日本はその罪を認める時だ(原文英語)


■投稿要約

たった今、貴方のサイトにアクセスした。色々の人々に書かれたコメントや貴方 たち自身のコメントもざっと読んでみた。第2次大戦が終わって57年経っている のに日本は過去の歴史をまだ理解しようとしていない。これを認めることは日本 の歴史家にとって心が痛むことだ、それに現代の様式で真実を見つめ、受け入れ ることは必然的に面子を失うことにおそらくなるからだ。

いずれにしろ歴史的に見て、世界の各地で外国の軍隊に占領された時、残虐行為と権勢 は占領軍の最前線ではいつもあったことだ。歴史を見てみると領土拡張のため冷 酷なことを沢山した国はいくつか指摘できる。彼らは日本を含めその記憶 をテーブルの下に隠したがるものだ。ローマ、スペイン、ドイツ、イギリス、そして日本のような帝国創設国にはこのようなことが見うけられる。

歴史の上では日本は外国の軍隊に占領されたことがなく、1945年以降のアメリカ は例外であった。しかしアメリカは帝国主義者ではなく、むしろ日本を現代的な 民主国家に持っていった。日本は占領軍による残虐行為を経験せずこのために残 虐さとは実際どんなものかを知らず、それを認めようともしなかった。

貴方たちが廃墟にしたアジアの国々に財政援助をしているが、それで物理的、道徳的、感情的にこれらの国に自分たちの義務を 果たしていると考えているのか? 金銭による援助だけが、日本流の罪の意識を消す方法なのか?

私は韓国に9年住み、働いていたことがあるので、沢山の友人がいる。彼らは 35年間続いた日本占領時代を経験し、今日になっても未だに日本人が韓国人にし た残虐行為を深く憎んでいる。

貴方たちは韓国占領は友好的行為であったという立場をとっている。そして貴方 たちは喜んで韓国人が日本軍の志願兵になり、日本軍は韓国人には歓迎されてい ることを嬉しそうに詳しく述べている。このタイプの人たちは 第2次大戦が始まったころにはオランダや他の西洋の国々にもいた。彼らは売国 者とか別の名前でも呼ばれていた。これらの人たちは大恐慌の時にドイツ人やド イツの考え方を尊敬した人たちでもあった。この人たちは数としては少数派で あったがドイツ軍に志願し、オランダの土地を軍靴で行進 し、ドイツ人から歓迎されていた。

少し違うが同じような状況が朝鮮半島でも起 きていた。当初王室では、女王は日本が絶対嫌いで、中国 に忠誠を誓っていたが、途中で日本軍に殺されてしまった。一方(弱い)王は日本に対する指示を誓約していた。このため王の追従者は日 本軍を歓迎し、日本軍に志願した。 大多数の韓国人が日本人を歓迎したと考えるのは速断だ。

貴方たちは日本人は鉄拳で支配したのではないといっている。私の知っている話 はまったく逆だ。

キリスト教の教会で集会をしていた人々が、教会の中に閉じ込め られ日本軍によって焼き殺された。12歳の少女は殺され、それ以上の年齢の女子は日本の慰安所で働 かされた。裁判もせずに即座に殺された−これらの人たちは全て志願者だったの か?そして特に非難さるべきは、日本人が韓国語を学校で教えることを禁止して、学生 は日本語を習わなければならなかったことだ。

日本はひどいことをした全ての国にその罪を認める時だ。そして和解の第一歩と して歴史教科書を書き直す時だ。ドイツは有る程度これを行った、そして日本は 日本人の手で苦労した生存者に償いを始めるべきだ。そうすれば 日本は気高く、真に歓迎される国の仲間入りが出来るのだ。

■回答


貴方は金完燮を知っていますか。 彼は今春、「日本の朝鮮統治は韓国の発展に貢献した」と主張し、迫害され、オーストラリアへ移住した。 これで韓国には言論の自由がないことが明らかになり、 韓国の歴史認識は、言論の自由を封じて歪曲したものであることが明らかになった。

徴兵制度に先立つ、義勇兵の募集時の倍率は1938年7.7倍、1939年20倍、1942年には62倍になった。 これは朝鮮人の金錫源少佐が、中国で日本兵を率いて大活躍されたからである。 洪思翊は中将まで昇進した。 日本の軍隊は朝鮮人だからと言って差別しなかったのです。 だから「私も金錫源のように日本兵を率いて活躍したい」と思った人か多いのではないでしょうか。

実質的な権力者であった閔妃こそ朝鮮亡滅の最大の責任者である。 彼女はポストを売り、ポストを買った役人は資本を回収するため、民衆を搾取した。 人民の不幸は現在の北朝鮮の金正日政権と匹敵する。 その頃の朝鮮人の悲惨さは、当時の旅行家、イザベラ・バード(ビショップ夫人)の旅行記を読んでください。

教会に閉じこめられ焼き殺された朝鮮人の話は、日本兵の自衛の為であった。 その地方は独立運動が最も激しかった所で、その前巡査が2人殺され、約1000人の暴徒が押し掛け、白昼小学校に放火した。 その為日本人は家を捨て避難せざるを得なかった。 その状況を調査のため約10人の兵が、約30人の朝鮮人を教会に集め、取り調べを始めた。 その時一人が暴れ始め、他の人が同調したので、人数が半分以下の兵隊の方が、教会の外に逃げ、鍵を掛け放火したものである。 その指揮官は行き過ぎだったして罰せられている。

「12歳の少女は殺され、それ以上の年齢の女子は日本の慰安所で働 かされた。裁判もせずに即座に殺された」とは何の事を指しているのか、私は分からない。

日本は朝鮮語の教育を禁止したことはない。 1941年に小学校での朝鮮語の授業がなくなっただけである。 ハングル文字の普及は日本による教育の賜である。 植民地の教育で宗主国の言語を重視するのは世界各国共通の事である。 それにより上級学校へ進学でき、高級官僚への道も開けるのである。

日本は朝鮮の民衆を悲惨な状態から救い出し、今日の韓国の発展の基礎を築いた。 何ら謝る理由はない。

理事  杉本幹夫


日本人であることに誇りを持とう


■投稿

初めてメールします。 三ヶ月前まで私はイタリアに在住していたのですが、そこで見たこと、感じたこ とについて書こうと思います。

きっかけはワールドカップでした。日本で報道されていることと実情とがあまり にも違う、そう思って町に出て、イタリア人に話を聞いてみました。 いまやイタリア(及びヨーロッパ)では”卑怯=韓国”の図式が成り立っていま す。帰国直前に見たストのニュースでも、労働者側が雇用者側を"お前達は韓国 か!?”と罵倒するプラカードがありました。観光地でレストランに行くと、” お前は韓国人か?”とまず訊かれます。

で、当の韓国人観光客に”卑怯な手を 使ってでも勝ちたかったの?”と訊くと、”お前にはアジアの人間としてのプラ イドがないのか?”と逆に怒られます。彼らのいうプライドって何なのでしょ う?私には全く分りません。

だって海外では日本人を名乗る韓国人ってたくさん いるのですよ(観光会社に勤める友人によれば、ご丁寧に日本名まで用意してい る団体客までいるそうです)。そんなにプライド、プライドって言うのなら、胸 に”韓国人”って書いて歩けばいいのに。私は出来るよ、って言ったら、更に怒 られました。私には韓国人の友人もいますし、生まれ育った町には韓国人も多く 住んでいたので、自分では差別意識はないつもりでしたが、ワールドカップ以 降、はっきり言って彼らと同じアジアに属する者と思われたくなくなりました。

私はイタリアに三年いたのですが、何より驚いたのは、イタリア人は自分達が第 二次大戦の戦勝者だと思っていることです。だから”戦勝記念日”という祝日が あります。また今年から”強いイタリア軍を称える日”という祝日も出来まし た。少なくとも三十代より若いイタリア人にとって今のイタリアは、ムッソリー ニによる奴隷的支配から民衆が自由を勝ち取って作った国のようです。するとリ ビアの立場はどうなるのでしょう?私の目から見ると、これは歴史の改竄です。 しかし彼らは、だからこそ自国を愛しています。

一方日本はどうでしょうか。南 京大虐殺はもとより、日帝50年に関して真偽を問うより簡単なのか、一方的に謝 るばかりです。中国韓国と歴史認識を共通にするなど不可能ですし、必要もない ことだと思います(世界中が共通の歴史認識を持つなんて考えられますか?)。 檀君神話を史実として認められますか?アルファベット発祥の地は韓国だと認め ますか?このままでは日本が嫌いな日本人が増えるばかりです。

海外に出て思うのは、日本人があまりにも日本を知らないということです。イ メージだけで(特に)欧米を語りすぎて、それに比べて日本は、と自らを卑下し すぎています。日本には優れた所はたくさんあるし、何よりもその向上心は非常 に優れた美質だと思います。それを日本人自身自覚すべきです。そのためにも、 日本人であることを誇りに思えるような教育が必要だと思います。その有効な手 段の一つが歴史教育だと思います。現在中国韓国が騒ぎ立てている教科書問題な ど、言論統制、内政干渉に他なりませんし、そんなものに屈する理由は全くあり ません。文句をつけるなら中国はイギリスに、韓国はフランスに文句をつけてみ ろ、と言いたい。日本人が日本人であることに誇りを持てなくて、どうして国際 化なんてことが語れるのでしょうか。

本題からかなり外れてしまいましたが、子供たちが日本人としての誇りを持てる よう、教育の現場に立つ人は考えてもらいたいと思います。そしてついでです が、朝日新聞社は一度でいいから謝罪して下さい。

■回答


メール有り難うございました。 正しい歴史教育をなんとか広めようと努力しています。 ご支援の程お願いします。

理事  杉本幹夫


日本人の祖先、慰安婦問題等(原文英語)


■投稿要約(1)

日本人は昔をたどると韓国人と中国人の混血である。特に韓国人は本土の戦争から逃れるため、日本に新しい土地を求めて移住した。 彼らは都市と町を作った。この事実は多くの遺跡が明らかにしている。

日本人は韓国と中国でたくさんの一般市民を殺した。そして、南京はその代表である。 私が中国人にこの歴史的な大虐殺について質問する度に、中国人は日本人が嫌いであり、日本人を憎むと答える。 私には、日本人が中国人に何の謝罪もしない理由がわからない; 皮肉にも、古い中国人の子孫が、韓国と中国で彼らの親戚を殺したのである。

しかし私はまだ、まっとうな日本人がいると思う。二日前、福岡から女子大生がソウルに来て、第2次大戦中慰安婦として虐げられた年をとった女性に謝罪し、世話をした。

■回答(1)


貴方は 朝鮮より冷遇された台湾の人たちが、海南島との比較で日本に感謝している事をどのように思われますか。 今春、日本統治を正当に評価した金完燮をどのように思われますか。


金完燮は台湾人同様、今日の韓国の発展は日本統治の成果だと評価したのです。 しかし彼の「親日派のための弁明」は有害図書の指定をうけ、彼の韓国における言論が実質的に禁止されました。 この事により韓国には言論の自由がないことが明白になりました。 中国も言論の自由がない国です。 韓国、中国の歴史認識は、日本からお金をゆすり取るため、政府で作られたものです。

戦前の日本と中国との関係は今日のイスラエルとバレスチナの関係と同じです。 協約とテロとの戦いです。 南京虐殺は作り話に過ぎません。 20万人しか居ない街で、どうして30万人も40万人も殺せるのでしょうか。

日本人の祖先が、中国人や韓国人であることを否定しません。

理事  杉本幹夫

■投稿要約(2)

1992年台湾において66人の元慰安婦について実態調査が為された。(大変な長文である。易しいものなので詳細は下記を見ていただきたい。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/e.korea/QandA/ancient.html)

1.人数 総人数66人、
 調査不能8人、内訳 1人取材拒否、3人住所不明、2人取消撤回、2人慰安婦であったことを否定
   調査完了58人、内訳 2人単なるコック及び看護婦であったことが判明。
 人種  51人台湾人、 3人中国本土人(現在台湾居住)、 1人朝鮮人(現在台湾居住)、1人内地人(現在ビルマ居住)
   年齢  25歳以上6人、25才ー20才、20才−16才約半数
   仕事の内容を知っていた人3人、地方役人の命令により2人

   2.環境
   お客
   場所、 大半は海南島、その他インドネシア、フィリピン、沖縄
   1日当たり接客数、 30−40人/日、多い場合60人を一晩3時間で処理
   危険
   台湾人慰安婦の推定数
   収入と貯蓄 収入は多様であり、ある人は月数百円得ていたと言うが、ある人は殆ど貰えず貯蓄など出来なかったと言う。 マネージャーの話では新しい着物などの購入に使われたとの事である。又一銭も貰えなかったという人もいる。ある人は日本兵に1回目15000円、2回目10000円家族に送金するよう頼んだが、家族には届かなかったという。
3.その後の生活
  4.現在の生活

  

■回答(2)

慰安婦についての貴方の詳細な調査は大体において正しいと思う。

しかし根本的な点での認識が間違っている。 当時の日本は公娼制であり、彼女らは慰安婦ではなく娼婦であると言うことである。 多数の業者と多数の娼婦は全国至る所にいた。 その内一部の業者は軍の要望により戦地に行った。

彼女らを集めるのに政府は何ら関与していない。 彼女らを集めたのは、女衒と呼ばれる専門業者であった。 女衒は人に嫌われる職業で、うさんくさい人もかなり多かった。 貴方の調査では2人は村役場の指示によるとなっているが、その役場は業者に買収されたものであろう。 どこの国でも犯罪者はいる。 娼婦として集められた事を知らなかったというのは、親が本人に言わなかったか、業者に騙されたのであろう。 或いは知っていても、知らなかったと言っているだけだ。

仕事がきつかったことは否定できない。 当時は軍需工場でも、休日無し、2シフト/24時間であった。 戦争による人手不足は深刻であった。 1日に50人相手にするのは大変な事である。 しかし工場で12時間、休日なしで働く事の厳しさも大変である。 その中で2−3年の間に10000円と15000円合わせて25000円も送金できるほどの高収入には驚く。 当時の陸軍大将の年俸は6600円であった。 危険であり、ハードな仕事であるが、収入も多かったのである。

しかし敗戦により稼いだ金が全部失われたことは大変可哀想であった。 船の沈没により命まで失った人も多い。 しかしこれは外地へ進出していたすべての日本人が被った事である。 韓国人の場合、日韓基本条約で、日本兵として戦死した人や、徴用による未払い賃金等は補償された。 郵便貯金の支払い義務も韓国政府に移った。

しかし台湾の場合、蒋介石政権になったため、何らの補償が得られなかった。 蒋介石政権を敵として戦った台湾人日本兵に、日本政府が補償する事は、蒋介石政権が受け入れられないのは当然である。 台湾人日本兵に対する補償は1988年行われたが、郵便貯金に対する補償は行われていないように思う。 日本の台湾に対する態度は冷たく、全く腹立たしい。

理事  杉本幹夫

■投稿要約(3)

文化と先進技術を持った韓国人は倭に到着した。 彼らのほとんどは、百済(ペクチェ)からであった。 彼らの国、百済を去って、彼らは将来を考え、平和に落ちつくことに決めた。 大部分の土着の人々・倭人は耕作する方法を知らなかったので、彼らは百済人の援助を必要とした。 百済人の誰かが農業の神になり、ある人は戦の神やその他の神になった。

倭国の中の百済人は、新羅人や高句麗人が勢力を伸ばして来たので、百済王Kunchoko大王に助けを求めた。 母国からの援軍により、倭の中の百済人は南から北へ勢力を伸ばし始めた。 ついに、彼らは Ohodaraと言う国を作った。これは小さい百済を意味し、後に大和と呼ばれた。大和は極めて百済と密接に繋がっており、百済が助けを求めると常に軍を派遣し、百済を助けた。 大和の支配者は統治者となり、タイトルはTamroと呼ばれていた。 百済王は、統治者を任命して、その保証と一体化の印として、彼に銅鏡と七枝刀を与えた。 日本の政府はこれらの財宝を国宝又は秘宝として保存している。

百済が同盟者と共に新羅と唐に敗北したとき、大勢の百済人は倭国(Ohdara)に亡命した。 Ohdaraの政権と統治者は彼らを暖かく迎えた。 百済が崩壊したあと、Ohdaraは国の名前が日本へ変わったと発表した。 そして日本という国が歴史に現れた。 日本は、太陽が昇る場所を意味する。 日本の人々は、彼らの王を天皇と言った。 最終的に百済の王室は、日本に移されて、日本の王室となった。

したがって、明仁天皇が「韓国の王の血が彼の中にある」と宣言したことは驚きではない。

国連の子供の権利委員会は日本政府に対し、韓国人とアイヌを含む少数民族の子供に対する差別的な取り扱いを調査し、完全になくするよう勧告した。

日本では韓国人学校卒業生は国立大学入学試験を受験するためには、特別な資格試験を受けなければならない。この理由として日本政府は「彼らが日本政府のガイドラインを採用しない」ためと言っている。 しかし私立大学や地方の公立大学の半分近くは彼らに受験資格を認めている。国立大学が、韓国人学校卒業生に受験資格を認めないのは明らかに少数民族に対する差別である。

桜は日本の国花であり、又大和魂のシンボルである。しかし桜は韓国原産であり、済州島で育ち、改良されたものである。

次に日本の料理の代表であるすきやきに移る。日本は仏教の影響で四つ足の動物の肉を食べなかった。1920年代の東京では僅かに神田地区に数軒の牛肉を扱うレストランがあったに過ぎない。そこではお腹をすかせた貧乏学生が牛鍋や牛南蛮を普及させた。 1920年代の韓国人学生は知人の肉屋から無料で牛の内臓を貰い、美味しいコムタン(肉汁)を作った。日本語の天才が「すきやき」を発明し、日本の代表的な料理として世界に提示していることは驚くべき事である。

次に日本人の要求の略奪的な性質を示す例としてキムチの例を示す。キムチは何世紀にもわたり、韓国の料理で必要不可欠なものであった。キムチの人気を知った日本企業はキムチの模造品を作り、キムチとして積極的に売り出した。 1977年韓国と日本はキムチ問題を公平な規制の為の国際委員会CACに提訴することに同意した。2001年7月2日ジュネーブで開かれた第24回CAC総会にて、キムチの起源についての日本の不当な要求は却下された。 このエピソードから勢力拡大を目指す日本の態度が、二国の相互理解を邪魔していることが明らかになった。

3月のHankook Ilboと読売新聞の共同世論調査では、例え韓国と日本がワールドカップの共同開催国になっているとしても、二国の関係改善が進むと考える人は48.8%であるのに対し、関係改善は進まないと考える人は46.8%に達する。

■回答(3)


日本の天皇家に、多くの朝鮮人の血が入っているであろう事は、私も否定しない。 又日本の文明の発達に朝鮮人が多大の貢献をしたであろう事も否定しない。 しかし日本独自の文化もあった。 例えば縄文土器は朝鮮には出土していない。 又あれだけ巨大な前方後円墳も朝鮮にはない。 これらの日本古来の文化と朝鮮からもたらされた文化が融合したものが、今日の日本文化のルーツであろう。

在日朝鮮人学校の卒業生の受験資格については、やはり日本の学校教育法に規定する要件を満たしているか、否かで判断すべきである。 彼らが日本の国立大学の受験資格が欲しければ、日本の学校教育法の要求する水準を満たすべきである。 彼らが韓国政府の規定する学校教育法により設立されていれば、韓国にある高校と同等に扱われるべきだと考える。 同じ基準で作られた韓国にある高校と、日本にある高校と区別すれば、それこそ差別であろう。

在日日本人の問題は戦後処理の失敗である。 1895年日本が台湾を併合した時、5年の猶予期間をおき、そのまま台湾に残留したい人は日本人国籍を取らせ、中国人であることを希望する人は中国へ移住して貰った。 1952年、サンフランシスコ平和条約締結後、日本は同じ方式を採用すべきであった。 当時の日本は出来るだけ朝鮮に帰って貰おうとして、帰化条件を厳しくした。 その為在日朝鮮人が増え、色々な問題が発生している。 現在は帰化条件も緩和されたので、出来るだけ在日韓国人の帰化を推奨すべきだと考える。

桜、すきやき、キムチ、その起源が朝鮮か、日本かそんな事はどうでもよいことだ。 日本の文化は、その時の世界の素晴らしい文化を取り入れ、更に磨きをかけ、より素晴らしい文化を作り上げたことである。

理事  杉本幹夫