1.空襲について

■1回目投稿

貴会の記述は、全体的には感情的であって、理性的ではありません。独善的で、物事を一面的荷しか捉えていません。この記述は、被害者的です。

例えば、「アメリカは、原子爆弾で数十万人の人々を殺し、後遺症で多くの人々を苦しめました。さらに、日本全土の主要な都市を空襲し、数十万人の人々を焼死させました。この場合は、目標が軍需工場ではなく、多くの人が住んでいた都市の中央地域でした」については、

@連合軍は、早めの降伏等で予告しており、かつ兵器製造拠点を中心の爆撃でした。そうであったから、当時子供であった我々が、疎開などして生き延びれた。

A原爆は、当時の政治家が、降伏を、もたもたして、決断をしなかった事が原因です。強力な新型爆弾ができたことは、政府もとっくに知っていた。

結論は、切羽詰って、「窮鼠猫を噛む的」に、物量的に、思想的に(天皇の信奉する神道とはとても比較にならない)圧倒的優勢な大国を相手にすることは、50年前も、今後も、現に戒めなければならない事です。    

■回答 1

1点だけ反論しておきます。

私は富山県出身ですが、8月1日の空襲で被害にあったのは、富山県最大の軍需工場であった不二越ではなく、富山市の中心部だったことです。
当時になると軍需工場を爆撃するより、一般市民を恐怖に陥れ、戦争意欲を殺ぐことが最大の目的になっていたのです。


理事 杉本幹夫

■2回目投稿

米軍は、確かに京都、奈良、金沢等以外の、文化財のない一般都市を空襲し、5歳の私と7歳上の姉と二人、遠い親戚の、富山市郊外の轡田へ疎開し、真っ赤に燃え上がった富山市の、夜間の空襲の様を遠いところから、家を守るために残っていた両親は、無事だろうかと、心配しながら、泣いて佇んで見ていました。後で聞いた話では、松川では、沢山の犠牲者が出たとのことでした。家を守っていた市民の人達は、恐怖に陥入ったと思います。

空襲警報中、父は、商売のため夜間、灯りをつけなければならず、その灯りが、外に漏れ、夜回りの警備の人から、しょっちゅう怒られていましたが、父は、「米軍はレーダーで、目標を掴んでいるから、灯りは無駄な事」と、反論していたと、母は言ってました。

その後、日本が降伏して間もなく、最愛の姉が、食料不足で、栄養失調、さらに病気に罹り、薬不足で、亡くなってしまいました。

罹る不幸は、何故起きたか、後世、考えてみました。もっと早く、政府が勇気を持って、国民の事を思って戦争を止めておれば、と。あの時、天皇が軍部に対して、強行に威厳を持って、犠牲愛で、戦っておれば、私達国民が不幸にならなっかたのでは?と、思います。

まあ、過去の忌まわしい事は、死なない限り、忘れられませんが、軍部や、アメリカに恨みを持つ事でもなく、二度とかかる不幸な事態に陥らないように、外国に対して、働きかけて行かねばならないのでは?自分だけの、自国愛だけの、過去の感傷に浸っていてはいけないのでは?と思います。

■回答 2回目

私は高岡市の出身で、母の実家の井波にいました。空が真っ赤になっていたことを思い出します。
姉さんが早世された由、真に無念だった事と推察します。

日本はもっと早く降伏すべきだったとのご意見、戦後の米国の寛大な施策を見ますと、そのような考えになるのはよく分かります。
しかし降伏は相手のあることです。アメリカは無条件降伏を要求していました。又日本は終戦の斡旋をソ連に頼りました。ソ連に頼ったのではだめなのは明らかです。この点日本の情報網の無力・判断の甘さを感じます。

古来降伏の決断は最も難しいものです。企業も同じです。赤字部門の撤退の時期を間違えて、本体ごと潰れた会社は極めて多いと思います。
私は明治維新があの程度の混乱ですんだのは徳川慶喜の決断によることが極めて大きいと思っています。勝海舟があれだけ活躍できたのは、徳川慶喜の決断あったからだと思っています。しかし世間では徳川慶喜の評価は如何ですか。低いと感じませんか。

私は2度とあのような不幸を招かないためには、あの戦争の原因をしっかり把握することが、最も重要だと思っています。この事は勝者の理屈を無批判に受け入れる事ではないと思っています。やはり双方の言い分を正しく理解することから始まるのではないでしょうか。そして貴兄が言われるように英語で発信することが大事だと思っています。その為に無力ながら英語の頁も作っている次第です。

理事 杉本幹夫


2.歴史教科書について

■投稿

こんばんは。僕は高校の生徒です。土地柄か大変右翼に対し考えさせられることが多々あります(〇〇神宮を初め、天皇に関する遺跡がそこらじゅうにある)。

このHPは自由主義史観研究会と銘うってあるようですが、かなり右寄りに感ずるのは気のせいでしょうか。韓国や中国を侵略した歴史はどうやっても変わりません。たとえそこに「アジアの開放」などの素晴らしい目的があったとしてもです。(そんなものはただの幻想に過ぎませんが)

結果として日本はアジアに対し何ができたでしょうか。ただ圧政と民族の誇りを奪っただけで、後にはおびただしい数の死体が転がっているだけです。欧米諸国が植民地政策をとったら日本も同じ事をしてよかったのでしょうか。あの歴史教科書はただ美化された事実を優しく書いただけです。

それは歴史ではありません。歴史とは主観ではなく客観に基づくものです。あの神話を読むことが悪いといってるわけではありません。日本が犯した罪を載せて欲しいのです。なにが自虐的でしょうか。それこそがもっとも尊い教訓ではないのではありませんか。第二次世界大戦で死んでいった人たちを無駄にするつもりなのでしょうか。

そんな教科書で日本が良くなるのでしょうか。何も良くなりません。日本人の誇りとは戦争を美化するだけで生まれるものではないはずです。もう一度日本人の誇りと教科書について再考なされることを願います。

■回答 

メール有り難うございます。

アジアの解放は幻想に過ぎないと書いておられますが、インドネシアやビルマの独立戦争に大勢の日本兵が脱走し、彼らと共に戦ったことを忘れてはなりません。日本が独立運動の闘士を訓練し、イギリス軍に引き渡すべき兵器を独立軍に横流しし、脱走兵が彼らの戦闘を指導した功績を忘れてはなりません。詳細は当会のHPの中のQ&A(http://www.jiyuu-shikan.org/faq/index.html)のQ−03を見てください。

第2次世界大戦の世界史的に見た最大の意義は、東南アジア諸国の独立です。貴方はこの独立についての日本の貢献に否定的のようですが、上記HPを見られると多少は考えが変わるのではないでしょうか。

この東南アジア諸国の独立はアフリカ諸国の独立運動に火を付け、アメリカの黒人解放運動につながりました。今日人権問題のリーダーを自認しているアメリカが、黒人の大リーグ加盟を認めたのは戦後であり、黒人の選挙権を認めたのは1964年であり、それまでは一流レストランには黒人は入ることを許されなかったのです。所が東南アジア諸国、アフリカ諸国が独立すると、それらの国の要人を差別することが困難となり、黒人の差別禁止に繋がったのではないでしょうか。

日本のアジア進出による功罪は多様です。
まず韓国について言えば、韓国歴史教科書の歴史の歪曲はひどいものです。詳細は小生のHP日韓関係の近現代史
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/ を参考にして下さい。私は韓国については功の方が罪より遙かに多かったと思っています。

中国については何故日本が中国へ進出しなければならなかったか、よく調べてください。端緒は日本の拡大意欲であり、日本側に非があるとしても、問題は中国側の約束不履行です。度重なる排日侮日運動、外交交渉による見かけの解決、その条約の不履行、それに対する日本の怒り、その繰り返しです。南京事件については中国側の歪曲に過ぎず、中国による日本人居留民の虐殺事件(通州)は書こうとはしません。又日本による政治の安定、経済発展を期待する人たちも多数いました。

戦場においてゲリラの問題は困った問題です。昼間平和な民間人の顔をし、夜になると兵士になり、日本兵を襲う。虐殺事件の多くはこのゲリラとの戦いだったのです。
犯人が分からないため、どうしても取り調べは過酷となり、甚だしいときは皆殺しにしろと言うことになります。南京、シンガポール、マニラ皆然りです。

シンガポールでは支那人がゲリラとなり、日本兵と戦いました。支那事変が継続中であり、支那人が反日的なのは当然です。一方イギリス人、支那人の支配下で苦しんでいた、マレー人は日本兵を歓迎したのです。

フィリピンは戦前すでに独立が約束されていました。その為東南アジア諸国の中では最も反日的でした。従って東南アジア諸国の中では最もゲリラが活発でした。

歴史は多様です。左翼による歪曲された歴史のみを学ぶことなく、広く多様な歴史を学び、歴史の中から多様なことを学ばれることを期待します。

理事 杉本幹夫


3.永住外国人地方参政権問題について

■投稿

わたしは栃木に住んでいる高校生です。ちょっと疑問に思ったことが あったので、メールしました。

今日、授業で外国人参政権の問題について話がでました。 先生は、「参政権が欲しければ、帰化すべきだという人がいるが、旧植民地出身者
の人々にとって、この意見は許せないものだろう。もともと、彼らは日本政府によって強制、もしくは間接的強制により日本へ連れてこられた。第2次世界大戦が終わり、しばらは彼らを日本国籍の保持者と認定していたが、1952年発行のサンフランシスコ講和条約により、彼らは選択する余地もなく、日本国籍を失った。もしかすると、日本国籍を持つ事を望んでいた人もいたかもしれない。そのような背景のある彼らに参政権が欲しければ、帰化しろというのはあまりにも無責任すぎる意見だ。」
というようなことをいっていました。

わたしは小林よしのり先生の戦争論や新しい歴史教科書を読んでいたので、なんだかおかしいな、と思いました。
思い切って、朝鮮は日本がなかったら、きっといまでも欧米の国に植民地になっていたのだから、すまないと思う必要はない、と発言しました。すると、君のような人がいるから被害者の人たちは怒っているのだといわれ、わたしがまるで冷酷非情な人間であるかのように叱られてしまいました。くやしいです。

この先生がいっていることは、本当なのでしょうか?わたしは右翼と呼ばれました。
右翼って、大きな声で騒いでいる黒い車のことだと思っていました。わたしはもちろんそんな車に乗ったことはありません。右翼ってどういう意味なのでしょう。わたしは右翼なんですか?

それと、「自由主義史観」というのは、何なのでしょうか?「自由を愛する民主主義の史観でいいのでしょうか。」

突然メールしてしまってごめんなさい。もしお忙しければ、返事はいりません。愚痴を聞いていただき、ありがとうございました。

■回答 

メール有り難うございました。

外国人参政権の問題については、極端なケースとして、万一戦争になったらどの国の味方をするかの問題です。
選挙権だけならそれ程のことはないとは思いますが、被選挙権になるとやはり問題となります。
町長、市長に韓国籍の人が当選する可能性が出てきます。万一の場合、軍事車両の通行を認めないと言った可能性が高くなります。
それでよいのでしょうか。私は反対です。どうしても参政権が欲しければ帰化すればよいことです。

しかし日本の帰化制度が厳しく、帰化が進まなかったことは事実であり、帰化を届けだけで出来るように改善すべきだと思っています。アメリカのように、18才になった時、日本を選ぶか、韓国を選ぶか選択する制度にするのが最も良いと思います。法律改正時に現在の在日韓国人全員に国籍選択を要請すれば、参政権の問題は解決するのですが。

この問題は貴方の言われるようにサンフランシスコ平和条約発効時に、国籍選択をさせなかったことが最大の失敗だったと思います。日清戦争で日本が台湾を獲得したとき、5年間の猶予期間をおき、国籍選択させました。それと同じように5年間の余裕期間のうちに、日本に継続して住みたい人は日本籍を選択するよう指導すべきだったと思います。

しかし当時の状況を振り返って考えてみますと、朝鮮戦争の最中であり、朝鮮人も選択に困ったのではないでしょうか。日本側の最大の問題は、石原都知事の三国人発言で話題になったように、終戦直後の朝鮮人は大変威張っていました。警察力が朝鮮人に及ぶかどうか、一時明確でなかったことから、犯罪行為も多発しました。その為国民感情として、できるだけ早期に帰国して欲しいというムードが強く、帰化についても犯罪歴が問題となったと思います。しかし今から考えるとこの時の処理が一番の失敗だと思います。

理事 杉本幹夫



4.韓国の国定教科書について

■投稿

韓国政府に、韓国国定教科書の修正要求をせよ。
韓国政府の歪曲を暴かなえればならない。

■回答 

全く同感です。

これに関連し、本会会員でもある勝岡寛次氏が「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」を出版されました。
小学館文庫552円+税です。
彼らの教科書が「如何に歪曲されているか」明白であり、是非皆さんにPRしてください。

今最も歴史認識を正す事が求められているのは、日本ではなく、韓国・中国であることをもっと世界にPRする必要があると思います。

理事 杉本幹夫



5.真の歴史が知りたい

■投稿

本当の…真の歴史を知りたい。

最近痛切に感じるのはその想いです。真実を知れば適切な判断・対処もできます。貴会には一部特殊な考えや思想(左右共)に偏ることなく、真実を明らかにしていただきたい。お願いします。

また「つくる会」の歴史教科書に対し様々な反論著書も出版されているようですが、それらの著書に対しての再反論出版等は検討されていないの
でしょうか?

■回答 

全く同感です。マルクス史観から脱却した真実の歴史を、もっともっと広く知って貰うことが必要と思います。
明星大学勝岡寛次先生が「韓国・中国歴史教科書を徹底批判する」を小学館文庫より出版されました。
韓国・中国が如何に歴史を歪曲しているかがよく分かります。

理事 杉本幹夫



6.関東大震災における朝鮮地方民へのリンチ

■投稿

私の祖母は震災当時東京にいた。 彼女は鹿児島の鹿屋市の出身でばりばりのかごんま弁しか喋れない。 私自身は鹿児島弁は殆ど喋れないが、ヒアリングなら何とかなるので意志の疎通に不便はなかった。

ここで問題なのだが、祖母の言語は都民には全く分からなかったため周辺には朝鮮人と認識されていたらしい。 故に朝鮮地方民へのリンチの対象となったらしい。 だが、周辺の住民の理解もあり、軍の協力によって付近の朝鮮地方民と一緒に軍の輸送船に優先的に乗船し東京を脱出できたそうである。 祖母はその際に輸送船の船員達に大変助けられたと感謝していた。

ところが、私が中学の歴史の授業を受けるようになって奇妙なことを教わることになる。 強制的に東京につれてこられた朝鮮人が、震災当時政府と軍の扇動によってリンチを受けたと言うのである。

奇妙と言えば奇妙な話である。 朝鮮地方民が強制的に本土につれてこられたのは戦時中のことではなかったか?この震災は大正である。 軍の扇動なら、なぜ優先的に朝鮮地方民を東京から脱出させたのだろう。 群衆に警官が混じっていたそうだが、これはむしろ指揮系統が一本化されておらず無秩序化していたと見るべきではないのか?

授業が終わった後、先生に聞いてみたのだが要領の得られた説明は聞けなかった。 当時の私は歴史に興味を持った学生ではなくこの疑問にさしたる関心を持っていなかった。

だが、大学に行って更に奇妙な事実を知る。 震災当時、内閣は総辞職から再編への状態であり民衆の救済が遅れたという話を聞いたのだ。 これは、政府の愚策を非難する話だったのだが、奇妙ではないか。陰謀を企てるにはそもそも組織が一本化していないとできないことだ。この話を講義した講師にも先の質問も一緒にしてみたのだが、やはり要領の得られた説明は聞けなかった。 自分で調べてみようとしたのだが、そもそもこの政府・軍陰謀説というのはどこから始まった話なのか、どういう根拠があるのかどう調べても解らなかった。

最近になって、「逆説の日本史」という史書を読み日本人にある軍への差別感という考え方を知り一つの結論を得る。 新聞などのマスメディアが不必要に民衆をあおった結果、あのリンチ事件は起こった。 マスコミは自分達の責任を回避するため軍と政府に責任を押し付けた。

はたして、この解釈で正しいのかどうか私には分からない。 政府・軍陰謀説に確かな証拠や根拠があれば私は間違っていることになる。

お聞きしたいのだが、政府・軍陰謀説に確かな証拠や根拠というのは有るのだろうか?

■回答 

メール有り難うございました。 この件は名越二荒之助「日韓2000年の真実」に詳しく書いてありますので参照してください。

ご指摘の通り、当時の朝鮮人は仕事を求めて自由意志で来た人たちです。 当時は5年前に米騒動、4年前に朝鮮の3.1独立運動があり、労働運動が激化していた時代です。 政府は戒厳令を発令しました。当時の内務大臣水野錬太郎、警視総監赤池濃は、3.1独立運動後の事後処理で、朝鮮総督府の政務総監、警務局長として苦労された人です。彼らの頭に朝鮮人に対する警戒心が浮かばなかったとは思えません。そして一般大衆も又、平生の虐げられた朝鮮人を見ているだけに、3.1独立運動の思い出が頭に浮かんだのではないでしょうか。

しかしこの戒厳令が朝鮮人だけを目標にしたものだと言う話は聞いたことはありません。 当時はまだラジオもありませんし、あの混乱の中どの程度新聞が読まれたか私は疑問に感じます。流言飛語の伝わる早さは想像以上のものがあるようです。特に戒厳令がひかれた後、身の危険に関する、悪いデマほど急速に広まったのではないでしょうか。電話線もずたずたに切断されていたでしょうし、軍も警察も連絡は伝令に頼るだけでしょう。従って軍も警官も民衆も人の噂しか情報源がなかったと見るべきではないでしょうか。警察も軍も朝鮮人に対する対応はさまざまだったようです。

当時海軍は全国から救援物資を積み込み東京湾に急行しました。その数90隻に及んだそうです。貴方のおばあさんもこの海軍に助けられたのですね。

理事 杉本幹夫

■2回目投稿

回答を有り難うございました。

で更に疑問なのですが、この事件に政府と軍が関与したという噂話はいったい、いつ・どこから始まった話なのでしょう。 戦前から有った話なのでしょうか。 それとも戦後に捏造された話なのでしょうか。 新聞から始まったのでしょうか。 それとも誰かの本から始まったのでしょうか。

面倒でしょうが、分かる範囲で結構ですから回答願います。

■回答 

すみませんが、いつ・どこから始まった話か私には分かりません。 又多忙ですので調べる暇はありませんが、何か分かりましたら連絡します。

尚6月10日付昭和史研究所会報に2頁の記事が載っていましたので参考にして下さい。 貴方のおばあさんのように地方から出てきて朝鮮人に間違われた話も載っています。

理事 杉本幹夫