本当に日本人がやったのか?


■投稿

最近このページを見つけて読ませていただいております。
昭和初期の歴史に興味があり、願ったり叶ったりで、非常に勉強になり、うれし く思っております。私はというと、自分で深く考えると他のことが手に付かなく なる性分という事もあって、専門家各氏の書物を読んで満足する程度なのです が、このページを読ませていただいているうちに、どうしても以前から気になっ ていた事が再び気になりだしてメールした次第です。

よく、満州や支那に関する書を読んでいると、日本人が何々をして中国人を差別 したとかいうふうな話が出てきます。私もそうしたと言う告白もあったりします が、果たしてどの程度そのような事があったのか、ご存知でしたら教えていただ けないでしょうか?

当時の大半の日本人の意識の中に、支那人がどうしようもない奴らだという考え があった?ので十分ありえた話なのか、それとも、日常起こりうる犯罪の範囲内 であっただけの話なのか?

また、当時の「日本人」には朝鮮半島のヒトや台湾のヒトも含まれていたように も思うのですが、その点はどうなのでしょうか? 日本で作成された資料では明確に区別されているようにも思うのですが、満州や 支那で、当地の報道や、外国人により報道される場合には区別されていたので しょうか?

現在喧伝されている支那での残虐行為や差別的行為に大陸的な犯罪の臭いがする ものが少なからずあるように思えるので、実は「日本語を話していたようだ」と いう証言ひとつで日本人が犯人らしいという話が残って、それが、彼の地で公式 記録として採用されて残されている、という資料もあるのではないかと邪推して しまうのです。

もし、お手数でなければ、読むべき資料があれば、ご教授いただければ幸いで す。

■回答

まず日本人が支那人を侮蔑したり、差別したであろう事は否定できないと思って います。私たち少年時代は支那人を「チャンコロ」と言っていました。 しかしこれは本能的なものであり、誰しも貧乏な人、不潔な人、働かないで不満 ばかり言っている人にはそのような差別感を抱くのではないでしょうか。しかし 日本人は上海の公園で、「犬と支那人入るべからず」と言った差別はしなかった と思います。

満州では五族協和を唱え、その方向で努力しています。 それなりの地位にある人、努力する人への敬意は十分あったと思います。 その証拠は支那を始めとする、東南アジア諸国の独立運動指導者に対する支援で す。 この事実は我々のページのQ&Aを見て下さい。

満州では朝鮮人は日本人として扱われていましたが、支那人の見る目は果たして どうであったかは分かりません。 朝鮮人は併合前より、大量に移民し、同じ時期大量に流れ込んだ支那人と各地で いがみ合い、その調停は領事館の大きな仕事だったようです。 尚台湾出身の謝介石が満州国の外交部長として活躍しています。

支那での残虐行為や差別的行為については田辺敏雄著『検証 旧日本軍の「悪 行」 歪められた歴史像を見直す』自由社税込み 約2000円
及び黄文雄先生の一連の本を推奨します。 如何に歴史が歪曲されているか、よく分かると思います。

理事 杉本幹夫


南京大虐殺についての質問


■投稿

日本側の資料でも大量の死体を川に流した記録があるようですよ。これは、かつ て私の論争相手からもらった資料です。中国側の個人日誌はあてにならないが日 本軍人の日誌はある程度の信憑性があります(日本軍人が虐殺の捏造する動機は ないから)。

遠藤高明 陣中日記
十二月十六日 晴
 (略)捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より【軍命令により捕虜の三分の一を 江岸に引出し第1大隊に於て射殺す。】
 一日二合宛給養するに百俵を要し兵自身徴発により給養し居る今日到底不可能 事にして【軍より適当に処分すべしとの命令ありたるものの如し。】

十二月十七日 晴
 (略)夜【捕虜残余一万余処刑の為】兵五名差出す(略)。

本間正勝 戦斗日誌
十二月十七日
 (略)中隊の半数は入場式へ半分は【銃殺に行く、】今日一万五千名、午后十 一時までかかる、 自分は休養す、煙草二ヶ渡、夜は小雪あり。

目黒福治 陣中日記
十二月十六日 晴天 南京城外
 (略)午後四時山田部隊にて捕えたる敵兵約七千人を銃殺す、揚子江岸壁も一 時死人の山となる、実に惨たる様なりき。

十二月十七日 晴天 南京城外
 (略)午後五時敵兵約一万三千名を【銃殺の使役に行く、】 二日間にて山田部隊二万人近く銃殺す、各部隊の捕虜は全部銃殺するものの如 し。

近藤栄四郎 出征日誌
十二月六日
(略)夕方二万の捕虜が火災を起し警戒に行った中隊の兵の交代に行く、遂に二 万の内三分の一、七千人を今日【揚子江畔にて銃殺と決し】護衛に行く、そして 全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する。
(略)断末魔の苦しみの声は全く惨しさこの上なし、戦場ならざれば見るを得ざ るところなり(略)

やはり南京大虐殺は本当にあったのでしょうか?

■回答

 あなたの書いてこられた内容はどうやら捕虜の処刑=虐殺というもののようで すね。基本的に、支那軍は捕虜となるべき用件をことごとく欠いているというこ とをご存じでしょうか?

 それから、相手の書いてこられたという資料についてですが、いろいろな疑問 点があります。それは何と言っても、“【 】”の中に入っている言葉ですよ。 これは確かに原文の通りなのでしょうか?

 日本の軍人が虐殺を捏造する動機はない、とあなたは考えておられるようだ が、それは違います。現に、東史郎の「我が南京プラトーン」は12月17日の 郵便袋爆殺事件の記述が事実無根であり、最高裁判所でも名誉毀損であるとし て、罰金50万円が確定しております。

 旧日本軍人による虐殺捏造の前歴はあるのですよ。だから安易に「日本人なら 嘘はつかない」などと判断してはいけません。

 まず、遠藤及び本間の日記ですが、この人達の所属はどこの部隊でしょうか?  それから、近藤日記ですが、12月6日はまだ南京が陥落していませんし、降 伏勧告をする前の話です。従って南京虐殺の証拠にはなりません。

 あと問題は目黒日記ですが、この人は仙台第103旅団の人でしょうか?それ とも福山第41連隊の人ですか?山田部隊とあるだけではちょっと判断が付きま せん。 というのは、仙台第103旅団の旅団長が山田栴二少将であり、福山第41連隊 の連隊長が山田鉄二郎大佐だからです。

 よくよく資料を検討していただきたいですね。

会員 ヤン・ウェンリー