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■投稿
何点か質問があります。宜しくお願いします。
まず一点目はレイプ・オブ・ナンキンを非難したデビット=ケネディ氏のホームです。
http://history.stanford.edu/faculty/dkennedy/ 彼を味方にする事はできないのでしょうか?
■回答
アイリス.チャンの余りのひどさを批判していますが、ケネディ氏の論も基本的に大きな錯覚の上に成り立っていると私共は思っています。しかし、一方的な考えをする人ではないようですので、コンタクトをとっていくべき人だと思っています。
会員 茂木弘道
■質問(1−1) 現代国学者
ドナルド=キーン先生を初めとする日本学の権威は、戦時中、日本軍の機密文章の翻訳や通訳を請け負っていたといいます。つまり、彼らは、日本軍の戦犯調査に就いて、第一線にいた訳です。彼らに聞けば、南京事件がデッチ上げであるか、又、東京裁判の裏の事情なども分かるのではないでしょうか?(私は、その事に関してキーン先生に手紙を幾度か送りましたが、案の定、全くご返事は頂けませんでした)
■回答
彼ら自身がどこまで知っているかは、必ずしも確かではありませんが、1つの重要な 情報源であることは間違いないと思います。しかし、もし知っていたとしても言いにくい立場でしょうね。また、このことを解明するのに、彼らの情報が決定的なものとは思っておりません。いくらも情報源は有り、既にほぼ全容解明に近づいていると思っております。
会員 茂木弘道
■質問(1−2) 現代国学者
南京で20万人以上殺されたと言う根拠として、死体の埋葬・回収記録があると言います。埋葬記録があるのならば、当然、20万人が埋葬された大規模な墓地や塚が有る筈です。しかし、その様なものはないと聞きました。埋葬記録はあるのに、肝心の死体はない……これは南京事件を否定する有効な術にはならないでしょうか?
■回答
おっしゃる通り、埋葬記録が基礎的な証拠です。これは既に、ほぼ解明されています。
東京裁判では、中国がわから、紅卍字会による埋葬43,071,崇善堂によるまいそう12,261,圭55,332,という記録が提出されました。ところがその後、阿羅健一氏の調査により、崇善堂は、施材、救恤、保育などを行う慈善団体であり、埋葬は行っていないこと、更に1937、8年にはほとんど活動をしていないことが、当時の南京市の活動記録にハッキリでていることが明らかにされました。
死体処理は、専ら紅卍字会が、国際委員会と自治委員会から「処理費」をもらって行っていたことも明らかになりました。これは田中正明著「南京事件の総括」(謙光社刋)に詳しく出ております。更に、紅卍字会の死体処理数が紅卍字会の「収入」と絡み、かなり水増しされていたことも東中野修道先生の研究により明らかにされ、多くても1万5千体であったと結論付けられています。(「南京虐殺の徹底検証」(展転社)
そして、この死体は、言うまでもなく「遺棄死体」を収用することが出来ず敗走した中国軍の戦死者の死体でした。一般市民の虐殺とは全く関係ありません。その説明は、長くなりますので、今回は省略します。
なお、「南京事件の総括」の中心部分を英訳した「What Really Happened in Nanking: The
Refutation of a Common Myth」が、世界出版からでておりまして、洋書店で入手できます。また、自由主義史観研究会にもお申し込みになれます。上記のポイントが英文で詳しく説明されています。
会員 茂木弘道
■質問(1−3) 現代国学者
何でも、アメリカでは日本軍の戦犯資料が公開されるそうです。そして、ご存じの通り、東京裁判はデッチ上げ法廷として知られます。この戦犯資料公開は、我が国に取って優位に進むのではないでしょうか?
■回答
優位に進むはずです。もし、政府がこれに真剣取り組めばです。何もしなければ、都合のいいところだけを誇張して、反日勢力が取り上げ、またまた、日本断罪の材料になるでしょう。政府がダメなら、誰かがやらなければダメです。自動的に有利になることは絶対にない、と心得るのが国際社会の常識でしょう。反論しないことは、全て認めたとされてしまいます。受け身で、よくなると期待することは間違っていると考えます。
会員 茂木弘道
■質問(1−4) 現代国学者
アメリカでは、条約を無視して連合軍の捕虜に対する賠償運動を行っているそうですね。私は、この運動を歓迎しています。だって、あちらが条約を無視して補償を求めるのならば、日本は、空襲、原爆、アローン収容所、米軍上陸の際に生じた婦女子暴行に関して、補償を求め返す事ができるのではないのですか?
それとも、日本側は補償を求める事はできないのでしょうか?
■回答
これも、やればいくらでも出来ます。まづ、論理的に主張をし、そして訴訟に持ち込む、ということです。馬鹿な条約無視をやるというのだったら、その10倍、100倍、1000倍のことをわれわれはできるのだぞ、ということをまづは論理的に主張することでしょう。勿論ねらいは、こんな馬鹿をやめさせることです。
会員 茂木弘道
■投稿(2) 現代国学者
丁寧な回答有り難うございます。こんなに早く返信が頂けるとは思いませんでした。
私の質問3に対して、「もしも、日本政府がなにもしなければ」と有りましたので、早速、そちらから頂いた回答を北米大使館に送り、警戒を呼びかける事と致します。ちなみに、北米大使館のメアドは、hokubei-2@mofa.go.jpです。
所で、オーストリアは戦争責任を認めて謝罪したのに、なぜ、韓国は戦争責任を負わないのでしょうか?帝国議会に議席を持ち、中将を初めとする将校を輩出し、朝鮮総督府への参政権も持ち、そして多数の志願兵が存在した……。どう考えても、責任を負うべきではないでしょうか?
私は、「韓国が歴史捏造によって日本統治を捏造しているのは、被害者を演じる事によって戦争責任から逃げようとしているのだ」と、たびたび主張・宣伝しております。
■回答
外務省が、こうしたことに全く無知であるとは思いません。問題は、基本的なスタンスです。
サンフランシスコ条約で、東京裁判を受け入れたということを、全て思想的にも受け入れた、という解釈から逃れられないのが日本政府であり、外務省です。ですから、あれほどの大うその南京虐殺の主張に対して、「日本は認め、教育でも教えている、反省している」とばかり言うだけで、ここはおかしい、明確に根拠があるといった反論は「絶対」にいわないのです。この政府、外務省の根本方針を変えさせるにはどうしたらよいか。グランドデザインを描いて、働き掛けていかないといけないでしょう。
韓国も戦争責任を認めるべきだとのご意見、面白い論点だと思いますね。最も、何故日本が謝罪すべきなのか、私にはわかりませんので、韓国にそういう気にはなりませんが。言い方として、もし日本が謝罪すべきだというのなら、あなた方も同罪ですよ。とはいえますね。徴兵制が適用されるまで
は、朝鮮では志願兵制でしたが、62倍もの志願兵が殺到したのですからね。これ迄を強制といっても世界中どこも相手にしないでしょうね。
会員 茂木弘道
■投稿(3) 現代国学者
南京事件の嘘を証明する手掛かりとして、東野中先生の調査があるとの事ですが、それらならば以前から知っております。しかし、左翼連中はこれをもろともしていない様です。以前に出会った左翼の中には、東中野先生を嘲笑していました。
左翼連中が、東野中先生の研究に就いてどの様に言っているのかは良く知りませんが、何だか東野中先生の調査だけでは心もとない気がする為、念の為に、別方面から南京事件を調査する術を提案したいと思います。 飽くまで、別方面からの見方であって、大した提案ではありませんが。
[提案1(国内の華僑を調査して見る)]
私はかなり以前に、中華街ネットに紛れ込み、『南京町』の由来や華僑に就いて色々質問をして見ました。その結果、どうでも良い情報と興味深い情報が得られました。
どうでも良い情報は、以下の三点です。
==中華街が、『北京町』ではなく『南京町』と言う名称なのは、かつての中国の首都が南京だった為。
==戦後、神戸に南京町が復興する以前は、横浜にあった。
==江戸時代から日本には華僑がいたが、戦前戦後に来日した華僑も多い。
興味深い情報は、以下の三点です。
==戦前、日本には七千人もの華僑がおり、戦時中は、その多くが中国に帰っていた。
==終戦後、彼らは日本に戻って来た。
==戦後まもない頃から、“南京と神戸には盛んな交易があり”、南京から多くの中国人がやって来ていた。
この情報から察するに、五つの可能性が考えられます。
==華僑の中には、『南京』出身者が多数いる可能性が高い。
==戦時中、中国に帰っていたのならば、『南京』に帰っていた者やそこに避難していた者とている筈である。
==終戦後、華僑たちは日本の中華街に戻ってきたが、その中には『南京』から戻って来た者もいる筈である。
==日本軍の撤退と前後して、いや、日本に戻る術として、日本軍と共に戻ってきた者がいるかも知れない。
==戦後、南京と神戸の間に活発な交易があったのならば、戦後まもなく、『南京』から来日した者や文革から逃げてきた者がいるかも知れない。
以上の可能性から、私は、南京事件の嘘に就いて知っている華僑がいるのでは…いや、もし、南京町の華僑の中に、戦時中、南京に退去し、その後、生きて戻って来た者が多数いるのならば、南京事件の嘘も証明できるのではと思い、中華街の幾つかのBBSで質問して見ました。
無論、直接的な質問は避け「華僑の方の中には、どこの出身者が多いのですか?「やっぱり北京ですか」「戦時中は中国に帰国されていたそうですが、代々、日本で暮らしておられた華僑なんかは、行く所などあったのですか」と言う具合の遠回しな質問を浴びせました。しかし、一切答えないか、或いはバラバラな答えが返ってくるかのどちらかで、良い情報を得る事はできませんでした。
華僑は本国との繋がりが深い為、南京出身の華僑や南京に避難していた華僑を捜し出しても、南京事件に関して答えてくれない事でしょう。しかし、南京町の華僑の来歴・出身を調べ、「南京から“無事”に戻ってきた華僑が存在する」「“撤退する日本軍と共に”南京から戻ってきた華僑が存在する」と言う事が分かるだけでも、南京事件の嘘を証明する手掛かりの一つになるのではないでしょうか?
[提案2(南京市民の戸籍を調べる)]
もう一つの術として、南京市民の戸籍を調べると言うのはどうでしょうか?南京市民の多くが、南京事件で殺されているのならば、現在の南京市民のほとんどは、事件後に、農村や別の都市から移住してきた“外来者”の筈です。
南京市に問い合わせて戸籍を調査し、現在の南京市民の多くが、移住者ではなく、事件以前から暮らしていた市民と、その二世、三世だと判明すれば、やはり南京事件の嘘が証明できるのではないでしょうか?(それとも、中国には戸籍の様なものはないのでしょうか?)
[提案3(墓を調べる)]
それに東野中先生が調査される以前から思っているのですが、30万人説を主張する南京には、30万人が埋葬された30万基の墓石が並ぶ墓地が存在するのでしょうか?
それとも、数万人ずつ埋葬された巨大な塚が存在するのでしょうか?
私は昔から、南京事件に就いて論議になった時は、「30万人殺されたのならば、その死体はどこに埋まっているのか?南京の郊外数キロは墓地なのか?それとも、古墳の様な塚があるのか?」と言って黙らせる事にしていましたが、実際の所、南京には30万人が埋葬されていると称された墓所は存在するのでしょうか?
[慰安婦問題に就いて、疑問]
慰安婦問題に関しては、軍の関与を示す資料はあっても、強制を示す資料はないと言います。それ所か、米軍のレポートの様に、合法性を示す資料の方が存在すると言います。
又、慰安婦をでっち上げた諜報人である吉田清治も、嘘だと認めています。既に、資料の上では、これは決着済みの問題です。しかし、世界では、歴史的事実としてまかり通っています。その原因は言うまでもなく、被害者が存在し、証言が存在するからです。
慰安婦問題の最大の問題とは、まさに、“被害者と証言が存在する”と言う点ではないでしょうか? どんなに資料や論理で証明した所で、彼女らが嘘だと認めぬ限り、無駄ではないでしょうか?どんなに理を説いた所で、米国の日本軍戦犯資料公開で、強制の事実はないと証明されたとしても、何十万人もいる被害者が全員嘘を就いているとは、容易には信じられないと思います。日本軍戦犯資料公開で明らかとなっても、「当時の資料と現在の証言が矛盾しているのは、日本軍が資料を改ざん・隠滅し、当時の被害者たちを脅迫したからだ」と解釈されかねません。
しかし、これらは言い換えれば、被害者が嘘を就いていると証明されさえすれば、わざわざ調査・研究・論理立を行わずとも、解決する問題ではないでしょうか? なぜ、彼女らを嘘発見機に掛けないのでしょうか?
彼女らの、女性としての名誉を傷つける訳にはいかないと遠慮していては、いつまで経っても解決しないと思います。
私の言いたい事は以上です。お忙しい様なので、返信はいつでも構いません。
■回答
大変面白いご提案、興味深く拝見いたしました。どれも試みる価値はあるかと思います。傍証としてそれなりの説得性があると思います。同じような性格のものとして、現在アメリカの日系銀行の副頭取をされている方が、横浜正金銀行(その後の東京銀行)の南京支店次長であったお父さんの関係で、昭和十八年から二十年までの二年間子供時代を南京で過ごされた体験談を送って下さっています。中国人に囲まれ、随分危ない出歩きをしたにもかかわらず、なんら危険なめにもあわなかったことを書いています。
さて、東中野先生を嘲笑している左翼がいるとのお話ですが、反日カルトと化し、人間としての良心というものを失ってしまった彼らは、まともに論争することが出来ず、嘲笑と悪罵で己の「信仰」を守ろうとしているわけです。オームの例を見ても、カルト集団とまともな議論をしてもむなしいことになり、ご提案の資料が加わっても状況は、ほんの少しも変わらないでしょう。
それより、ちょっと気になるのは私が申し上げたことを正確にご理解していただいていないように思える節があることです。東京裁判に提出された埋葬記録のうち、崇善堂の112,261体というのは、全くのでっち上げの記録であることを、当時の南京市政府の文書から明らかにしたのは、東中野先生ではなく、阿羅健一さんであり、そのことは詳しく、田中正明著「南京事件」の総括で述べられている、とご説明したのに、まるでそのことはなかったかのような言い方をされていることです。すなわち、どんなに多くても「紅卍字会」の埋葬記録、43,071体ということになりますが、それも水増しした数字であったことを証明されたのが東中野先生です。どういう根拠に基づく科学的な証明かは、「南京虐殺の徹底検証」を読んでいただくしか
ありません。
南京問題を真剣に考えるのでしたら、最低この本と、「ザ.レイプ.オブ南京の研究」(藤岡信勝.東中野修道共著)(祥伝社)、そして「南京事件の総括」をお読み下さい。さもないといくら面白いアイディアを出されても、肝心のポイントになる事実の認識がないままでは、余り意味を持ったものにはならないからです。
さらにいえば、東中野先生を中心にした研究会で、当時の一級資料、すなわちその当時現場にいて記録された資料のデータ.ベース化の作業が進んでおりまして、ほぼ完成に近づいています。例えば、当時第三国人が書いた資料としては、Documents
of the nanking safety Zone (国際委員会の二ヶ月間の活動記録)、米英等大使館関係資料、ボートリンの日記、ラーベの日記、が第一級資料ですが、これは項目ごとに全てデータ入力されています。例えば、南京の人口について、これらの資料の何ページにどのようにでているかは、ことごとくリストアップすることが出来ます。
さる3月10日に第一回南京学会定例研究会が行われましたが、会員の冨沢繁信さんが、「データーベースによる南京事件の解明」という発表を行いました。結論として言えることは、安全区(ニューヨークのセントラルパークの広さ)にのみ南京市民は当時集まっていて、その数は200,000であったこと、それが1ヶ月後には250,000になったこと。そして、国際委員会が日本軍の非行として記録したものは、根拠薄弱なものが多く、殺人は27件、54人とされているが、そのうち目撃者があったのは立った1件
であること、しかもそれは合法的な殺人と記入されていること。といったことです。
セントラルパークのスペースの安全国20万人もの市民がひしめき合っていたわけですから、殺人が見逃されることはまずありません。こういうことが最早明らかになってしまっているのです。
最早、勝負はついています。どのような学者が世界中から来ようと、このデーターベースで、いかなる偽情報、作り話もことごとくその正体を明らかにできます。一級資料との整合性のない情報は、証拠能力がなく、簡単にいえば勝手なでっち上げです。
これからの課題は、どのようにしてこのデータベースの資料を、多くの人々に分かりやすく紹介し、英文化して海外の人々にプレゼンテーションしていくかです。英文化に関しては、その第一歩として、田中正明先生の「南京事件の総括」のエッセンスを英文にした、What
really Happened in Nanking がでておりますので、ご興味がありましたら是非ご覧下さい。
従軍慰安婦問題はおっしゃる通りです。英文の分かりやすい資料を作り、海外の人々に理解してもらうことが緊急に求められています。
会員 茂木弘道
■投稿(4) 現代国学者
お返事遅れて済みません。風邪で寝込んでおりました。
少し気になったので、付け足しますが、最近の左翼連中は、南京郊外での虐殺を強調し出している様です。だから、南京の安全区の人口数や記録など問題ではない、と言う具合の事を主張していました。又、「私は虐殺をやった」「私は虐殺を見た」「私は虐殺にあった」証言を大量に集め、それを証拠として強調し出している様です。
それに『南京虐殺の徹底検証』に就いてですが、以前、『とほほ』とか言う左翼が、「東中野の研究は、私が論破した」と主張していました。左翼連中から言わせれば、「南京虐殺の徹底検証」や「南京事件の総括」は看破済みの様です。
私は、この『とほほ』と論戦したのですが、私は、南京事件に付いては詳しくない為、又、彼の方が、「『南京虐殺の徹底検証』を取り上げてみるがいい。全て反論してやろう」と豪語していた為、「南京虐殺の徹底検証」や「南京事件の総括」には目を通さずに、論戦しました。
人口数や記録を用いて論戦しても、左翼側には言い訳手段が揃っている様だった為、私は、いままでにない方法で論戦する事にしました。
私の論戦方法は、中国文化と日本文化を比較し、「『屠城』は中国固有の文化であり、我が日本には『屠城』に該当する言葉すらない」「その虐殺方法は中国側の伝統的虐殺方法であり、我が国では、捕虜に対して虐待が行われた1051年の『前九年の役』や1083年の『後三年の役』ですら、そんな酷い虐殺ゲームは行われなかった」と言う具合に、日本の歴史上、習慣上、宗教観上、ありえないと言う点を強調し、「なぜ、日本軍は歴史上に前例のない事をやったのか?」「なぜ、中国伝統の虐殺方法を真似たのか?」「ラーベ日記では、日本兵は酔っ払っていたらしいが、酔っただけで日本人が虐殺魔に変身するくらいならば、今頃、日本の酒屋のおやじは全滅している筈ではないか?」「ドイツには『ヒトラーの日記』と言う前科がある。」といったものです。
そして、「どうあっても、20万以上殺されたと言うならば、その死体がどこにあるのか教えてくれ!」と問い詰めて、ようやく『とほほ』を黙らせる事に成功しました。
それはともかく、左翼側の『「南京虐殺の徹底検証」は論破されている』と言う自信たっぷりの主張は、少し気になります。本当に大丈夫なのでしょうか?
ちなみに、慰安婦問題ならばお任せ下さい。
私は、国際派日本人養成講座の慰安婦に関する記事を下地にした宣伝文を作成し、それをメル友に頼んで英訳して貰っている最中です。(もちろん、養成講座の編集長には、許可を貰っています)さらに別のメル友には、全世界の主要メディア、ジャーナリスト、人権団体、日本文化研究所、軍事関係のホームの管理人などのアドレス収集をお願いしてあります。
英訳の方は完成間近の為、四月には、宣伝メールが全世界に発信される事でしょう。
(「日本に恩を売る事ができるネタ」と言う形を取っています)
では、失礼いたします。有り難うございました。
■回答
南京城外に、逃げ出していることは当然知っています。笠原十九司(現在一応南京虐殺派の代表学者)もその一人で、20万人説を保とうとその地域を城外に拡げています。それを中国の学者が参加したシンポジュームで主張したところ、哀れにも、「30万虐殺はあくまでも城内でのことだ」と一蹴されたのでした。
それはともかく、城外説も「徹底検証」で徹底的に否定されています。蒋介石軍の清野作戦によって、人家は焼き払われ、郊外にはほとんど住民はいなくなっていたのです。それも、データーベースからふんだんに記録が取り出せます。虐殺派が城外のことをいっているのは、何のことはない戦闘の死者のことに過ぎないのです。硫黄島で、2万数千の戦死者がでたのを硫黄島の虐殺といっているようなものです。こんな馬鹿な議論に巻き込まれてしまってはどうしょうもありません。
人口のことをいってもといわれますが、人がいなくてどうして虐殺が行えるのですか?市民虐殺があったというのなら、人口が絶対的な証拠です。国際委員会は、逃亡した馬南京市長から、食料、現金その他を託され、難民区に集中した市民の面倒を見た、いわば臨時南京市当局であったのです。人口把握は正確度は別にして、食料、住宅供給を行うためにもかなり実態に近いものを把握していなくては、活動できなかったのです。
その国際委員会の記録に12月中20万人と5回も記録されていて、1月
14日に25万になるのです。これを無視して、人口のことをいっても左翼を説得できない、とはどういうことでしょうか。つまり彼らは、肝心のことには何も答えられない「カルト教」の信者だということではありませんか?
証言、と称するものはいくらでもつくれます。証言の信ぴょう性があるかないかは、当時の一次資料(前回四つ上げましたが、これらは全部英文です。日本軍の軍事日誌、兵士の日記もあります)と整合性があるかどうかで判断するべきです。これと矛盾する「証言」なるものは、ハッキリ言って嘘、でっち上げです。だからこそ、一次資料が重要なのです。そこで一次資料のデーター化を進め、ほぼ完成しているわけです。
左翼の嘘には、完全に反論できる、と自信をもって言えるのはこういう明確な根拠があってのことであり、何も強がっているわけではありません。
やはり、申し上げたいのは最低、「南京事件の総括」「南京虐殺の徹底検証」「ザ.レイプ.オブ.南京の研究」はお読みになって下さい。疑問に思われていることの少なくとも80%は答えられているでしょう。それにプラスして議論しないと、後戻りをしているようなものです。
会員 茂木弘道
■投稿(5) 現代国学者
そちらのホームや南京関係のホームを見る限り、ラーベの日記は看破済みの様ですが、少し気になる事があるのでお便りします。
ラーベの日記は、日本に対する差別感情からラーベ本人が捏造した記録だと解釈されている様ですが、近年、第三者の手によって改ざんされたものだ、と言う解釈は成り立たないのでしょうか?
少し話しは逸れますが、『ヒトラーの日記』と言う物はご存じでしょうか?
これは、1982年、ドイツで保守政権が誕生した翌年に、ゲルト=ハイデマン記者が、『シュテルン誌』に持ち込んだ資料なのですが、同時に、世界中を仰天させた事件でもありました。
その名の通り、彼の持ち込んだ資料は、”ヒトラーの直筆の日記”だったからです。
内容には間違いが多数あったにも拘わらず、当時の歴史家の多くが、この日記を検証し、「正真正銘本物」として評価しました。
ハイデマンの証言によれば、終戦直後に、ドイツから飛び立った飛行機が、ポーランドの国境近くの農地に墜落しており、その時、飛行機の消化に駆けつけた農夫がその日記を発見し、戦後40年近い歳月の間に、人の手から手へ回り回って、遂に、彼の手に入ったとの事でした。
しかし、注目すべきは、日記の存在ではなく、その内容です。冷酷非道なヒトラーのイメージと打って変わって、日記の中のヒトラーは極めて善良なのです。 私は読んだ事がないので、内容の詳細はできかねますが、ユダヤ人に同情したり、妻の事に就いて異様に気遣ったりと、優しい面を幾度もうかがわせる内容だったそうです。
保守政権に取って、この日記が歓迎すべき代物であった事は言うまでも有りません。
所が、それから四年後の事、この日記は全くの偽物である事が判明しました。鑑定に掛けて見た所、全然、ヒトラーの直筆ではなく、ゲルト=ハイデマンの知人が書いたものだったのです。 ドイツ人の過去の過ちを少しでも和らげたいと言う意思と保守政権誕生と言う期待があいまって、この様な詐欺本を登場させたのです。
早い話、ドイツには、この手の『前科』が存在するのです。
そして、『ヒトラーの日記』と『ラーベの日記』には、幾つかの共通点が存在するのです。
[共通点1]
重大な内容であるのに対し、長らく、その存在が知れ渡っていなかった。
[共通点2]
双方とも、記載に間違いが多い。(戦後に書かれたものだからです)
[共通点3]
『ヒトラーの日記』は保守政権誕生と共に偶然発見され、『ラーベの日記』は中国の反日運動再開と共に偶然発見された。(双方とも、実に都合の良い時期に発見されているのです)
[共通点4]
発見までの経緯が、双方ともに出来過ぎている。(特に、”チャンがラーベの家族に手紙を送った事が発見に繋がった”との事ですが、当時、南京に大勢いた外国人の内、なぜ、ラーベにターゲットを絞って、手紙を送ったのでしょう?)
以上の共通点から、私は、『ラーベの日記』が発見された当時から、「第二の『ヒトラーの日記』だ」と考え、下記の様な2パターンを想像していました。
[パターン1]
中国の反日運動に興味を抱いたラーベの家族が、中国政府に、ラーベの日記の存在を知らせた所、中国政府は即座に家族を買収し、その日記を下地に徹底的に捏造した。
そして、チャンを使って世に出させるか、もしくは、チャンを騙して発表させた。
[パターン2]
慰安婦問題のお陰で、「ドイツはホロコーストをやったが、酷い事をして置きながら、補償所か隠し続けていた日本よりは増し」と、ドイツは言われる様になった。つまり、日本が悪魔であればある程、ドイツ人には歓迎すべき事なのである。 さらに、日本を悪魔化する事によって、ドイツの汚名を和らげたいと考えたラーベの家族が、チャンの手紙を好機に、自ら日記を改ざんした。
無論、この事件でドイツ人は、『ヒトラーの日記』の存在を思いだし、鑑定に掛けるであろうと、私は想像していました。そして、それで全て解決すると思っていました。
所が、誰も鑑定に掛けようとしないのです。明らかに、ドイツ人の「日本の戦犯が
強調されれば、ドイツの汚名が和らぐ」と言う意図が裏に潜んでいるとしか思えませ
ん。
これが、私の『ラーベの日記』に対する推測なのですが、近年になって改ざんされた可能性は考えられないのでしょうか?やはり、ラーベ本人が捏造したと考えるべきなのでしょうか?
ちなみに、南京事件に関する良いホームを見つけました。既にご存じか、そちらも参加されているとは思いますが、リンク集の所に見当たらなかった為、一応、付け足して置きます。
http://www.history.gr.jp/nanking/
■回答
ラーベ日記は貴重な一次資料であることは、前々回のメールで申し上げた通りです。
データーベースに入力されています。前にも申し上げましたが、ご説明をもう少しキチンとお読みいただけませんでしょうか? ラーベ日記にはどこに問題があるかというと、実際に彼が当時日記として書いた部分と、彼がヒットラーへの上申書を書くときに付け加えた部分とが混在していること、更に日記として書いた事実(人口20万が25万に増えたことをハッキリ日記には書いている)と彼が何の根拠もなしに主観的に「日本軍は6万人虐殺した」と書いていることに絶対的な矛盾があることなどです。ラーベ日記は貴重な一次資料ですが、その内容の点検が必要なのです。資料を「絶対化」するのは大きな間違いです。こうしたことも、「徹底検証」を読んで下さ
い。
会員 茂木弘道
■投稿(6) 現代国学者
大変失礼いたしました。
早速、「徹底検証」の方を読んで見ようと思います。 いい加減な質問をお送りしてしまい、失礼いたしました。
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