| 1.バングラディシュの国旗の国旗と日の丸 |
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藤岡先生の国立問題に対するオピニオンを読みました。パラオの国旗に関する事情はわかりました。では、バングラデシュの国旗はどうなのでしょうか。バングラデシュの大使館ホームページを覗いてみても、日の丸との関連記述は一切ありませんでした。バングラデシュの国旗は、緑地に日の丸と同様に赤く球形に描かれています。その赤い丸の意味は、昇る太陽としか説明されていませんでした。日の丸との関連は全く無いのでしょうか? 図越 寛(づごし ひろし) 関西学院大学商学部2年
■回答
遅くなりましたが、名越二荒之助先生の本の中にバングラデシュの国旗についての記述を見つけましたので要旨を記載します。本の名は展転社発行「昭和の戦争記念館、第4巻、大東亜戦争その後」です。 緑の国土に昇りゆく太陽は独立の熱意を表す。緑はイスラムの色とのことです。国旗の制定事情について駐日大使館の広報担当官は「私の国では国旗の意味を特定していない。解釈は自由である」とし、「日本への憧れである」と答えたとのことです。 更にバングラディッシュの産んだ3人の偉人として、「ノーベル文学賞受賞者のタゴール、インド独立に命を賭けたチャンドラ・ボース、東京裁判で正論を貫いたラダビノッチ・パル判事の名をあげ、この3人はいずれも日本と深い関係にある」と答えたそうです。 建国の父ラーマン首相も、独立時日本の早川崇国会議員を団長とする訪問団に同様なことを述べたとのことです。 理事 杉本幹夫
■名越二荒之助先生宛質問
バングラディッイュの国旗について自由主義史観研究会に問い合わせたところ、上記の回答が来ました。しかしもっと、深い関係があったように感じメールしました。理由は8月に森善朗首相は、バングラディッシュを訪問しました。その時の歓迎式典では、森首相の後背に、白地に赤の日の丸と、緑地に赤のバングラディッシュの国旗が掲揚されていました。 この二つの国旗を映像で目にした私は、何らかの関係が両国にあるに違いないと感じました。タゴールとチャンドラ・ボースとパルが日本と深い関係にあるだけで、日の丸を元にしたとしか考えようのない国旗ができるとは思えません。 それとも、中心に球体を描くというデザインが偶然にして日の丸と同様になったのでしょうか。三色旗を元にした国旗は多数あります。しかし、中心に球体のみを描いている国旗(その他の装飾はなし:韓国のような国旗は省く)は、世界の国旗集を見る限り、日本とパラオとバングラディッシュのみです。 是非 名越先生に教えて頂きたくお願い申し上げます。 図越 寛(づごし ひろし) 関西学院大学商学部2年
■名越先生よりの回答
図越 寛様 国際派日本人養成講座 http://come.to/jog の伊勢雅臣です。名越先生のホームページを代理で作りましたので、代わってお答えします。 「日本との深い関係」の中身を具体的に調べられることをお勧めします。たとえば、本講座の以下の号をご覧下さい。 002 国際社会で真の友人を得るには「インド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れません」 039 国際法を犠牲にした東京裁判人類史上最初の核兵器の使用に対し、東京裁判が目をつぶってしまった事が、現在の国際社会の無法状態の根源ではなかったか? 名越先生のお話によれば、現在、インドの建国の英雄は、ガンジーよりも、ボースであり、そのボースの組織した自由インド軍と日本軍は一緒に血を流して戦ったのでした。それだけの縁のあるボースを生んだバングラデシュが、日の丸のデザインを使ってとしても、不思議ではないと思います。 国際派日本人養成講座 http://come.to/jog 伊勢雅臣
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| 2.靖国神社参拝について |
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8月中旬となると、毎度恒例の靖国問題が浮上してきますね。不勉強なので教えてほしいのです。
私は、中国がぐたぐた言うなら、ODAをやめるべきだと思います。玉串程度の費用で国費を使うのが悪いと言う前に、その他諸々の税金無駄遣いを何とかすべきと思いますがね。野中さんの考えも解らなくはないのですが、戦後55年も経った今になって、たとえ戦犯とは言え、遺骨を移すなどまともな神経とは思えません。今ごろになって何故移さねばならないのか理由がわかりません。もし対中政策の一環としたら何をかいわんやですね。以上御回答の程、宜しくお願い致します。 ■回答
お手紙有り難うございます。靖国神社には戦死者すべての人が祀られています。 この問題については、8月16日の産経新聞正論に小堀桂一郎先生が、主張欄に論説委員が詳細に述べられていますのでお読み下さい。 中曽根総理が公式参拝を断念したいきさつについては今週の(8月10日ー16日)産経新聞(又は読売新聞)に、「中国の要人に迷惑がかかりそうになったため」(政争?)と書いてあったように思いますが、新聞をゴミの日に出した後なので、探してみてください。 私は、小堀先生が言われるように、総理が決断し、自民党及び朝日は無理としても、読売、産経が全面的にバックアップすれば、解決する問題と思っています。又アーリントン墓地に参拝した答礼として、アメリカ大統領に参拝して貰えば一発で解決だと思うのですが。 着々と軍備を増強している中国に対しては、最近ようやくその兆しが出ましたが、ODAを武器にもっと強く当たるべきだと思っています。 理事 杉本幹夫
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| 3.フィリピンでの残虐行為 |
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下記は、ニュース記事のコピーである: 「東京(ロイター)―アジアからの猛烈な反対運動が起きたため、第2次世界大戦中の日本のアジア侵略を体裁よくごまかすため、日本の中学校歴史教科書の原稿をふるい分けし、使用可能なものが提出された。 恐らく、日本の将兵がフィリピンの人々におこなった残虐行為は、日本の教科書には何も触れられていないでしょう。日本人はフィリピン人の爪を剥ぎ取り、拷問しました。フィリピンの女性をレープし、乳房を切裂き、そして殺しました。幼児を空に放り投げ、銃剣で受け、刺し殺した。町の人を教会に、食物を与えるといって集め、全員銃殺しました。日本兵が行ったフィリピン人が忘れることのできない残虐行為はいくつかあります。日本はこのような残虐行為を歴史の教科書に書き入れてくれたらと思います。これを行わないで日本人は満足していたら、別の戦争に従事してもまた同じ事をするでしょう。そのようにしてあなたちは兵士を教化していたのです。 ■回答
最初に、太平洋戦争中のフィリピンの戦場において多くのフィリビンの人々が犠牲になったことに心より哀悼の意を表します。 しかしながら、戦争は相手がいなければ、スタートすることができません。両方がお互いに言い分があります。総司令官マッカーサー元帥はアメリカの上院で、「日本は、自衛のために余儀なく戦った。」証言しました。ルーズヴェルト大統領は「日本を戦争に引込まなければならない。」という戦略を遂行していたことは明確にされています。 戦争においては、兵士は互いに殺しあわなければなりません。したがって戦争は兵士を気違いにしてしまうのです。アメリカは、原子爆弾で数十万人の人々を殺し、後遺症で多くの人々を苦しめました。さらに、日本全土の主要な都市を空襲し、数十万人の人々を焼死させました。この場合は、目標が軍需工場ではなく、多くの人が住んでいた都市の中央地域でした。 チャールズA.リンドバーグ(Harcourt Brace Jovanovich)、ニューヨーク、1970年)の War Time Journalsよりの抜粋によると「ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人に行ったこと、私たちは太平洋で日本人に行っています。ドイツ人が、平然と穴へ人間の灰を投げ込んでいたように、私たちの兵士は、平然と浅い墓標もない熱帯地帯の墓へ死体をブルドーザーで埋めこんでいました。」 1945 年6月11日(p.997) 「アメリカ軍のある兵士は日本兵捕虜を苦しめ、時には日本兵がしたのと同じように、日本人捕虜に残酷で、野蛮であったことは広く認められています。我が国の兵士は日本人捕虜、あるいは降参しようとする兵士を撃つことを何とも思いませんでした。彼等は、動物以下に日本兵を扱い、そして、これらの行為はほとんど全員に許されていました。我々は文明化のために戦かうと主張してきた、しかし、太平洋の戦いで我々が見たものは文明化したと主張出来るものではない。」1944年7月13日 ソ連軍兵士はもっと残酷でした。ソ連は不可侵条約を破り、満州に進出し、無抵抗の数十万の日本人を略奪、強姦、虐殺しました。 人々はいつまで過去を暴き立て互いに憎しみ合うのですか? それを修正するために平和条約や賠償協定が結ばれるのでしょう。日本はフィリピンと1956年賠償条約を結び過去を精算しました。これはフィリピンの要求よりも少なく満足できるものではなかったかもしれません。しかし、当時の日本にとっては最大限のものでした。それ以来日本はODAで協力しています。 第2字大戦において日本のもう1つの目的は白人支配を終わらせることであり、人種差別を無くすことでした。日本は負けました。しかしこの目的は達成することができました。 理事 杉本幹夫
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日本人による虐殺が起きた時にはアメリカ軍は居ませんでした。フィリピンは日本に占領されていました。日本はフィリピンから去るべきだったのです。日本の行った罪を正当化しようとしてはいけません。君たちは人間の心を持たない残虐そのものだ。心にもなくごめんなさいと言うのはよしなさい。もし機会があれば君たちは同じようなことを行うだろう。君たちは残酷で恐ろしい国民だ。 ■再回答
申し訳ありませんが、私は貴方が言われるフィリピンにおける日本兵の残虐行為につ
いて、詳細は知りません。 占領軍にとって最も恐ろしいのは、ゲリラです。ゲリラに対する恐怖から、無実の人を殺した可能性は多分にあります。又どの世界にも無法者はいます。しかしこれらの無法者や間違って無実の人を殺した兵は、戦争犯罪者として処刑されました。更に日本は正式に謝罪し、賠償金を支払いました。その後も多額のODAを供与してきました。通常犯罪は裁判で裁かれ、所定の刑を終えれば和解に進みます。我々は既に所定の刑を終えたのです。一件落着の後、50年近く経っています。当時の関係者は殆ど居なくなっています。何故我々は永久に非難され続けなければならないのですか。 第2次大戦で多数のフィリピン人犠牲者が出た事については、深く哀悼の意を表します。貴方方はこの記録を永遠に残し、皆にPRしろと要求されます。しかしその要求は同時に、日本人にアメリカ兵、ソ連兵、イギリス兵の残酷さを掘り起こし、永久に記録し、世界にPRさせることになります。フィリピン兵はアメリカ軍の一部として認識されていましたので、フィリピン兵の残酷さの記録はありません。しかし終戦後、アメリカ兵が日本に進駐した時の非道はひどいものでした。その中にフィリピン兵が居なかったことを私は期待します。この事の一部は前回のメールに書きました。 このようにお互いの過去を暴き合い、非難しあい、その結果憎み合う事が、世界の平和に繋がるでしょうか。やはり忘れることも必要ではないでしょうか。 理事 杉本幹夫
■再投稿
日本軍のフィリピン人に対する残虐行為が始まったのは、マッカーサーが戻ってきた事が報じられてからである。小さな町で日本軍は家を焼き、人を殺し始めたのである。殺されたのは女子、子供、乳児や老人であり、ゲリラやフィリピン兵ではない。 ■再回答
日本のフィリピン防衛戦における最大の失敗はマニラを戦場としたことです。フィリピン方面軍総司令官山下はそのような戦法に反対でした。しかし強硬にマニラ死守を主張する将軍がいました。山下将軍はその将軍を押さえきれなかったのです。この事により多大のマニラ市民被害者を出したことは極めて遺憾です。 マニラ防衛戦に先立ち、民家を焼き、それに反抗した一般市民を殺害した事は、あり得る事です。1937年の南京攻防戦で中国軍は、日本軍が攻めてくる東面の半径16キロ以内の建物や障害物を全部焼き払ったのです。更に南京から逃げ出すに当たり、日本軍に何も与えないために放火しました。又この放火に反抗した一般市民は殺されました。このような戦法は中国の伝統的な戦法です。馬鹿な司令官が真似をした事は十分考えられます。 勿論このような戦法は戦争犯罪です。第2次大戦終了後、多くの人が戦犯で起訴され、総司令官の山下将軍以下多数の人が処刑されました。中には無実の人も多数居たのです。日本はこのような戦争犯罪で多数の人が処刑されました。更に賠償金も払っています。所が連合軍は一言も謝罪や遺憾の言葉がありません。不公正とは思いませんか。 (尚残念ながら納得させるまで至っていません。) 理事 杉本幹夫
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