「慰安婦強制連行」、「南京大虐殺」の証拠について

■投稿 

初めて投稿いたします。

「慰安婦強制連行」についても「南京大虐殺」についても 政府の文書が存在しな い、との理由で日本政府及び 日本軍は関与していない、或いはその様な国家政策は 無かったと強調する向きがありますが、説得力に欠けるのでは、と考えております。

日本の敗戦前後、日本軍は国内外のあちこちで敵国に日本の機密文書等が渡らない 様、処分していたとの事です。
それを知っている人は、いくら「証拠がない」と強弁しても「それは証拠隠滅して いたからだろう」と反論してくるのではないでしょうか。

また、敗戦後アメリカに731部隊の人体実験の研究成果を渡す代わりに、アメリカか ら日本側に有利な譲歩を引き出した、と言う話も聞いた事があります。
それが事実だとしたら、上記の2件に関しても同様の事があるのではないでしょうか ?

この事は以前から気になっていたので、誰かに質問してみたい、と思っていました ところ、貴サイトを見つけたので、思い切って投稿してみました。

御忙しい中お手数ですが、ご回答をお願い致します。 乱文、平に御容赦願います。

■回答 

投稿有り難うございました。

「慰安婦強制連行」や「南京大虐殺」問題について、日本政府及び 日本軍は関与し
ていないと主張するのは、政府の文書が存在しない、との理由ではありません。具体
的な証拠がないという理由です。

「南京大虐殺」については、過去のご意見箱に何回となく如何に彼らの主張が論拠の
ないものか述べていますので、参考にして下さい。

韓国からの「慰安婦強制連行」については、当時の石原官房副長官が具体的な証拠は
見つからなかったが、政治的に認めたと証言しています。
又この問題が重大化したきっかけを作った吉田清治証言は韓国の地元紙や、秦郁彦教
授の現地調査で事実無根と否定され、吉田清治自身も創作であったことを自白してい
ます。

又訴訟団の原告全ての証言は過去の証言と食い違っています。この詳細は西岡力著
「コリアタブーを解く」「日韓誤解の深淵」を見てください。
この訴訟の原告の一人文玉珠の預金通帳が発見され、その通帳より分かったことは、
彼女の収入は陸軍大将の2倍以上あったことが分かりました。

陸軍大将の2倍以上の収入の人が性奴隷ですか?彼女らはすべてお金で娼婦として集
められた人たちです。

731部隊については書類全てがアメリカに押収され、研究しようがないとの話を聞
いています。

理事 杉本幹夫

■回答 

ご投稿有り難うございます。

簡単に結論を申し上げますと、「南京虐殺」も「慰安婦強制連行」も、これを否定す
る論拠は、日本政府の文書が存在しないというところに、主要点はありません。それ
も一つの論拠ではありますが、われわれはさして重要な論拠とは思っておりません。

「南京虐殺」については、沢山の論拠がありますが、差し当たり重要な論拠としてわ
れわれは次の三点を考えています。

 1)Documents of the Nanking Safety Zone (南京安全区の記録):

 これは、南京の安全区を管理した「安全区国際委員会」の二ヶ月ほどの活動記録で
す。英文でかかれており、主には日本軍/大使館に対する委員会からの申し入れ.抗
議書から成り立っていますが、そのほか内部活動についても書かれています。

この文書は、国際委員会委員が中国に同情的で反日的なバイアスのかかったものではありま
すが、後で作られたものではなく、当時の事実をかなり反映しているので貴重な文書
です。国際委員会は、南京を逃亡した馬市長から、食料、資金等を預けられ安全国に
集められていた市民の世話を頼まれていましたので、南京市民の動向については当時
最もよく知る立場にありました。

この文書に、南京の人口は日本軍占領時20万、その一ヶ月後から25万と記録されています。つまり、人口は逆に増えています。ま
た、日本軍にあった被害と称するものが、中国人から持ち込まれるとその検証もせず
に、タイプし、日本軍に抗議書として提出したのですが、そこに出てくる殺害は合計
で27件54人ですが、内目撃のあるものは立った1件(しかも合法殺害と注がつい
ています)です。実態はもっと少なかったと見られます。

(尚安全来面積はニューヨークのセントラルパークの広さと同じくらいで、何が起こったかは20万市民の目
に留まらないことはほとんど考えられません。)

 2)中国政府は、国際連盟を日本非難し世界に同情を集める場として徹底的な活用
していた。日本が脱退していることもあって、一方的な主張を訴え、盧溝橋事件以後
日本非難決議を勝ち取ったりしていました。ところが、南京占領後国連で日本非難を
続けていたにも関わらず、たったの一言も「南京虐殺」という非難をしていません。
よく世界の非難を浴びたが国民には知らされていなかったという人がいますが、全く
のウソで、国連で南京虐殺など言われていませんでした。

 3)日本軍入城とともに120人もの新聞記者.カメラマンが南京に入り、各社
競って写真を撮り、記事を送りました。特に朝日新聞は、次々に写真特集を載せてい
ますが、そこに出ているのは「平和甦る南京」(タイトル)そのものです。軍の検閲
をいう人がいますが、事前検閲などをおこなう体制になく、結果として「軍事作戦」
に関わるものが、禁止された例が何件かある程度です。各社競って送った写真ですの
で、いわゆる「やらせ」をやっている余裕などありません。

こうして各紙に掲載された南京の写真は、全国紙、地方紙、さらには写真グラフ等何千とあります。あの当
時、一党独裁の国ではあるまいし、こんな大量のニセ写真を作る能力は日本にはあり
ませんでしたし、第一戦後になって戦中の悪口を言う人が多いにもかかわらず、「あ
れはウソ写真だった」「南京虐殺をこの目で見た」といっている記者もおりません。
世田谷区くらいの広さしかない南京城内を120人の記者達は、精力的に取材したの
ですから、虐殺があったとしたらそうそう見逃すことはありません。

実は、他に膨大な論拠はありますが、今日は時間がありませんので主要3点のみをご
紹介致します。従軍慰安婦のことは後に致します。あしからず。

会員 水本繁


南京事件や731部隊は茶番だというのか?

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この本が茶番であるならなぜこの本がベストセラーになったのか言ってくれないか?

プロパガンダだと決め付け私を苦しめないでください。印刷する前に出版社はチェック しなかったと思っているのか?

私はミシガン大学で歴史を専攻しこれらの写真も教科書で見ている。
次は何だ?

あなたは 731部隊は何も起こさなかったと言おうとしているのか?昭和の虐殺はは無かったと言おうとしているのか?

私はWWUにおける日本の殺人部隊/Einsatzgruppen SS殺人部隊 についても調査しようとしており非常に興味を持っている。 

返事を待っています。

■回答 

昨年の秋、「南京事件の探求」(Searching the Nanking Incident)というタイトルのペーパーブックが日本の大手出版社文藝春秋社より出版されました。

著者は立命館大学の近代中国史の教授である北村稔博士です。 この本ではHarold John TimperleyはManchester Guardian紙の特派員で「What War Means:The Japanese Terror in China"(London, 1938)」の著者で、初めて世界に南京事件という言葉を「知らせた」国民党中央宣伝省(the central propaganda ministry of the Nationalist Party)の一員で、中立的立場にないジャーナリストであることを証明しています。

事実彼は現場から離れたところでアメリカやヨーロッパ向宣伝をする指導者で、後にはこの部門の顧問に任命されています。

北村は宣伝省前理事 曾虚白の自伝(1988年台湾にて出版)の中からこの事実を見つ> けました。

最近の台湾民主化のためにこの種の情報が得られるようになってきのです。さらに宣伝部ではアメリカ人の南京大学社会学教授

Lewis Smytheに金を払って、「南京地区の戦争被 害」、(これは被害の中立的な資料と信じられていますが)を書かせ、南京市で殺された人数が小さめに見積もられていると批判させました。

これら2冊の本は戦後の東京裁判の起訴で大きな役割を担いました。
そして、東京裁判における唯一の西洋人証人であるMiner Searl Batesは実際南京で 彼が見た殺人がどのようなものかと尋問され、「一回だけ、一人の人が逃げていくところを殺されたのを見た」と答えました、

彼も中国国民党政府の顧問で、南京大学の歴史学教授で敬虔な宣教師でした。
:http://www.fpcj.jp/
(HP of Foreign Press Center→Views from Japany→ "2002 Jan "Nanking
Massacre "The Masquerade of Nanjing University Professor Bates" )

この3人は「南京大虐殺」のイメージ作りに重要な役割を果たしています。
南京事件についてはどのアメリカの歴史家も英語、中国語、日本語の元資料を十分審
査、検証していません。少なくともいえることは急いでやった東京裁判の調査には
信じられないほど多くの矛盾があることです。この裁判では証人を探し出し東京に連れてく
ること、証人を中国内部で探し回ることが大変難しかったことを付け加えておきます。

他の全ての証言は読み上げられた陳述でした。

南京事件は中国共産党政権にとって高度な政治的事項です。なぜなら彼らの今日の存在は、 日本人に勝利することに起因しているからです。彼らには民族統一のため出来るだけ大きな共通の敵を作っておく必要があります。戦後の連合国もナチの holocaust.と同じような日本の戦争犯罪が必要でした。

しかし、WWUが終わり50年以上も経ったのですから、我々は頭を冷やしもっと真剣に証言の内容や真相を見つめてみる時です。


追記:貴方の教科書の題名を教えてください。そして東京裁判に出されたRadhabinod Pal 判事の判決文コピーが貴方の図書館にありますか?
これは検閲されているもので参考知識としても興味あるものとなるでしょう。

会員 野口ひかる


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野口ひかるさん

貴方の詳細で迅速なお返事、貴方の貴重なご意見有難うございました。
ご紹介いただいた本が図書館にあるか明日にでも調べてみます。
2年前に義和団事件と南京事件の授業をうけました。

お訊ねの私達の使っている教科書には簡単に南京事件について述べられています。
偶然にも私は教科書を持っていました-
Traditions & Encounters : A Global Perspective On The Past. Volume II. 
Bentley, Jerry H. and Ziegler, Herbert F. -

また私は間違っていたのですがアイリス・チャンの写真は我々の教科書には載っていません。
写真を載せていたのは我々図書館にあった本で題名は「Japanese War Crimes- the Forgotten Holocaust」です。これも明日また調べてみます。

貴方への質問ですが・・南京事件は全く無かったと思っていますか?
アイリス・チャンの本を調査研究の資料とする前に彼女に対する批判をもっと読んでみたいと思っています。

満州生物テストに関する731部隊について何か本を紹介してくれませんか? 情報を頂き時間を割いていただいて有難うございました。おかげさまで私の調査研究に誤った情報を使わずにすみました。


■回答 

> 貴方への質問ですが・・南京事件は全く無かったと思っていますか?<

いつかは前世紀最大の歴史的虚偽の一つで最大の偽情報の成功物語だと判る日が来ると信じています。

多くの兵士が死にました。また Bates、 Smythe、 John Rabe(彼の日記の内容には色々な脚色がある)のような南京に残っていた西洋人が設営し、自主宣言をした「安全地区」には多くの兵士が隠れてお り、日本軍は掃討作戦をしていましたので、かなりの市民が間違って殺されたことはありえます。

この様な人が何人いたかは私にはわかりません。南京市長が逃げ出す前に南京市長の依頼により、西洋人により安全地区委員会が作られました。この安全地区委員会への、中国人の口頭申立の全てが記録されている「南京安全地区の記録」には殺人が25件と記録されています。
又これらの証言の多くは検証されていません。25件の殺人の内23件が噂です。

2件には証人はいましたが最初のものは日本兵に殺された市民で合法的なものと記録されています。
あと一件は日本兵の「止まれ」との命令に従わず逃げたため撃たれたものでした。

前回のメールでこの証言をしたのはBatesだとしましたが、南京の宣教師John Mageeでした。そして彼が東京裁判で証言できたのはこのただ一つの残虐行為でした。(また Batesも証人として呼び出されていました。)

埋葬者の数は「(安全地区)報告書」、Batesの「調査」、Rabeの「日記」に記録されており、全てが合致しています。約43000人だったと思います。(ご自分で報告書を読んでください)

日本軍は作業者に1死体埋蔵ごとに0.3円支払いました。この数は日本軍の支払記録とも合致しています。

しかし日本側の支払者は「埋葬グループ(赤十字団体)は収入を得るため数字を偽っていた。しかしこの作業は他に生計を得る術の無い避難民の緊急援助だと考え見て見ぬ振りをした」と証言していています。(中国人警察官の月給が月3〜5円なのでこれは大きな金でした)

これでもし貴方が一日当たり埋められた死体の数を気象条件、稼動作業員を考慮し、精査してみたら(西洋人が日本人と同じように記録を残している)証明することが出来ます。埋葬は2月1日から3月15日、厳しい冬、早春の条件下で行われた。歴史家の東中野は埋葬者数を約14000と推定しています。殆どが戦闘員であったと思います。 (別の埋葬グループの記録が東京裁判で明らかになり、そこでは11000体と主張して います。
1937年か1938年の南京にはそれ以上の埋葬者の記録はありません。
250000人の市で秘密裏にそれほどの死体を埋葬することが出来ますか?)

もし次のものが図書館にあるか調べてみてください。Amazon.com.からでも入手できます。
What Really Happened in NANKING  The Refutation of a Common Myth by TANAKA Masaaki  2001

>満州における生体実験:731部隊に関する本を紹介してくれませんか?<

南京事件に関して焦点を当ててみました。731部隊について私はよく知りません。
他の方にお尋ねください。
これは私達の歴史の汚点かもしれないと感じています。

でも中国側が提供する731部隊の残虐性の証拠とする写真は実は日本人医師が中国人暴徒による悪名高いぞっとする事件(1927年で場所と日を調べる必要があるが)で犠> 牲となった日本人市民の数十体の切断された死体を検査している写真です。

会員 野口ひかる


中国に対する戦後補償

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質問1、どうして日本語のサイトと英語のサイトは内容が違うのですか。

質問2、日本語ページのQ&A、Question 1の別表に中国に対する戦後補償が書いてありませんが、どうして書かないのですか。

    韓国と同様に補償していると思いますが。

■回答 

Q1. 英語のサイトと日本語のサイトは内容が違います。

これは英語で自由に発信できる人が少ないため、担当者が別々になっているからです。


Q2. 中国に対する戦後補償は、日本が現地に残した各種資産と、サンフランシスコ平和条約の前に第一次賠償として日本国内の軍需工場を解体して持ち出した機械類だけです。

これはサンフランシスコ平和条約の時、台湾と中共の対立で、どちらもサンフランシスコ平和条約に参加できませんでした。

日本はその後台湾を全中国の代表として条約を結びました。

蒋介石はアメリカの方針に従い、一切の賠償を放棄しました。日本の中国・台湾に残した資産は厖大なものであり、それで充分との考えでした。尚それに先立ち終戦と同時に、蒋介石は「以徳報怨」(怨みに報いるに徳を以てす)の有名な演説をしています。

その後、中共と国交を回復したとき、毛沢東はその方針を引き継ぎ、賠償を放棄しました。これは中共とソ連の緊張状態から、毛沢東は日本との関係改善を急いだこと、革命で政権が代わったとき、新政府は旧政府が結んだ国際条約を継承する義務があることを考慮したものと思います。

尚台湾人で日本兵として従軍した兵士に、台湾政府は補償するわけがなく、又蒋介石時代に日本が個人補償すると、台湾政府の立場がなくなります。彼らに対する個人補償がなされたのは、李登輝時代になり、台湾も経済的に豊になってからです。

理事  杉本幹夫