■投書
インターネットの掲示板で「日本軍は東南アジアで2000万人殺した。」、と言っている人がいました。 本当に2000万人なんでしょうか。教えてください。 ■回答 その話ですが、どういうことを根拠に言っているのでしょうか。 一口に2000万人といいますが、その数字の根拠をその人はどのようにあげているのでしょうか。 よく捕虜虐待で問題視される泰緬鉄道の死者だって、その1000分の1の数もいないのです。あれは死の鉄道などと呼ばれましたが、実際には冤罪です。「バターン死の行進」にしろ、インドシナ半島でのゲリラ掃討戦にしろ、理由なく日本軍が捕虜の虐殺に及んだことはありません。 まして万単位なんてあり得ません。むしろ逆です。 大東亜戦争で何故、日本軍が早々とあの広大な地域を制圧できたのでしょうか。それは現地人の協力がなくてはできないことです。その現地人を敵に回すなど愚の骨頂です。 ガダルカナルでアメリカ相手に戦っている時、一方では国民党とも戦っているのです。どうして罪もない人々を2000万人も殺すことができますか。第一、そんな物資の余裕がありますか。 かつてインドネシアでPETAを訓練した元陸軍大尉の土屋競氏から私が聞いたところでは、PETAの隊員に着せた服は降伏した蘭印軍の制服や布地を仕立て直して使ったものだと言うことです。昭和18年の時点で、比較的物資の安定している蘭印ですら、物資を再利用しなければならないのです。 また、昭和12年の上海攻略戦の時も、中支那派遣軍は薬莢を戦場で再利用しなければなりませんでした。日本はあの戦争の最初から物資が十分にあったわけではありませんでした。これは参謀の飯沼守少将の日記に出てくることです。 だから2000万人も東南アジアで人を殺すなどと言うことはあり得ません。その根拠が何か、問うてみる必要がありそうですよ。 会員 ヤン・ウェンリー
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■投稿
貴サイトをいつも楽しく?!拝見しております。 ■回答
メール有り難うございました。
御意見箱にメールをお寄せになるのは、近代史関連が多く、皆さまの関心の高さ、集中度が感じられます。 会員 飯島瑞穂
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■投書
先の日朝交渉でも過去の植民地支配についての補償問題が議題に出ていましたが、はたして日本以外(欧米諸国)に植民地支配に対して賠償(形式は経済協力)した国が有るのでしょうか。 ■回答 植民地支配に対して賠償した国等ないと思います。インドネシアなどは逆に接収した個人資産に対し補償し、国債等の債務を引き継いでいます。そのような国の方が多いと思われます。 それは独立戦争で圧勝した国はなく、やっと独立を勝ち取った訳ですから、過去の植民地支配についての補償など言える力関係にはなかったと思います。又その後の経済発展を考えれば、宗主国との友好が何よりも重要だと考える方が自然でしょう。 理事 杉本幹夫
■投書(2)
追加としてなぜ日本だけが過去の謝罪・清算を要求され、それに対応しているのでしょうか。 ■回答 終戦直後のアメリカの政策は日本を再起不能にすることでした。その為朝鮮を独立させ、戦勝国として講和会議に参加させ、賠償権も与える考えでした。 理事 杉本幹夫
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■投書
日韓翻訳掲示板で韓国人と議論しているうちにいくつか分らない点が出てきました。
以下ご教示いただければ幸いです。 ■回答
私は食料配給の件については調べたことがありませんので、残念ながら明確なお答えはできません。 理事 杉本幹夫
■投書
前回のメールのお返事ありがとうございました。
以下もう少し質問させていただけますでしょうか。 | ||||||||||||
| 家作 | 指物 | 建具 | 石工 | 煉瓦積 | 車製造工 | |||||||
| 年代 | 日本人 | 韓国人 | 日本人 | 韓国人 | 日本人 | 韓国人 | 日本人 | 韓国人 | 日本人 | 韓国人 | 日本人 | 韓国人 |
| 1931 | 2.98 | 1.62 | 3.04 | 1.69 | 3.03 | 1.63 | 3.41 | 1.94 | 3.31 | 1.88 | 2.89 | 1.55 |
| 1932 | 2.91 | 1.57 | 2.92 | 1.60 | 2.99 | 1.65 | 3.26 | 1.68 | 2.98 | 1.78 | 2.71 | 1.54 |
| 1933 | 2.83 | 1.57 | 2.82 | 1.56 | 2.92 | 1.64 | 3.13 | 1.56 | 2.97 | 1.69 | 2.63 | 1.49 |
| 1934 | 2.84 | 1.60 | 2.78 | 1.57 | 2.88 | 1.66 | 3.16 | 1.69 | 3.04 | 1.73 | 2.61 | 1.52 |
| 1935 | 3.06 | 1.78 | 2.93 | 1.71 | 3.06 | 1.82 | 3.38 | 1.82 | 3.09 | 1.85 | 2.69 | 1.47 |
| 1936 | 3.13 | 1.97 | 2.97 | 1.92 | 3.05 | 1.96 | 3.47 | 2.09 | 3.30 | 2.08 | 2.86 | 1.70 |
| 1937 | 3.24 | 2.11 | 3.09 | 2.04 | 3.21 | 2.08 | 3.70 | 2.34 | 3.38 | 2.21 | 2.83 | 1.75 |
| 1938 | 3.42 | 2.33 | 3.02 | 2.27 | 3.30 | 2.29 | 4.13 | 2.50 | 3.59 | 2.50 | 2.89 | 1.85 |
| 1939 | 3.68 | 2.70 | 3.57 | 2.67 | 3.57 | 2.49 | 4.62 | 2.87 | 3.8 | 1 2.86 | 2.84 | 1.94 |
| 1940 | 3.91 | 2.92 | 3.76 | 2.87 | 3.73 | 2.66 | 4.54 | 3.15 | 4.20 | 3.19 | 3.02 | 2.21 |
| 平人足 | 洋服・裁縫 | 左 官 | 下男(月給) | 下女(月給) | ||||||
| 年代 | 日本人 | 韓国人 | 日本人 | 韓国人 | 日本人 | 韓国人 | 日本人 | 韓国人 | 日本人 | 韓国人 |
| 1931 | 1.40 | 0.66 | 2.55 | 1.40 | N/A | N/A | 19.09 | 11.86 | N/A | N/A |
| 1932 | 1.40 | 0.68 | 2.62 | 1.53 | N/A | N/A | 22.17 | 11.29 | N/A | N/A |
| 1933 | 1.32 | 0.70 | 2.58 | 1.48 | N/A | N/A | 19.86 | 10.43 | N/A | N/A |
| 1934 | 1.17 | 0.69 | 2.48 | 1.49 | N/A | N/A | 20.74 | 10.21 | N/A | N/A |
| 1935 | 1.29 | 0.75 | 2.44 | 1.48 | N/A | N/A | 22.27 | 10.99 | N/A | N/A |
| 1936 | 1.43 | 0.74 | 2.42 | 1.43 | N/A | N/A | 23.00 | 11.22 | N/A | N/A |
| 1937 | 1.66 | 0.94 | 2.49 | 1.56 | N/A | N/A | 23.39 | 11.34 | N/A | N/A |
| 1938 | 1.78 | 0.92 | 2.67 | 1.74 | N/A | N/A | 22.70 | 11.46 | N/A | N/A |
| 1939 | 1.87 | 1.15 | 2.67 | 1.79 | N/A | N/A | 21.02 | 11.57 | N/A | N/A |
| 1940 | 2.18 | 1.32 | 2.79 | 2.01 | N/A | N/A | 18.58 | 11.89 | N/A | N/A |
| 日本人 | 朝鮮人 | |
| 京城帝国大学予科 | 83 | 66 |
| 京城法学専門 | 21 | 47 |
| 京城医学専門 | 59 | 31 |
| 京城高等商業 | 66 | 14 |
| 京城高等工業 | 54 | 15 |
| 水原高等農林 | 40 | 24 |
| 1940 | 42.8%(生産高における比率) |
| 1941 | 45.2% |
| 1942 | 55.8% |
| 1943 | 63.9% |
| 1944 | 60.0% |
インドネシアやアフリカで家を建てることを想像してください。
一般に低開発国の人は、細かく指示しなれば仕事が出来ないため、ボスがいないと仕事が殆ど進みません。
それに対し、日本人は重要なことだけ指示すれば自分で判断し、どんどん仕事が進みます。
従って単純な仕事は現地人に頼み、重要な仕事や、作業指揮者を日本人に頼む事になるのではないでしょうか。
朝鮮人は文字が読めない人が大半でした。
従って朝鮮人と内地人では、信頼性、仕事の質、能率等に差があったのではないでしょうか。
職人の世界でもベテランと新人では給料が異なると思います。
重要な仕事は日本人にとか、値段は高いが安心だと云ったことだと思います。
満鉄の鞍山の記録を読んでいたとき、大正末の不景気で原価低減のため、どれだけ日本人を支那人に置き換えられるか、検討しているとの記事を読んだ記憶があります。
高級官僚の場合、斉藤総督の時代に、同一資格なら同一年俸になりました。但し日本人には在外加俸がつきました。
この在外加俸は年俸の5割ー6割といった大きなものでした。
やはり優秀な人材を外地に連れて来るにはそれなりの優遇措置が必要だったと思います。
小磯総督の時代には、朝鮮人でも朝鮮勤務の人に在外加俸がつくようになり、完全に同一になりました。
朝鮮人でも内地勤務より朝鮮勤務になると大変給料が良くなることになったのです。
高等教育への入学者の比率は、朝鮮人は次第に増えていきました。所が台湾では、台湾人はほぼ一定の比率に押さえられています。
明らかに差別されていたように思います。
供出とは配給制度を維持するため、農家に数量を割り当て、国が強制的に買い付ける制度です。
基本的に配給制度とは食料が不足するため、貧乏人も金持ちも平等に乏しい食料を配分しようとするものです。
生産量から供出量と自家用分を差し引いた米が自主流通米となるわけですが、戦争末期、終戦直後は所要量を満たすことができず、自主流通は禁止されていました。