1.映画ムルデカについて

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私は、インドネシアに何人かの若い友人がいますが、彼らはインドネシアの独立に、日本兵がいっしょに戦った事をまったく知りません。彼らが唯一知っているのは、日本兵がどれだけ悪いことをしたことです。

私は彼らにいろいろ日本兵がインドネシア人のために戦ったことを言うのですが、あまり信じたくないみたいです。そこで、今回の映画ムルデカなのですが、私の友達によるとインドネシアでは上映しないみたいです。インドネシア人によると、この映画はインドネシア人を見下しているように映るらしです。やはり、インドネシアも中国や韓国と同じような、歴史認識なのでしょうか

■回答 1

先日お答えしました、自由主義史観研究会スタッフのヤン・ウェンリー(ペンネーム)です。

ムルデカは、インドネシアでも公開します。封切りは、8月17日の独立記念日の前を狙っているということです。ですから、インドネシアの人たちにも、古老の方々を通して一体あの戦争がどのように行われたのか、知ってもらう非常によい機会になると思います。土屋競様(元大尉:ボゴール錬成隊教官)からお手紙をいただきましたので、この件についてはまず間違いないと思います。

あなたがおっしゃるように、インドネシア人を見下すことを意図して作られたのであれば、誇り高いインドネシア軍があそこまで協力してくれるはずがありません。

また、今から2年ほど前の月刊日本には、インドネシア軍退役中将で元ジャカルタ市長のチョコロプラノロ氏のインタビューが残っていますが、彼は日本軍のビンタは確かにインドネシア人には屈辱的だったが、そこには『早く強くなれ』という思いが込められていたと述懐しています。

バックナンバーを取り寄せてお読みになってはいかがでしょうか?
ではでは。

会員 ヤン・ウェンリー


2.韓国への謝罪

■投稿

昨日と今日3時間ぐらいかけて、特に韓国関連の歴史資料を読ませていただきました。韓国や朝鮮に日本が貢献したのもよくわかりましたが侵略に対する謝罪とは区別するべきだと思います。

感謝されるところも多いのは理解できましたが、だからといって謝罪はしないというのはいかがかと思います。通り魔ではないですが、一方的に相手に傷を負わせ瀕死の重傷で病院に担ぎ込まれ、治療の過程でガンが見つかりついでにガン治療をして、命が助かった人に対して、「俺が危害を加えたおかげで今の命がある」だから謝罪しないと言ってるのと同じです。

感謝されるべき部分と謝罪する部分をごちゃまぜにして意地をはってるとしか思えません。傲慢です。韓国には行きすぎた日本批判に謝罪を求め、日本は侵略行為に対しきちんと謝罪するのがマナ−じゃないでしょうか?

■回答

我々のHPを3時間もかけて読んでいただき有り難うございました。

後少し私のHP http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/、特に「4人の外国人の見た当時の朝鮮」を今少し読んで又メールして下さい。

当時の朝鮮の人民が如何に搾取されていたか分かります。その惨状から如何に逃れようかと考えたのが、一進会であり、李完用首相でした。特に2回も自宅に放火され、胸を刺されて尚、朝鮮発展のためには、日本を頼るしかないと考えた、李完用首相の心中をどのように考えられますか。

理事  杉本幹夫


3.小泉首相の靖国参拝について


■投稿

新首相の小泉純一郎は積極的なまでの靖国神社公式参拝意志を隠そうとはしない。突出しているとさえ言える。小泉は日本という国の代表者でもあるのだから、ただの議員が積極的なのとは意味合いが異なってくる。

アジアで仕掛けた戦争に対する考え方――戦争観に関して国家の姿勢を方向づける意思表示と受取られるのは間違いない。

但し、予想される内外の反撥をかわすために、私人として参拝するが、記帳は内閣総理大臣小泉純一郎となると、例の如くのトリックでやり過ごすらしい。

積極派の理論は、「国のために尊い命を捧げ、犠牲となったのだから、参拝し、追悼するのは当然」と言うものだが、例え尊い命であったとしても、過った国家のための過った犠牲だったのである。肯定的な行動様式だったとは決して言えない。

それを英霊として顕彰すると言うなら、組を守るため、組長を守るために命を捧げたヤクザ・暴力団員も、同列のこととして肯定的な存在=英霊として顕彰することも社会的に許されることになる。あるいは死刑となった場合の麻原彰晃を殉教者として,神としてオーム真理教(現アレフ)信徒が称え祀り、肯定的存在と化したとしても社会一般は何ら批判することもできなくなる。

過ちは過ちとして明らかとし、二度と過ちを犯さない教訓、いわば否定的な行動様式・否定的な存在様式の見本とすべきで、それをしない参拝は、暴力団行為や麻原彰晃の生きざまを肯定するのと同じく、かつての戦争を肯定する行為につながるのみである。

2001/5/14.「朝日」夕刊に、『靖国神社の参拝首相改めて強調』と題
する記事が載っている。

そこで小泉首相は次のように言っている。「『戦争を二度と起こしてはいけないという気持と、家族や国のことを思って戦争に行かざるをえなかった人への敬意を込め、総理として参拝する。批判はあろうと、日本人として自然なこと。宗教との関係はない』」  

小泉純一郎のこの主張には、やはりその当時の日本国家のありよう・日本国家の内容に対するのと、その国家を国民がどう受止めたかの検証が完全な状態で欠落している。国家の命ずることなら、その理非・善悪を無視して、無条件・無定見に同調・従属するのは愚かしいだけの付和雷同の行動様式に過ぎない。

だからこそ、強制労働・強制売春・虐待・虐殺があれだけの規模・件数とな
り得たのである。本人は気づかないだろうし、認めることもしないだろうが、「戦争を二度と起こしてはいけない」と言いつつも、国家・国民のかつて存在様式を検証せずに「家族や国のことを思って戦争に行かざるをえなかった」としているところに、まずはそのような日本人に対する肯定意識を、そして 日本の起こした戦争に対する肯定意識=国家そのものに対する肯定意識を象徴的に集約させている。

日本の政治家の靖国神社参拝は「暴力団行為肯定次元の検証なき参拝」だとする先の主張と照合させるなら、「組長や組のことを思って出入り・抗争に向かわざるをえなかった組員への敬意を込め、総理として参拝する」ことも可能とすることができることになる。

非会員 手代木恕之http://www2.wbs.ne.jp/~shiminno/


wbs08540@mail.wbs.ne.jp

■回答

私は小泉さんの勇気ある決断に全面的に賛成するものです。

確かに貴方の言われるように、「組を守るため、組長を守るために命を捧げたヤクザ・暴力団員も同列」との考え方も一理あるかと感じました。

やはり「その当時の日本国家のありよう・日本国家の内容に対するのと、その国家を国民がどう受止めたかの検証が完全な状態で欠落している」との主張は理解できます。

では当時の世論はどうだったのでしょうか。圧倒的に開戦支持です。この事は当時の新聞、雑誌から検証してみてください。

この世論形成は決して軍や政府の規制によるものではありません。支那事変の始まった頃、政府も参謀本部も拡大反対でした。所が朝日新聞その他の新聞が「暴支よう懲」を主張しました。

特に通州において、在留日本人が多数、文字通り極めて残忍な殺し方で虐殺されたことに日本人すべてが憤激しました。この事が現地軍をして日本政府の方針を逸脱して支那軍を攻撃することになりました。それをマスコミは諸手を挙げて賛美しました。

この事がますます現地軍を増長させ、政府も容認せざるを得なくなったのです。

その事がアメリカの反発にあい、ついにはABCD包囲網により、石油の輸入の道を閉ざされました。

アメリカの要求は中国からの全面撤退です。マスコミは当然絶対反対でした。もしそこで政府がアメリカの要求を飲んだら、恐らく国内に暴動が起きたでしょう。

勿論そこまでの過程で何とかならなかったかという意見もあります。当時の為政者にマスコミの意見を無視する英断が出来なかったことに彼らの政治責任を感じます。

しかし戦争でも、企業でも徹底的に破れる前に撤退の決断をすることは極めて困難な事です。大東亜戦争で亡くなった人たちは決っして少数の為政者の判断ミスの犠牲になったのではありません。国民の総意の犠牲になったのです。

更に言うとルーズベルト大統領の判断ミスによるものでした。ルーズベルトは共産党の脅威に関して、軽視していました。

日本が中国から撤退するとアメリカは中国市場で有利になると考え、日本の排除に熱中しました。しかし結果はソ連にとられ、アメリカも又中国市場から撤退せざるを得なくなったのです。

私は間違った判断だったにせよ、国民の総意の犠牲になり、国のために亡くなられた英霊に心から敬意を表します。

理事  杉本幹夫

討論

■投稿者

≪支那事変開始時、軍や政府には当然ながら、拡大賛成派と反対派の両論ありました。しかし主流は拡大反対派でした。このように両論ある中で、どうしてマスコミは「戦争支持の気運の盛り上げに」情報規制するのでしょうか。しかもトップの政策と相反する方向に情報規制したとは思えません。≫

と言うことですが、日本人の行動様式は歴史的・伝統的に集団主義・権威主義を原理としています。国家と国民というレベルの関係性で言えば、国家の支配・強制に国民が同調・従属する作用性として働きます。

天皇を錦の御旗として徳川幕府を倒した明治政府が国民統合の手立てとした、天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする国体観念を引き継いで、昭和初期の日本の政治権力者・軍部は、当時の国際的緊張関係がもたらす対外危機の中で、なお露骨に天皇主義を前面に押し出して国論統一・国民統合の方便とし得たのは、日本人が集団主義・権威主義を行動原理としていたからだと言えます。

1930年代の国体明徴問題や、文部省が刊行し、全国の学校や官庁に配布しただけではなく、中等学校入学試験にも出題して国民に天皇主義意識を植えつけた『国体の本義』はその流れとしてあったものです。
そしてその核を成す思想は、「天皇ヲ以ッテ現御神トシ、且ツ日本国民ヲ以ッテ他ノ民族ニ優越セル民族」だとする集団主義的・権威主義的考えを原理としたものです。

その思想は、明治から昭和初期にかけての日本の近代化と言うよりも、欧米列強に対等な富国≠その植民地主義の後追い・模倣で実現すべく、距離的に手が届くものとして東アジアの国々の植民地化を図り、実現化していく大義名分としても必要だった。

その具体的象徴としてあったのが富国強兵≠フスローガンであり、国家目標だったのではないでしょうか。天皇主義とは、常に個人を否定し、全体(国家・集団)を絶対とする、少なくとも最優先する思想です。言い換えるなら、≪最高権力者は政府ではなく、マスコミ≫ということはどのような場合においてもあり得なことで、マスコミの意識も、国民の意識も、初期的には暗黙のうちに、最終的には過剰なまでの検閲的誘導によって、そのような国体論≠フ反映としてのみ、その活躍の場を許されていたのであり、裏を返せば、制限つきのものとしてあったのです。

植民地主義に関しては欧米もその罪を負わなければなりませんが、後追いした、いわば模倣犯であった日本も罪を免れることはできません。もし免れることができるとしたなら、人殺しをしておいて、他にも人殺しをしている人間がいるではないか、俺だけではないという主張も許されることになります。私の言う検証とは、そのことです。

■回答

貴方の主張されていることと、戦線を拡大するか、否かと言うことは直接関係がありません。特に天皇主義とは全く関係がありません。

領土に対する拡大意欲は人間の本能的なもののように思います。今でも、北方領土、竹島、尖閣列島、南沙諸島をめぐって領土争いが続いています。しかしだからといって直ちに武力に訴えようとはどの国もしません。当時特に軍部に領土拡大意欲があったことは否定しません。

しかしそれを軍事活動に移すか否かは別問題です。軍事行動に訴えるためには他の列強の動き、相手の力等を考えながら定める必要があります。

当時、軍の首脳も、政府の首脳も戦線拡大に反対でした。従って政府や、軍の上層部に追随するマスコミがあって当然であり、そのようなマスコミ論調を軍の首脳部や政府の首脳部が規制するはずがありません

民衆は威勢の良いことが好きなものです。今の小泉、真紀子人気も同じでしょう。マスコミはそのような民衆の心理に迎合します。そして民衆を煽ります。その動きに逆らうものは押し流されるだけです。それが、日中両国とも共通でした。日中戦争はその勢いのぶつかり合いであり、不可避のものだったと思います。

■投稿者

≪「中国の領土なのだから、原状回復(=中国領土からの全面撤退)すべきを」との考えには抵抗があります。というのは日本軍の駐留はすべて外交交渉で認められたものばかりでした。勿論民族主義の盛り上がり、そのパワーについての認識の誤りが基本にあったことは事実でしょう。色々なトラブルに対し、日本は外交交渉で一応決着する。所が中国政府に力がないため、地方政府や民衆のコントロールがきかない。そして各地で日本人殺害事件やその他の被害が出る。そのいらいらが両国の民衆感情を刺激するとの繰り返しでした。

両国政府に認められて支那へ進出した日本人が殺されれば、外交交渉で決着するのは国としての当然の義務です。又このような事態が続けば、日本人保護のため、軍の駐留を認めろというのも当然だと思います。やはり大衆感情の恐ろしさについての認識が足りなかったという批判は分かりますが、これはこの経験があって初めて理解できる事ではないでしょうか。≫との事ですが、

日韓併合にしても、満州国建国にしても、圧倒的な軍事力を背景としたその制圧下において、いわぱ軍事力を借りた恫喝的外交で成し遂げたものです。そういった背景なしに純粋に正当な≪外交交渉で認められたもの≫とするなら、それは交渉当事者である相手国の政治権力者のみの利益から実現を見たもので、当事国国民の利益を考えたものではないことは、広範囲且つ執拗・過激な抗日運動が証明しています。

いわば、≪外交交渉で決着≫は、決着しない場合のその軍事行動を恐れての止むを得ない緊急避難的妥協に過ぎなかったか、交渉相手が傀儡的性格を有していたかのどちらかでしょう。

■回答

日本は「日本が主権を持たない国で、そこの民衆と直接交渉すること」は出来ません。必ずその国の主権を持つ政府と交渉せざるを得ません。そこで合意されたものについては、それぞれの政府はその国の民衆にその約束を守らせる義務があります。

所が当時の中国は戦国時代で、中央政府の威信は地に落ち、地方政権は中央の命令を聞きません。この場合どうすればよいでしょうか。貴方は中国へ進出した一般経済人を見捨てて、全員引き上げるべきだったと言われるようですが、それで日本の民衆は承知したでしょうか。中央政府の言うことを聞かない地方政権を武力で懲らしめろという意見が出るのが、当然でしょう。

しかし「大衆感情の恐ろしさについての認識が足りなかったという批判は分かりますが、これはこの経験があって初めて理解できる事ではないでしょうか」と言うことではないでしょうか。

韓国併合については、伊藤博文等は台湾の経験から併合したくなかったのです。台湾では領有当時、大変な反日運動が起きました。その対策に巨額の金を使い、フランスへの売却も真剣に検討されました。従って伊藤博文等は「韓国には親日的で、しっかりした政府が出来ればそれで十分」との考えでした。

併合に追い込まれたのは高宗の度重なる裏切りでした。彼は韓国政府に一言も相談せず、世界各国に密使を送りました。発覚するたびに「私は知らない」と逃げました。そこで次第に干渉を強め、併合せざるを得なくなったのです。

■投稿者

 ≪満州は日本の主権が及ばない≫というのは誤魔化しに過ぎません。

■回答

この事実は満州国建国前のことです。日本の主権が及んだ範囲は関東州と満鉄の線路の両側の狭い幅の土地だけでした。満州において中国民衆の暴行から、日本人を守るために関東軍が色々努力したと言うことです。そして謀略をもって地方政権をたたき、中央の指示を無視して満州国を作ったと言うことです。しかしその結果満州国は治安が急速に改善され、急激に発展したのです。

■投稿

満州国をつくったのは日本の政治権力と軍部であり、日本人人口増加による治安維持を図った満蒙開拓団、満州国支配の安定化を狙った満蒙青少年義勇軍も、日本政府が国策として行ったもので、常に満州国経営に日本政府と軍部は深く関わっていたのです。

しかも日本人入植者に与えられた土地の多くは現地農民から収奪したものだと言うことです。距離的に離れていただけの関東軍の暴走を許したのは、時の政府・軍部が危機管理に無能力だったからに過ぎません。日本人の危機管理無能力は集団主義・権威主義に深く関わっているものとしてあるから、歴史的伝統的なものとして現在も体質として受継いでいるのです。

大体が満州国に国籍法がなかったというのは、実質的な独立国家ではなかったことを証明しています。民族感情としては、日本国民が満州国民になることによって、「日本国民ヲ以ッテ他ノ民族ニ優越セル民族」だとする
民族的ブランド性を喪失することに屈辱と恐れを持ったということもあるでしょうが、それ以上に、軍部を含めた日本の権力者が「他ノ民族ニ優越セル」「日本国民ヲ」、満州国内の中国人と同様の国民とすることによって、「日本国民」という優越性を識別不可能とすることを恐れたからこその、国籍法の未制定だったのではないでしょうか。支配者としての日本人を常に必要としたということです。但し結果的にはよかったと思います。日本国籍はないという理由で敗戦による帰還を許されなかった可能性もあるからです。
 

≪日本人保護に当たったのは関東軍でした≫と言うことですが、ソ連の対日参戦後関東軍は日本人開拓団を見捨てて先に撤退したため、開拓団は多大な犠牲を出しています。これも、個人よりも集団・組織(国家)を優先する集団主義・権威主義の行動様式から出たものでしょう。

≪軍の意志決定≫は、戦前過剰なまでの精神論が幅を利かせたように、合理的思考によってではなく、感覚・感情に訴えるだけの情緒的な強硬論・威勢がいいだけの強がりが(例えば、鬼畜米英といった言葉、スローガン――大体が、天皇を現御神とすること自体が合理性を欠いた最たる情緒性なのですが)優位性を確保し、それへの付和雷同という非合理性によって成されたのではないでしょうか。そのような現象は現在とさして変らないものとしてあります。

その意味で、杉本さんが言われるように≪小泉人気は異常であり、この批判精神の不足、マスコミの主張が一方に偏る事から来る付和雷同性が、当時もあったと思います。この付和雷同性が日本を戦争に引きずったと思います。≫という主張は当たっていると思います。言い換えるなら、戦前の日本のファシズムは軍部を含めた国家権力と、マスコミを含めた国民との合作だと言えますが、しかし、軍部・国家権力はマスコミ・国民に対して常に比較上位権威者として位置していたのであり、それに対してマスコミ・国民は比較下位者に位置していたのです。

■回答

戦争が激化してからの報道統制は当然であり、その時期のマスコミは確かに国家権力の下位におかれていました。しかし支那事変が拡大するまでのマスコミの責任については、もっと追求することが必要だと思っています。マスコミは軍をスケープゴートにして、自らの責任を回避していると思います。

■投稿者

さらに言えば、両者の頂点に位置していたのは、例えそれが形式的なものであったとしても、精神的・心理的には現御神≠ニしての地位を与えられていた天皇なのです。

「天皇バンザイ」と言って死んでいったのは憐れなことですが、それを滑稽なことだったとしなければ、日本人はいつまで経っても自律(自立)することは不可能でしょう。自律(自立)とは、学習指導要領で言うところの、自分で考え、自分で選択・決定して自分で行動する精神です。基準を他人に置くのではない、常に基本的に自分に置く精神です。国家や社会や天皇制といったものに影響は受けるでしょうが、あくまでも自分が基本でなければ、中身のない国家・中身のない社会となってしまうでしょう。ひとりひとりが自分を基本にして成り立たせた国家こそ、中身を獲得するのだと思います。

■回答

自立精神の欠如は今日の日本の最大の欠陥であり、自立した人間を育てることが、教育の重要な目標であることは同感です。

■第3回投稿

意見が平行するようです。≪戦線を拡大するか、否か≫の決定は、天皇を現御神とし、大日本帝国憲法によって陸海軍の統帥権を与えていた以上≪当時、軍の首脳も、政府の首脳も戦線拡大に反対≫だった最大公約数の意向を御前会議に反映させて、それを天皇の意志として関東軍をも含めた軍全体に知らしめる命令系統が機能的に作動するか否かにかかっていたはずです。御前会議は「開戦・講和の可否、戦略・対外政策決定などの重要国務を審議した」(日本史広辞典)と言うことです。

関東軍がそれに反した、あるいは無視したと言うことは、権力の多層構造が存在していたからではないでしょうか。権力の多層構造は日本の歴史における宿命としてあるものだと思います。それは天皇が歴史の進展下において殆どの場合、その時々における権力掌握の当事者ではなかったことから生じたものだと思います。

大和政権すら、諸豪族の連合政権で、天皇(大王)は単なる統率者の地位にあったに過ぎないと見る歴史家もいるようです。徳川幕府打倒においても、天皇は実質的当事者ではなく、大義名分の名目者に過ぎませんでした。昭和に入って軍部が力を得ると、自己正当化の口実に天皇をなお一層利用するようになります。

確かに当時のマスコミが軍部に媚びた責任を見逃すことはできません。軍部の直接的、あるいは暗黙の意向を受けて、戦死した兵士を勇士≠ニか、軍神≠ニか、英雄仕立てする共犯行為、あるいは自ら進んで独自に軍国美談記事を捏造する単独犯行為で、国威発揚・戦意高揚の音頭を取る社会的犯罪者でもあったのは事実です。そのような媚び・犯罪は突然変異的に表面化したものではなく、体質として以前から抱えていたものが状況に流されて露礁化したものでしょう。

しかし、日本の政治が無能無策なのは、そのような政治しか行えない政治家を国政の場に投票し、送った国民に責任があるからとしても、やはり一番の責任は無為無策ではあってはならないと自覚しなければならない政治家にあるように、マスコミ以上に政府・軍部が責任を負わなければならないと思っています。

以上です。双方の意見・主張が交わることはないと思いますが、このことをキッカケに、≪支那事変が拡大するまでのマスコミの責任≫も含めて、明治から敗戦にかけての日本の歴史を正式に学ぼうと思っています。働きながらで、どこまで思い通りにいくかは分かりませんが。


4.自由主義史観研究会について教えてください

■投稿


先日申込書など頂戴しました者です。その節はありがとうございました。

実はちょっと質問なのですが、西尾幹ニさんの研究会とこちらの会は全く別なのでしょうか?根本的に考えは同じかと思うのですが、あちらは会員を募ってないのでしょうか?もしくは同じ団体でしょうか?

それから、自由主義史観研究会の会員規約に、会員がまた研究会員を増やすよう働きかけるというようなものがありましたが、私の場合まだ歴史への勉強が足らず、その中でまた会員を募るというのは難しく思います。自分がとりあえず勉強して、さらに知って、そこから少しずつ話伝えて広めていくことは可能だと思いますが。

現に我が家では主人と大きく対立し、しかし今年40歳になる主人を納得させられる情報がまだないことに口惜しさを感じております。結局私の 情報自体も受け売りということで片付けられてしまうんです。

単純に日本の教育のために立ち上がった皆さんを応援するという趣旨で、プラス日本を愛する心をもつという観点から入会するというものではだめなのでしょうか?これから子を持つ親になるかもしれない自分の未来に向けて真実の歴史を知ることは重要なことだと思っているいち主婦ですが・・。

お時間ありましたら
またお返事いただけたら嬉しく思います。
よろしくお願いいたします。

■回答

メール有り難うございました。

西尾先生の「新しい歴史教科書をつくる会」とは基本的に別団体です。

しかし「新しい歴史教科書をつくる会」の設立の中心になったのは藤岡先生であり、当初は事務局も相互に助け合っていました。

「新しい歴史教科書をつくる会」の組織が大きくなるにつれ、事務局も完全に分かれ、現在は単なる友好団体に過ぎません。

違いは「新しい歴史教科書をつくる会」が名前通り、新しい歴史教科書をつくる事が目的であるのに対し、本会はどのように歴史を教えるかという会であり、本来的には教師主体の会です。

しかし私など教師と縁もゆかりもない人間も多数入っています。それは歴史教科書をつくることも重要だが、それを如何に教えるかがもっと重要であり、その点で支援できることをしたいという考えです。

入会に当たり、「単純に日本の教育のために立ち上がった皆さんを応援する」という趣旨で十分です。会報やHP色々な会合等を覗き、話題にしていただければ幸甚です。

是非入会していただくようお願いします。

理事  杉本幹夫

■回答


お問い合わせ有難うございます。すでに当会から返事を差し上げているようですが女性の立場から追加させていただきます。

<単純に日本の教育のために立ち上がった皆さんを応援するという趣旨で、プラス日本を愛する心>というお気持ちは、多分この会に入会している者の原点ではないかと思います。

私も主婦で、実はこの会は女性の数があまり多くありません。多分当会会員に興味がある、「自虐史観にとらわれない」歴史研究というのは、「固
い」内容で、よりとっつきやすい生活密着型のものではないせいだと思います。

でも、そういったものを基盤とした教科書というのは、未来の日本人を育てるためのツールですので、その妥当性を検証・理解することは、中堅世代として必要で、ぜひご参加いただけたら と願っております。

とは言うものの、私は2年前に入会したとき、重症無知で、日露・日清戦争どちらが先だっけ?と迷う状態でしたが、今でもさほど進歩はありません。が、特定の十八番の話題になると妙に詳しかったりして…
歴史って面白い、と実感したことが収穫といえば収穫で、いつの日か孫ができたら得意げに話そうと思っています。(子どもは母親の趣味、と思っているようです。)

<西尾幹ニさんの研究会>は、「つくる会」のことだと思います。私はそちらも会報を読む程度のメンバーですが、両方入っている方も結構いらっしゃるようです。では、ご参考まで。

会員 原 明子

■再投稿

先日送付していただいた「歴史と教育」の藤岡先生の冒頭での論文の中で、韓国政府は過去を蒸し返さないこと、中国はODAなどの問題もあり日本を責めることを考えるというような内容があり、今更ながら、「ああ、他国政府は一応わかっているんだな」と思い多少安心しました。もう是が非でも
トップが日本嫌い、日本は悪と言い続けているのかという認識だったものですから・・・。

話は変わりますが昨日JRで見かけた若者が新しい歴史教科書の公民を読んでいることに嬉々としておったところで。その若者は外見からすると髪は茶髪アフロヘアで派手ないでたち、世の中に問題意識もなく暮らしているような(失礼か。)そんなタイプの方だったもので、満員電車に揺られながら書を読む姿に思わず「内容どう?」と話かけたくなりました。(^-^)
もしや反対派の方かもしれませんが、それでも先生方みなさんの想いが
一人でも多くの方の心に届けばいいなあと、そう思いました。

先日故郷へ帰り、63歳になる父にこの会のことや歴史認識の歪みについて熱弁して参りました。知識がおぼつかないので、ちょっと薄っぺらい熱弁になったかもしれないけど、「ギブミーチョコレート」世代の父にも少しは伝わったのではないか・・・と。

父は最後に「戦争はいかん。僕はどちらかというと左寄りだ」というもので、私は「戦争はいかん。だけど吉野丸で撃沈され死んでいったパパの父さんたちを責めたらあかん。」とそう言いいました。真実と心情、過去の歴史をそういう観点で捉えていくよう、そう訴えました。

でも。結構大変な作業ですよね。世の中父のような人が多いから、私みたいに熱弁を奮うと右翼だと思われる。父の怪訝そうな表情が今でも目に浮かびます。私の中にもっと真実を叩き込んでいかねばと思う今日この頃です。

長くなりましたが、このへんで。
失礼します。


5.日本の朝鮮統治について(原文英語)

■投稿

私は韓国からアメリカに留学している学生です。貴方のホームページを読み、メールしました。

私は貴方が韓国の経済発展に焦点を当てているのにショックを感じました。韓国経済が、日本統治によって発展したのは事実でしょう。しかし何のためだったのですか。日本政府は慈善家だったとでも言うのですか。

私は日本が経済的に韓国を助けたとは思わない。日本は韓国を戦争のために搾取したのである。

貴方はナショナリズムをどう考えていますか。 日本が韓国を搾取しないと言うなら、慰安婦をどう思いますか。青年を戦場に徴兵したことをどう思いますか。韓国の青年が日本のために戦おうとでも考えたとでも言われるのですか。馬鹿ではなかろうか。

日本が朝鮮を併合し、搾取した数多くの歴史的事実がある。 法的にだろうと、経済的にだろうと、どこの国の国民が他の国に支配されることを望むか。我々は国王を持ち、政府を持っていた。何故それを捨て、日本に権力を与えようと考えるか。

私は日本が如何に残酷だったかを聞きながら育った。私は祖父母からあの時代日本人がどのような生活をしていたか聞いている。

貴方は日本が中国侵略のため、首都を東京からソウルに移そうとしたことを知っているか。日本政府は多分朝鮮を植民地と考えず、国の一部と考えたのであろう。

我々は日本名を持っている。日本政府は我々に朝鮮語や、ハングル文字の使用を禁じた。私の祖父は中村と名乗った。

これでも貴方は日本が朝鮮を搾取しなかったと言うのか。 貴方は一面だけを見ている。もっと別の面も見なさい。もっと両親、祖父母、韓国人等色んな人の話を聞きなさい。

貴方のような人がいると、和解も出来ず、この悪い記憶を忘れることが出来ない。私など直接歴史的な出来事にはかかわっていないが、我々は依然として嫌日感情を捨てきらない。

この言葉を貴方はどう考えるか。 私の友人は貴方の考えと違う。私は日本人の多くは貴方と違うと信じている。貴方はもっと歴史を学ぶべきである。

間違った事実を述べたり、貴方の知識で歴史を歪曲しないで欲しい。貴方の意見などいらない。

一度韓国へ行ってみなさい。韓国で何が起きているか、植民地時代、我々が如何に独立を望んでいたか分かるだろう。

■回答

近代経営学の常識では、企業が最大利益を得る為に最も重要な事は従業員の働く意欲だと言われます。 従って雇用主は、従業員が納得できる給料を払わなければなりません。 別の言い方をするとやせた牛からは十分なミルクがとれません。

当時の朝鮮は大変貧しかった。だから日本はまず彼らの生活の安定を図りました。 併合時の総督府の予算(1911年)は52百万円で、その内12百万円は日本政府の補助金で、10百万円は日本で調達した公債でした。

この補助金は終戦まで続けられました。 個人所得税が朝鮮に導入されたのは、一九三四年であり、この時の税率は内地の半分でした。 その後次第に格差は縮まったが、それでも内地より低率でした。

又酒税でも、清酒・ビールは内地の税率より一割ほど低く、焼酎では約半分、朝鮮人が最も愛用する濁酒では日本のわずか15%の税率でした。

[

終戦時日本が朝鮮に残した資産は連合軍総司令部の調査によると民間資金を含め、52億5000万ドル(790億円)でした。 国家予算の比率で、今日の価値に換算すると80兆円を超える巨額です。

日本はこの資産に対し、何の補償も受け取っていません。それどころか、日韓基本条約で経済援助まで行っています。 戦後多くの国が独立しました。これらの国はすべて、宗主国が残した資産に対して補償金を支払っています。 これでも貴方は日本は朝鮮に何も寄与しなかったと思われますか。

イギリスの旅行家イザベラバードは、併合前の朝鮮と沿海州を旅行して、次のように書いています。

「朝鮮にいたとき、私は朝鮮人というのは屑のような民族で、その状態は望みなしと考えていた。処が沿海州ではその考えを大いに修正しなければならなかった。

自らを裕福な農民層に育て上げ、ロシア人警察官やロシア人入植者や軍人から、勤勉で品行方正だとすばらしい評価を受けている朝鮮人は、しかし彼らはなにも例外的に勤勉なのでも倹約なのでもないのである。

彼らは大半が飢饉から逃げ出してきた飢えた人々であった。そういった彼らの裕福さや品行の良さは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、私は、朝鮮人は徐々に普通の民族となりうるのではないかという望みを持った。

慰安婦は単なる娼婦です。当時は日本も朝鮮も貧乏でした。多くの女の子は親により娼婦として売られました。しかし彼女らの年間所得は陸軍中将とほぼ同じでした。

支那事変の始め、金錫源少佐は日本兵を率い大活躍していました。マスコミはその活躍を連日報道しました。 3.1独立運動のリーダーだった李光洙や崔南善らは熱狂的に、打倒米英を叫びました。

その熱気に煽られて、志願兵の募集に最初の年が7倍、終わり頃は50倍以上の応募者がありました。後に駐日大使になった崔慶禄は陸軍士官学校に合格しながら、士官学校へ行っていては時期を失すると、所属の連隊と共にニューギニア戦線に出征、重傷を負いました。

改名について、南総督は3回も通達を出し、強制を禁じました。だから洪思翊中将や金大羽慶北道知事等は日本名を持ちません。

当時の総督府の官僚だった八木信夫によると、警察関係は当時の警務局長が反対だったため、改名には消極的だったとの事です。

熱心だったのは地方官僚だったといいます。当時郡守、面長は基本的に朝鮮人でした。従って強制の主体は朝鮮人の地方官僚だったと考えられます。

異民族支配=悪という考えは誤りです。戦後、日本はアメリカの支配を受けましたが、悪いこともあったが良いこともありました。 前述のイザベラ・バードのコメントを見ても、当時の朝鮮での、一般大衆に対する両班の搾取のひどさが窺われます。

スターリン、ヒトラー、毛沢東、金日成等に支配された国民は幸せだったでしょうか。毛沢東に支配された中国国民より、イギリス支配下の香港市民の方がよっぽど幸せだったのではないでしょうか。

私は貴方が正しい歴史をもっと学ぶことを願います。

理事  杉本幹夫

■投稿 2

お返事有り難う。しかし日本が韓国を併合したのは韓国を改善し、発展させるためだったって? では同化のことをどのように説明するのだ?何故3.1独立運動を弾圧したのだ。

他の国を助けるのに併合する必要があったのか? 慰安婦のことをどのように説明するのだ。青年の戦場への連行をどのように説明するのだ。日本は朝鮮人を同化しようとしていた。これをどのように説明するのか。

このような状況で朝鮮人が幸せになれると思うか。 君はお金で人間が幸福になれると思うか。我々のアイデンティを失って幸福になれると思うのか。

貴方は中国や社会主義国と比較するなど悪い例を持ち出している。私は社会主義国にも植民地にもなりたくない。我々は日本からの独立を願ったのである。

貴方は 韓国の反日感をどのように説明するのだ。もし日本政府が朝鮮人を日本人と同じように扱ったなら、韓国人は植民地時代はひどい時代だったと言うかね?貴方は右翼か。

学習院大学の坂本多加雄教授が「第2次大戦中の慰安所はトイレのようなものだったと言ったことをどう思うか。彼は慰安婦の事実を認めている。

それは搾取だ。君は搾取の意味を知っているのか。それは単なる気晴らしではない。 これらのことを説明できたら、又メールしなさい。

所で日本の歴史教科書についてどう思いますか。歪曲していると思いませんか。私はあの教科書は認可すべきではないと思う。

あの歴史教科書は二国間の相互関係を損ねると考える。又あの教科書には南京事件の記載がない。その事をどう考えるか。

日本は他の国を助けようとしたことがあるか。貴方は侵略主義者の政策をそのように説明している。 日本は殺戮者だ。

もう一つの例を出そう。731部隊による人体実験だ。アメリカはこの人体実験のデータを要求したと聞いている。

貴方は民族主義的視点から見た経済発展だけでなく、このような視点から見た事実も書くべきである。 貴方の回答を待っている。

■回答

開港後、日本の商人は朝鮮に進出しました。6年後朝鮮は清国と条約を結びました。それにより清国の商人も朝鮮に進出しました。 その結果日本と清国の商人との競争が激化しました。

壬午軍乱により袁世凱が朝鮮に駐在することになりました。その結果、清国の発言権が強くなり、日本商人は圧迫されました。

甲午農民戦争が勃発し、朝鮮は清国に救助を要請しました。日本はこれ以上清国の発言力が強くなることを恐れ、日本も出兵しました。これは天津条約及び済物浦条約によるものです。

それと同時に、日本政府はこのような内乱が起きるのは、朝鮮の政治が紊乱しているからだと考えました。 そこで日本は内政改革の要望書を朝鮮政府に提出しました。

日清戦争の始まりです。日本は清国に勝ち、甲午改革、乙未改革が始まりました。 しかし日本の影響が強くなることを嫌った閔妃は、ロシアに接近しました。ロシアは日本が最も警戒していた国です。三浦公使は閔妃を殺害しました。

これは最大の愚策でした。高宗がロシア大使館に逃げ込み、改革を主導していた金弘集総理は殺され、食べられました。これにより改革は中止されました。

この甲午改革、乙未改革がそのまま進んでおれば、日本は韓国を併合することはなかったと思います。

高宗がロシア大使館に逃げ込んだことにより、ロシアの発言権が強くなり、日本商人は色々不利益を受けました。

日露戦争が始まり、戦況が有利になると、財政顧問と、外交顧問を雇わせました。それと共に欧米諸国の了解を取り、日本は朝鮮を保護国にしました。これは今までの高宗の度重なる裏切りを防ぐためでした。

これと共に伊藤博文が統監として韓国に乗り込みました。 伊藤は韓国に安定した親日的な政権が出来れば十分と考えていました。

台湾の経験から考えて、直接統治はお金がかかるからです。 尚フランスも1880年くらいに、直接統治から、間接統治に政策変更をしています。理由は同じく直接統治はお金がかかるからです。

ところが1907年高宗はハーグ密使事件を起こしました。日本も怒りましたが、韓国内閣も怒りました。内閣に無断でこのような行動をとった高宗を退位させてしまいました。

この時の民衆の怒りに恐怖を感じた伊藤は、日本の軍隊の到着を待ち、韓国軍を解散させました。 失業した兵士は全国に散り、義兵運動の主力になりました。

伊藤は第3次日韓協約で干渉を強めました。しかし義兵運動はなかなか収まらず、伊藤も併合を決意するに至ったのです。

この経緯を見ますと、次のようなたとえ話になるかと思います。

日本の近くに経営不振で従業員が苦しんでいる会社がありました。心ある社員は日本に経営指導を要請しました。 社長は日本の指導を嫌い、勝手なことをするため、改革は少しも進展しませんでした。

その会社を支配下に置くことは日本にとっても色々メリットがありました。遂に日本は朝鮮社を関係会社にしました。

日本は社長を送り込み、今までの社長を会長にしました。 しかし会長が勝手なことをするので、会長を引退させました。

しかしそれでもなかなか改善が進みません。 次第に干渉を強め、遂に合併に至ったと思います。

慰安婦、兵役については前回述べました。 前回も述べたように異民族に支配されることは必ずしも不幸とは思っていません。

外資系の会社に勤めることが不幸とは限らないのと同じです。 又占領下の日本の事も述べました。

ウィルソンは民族自決を主張しました。その結果コソボ等で住民は不幸になっています。一方アメリカでは民族の如何に関わらず、アメリカ人としてアメリカに忠誠を求め、同化を求めています。

日本も同じです。人種を問わず日本という国に忠誠を求め、同化を求めました。ただ日本は戦時には一寸焦りすぎたきらいがあります。

お金は人間を幸せにするとは限りません。しかしお金がないことのつらさは、経験のない人には分かりません。 常に飢えと病の不安から逃れられないつらさは現在の豊かな朝鮮人には分からないでしょう。

しかしアフリカの難民のテレビを見て、貴方は彼らが幸せだと思われますか。

搾取については前回も述べましたが、搾取されていたのはむしろ日本だったのです。日本より安い税金しか取っていません。

新しい歴史教科書を貴方は読まれましたか。マスコミの誤った報道だけで、勝手なことを言わないでください。

■討論 3

■投稿

併合は清国、ロシア、日本等の脅迫から始まったかもしれない。それらの国の中では朝鮮は最も弱かった。それで列国は朝鮮を脅し、ナショナリズムの高揚の中で、搾取のために併合しようとした。

そこで朝鮮政府は他国からの侵略に対する保護のため日本を選んだ。時が過ぎると日本はその領土拡張の野望を明らかにし、より積極的に、好戦的になってきた。

それが日本が朝鮮を同化し、中国への道を完成しょうとした理由である。そして首都を東京からソウルに移し、侵略をより容易にしようとした理由である。

■回答

日本は首都を東京から移したことも無いし、誰もそのようなことを望んでいませんでした。

■投稿

教科書の修正論者は、慰安婦問題は幼い子供に教えるのは適当ではないとして、教科書から省きました。

■回答

教科書出版社の中には貴方の言うような事を言っているところもあります。しかし日本人大多数は彼女らは単なる娼婦であり、陸軍中将と同じくらい収入があったことを知っています。そのような高所得者を貴方は性奴隷だと思われますか。私はそうは思わないし、日本人の大多数もそうは思わないでしょう。

従って幾つかの出版社はこの記事を省いたのです。

■投稿

南京虐殺も根拠のない事件だったって?多分そう言われるでしょう。しかし民衆は知っています。

■回答

南京事件については文部省の指導によってすべての教科書が記載しています。しかし20万人しか居ない所でどうして30万人も殺せるのでしょう。この事件は非常に疑問の多い事件であり、未だに議論が続いています。

■投稿

更にある政治家は前線の慰安婦は日本兵の便所のようなものだと言った。私はこの政治家の名前を知っている。だけど忘れた。この種の問題は韓国人の怒りを呼び起こす。 私は古いドキュメンタリー映画を見たことがある。それは日本からの独立後、民衆が幸福になった姿を描いたものであった。私の祖母は以前、日本の警察が如何に民衆を脅したか話してくれた。貴方も一度その年代の人に話を聞いてみるべきだ。すると朝鮮人が日本人をどのように考えていたか分かるだろう。

■回答

独立により力を得た人は幸福になり、力を失った人は不幸になる。日本の統治の初期は色々な問題が起きました。そして3.1独立運動が起きました。しかし3.1独立運動の指導者であった李光洙や崔南善は親日運動の指導者になりました。大衆はマスコミの影響を非常に受ける者です。

■投稿

貴方は経済発展や、朝鮮保護といった当初の目的を言うべきではない。当初の目的がどうであれ、それは日本のために変わったのだ。勿論日本の植民地時代に経済発展をしたことは認める。しかしそれは朝鮮人の為ではなかった。経済力の大半は日本本国から来た人に与えられた。朝鮮人で力を得た人は愛国者ではなかった。朝鮮人であっても彼らの利益のために朝鮮人を搾取したのである。

■回答

朝鮮の発展は、前に書いたとおり、日本人のためであり、同時に朝鮮人の為でもあった。

■投稿

韓国政府は今日教科書の改訂について、日本の植民地支配の残虐さを告発するよう公式に要求を提出すると、昨日発表した。韓昇洙外相は寺田大使を呼び、今朝要求を伝える予定である。韓外相はその時、韓国の立場から、教科書の疑問点を書いた文書を渡す予定である。 韓国の学者は8つの教科書の間違った箇所や、歪曲された箇所、約30乃至40カ所まとめた文書を作成した。各項目は韓国側の視点で書かれ、「世界的に認知された歴史であり、日韓双方の学者の研究に基づくものだ」と政府は言っている。

■回答

それは国際的に認知されたものではなく、単に韓国の立場で書かれたものに過ぎない。

■投稿

問題は慰安婦や強制連行の記事が教科書から省かれたり、矮小化されたことである。

他の問題は古代の朝鮮半島にあったとされる日本の植民地の問題である。

■回答

私は韓国の学者が教科書を精査したところ、訂正要求すべき事項が余りにも少ないため、古代の問題を持ち出したのではないかと考えている。

■投稿

今ひとつの問題点は、東アジアの安定と、西欧諸国の支配をはねのける為に、1910年に日本が朝鮮を占領したという記述である。

東京とソウルで、両国の政治家が二日前から教科書問題について話し合っている。

民主党党首の鳩山由紀夫は昨日金大中大統領及び韓国の政党のリーダーと会っている。又彼は水曜日には韓外相とも会っている。 鳩山は教科書に批判的な政治家の一人である。彼はこの教科書は間違いが多いので、学校で使うべきでないと言っている。

日本の政治家は彼同様、素早く、友好的な声明を出すべきである。そうしないと両国間の有効にひびが入るだろう。

■回答

鳩山が帰国したとき、彼の所属する民主党の教科書調査委員会は、鳩山の声明は党の見解と異なると非難しました。

■投稿

金大統領はこの問題を前向きに解決するよう、日本政府に協力を要求しました。

■回答

賛成です。そして両国の国民がマルクス主義に汚染されていない正しい歴史を学ぶ事を願います。

■投稿

鳩山は又韓国議会の李広報官に日本の教科書検定システムに反対であり、日本は在日韓国人の地方参政権を認めるべきだと言いました。

東京では韓国の金Han-gill 文化相が日本の遠山文相に会い、教科書の修正を要求しました。彼は問題の教科書の認可は1998年の有効宣言の精神に反すると主張しています。

この宣言には両国首脳が調印したもので、日本の植民地支配によって韓国国民が受けた苦痛に、日本政府は遺憾の意を表しました。 日本政府は政府の立場について、この教科書は厳重で公正な審査によって認可されたものであり、これ以上の修正はないと言っています。

この日、崔相龍駐日大使は田中真紀子外相と会い、この教科書に対する韓国の立場を説明しました。田中外相は「日本はこの問題を解決するに当たり、1998の共同の宣言を尊重する」と言ったと伝えられている。

■投稿 4

私は、あなたの回答を評価します。そしてあなたの時間をとらせたことに対して礼を言う。

私は依然あなたと異なる見解をとる、しかし、それには私が反日的である事をを意味しない。私は、あなたとの討議に感謝するとともに、私がこの問題がすぐ解決することを願う。そして、2つの国の将来的な関係が傷つかないことを願う。

又疑問が生じたとき、あなたに電子メールを送りたいが、差し支えないか。 私は、私の日本の友人とこの問題を議論したい。彼らは、あなたとちょっと異なる意見を持っている。私は、あなたに私の友人がこの問題についてどのように考えているか知らせる。

私は依然併合はすべきでは無かったと考えている。併合は韓国に何らの利益をもたらさなかった。いずれにせよ苦い歴史であった。我々はこの併合中に我々の歴史の事実も本も失った。又国家の宝物は、日本へ持ち去られるか、売られた。

私は両方の立場について、より多くの調査と討論を必要とする。そして、又いつの日かあなたと議論しよう。あなたに感謝する。

■回答 4

私を評価していただき有り難う。私も又いつの日かあなたと又議論したい。

マルクスは、資本家は労働者の敵であると言った。しかし今は、資本家と労働者はビジネス戦争に勝つ為の戦友である。ビジネス戦争に勝つ為には他の会社と合併する。この場合、幸福になるひともおれば、不幸になる人もいる。これは、韓国と日本の関係と同じである。