日韓併合について


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1910年の日韓併合について次の2点の歴史的事実を教えてください。

1.朝鮮人の日本の国家権力による「強制連行」はあったのか。労働力の「徴 用」は法律に基づき本来の日本人のみならず当時併合により日本人となっていた 「朝鮮人」にも適用されたと聞いていますが、法令に基づかないで「むりやり」 朝鮮人を強制して本土に連れてきたというのは本当ですか。
自分の意思で本土に 出稼ぎに移住した朝鮮人はどのくらいいたのでしょうか。

2.「従軍慰安婦」 これも日本という国家が国家権力で行ったと今でも主張す る人が少なくないが、事実はどうなのでしょうか。
以上2点を明快に当時の法令を参照して説明した著作があれば教えてください。

■回答


1.国家権力による「強制連行」とはどのような定義でしょうか。
徴用を「強制連行」と定義するのならば「強制連行」はありました。拉致と言う 意味での強制連行はなかったと思います。

1939年内地と台湾で徴用令が施行されましたが、朝鮮では内地企業の自由募 集が許可されただけです。
それまで、内地の労働者の需給関係を乱すとして、朝鮮では内地企業の自由募集 が認められなかったのです。
1942年自由募集から官斡旋に切り替わりまし た。この官斡旋以降が強制連行と言われます。
官斡旋とは文字通り、内地企業の求人に対し、官が積極的に斡旋するという制度
です。

しかしこの官斡旋は、あくまで斡旋です。罰則がありません。
内地まで連れてきて貰ってから、知人を頼ったりしてさっさと逃げだし、より良 い条件の企業へ就職した人が大勢います。罰する法律としては金銭の貸借関係し かありません。何日か働いた賃金と食費を相殺すれば多少の支度金があったとし ても多寡が知れています。

徴用制度が発足したのは1944年です。徴用拒否は罰則がありますから強制と 言えば強制です。しかし徴兵、徴用は世界的に認められた制度であり、現在の韓 国でも徴兵制度があります。

「月曜評論」平成12年10月号11月号に西岡力先生が「朝鮮人強制連行の虚 構」を書いておられますが、広島の東洋工業に徴用された人の手記には、指定さ れた集合場所に集合し、壮行会が開催され、盛大な見送りの中出発したと記され ています。

官斡旋時代の金正三氏の手記では、見せかけは募集であったが、強制連行以外の 何ものでもなかったと書いています。しかしこの表現では拉致というイメージは 湧きません。又勧誘に来た人は募集企業の人と朝鮮人であったと書いています。

当時の朝鮮は日鮮一体化の旗印の下で、聖戦必勝に向かって燃え上がっていまし た。朝鮮人は教科書問題をみても分かるように、反対意見を許さない所がありま す。そのようなムードの中朝鮮人の村役人が強制に走ったと思われます。しかし 強制と言っても拉致ではなかったと思います。尚当時村長に当たる面長、その上 の郡守は基本的に全員朝鮮人でした。

拉致のような事が公然と行われていれば、国会で問題にならない筈がありませ ん。朝鮮人の貴族院議員や、元衆議院議員が黙っているはずがありません。この ような事は明らかに犯罪行為であり、反日運動を引き起こす可能性があります。

自分の意志で日本に来た人については何人いるか分かりませんが、官斡旋が始ま る前の1941年の在日朝鮮人は約150万人です。

2.「従軍慰安婦」については、当時の河野洋平官房長官が、現地調査の結果、 国家権力の介入があったと認めました。官房長官が公式に認めたのですから、 「日本という国家が国家権力で行ったと今でも主張する人」がいて当然です。

しかしその下で働いた石原官房副長官は現地調査の結果、拉致のような不法行為 は一切見つからなかったと証言しています。そして韓国外相の、「補償要求はし ないから、政治的に国家権力の介入があったとして貰えないか」との要請に従っ たと言っています。
全く河野洋平は国賊です。

基本的な事は私の「植民地朝鮮の研究ー謝罪するいわれは何もない」を見てくだ さい。又西岡力氏が色々書いておられます。河野洋平の国賊行為については、大 師堂経慰「慰安婦 強制連行はなかった」展転社が徹底的に検証しています。

理事  杉本幹夫


日、中、韓に平和はない(原文英語)


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私は、日本、韓国と中国の3つの国には平和がないと思う。

あなたは第2次世界大戦について、日本は朝鮮と日本に対する良い影響もあったと言うことにより、朝鮮と中国におけるいわゆる帝国の悪行を正当化しようとしている。
この事については朝鮮人も中国人も誰一人として同意する人がなく、馬鹿げた事である。

二日間前、福岡から女子大生がソウルに来て、第2次大戦中性的に虐待を受け、破滅した老女の看護をした。
私はまだ、まっとうな日本人がいると思う。
しかし、大部分の日本人はそうではない。彼らはまだ日本人は韓国人や中国人より優れていると思っている。

大部分の人類学者は、日本人は朝鮮人と中国人の混血であると言っている。
たくさんの朝鮮人は、新しい土地を見つけて、本土での戦争から逃れるために日本に移住した。
彼らは都市と町を建設した。
日本の中のたくさんの出土品が、朝鮮の影響を受けていることを正確に示している。
現に当時は、日本という名前の国はなかった。

信用できない、歪曲された歴史書、日本書紀によれば、白村江の戦いで百済が滅びたすぐ後の時代に、日本と呼ばれている国が現れたのだ。
皮肉にも韓国に起因するものを中国から来たに違いないと日本人は言おうとしている。
私はこの態度は劣等感の現れだと思う。

あらゆる歴史は、敗者ではなく勝者によって書かれる。
日本人は韓国と中国でたくさんの一般市民を殺した。そして、南京はその代表である。
私が中国人にこの歴史的な大虐殺について質問する度に、中国人は日本人が嫌いであり、日本人を憎むと答える。

私には、日本人が中国人に何の謝罪もしない理由がわからない;
皮肉にも、古い中国人の子孫が、韓国と中国で彼らの親戚を殺したのである。
あなたの注意をありがとう

■回答

貴方は 朝鮮より冷遇された台湾の人たちが、海南島との比較で日本に感謝している事をどのように思われますか。
今春、日本統治を正当に評価した金完燮をどのように思われますか。

金完燮は台湾人同様、今日の韓国の発展は日本統治の成果だと評価したのです。
しかし彼の「親日派のための弁明」は有害図書の指定をうけ、彼の韓国における言論が実質的に禁止されました。
この事により韓国には言論の自由がないことが明白になりました。
中国も言論の自由がない国です。

韓国、中国の歴史認識は、日本からお金をゆすり取るため、政府で作られたものです。
戦前の日本と中国との関係は今日のイスラエルとバレスチナの関係と同じです。
協約とテロとの戦いです。
南京虐殺は作り話に過ぎません。
20万人しか居ない街で、どうして30万人も40万人も殺せるのでしょうか。

日本人の祖先が、中国人や韓国人であることを否定しません。

理事  杉本幹夫


2002/12/12TBSの筑紫哲也氏の「NEWS23」


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昨日(2002/12/12)TBSの筑紫哲也氏の「NEWS23」中国・雲南ラモウの朝鮮人慰安婦の写真を発見との報道で紹介された写真には明らかに「慰安婦生活」とは関係ないものであると推量されるものが混じっておりました。

他の誰かも気付くだろうと思いましたが、私の周りでその写真のうさん臭さに気付いたものもなく、今朝ヤフーなどの掲示板などを確認したところでもそのような書き込みは残念ながらみつかりませんでした。

私は中学の頃教師に見せられた凄惨な「南京大虐殺」の写真を小林よしのり氏の「戦争論」を読むまで「日本軍の残虐さを示す真性の物」と受け取っていました。今回発見されたとされている当該写真が今後、「発見者」の西野留美子氏により様々な場において「慰安婦の悲惨さを示すもの」であるかのような「虚偽」を広めるネタとされ、若い人の心をいたずらに傷つける事がない様、専門家の方に善処していただけたらという思いからお知らせいたします。

偽物と思われる写真はメインで扱われていたうちの一枚で女性が柱にそうような形で素っ裸で立っている写真です。
片手を後ろに廻している為ちょっと見には「縛られているのでは?」と思いかねないような写真です。
西野留美子氏はこの写真を元慰安婦の女性に見せ、本人である事を確認したのですがその際「こんな事を聞く私を許して」と言わんばかりの態度で泣き崩れていました。
この女性が慰安婦であった事も、写真の本人である事も間違いないかも知れません。その意味では彼女達は嘘は口にしていないと言えます。

でも全く慰安所生活とは関係のないヌード写真をこんなシチエーションで紹介すれば大半の人が「この写真は慰安婦生活を写したもの」と勘違いするのではないでしょうか。

その意味では相手が誤解する事を想定したかなり詐欺的な行為であると感じます。
最も私は西野留美子氏はそのからくりに気付いていなかったかもしれないと感じています。
しかしTBSがそのからくりに気付かなかったはずはありません。
そう感じた理由もお話しようと思います。

私は戦後生まれの世代であり軍事や歴史に関して特別な知識を持つものでもありません。
そんな私だけが何故そのように「偽物である」と確信するにいたったのかと申しますと、あの写真に私にとっては見なれたものであるが、あまり一般的ではないもの(少なくとも私の周りの人間には何か解らないもの)が写っていたからです。

それは左背後のイーゼル(画架)2脚と左手前の高い位置にある油絵用キャンバスの背面の一部です。
つまりそこでは正に裸婦モデルを囲んで最低3人の人間が裸婦像の絵(油絵を含む)を描こうとしていたと見るべき状況があったと言う事なのです。
女性が寄り添っていた柱状の物は垂直のラインを提示する事で裸婦の重心の移動を捉え易くする為の物だと思われます。
デッサンをしている人が糸などの先に重りをくっつけてモデルにかざしているのを見た事がありますか?あれと同じ働きをするものです。

写真は絵画資料として撮られたものであると考えます。
現在でこそ絵画のための資料としてのヌードポーズ集が刊行されていますが当時としてはモデルを見つけた機会を捉えて写しておくしかなかったのではないでしょうか。

番組では慰安所のあった場所を「激戦地」と紹介していました。
仮に慰安婦を裸にして絵を描こうとするものが居たとしてもイーゼルや油絵用キャンバスまで用意するものでしょうか。
私は無論「戦場画家」と呼ばれた方々が居た事も知っておりますし、戦闘の様子を油絵にされていた事も知っております。
どういった行程で作品を仕上げられていたか詳しい事は存じませんが、たとえ激戦地で筆を取るにしてもデッサンや水彩をスケッチブックに下絵としてしたためる程度ではなかったかと思います。
キャンバスを用意して油絵に取り組まれたのは安全な地域もしくは内地に下がっての事ではないでしょうか。

そもそも「戦場画家」となられた方々は十二分に研鑽を積まれた上でなっておられるのであって、直接の画題でもない裸婦像にわざわざ「戦争画を描きにやって来た筈の戦地」において習作的に取り組んだとも考えにくいのではないでしょうか。
ましてや一ケ所の「激戦地」に複数の画家を集合させて「アトリエのような場所」を用意してまで裸婦像を描かせたとは思えないのです。
これが仮に男2人に組ませてモデルとしたならばまだ「戦争画」との接点が見い出されるのですが。
それにしても「激戦地」とやらで複数人の画家がのんびりと油絵を描くための部屋が用意されていたとはやはり思えないのです。

無論慰安婦を裸にして複数の一般兵士が取り囲んで面白半分に絵を描いた事があった可能性を全否定する事は出来ません。
しかしそういう「特異な扱われ方をした際の写真」だったとしたらそれについて語らなかったのは不審ですし、悪戯描き程度ならともかくイーゼルやキャンバス、加えて必要な油絵の具などをあの時代の「激戦地」において用意できた、携行していたとはとても思えないのです。

以上により、あれはやはり戦場でない場所における「絵画教室」の様子を写したものであると確信します。
慰安婦生活を経た為に戦後は裸婦モデルとなるしかなかったという事があったのでしたらお気の毒に思いますが、あの写真を「慰安婦生活の悲惨」を写したものであるかの様に喧伝するのは「偽り」であると言わざるえません。

私の周りの人間が気付かなかった様にイーゼルや油絵用キャンバスの背面など縁のない人は一生見ないものです。
ですから西野留美子氏は気付かなかったと言い訳する事が出来ます。
しかしTBSにその言い訳を語る余地はありません。
テレビ番組の制作には多くのデザインを中心とした美術教育を受けたものが携わっているからです。
彼等が「番組に関わった誰1人イーゼルや油絵用キャンバスの背面などを見た事がありませんでした」では通用しません。

■回答

大変鋭いご指摘有り難うございました。
昨日の筑紫哲也氏の「NEWS23」の要約がhttp://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/7032/index.html
で見れますので、見ましたところ、ご指摘のように、キャンバス、イーゼルが写っています。
戦場の近くにこのような物がある筈が無く、裸婦像の絵のモデルと考える方が自然のように思います。

ありがとうございました。

理事  杉本幹夫