7.日本の国旗、国家について

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私は現在大学4年の者なのですが、日本の国旗・国歌について卒論を書こうと思っております。

しかし、国旗・国歌の成り立ちについてまったく知らないことに気が付き「まずはそこからだ」と思ったのですが、なかなか良い文献にたどり着くことが出来ません。まだはっきり言って君が代の歌詞の意味も分からないありさまです。

非常にわがまま勝手なお願いであるとは思いますが、何か良い文献があれば教えて頂きたく、よろしくお願い致します。

■回答

メールありがとうございました。

以前にも、同様なご質問を頂きましたので、わたくしがお答えしたものをコピーしておきます。なお、以下の文章は、当サイトの「ご意見箱」というコーナー2000年9月分に掲載されています。

いろいろな方から寄せられるご質問にわれわれスタッフがお答えしたものを集積してありますので、素朴な疑問がございましたら、一度覗いてみて下さい。もしかすると、そちらで大抵のことは解決してしまうかもしれません。

もちろん、そこで解決されなければ、これからもメールにてご質問をお寄せ下さい。歓迎いたします。それでは、よい卒論をご執筆されますよう、心よりお祈りいたしております。

会員  飯島瑞穂


8.WW2における日本とベトナム(原文 英語)

■投稿 1

私は社会人学生で、歴史を学んでいます。今1941−50年のベトナムについての日本の政策、特に戦時中の日本軍全体との比較についての論文を書こうとしています。

私は貴方方のグループの、この種のテーマに関する歴史観に興味を持っています。日本の歴史家の、この問題に関する英語に訳された文献がありましたら、教えていただけませんか。

ベトナムは、戦時中日本に占領された地域の住民と日本軍の諸問題の議論に見過ごされていると思います。貴方のグループではこの問題について何かコメントはありませんか。

■回答 1

私の知っている範囲での回答をいたします。
1945年のベトナムの独立宣言に、200万人の人が日本軍の米の強制購入で餓死したと書かれています。我々は、このケースについて考えるためにはその頃のインドシナの状況を知らなければなりません。

1940年に、フランスはドイツによって攻撃されました、そして、パリは陥落し、ドイツへ好意的な政府がビッシーに設立されました。その頃インドシナはフランスのビッシー政府の支配下にありました。

大東亜戦争勃発の前、1941年に日本軍はフランスの合意の下にインドシナに進駐しました。フランスには、今日の日本とアメリカの関係と同じように、行政権がありました。

連合軍は1944 8月に反攻し、パリを取り戻しました。日本はインドシナ政府の意向を懸念し、インドシナへの兵力増強をおこないました。
1945年には、日本は1個師団に加え、3個師団をインドシナへ送りました。日本はベトナム南部には3個師団を配置し、北部には1個師団を配置しました。日本は3月9日にクーデターを引き起こして、インドシナの行政権を奪いました。さらに、4月30日にはヒトラーが自殺しました。

一方、南シナ海の反対側、フィリピンでは、米軍が1944年10月にレイテ島に上陸し、1945年1月にはルソン島に上陸しました。
これにより米軍はインドシナ爆撃を行い、北部と南部をつなぐ鉄道を破壊しました。船舶の損害は増加し、インドシナの南北の輸送路は破壊されました。

問題は1944年秋の台風や洪水のため、北部ベトナムの米が不作となったことです。不幸なことに北部より米作が豊かな南部からの輸送路が、米軍により完全に破壊されてしまったのです。インドシナ政府は打つ手がありませんでした。

我々は20万人の死者が真実か否かは分かりません。しかし日本軍が配置したのは一個師団、約2万5千人です。2万5千人増加した為、200万人の人々が餓死するということはありません。200万人の餓死者は台風や洪水、米軍の交通手段の破壊によるものです。

ベトナムへの補償協定は、1954年に南ベトナム政府がベトナムの全土を代表する形で日本政府の間で締結されました。
日本は1973年には北ベトナムとも国交回復しました。

さらに、1978年、北ベトナムは日本が南ベトナムに貸した155億円の負債を引き継ぎました。一方、日本はこの負債をキャンセルする160億円を無償援助し、更にローンの形で200億円の資金援助をおこなったのです。

理事 杉本幹夫

■投稿 2

あなたのベトナムに関しての親切な回答を有難うございます。私の質問に時間を取って頂き有難うございます。

あなたは日本の大学の歴史の先生ですか? 私の個別指導教官が学会でちょうど日本を訪れているところです。
さらに2つ質問させてください。

私は、 大東亜戦争にたいする日本の意見に関して不思議に思っています。1940年日本はフランス帝国主義者と協定を結び1945年3月に一撃の下に主権を取り戻していることに関心を持っています。

1945年9月には日本軍は解散しフランス帝国主義者の主権回復を助ける事になった。大東亜戦争は日本による反帝国主義計画ではなかったのですか?大東亜戦争における日本の行動の良い例はベトナムですね?

■回答 2

私は67才の技術者で、国学院大学の大学院生でもあります。60才から特に日本-韓国関係の現代史を勉強しています。

1940年、日本はフランスと同盟を結びました。1944年に連合軍がノルマンディーに上陸しました。フランスのビッシー政権は崩壊し、ドゴールが政権を握りました。これによりフランスは日本の敵国となったのです。

1945年8月、日本は連合国に降伏し、連合国に武器弾薬を渡しました。日本はインドネシア、ビルマでは独立戦争を援助し、日本が降伏したとき、武器を持った多くの日本軍兵士は逃亡し、独立軍に参加しました。

しかし、ベトナムにおける独立軍は1945年初めまで、日本、フランス連合軍の敵でした。それゆえに日本が降伏した1945年8月以降に日本軍がベトナム独立を援助したという話は聞いてはいません。

理事 杉本幹夫


9.日本を守るために身をささげた韓国、沖縄の人々

■投稿 1

茂木氏の天皇君主論について読ませていただきました。僕自身天皇存続について議論するつもりはないのですが、 ww2にあたって、日本を守るため喜んで韓国の方や沖縄の方が身をささげたという文面には憤りを感じました。

あなたの見方は他国の人に対しての思いやりにかけていますね。これからの国際社会において害のある(国益を損なう)発言と感じました。日本
の将来について思われているのでしたら、もう少し他国のことも考えてほしいものです。
象徴云々については賛成だといっておきましょう。

■回答

スタッフの一員の杉本です。茂木さんに代わりご返事申し上げます。

「ww2にあたって、日本を守るため喜んで韓国の方や沖縄の方が身をささげた」という事は事実です。勿論そうでない人もいたと思いますが、喜んで死んだ人も多数いました。

朝鮮の場合、支那事変の当初金錫源少佐が日本兵を率いて大活躍していました。その事が連日新聞に報じられました。

又3.1独立運動の首謀者の一人だった李光洙や崔南善はマスコミで日本の正当性を煽りました。

熱しやすい朝鮮青年は志願兵の募集に対し、1938年7倍の応募者がありました。この応募者は毎年増え続け、1942年には50倍を超えました。

陸軍士官学校の入試に合格しながら、今勉強などしている時ではないと、ニューギニア戦線に出動し、重傷を負った人もいます。後の韓国駐日大使、崔慶禄少尉です。

又特攻隊に志願し、戦死した人も多数います。

沖縄のことはよく知りませんが、あのころの日本の熱気は大変なものでした。沖縄も同じだったと思います。だからこそ戦後独立運動ではなく、日本への復帰運動が起こったのではないでしょうか。

沖縄は現在より、当時の方が内地との一体感があったように思います。

理事 杉本幹夫

■回答 2

仕事に忙殺されご返事が遅れました。杉本さんがお答え下さりましたので、少しは意のあるところをご理解いただいたかと思います。

もともと、投書に答えている文章ですので、天皇制の問題と、戦争の問題とは本質的には別の問題なのですが、入り交じり、タイトルが天皇制についてとなっております。

この点については、私の主張は、絶対天皇制などというのは全くデマごキー以外の何者でもないことを、64年という世界記録的治世の間に、わずかに2回、閣議の決定を経ずにご自分のお考えで決定をされたことを指摘して明らかにしました。しかもそのご決定は歴史的に極めて重大な意味をもつもので、これによって日本人はどれだけすくわれたかしれません。こういうご存在を、悪意を込めて大うその前提で絶対君主と罵倒し、あたかも民主制に反するかのようなことを言い募り、そのおかげで戦争が起きた、 などというデマゴギーは是非みなさんにその正躰を知っていただきたいと思っている次第です。何でも絶対天皇制を悪ものにすれば済むかのような論調は何としてもやめていただきたいと思っています。

さて、あなたはに伺いたいのですが、「本当のことをいうと」世界に対して国益を損なうことになるのでしょうか?相手にとってつらいことは、それが真実であっても決 していわず、嘘であっても相手に同調せよということなのでしょうか?あなたは、私がご紹介した事実に対しては何一つ触れることなく、ただ感情的に他国の人に思いやりがない、とおっしゃっているので、それを聞きたいのです。

私は、沖縄戦で韓国の人が日本を守るために喜んで死んでくれた、とは書きませんでしたが、そのように推測もできるかもしれません。(しかし言っていないことをさも言ったかのように書くのは失礼かと思いますが)。何故かといえば、大東亜戦争に韓国の人も献身的な協力をして下さったことに感謝しているわけですから、その一部である沖縄戦についても感謝していることになるからです。私は、本当にそう感じていまして、2万2千118人の韓国人戦死者(そのほとんどが靖国神社に祀られている)の霊に靖国神社に行ったときには心を込めて慰霊しております。

勿論、個々をとればいろいろな事情もあるでしょう。しかし、私があげた厳然たる事実、志願兵を募るや、続々と応募者があふれ、遂に昭和17年には、60倍を越す応募者が殺到したということをあなたは、一体どのように解釈しますか?これはいくら消そうと思っても消せない歴史の事実です。あなたのように、私は軽々しく「喜んで」などとは言いません。しかし、強制されてなどという言い方でこれが説明できるとでも思っているのですか?人間と
しての良識と良心の問題です。いい加減に、うその神話から目を覚まして下さい。

多分あなたは、「創氏改名」も日本が朝鮮抹殺のために強制した、と思い込んでいることでしょう。これもおお嘘であることは、朝鮮出身軍人として最高の地位にあった 洪思翊中将のことを考えていただければ、直ぐに分かります。軍人ですよ。その将軍の部下の日本人は彼の命令で死を伴う任務を遂行しなければならない、そういう地位の人がどうして、改名せずにいられたのだと思いますか?「半年に限り改名を認める」というのが、創氏改名の布告でした。何も強制で、朝鮮名を消せなどとは言っていませんでした。ところが、現在言われているのは、全く違うものです。

それでもなおかつ朝鮮の人が傷ついたということも事実でしょう。だからといって、大うそを前提に議論していたのでは、何も建設的な真の友好関係は生れません。

さらに付け加えておきたいのは、沖縄の人々の決死的な戦闘参加です。艦船1400隻、陸軍、海兵18万3千という圧倒的な米軍の戦力にも関わらず、米軍の1週間ほどで片づくという予想を遥に超える84日間の死闘が繰り広げられた。これは日本軍の驚異的な敢闘力とともに、沖縄住民のまさに決死的な協力があったればこそであることは、まともな常識をもって考えれば分かることである。米軍は、何と最高軍司令官バックナー中将が戦死するという犠牲をはらわざるを得なかったのです。このすさまじい抵抗力を経験したことが、その後の対日占領政策に大きな影響をもたらしたことは疑いありません。下手なことをするとどんなすさまじい抵抗を受けるか分からない、という恐怖感です。いずれにしても、「喜んで」という表現は別にしても沖縄の人々の献身的な戦闘協力は強制などというものからほど遠いものであったことは疑いありません。

ところが、戦後、といっても本土復帰前はほとんどそんなことは言われていなかったのですが、復帰後反日左翼のお決まりのデマが宣伝されだしました。いわゆる集団自決、といわれていたものが、実は軍による強制だった、沖縄の民間人が日本軍によって殺されたのだ、というデマ宣伝です。どうもあなたもそれを信じて、おられるようですが、これもよく考えればおかしなことです。非常に特殊なケースは別にして、もしそんなことをするような日本軍に沖縄の人が敵のアメリカ軍が驚嘆し、讚えることになるほどの戦いぶりをする、などということは考えられないからです。戦いというものはそんな甘いものではありません。単に強制で戦闘力発揮できるのならそんな簡単なことはありません。それは人を馬鹿にした考えです。そういう考えをする人は、よほど自分が卑怯者で、そのかわり強制されれば何でもする、と考えている人でしょう。しかし、残念ながら、そんな卑怯な人間は、強制しても使い物にはなりません。 全てそんなことは絵空事です。

沖縄の座間味島の集団自決が、実は軍命令によるものであったということがあるころから言われだし、沖縄の県史にも載り、それを教材に使うグループも沢山います。

ところがこれは、勇気ある生き残りの女性の証言から、それは全くの嘘で、戦後村で年金を欲しいために集団的に捏造証言を行った結果であることが、明らかになりまし た。 実際は、村の幹部の自決の決定を、軍の隊長は認めず、自決用の武器も与えず、ということだったことが分かったのです。

このように、歴史偽造が驚くべき規模で行われているので、ついついそれに惑わされることになるのも止むを得ない、といえないこともありませんが、そんなことはあってはいけないことです。それを正すためにわれわれはこうした活動を行っているわけです。

会員 茂木弘道


10.日本の朝鮮半島の植民地支配について

■投稿 1

過去の出来事のひとつ一つについて考えてみよう。
伊藤博文の評価をどうするかと言う事よりは、朝鮮に対する植民地支配がどのような手法で遂行されていったか、というところに目を向けてみてはどうでしょう?歴史は 必ずしも善悪の物差しだけで観るべきではないのかも知れません。「南下を目論むロシアの脅威に対抗する」ための「歴史的必然」とするにも、ひとつの見方かも知れません。

しかし、私たちは祖父母が生きてきた時代をどの角度から見つめるのか、そしてそこから何を学ぶべきなのか、という事も忘れてはいけません。それは何百年も昔の事ではなく、私たちの「現代」に繋がるすぐ「身近」の過去の出来事だからなのです。あるとき、外国人が軍隊を連れてやって来て、人びとから家族を、いやその人の人生そのものを根こそぎ奪ってしまい、そして民族や国の尊厳をほしいままに踏みにじっていった。それが35年以上も続いた。ひと口ではそういう事なのです。その統治の実態がどれほど身の毛のよだつような過酷なものだったのか、ということ。
そして夥しい人びとが苦しめられ殺されていったのだという過去の出来事の、できれば二つ三つぐらいでも知っておいても良いのではないかと思いますね。

日本人は何故、そうした過去の事実をみんなで認めようとするコンセンサスを持てないのでしょ うか。ある人たちには、何でも好きなことを言ってもいいのが言論の自由だ、という勘違いがあるようですね。ドイツはリベラルな民主主義の社会ですが、ネオナチの宣伝などは刑事罰の対象になっているように、学校や地域社会に至るまでそうした歴史観を共有するための努力がいつも繰り返されているのだそうです。日本人の多くはそれが恥ずかしい事だということにすら気づいていないのです。

■回答

貴方はヒトラー、スターリン、毛沢東、金日成等の圧政に苦しんでいる国民をどこかの国が助けに来てくれた時、助けに来てくれた国を、自国を踏みにじった国として非難しますか。それともヒトラーの圧政から救い出してくれた国として感謝しますか。

日本の併合前の朝鮮はそんな国でした。その状況については私のHP、 http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/の中の「4人の外国人が見た当時の朝鮮」 を見てください。これはイギリス人、アメリカ人、フランス人、ロシア人が書いた併合前の朝鮮の姿です。

又その中には、日本の統治が決して貴方の言われるような 身の毛のよだつような過酷なものではなく、逆に世界一すばらしかった日本の統治の実態が書かれています。

日本の統治がそのような過酷なものだったら、何故日本の統治下にあった韓国、台湾だけが先進国の仲間入りできたのでしょうか。
その事を貴方は何故だと考えられますか。アメリカの統治下であったフィリピン、イギリスの植民地だった東南アジア諸国の後進性との違いはどこにあったのでしょうか。私は日本の統治の成果だと思っています。

理事 杉本幹夫

■投稿 2

本来自由とか民主主義という思想は西欧の、言うなればキリスト教文明が齎したものです。私はそのドイツ人学生のいう論理、つまり日本のファシズムと日本の民衆とは必ずしも一体ではないと言う考え方にもある程度同調できます。そして正義や不正義の尺度もみなそれぞれの文明や宗教やあるいはその人の立場によって違うものなんですね。人類そのものが歩いてきた路を振りかえると、人間ってそれ程高等な存在ではないということがよく分かります。これまで何故独裁者やファシズムの台頭をゆるして来たのでしょう。ですが私たち人類は現在少なくとも人間の尊厳や自由に関する共通の価値観を共有しています。 私が言いたかったのは、いずれも同じファシズムに支配された過去をもつ国民でありながらその歴史認識において余りにも違いがあるじゃないか、という事なんです。私はどうも「出来れば話題にしてほしくない。悪いと思ってるから経済協力だって何だってやってるじゃないか。だからもう・・・」と言う感じの日本人一般の意識そのものが問題だと言っているんですね。

日本の民主主義が充分に成熟した段階にあるのかどうかは別として、民主主義は必ずしも「善」や「正義」を成就できるシステムではないのかも知れません。日本とドイツとではやはり民度に差があるように思います。わたしがここで言う民度とは単なるレベルだとか何だとかと言う意味ではなく、その国が背負っている(あるいは引き摺っている)地政学的な条件や風土から来るその社会の成熟の度合いだと言う事です。ドイツ人が持つ「ナチズムを決して許さない」という積極的な決意。それに似たものが日本には余りにも無さすぎる。
ドイツ人のイメージとして、冷酷だとか排他的だとかいうのがありますが、市民革命において遅れをとった国の国民にしては社会意識において少なくとも日本人とは比較にならないと思います。
それは日本人一般に、責任も何も伴わなくても何を言っても許される「思想や言論の自由があるから」だと言うすごい勘違いがあって、そうしたものが曼延しているのが日本社会の大きな問題だと思います。ただ例外として絶対許されないことは皇室に対する悪口や「竹島は韓国の領土だ」などと言う事ぐらいですね。
すこし大げさにいうと、日本はこのままでは百鬼夜行の無秩序の淵にいってしまうのではないかという不安が残ります。
あの時代をあの戦争を決して評価するべきではない、もしそのような運動が台頭すれば決して許さない、という決意が必要だと思います。
このままどんどん日本社会が右傾化への路を辿れば、ソニーやトヨタでしか自分を誇れない惨めな日本になるだけだと思いますね。そうなってはいけません。

■回答 2

私は民主主義は決してキリスト教文明だけのものとは思いません。
6世紀末日本で初めての法律とも言える、聖徳太子の「17条の憲法」の冒頭の文は「和をもって尊しとなす」と、話し合いの精神を強調しています。
19世紀の日本の明治維新で、明治天皇が示された5箇条のご誓文の冒頭は「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」と独裁政権を否定し、会議により物事を決めることを指示しています。日本は1500年も前から民主主義の国だったのです。

日中戦争から、第2次世界大戦時の日本はファッシズムに支配されていたと言われますが、独裁者は一人もいません。
最大の独裁者と言われた東条首相も、戦争が負けそうになると、重臣達の意向により、罷免されています。
軍部の独裁といわれますが、軍の中でも、陸軍と海軍の対立があります。
大蔵省、外務省も力は弱いとはいえ、それなりに発言権は持っていました。議会が弱かったのは、今のアメリカ同様、政党の拘束が弱かったからです。

軍部で政策の決定の主導権を持ったのは、少佐から大佐までの佐官クラスです。その中には独裁者はおらず、彼らの政策判断の根拠は仲間内の議論とマスコミです。現地軍は中央の指示を聞き入れず、暴走しました。それが出来たのはマスコミの圧倒的な支持と、世論の応援でした。

日本はヒトラーのユダヤ人虐殺のような、不法行為を行っていません。逆にソビエト経由で逃げてくるユダヤ人を助け、満州への入国を認め、アメリカへの脱出を助けました。

従って日本人は負ける戦争に導いた指導者の失敗を非難しますが、開戦そのものは国民世論の結果とし、ドイツ人がナチスを非難するようなことがありません。ナチスのような存在がなかったからです。

それと同時に、あれだけ熱狂的にナチスを支持しながら、責任をナチスだけにかぶせるドイツ人は卑怯ではないかという感じを持っています。

民主主義は必ずしも「善」や「正義」を成就できるシステムではないとの考えは同感です。民主主義はマスコミの動向に左右されすぎます。

私は日中戦争の原因は、アメリカがベトナム戦争で負けたのと同じ理由と考えています。
日清戦争で中国が敗戦しました。その機に乗じ欧米諸国は中国にそれぞれ租借地を獲得しました。
第一次大戦でドイツの租借地である山東半島を日本は引き継ごうとしました。
しかしその20年ほどの間に中国人の民族意識が激変していたのです。

その事を日本は見抜けませんでした。日本は外交交渉で色々なことを決めます。しかし中国は決まったことを実行しませんでした。そして反日行動を煽りました。そのいらいらが日本の民衆・マスコミが軍部を声援した理由です。

日本は武力では中国を押さえつけましたが、遂に民衆の支持を遂に得られませんでした。
その事はアメリカのベトナム戦争における、ベトナムに対する戦いと同じです。
アメリカは民衆の気持ちを把握できず、泥沼に突っ込んだのです。

日米開戦についてはアメリカが、ソ連の野望に気づかなかったことが残念です。
あれだけ大きな犠牲を出し、戦争で勝ちながら、中国に対する利権を何一つ獲得できなかったのですから。

理事 杉本幹夫


11. 武士道について(原文 英語)

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私は高校生で、武士道の歴史的な腐敗についてのIB extended essayを書こうとしています。

アジア史の授業をうけ始め、友人からこの論題を勧められました。 この論題についての資料が少ないので苦労しています。
文献かどこかのウェブサイトを紹介してくれると助かります。よろしくお願いします。

■回答

とても興味のある論題です。資料一覧を準備出来たらと思ったのですが、英語で百年前に侍の倫理入門について新渡戸稲造が書いた「武士道」以外に思い当たるものがありません。

Amazon.com.Japanでは83件ありますが、ほとんどが日本語で書かれています。
Yahoo USAではなくYahoo Japanで(他の検索エンジンでも同じですが)、キーワードを英語で検索してみてください。このようにして私は「武士道」、「侍」についてのサイトを見つけましたが、内容が信頼できるものかどうかは判りません。

貴方の論文を書くのにおそらく現在の日本社会、社会心理についてのサイトも調べておく必要があると思います。

http://www.coconet.ne.jp/NetBunko/matsuno/
http://www.pdfworld.co.jp/bushidou/e_top.htm

ご健闘を祈ります。
ところで、IB extended essay とは何ですか 教えてください。

会員 野口ひかる

    

■投稿 2

貴方のe-mailによるお回答、ご協力有難うございます。

私はIB ((International Baccalaureate(国際学士?))の学生ですが、ご質問の IB とは基本的に、挑戦してみたい高校生の2年間のコース(11年と12年)です。通常の11 年、12年のクラスとは学科や基準が違います。11年の時に指定された基準に則った論題を選択し、4000語の大論文 (Extended Essay)を書かなければなりません。

そして世界のどこかに送り、誰かに査定してもらうのです。基本的にはこのようになっています!