの違う世代の違う哲学の人々によるものだとコメントした。これは歴史に対する実際的アプローチの一つである。さもなければ多数の隣国との間に友好関係を作り出す事は出来ない。

それならなぜ歴史に関する問題が日本では再来してくるのか?例外なくこのような戦争関連の出来事は日本人自身から出てきて、最初の段階ではある種の日本人から誘導的に問題視し、反動的な外国人を誘発しているものであるというはっきりとした証拠を持っている。このような自虐的行為の背後にある問題は外国人には説明しずらい。このようなことをするのは左派か反体制派に属する人たちであった。彼らは長期保守政権に政治面で反対することに失敗して、いらだっていたのだ。推進力の背後にあるこの種の行動は、冷戦時の共産党のプロパガンダであり、反動派とラベルがはられるのを避けるため、公務員や年配者も含めて、日本の知識層に広がる傾向があった。それでも私はまだこの説明は、外国人に理解してもらうのには不充分であり、単に自分自身に確信を持たせるためのものである。

これは1982年の教科書論争から始まった。文部省が教科書の一部を検閲の段階で中国への「侵略」を「進出」と変えるよう命じたと間違って報告された。日本のメディアは中国、韓国から恐ろしい反動を得た。この報告は間違いだとすぐ証明された。しかし政府は、おもに当時の首相鈴木善幸が近く中国訪問の予定であったため、これからは近隣諸国の人々の感情を考えると約束した。振り返ってみると、進歩的な知識人が出てきて、雰囲気的によいことだと当時は思われていた。

1985年当時首相の中曽根康弘の靖国神社参拝議論と1986年の新教科書問題の後で、日本のある情報筋から中国、韓国に対して日本の過去の行為にかんする国内的な出来事を報告し、否定的な反応を引き出し、日本の国内問題に干渉させる―という決まったパターンで多くの議論に火をつけてきた。続く10年は東アジアのいたるところで見うけられた。アジアの首都にいる特派員は、日本の防衛予算が増加するごとに、「日本の軍国主義再来は脅威と思うか?」と聞いてまわったのだ。もしこのように質問されたら、アジア諸国の役人や専門家は懸念していると答えざるをえなかった。そして日本では新聞がアジアの学者や専門家は日本の軍事予算の増加に懸念していると書いたものだ。

1980年代半ばに私はアジア以外に配属になったのでこれらの問題の進展は知らなかった。1988年久しぶりにアメリカを訪問した時アメリカ政府の書類に日本はアジア諸国の反応を見ながら防衛力を増加していかなければならないと書いてあるのを見つけ驚いた。一体なぜこのようなことが書かれているのかとたずねると、アメリカは単に日本政府の言ったものを引用しただけだといわれた。調べてみて、日本政府は1980年では信じられないこのようなコメントをしているのを見つけた。しかしこの頭に来るような議論の決まりきったパターンはあまりにも人工的に造られていたので、東南アジアでは長くは続かなかった。例外としてはシンガポール―1992年から中国の指導にしたがっている中国語の新聞はあったが。韓国においてはある日本人の誘導質問に引き金をひかれ、これに関する専門家のコメントで救いようのない国家的な抗議を引き起こした。韓国の人々の感情は、百年にわたる怨みと李承晩大統領の反日教育によるもので、朴大統領の時代以来の厳しい検閲の時代に自分自身を包み込まざるを得なかった時代のあとで、言論の自由を認められた丁度その時に起きたのであった。反日論が殆ど10年はびこっていた。

丁度この反日感情がピークを過ぎた時、金大中大統領が和解の方向へと舵を切り替え、この政策は韓国に新しく現れた国民感情とも合致した。最後に残った問題は中国だ。もちろん、中国の国民感情はある。しかし中国のような政治体制の国はどのように国策として表わすかはまったく別のものとなる。1992年天皇皇后訪問時は厳しい管理下で、殆ど厳戒令のようだといわれていたが、何の抗議も聞こえなかった。一般の人も含め中国人は戦略家だ。日本人 ―言葉は感情を表す道具だと単純に信じている― と違い中国人は言葉は自分たちの利益のために使用されるべきだと考えている。日本人と比べて大人なのだ。日本の社会に、「戦争に対する責任と謝罪を明らかにしよう」と国に要求する一派がいるかぎり、中国にはこのことを言いつづける外交上の利点があるのだ。しかし、もし日本人が怒って『何の権利でこのようなことをいう権利があるのか?国内問題の干渉じゃないか』といい始めたら、このようなことを言っても何も得ることが出来なくなるだろう。中国の外交ももちろん国家利益と国民の利益のために役立つよう計画されている。もし日本の謝罪を掲げ、単に日本の怒りを誘発するだけなら、中国は国民の利益を無効にすることになるので、そのようなことはしないであろう。事実中国は1998年11月の江の日本訪問期間中は日本の雰囲気に配慮し、日本の大衆のムードが静かに変わったことを感じた。北京は政策的にこの変化を反映していたようだ。1999年の小渕訪問時に江が同じ態度を繰り返していたら、日本人と中国人の間に重大な感情の亀裂が生じていただろう。これを考えて私は中国人の状況判断と戦略的な行動の弾力性についての上手さを深く印象づけられた。すなわち、もし状況判断を常識的に考えれば、中国、韓国の指導者は、日本の少数派の支持を受けて今後何年もこの問題でこのように厳しく日本を非難しつづける危険なゲームを続ける価値があるのか疑問だったと思う。

それなら日本の過去の行動についての問題に関してどのような展開が期待出来るのか?かって、竹下登がこの問題については後世代の歴史家の判断に任すべきだといった。当時の環境下では非常に厳しく、このような忠告で議論を沈静化することは難しかった。しかし、竹下の忠告は常識的なもので現代史を扱う上でも適切で公正な態度であった。もちろん恨みは消えないだろう。おそらく13億の中国人の中で戦時中苦労しなかった家族は一つもないだろう。ワイザッカーがいったドイツ国民の戦時中の苦難は日本人にも当てはまるが、中国は国土が長期間戦場であったのだ。同様に日本は韓国を20世紀初めより植民地化し、韓国における多くの愛国者の話は16世紀末に侵略した日本に抵抗した話で表された。アメリカの学校で教科書にアメリカ独立時のイギリス植民地統治の間違いを消すことは絶対に出来ない。歴史的事実は永遠に残るのだ。しかし人々に根付く敵意は国際政治と別の問題だ。どの政府も出来るだけ国益のために仕える義務があり、両国の外交は双方の国益の間で実行出来る妥協を推し進め、両国民の最大の調和を図ることを目的とするべきだ。政府というものは外交面で過去の問題を引きずって国益と調和を犠牲にしてはいけない。歴史は歴史家の手に渡すべきだ。

報道によれば1980年に日本の過去の問題はすでに外交官の手から歴史家の手に渡 されたのだ。我々は丁重にこの問題は歴史家の手に渡すべきだ。

版権2000年 読売新聞


6.2つの質問
■投稿

当HPを拝見し、大変、興味深く読ませていただきました。特にQ and Aコーナーのアジア諸国における対日感情では、読んでいて、自分の無知が恥ずかしくなりました。それというのも8年ほど前に私は、シンガポールへ旅行した時、日本軍の砦を見学する際に「あ〜、日本軍はこんなところまで占領してたんだなー。」「現地の人も迫害したんだろうなあ」とか、何も知らずに勝手に恐縮していたからです。馬鹿みたいですね。

二つほど質問があるので、聞いていただけますでしょうか?

一つは、日本は敗戦後、アメリカに占領されました。その後、GHQは日本国民に民主主義の教育を施し、様々な援助なども施した。何故、それからあっさり日本の独立を認めちゃったんでしょう?日本を植民地として統治し続けることは、コストがかかりメリットが無いと判断した?

それにしても何らかの形で関与しつづけて、租税を徴収するなりすれば、少しは国益になるし、対ソ、対中の防衛上も優位に立てますよね。利益を捨てて、日本国民の尊厳を尊重したから?(まさか!)

もう一つは、韓国において、今だに反日感情が強いのは何故なのでしょう。韓国と同じように日本の統治下にあった台湾では、日本に好意的です。台湾の年配の方には、一度の日本に来たことがないのに日本に郷愁を感じており、ツアーを組んで、一度は日本見物に来たりするそうです。また、日本と中国が国交を結んだ時は、がっかりされたとか。日本に統治されたといっても惨い搾取を受けたわけでも著しく民族の誇りを傷つけたわけでもないのに(傷ついたのかな?)、統治された最初の頃は抵抗を感じても生活と治安が良くなれば、徐々に日本に対して親しみを感じるようになってもいいと思うのですが。

■回答1

メールありがとうございました、FAQコーナーで、アジアの対日感情をご紹介してい る飯島です。
私自身も、戦後教育を受けましたので、大東亜戦争を評価するアジア各国の声を知ったとき、驚くやら、嬉しいやら、気恥ずかしいやら、複雑な気持ちになったのを覚えています。

私自身が現地取材したわけではないので、手柄顔ができるわけではありませんが、実際にアジア要人や庶民のインタビューはビデオ化され、販売もされていますし、また現地にある博物館など、不動の証拠もありますので、次にアジアに行かれるときは、ぜひこうした史跡を訪れてみて下さい。

シンガポールに関しては、未執筆ですが、情報として手元にあるのをご紹介しますと、シンガポールのセントーサ島にある博物館では、支配者であったイギリス軍司令官パーシバルが、日本軍司令官の山下奉文に降伏している有名なシーンの蝋人形が飾られているとのことです。
その博物館では、日本軍を全面的に評価していると言えないまでも、なぜ、日本が戦争をしなければならなかったのかという理由について「それは、欧米からプレッシャーを受けたからである。すなわち石油も鉄も錫も輸入を禁止された。それを打破すべく立ち上がったのである」と解説されています。
また、イギリス軍の降伏は、アジアにとって、歴史的な出来事であると位置づけた展示がされているということで、私も早く現地に見に行きたいと思っております。

ご存知のように、シンガポールはマレー人との共生に限界を感じて、華僑が作った国家であります。そのため、彼らが、マレー人とは異なり、やや厳しい対日感情を持っていることも事実です。
しかし、これには複雑な事情があるのです。植民地支配に慣れている白人は、植民地内で、意図的に異民族間の対立をつくりだし、白人に対する恨みを別の方向に、向けさせることによって、支配を円滑に進めてきました。
マレー半島の場合は、チャイナ系とインド系の人々がイギリスによって連れて来られ、複雑な階層構造となっていたのです。
そして、入植してからはイギリスと手を組んで、中間搾取階級となり、利権を得たチャイナ系の人々は、最下層に置かれたマレー民族と、対立する格好になっていました。
ですから、イギリスを駆逐する日本軍の進攻を「解放者到来!」と歓迎したマレー人と、その利権構造が崩されてしまうことを嫌ったチャイナ系では、日本軍への対応に大きな隔たりがありました。

マレー人の方は、ジャングルの道案内をし、軍需物資の運搬を手伝うなど、大変、協力的でしたが、チャイナ系の人々は、イギリス軍の手先となってゲリラと化し、日本兵を大勢、殺傷するなど非常に苦しめました。
「華僑虐殺」といわれる事件も、民間人が意味もなく殺されたわけではなく、ゲリラとなって日本軍と戦った結果の「戦死者」といえます。

先に紹介したセントーサ島の博物館の解説ではこれを「クリーン・アップ作戦」と書いているそうで、ご紹介しておきます。「クリーン・アップ作戦はシンガポールから親英分子を一掃することがねらいであった。その対象は組織的なゲリラや、シンガポールの志願兵団や、抗日戦に資金援助したり協力した分子が対象であった。」これは、日本が言い訳に書いたものではなく、シンガポールの博物館の見解なのです。

あの戦争に対する見方の違いは、彼らの国の人工的な民族対立をそのまま反映しているといってもよいでしょう。
実際、マレー人と華僑の間の、血で血を洗う民族対立は、つい最近まで存在していましたし、暴力によらない民族間対立というのなら、それは現在も続いています。そして、今でも、マスコミや金融を支配している華僑の声の方が届きやすく、日本に対する非難が紹介されやすいのは、こうした背景が存在するからなのです。

そんなシンガポールでも、来世、生まれ変わったら、日本人になりたい、という若者が、白人に次いで、第二位になったとのこと、これまた、気恥ずかしくも、嬉しいことです。

あの戦争は50年以上も前に終わりましたが、戦争の記憶を利用した宣伝合戦、いわゆる情報戦争はまだ続いています。日本を一方的に「加害者」とすることで、民族の団結に利用したり、経済援助を引きだそうとしたり、あるいは外交を有利に展開したり、と、その意味では日本は戦後も、負け通しといってもいいでしょう。

ご質問にあった韓国の反日政策はそのいずれにも当てはまります。
実際、日本統治下に過ごした韓国の老人よりも、戦後教育=反日教育を受けた世代の方が、より反日的であるという結果になっていることが、それを物語っています。ですから、同じく、日本の統治下にあった台湾と比較することはとても重要です。

台湾が親日的なのは、戦後になって入ってきた外省人(大陸人)にたいする反発と、その支配との比較から、日本統治時代を懐かしむということも理由のひとつです。韓国には、農業、教育、医療政策やインフラの整備など、台湾に対する以上のことをしましたが、正当に評価されることはほとんどありません。日本統治時代の台湾と韓国の比較については、台湾人の黄文雄氏が詳しく分析しています。

  • 『大東亜共栄圏の精神』光文社(特に第五章「親日」の台湾と「反日」の韓国)
  • 『歪められた朝鮮総督府』同上 など。

「韓国人の民族感情を傷つけたのか?」というご意見に関しては、そういう側面も否定はできません。
古代より朝鮮は、日本を大中華帝国の庶弟という風にしか、見てこなかったわけですから、そんな国に統治されるということは許せない、という思いもあったでしょう。しかし、ここで忘れてはならないのは、韓国人(外地人)のなかから、自分たちも日本兵として戦いたい、と言う声が上がり、志願者を募ったところ、倍率が50倍を超えたという事実です。
そこまで、日本と同化し、一緒に戦おうという気持ちが芽生えていたのですが、今、そのようなことを歴史の授業で教えられることはありません。

また、韓国出身者で、日本の国会議員になった人も、陸軍中将になった人もいますが、その人たちはいわゆる「創氏改名」などせずに韓国名のまま出世もしています。韓国人の中に日本と一体化するのがイヤだと思った人がいなかったとは申しませんが、こうした事実があったことも知っておかなければ、一方的な見方になってしまいます。
韓国の反日政策の実情については、ぜひ呉善花氏の一連の著作をお読み下さい。

  • 『韓国併合への道』文春新書
  • 『「日帝」だけでは歴史は語れない』三交社
  • 『韓国の激情・日本の無情』徳間書店(渡部昇一氏との共著)
  • 『日本の驕慢・韓国の傲慢』同上 など。
黄文雄氏(台湾人)はカッパブックスから沢山出しています。
  • 『韓国の反日・台湾の親日』
  • 『中国・韓国の歴史歪曲』など多数。

ところで、このFAQコーナーでは、意図的に「教科書で教えられていない」光の部分を紹介しているため、逆の意味で一方的であり、カウンターバランスでしかない、という批判もあるかもしれません。
しかし、このような手法をとるのも、教科書の記述があまりに偏っているために、その逆を披歴する必要に駆られたからです。
決して、我々の研究会が戦争中の影の面を見ようとしていないとか、すべてを否定しようとしているわけではないことをご了解下さい。

最後に、アメリカが日本を植民地にせずに、独立を認めた点に関しては、いろいろな意見があると思いますが、私自身は、アメリカの思い通りの戦略だったと思っています。占領はしましたが、日本を植民地にしようという気はなかったはずですし、それは時代的な背景を考えても、できなかったことでしょう。
ただ、実質的に従属国の位置においておくための布石は打っていましたし、ソ連との対立や共産中国の誕生、朝鮮戦争の勃発などから、次第に日本の役割を大きくさせていくなど「租税を徴収する」よりも大きなメリットがあったと思います。
「利益を捨て」たわけでもないですし、実質的に「独立」させた(米軍の駐留問題など、基地のある町に行くと、日本は戦争に負けたんだ、と実感します。)わけでもないように思えますが、これは個人的な感想です。
この件については、他のスタッフが答えてくれると思います。
それでは、また、ご意見、ご要望をお聞かせ下さい。

FAQ担当 飯島瑞穂
■回答2

当HPに興味を持たれ大変有り難うございます。 2つの質問いずれも大変難しい質問で、私の回答がどこまで当たっているか分かりま せんが、一応私の意見を申し上げます。

1.日本をアメリカの植民地にしなかった理由。

まず第一に先進国を全面的に植民地にすることは大変困難な事であり、過去の欧米の戦争の場合を見てもないように思います。又日露戦争以降、民族主義の台頭により、各植民地で独立運動が激化しました。その結果植民地は利益を生む源泉とならなくなってきたのです。日本の朝鮮統治も大赤字でした。

1919年アメリカのウィルソン大統領はパリ平和会議で民族自決主義を提唱しています。1934年にはフィリピンに10年後の独立を認め、大幅な自治権を認めました。アメリカの責任者は総督から高等弁務官に変わっています。これはアメリカ農民とフィリピンの農産物についての貿易摩擦、労働組合の低賃金移民の排除によるものです。終戦後もアメリカはイギリス、オランダ、フランスの植民地復活にたいし批判的でした。

日本を植民地化し、日本民族の反抗を受けることには、戦時の勇猛果敢な日本軍を見ている米軍も怖かったと思います。無駄死にのように思われている特攻隊も、私は決して無駄死にではなく、彼らの勇猛が日本を守ったと思っています。日本のような先進国は日本人自身で統治させ、反米にならぬようコントロールすることが、アメリカにとって最も国益にかなう方法だったと思います。

2.朝鮮の反日と台湾の親日

最大の理由は戦後にあると思います。台湾では戦後入ってきた蒋介石政権は、言葉も習慣も異なる異民族でした。一般に同一民族と思われていますが、中国は広い国です。北京語は台湾では全く通じなかったのです。又50年の日本統治により、ものの考え方にも大きなギャップがでてきていました。従って台湾では「犬が去って豚が入ってきた」と言われます。この両者の比較により、台湾人は冷静に日本の統治を評価出来ました。

一方朝鮮・韓国は、「日本に負けるな」と反日を煽ることを民族興隆のバネにしました。この違いが最大の違いだと思います。その他台湾は米が2回とれ、砂糖のような特産物もあり、衛生の改善により、早期に住み良いところになりました。一方朝鮮は適当な産物が見つからず、経済が好転したのは、1931年宇垣総督が着任してからです。彼の農村振興運動、鴨緑江の電力開発、産金奨励金による鉱業の発展により、産業革命と言われるくらい急激に社会が変わりました。しかし間もなく大戦に突入し、良い時代は僅か10年に過ぎませんでした。

豊かな台湾は心も豊かであり、貧乏な朝鮮は心も貧しかった感じもします。又台湾統治50年、朝鮮統治35年を比較すると朝鮮統治の年月が短すぎたと言えるかとも思います。一般に大企業が合併して本当に一つの国になるのは、新入社員がリーダーシップを握るまで、30年はかかると言われます。国と国との合併は50年以上はかかるのではないでしょうか。

台湾も戦後50年外省人と本省人の融和がようやく始まったばかりのように思います。又朝鮮は歴史の長い国であり、日本に文化をもたらした国です。そのプライドを傷つけられた恨み、民族性に起因すると考える人もいます。この問題は大変難しい問題で、人により意見はいろいろあると思います。

理事 杉本幹夫