■投書
卒業論文で、「太平洋戦争はほんとうに全てが
過ちであったのか」という内容のものを作成中なのですが、いい知恵をお貸しくだる
と光栄です。
下記の項目でいくつか疑問があります。
@南京大虐殺の真偽
A731部隊はなぜ東京裁判で挙がらなかったのか
B従軍慰安婦の真偽
100%ないと言い切れるのか。個人レベルの犯罪なのかどうか。
C朝鮮侵略に対すること
特にCはあまりよくわからないです。日本は朝鮮に対しては悪事しか働いていないの
でしょうか?
■回答
大東亜戦争(戦後の呼び名が太平洋戦争)についてはこれまで
自由主義史観研究会や新しい歴史教科書をつくる会の関係者から
様々な形で書籍が出ています。
一番わかりやすいのが小林よしのり著「戦争論1・2」ですが、
そのほかにも当会の杉本幹夫の
「植民地朝鮮の研究 謝罪するいわれは何もない」
があります。
さて、ご質問の件ですが、私の分かる範囲で次のことを説明いたしましょう。
@南京大虐殺の真偽
現在も学会をつくってこの件は調査中ですが、日本人の一般大衆が
知らされたのは戦後になってからの出来事です。しかし、昭和12年
12月13日に南京が陥落してから後、外国の報道機関では有象無象の
対日非難報道がなされていました。
代表的なのがティンパーリーの「戦争とは何か」であり、ラーベや
ベイツといった南京在住の外国人による日本軍への抗議文書などです。
しかし、ティンパーリーは上海にいて、南京を直接見たわけではありません。
南京から送られてくる記事をそのまま外国に発信していたのです。
また、ラーベの日記を読んでみると、他人から聞いたという話はずいぶん
載せられていますが、自分自身で見た日本軍の非行はほとんどと
言っていいほどありません。少なくとも、ラーベ自身は殺害の現場に
居合わせてはいません。
さて、問題はこの南京大虐殺という言葉の定義です。
戦闘で兵士が死ぬのは、これは当然のことですので、これを戦争犯罪とは
いいません。
一般に、兵士が民間人を殺すのは犯罪です。また、降伏した敵を
捕虜としたにもかかわらず、裁判をしないで処刑した場合は犯罪に
なります。ただし、例外があります。ここが難しいところですので、
注意してお読みください。
民間人が武器を持って兵士を襲ってきた場合は正当防衛が
成り立ちますので、これを殺しても犯罪にはなりません。
支那(中国)には便衣兵がいました。この便衣兵というのは、
正規の軍人であるにもかかわらず、正規の軍人が着るべき
軍服を着ていない者のことです。ではどのような服を着ているか
というと、これが普通の服なので、見た目には民間人と区別が
付きません。つまり、軍人が民間人になりすましているのです。
このような行為は一般にどこの軍隊も禁止しているのですが、
支那は違いました。便衣兵が日本軍兵士を襲うことはずいぶんと
多かったので、日本軍はどこでも大変苦戦を強いられました。
便衣兵については次のページが詳しいです。
http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/jusinbello/index.html
このようなゲリラ行為に対してはどこの国でも厳しい罰則が
とられています。そのような便衣兵には捕虜になる資格さえ
ないのです。捕虜となった者は武器を取り上げられますが、
その代わり名誉は保証されます。
http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/jusinbello/jusinbello03.html
には次の文章があります。
===========================
ヘーグ条約(陸戦法規付属書)の第四条の「浮虜の取扱」には
「浮虜は敵の政府の権内に属し、之を捕へたる個人又は部隊の権内の属することな
し。 浮虜は人道を以て取扱はるへし。浮虜の一身に属するものは、兵器、馬匹及軍
用書類を除くの外、依然其の所有たるへし」
などとあります。
現在では戦争法上、捕虜がいかに手厚く保護されているか、具体的にはヘーグ条約、
ジュネーブ条約、追加義定書をご覧いただきたい。捕虜になるということは、正に交
戦者の「特権」なのである。
読者の中には、何故捕虜がそれほど“厚遇”されるのか、と疑問を抱く方がいるかも
しれない。居住地や所持品等の若干の制限の他は、自国の兵士と同じ待遇なのであ
る。なにしろ、使役させられた時は給料をもらえるし、将校捕虜には本国の同一階級
の将校と同額の棒給が支給され、郵便料金はタダである。これは、(虐待や抑圧を禁
止するといった)人道的配慮のみでは説明がつかないであろう。勿論、自国の兵士が
捕虜になった時に、相手国に同様の扱いを期待するといった面もあるが、これを加味
しても“厚遇”の説明は到底困難であろう。
実は、捕虜のこのような扱いがなされる本質的な理由は、(これを捕獲する国の)
「軍事的利益」に適うからなのであり、だからこそ、捕虜は「名誉ある地位」とさ
れ、「特権」をもって厚遇されるのである。
これを捕獲する国にとっての「軍事的利益」とはどういうことかというと、自軍の
(無駄な)被害・損害を抑えられるということである。例え、相手の勢力が圧倒的に
劣勢であるとしても、これを孅滅するからにはそれ相当の犠牲者が自軍に出るであろ
うし、時間や武器・弾薬の消耗も避けえないであろう。しかし、敵の降伏はこれらの
被害・損害から自軍を解放せしめるのである。しかし、降伏した後の捕虜としての待
遇が劣悪なら、そう簡単には降伏しないことは理の必然である。従って、捕虜を厚遇
することは、降伏を促し、自国の「軍事的利益」に適うことになるのである。
===========================
俘虜・・・捕虜の意味で使っています。
では、南京大虐殺のことに戻りますが、中国政府の見解では、
南京市内(城内)において、30万人の市民が虐殺されたことに
なっています。ところが、南京陥落時、城内には一般市民は20万人
しかいなかったのです。これは、南京市民を保護していたラーベなど
外国人による国際委員会が記録に残している数字ですが、彼らは
難民に食糧を供給していましたので、正確な人数を把握していないと
いけなかなかったのです。だからこの数字は非常に重要です。
また、ラーベの日記にも、南京の警察長官である王固盤が
「城内にはまだおよそ20万人の市民が残っている」と語ったと日記に
書き残しています。(11月28日)
20万人しかいない城内で30万人を殺すことができるのでしょうか。
次に、南京陥落後に行われた死者の埋葬記録ですが、業者の一つの
紅卍字会が埋葬した数はおよそ4万体です。そのほか、東京裁判に
提出された崇善堂の記録11万2266体というのもありますが、こちらは
その記録のとられ方を見ると、紅卍字会の埋葬がすべて終了した後
であるにもかかわらずおびただしい数字が記載されています。
ところが、日本も国際委員会も契約した相手は紅卍字会だけでした。
阿羅健一氏が見つけた資料では崇善堂の埋葬した数は「きわめて少ない」
ということが分かっていますので、虚偽の記録であることは明らかです。
その記録とは、南京市政府秘書処発行の崇善堂に関する記録ですが、
「民国24年度(昭和10年度)南京市政府行政統計報告」によれば、
崇善堂は施材(衣料給与)、保育などの仕事が主で、埋葬はやっていない
団体なのです。また、民国27年度南京市概況(督弁南京市政公署秘書処編)
にも、死体の埋葬をしている団体という記録がありません。しかも、
この崇善堂の活動規模は「工作進行範囲狭小」とあり、紅卍字会と比較しても
全く小さな団体で、埋葬事業はおろか、崇善同事態の活動規模さえ小さい
団体だったのです。そのような団体が紅卍会を上回る11万もの死体を
片づけたのであれば、必ずその目撃者なり記録なりが残っているのですが、
そのような記録は東京裁判にも出されませんでした。
また、ラーベの日記にも崇善堂の名前は一度も出てきません。
つまり崇善堂の埋葬活動など、ないのです。これで30万はおろか、その半分の
15万人説も成り立たないことになります。
紅卍字会の数字の方は、少なくとも3倍の誇張であろうという証言を
当時の日本軍の特務機関の係官だった人物が証言しています。
日本軍は水増し請求でも認めていたと言うことなのですね。では
少なくとも1万もの人々が殺されたのかというと、これも次の事情から
おかしくなります。
南京市内に入ってから、先に述べた便衣兵狩りが実際に行われています。
この結果抽出された便衣兵が処刑されたのですが、これは戦闘行為の
延長であって、 虐殺には当たりません。また、南京市は外国の首都であり、
他国の首都を軍事占領することは日本の歴史始まって以来のことなので、
軍紀を引き締める松井大将の命令も出ています。
そして南京市ではその後、外国人達から次々と訴えが寄せられた
事実はありますが、それらの「訴えられた事実」は全く検証されておらず、
中には被害者が誰で、記録者さえも明らかでない捜査不可能な情報が
かなり混じっていました。
一方、南京陥落とその前後の記録は日本軍でも様々な人々が記録に
残しており、それらを検証してみると、すべての部隊が南京市に入城
したのではないことが分かっています。南京市民は当時、金のある人は
市外に逃れていましたが、南京市内には行くあてもない人や貧しい人々が
相当数残っていた(それが20万)のです。
それらの人々は安全区と呼ばれる場所に集結しておりました。詳しくは、
南京「虐殺」研究の最前線(展転社)を御覧いただきたいのですが、ここに
いたのが次の部隊です。
12月13日(南京陥落の日) 昼 第7連隊の第1・2大隊、安全地帯は掃討せず。東南部に進出、夜は東南部に宿営
12/14 第7連隊の第1・2大隊、掃討開始。宿営は東南部。
12/15〜24 同部隊、安全地帯内に宿営。14,15,16日で敗残兵6500を処分したという。
24日、蘇州へ向かって出発。
12/25〜1/22 第38連隊第1大隊、良民証交付開始。この良民証は全交付数が25万人なのです。
1/23〜 第12連隊の1個大隊、難民の元の住居への帰還を勧めた。
何より、注目すべきは1月の日本軍の記録で、人口が25万人に増えて
いることです。虐殺の行われているという恐ろしい場所に人が戻ってくる
のでしょうか。
どうも、ベーツが次のように書き残したのが当時の南京虐殺についての
外国人の見方だったようです。
「この2週間の一連の大量殺人は、元兵士と”正当もしくは不当に”告発された
ものの殺害の様相なのである」
しかし、その数は数千もいなかったと言うことが分かるのです。ただ、
これも私がメールに長々と書くと大変ですので、ここは是非、
「南京『虐殺』研究の最前線」を読んでください。
次のページも参考までに。
http://www.jiyuu-shikan.org/goiken/02/08/index.html
ここにはAでご質問の内容についてのことがかかれています。
では次に参りましょう。
A731部隊はなぜ東京裁判で挙がらなかったのか
この件は旧ソビエトのハバロフスク裁判で問題になりましたが、
当時はそれほど大きく取り上げられもしませんでした。戦後の
昭和57年頃に森村誠一という人が『悪魔の飽食』という本を
書いて話題になって以来なのですが、しかしこの本の続編では、
日本軍の人体実験という写真が実は済南事件の時の写真で
あることが分かり、証拠自体が疑わしくなったものです。
だから元々はあまり重大な事件でもなかったものに尾ひれが
ついていたのでしょう。問題の731部隊というのは、関東軍防疫給水部
というのが正式の名称です。つまり、水の悪い大陸でいかに兵士の
健康を守ることができるようにするかの研究をする、伝染病対策が本来の
仕事ですので、人体実験をやったとかいうのはおそらくねつ造です。
B従軍慰安婦の真偽
100%ないと言い切れるのか。個人レベルの犯罪なのかどうか。
あなたのもっている『従軍慰安婦』についてのイメージがどのような
ものであるのかはっきりしませんが、少なくとも次のことがいえます。
(私の論文を参考にしてくださってもいいのですが、それは『近現代史の
授業改革7 『従軍慰安婦』は中学生に教えるべき歴史事象か』に書きました)
慰安婦という職業はありました。当時は売春が合法的に行われていた
時代ですので、女性が一家の借金を返すために遊郭に身を売ることは
しばしばありました。しかしそれは昔からある女郎部屋です。
しばしば問題にされる『従軍慰安婦』というのは、職業としてありません。
これは、『従軍』という用語がすでに間違った使われ方をしているのです。
『従軍』というのは、軍属です。『従軍記者』『従軍カメラマン』『従軍看護婦』は
正規の日本軍所属の記者であり、カメラマンであり、看護婦です。
つまり『従軍』とつくものは公務員扱いなのです。
では、ちまたでよく言われる『強制連行された元慰安婦』というのは
どういうものかといいますと、これが実はトンデモナイ噴飯物です。
「私は女性を無理矢理さらって慰安婦にしました」と証言した
吉田清治という老人の本は全くのでたらめでした。
また、歴史論争最前線にリンクされているものを御覧いただいたかと
思いますが、いわゆる慰安婦の証拠写真や証言もおかしな物が多い
のです。また、慰安婦の収入は、それは高額だったのです。
http://www.jiyuu-shikan.org/goiken/02/11/index.html
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/noguchi/ianfu.html
果たして、当時の陸海軍の大将がもらっていた収入の人が性奴隷でしょうか。
また、慰安所に軍が関与するのは、兵士に性病が蔓延しては作戦行動に
支障をきたすので、その衛生面への配慮からです。第一、戦場での強姦もまた
軍の作戦行動に大きな障害となるので、これは厳禁された内容なのです。
C朝鮮侵略に対すること
日本は朝鮮に対しては悪事しか働いていないのでしょうか?
これについては杉本さんのページなどをご覧ください。きっと参考になるでしょ
う。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/index-jkorea.html
会員 ヤン・ウェンリー
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