日本の賠償

■投稿 1

日韓関係の歴史資料を探していて、このページを発見しました。
非常に興味深い内容で面白かったです。 質問させていただいてよろしいでしょうか?

Q&Aの1の回答の中に 現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。 とありますが、「国家予算の3割に当たる賠償」というのは下の表で言うとどの年に当たるのでしょうか?

民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1.45倍にあたる膨大な金額です。
とありますが、韓国の当時の国家予算の額を調べたのですが分かりませんでした。
5億ドルが1.45倍に当たるとのことだと3.5億ドル(1260億円)程度の国家予算ということになりますが、当時の韓国の国家予算は日本の日本の1/30だったのでしょうか?

お教えいただければ幸いです。

■回答 1

このたびは当サイトをご覧頂きまして、ありがとうございます。
この内容は、参考文献に記した「戦後補償論は間違っている」(日本政策研究センター刊行)の論文を要約したものなのですが、舌足らずで分かりにくい部分があったようですので、補足いたします。

>Q&Aの1の回答の中に
>> 現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。
とありますが、「国家予算の3割に当たる賠償」というのは下の表で言うとどの年に当たるのでしょうか?

1.日本の賠償について

参考文献の日本政策研究センター刊「戦後賠償論は間違っている」の中で著者は次のように述べています。

たとえば、ビルマに対する賠償協定が結ばれたのは、昭和30年(1955)でした。
ビルマに対しては、賠償・準賠償、合せて900億円を供与しましたが(無償援助などは除く)、供与を開始した年の政府予算が1兆182億円でした。いかに10年払いとは言え、これは政府予算の9%にあたります。

また、フィリピンとの賠償協定が結ばれた昭和31年の政府予算は約1兆692億円ですが、このときフィリピンに対して、賠償・準賠償合せて2880億円の供与を決定しております。この時代に、20年の分割とは言え、予算の3割近い賠償を支払うことは決して容易ではなかったはずです。

つまり、このQ&Aで記した「国家予算の3割にあたる賠償」というのは、フィリピンに対して行った昭和31年(1956)の決定を指します。
しかし、それぞれ複数年の分割払いなので、個別年度としての支払額で見ると、最も負担が厳しかったのはインドネシアに対する賠償が始まった昭和33年だと思います。(精査する必要あり)

この年ビルマに90億円(無償72億、有償18億=10分の1)、フィリピンに180億円(無償90億、有償90億=20分の1)、インドネシアに144億円(無償72億、有償72億=10分の1)合計414億円になります。33年の国家予算は1兆3315億円(1958)ですから。 その3%を占めます。

しかし人件費等固定的な費用が多い中で3%というのはかなり大きな比率です。因みにその年の治山・治水費が358億円、道路整備費が552億円でした。

2.韓国の予算について

図書館で見つけた二つの資料で数値がかなり異なっており、インフレ、為替レートの変動等で明確なことは分かりませんでした。
その一つ高峻石『南朝鮮現代史』では、歳入規模として、1963年749億ウォン1964年699億ウォンとしています。1965年の記載はありません。
為替レートは64年5月まで1ドル130ウォン、66年末まで約257ウォンとなっています。
3.5億ドルは900億ウォンとなりますから、オーダーとして間違いはないと思います。

65年の数値は分かりませんが、アメリカの国際収支の悪化に伴い、アメリカの援助は急激な削減を言い渡されていました。当時の一人当たり国民所得は日本の1/6以下、人口が3割弱ですから、日本の国家予算の1/30も不思議はないと思います。

韓国はそれまでアメリカから毎年2億ドルー3億ドルの援助を貰っていました。その肩代わりを日本に期待していただけに、日本からの10年で3億ドルの無償援助は大変な期待はずれで、激しい反対運動が起きました。

一方日本は謝罪や補償の必要は全く認めておらず、「隣のタダッ子がごねるので、隣同士仲良くするためには仕方がないか」と言うことでした。従ってお金の支出理由はあくまで「韓国の独立を祝し、韓国経済の安定に協力する」という趣旨の経済協力金でした。

しかし、日韓基本条約の締結により、政府からの資金の他、日本から大量の資金が流れ込みました。
それと共に「漢江の奇跡」と言われる、韓国の急激な発展が始まったのです。日韓基本条約締結前の韓国の停滞、締結後の韓国の発展は、杉本のHP http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/ の中の「韓国の戦後発展の理由」を参考にして下さい。

韓国が昭和50年(1975=日本の支払いが終わった年)にまとめた『請求権資金白書』には、1966〜75年の10年間の経済寄与率20%、貿易 赤字解消に対する寄与率が年平均8%という効果を生み出したと書いてあるそうです。

さらに、 「・・・対日請求権有・無償資金5億ドルは1970年代後半に入った現時点での韓 国経済の規模からするとき、それ程大変な金額ではないが、第二次経済開発5カ年計 画の主要財源として緊要に使用されたことを考えるならば、同資金の効用はけっして 過小評価ばかりはできない。韓国農民が農業生産増大のために活用している耕耘機と 動力噴霧器から、国土一日生活圏を実現した京釜高速道路の建設、年間粗鋼生産能力 103万トンの浦項総合製鉄工場の建設、昭陽江他目的ダムおよび発電所の建設にいたるまで韓国国民経済の向上発展に少なくない寄与をしたと言える」とあるそうです。
(『戦後賠償論は間違っている』24〜25ページ)

会員  飯島瑞穂  理事  杉本幹夫

■投稿 2

追加の質問があります。HPに掲載されるなら、前回の解答は不十分だと思われます。

> 3.5億ドルは900億ウォンとなりますから、オーダーとして間違いはないと思い ます。
とありますが、この金額(韓国の歳入)は
> 韓国はそれまでアメリカから毎年2億ドルー3億ドルの援助を貰っていました。
とあるアメリカからの援助を含んだ物でしょうか?

アメリカからの援助を含んでこの金額なら、アメリカの援助が減少したあとの韓国の予算との対比は1.45倍以上ですし、
そうでないないなら、韓国の援助込みの予算は遙かに大きい物となり1.45倍という数字はいずれにしても不適切になります。

それから
> 65年の数値は分かりませんが、アメリカの国際収支の悪化に伴い、アメリカの援助は急激な削減を言い渡されていました。
では、要求される資料の精度として問題があると思います。
1.45倍と小数点以下二桁まで書くには1%以下の誤差しか許されない筈ですが・・

■回答 2

この3.5億ドル、1.45倍と言う数値は「戦後補償論は間違っている」日本政策研究センター刊・24〜25ページ)からの引用です。

詳細を調べたかったら、その本から更に出典を調べるか、その著者に聞いてください。私も貴方からの質問により大学の図書館で2時間ほどかけて調べましたが、正確なことは分かりませんでした。

高峻石『南朝鮮現代史』では、一般歳入規模として、1963年749億ウォン1964年699億ウォンとなっており、その内アメリカからの援助資金は1963年260億ウォン、64年224億ウォンとなっています。この事から考えるとアメリカからの援助を含んでの金額と考えられます。

財政には一般財政と特別会計がありますから、3.5億ドルは特別会計を含んだ数字と考えられます。又63年260億ウォン、64年224億ウォンは余剰食料品援助の分だけで、その他にも援助があり、李庭植著小此木政夫訳「戦後日韓関係史」には1957年の3億7千万ドルをピークに1960年には2億5千万ドルに下がったとしています。

又マクミランの世界歴史統計では1965年の歳入を780億ウォン歳出を1060億ウォンとしています。

理事  杉本幹夫


2. 民族自決と治安回復

■投稿 

杉本幹夫さま

 いつも記事を読んで刺激を受けています。会報記載の「民族自決について(2)」の民族自決が万能ではない、アメリカは民族国家ではない、と言う論旨に同感です。ところで、畠奈津子「チベットの悲劇」にも共感を覚えますが、これをどのように評価したらいいでしょうか。中国政府は、国の秩序を維持することが「チベットとの融和 」よりも優先する(インドとの関係もあるので)、と言う(あるいは思う)でしょう。

繰り返し「中国に」「チベットとの融和を求める」とあらゆる機会を捉えて(国際世論となるまで、中国が不快感を示し、報復行為にでても)言い続ける、そして、チベットにも、独立運動を差し控えて「融和を求める」「べき」と言うべきでしょうか。と言っても、内政不干渉と言う慣行を隠れ蓑に、(多くの人と国は)得にならない事を口にしない(つまり見捨てる)ことになる、ようにも思えます。チベットも清国を作って中国を支配したことさえある満州民族のように消えていくのでしょうか。

 私の考えでは、数年の内に「WTOが(偽造品で)骨抜きになるか」「中国(国家)が破産(して六つの国に分裂・崩壊)するか」と言う(WTOと中国の)決戦の時が来ると思います。中国の経済力(軍事力)が勝れば、前者です。アメリカの経済力(軍事力)が勝れば後者です。中国人に国際的な規律を守らせるには(国連 軍による警察あるいは)軍事力が必要になると思います。近年は軍事力だけでなく国際世論が背後から軍隊の戦意を左右するので重要ですが経済もまた無視できない、と思います。とは言え戦争も、ABC兵器によるテロや、インターネットを用いた情報戦で様変わりして、少数の実行部隊で出来るでしょうからなかなか予測は困難ですね。

「民族自決について(2)」にあった「チベットの独立を支援するより」「中国に」「チベットとの融和を求める」「べき」と文章の真意を知りたいと思いました。

会員  石田寤

■参考 民族自決について(2) 杉本幹夫  会報60号記載

 先月民族自決についての疑問を書いたところ、二、三の人からチベット問題をどう考えるかと質問された。

 私はチベットの独立を支援するより、中国にチベットの生活レベルの改善、参政権の拡大等を通じ、チベットとの融和を求めるべきだと考える。
中国は北と南では全く言葉が通じない国である。ヨーロッパの民族の概念では、極めて多くの民族が同じ漢民族と称している。漢民族を支配した満州族は清王朝時代にすっかり漢民族に同化されたようである。チベットも同化できない筈がない。

日本は満州国を建設し、満州を支配下に置いた。その結果それまで匪賊が横行していた満州の治安は急激に改善された。五族協和を主張し、工業化を図り、すっかり住みやすい土地に改善した。
 朝鮮でも初期の武断政治には問題があったとは言え、三・一独立運動では、最高刑は僅か懲役三年で、有罪者三七人に過ぎない。そして彼らをマスコミのリーダーに育て、日本との融和をはかった。その一人崔麟などはアイルランド等へ視察に行かせている。

 又宇垣総督の農村振興運動、水力発電と産金奨励金を起爆剤とした産業革命により、生活レベルが向上し、昭和一〇年代始めにはすっかり日鮮一体化のムードが盛り上がった。
 日本の敗戦により、先人の努力は灰燼に帰したが、後一〇年続いておれば、日本の統治はもっと評価されたであろう。

台湾でも施政当初の激しい反日運動を克服したのは、後藤新平の徹底的な話し合いである。第四代総督児玉源太郎により民政局長官に任命された後藤が、現地に赴任した頃はまだ官舎にても銃声が聞こえたと言われる。
 児玉総督が国内の要職を兼務していたため、後藤は実質的な総督であった。その要職にも関わらず、帰順の可能性のあるグループに対しては、彼自らが現地に乗り込んで説得に当たったのである。しかしそれでも応じないグループには軍隊を使った。

 首刈り族として有名だった高砂族の平定に努力したのは第五代総督の佐久間左馬太と、多数の警官の家族である。
 佐久間総督は七〇才の高齢にも関わらず、自ら出陣し、名勝タロコ峡谷の上流で滑落し、重傷を負っている。

帰順を表明した部族の元には、警官が派遣された。彼らの居住地は獣道しかない山中である。山を越え、谷を越え、何日もかかって新居にたどり着いた新妻の不安は大変なものであったろう。彼らはそこで警官として、先生として、仲間として、農業を教え、家事を教え、読み書き算盤を教え、彼らと共に苦労したのである。それと共に一寸したことで彼らとトラブルを起こし、多くの警官とその家族が首を取られている。彼らの命がけの努力により、高砂族の共通語は日本語になったと言われる。

それに対し、フィリピンでは遂にモロ族を同化できなかった。
彼らは未だにフィリピンのテロリズムの中心である。
 又アメリカの主導する国際社会は人権・人権と騒ぎ立て、テロリストを支援してきた。東チモールの独立運動のリーダーにノーベル平和賞を与えたりしている。あのような小さな何もない国で、他の支援なしに果たしてやっていけるのだろうか。独立運動のリーダーとインドネシアの双方に和解と協調、そして東チモール住民の生活向上の支援を要請すべきではなかっただろうか。

 アフガニスタンではソ連の影響力を排除するため、ビンラーデングループを支援した。彼らは国際テロリズムの中心に育ち、何とその矛先はアメリカに向かったのである。そこで始めてアメリカはテロリズムの悪に気づいたのである。なんたる皮肉だろう。

 人権の重要さは否定しないが、低開発国では最も重要な事は生活レベルの向上である。そのためには独裁政権の方が能率がよい。そして最も必要な事は治安の確保である。
 もしアメリカが昭和一〇年代にこの事に気づいていたなら、大東亜戦争は起きず、アメリカが中国を失うことも無かったのではなかろうか。

■回答

いつもながらの鋭いご指摘有り難うございます。
この問題は悩ましい問題です。虐げられた民族が抵抗するためにはテロしかありません。
この結果パレスチナ、チェチェン、ミンダナオ島など世界各地でテロが発生しています。報復は報復を呼び、泥沼の戦闘が続けられています。力に対する反感は、9.11テロに発展しました。

国際社会もある時は反政府側を応援し、他の勢力は政府側を応援し、国土は荒廃してしまいます。このような泥沼の闘争に巻き込まれた一般庶民は、いつ果てるとは分からない闘争を戦うことが本当に幸せでしょうか。

日本は台湾統治に当たって、ゲリラの頭目に後藤新平自らが出向き、帰順を薦めました。しかし応じない場合は、軍隊で弾圧しました。
朝鮮でも3.1独立運動の後、裁判では最高刑は僅か3年の懲役でした。そしてそのリーダーを親日に転向させ、民心安定に利用しました。
満州では五族協和を謳い上げ、早期に治安を回復しました。

私は住民の幸福の第1歩は治安の回復だと思います。治安の回復、生活レベルの向上が第一であり、人権問題はその次の課題ではないかと思います。中国に対しても彼らの人権問題を言うより、彼らに生活改善の実績を、目に見えるようにすること、そうなれば治安対策費が減少し、自然に政府の言うことを聞くようになることを教えることだと思います。

国際社会にはチベット対策をもっとPRさせ、期限を切ってその成果を見て欲しいと約束させる事が必要かと思います。
日本はアメリカからの内政干渉を唯々諾々と受けています。
中国に対しても、内政干渉と問題になるぎりぎりまでの内政干渉をすべきではないでしょうか。

理事  杉本幹夫

■再投稿 

ありがとうございました。
まだ杉本さんの趣旨を誤解しているかも知れませんが、下記のように私なりの文章にしてみました。

チベットについて               140224
 チベットと中国と相互双方に、融和を求める、杉本幹夫(歴史と教育、60号、2002)の論旨に同感。民族独立や民族自決のスローガンは国民国家を形成する理論的指針だったが、アメリカもかつてのユーゴも民族国家でない。歴史を遡れば他民族に支配されあるいは多民族国家を形成しながら、治安が維持され、産業が興り人口が増加し、文化が発展した事例にも事欠かない。

 一方では、畠奈津子「チベットの悲劇」にも共感を覚える。チベット文化は中国政府によって圧殺されそうになっている。チベットは独立するか、中国政府の元に留まるか、それはチベット人の判断である。いずれにしろ、チベット人がチベット文化を保持し発展させることを支援したい、と考える人も多い。それには、何よりもチベット人自身の自己抑制の利いた秩序維持が不可欠であるが、周囲の適切な援助もまた大きな影響を持つだろう。

 以下(杉本幹夫氏の意見を元に)私見を述べる。中国政府は、(歴史上かつてない広大な地域と巨大な人口の)国家を維持することが「チベットとの融和」よりも優先する(インドとの敵対関係もあるので)、と言う(あるいは思う)としても、繰り返し「中国に」対して、「チベットとの融和を求める」べしとあらゆる機会を捉えて(国際世論となるまで)言い続ける、そして、チベットにも、独立運動を差し控えて、中国政府と「融和を求める」のがいいと助言すべきか。と言っても、内政不干渉と言う慣行を隠れ蓑に(多くの人と国は)得にならない事を口にしない(つまり見捨てる)ことになる、ようにも思える。

チベット地域の面積は広大だが、人口は僅かに数百万である。チベット人も(清国を作って中国を支配したことさえある満州民族のように)消えていくのであろうか。

 数年の内に「WTOが(中国の偽造品で)骨抜きになるか」「中国(政府)が破産(して六つの国に分裂・崩壊)するか」と言う(WTOと中国政府の)決戦の時が来るだろう。中国政府の経済力(軍事力)が勝れば、前者。その他の国々の経済力(軍事力)が勝れば後者。中国人に国際的な約束を守らせるには(国連軍による警察あるいは)軍事力が必要になるだろう。近年は軍事力だけでなく(国際世論が背後から軍隊の戦意を左右するので重要だが)経済力は無視できない、と思う。とは言え戦争も、ABC兵器によるテロや、インターネットを用いた情報(操作)戦で様変わりして、よく訓練された少数の(隠密)部隊でテロを実行出来るので結果の予測は困難である。

 異文化を持つ人たちに対して妬みから恨みを炊き込み(資金源を確保し)相互監視の密約を交わし自制心を取り除けば、異文化社会に対する破壊活動を実行出来る。その結果、パレスチナ、チェチェン、ミンダナオ島などで破壊活動が続いている

 台湾を日本が統治した時、反抗する人々の頭に民政局長の後藤新平が帰順を薦め、頭が応じない場合には軍が出動したが、やがて産業を興して人心は安定した。朝鮮で日本は三一反乱(1919)の裁判で最高刑を僅か懲役三年とし、反乱の頭はやがて日本に協力して秩序維持に尽くした。満州で日本は五族協和を謳い秩序は早期に回復した。

 秩序維持の第一歩は人々の生命と財産を護る治安である。次は産業を興して餓死することのないだけの食糧の自給能力を付ける。その次に人権(社会体制)である。中国政府は、チベット人自身が実感するような安心して生活できる社会秩序改善の実績を上げれば、チベットに対する中国政府の治安対策費の必要額は減り、国際世論も納得するであろう。

 国際社会は中国政府に対して、チベット対策の期限を切って改善を迫るべきである。アメリカは多くの国へ内政干渉とも言える注文を出してきた。国際社会はアメリカを先頭にして、中国政府に対して、中国政府が内政干渉であると反論するぎりぎりまで、具体的に要求を出すべきであろう。それにはチベットの実状の公開が不可欠である。

 中国政府に「ゲンメイ」されて反論しない外務大臣、中国や韓国の国定教科書の事実無根の記述に沈黙するマスコミ、中国や韓国に内政干渉され、北朝鮮に国民を拉致されても米を送る日本が、中国に対して内政干渉ぎりぎりの意見を言っても(中国から表だって)問題にされないが、陰に籠もった報復を受ける。だからアメリカを先頭にして国際世論で中国政府に立ち向かう他ない。

会員  石田寤


3. 映画「ムルデカ」を見て思ったこと

■投稿 (1)

以前に上映された映画「ムルデカ」について映画の自由と真実を守る全国ネットワークより批判がでております。

日本は、インドネシアの独立を救けにいったのではなく、それを抑えに行った。しかしその日本軍と闘うことで、インドネシアの独立は成し遂げられたのだ、というのが真実であります。(文章中より抜粋)

というように「ムルデカ」は事実を湾曲し日本軍を美化している評論しています。

まあ、いろんな人がいろんな歴史観を持っているのだなと思います。
私の母方の祖父は騎馬部隊として国民党軍と戦った事を私に教えてくれましたが、(敵陣地に突入したら敵兵2人1組が鎖でつながれていた等)

たしかに、「ムルデカ」ではオランダの圧制も日本の圧制もあまり描写されて無く、日本軍のかっこよさの方を強調しているように見えました。

一方、映画の自由と真実を守る全国ネットワークは「ホタル」を絶賛しております。
やはりこれからも日本人は加害者として批判されつづけていくべきなのでしょうか?

僕個人の意見は、あの戦争は侵略、解放、どちらでもない! 人類の歴史は戦争の歴史、強い国が弱い国を支配する。日本は勝つ見込みのない戦争をしたのも事実、南京虐殺も通州虐殺も東京大空襲も事実としましょう。では我々は今後どうすればいいのか?

世界を見回し、いかに各国が国益を考えて行動しているか判断し、我が国の国益にかなった政策をとるべきです。正しい歴史認識が正しい国家をつくるとは思えません。情報操作も必要でしょう(ちょっと危険ですね)。
平和ボケ日本に幸あれ。

■回答 (1)

メールスタッフの一人、ヤン・ウェンリーと申します。

<<以前に上映された映画「ムルデカ」について映画の自由と真実を守る全国ネットワークより批判がでております。>>

 このことは他でも聞きましたが、下の書いていることは、まさに我が国が悪の帝国であったと信じたがっている連中の妄言です。どこがそうなのか、といいますと、日本軍がジャワにおいてなしたことについて、一方的な情報のみを事実とし、その一方で行われた青年教育の実態を隠蔽しているということです。
  
<<日本は、インドネシアの独立を救けにいったのではなく、それを抑えに行った。しかしその日本軍と闘うことで、インドネシアの独立は成し遂げられたのだ、というのが真実であります。(文章中より抜粋)>>

 では、どうしてオランダ軍と戦ったのでしょう。これが彼らの基本的な事実認識の欠落ですね。まず、我が国がアメリカの対日石油・鉄くずの禁輸措置によって、大東亜戦争を挑まざるを得なくなった点に立ち返って考えてみましょう。
 
 我が国はその石油輸入の4分の3をアメリカに依存していました。それが断ち切られたなら、いかに優秀な空母や戦艦があっても、張り子の虎と化すのはそう遠くない未来のことでした。当然のことながら、これらの資源を確保するには、南方の油田地帯であるオランダ領東インドを責める必要が生じます。オランダ自体、ABCD包囲陣の一翼をなして我が国を経済封鎖にかかったのですから、大東亜戦争がこれらの包囲網を打ち破ることを目的に行われるのは必然です。

 故に、短期決戦を図る日本軍は東にハワイを攻撃し、南はマレー半島に上陸、翌年2月にシンガポールを占領し、ビルマ、ジャワ、フィリピンなども開戦からほぼ100日の内に大勝利の内に初戦を制したのです。

 しかし、これというのも、すべて現地人達の協力のたまものでした。同じ頃中国戦線は相変わらず泥沼でしたが、これは中国人がゲリラとなって日本軍将兵を悩ましていたためです。もちろん、東南アジアにもゲリラはいましたが、これは華僑による抗日ゲリラであり、ビルマ人やジャワ人などのゲリラはいなかったことによります。むしろ、現地人は解放軍として日本軍将兵を迎えました。スカルノも後にPETAに体験入隊しておりますし、独立宣言の日付が17805である理由も、日本とインドネシアの親密な関係を物語っています。

 ムルデカの主人公は、前半は青年道場創始者の柳川大尉をモデルにしており、その制作に当たっては、「アジアに生きる大東亜戦争」著者の一人の中島慎三郎氏や、当時ボゴールの練兵教官を務めた土屋競氏(元大尉)が関わっておられます。また、独立運動をむやみに煽るべきではないという上司にくってかかる島崎中尉自身は、まさに第16軍と大本営の思惑の狭間で悩む当時の教官達の姿そのものなのです。

 いいですか、誤解してほしくないのはまさにこの点です。大本営は、ジャワは兵站基地としてのみの役割を求めていました。しかも次のような文書が残っています。
  
 (三)軍政は差当たり帝国領土として普遍せしめ、国防重要資源の開発取得輸送及軍自活の途の確保並に治安の維持、拡充を以て優先第一義と為す(以下省略、 昭和一七年四月二九日、南方軍防衛作戦計画より)
  
 この作戦計画が通達されてからというもの、次第にジャワ軍政は当初の融和的な色彩を失い、ジャワの人々の失望を買ったのは事実です。
 当初は、三月七日に次のような布告が出ていました。
 
布告第一号 軍政施行に関する件
 
第一条 大日本軍は同族同素たる東印度民衆の福祉増進を図ると共に、大東亜共同防衛の原則に準拠し、現地住民との共存共栄を確保せんことを期し、差当り東印度の治安を確立し、民衆をして速やかに安居楽業せしめんがために、東印度地域内に軍政を施行す

第二条  第四条 官民は大日本及び大日本官憲の命令を遵奉すべし。
    大日本軍は忠誠なる官吏の職権並びに領民の生命及び正当なる財産並びに在来の宗教はこれを尊重す
    
 今村中将(津川雅彦)が武藤軍務局長とにらみ合っていたのは、まさにこのことだったのです。その後、今村中将が11月9日に第8方面軍司令官に補されて転出するまで今村軍政の柔軟路線は続いたのですが、その後は様子が変わってしまったのは、前述の命令が後任者によって実行に移されたからに他なりません。

  今村中将は自分の職を賭けてジャワの統治に関し、中央と妥協しなかったのです。これは特筆大書するに値します。
  また、今村中将はその在任中にスカルノ、ハッタらと会見し、とにかくよい軍政をすることを約束しています。

> たしかに、「ムルデカ」ではオランダの圧制も日本の圧制もあまり描写されて無く、日本軍のかっこよさの方を強調しているように見えました。

 それは無理もありません。しかし、ご存じのように昭和17年という年は日本軍が同時に敗退を始める年でもあったのです。やがてガダルカナルからの撤退やニューギニア作戦の停滞などがもとで、東印度に配置されていた兵力がだんだん少なくなっていくのを心配しないわけにはいかなくなりました。

 そこで今村中将の転任後始まった強圧策は結局また現地人との融和の方向にむかわざるを得なくなります。南方は自給自足をしなければならなくなったのです。となれば、必然的に、日本軍はジャワの人々と仲良くせざるを得なくなるのです。

 こうした中、第16軍はスカルノやハッタに協力を求めます。従来も三亜運動というものがありましたが、あまり盛り上がりませんでした。中山寧人大佐は「プートラ(民族総力結集運動)要綱案」をスカルノやハッタに示し、両者の協力を求めたのです。

 スカルノ、ハッタは条件として、
 「運動の名称にインドネシア民族の文字を用いること」
 「民族歌 インドネシア・ラヤを許すこと」
 「民族旗 メラ・プティの使用を許すこと」
 を示し、日本側はジャワ島のみに限るという条件を付けてこれを認めました。

やがて長い準備期間を経て昭和18年3月、民衆総力結集運動(Pusat Tenga Rakyat)がスカルノを中心に始まり、全島民が熱狂したのです。あまりに盛り上がりすぎたので後日口実を構えてこれを廃止せざるを得なくなりました。

 その後、「大東亜政略指導大綱」が5月31日に決定されましたが、第6項によると

(イ) 「マライ」「ジャワ」、「スマトラ」、「ボルネオ」、「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給源として極力之が開発ならびに民心の把握につとむ
(ロ) 前号各地域においては原住民の民度に応じ努めて政治に参与せしむ
(ハ) (以下省略)

 つまり、インドネシアの島民にも日本の政治に参加する権利を与えようという東条の声明が出たのです。しかし、インドネシア側の要求は「ムルデカ」であり、日本にはビルマやフィリピンに独立を約束しながらジャワは兵站基地としてのみ確保するという差別待遇に対する不満を何とかして解消するための施策が必要になりました。これこそ、『ジャワ防衛義勇軍(PETA)』の創設だったのです。

 このジャワ防衛義勇軍のことについては、森本武志著『ジャワ防衛義勇軍史』が実に明快に書いていますのでおすすめします。ただ、高価な本です(苦笑) 本体価格が11640円ですので、税を入れますと12000円を若干超えます(苦笑)。龍渓書舎から出ています。

 ちなみにこの森本氏もまた、当時PETAを訓練した教官の一人だった人(元中尉)です。『ムルデカ』の内容にはそれなりに、ちゃんとした根拠があって書かれていますし当時の生き残りが80歳を超えて今もなお、健在であることを付け加えておきます。

> 僕個人の意見は、あの戦争は侵略、解放、どちらでもない!  人類の歴史は戦争の歴史、 強い国が弱い国を支配する。 日本は勝つ見込みのない戦争をしたのも事実、南京虐殺も通州虐殺も東京大空襲も事実としましょう。 では我々は今後どうすればいいのか?

 今回のSAPIOを見れば、ティンパーリーが実は国民党軍のお抱え外国人であったという内容が書かれていますので、是非お読み下さい。つまり、南京大虐殺自体は大嘘です。事実ではない。

> 世界を見回し、いかに各国が国益を考えて行動しているか判断し、 我が国の国益にかなった政策をとるべきです。 正しい歴史認識が正しい国家をつくるとは思えません。 情報操作も必要でしょう(ちょっと危険ですね)。 平和ボケ日本に幸あれ。

 矛盾だらけですね・・・。そこにちょっとこう修正をすべきでは?
 
 『サヨクのいう正しい歴史認識が正しい国家をつくるとは思えません』
 『平和ボケ日本に目覚めの時が訪れんことを』
 
 ではでは。

会員 ヤン・ウェンリー

■投稿 (2)

ヤン・ウェンリー様お返事ありがとうございます。かなり詳しく説明していただいて感動しました。

さて、インターネットはすごく便利です。私は自由主義観研究会、映画の自由と真実をる全国ネットワーク双方の意見が全く異なるのに大変興味を持ちました。映画の自由と真実をる全国ネットワークにもメールを送りましたがまだ返事はありません。

まあ、映画は好きですから「南京1937」「ホタル」もぜひ見たいと思います。

双方の意見を見て思ったことは
1.あの当時、植民地を奪い合うことが悪と認識されていたか
2.植民地を持つことが悪と認識されていたか
3.相手国の領土を奪うことが悪と認識されていたか

というのも、先日NHKで放送された番組で欧州とアフリカ諸国による人権に関する集会でアフリカ諸国側は過去の植民地支配及び人種差別(奴隷制度)は人道に対する罪であると共同声明に入れようともちかけたのですが、イギリス、オランダなどが猛反対。

その理由が、過去の人道に対する罪はナチスのユダヤ人虐殺からであり、それ以前は罪という認識がなかったのでダメ。…
へ〜そんなもんでいいんだ〜!!

スペインなどが行ってきたアフリカ統治南米制圧(なんたってローマ法王が認めていたんだから)、アメリカでのインディアン迫害では、日本の朝鮮併合、満州国建国、中国侵攻、南方進出それにまつわる徴用や虐殺とされていることはどうなのか?今現在の視点から見るのとでは大きな違いが出ると思います。

そこから導き出すと
・日本は人道などの国際的な概念が出来上がる創世記(人権活動・民族運動・革命運動)に戦争をしてしまったため、人道や人権に関する対処がまちまちであった。(これは敵対国にも同じ事が言えます)
 だから満州国建国をみんな喜んだり、中国の都市を占領して提灯行列したり…(今なら大問題ですよね)

・欧米各国が植民地を有して経済活動を行っていた時代なので日本が植民地を持つ事への疑問がわきにくかった。(だってそれが当時のグローバルスタンダードだったんですよね)
とおおざっぱですが考えられます。やっぱり時代が違うんだと思います…

そういう人権や人道の考え方の大転換を日本がきっかけをつくったかどうかはわかりません。ほかにもいろんな運動や活動があったでしょうから。

戦争経験がないので何とも言えませんが、自ら志願した兵と赤紙で無理矢理戦地に行った兵では同じ戦闘でも感じ方が全然違うと思います。だから左翼にまわる人、右翼にまわる人それぞれいるんだと思います。両方の意見を聞いていきたいものです。

僕は頭悪いので昔の流れを図にしてみます。間違ってるかもしれません。

黒船来日→不平等条約→西洋の強引な外交→それもアリか!→マネしよう→日清戦争→韓国併合→日露戦争→浮かれ気分→排日移民法→やはり差別OKだね→満州建国→対ソ連対策ばっちり→日中戦争→泥沼。ゲリラとの戦い→通州事件や南京事件でぐちゃぐちゃ→なまいきな日本を各国非難→国際連盟脱退→石油禁輸措置→石油ほしけりゃ中国から手を引け!→民族解放をたてまえに大東亜戦争へ突入→南方資源確保→華僑が猛反発→連合軍反撃→負け→連合国植民地奪還→でも現地人反発→やむなく独立認める

こう図にしてみると、韓国人、中国人、華僑がいいおもいしてないですね。
だから今でも根にもってるのでしょうか?

どうにもこうにも日本はタイミングが悪すぎる!
その一言につきる。もし豊臣の時代に満州あたりまで進出できていたら歴史は変わっていたかもしれません。

インドネシアに話を戻しますが、インドネシアの人達が日本軍を快く思っているひとは一握りだと思います。「ムルデカ」でアリアティという女性が「オランダの代わりに日本がやってきただけ」と言っています。大多数の人はそう思っていたのではないでしょうか?いつかインドネシアに行って確かめてみたいです。

■回答 (2)

<<<「かなり詳しく説明していただいて感動しました。
さて、インターネットはすごく便利です。
私は自由主義観研究会、映画の自由と真実をる全国ネットワーク双方の意見が全く異なるのに大変興味を持ちました。映画の自由と真実をる全国ネットワークにもメールを送りましたがまだ返事はありません。」>>

 そうですか。彼らにはそれはできないでしょうね。何しろ、ちょっと調べれば分かることですし、オランダにしてみれば過去350年もの間、インドネシアを支配してきたのですから、戦争に勝った以上は取り返そうとするのが当たり前です。

 インドネシアが日本に勝って独立した、という彼らの説明はあまりに安易すぎる考えですよ。日本はオランダを破って進駐したのだから、オランダ軍より強くて当たり前ですね。一方、先住民の彼らは350年もの間、折に触れては独立しようとしてもそのたびに潰されてきたのですから、武器といえばそれこそ火縄銃はおろか、刀や槍が精一杯でしょう。

 長篠の戦いを想起してみてください。単発銃とはいえ、数をそろえた織田信長は機動力で日本一の武田勝頼の騎馬隊を壊滅させました。オランダには機関銃も戦車もある。どうしてろくな武器を持たないインドネシア人に勝ち目がありますか。そのオランダ軍を日本はたった9日でジャワから追い払ったんですよ。

 しかし、日本は仮にも米、英、蘭、豪、中を相手に戦争しているのです。これらを相手にするのは至難の業です。工業生産力を考えればまるで勝ち目のない戦争です。
そうした戦争を戦うのに、どうして日本一国でできるでしょうか。東亜諸民族の連帯なくしてはとてもできません。だからこそ、「アジア民族解放」をスローガンに掲げたのです。

<<<「というのも、先日NHKで放送された番組で欧州とアフリカ諸国による人権に関する集会でアフリカ諸国側は過去の植民地支配及び人種差別(奴隷制度)は人道に対する罪であると共同声明に入れようともちかけたのですが、イギリス、オランダなどが猛反対。その理由が、過去の人道に対する罪はナチスのユダヤ人虐殺からであり、それ以前は罪という認識がなかったのでダメ。…」>>

 随分酷い理屈ですね。でも、ニュルンベルク裁判自体がすでに事後法による裁きだったのですから、東京裁判だって当然無効であるはずなんですがね。(笑)

<<<黒船来日→不平等条約→西洋の強引な外交→それもアリか!→マネしよう→日清戦争→韓国併合→日露戦争→浮かれ気分→排日移民法→やはり差別OKだね>>

 ちょっと待った。韓国併合は日露戦争の後。それから韓国人だって、内地に住んでいる人たちには選挙権も、被選挙権もあったから、衆議院議員になった朝鮮人もいます。
 むしろ台湾人こそ、同じ日本国籍なのに差別待遇を受けていた。その割には現在も親日家が多いが。(笑)

<<<→満州建国→対ソ連対策ばっちり→日中戦争→泥沼。ゲリラとの戦い→通州事件や南京事件でぐちゃぐちゃ→なまいきな日本を各国非難→国際連盟脱退→石油禁輸措置→石油ほしけりゃ中国から手を引け>>

 国際連盟から脱退したのは満州事変後である。日中戦争当時はもう脱退した後である。!

<<<→民族解放をたてまえに大東亜戦争へ突入→南方資源確保→華僑が猛反発→連合軍反撃→負け→連合国植民地奪還→でも現地人反発→やむなく独立認める
「こう図にしてみると、韓国人、中国人、華僑がいいおもいしてないですね。」>>

 韓国人は当時日本人でした。ちなみに陸軍内にも朝鮮人の将官が一名おります。
洪思翊(こうしよく・韓国語読みではホンサイク)中将です。当時の日本では実力があれば朝鮮人も高級官僚になれたのですよ。

貴方はこう考えたことはありませんか。朝鮮の郵便局員は何人だったのだろう。村役場は?警察官は?
 なお、これは簡単に図書館で調べられますが、昭和12年の甲子園大会に朝鮮の中学校が初出場しています。朝鮮大会での決勝戦で、この学校の対した相手校の4番、6番、9番までが朝鮮名でエントリーしていました。

<<<インドネシアに話を戻しますが、インドネシアの人達が日本軍を快く思っているひとは一握りだと思います。「ムルデカ」でアリアティという女性が「オランダの代わりに日本がやってきただけ」と言っています。大多数の人はそう思っていたのではないでしょうか?いつかインドネシアに行って確かめてみたいです。>>

是非やってみて下さい。なお、月刊日本の1998年5月号に、故チョコロプラノロ元ジャカルタ市長(インドネシア軍退役中将)のインタビューが出ていますので、そちらもお読み下さい。きっと目から鱗が落ちると思いますよ。

 ではでは。

会員 ヤン・ウェンリー

■回答 (3)

お二人のやり取り、特にヤン.ウェンリーさんのご説明は非常に勉強になりました。

貴方は、かなり日本は侵略したのだという思い込みに囚われているようですが、一つ私が昨年11月に、インドネシアの法務.人権大臣をされているユスリル.イーザ.マヘンドラ博士に東京でお会いしました時のことをお話したいと思います。

未だ、40代の若いインドネシアのリーダーです。博士のお話では、オランダの法務大臣が、東チモールの人権問題をいいだしたので、オランダの350年間のインドネシア統治の間における想像を絶した人権無視の実例を話したところ、彼は口をつぐんでしまったそうです。

オランダ人が「日本政府は戦争中日本軍の捕虜になったオランダ人に戦争賠償を払え」というデモをしているのをみると、それをいうならオランダこそインドネシアに賠償を払ってもらいたい、といいたくなる、といっていました。日本は3年半の占領に対してきちんと賠償を払っているのに、350年間占領していたオランダはその100倍払わなければいけないのに何も払っていない。とおっしゃっていました。なるほど、インドネシアの人はそういう考えをしているのかと、改めて認識させられました。

さらにこういうこともいっていました。日本軍は3年半の間にPETA(インドネシア義勇軍)をつくりインドネシア人を武装させ軍事訓練をしてくれた。これがあったから、戦後オランダとの独立戦争が戦えた、とハッキリ言っておりました。さらに。法務大臣は大学で憲法を教えていたが、インドネシア憲法は、日本軍の協力でつくられた、と大学で教えているそうです。これを聞いてびっくりする日本の学生がいるといっていました。

数倍の兵力のオランダ軍が守るインドネシアの中心のジャワ島をたった8日間で、降伏させることができた根本原因は、日本軍の力はいうまでもありませんが、現地人であるインドネシア人の協力があったればこそであることがよく分かってきます。実際日本は占領すると直ぐに、独立運動の指導者で投獄されていた、スカルノやハッタを救出し、彼らは日本軍制に協力し、行政能力を身に付け、PETA で軍事力をつけました。

そして日本敗戦の翌々日に独立宣言をスカルノ、ハッタの名前で出しますが、その独立宣言文の日付けが、17805となっているのが象徴的です。05,は皇紀2605年の05をとっているからです。こうしたことは、本を読んで前から知っていましたが、実際に現地の方と会って話をきいてみると、矢張りそうであったかと納得することが多いです。

因にユスリル法務人権大臣と一緒にとった写真がありますので、何かの機会にはお見せできます。

<<<ヤン・ウェンリーさん
インドネシア関係及び歴史認識について詳しい解説ありがとうございます。やはり歴史をとことん検証することが必要だと痛感しました。

プロパガンダ教材のページも見ました。南京事件のコーナーはすごく複雑な気分になります。実は私の母方の祖父が騎馬部隊(馬に乗ってる写真があるのでそう解釈しました)として国民党軍と戦いました。家族には補給部隊で指揮をしたと言っていたそうですが幼少の私には生々しいことを聞かせてくれていました。うっすらとしか覚えてませんが、

「すぐとなりの仲間の兵が、あっ!といって頭が血だらけになり倒れた。」 「食べ物には困らなかった。」「国民党軍の陣地に突入すると、敵兵はすぐ降参した。敵兵はその場から逃げられないように2人一組で鎖でつながれていた。 かわいそうだった。」>>>

この話しは事実の基づいていると思います。日本軍とちがい戦意に乏しい中国兵を戦わせるために、中国軍は督戦隊という、退却する兵士を後ろから射殺する正規の部隊を持っていたのです。(南京退却時にも、北のゆうこう門で、督戦隊に射殺された中国兵がかなりいたことが確かめられています。)そして陣地を死守させるために、2人1組で鎖につなぐということもしていたのです。

これは何ともかわいそうなことですが、はっきりしていることはこれは日本の責任ではなく、その様なひどい政府.ひどい軍隊しか持っていない中国であったからこそ、治安は保たれず、多くの日本人居留民が殺害され、そしてそれを護るためもあって、戦いに引きずり込まれていったというのが、実態です。こうしたことについては、台湾人の黄文雄さんの「日中戦争知られざる真実」(光文社、今年1月刋)を是非お読みになることをお勧めします。

<<<この話が本人の体験かどうか他界した今ではわかりません。その後小中学校での歴史教育で私は祖父に昔のことを全く聞かなくなりました。やはり戦争とはいえ人殺しというイメージがあったんだと思います。>>>

やはりもなにも、戦争自体は人と人が殺し合うことは自明のことです。しかし、戦争は合法行為であり、おじいさんの名誉が傷つけられるものでは全くありません。問題が起こるのは、不法行為、すなわち戦時国際法に違反した殺害、その他が起こった場合です。それが戦争犯罪です。われわれが研究しているかぎり、南京においては日本軍は不法殺害、即ち戦争犯罪はほとんどおかしていません。

いわんやアメリカが犯した明々白々な戦争犯罪である原爆投下、東京その他都市における非戦闘員の意識的な大量殺害に匹敵するようなものは、「皆無」です。戦争犯罪とは、ハッキリと、戦時国際法違反行為としないと、勝者はまるで戦争犯罪を犯していないかのような馬鹿馬鹿しいというより、不正きわまりない話しになってしまいますので、十分に注意すべきだと思います。

<<<周りの人には大陸で戦ったと言いにくいでしょうね。私は心の片隅で祖父の名誉を取り戻したいと思ってきました。そういう意味でも反省するべき点は反省し間違っている所は詳しく検証、証拠提出で訂正する事が重要です。>>>
<<<検証中に日本軍の新たな戦争犯罪も発見されるかもしれません。しかし、国民は事実を求めていると思いますのでもしあれば掲載するべきです。検証内容が偏った方向に行かぬよう切望します。 祖父との日々をふりかえる今日この頃です。>>>

是非、おじいさんを公平な観点でみてあげるようにしてください。公平とは、あくまで国際法を平等に適用する、ということです。

会員  茂木 弘道

■回答 (4)


<<< プロパガンダ教材のページも見ました。
南京事件のコーナーはすごく複雑な気分になります。>>>

 そうですか。実は私の祖父も昭和14年に出征しておりますので、南京事件とは関係ありませんが、私にとっても支那事変は人ごとではありません。

 詳しいことは茂木さんからメールにあった通りですが、あのページは基本的に私がつくっております。まあ、私も中学校現場で偽りの歴史がかぶせられつつある様子をまざまざと見せつけられてきたわけで、その一例としてあのページを立ち上げてあります。
 
 ミラーサイトもご覧下さいね。もっとすごい教材(こっちはビデオ)があります。アドレスは
 
 http://f1.aaacafe.ne.jp/~iserlohn/
 
 です。

会員 ヤン・ウェンリー

■投稿 (3)


茂木さんメールありがとうございます。
国際法で平等に見るという意見、これから始めたいと思います。
今だ左側とされる方々からはメールが来ません。

検証問題、50年前のことで記録も多数残っているのになぜこれほど意見が食い違うのでしょうか?
政府の見解はどうなのでしょうか?

中国や韓国の政府見解、今だ被害者意識が強いですね。賠償金を払って仲直りしたはずじゃなかったのでしょうか?

今後の世代のためにももっと友好的に解決できないのでしょうか?
きっと中国、韓国の方々もこういう問題にうんざりしているのではないのでしょうか?

どうも私には国家間を自国有利にしようという駆け引き材料にされているように見えます。

日本は過去に侵略したから、また同じ事をくりかえすかもしれない…。
日本は平和国家。
核兵器持たない国。
過去の戦争は間違いだった、
国民は政府に騙され、無駄死にした。
神の国と洗脳された。

こんなこと言ったり言わなかったり…。

まあ、戦争でいいおもいした人なんていないでしょうから戦争やってよかった!なんていう人いないと思います。
私的には早い段階で天皇が停戦・休戦など何らかの戦争終結の意志を出してくれていればと思います。

中国や韓国にも現在の歴史認識に疑問を抱いている方はいないのでしょうか?いないとするとその考えが寸分の狂い無く正しいか、ある程度洗脳されているかと思いますがいかがでしょうか?

今までの文章を読んでいただければわかると思いますが私は右・左双方の意見を見ることにすごく意味があると思います。
偏った情報は危険です。教育現場でも双方の意見があるのは喜ばしいと思います。
しかし、左よりが大きいのが現在の教育現場の実状だと思います。かといって国旗掲揚問題、国歌斉唱問題etc.いろいろありますが、子供達に一番重要なことは「国を愛しているか?」だと思うのですが?

国を愛してもらうためにはどう教育するか?
国旗掲揚が軍国主義?
国歌斉唱が軍国主義?
天皇崇拝???

崇拝しないでしょう。
崇拝するのはグレイや宇多田ヒカルじゃないでしょうかね。
今後の平和な国家のイメージとして日の丸国旗を掲揚すればいいんじゃないでしょうか?

日本はもうアメリカの一部みたいなもんじゃないですか。
もう右・左とも古い考えにとらわれず、
アメリカ主導の世界での国益追求にシフトしてほしいです。

歴史教育もすごい重要ですが、英語教育が…中高6年間も英語教育受けたのに英語話せないんですよ!この私も。なんかおかしいですよ。
ともあれ今後の日本を支える子供の為に頑張ってください。

■回答 (5)

国際法を基準に公平に日本の過去をみていくことが必要であることをご理解いただき、喜んでおります。但し、公平な歴史の本がそう多いわけではありませんので、少し意識的にいくつかの本を選んで読むことも必要かと思います。

日中関係、日韓関係、中国文化に関しては先にチョッと触れたかと思いますが、黄文雄さんの諸著作を是非お読みいただきたいと思います。それから、東京裁判に関するものとして、田中正明著「パール判事の日本無罪論」(小学館文庫)は必読書です。本当は、さらに「パル判決書」(講談社学術文庫.上下)も読まれると勉強になります。他にも沢山ありますが、取りあえずお奨めです。

英語教育論につきましては、多分私はあなたと反対の考えかと思います。六年間やっても話せないのは、当然だと私は思っています。合わせて7〜800時間(中高)で、ある程度の文章を読め、書けるようにするのは精いっぱいです。会話はスポーツです。

実際に練習をやらなかったらうまくなりようがないのです。しかも、スポーツと同じようにかなりの時間を集中的に書けてやらないと効果がありません。少し強い野球部でしたら、毎日2時間位は練習するでしょう。同じように、英会話トレーニング部(英会話クラブ的なサロンではなく)で毎日2時間放課後システマティックにとレーニングを行えば会話は間違いなくうまくなります。

会話は教室向きではありません。せっかくネイティブの先生が来ても、40人クラスとして、1人と1分会話を交わせば、1分×40人=40分、ということで、1時間はほぼ終わります。1分しか実際には話さないでうまくなるはずはありません。皆さん飛んでもない錯覚をしています。学校教育が悪いわけでも何でもありません。学校教育+2000時間はやらないと使い物になる英語にならないということは、教え方の問題ではなく、絶対時間の問題です。

こう考えていますので、昨年「小学校に英語は必要ない。」(講談社)という本を出版しました。興味がありましたらお読み下さい。

会員 茂木 弘道