■投稿要約(1)
日本人は昔をたどると韓国人と中国人の混血である。特に韓国人は本土の戦争から逃れるため、日本に新しい土地を求めて移住した。
彼らは都市と町を作った。この事実は多くの遺跡が明らかにしている。
日本人は韓国と中国でたくさんの一般市民を殺した。そして、南京はその代表である。
私が中国人にこの歴史的な大虐殺について質問する度に、中国人は日本人が嫌いであり、日本人を憎むと答える。
私には、日本人が中国人に何の謝罪もしない理由がわからない;
皮肉にも、古い中国人の子孫が、韓国と中国で彼らの親戚を殺したのである。
しかし私はまだ、まっとうな日本人がいると思う。二日前、福岡から女子大生がソウルに来て、第2次大戦中慰安婦として虐げられた年をとった女性に謝罪し、世話をした。
■回答(1)
貴方は 朝鮮より冷遇された台湾の人たちが、海南島との比較で日本に感謝している事をどのように思われますか。
今春、日本統治を正当に評価した金完燮をどのように思われますか。
金完燮は台湾人同様、今日の韓国の発展は日本統治の成果だと評価したのです。
しかし彼の「親日派のための弁明」は有害図書の指定をうけ、彼の韓国における言論が実質的に禁止されました。
この事により韓国には言論の自由がないことが明白になりました。
中国も言論の自由がない国です。
韓国、中国の歴史認識は、日本からお金をゆすり取るため、政府で作られたものです。
戦前の日本と中国との関係は今日のイスラエルとバレスチナの関係と同じです。
協約とテロとの戦いです。
南京虐殺は作り話に過ぎません。
20万人しか居ない街で、どうして30万人も40万人も殺せるのでしょうか。
日本人の祖先が、中国人や韓国人であることを否定しません。
理事 杉本幹夫
■投稿要約(2)
1992年台湾において66人の元慰安婦について実態調査が為された。(大変な長文である。易しいものなので詳細は下記を見ていただきたい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/e.korea/QandA/ancient.html)
1.人数 総人数66人、
調査不能8人、内訳 1人取材拒否、3人住所不明、2人取消撤回、2人慰安婦であったことを否定
調査完了58人、内訳 2人単なるコック及び看護婦であったことが判明。
人種 51人台湾人、 3人中国本土人(現在台湾居住)、 1人朝鮮人(現在台湾居住)、1人内地人(現在ビルマ居住)
年齢 25歳以上6人、25才ー20才、20才−16才約半数
仕事の内容を知っていた人3人、地方役人の命令により2人
2.環境
お客
場所、 大半は海南島、その他インドネシア、フィリピン、沖縄
1日当たり接客数、 30−40人/日、多い場合60人を一晩3時間で処理
危険
台湾人慰安婦の推定数
収入と貯蓄 収入は多様であり、ある人は月数百円得ていたと言うが、ある人は殆ど貰えず貯蓄など出来なかったと言う。
マネージャーの話では新しい着物などの購入に使われたとの事である。又一銭も貰えなかったという人もいる。ある人は日本兵に1回目15000円、2回目10000円家族に送金するよう頼んだが、家族には届かなかったという。
3.その後の生活
4.現在の生活
■回答(2)
慰安婦についての貴方の詳細な調査は大体において正しいと思う。
しかし根本的な点での認識が間違っている。
当時の日本は公娼制であり、彼女らは慰安婦ではなく娼婦であると言うことである。
多数の業者と多数の娼婦は全国至る所にいた。
その内一部の業者は軍の要望により戦地に行った。
彼女らを集めるのに政府は何ら関与していない。
彼女らを集めたのは、女衒と呼ばれる専門業者であった。
女衒は人に嫌われる職業で、うさんくさい人もかなり多かった。
貴方の調査では2人は村役場の指示によるとなっているが、その役場は業者に買収されたものであろう。
どこの国でも犯罪者はいる。
娼婦として集められた事を知らなかったというのは、親が本人に言わなかったか、業者に騙されたのであろう。
或いは知っていても、知らなかったと言っているだけだ。
仕事がきつかったことは否定できない。
当時は軍需工場でも、休日無し、2シフト/24時間であった。
戦争による人手不足は深刻であった。
1日に50人相手にするのは大変な事である。
しかし工場で12時間、休日なしで働く事の厳しさも大変である。
その中で2−3年の間に10000円と15000円合わせて25000円も送金できるほどの高収入には驚く。
当時の陸軍大将の年俸は6600円であった。
危険であり、ハードな仕事であるが、収入も多かったのである。
しかし敗戦により稼いだ金が全部失われたことは大変可哀想であった。
船の沈没により命まで失った人も多い。
しかしこれは外地へ進出していたすべての日本人が被った事である。
韓国人の場合、日韓基本条約で、日本兵として戦死した人や、徴用による未払い賃金等は補償された。
郵便貯金の支払い義務も韓国政府に移った。
しかし台湾の場合、蒋介石政権になったため、何らの補償が得られなかった。
蒋介石政権を敵として戦った台湾人日本兵に、日本政府が補償する事は、蒋介石政権が受け入れられないのは当然である。
台湾人日本兵に対する補償は1988年行われたが、郵便貯金に対する補償は行われていないように思う。
日本の台湾に対する態度は冷たく、全く腹立たしい。
理事 杉本幹夫
■投稿要約(3)
文化と先進技術を持った韓国人は倭に到着した。
彼らのほとんどは、百済(ペクチェ)からであった。
彼らの国、百済を去って、彼らは将来を考え、平和に落ちつくことに決めた。
大部分の土着の人々・倭人は耕作する方法を知らなかったので、彼らは百済人の援助を必要とした。
百済人の誰かが農業の神になり、ある人は戦の神やその他の神になった。
倭国の中の百済人は、新羅人や高句麗人が勢力を伸ばして来たので、百済王Kunchoko大王に助けを求めた。
母国からの援軍により、倭の中の百済人は南から北へ勢力を伸ばし始めた。
ついに、彼らは Ohodaraと言う国を作った。これは小さい百済を意味し、後に大和と呼ばれた。大和は極めて百済と密接に繋がっており、百済が助けを求めると常に軍を派遣し、百済を助けた。
大和の支配者は統治者となり、タイトルはTamroと呼ばれていた。
百済王は、統治者を任命して、その保証と一体化の印として、彼に銅鏡と七枝刀を与えた。
日本の政府はこれらの財宝を国宝又は秘宝として保存している。
百済が同盟者と共に新羅と唐に敗北したとき、大勢の百済人は倭国(Ohdara)に亡命した。
Ohdaraの政権と統治者は彼らを暖かく迎えた。
百済が崩壊したあと、Ohdaraは国の名前が日本へ変わったと発表した。
そして日本という国が歴史に現れた。
日本は、太陽が昇る場所を意味する。
日本の人々は、彼らの王を天皇と言った。
最終的に百済の王室は、日本に移されて、日本の王室となった。
したがって、明仁天皇が「韓国の王の血が彼の中にある」と宣言したことは驚きではない。
国連の子供の権利委員会は日本政府に対し、韓国人とアイヌを含む少数民族の子供に対する差別的な取り扱いを調査し、完全になくするよう勧告した。
日本では韓国人学校卒業生は国立大学入学試験を受験するためには、特別な資格試験を受けなければならない。この理由として日本政府は「彼らが日本政府のガイドラインを採用しない」ためと言っている。
しかし私立大学や地方の公立大学の半分近くは彼らに受験資格を認めている。国立大学が、韓国人学校卒業生に受験資格を認めないのは明らかに少数民族に対する差別である。
桜は日本の国花であり、又大和魂のシンボルである。しかし桜は韓国原産であり、済州島で育ち、改良されたものである。
次に日本の料理の代表であるすきやきに移る。日本は仏教の影響で四つ足の動物の肉を食べなかった。1920年代の東京では僅かに神田地区に数軒の牛肉を扱うレストランがあったに過ぎない。そこではお腹をすかせた貧乏学生が牛鍋や牛南蛮を普及させた。
1920年代の韓国人学生は知人の肉屋から無料で牛の内臓を貰い、美味しいコムタン(肉汁)を作った。日本語の天才が「すきやき」を発明し、日本の代表的な料理として世界に提示していることは驚くべき事である。
次に日本人の要求の略奪的な性質を示す例としてキムチの例を示す。キムチは何世紀にもわたり、韓国の料理で必要不可欠なものであった。キムチの人気を知った日本企業はキムチの模造品を作り、キムチとして積極的に売り出した。
1977年韓国と日本はキムチ問題を公平な規制の為の国際委員会CACに提訴することに同意した。2001年7月2日ジュネーブで開かれた第24回CAC総会にて、キムチの起源についての日本の不当な要求は却下された。
このエピソードから勢力拡大を目指す日本の態度が、二国の相互理解を邪魔していることが明らかになった。
3月のHankook Ilboと読売新聞の共同世論調査では、例え韓国と日本がワールドカップの共同開催国になっているとしても、二国の関係改善が進むと考える人は48.8%であるのに対し、関係改善は進まないと考える人は46.8%に達する。
■回答(3)
日本の天皇家に、多くの朝鮮人の血が入っているであろう事は、私も否定しない。
又日本の文明の発達に朝鮮人が多大の貢献をしたであろう事も否定しない。
しかし日本独自の文化もあった。
例えば縄文土器は朝鮮には出土していない。
又あれだけ巨大な前方後円墳も朝鮮にはない。
これらの日本古来の文化と朝鮮からもたらされた文化が融合したものが、今日の日本文化のルーツであろう。
在日朝鮮人学校の卒業生の受験資格については、やはり日本の学校教育法に規定する要件を満たしているか、否かで判断すべきである。
彼らが日本の国立大学の受験資格が欲しければ、日本の学校教育法の要求する水準を満たすべきである。
彼らが韓国政府の規定する学校教育法により設立されていれば、韓国にある高校と同等に扱われるべきだと考える。
同じ基準で作られた韓国にある高校と、日本にある高校と区別すれば、それこそ差別であろう。
在日日本人の問題は戦後処理の失敗である。
1895年日本が台湾を併合した時、5年の猶予期間をおき、そのまま台湾に残留したい人は日本人国籍を取らせ、中国人であることを希望する人は中国へ移住して貰った。
1952年、サンフランシスコ平和条約締結後、日本は同じ方式を採用すべきであった。
当時の日本は出来るだけ朝鮮に帰って貰おうとして、帰化条件を厳しくした。
その為在日朝鮮人が増え、色々な問題が発生している。
現在は帰化条件も緩和されたので、出来るだけ在日韓国人の帰化を推奨すべきだと考える。
桜、すきやき、キムチ、その起源が朝鮮か、日本かそんな事はどうでもよいことだ。
日本の文化は、その時の世界の素晴らしい文化を取り入れ、更に磨きをかけ、より素晴らしい文化を作り上げたことである。
理事 杉本幹夫
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