日本は東南アジアで2000万人殺した?


■投書

インターネットの掲示板で「日本軍は東南アジアで2000万人殺した。」、と言っている人がいました。 本当に2000万人なんでしょうか。教えてください。

■回答


 その話ですが、どういうことを根拠に言っているのでしょうか。 一口に2000万人といいますが、その数字の根拠をその人はどのようにあげているのでしょうか。

 よく捕虜虐待で問題視される泰緬鉄道の死者だって、その1000分の1の数もいないのです。あれは死の鉄道などと呼ばれましたが、実際には冤罪です。「バターン死の行進」にしろ、インドシナ半島でのゲリラ掃討戦にしろ、理由なく日本軍が捕虜の虐殺に及んだことはありません。  まして万単位なんてあり得ません。むしろ逆です。

大東亜戦争で何故、日本軍が早々とあの広大な地域を制圧できたのでしょうか。それは現地人の協力がなくてはできないことです。その現地人を敵に回すなど愚の骨頂です。

 ガダルカナルでアメリカ相手に戦っている時、一方では国民党とも戦っているのです。どうして罪もない人々を2000万人も殺すことができますか。第一、そんな物資の余裕がありますか。

 かつてインドネシアでPETAを訓練した元陸軍大尉の土屋競氏から私が聞いたところでは、PETAの隊員に着せた服は降伏した蘭印軍の制服や布地を仕立て直して使ったものだと言うことです。昭和18年の時点で、比較的物資の安定している蘭印ですら、物資を再利用しなければならないのです。

 また、昭和12年の上海攻略戦の時も、中支那派遣軍は薬莢を戦場で再利用しなければなりませんでした。日本はあの戦争の最初から物資が十分にあったわけではありませんでした。これは参謀の飯沼守少将の日記に出てくることです。

 だから2000万人も東南アジアで人を殺すなどと言うことはあり得ません。その根拠が何か、問うてみる必要がありそうですよ。  

会員 ヤン・ウェンリー


神話を歴史教科書でどのように扱うか?


■投稿

貴サイトをいつも楽しく?!拝見しております。

我が日本の行く末におおいな不安をいだく中にあって、貴会の地道な運動が花を咲かせる事をこころより願っております。

ご意見箱での多くは近代日本に関する物が多いようですが、私が質問したい事は「記紀」にみられる神話を歴史教科書でどのようにあつかうのかです。私個人の考えとしてはそれが史実であろうがなかろうが神話教育は大変重要ではないかと思うのですが?

「新しい歴史教科書」も拝見致しましたがもう少し神話にふれて欲しいと思いました。 貴会のお考えをお教えください。

■回答


メール有り難うございました。 御意見箱にメールをお寄せになるのは、近代史関連が多く、皆さまの関心の高さ、集中度が感じられます。

しかし仰有るように、「新しい歴史教科書」は当然「日本通史」を網羅しておりますから、他社の教科書と異なる点は近代だけでなく、古代史部分にも見られる通りです。それゆえ、古代史についても議論しなくてはならないのですが、古代についてのご質問・ご意見は貴方が初めてであります。

さて、貴方は「史実であろうがなかろうが神話教育は大変重要」とお書きになられておられます。 わたくしも神話教育自体は必要と考えますが、それを「歴史教育」の場で行なうこと、あるいは歴史と混同されるような書き方は批判の多い点であり、細心の注意を払うべきと思っています。

ご注意していただきたいのですが、わたくしは「歴史教科書」から「神話」を削除せよ、などと言っているのではありません。 どのようにすれば、神話を子供たちに教えられるか、大いに検討すべきだと思っているのです。歴史と神話を混同させようとしている、という批判に対処するためには?

「神話」という民族創始の「物語」を「物語」として教育すればよいのだろうか? 「物語」ならば「国語」教科書という場の方が相応しいのか?

しかし、日本神話の内容には、机上で創作された、ただの「物語」だけでなく「歴史的事実」を反映した部分があるのも事実で、「歴史教育」のなかで教える必要があります。なにより、古代人自身が「歴史」として描いた(伝えた)側面も忘れてはなりません。

また、たとえば、シュリーマンのトロイの木馬のエピソードのように、日本神話の中にも、いまだ埋もれている事実もあるでしょう。考古学の遺物が語らない古代人の精神性を解釈するための幇助になるでしょう。

しかし、どこからどこまでが史実で、ここは創作であると判断するのは意見が分かれるところです。 記紀を史実として捉えれば、古代の天皇の残虐行為も史実として書くのか? この残虐行為はシナの古典の引き写しだから「史実」として認めない、といった「いいとこ取り」では、恣意的であると批判されるのは必定です。

歴史学の現在の到達点と、国民教育に必要な神話教育をどのように融合させるかは、本会でも議論しなければなりませんが、今日現在は、本会としての共通認識というものはありません。

以前に本会の藤岡代表が作家の井沢元彦氏と対談した本の中には、このような一節があります。韓国の、中学・高校の歴史教科書が、建国「神話」を歴史的事実として教科書に書いていることを批判したものです。

>「・・中学の教科書には『古朝鮮は韓国最初の国家で、檀君によって建てられた』とありますが、高校の教科書には、『最も早く国家に発展したのは古朝鮮だった。古朝鮮は檀君王倹が建国したとされる(紀元前2333)』とありまして、建国の年代まで特定しています。これは神話です。ちょうど日本が戦前、神武天皇の建国神話を歴史的事実であるかのように扱い、紀元2600年を祝っていたのと同じ次元の話です。(井沢)」

>「神話を歴史的事実として扱うことの執筆者の意図・目的が、はからずもここに露呈している・・。もちろん、神話には神話の価値があります。・・しかし歴史をある目的、意図をもって再編するというのは、学問としてもっとも避けなければならない態度です。ある意図に基づいて、都合のいい材料をピックアップして都合の良い解釈をつけて歴史を組み立てるという方法は、マルクス主義の歴史観に見られるものですが、韓国の教科書にもそれに近いものが感じられる・・・その意味で冒頭にこの檀君神話を取り上げることは象徴的だと思いますね。(藤岡)」

(藤岡信勝・井沢元彦『NOといえる教科書』54〜58頁・祥伝社・1998)

この対談に対する反論も御紹介しましょう。

>(上の対談に対して)「それは言い過ぎであろう。神話が『歴史的事実』であるか否かの詮索は、歴史学の問題としてはともかく、歴史教育の問題としてはあまり意味がない。天孫降臨・神武建国について、実証可能な『歴史的事実』でないという理由のみを以て、子どもたちに何も教えていない日本の歴史教科書の現状に比べ、檀君神話を堂々と教えている韓国の歴史教科書については、筆者は素直に評価したいと思う。」
(勝岡寛次『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する』15〜16頁・小学館・2001)

といったように、藤岡代表の韓国の歴史教育批判に対する、勝岡氏の反論です。
勝岡氏のご意見は、左翼がよくする罵詈などではなく、生産的、且つ議論を進捗させるための反論であり、意義有るものとして取り上げました。確かに「歴史学」と「歴史教育」には、相応の違いがあり、それは認める必要があります。

ただし「実証可能な『歴史的事実』でない」のに「歴史教科書」で「史実」と取られるように教えてしまうことには、応分な注意が必要です。

「歴史教育」は学問とは切り離した「国民教育」の一環だから、といって、檀君神話を歴史的事実のように記し、なおかつ、その建国の時期を「紀元前2333年」などと書いてあるのを見れば、かなり恥ずかしい、非学問的な記述だと思われませんか?

歴史教科書での神話記載は、執筆者がきちんと節制しないと、このような過ちを犯してしまうのです。

とはいえ、勝岡氏の言うことに理があるのは、日本では、建国神話を「子どもたちに何も教えていない」と言う点です。 それこそ、国民の財産である神話は、日本国民の常識として「史実であろうがなかろうが」教育すべきです。

問題は、抑制した教育的配慮をもって、神話の意義・歴史的背景を教えること、さらに重要なのは、神話を教える目的を、教える側の教員が理解しているかどうかです。「この国のかたち」を作った古代人の智恵と努力の痕を追憶すること、それが千数百年以上も継承されてきたこと、そして自分たちが将来に引き継ぐこと、が神話教育の国民文化的な必要性だと思います。

「歴史教科書」で「神話」を教えるためには、藤岡代表がいうように、「神話には神話としての価値がある」ことを認めつつ、「学問」としての歴史学を尊重する立場を確認して、常に学問的に成り立つかどうか自問自答しながら、且つ神話教育の意味を見つめながら進めるべきだと考えています。

これは、本会の共通見解というのではなく、回答者個人の愚見としてお読みいただければ幸甚です。

*神話教育に反対する勢力にも納得がいくような教育の仕方とは?

(イ)『記・紀』の作成時=国家成立時(8世紀)の項目に全ての神話を集約させるのも一案。 宮都の造営・国号(王号)の成立・律令の制定、歴史書の編纂、これはセットである。 このときにどういう神話がつくられたのか?(古伝承を再構成した側面もある) 神武東征やヤマトタケル伝承は「大和地方統一戦争の記憶の反映」、「理想の英雄像」、海幸山幸神話などは「海外の神話を日本風に加工してつくったもの」、
出雲の国譲り神話は「地方豪族が平和的に臣従してきたことを描こうとした物語」などと説明すれば上記の神話はすべて載せることが可能。

(ロ)あるいは独立して神話の項目を立て、「『古事記』『日本書紀』には、このように書かれています・・・。これは古代の人々が、日本国を天皇家が治めるいわれを、物語としてまとめたもので、いたずらに権力争い(王位簒奪)がないように、神話を借りて君臣の秩序を作り、皆がこれを守ったのです。 豪族たちは王位を争うことなく、皆が自分の分を守って天皇に仕えることを誇りとしました。

・・・・また民間の神話・伝承を集めたものとしては『風土記』があります・・・」として、政治的な「物語」(「政治的物語」という言葉をマイナスイメージにしないように注意する・これは古代人の智恵の結晶である。)と民間伝承をはっきり区別させつつ、神話の内容を紹介する。 →「政治目的に奉仕する意図をもって為政者が改作した物語」「一部の支配者層が創作したもので民衆が信じていた神話ではない」「天皇の国土支配を正当化するために虚構・潤色された物語」という神話批判を否定しようとしたり、歴史事実と歴史教育は別であるとかわそうとするなど、マイナスと捉えてはならない。

そういう「物語」をつくって国家を平和的にまとめようとした、王位を争う権力闘争を防止しようとした、ということの一体何を恥じることがあろうか。 それをきちんと「古代人の智恵」と表明したうえで、現在まで続く王朝(古代人の努力がその後の歴史に寄与したゆえである)とその伝統を偲び、その努力の痕を感じればよい。仮にそれで『古事記』『日本書紀』に歴史書としての価値が減じても、何も教えることができないよりは数段の進歩であり、学問的に齟齬をきたすことなく、神話教育が可能になる。

さまざまな見解があり、御批判もあろうかと存じますが、これからも真摯に学問的に恥ずかしくない研究・紹介を進めて参りますので、よろしく御支援下さい。

会員  飯島瑞穂


植民地支配への補償について


■投書

先の日朝交渉でも過去の植民地支配についての補償問題が議題に出ていましたが、はたして日本以外(欧米諸国)に植民地支配に対して賠償(形式は経済協力)した国が有るのでしょうか。

 

■回答


植民地支配に対して賠償した国等ないと思います。インドネシアなどは逆に接収した個人資産に対し補償し、国債等の債務を引き継いでいます。そのような国の方が多いと思われます。 それは独立戦争で圧勝した国はなく、やっと独立を勝ち取った訳ですから、過去の植民地支配についての補償など言える力関係にはなかったと思います。又その後の経済発展を考えれば、宗主国との友好が何よりも重要だと考える方が自然でしょう。

理事 杉本幹夫

■投書(2)

追加としてなぜ日本だけが過去の謝罪・清算を要求され、それに対応しているのでしょうか。

■回答


 

終戦直後のアメリカの政策は日本を再起不能にすることでした。その為朝鮮を独立させ、戦勝国として講和会議に参加させ、賠償権も与える考えでした。

その為韓国はすっかりその気になりました。しかし朝鮮戦争等でアメリカは日本の重要性に気づき、軍需工場の解体、撤去等が中止されました。

講和会議開催に当たり、アメリカはイギリスといろいろ相談しました。イギリスは韓国を講和会議のメンバーとする事に反対し、韓国は戦勝国として講和会議に参加する事を拒否されました。

理由は韓国の主張する亡命政権は実態が無く、朝鮮は日本の一員として日本と共に戦った国であるという事です。

又韓国に植民地支配に対する補償を認めれば、戦後独立した多くの国から同じような要求が出てくる事を恐れたのでは無いでしょうか。

戦後長く日本から補償を取ると云ってきたため、補償する筋合いが無いと主張する日本との折り合いがつかず、昭和40年まで交渉が難航しました。

日本は高度成長期に入り、安価な労働力を有する韓国との国交回復は魅力あるものでした。

韓国はアメリカからの援助削減を申し渡されており、日本との国交回復、資金援助は必要不可欠となってきていました。

そこで経済援助の名目で日韓基本条約が締結されたのです。あくまで補償は拒否しています。

その頃から次第に自虐史観が広まり、植民地支配についてしっかり謝罪すべきだとの意見が広まりました。

理事  杉本幹夫


戦時中の配給制度について


■投書

日韓翻訳掲示板で韓国人と議論しているうちにいくつか分らない点が出てきました。 以下ご教示いただければ幸いです。

ここで韓国人が「日本人と朝鮮人は配給及び賃金に差がつけられ、朝鮮人は日本人の6割しかもらえなかった」と主張しています。 http://bbs.enjoyjapan.naver.com/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=180420&work=list&st=&sw=&cp=1

  実態はどうだったのでしょうか。私がネットで調べたところ、当時朝鮮に住んでいた方の証言では、日本人も朝鮮人も米3合3勺で日本人は次第に減らされて最後は1合7勺になったそうです。朝鮮人は最後まで3合3勺もらえたそうです。 また日本内地では2合3勺の配給で、最後には2合1勺になったということですが、実際のところ朝鮮人と日本人のどちらが食料事情が逼迫していたのでしょうか?

↓これは韓国人の主張です。 一月にドット升(5勝升)と言えば一日に 1.6合, 一食に半分合しかならない. こんな配給量を持ってからはお腹を満たすことができないから満洲山コングケッムックを輸入して来て食べなさいと言った. もう人ではなく豚になったのだ.

1943年に行くと米だけでなく麦・ワラビまで供出対象になって麦飯さえまともに食べる事ができない世話になった

朝鮮における朝鮮人と日本人の賃金格差についてもご教示いただければ幸いです。

それからキムワンソプの「親日派のための弁明」にもでてきますが、朝鮮における一人当たりの米の消費量が植民地時代を通じて0.58石前後だったという研究があるそうですけれど本当でしょうか。

最後にもう一点質問させてください。 http://bbs.enjoyjapan.naver.com/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=182442&work=list&st=&sw=&cp=1 ↓韓国人の主張

1. 鉄道敷設関連

日本が独占した鉄道敷設工事は朝鮮側の犠牲によってセゲで仮装捨値に完成された. 19C 言葉の世界鉄道建設費, 特に植民地及び半分植民地での建設費はイルボンドンに換算してピョギュン 16万円( 1マイル当たり ) 引き継いだ.

しかし朝鮮での敷設費は高いアメリカ資材を使ってからも 3万 1千円に過ぎず 工事に動員された日本軍隊の費用と輸送費を加算しても 6万 1千円に過ぎなかった. こんなに安っぽい鉄道を敷設することができたことは第一朝鮮農民の土地を捨値で収容することができたし朝鮮人を敷設工事人足で強制動員する数あったし, 森林の濫伐, 農牛 徴発など朝鮮人の財産をわがまま使うことあったからだ.

京釜鉄道合同條款には鉄道用地を朝鮮政府が無償で提供するようになっていたので線路敷地, 歴史敷地などは一応朝鮮政府が死たち余提供した. 朝鮮政府が鉄道用地で買受けた日本人所有地は 1坪当たり 0.7 - 1.2 円で評価買い入れたし, アメリカ人イギリス人所有地は最高 17.8 円まで評価してくれた場合もあった. これに反して朝鮮人所有地は平均 0.07円で評価して買い入れた. 日本は軍隊を動員して朝鮮農民たちを包んだ賃金で, あるいは無報酬で鉄道工事に強制徴発した.

給料を支給する場合にも日本人労動者に一日 1/3円を支給した、一方朝鮮人労動者には 0.2円内外を支給するだけだったし, 農牛を強制に徴発して資材を運んで山林を濫伐して枕木等木材で使った. 京仁線京釜線京義線馬山では平南船等が開通した 1910年にもう 384万 3千円の純利益を得た. 鉄道敷設過程で日本人たちは停車場敷地を言い訳で多くの地を掠奪した. ャEル竜山には 45万坪, 平壌では 72万坪, ギョムイポで約 17万坪, 新義州では 105万坪, 釜山駅敷地で 37万坪をそれぞれ占有してその中にある多くの民家を撤去した. 当時日本本国の 1級役夫誌が 3万坪を超えなかった.

ガングマンギル --- 韓国近代史 ---p 260-270 整理 ↑これら、土地の収奪及び無賃金での労働徴発等どこまで本当なのでしょうか。

韓国人は我々日本人を汚いずるい民族と思い込んでいるようです。 彼らの嘘歴史認識を改めさせなければ日韓友好などありえないと思います。 頑張ってください。

■回答


私は食料配給の件については調べたことがありませんので、残念ながら明確なお答えはできません。
ただ言える事は食料では差がなかったと思います。 内地では2合3勺が2合1勺になったことは、私の記憶に残っています。

但しこれは米で配給されると決まっているわけではなく、カロリーで決まっていて、米に換算すれば2合1勺になると言うことだったと思っています。 米の代わりに、いも、カボチャ、大豆等いろいろなものが配給になりました。戦後になるとトウモロコシはもちろんのこと、キューバ糖迄米の代わりに配給になりました。これらの代用食は地方によって違ったと思います。

麦は当然供出の対象品であり、代用食としては最高級品でした。 北朝鮮は元々米より粟、高粱等雑穀が主食です。今まで米しか食べなかったクラスに雑穀が配給され、雑穀しか食べなかったクラスに米が配給になったりしたのではないでしょうか。

日本統治期全体としての一人あたり米の消費量は調べたことはありませんが、1石を下回っていたことは間違いないと思います。昭和恐慌期の1933年には0.36石にまで下がり、日本の農林省から「飢餓移出を止めて欲しい」「日本への移出をもっと少なくして欲しい」と、朝鮮総督府に要請しています。一方「それは困る」と移出量の拡大を求める総督府の喧嘩になっています。

朝鮮の食糧事情は終戦まで、内地よりかなり良かったと聞いています。台湾その他南方よりの補給が完全にたたれ、朝鮮からの船も空爆、潜水艦攻撃にさらされた内地よりは当然良かったと思います。

賃金については時期により多少変動はありますが、6割くらいが標準と思います。物価の違い、生産性の違いによるものです。 炭坑での生産性の格差は丁度その程度だったとのことです。

賃金格差により、搾取という人がいますが、今日多くの韓国企業が東南アジアに進出していますが、彼らの現地人との給料はどうでしょうか。かなり韓国人の方が高いと思いますが、彼らは東南アジアの人を搾取しているのでしょうか。彼らにはそのような意識はないでしょう。賃金は生産性の格差と物価で決まるものです。

鉄道建設については、日露戦争の開戦により急遽着工し、僅か2年で釜山から新義州まで開通させたのですから、用地買収に相当無理があったであろうことは否めません。

建設費については今データがすぐ出てきませんが、利益について、全錫淡著・梶村秀樹訳「朝鮮近代社会経済史」では1910年度33万8千円となっています。又平井廣一「日本植民地財政史研究」ではグラフから「鉄道収入−作業費」が30万円強でほぼ一致します。

従って下記の338万円とは一桁異なります。原典をチェックする必要があります。又平井廣一「日本植民地財政史研究」では金利が「鉄道収入−作業費」を上回っており、完全に利益が出るのは1934年以降となっています。

鉄道財政は総督府予算と一体化しており、平井氏のようにきっちり分析する必要があります。

理事  杉本幹夫


■投書

前回のメールのお返事ありがとうございました。 以下もう少し質問させていただけますでしょうか。

↓以下のサイトによると当時、在朝鮮日本人と韓国人は同じ職業でも 賃金格差があったようです。これはどう理解したらよいのでしょうか。 市場経済では同能力で職人さんの賃金に民族格差をつけることはありえないように思います。(商売にならないと思います) http://dynamic-corea.hp.infoseek.co.jp/untitled.htm

統計より見た韓国支配 韓日の給料格差

家作指物建具  石工 煉瓦積 車製造工
年代 日本人 韓国人 日本人 韓国人 日本人 韓国人 日本人 韓国人 日本人 韓国人 日本人 韓国人
1931 2.98 1.62 3.04 1.69 3.03 1.63 3.41 1.94 3.31 1.88 2.89 1.55
1932 2.91 1.57 2.92 1.60 2.99 1.65 3.26 1.68 2.98 1.78 2.71 1.54
1933 2.83 1.57 2.82 1.56 2.92 1.64 3.13 1.56 2.97 1.69 2.63 1.49
1934 2.84 1.60 2.78 1.57 2.88 1.66 3.16 1.69 3.04 1.73 2.61 1.52
1935 3.06 1.78 2.93 1.71 3.06 1.82 3.38 1.82 3.09 1.85 2.69 1.47
1936 3.13 1.97 2.97 1.92 3.05 1.96 3.47 2.09 3.30 2.08 2.86 1.70
1937 3.24 2.11 3.09 2.04 3.21 2.08 3.70 2.34 3.38 2.21 2.83 1.75
1938 3.42 2.33 3.02 2.27 3.30 2.29 4.13 2.50 3.59 2.50 2.89 1.85
1939 3.68 2.70 3.57 2.67 3.57 2.49 4.62 2.87 3.81 2.86 2.84 1.94
1940 3.91 2.92 3.76 2.87 3.73 2.66 4.54 3.15 4.20 3.193.02 2.21

平人足 洋服・裁縫左 官下男(月給)下女(月給)
年代 日本人 韓国人 日本人 韓国人 日本人 韓国人 日本人 韓国人 日本人 韓国人
1931 1.40 0.66 2.55 1.40 N/A N/A 19.09 11.86 N/A N/A
1932 1.40 0.68 2.62 1.53 N/A N/A 22.17 11.29 N/A N/A
1933 1.32 0.70 2.58 1.48 N/A N/A 19.86 10.43 N/A N/A
1934 1.17 0.69 2.48 1.49 N/A N/A 20.74 10.21 N/A N/A
1935 1.29 0.75 2.44 1.48 N/A N/A 22.27 10.99 N/A N/A
1936 1.43 0.74 2.42 1.43 N/A N/A 23.00 11.22 N/A N/A
1937 1.66 0.94 2.49 1.56 N/A N/A 23.39 11.34 N/A N/A
1938 1.78 0.92 2.67 1.74 N/A N/A 22.70 11.46 N/A N/A
1939 1.87 1.15 2.67 1.79 N/A N/A 21.02 11.57 N/A N/A
1940 2.18 1.32 2.79 2.01 N/A N/A 18.58 11.89 N/A N/A
(注意) 単位は、円である。左官、下女の資料は紛失により、掲載していない。

       この資料は、昭和16年度(1941年)の朝鮮総督府の統計資料からである
韓国人とは、資料では朝鮮人の事である。また、日本人とは、当時朝鮮半島にいた内地人のことである 同じ職業であっても、韓国人と日本人に大きな格差がある。特に1931年の場合、倍以上の格差も見て取れる 1940年には、格差がちじまっているが、依然大きな格差があった事が分かる
資料にあった賃金の比較はこれだけであったが。役人や他の職業での実態は不明であり調査中である 結果は、いずれ報告しよう

もう一点、姜在彦「日本による朝鮮支配の40年」によると1928年の朝鮮日報の記事で 「40万居留民に320名、2000万に僅か190名」という見出しの記事があるそうです。 京城帝国大学予科と専門学校の合格者が、日本人320名、朝鮮人190名ということで、 姜氏は朝鮮人が教育において平等でなかったように書いておられます。

              
 日本人    朝鮮人
京城帝国大学予科   83      66
京城法学専門     21      47
京城医学専門     59      31
京城高等商業     66      14
京城高等工業     54      15
水原高等農林     40      24
 
これは入学において差別が存在したのでしょうか。姜氏は法学専門において朝鮮人が多いのは言葉の問題で司法に朝鮮人が必要だったからだと述べておられます。就職においても差別が存在したのでしょうか。台湾の場合だと就職において差別があったので台湾人の優秀な人材は医科に進んだと聞きました。

最後にもう一点 同じく姜在彦「日本による朝鮮支配の40年」によると、戦時中の朝鮮における 米の供出量は
1940   42.8%(生産高における比率)
1941   45.2%
1942  55.8%
1943   63.9%
1944   60.0%


となっています。供出という制度も今ひとつよく分らないのですが、強制的に安く買い付ける ということでしょうか?この数字は正しいのでしょうか?

以上よろしくお願い致します。

■回答


インドネシアやアフリカで家を建てることを想像してください。
一般に低開発国の人は、細かく指示しなれば仕事が出来ないため、ボスがいないと仕事が殆ど進みません。 それに対し、日本人は重要なことだけ指示すれば自分で判断し、どんどん仕事が進みます。 従って単純な仕事は現地人に頼み、重要な仕事や、作業指揮者を日本人に頼む事になるのではないでしょうか。

朝鮮人は文字が読めない人が大半でした。 従って朝鮮人と内地人では、信頼性、仕事の質、能率等に差があったのではないでしょうか。 職人の世界でもベテランと新人では給料が異なると思います。 重要な仕事は日本人にとか、値段は高いが安心だと云ったことだと思います。

満鉄の鞍山の記録を読んでいたとき、大正末の不景気で原価低減のため、どれだけ日本人を支那人に置き換えられるか、検討しているとの記事を読んだ記憶があります。

高級官僚の場合、斉藤総督の時代に、同一資格なら同一年俸になりました。但し日本人には在外加俸がつきました。 この在外加俸は年俸の5割ー6割といった大きなものでした。 やはり優秀な人材を外地に連れて来るにはそれなりの優遇措置が必要だったと思います。

小磯総督の時代には、朝鮮人でも朝鮮勤務の人に在外加俸がつくようになり、完全に同一になりました。 朝鮮人でも内地勤務より朝鮮勤務になると大変給料が良くなることになったのです。

高等教育への入学者の比率は、朝鮮人は次第に増えていきました。所が台湾では、台湾人はほぼ一定の比率に押さえられています。
明らかに差別されていたように思います。

供出とは配給制度を維持するため、農家に数量を割り当て、国が強制的に買い付ける制度です。 基本的に配給制度とは食料が不足するため、貧乏人も金持ちも平等に乏しい食料を配分しようとするものです。 生産量から供出量と自家用分を差し引いた米が自主流通米となるわけですが、戦争末期、終戦直後は所要量を満たすことができず、自主流通は禁止されていました。

理事  杉本幹夫