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■投稿 (1)
以前に上映された映画「ムルデカ」について映画の自由と真実を守る全国ネットワークより批判がでております。
日本は、インドネシアの独立を救けにいったのではなく、それを抑えに行った。しかしその日本軍と闘うことで、インドネシアの独立は成し遂げられたのだ、というのが真実であります。(文章中より抜粋)
というように「ムルデカ」は事実を湾曲し日本軍を美化している評論しています。
まあ、いろんな人がいろんな歴史観を持っているのだなと思います。
私の母方の祖父は騎馬部隊として国民党軍と戦った事を私に教えてくれましたが、(敵陣地に突入したら敵兵2人1組が鎖でつながれていた等)
たしかに、「ムルデカ」ではオランダの圧制も日本の圧制もあまり描写されて無く、日本軍のかっこよさの方を強調しているように見えました。
一方、映画の自由と真実を守る全国ネットワークは「ホタル」を絶賛しております。
やはりこれからも日本人は加害者として批判されつづけていくべきなのでしょうか?
僕個人の意見は、あの戦争は侵略、解放、どちらでもない! 人類の歴史は戦争の歴史、強い国が弱い国を支配する。日本は勝つ見込みのない戦争をしたのも事実、南京虐殺も通州虐殺も東京大空襲も事実としましょう。では我々は今後どうすればいいのか?
世界を見回し、いかに各国が国益を考えて行動しているか判断し、我が国の国益にかなった政策をとるべきです。正しい歴史認識が正しい国家をつくるとは思えません。情報操作も必要でしょう(ちょっと危険ですね)。
平和ボケ日本に幸あれ。
■回答 (1)
メールスタッフの一人、ヤン・ウェンリーと申します。
<<以前に上映された映画「ムルデカ」について映画の自由と真実を守る全国ネットワークより批判がでております。>>
このことは他でも聞きましたが、下の書いていることは、まさに我が国が悪の帝国であったと信じたがっている連中の妄言です。どこがそうなのか、といいますと、日本軍がジャワにおいてなしたことについて、一方的な情報のみを事実とし、その一方で行われた青年教育の実態を隠蔽しているということです。
<<日本は、インドネシアの独立を救けにいったのではなく、それを抑えに行った。しかしその日本軍と闘うことで、インドネシアの独立は成し遂げられたのだ、というのが真実であります。(文章中より抜粋)>>
では、どうしてオランダ軍と戦ったのでしょう。これが彼らの基本的な事実認識の欠落ですね。まず、我が国がアメリカの対日石油・鉄くずの禁輸措置によって、大東亜戦争を挑まざるを得なくなった点に立ち返って考えてみましょう。
我が国はその石油輸入の4分の3をアメリカに依存していました。それが断ち切られたなら、いかに優秀な空母や戦艦があっても、張り子の虎と化すのはそう遠くない未来のことでした。当然のことながら、これらの資源を確保するには、南方の油田地帯であるオランダ領東インドを責める必要が生じます。オランダ自体、ABCD包囲陣の一翼をなして我が国を経済封鎖にかかったのですから、大東亜戦争がこれらの包囲網を打ち破ることを目的に行われるのは必然です。
故に、短期決戦を図る日本軍は東にハワイを攻撃し、南はマレー半島に上陸、翌年2月にシンガポールを占領し、ビルマ、ジャワ、フィリピンなども開戦からほぼ100日の内に大勝利の内に初戦を制したのです。
しかし、これというのも、すべて現地人達の協力のたまものでした。同じ頃中国戦線は相変わらず泥沼でしたが、これは中国人がゲリラとなって日本軍将兵を悩ましていたためです。もちろん、東南アジアにもゲリラはいましたが、これは華僑による抗日ゲリラであり、ビルマ人やジャワ人などのゲリラはいなかったことによります。むしろ、現地人は解放軍として日本軍将兵を迎えました。スカルノも後にPETAに体験入隊しておりますし、独立宣言の日付が17805である理由も、日本とインドネシアの親密な関係を物語っています。
ムルデカの主人公は、前半は青年道場創始者の柳川大尉をモデルにしており、その制作に当たっては、「アジアに生きる大東亜戦争」著者の一人の中島慎三郎氏や、当時ボゴールの練兵教官を務めた土屋競氏(元大尉)が関わっておられます。また、独立運動をむやみに煽るべきではないという上司にくってかかる島崎中尉自身は、まさに第16軍と大本営の思惑の狭間で悩む当時の教官達の姿そのものなのです。
いいですか、誤解してほしくないのはまさにこの点です。大本営は、ジャワは兵站基地としてのみの役割を求めていました。しかも次のような文書が残っています。
(三)軍政は差当たり帝国領土として普遍せしめ、国防重要資源の開発取得輸送及軍自活の途の確保並に治安の維持、拡充を以て優先第一義と為す(以下省略、 昭和一七年四月二九日、南方軍防衛作戦計画より)
この作戦計画が通達されてからというもの、次第にジャワ軍政は当初の融和的な色彩を失い、ジャワの人々の失望を買ったのは事実です。
当初は、三月七日に次のような布告が出ていました。
布告第一号 軍政施行に関する件
第一条 大日本軍は同族同素たる東印度民衆の福祉増進を図ると共に、大東亜共同防衛の原則に準拠し、現地住民との共存共栄を確保せんことを期し、差当り東印度の治安を確立し、民衆をして速やかに安居楽業せしめんがために、東印度地域内に軍政を施行す
第二条 第四条 官民は大日本及び大日本官憲の命令を遵奉すべし。
大日本軍は忠誠なる官吏の職権並びに領民の生命及び正当なる財産並びに在来の宗教はこれを尊重す
今村中将(津川雅彦)が武藤軍務局長とにらみ合っていたのは、まさにこのことだったのです。その後、今村中将が11月9日に第8方面軍司令官に補されて転出するまで今村軍政の柔軟路線は続いたのですが、その後は様子が変わってしまったのは、前述の命令が後任者によって実行に移されたからに他なりません。
今村中将は自分の職を賭けてジャワの統治に関し、中央と妥協しなかったのです。これは特筆大書するに値します。
また、今村中将はその在任中にスカルノ、ハッタらと会見し、とにかくよい軍政をすることを約束しています。
> たしかに、「ムルデカ」ではオランダの圧制も日本の圧制もあまり描写されて無く、日本軍のかっこよさの方を強調しているように見えました。
それは無理もありません。しかし、ご存じのように昭和17年という年は日本軍が同時に敗退を始める年でもあったのです。やがてガダルカナルからの撤退やニューギニア作戦の停滞などがもとで、東印度に配置されていた兵力がだんだん少なくなっていくのを心配しないわけにはいかなくなりました。
そこで今村中将の転任後始まった強圧策は結局また現地人との融和の方向にむかわざるを得なくなります。南方は自給自足をしなければならなくなったのです。となれば、必然的に、日本軍はジャワの人々と仲良くせざるを得なくなるのです。
こうした中、第16軍はスカルノやハッタに協力を求めます。従来も三亜運動というものがありましたが、あまり盛り上がりませんでした。中山寧人大佐は「プートラ(民族総力結集運動)要綱案」をスカルノやハッタに示し、両者の協力を求めたのです。
スカルノ、ハッタは条件として、
「運動の名称にインドネシア民族の文字を用いること」
「民族歌 インドネシア・ラヤを許すこと」
「民族旗 メラ・プティの使用を許すこと」
を示し、日本側はジャワ島のみに限るという条件を付けてこれを認めました。
やがて長い準備期間を経て昭和18年3月、民衆総力結集運動(Pusat Tenga Rakyat)がスカルノを中心に始まり、全島民が熱狂したのです。あまりに盛り上がりすぎたので後日口実を構えてこれを廃止せざるを得なくなりました。
その後、「大東亜政略指導大綱」が5月31日に決定されましたが、第6項によると
(イ) 「マライ」「ジャワ」、「スマトラ」、「ボルネオ」、「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給源として極力之が開発ならびに民心の把握につとむ
(ロ) 前号各地域においては原住民の民度に応じ努めて政治に参与せしむ
(ハ) (以下省略)
つまり、インドネシアの島民にも日本の政治に参加する権利を与えようという東条の声明が出たのです。しかし、インドネシア側の要求は「ムルデカ」であり、日本にはビルマやフィリピンに独立を約束しながらジャワは兵站基地としてのみ確保するという差別待遇に対する不満を何とかして解消するための施策が必要になりました。これこそ、『ジャワ防衛義勇軍(PETA)』の創設だったのです。
このジャワ防衛義勇軍のことについては、森本武志著『ジャワ防衛義勇軍史』が実に明快に書いていますのでおすすめします。ただ、高価な本です(苦笑) 本体価格が11640円ですので、税を入れますと12000円を若干超えます(苦笑)。龍渓書舎から出ています。
ちなみにこの森本氏もまた、当時PETAを訓練した教官の一人だった人(元中尉)です。『ムルデカ』の内容にはそれなりに、ちゃんとした根拠があって書かれていますし当時の生き残りが80歳を超えて今もなお、健在であることを付け加えておきます。
> 僕個人の意見は、あの戦争は侵略、解放、どちらでもない! 人類の歴史は戦争の歴史、 強い国が弱い国を支配する。
日本は勝つ見込みのない戦争をしたのも事実、南京虐殺も通州虐殺も東京大空襲も事実としましょう。 では我々は今後どうすればいいのか?
今回のSAPIOを見れば、ティンパーリーが実は国民党軍のお抱え外国人であったという内容が書かれていますので、是非お読み下さい。つまり、南京大虐殺自体は大嘘です。事実ではない。
> 世界を見回し、いかに各国が国益を考えて行動しているか判断し、 我が国の国益にかなった政策をとるべきです。
正しい歴史認識が正しい国家をつくるとは思えません。 情報操作も必要でしょう(ちょっと危険ですね)。 平和ボケ日本に幸あれ。
矛盾だらけですね・・・。そこにちょっとこう修正をすべきでは?
『サヨクのいう正しい歴史認識が正しい国家をつくるとは思えません』
『平和ボケ日本に目覚めの時が訪れんことを』
ではでは。
会員 ヤン・ウェンリー
■投稿 (2)
ヤン・ウェンリー様お返事ありがとうございます。かなり詳しく説明していただいて感動しました。
さて、インターネットはすごく便利です。私は自由主義観研究会、映画の自由と真実をる全国ネットワーク双方の意見が全く異なるのに大変興味を持ちました。映画の自由と真実をる全国ネットワークにもメールを送りましたがまだ返事はありません。
まあ、映画は好きですから「南京1937」「ホタル」もぜひ見たいと思います。
双方の意見を見て思ったことは
1.あの当時、植民地を奪い合うことが悪と認識されていたか
2.植民地を持つことが悪と認識されていたか
3.相手国の領土を奪うことが悪と認識されていたか
というのも、先日NHKで放送された番組で欧州とアフリカ諸国による人権に関する集会でアフリカ諸国側は過去の植民地支配及び人種差別(奴隷制度)は人道に対する罪であると共同声明に入れようともちかけたのですが、イギリス、オランダなどが猛反対。
その理由が、過去の人道に対する罪はナチスのユダヤ人虐殺からであり、それ以前は罪という認識がなかったのでダメ。…
へ〜そんなもんでいいんだ〜!!
スペインなどが行ってきたアフリカ統治南米制圧(なんたってローマ法王が認めていたんだから)、アメリカでのインディアン迫害では、日本の朝鮮併合、満州国建国、中国侵攻、南方進出それにまつわる徴用や虐殺とされていることはどうなのか?今現在の視点から見るのとでは大きな違いが出ると思います。
そこから導き出すと
・日本は人道などの国際的な概念が出来上がる創世記(人権活動・民族運動・革命運動)に戦争をしてしまったため、人道や人権に関する対処がまちまちであった。(これは敵対国にも同じ事が言えます)
だから満州国建国をみんな喜んだり、中国の都市を占領して提灯行列したり…(今なら大問題ですよね)
・欧米各国が植民地を有して経済活動を行っていた時代なので日本が植民地を持つ事への疑問がわきにくかった。(だってそれが当時のグローバルスタンダードだったんですよね)
とおおざっぱですが考えられます。やっぱり時代が違うんだと思います…
そういう人権や人道の考え方の大転換を日本がきっかけをつくったかどうかはわかりません。ほかにもいろんな運動や活動があったでしょうから。
戦争経験がないので何とも言えませんが、自ら志願した兵と赤紙で無理矢理戦地に行った兵では同じ戦闘でも感じ方が全然違うと思います。だから左翼にまわる人、右翼にまわる人それぞれいるんだと思います。両方の意見を聞いていきたいものです。
僕は頭悪いので昔の流れを図にしてみます。間違ってるかもしれません。
黒船来日→不平等条約→西洋の強引な外交→それもアリか!→マネしよう→日清戦争→韓国併合→日露戦争→浮かれ気分→排日移民法→やはり差別OKだね→満州建国→対ソ連対策ばっちり→日中戦争→泥沼。ゲリラとの戦い→通州事件や南京事件でぐちゃぐちゃ→なまいきな日本を各国非難→国際連盟脱退→石油禁輸措置→石油ほしけりゃ中国から手を引け!→民族解放をたてまえに大東亜戦争へ突入→南方資源確保→華僑が猛反発→連合軍反撃→負け→連合国植民地奪還→でも現地人反発→やむなく独立認める
こう図にしてみると、韓国人、中国人、華僑がいいおもいしてないですね。
だから今でも根にもってるのでしょうか?
どうにもこうにも日本はタイミングが悪すぎる!
その一言につきる。もし豊臣の時代に満州あたりまで進出できていたら歴史は変わっていたかもしれません。
インドネシアに話を戻しますが、インドネシアの人達が日本軍を快く思っているひとは一握りだと思います。「ムルデカ」でアリアティという女性が「オランダの代わりに日本がやってきただけ」と言っています。大多数の人はそう思っていたのではないでしょうか?いつかインドネシアに行って確かめてみたいです。
■回答 (2)
<<<「かなり詳しく説明していただいて感動しました。
さて、インターネットはすごく便利です。
私は自由主義観研究会、映画の自由と真実をる全国ネットワーク双方の意見が全く異なるのに大変興味を持ちました。映画の自由と真実をる全国ネットワークにもメールを送りましたがまだ返事はありません。」>>
そうですか。彼らにはそれはできないでしょうね。何しろ、ちょっと調べれば分かることですし、オランダにしてみれば過去350年もの間、インドネシアを支配してきたのですから、戦争に勝った以上は取り返そうとするのが当たり前です。
インドネシアが日本に勝って独立した、という彼らの説明はあまりに安易すぎる考えですよ。日本はオランダを破って進駐したのだから、オランダ軍より強くて当たり前ですね。一方、先住民の彼らは350年もの間、折に触れては独立しようとしてもそのたびに潰されてきたのですから、武器といえばそれこそ火縄銃はおろか、刀や槍が精一杯でしょう。
長篠の戦いを想起してみてください。単発銃とはいえ、数をそろえた織田信長は機動力で日本一の武田勝頼の騎馬隊を壊滅させました。オランダには機関銃も戦車もある。どうしてろくな武器を持たないインドネシア人に勝ち目がありますか。そのオランダ軍を日本はたった9日でジャワから追い払ったんですよ。
しかし、日本は仮にも米、英、蘭、豪、中を相手に戦争しているのです。これらを相手にするのは至難の業です。工業生産力を考えればまるで勝ち目のない戦争です。
そうした戦争を戦うのに、どうして日本一国でできるでしょうか。東亜諸民族の連帯なくしてはとてもできません。だからこそ、「アジア民族解放」をスローガンに掲げたのです。
<<<「というのも、先日NHKで放送された番組で欧州とアフリカ諸国による人権に関する集会でアフリカ諸国側は過去の植民地支配及び人種差別(奴隷制度)は人道に対する罪であると共同声明に入れようともちかけたのですが、イギリス、オランダなどが猛反対。その理由が、過去の人道に対する罪はナチスのユダヤ人虐殺からであり、それ以前は罪という認識がなかったのでダメ。…」>>
随分酷い理屈ですね。でも、ニュルンベルク裁判自体がすでに事後法による裁きだったのですから、東京裁判だって当然無効であるはずなんですがね。(笑)
<<<黒船来日→不平等条約→西洋の強引な外交→それもアリか!→マネしよう→日清戦争→韓国併合→日露戦争→浮かれ気分→排日移民法→やはり差別OKだね>>
ちょっと待った。韓国併合は日露戦争の後。それから韓国人だって、内地に住んでいる人たちには選挙権も、被選挙権もあったから、衆議院議員になった朝鮮人もいます。
むしろ台湾人こそ、同じ日本国籍なのに差別待遇を受けていた。その割には現在も親日家が多いが。(笑)
<<<→満州建国→対ソ連対策ばっちり→日中戦争→泥沼。ゲリラとの戦い→通州事件や南京事件でぐちゃぐちゃ→なまいきな日本を各国非難→国際連盟脱退→石油禁輸措置→石油ほしけりゃ中国から手を引け>>
国際連盟から脱退したのは満州事変後である。日中戦争当時はもう脱退した後である。!
<<<→民族解放をたてまえに大東亜戦争へ突入→南方資源確保→華僑が猛反発→連合軍反撃→負け→連合国植民地奪還→でも現地人反発→やむなく独立認める
「こう図にしてみると、韓国人、中国人、華僑がいいおもいしてないですね。」>>
韓国人は当時日本人でした。ちなみに陸軍内にも朝鮮人の将官が一名おります。
洪思翊(こうしよく・韓国語読みではホンサイク)中将です。当時の日本では実力があれば朝鮮人も高級官僚になれたのですよ。
貴方はこう考えたことはありませんか。朝鮮の郵便局員は何人だったのだろう。村役場は?警察官は?
なお、これは簡単に図書館で調べられますが、昭和12年の甲子園大会に朝鮮の中学校が初出場しています。朝鮮大会での決勝戦で、この学校の対した相手校の4番、6番、9番までが朝鮮名でエントリーしていました。
<<<インドネシアに話を戻しますが、インドネシアの人達が日本軍を快く思っているひとは一握りだと思います。「ムルデカ」でアリアティという女性が「オランダの代わりに日本がやってきただけ」と言っています。大多数の人はそう思っていたのではないでしょうか?いつかインドネシアに行って確かめてみたいです。>>
是非やってみて下さい。なお、月刊日本の1998年5月号に、故チョコロプラノロ元ジャカルタ市長(インドネシア軍退役中将)のインタビューが出ていますので、そちらもお読み下さい。きっと目から鱗が落ちると思いますよ。
ではでは。
会員 ヤン・ウェンリー
■回答 (3)
お二人のやり取り、特にヤン.ウェンリーさんのご説明は非常に勉強になりました。
貴方は、かなり日本は侵略したのだという思い込みに囚われているようですが、一つ私が昨年11月に、インドネシアの法務.人権大臣をされているユスリル.イーザ.マヘンドラ博士に東京でお会いしました時のことをお話したいと思います。
未だ、40代の若いインドネシアのリーダーです。博士のお話では、オランダの法務大臣が、東チモールの人権問題をいいだしたので、オランダの350年間のインドネシア統治の間における想像を絶した人権無視の実例を話したところ、彼は口をつぐんでしまったそうです。
オランダ人が「日本政府は戦争中日本軍の捕虜になったオランダ人に戦争賠償を払え」というデモをしているのをみると、それをいうならオランダこそインドネシアに賠償を払ってもらいたい、といいたくなる、といっていました。日本は3年半の占領に対してきちんと賠償を払っているのに、350年間占領していたオランダはその100倍払わなければいけないのに何も払っていない。とおっしゃっていました。なるほど、インドネシアの人はそういう考えをしているのかと、改めて認識させられました。
さらにこういうこともいっていました。日本軍は3年半の間にPETA(インドネシア義勇軍)をつくりインドネシア人を武装させ軍事訓練をしてくれた。これがあったから、戦後オランダとの独立戦争が戦えた、とハッキリ言っておりました。さらに。法務大臣は大学で憲法を教えていたが、インドネシア憲法は、日本軍の協力でつくられた、と大学で教えているそうです。これを聞いてびっくりする日本の学生がいるといっていました。
数倍の兵力のオランダ軍が守るインドネシアの中心のジャワ島をたった8日間で、降伏させることができた根本原因は、日本軍の力はいうまでもありませんが、現地人であるインドネシア人の協力があったればこそであることがよく分かってきます。実際日本は占領すると直ぐに、独立運動の指導者で投獄されていた、スカルノやハッタを救出し、彼らは日本軍制に協力し、行政能力を身に付け、PETA
で軍事力をつけました。
そして日本敗戦の翌々日に独立宣言をスカルノ、ハッタの名前で出しますが、その独立宣言文の日付けが、17805となっているのが象徴的です。05,は皇紀2605年の05をとっているからです。こうしたことは、本を読んで前から知っていましたが、実際に現地の方と会って話をきいてみると、矢張りそうであったかと納得することが多いです。
因にユスリル法務人権大臣と一緒にとった写真がありますので、何かの機会にはお見せできます。
<<<ヤン・ウェンリーさん
インドネシア関係及び歴史認識について詳しい解説ありがとうございます。やはり歴史をとことん検証することが必要だと痛感しました。
プロパガンダ教材のページも見ました。南京事件のコーナーはすごく複雑な気分になります。実は私の母方の祖父が騎馬部隊(馬に乗ってる写真があるのでそう解釈しました)として国民党軍と戦いました。家族には補給部隊で指揮をしたと言っていたそうですが幼少の私には生々しいことを聞かせてくれていました。うっすらとしか覚えてませんが、
「すぐとなりの仲間の兵が、あっ!といって頭が血だらけになり倒れた。」 「食べ物には困らなかった。」「国民党軍の陣地に突入すると、敵兵はすぐ降参した。敵兵はその場から逃げられないように2人一組で鎖でつながれていた。 かわいそうだった。」>>>
この話しは事実の基づいていると思います。日本軍とちがい戦意に乏しい中国兵を戦わせるために、中国軍は督戦隊という、退却する兵士を後ろから射殺する正規の部隊を持っていたのです。(南京退却時にも、北のゆうこう門で、督戦隊に射殺された中国兵がかなりいたことが確かめられています。)そして陣地を死守させるために、2人1組で鎖につなぐということもしていたのです。
これは何ともかわいそうなことですが、はっきりしていることはこれは日本の責任ではなく、その様なひどい政府.ひどい軍隊しか持っていない中国であったからこそ、治安は保たれず、多くの日本人居留民が殺害され、そしてそれを護るためもあって、戦いに引きずり込まれていったというのが、実態です。こうしたことについては、台湾人の黄文雄さんの「日中戦争知られざる真実」(光文社、今年1月刋)を是非お読みになることをお勧めします。
<<<この話が本人の体験かどうか他界した今ではわかりません。その後小中学校での歴史教育で私は祖父に昔のことを全く聞かなくなりました。やはり戦争とはいえ人殺しというイメージがあったんだと思います。>>>
やはりもなにも、戦争自体は人と人が殺し合うことは自明のことです。しかし、戦争は合法行為であり、おじいさんの名誉が傷つけられるものでは全くありません。問題が起こるのは、不法行為、すなわち戦時国際法に違反した殺害、その他が起こった場合です。それが戦争犯罪です。われわれが研究しているかぎり、南京においては日本軍は不法殺害、即ち戦争犯罪はほとんどおかしていません。
いわんやアメリカが犯した明々白々な戦争犯罪である原爆投下、東京その他都市における非戦闘員の意識的な大量殺害に匹敵するようなものは、「皆無」です。戦争犯罪とは、ハッキリと、戦時国際法違反行為としないと、勝者はまるで戦争犯罪を犯していないかのような馬鹿馬鹿しいというより、不正きわまりない話しになってしまいますので、十分に注意すべきだと思います。
<<<周りの人には大陸で戦ったと言いにくいでしょうね。私は心の片隅で祖父の名誉を取り戻したいと思ってきました。そういう意味でも反省するべき点は反省し間違っている所は詳しく検証、証拠提出で訂正する事が重要です。>>>
<<<検証中に日本軍の新たな戦争犯罪も発見されるかもしれません。しかし、国民は事実を求めていると思いますのでもしあれば掲載するべきです。検証内容が偏った方向に行かぬよう切望します。 祖父との日々をふりかえる今日この頃です。>>>
是非、おじいさんを公平な観点でみてあげるようにしてください。公平とは、あくまで国際法を平等に適用する、ということです。
会員 茂木 弘道
■回答 (4)
<<< プロパガンダ教材のページも見ました。
南京事件のコーナーはすごく複雑な気分になります。>>>
そうですか。実は私の祖父も昭和14年に出征しておりますので、南京事件とは関係ありませんが、私にとっても支那事変は人ごとではありません。
詳しいことは茂木さんからメールにあった通りですが、あのページは基本的に私がつくっております。まあ、私も中学校現場で偽りの歴史がかぶせられつつある様子をまざまざと見せつけられてきたわけで、その一例としてあのページを立ち上げてあります。
ミラーサイトもご覧下さいね。もっとすごい教材(こっちはビデオ)があります。アドレスは
http://f1.aaacafe.ne.jp/~iserlohn/
です。
会員 ヤン・ウェンリー
■投稿 (3)
茂木さんメールありがとうございます。
国際法で平等に見るという意見、これから始めたいと思います。
今だ左側とされる方々からはメールが来ません。
検証問題、50年前のことで記録も多数残っているのになぜこれほど意見が食い違うのでしょうか?
政府の見解はどうなのでしょうか?
中国や韓国の政府見解、今だ被害者意識が強いですね。賠償金を払って仲直りしたはずじゃなかったのでしょうか?
今後の世代のためにももっと友好的に解決できないのでしょうか?
きっと中国、韓国の方々もこういう問題にうんざりしているのではないのでしょうか?
どうも私には国家間を自国有利にしようという駆け引き材料にされているように見えます。
日本は過去に侵略したから、また同じ事をくりかえすかもしれない…。
日本は平和国家。
核兵器持たない国。
過去の戦争は間違いだった、
国民は政府に騙され、無駄死にした。
神の国と洗脳された。
こんなこと言ったり言わなかったり…。
まあ、戦争でいいおもいした人なんていないでしょうから戦争やってよかった!なんていう人いないと思います。
私的には早い段階で天皇が停戦・休戦など何らかの戦争終結の意志を出してくれていればと思います。
中国や韓国にも現在の歴史認識に疑問を抱いている方はいないのでしょうか?いないとするとその考えが寸分の狂い無く正しいか、ある程度洗脳されているかと思いますがいかがでしょうか?
今までの文章を読んでいただければわかると思いますが私は右・左双方の意見を見ることにすごく意味があると思います。
偏った情報は危険です。教育現場でも双方の意見があるのは喜ばしいと思います。
しかし、左よりが大きいのが現在の教育現場の実状だと思います。かといって国旗掲揚問題、国歌斉唱問題etc.いろいろありますが、子供達に一番重要なことは「国を愛しているか?」だと思うのですが?
国を愛してもらうためにはどう教育するか?
国旗掲揚が軍国主義?
国歌斉唱が軍国主義?
天皇崇拝???
崇拝しないでしょう。
崇拝するのはグレイや宇多田ヒカルじゃないでしょうかね。
今後の平和な国家のイメージとして日の丸国旗を掲揚すればいいんじゃないでしょうか?
日本はもうアメリカの一部みたいなもんじゃないですか。
もう右・左とも古い考えにとらわれず、
アメリカ主導の世界での国益追求にシフトしてほしいです。
歴史教育もすごい重要ですが、英語教育が…中高6年間も英語教育受けたのに英語話せないんですよ!この私も。なんかおかしいですよ。
ともあれ今後の日本を支える子供の為に頑張ってください。
■回答 (5)
国際法を基準に公平に日本の過去をみていくことが必要であることをご理解いただき、喜んでおります。但し、公平な歴史の本がそう多いわけではありませんので、少し意識的にいくつかの本を選んで読むことも必要かと思います。
日中関係、日韓関係、中国文化に関しては先にチョッと触れたかと思いますが、黄文雄さんの諸著作を是非お読みいただきたいと思います。それから、東京裁判に関するものとして、田中正明著「パール判事の日本無罪論」(小学館文庫)は必読書です。本当は、さらに「パル判決書」(講談社学術文庫.上下)も読まれると勉強になります。他にも沢山ありますが、取りあえずお奨めです。
英語教育論につきましては、多分私はあなたと反対の考えかと思います。六年間やっても話せないのは、当然だと私は思っています。合わせて7〜800時間(中高)で、ある程度の文章を読め、書けるようにするのは精いっぱいです。会話はスポーツです。
実際に練習をやらなかったらうまくなりようがないのです。しかも、スポーツと同じようにかなりの時間を集中的に書けてやらないと効果がありません。少し強い野球部でしたら、毎日2時間位は練習するでしょう。同じように、英会話トレーニング部(英会話クラブ的なサロンではなく)で毎日2時間放課後システマティックにとレーニングを行えば会話は間違いなくうまくなります。
会話は教室向きではありません。せっかくネイティブの先生が来ても、40人クラスとして、1人と1分会話を交わせば、1分×40人=40分、ということで、1時間はほぼ終わります。1分しか実際には話さないでうまくなるはずはありません。皆さん飛んでもない錯覚をしています。学校教育が悪いわけでも何でもありません。学校教育+2000時間はやらないと使い物になる英語にならないということは、教え方の問題ではなく、絶対時間の問題です。
こう考えていますので、昨年「小学校に英語は必要ない。」(講談社)という本を出版しました。興味がありましたらお読み下さい。
会員 茂木 弘道
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