|
■投稿
小生は実践活動はしておりませんが、在野でマルクス研究をやっている者です。ただ、二流のマルクス主義者よりも一流のマルクス批判家から多くのものを学べると確信しております。そのようなわけで、貴会のような尊敬すべき「論敵」からも学びとろうと思い、ここに投稿いたしました。
貴会の明治維新論は大体において賛同できると言ってよいでしょう。明治維新において成立したのは、決して「半封建的絶対主義国家」ではなく、まぎれもなく近代国家であると思います。
しかし、この誤れる「半封建的絶対主義国家」規定を行ったのがマルクス主義者たち全体であるというのは、粗雑過ぎる見方です。貴会の言う「コミンテルン史観」の立場に立ったのは講座派(スターリン主義者と言ってよいでしょう)なのです。労農派そして宇野理論による明治維新論を忘れているのではないですか。
結局、貴会はマルクス主義とスターリン主義を一体化して捉えているとしか思えないのです。もちろん、「スターリン主義はマルクス主義の必然的帰結である」という見方もありうるでしょう。しかし、貴会がそう思われているならば、そのことを証明すべき義務があるのではないでしょうか。少なくとも「多様なマルクス主義」が存在するというのは「常識」の類であると思うのですが。
中野英夫 ■回答
投稿有り難うございます。又我々の明治維新論は、大体において賛同できるとの事光栄です。
返事を書く前に一言お断り申し上げます。藤岡先生その他主要メンバーは皆さん多忙ですので、このホームページへの質問は数人のスタッフが担当しています。又自由主義史観の名の通り、歴史観については各人の自由な歴史観が許容されています。従ってこの回答は杉本個人の歴史観によるものであることをご了承下さい。
又私はマルクスを本格的に勉強したとがありませんので、議論の相手としてご不満と思いますが、ご容赦下さい。
我々素人にとってスターリン主義とは始めて聞く名前で、マルクス主義の亜流としか思えません。ソ連の崩壊により峻別する必要が出てきたからと思いますが、一般に徹底させるには大変ですね。
ソ連邦成立時、レーニンは多数の民族を同一に扱い、それ故にグルジア出身のスターリンが権力を握ることが出来、後々にもロシア出身者以外の人も政権の中枢を占めています。スターリンのバルト3国の扱いとはかなり違うように感じます。
我々青年時代、共産党の貧富の差をなくそうという考えは、多くの青年を引きつけました。しかしソ連の崩壊、中国、北朝鮮の現状を見ると、大なる幻想だったと言わざるを得ません。どの国がマルクス主義で、どこがスターリン主義だったのか、或いはすべてスターリン主義だったから失敗したのか教えて下さい。毛沢東とスターリンは意見の相違で別れていますので、スターリン主義の外、毛沢東主義もあったのでしょうね。
私が共産党が失敗した理由は
1.計画経済を完全に遂行するためには、独裁政権が必要となることが一因と思います。現在の共産党も民主独裁制として、独裁制をとっていると理解しています。独裁政権は必ず腐敗します。又権力闘争も熾烈にならざるを得ません。特に暴力革命を肯定しているのですから尚更でしょう。
2.計画経済は一見無駄をなくし、最も効率的なように思えます。しかし競争の不在は進歩、発展を阻害し、結局自由主義経済に負けました。
3.又利益の留保を搾取と見る思想は、改善意欲をなくします。設備投資の原資を留保する事まで、搾取と非難される事があったのではないでしょうか。戦後多くの協同組合が作られました。利益を認めない組織ですので安く供給できる筈ですが、経営努力の不足から、スーパー等との競争に敗れ、生き残ったのは資本主義的経営を取り入れたところだけです。
以上3点はマルクス主義では避けられない欠点のように思います。
しかしアメリカのように激しい弱肉強食は社会不安を招き、犯罪が多発します。やはり自由主義経済と計画経済をミックスし、調和のある発展を目指すべきだと思っています。
理事 杉本幹夫
■再投稿
考え方が対立する人間へかような丁寧な返事、敬服いたします。
ただ、「スターリニズムという用語を初めて聞いた」とのお答えは失礼ながら、少々勉強不足でしょう。1920年代にすでに、レーニンの中にある独裁的傾向を批判したローザ・ルクセンブルクがいましたし、スターリンの権力確立後にも、ルカーチやコルシュなどの「西欧マルクス主義」の源流が登場しています。彼らは今日の「疎外論」や「物象化論」の基盤を提供していました。
もちろん、一般的にはフルシチョフによる56年の「スターリン批判」から「スターリニズム」という用語は一般的になっています。ですから、少なくとも四十年以上の経過があるのですよ。
さて、スターリニズムがマルクス主義とは無縁とは申しません。しかし、「国有化」とか「計画経済」とかということはマルクスは決して言っていない。(どうぞマルクスオリジナルのテキストをお読みください。小生の言うことが理解できると思います。)また、「一国社会主義」というスターリンの構想もマルクスとは無関係です。
「社会主義」と称された政治・経済体制は、マルクスの意図からはかなりかけ離れていると断言できると思います。結局、「社会主義」と称された政治・経済体制=スターリン主義的政治・経済体制は、後進国の工業化に付き物の「開発独裁」体制に「社会主義」の粉飾を施したものではないでしょうか。
したがって、排外主義的民族主義・官僚独裁などの特徴をもつわけです。その「開発独裁体制」がより「市場原理」に近づいたのが「とう小平体制」だと思います。(小生は、時間があれば、開発独裁のアジアの先駆者、大久保利通と、多分最後の代表者、とう小平との比較をおこなってみたいと考えています。)
最後に、本題の明治維新論ですが、小生は、客観的に「明治維新で成立したのは近代国家である」といったまでで、それが日本人としての誇りだとかとは申していません。歴史の研究にあたって、「愛国心」とか「民主主義」とかはまったく関係ない。小生は、これらのものは「イデオロギー」「価値判断」として排除します。あくまで客観的事実の解明が先です。ある意味では、小生と貴会が対立するのはマルクス主義ウンヌンよりも、この点にかかわってくるのかもしれません。
仮に、南京で非戦闘員が何人殺されたとしても、歴史の研究者としての小生は「日本軍は鬼のようだ」とは文章にはしませんし、通州で日本人が何人殺されようが、「怒りに燃える」とも書きません。価値判断や感情で客観的判断が妨げられるのを恐れるからです。
中野英夫
■回答
私はもともとエンジニアで、還暦を過ぎてから歴史を学び始めた人間です。従ってマルクス主義が何か、勉強をしたこともなく、又共産主義諸国の崩壊した今日、マルクス主義とスターリン主義の違いを勉強する気にはなりません。
私は共産主義国家というのはマルクス主義を基本とした国と思っていましたが、貴方の解釈ではマルクス主義に則った共産国は一つもないと言うことになるのでしょうか。
価値判断や感情を排し、客観的事実を重視するとのご意見には賛成です。しかし同時にその事実の評価、例えば後世に対する影響といったものを考察することが必要と思っています。即ち「歴史に学ぶ」観点です。
日本人の誇りというのは感情的な視点かとも思いますが、その時の政治思想が民主主義であったか、独裁主義であったか、或いはどの程度民主主義的思想が取り入れられていたかと言うことは、客観的な事実の一部だと思いますが如何でしょうか。
理事 杉本幹夫
■再投稿
ちょっと、議論が本題からそれてしまいましたね。明治維新論に話を戻しま
しょう。
小生、つい最近まで塾の教師をしておりました。そこでの明治時代についての授業は以下のようなものでした。
1 近代国家の特徴
まず、それまでの欧米の近代社会の復習を兼ねて、近代国家の特徴を三つ挙げます。一つ目は、a強い国・・・中央集権や統一された国民軍。二つ目は、b豊かな国・・・資本主義化・工業化。三つ目は、民主的な国・・・議会と憲法。
2 三つの特徴が日本ではどのように実現されたのか。
a強い国
中央集権化・・・版籍奉還と廃藩置県
財政の中央集権化・・・地租改正
国民軍の創設・・・徴兵令
b豊かな国
資本主義化に向けての制度
・・・四民平等(経済活動の自由)と地租改正(私有財産制の確立)
工業化への準備・・・殖産興業
ここまで板書して、生徒に質問します。「何か足りないものは。」数人の生徒が「cについて書いてない。」と言います。「そう。明治十年ごろでまでにいろんな改革が行われたが、議会と憲法、そして本格的な工業化=産業革命は後回しになった。どちらも、1890年ごろに実現する」
そして、「ドイツやロシアそして日本など遅れて近代化を達成した国では、リーダーたちはabを優先してcを後回しにする傾向にある。cは贅沢な話と考えたわけだ。」と指摘します。場合によっては、とう小平の話を持ち出すこともあります。
それに対しcこそが近代化の課題と考える人たちも出てくるわけで、それが自由民権運動であると(中国の例では、天安門前の学生たち)話を続けるわけです。
ここで、小生は、明治政府と自由民権運動の対立は保守的な政府と進歩を求める人民との対立ではなく、近代化というものをどう捉えるかの対立であると付け加えます。そして、自由民権運動の中に近代化に反対する士族や農民の抵抗の側面もあることを指摘します。
まあ。こんな授業です。個々の生徒が「日本を立派な国にした明治政府の指導者は偉い。」と感じるのも自由ですし、「自由のために戦った民権運動の人たちはすばらしい。」と考えるのもOKです。
もちろん、徹底的に価値判断を排するという立場の小生も人の子ですから、時には「日本は明治十年で中学生レベル。中学生というのは、大人=欧米諸国のよい真似をしないで、悪い真似をするものだ。征韓論がそれだね。」などという「自虐的」なことを言ったり、「公民では、大日本帝国憲法は悪役になっているね。それは、公民の主人公が日本国憲法だからしかたがない。ただ、歴史の勉強では、大日本帝国憲法はアジア唯一の憲法だったことは誇ってよい。」などと、五分間ほど「愛国者」になることはありますが。
中野英夫
■回答
大綱としては同意見です。
しかしa.では中央集権は必須条件かについて、アメリカの事を考えると、補足説明がいるかもしれませんね。
アメリカはユナイテッド・ステーツであり、イギリスは連合王国、ドイツは連
邦、江戸時代の日本と同じですね。日本も中央政府があり、国軍はありませんでしたが、作ろうと思えばすぐ作れる体制にありました。
これらの国の財政はどうだったのですかね。連合王国とか、連邦と称していますから、それぞれの国(州)にかなり自由があったのではないでしょうか。
日本が、中央集権、財政の中央集権を急いだのは、維新でゆるんだたがを締め直し、諸外国からの圧力から国を守り、植民地化を防ぐシステムとして、最適なシステムだからではないでしょうか。
しかし貴兄の趣旨である「信頼できる中央政府の存在」は近代国家として重要な要件だと言うことには賛成です。
連邦であっても外交が一元化されており、約束した事項は必ず実行できること、制定されている法は守られる保証が必要です。その為には連邦でもしっかりした中央政府の存在が不可欠だと思います。
江戸幕府は井伊直弼くらいまではこの条件を満たしていましたが、幕末の動乱でこの条件が崩れました。従って明治政府が真っ先になさねばならなかったことは、「信頼できる中央政府」の確立だったと考えます。近代国家の条件としては地方分権でも良いのですが、当時の国防を考えると中央集権を選ぶのがベストだった、或いはそれしかなかったと思います。
c.には法の整備を付け加える必要があります。私は法の整備こそ近代国家の最大条件だと思っています。西欧から見ても妥当な商法、刑法、民法等が整備されていることこそ近代国家で、中国のような人治主義では近代国家と言えないと思います。
日本はこの法の整備に1890年頃迄かかり、法の整備の完了により近代国家と認められ、条約改正が出来たと理解しています。
憲法、議会は法整備の一環のように思います。たしかイギリス憲法は成文法はなかったような気がします。(確信はありませんが)
> ここで、小生は、明治政府と自由民権運動の対立は保守的な政府と進歩を求め> る人民との対立ではなく、近代化というものをどう捉えるかの対立であると付け>
加えます。そして、自由民権運動の中に近代化に反対する士族や農民の抵抗の側 面もあることを指摘します。<
この意見については同感です。人間は誰しもこの2面の要求を持っています。どちらかと言えば一般的には後者の方がやや強いのではないでしょうか。
日本の法の整備、議会の設置が遅れたのは、勉強の時間としてこの程度の遅れは止むを得なかったのではないでしょうか。またご指摘のように西南戦争に代表される士族の不平、松方デフレに伴う各地の蜂起対策に神経を費やされたこともあると思います。
理事 杉本幹夫
■再投稿
法治主義あるいは「法の支配」についてはっきり書いてなかったことへのコ
メント、確かにそう思います。ただ、小生としてはbの「豊かな国」の中に、すなわち、資本主義経済の制度的基盤の創設の中に、その内実が含まれていると考えています。
近代市民法では、すべての人は、「商品所有者」として扱われるわけで、すべての人の行為は「債権−債務」の関係と見なされるわけですね。この関係について、マルクスは「人と人との直接的な関係が、商品と商品の間接的な関係として転倒して現れる」と見たわけです。これが、いわゆる「疎外論」とか「物象化論」と言われるものです。
こうした商品経済に特有な「冷たい」関係を維持するために、これまた、「情と恣意を排した」法治主義という理念が発生したものと、小生は考えているわけです。
中野英夫
■回答
マルクス云々と言った議論は難しくて私には分かりませんが、ほぼ同じような認識となりましたね。
又宜しくお願いします。
理事 杉本幹夫
|