1.英語版:南京大虐殺のサイトへの意見(原文英語)

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このe-mailを書くのに私の手は震えた。怒り、反感、失望、嫌悪、人間として心 の底にまでいたる感情で両手が震えた。この気持ちはあまりにも強く原生的なので、無関心で無気力に地球の反対側のカナダで生きていた無関心派の若者を 今までの人生ではやったこともない何かをしなければならないとの気持ちへと駆り立てたのです。

小さなことでも何か行動を取らなくてはと思いこのウェブ サイトの厚かましさに対し最大級の怒りの声を示すためにこのe-mailをだす。これは小さな行為かもしれない、このe-mailのアドレス管理者が チラッとこのメッセージを見て、そのまま削除してしまうことになるのかもしれない。しかし、このウェブサイトでいっていることについて私が目撃してい る事実に対する弁解の余地無き侮辱行為に対して私の懸念と怒りを声に出すのが、自分の道徳上の義務だと感じている。

私は、貴方のウエブサイトに書かれた他の日本史の問題はべつとして、 1937年の南京の大虐殺の詳細に焦点を当てるのがよいと思う。他の事件について別の観方をするような知識は持ち合わせていないことをまず認めざるを 得ないからである。従って私の怒りはあなたのウェブサイトの中国におけるこの大虐殺否定とアイリス・チャンのザ・レイプ・オブ・南京間違いに向けられている。

このサイトの使命は異なった意見を戦わせ、イデオロギーによるタブーや束縛を拝して自由で活力ある理性的な議論によって歴史的事実を追求する、と主張 している? しかし貴方のウェブサイトの内容はこの神聖なる誓約にまったく相反している。貴方の真実の探求?なるものは、本当はプロパガンダに過ぎない。家に帰り さえすれば日本軍が中国市民に親切にするとしたプロパガンダが1937年の南京の町中に満ち溢れていたが、その台詞と同じだ。レイプ、破壊行為、切 断、人間性抹殺、および最も残酷な形での死のがいつから親切?の定義になったかのか? このような嘘で頭をなぜられ、親族の安全のために国際安全地区 に残していったこれらの市民の残酷な運命を考えると身がすくむ。

貴方たちは南京の恐ろしい出来事を正当化し、論破しようとしている歴史家、作家、記者の情報源を引用している。(彼らの大部分が日本人だと言う事実は 非論理的な変数として議論されると思う。しかも、これは都合良く一致している。)私は日本や日本の文化のエキスパ-トになろうとは思っていないが、私 の乏しい知識でもこのような専門家?が日本人に都合が良いよう真実を曲げようとしたことは判っている。

日本文化は家、国への尊敬と忠誠を重んずるもの だ。多くの場合、これらは賞賛に値する特色だ。しかしながら、カルト状態にまで心を掻き立てるとすると問題が起こる。政府、天皇または両方であるかも しれない権力に、あからさまに服従している状況下なら、個人、民主主義、言論の自由、個人の権利は全てその場でやられてしまう。流れに逆らったり、公 然と政府機関に反対の発言をする人たちは八分にされるか、悪ければ殺されるという証言が行き渡っているから、多くの人が黙っているか、都合の良い観方 をしていることは驚くことでもない。日本の歴史教科書から大虐殺が除外されていると 証明され、南京事件について広範囲にわたり日本政府がもみ消したことが虐殺生者にさらに平手打ちを加えた。そのような真実の捏造を指導することは、こ の国の誤った誇りと利己的な態度ではないか?私はそうに思う、弁解のしようのないことだ。

このサイトの内容の信頼性には問題がある。アイリス・チャン批判のサイトはは特にそうだ。どこから攻撃したらよいか迷ってしまう。そのかわり、両方の サイトでみた虚偽に対し、私の不満を声にしたかったことをこのメールの最後に書いておきたい。チャンがこの本で書いているように、人類に対するこのよ うな犯罪の否定は生気の凝った犠牲者への第二の虐殺だということである。貴方はこの虐殺に対する仲間である自分の姿を毎日鏡で見続けることがどうして 出来るのか?この事実に直面することをせずに砂に頭を突っ込み続けているつもりか?

 

■回答

貴方には同情します。思いもよらぬ情報に出くわしていかに強いショックを受けたかご想像します。しかし貴方を戸惑わせたかもしれない真実に、しかもな お直面されることをお勧めします。これが人生の真実なのです。

南京市内およびその近辺で日中両軍の大きな戦闘があり、中国軍は大損害をこうむった。 何応欽将軍が1938年春に中国立法府に提出した軍事報告によると、中国軍は南京と上海で98,340人の損失(死者33,000人、負傷者 65,340人)があったとかかれています。(これは中国政府の公式データで貴方がクレームをつけている日本のものではありません。)この失の数字はかなり低め数字だと我々は判断していますが、中国軍が大きな損害をこうむったと言う事実は否定できません。しかし、これはまったく大虐殺を意味する ものではありませんな。従って中国政府は国際連盟において日本軍の南京における大虐殺について一言も発言していません。中国政府代表顧維鈞はその気に なればいくらでも日本軍非難のためにそれをいえたのにです。

南京戦に関しもう一つの事実をを付け加えましょう。 それは有名な毛沢東の「持久戦論」です。彼はこれを1938年5月に書きました。

「台児莊戦役以前には、敵は上海、南京、滄州, 保定、南口、忻口、臨汾の諸戦役で、撃破は多かったが、捕虜と戦利品はきわめて少なくここに指揮のまずさがあらわれている。この5つの点----兵力 を小出しにふやしたこと、主攻方向がないこと、戦略的協同がないこと、時期を逸したこと、包囲は多いが殲滅が少ないこと、これが台児莊戦役以前、日本 軍の指揮のまずかった点である。

彼は日本軍が兵士を少ししか殺していないと非難しているのだ!これが当時いわれていたことなのです。これらの事実は、アングラのプロパガンダは別とし て、当時南京大虐殺などということはだれも言っていなかったことを明確に示しています。

次に議論される問題は中国市民がどのような状況であったかということです。 きわめて重要な書類を提示しましょう。それは1939年中国政府の検閲のもとに上海のKelly & Walsh社から出版された「安全区の記録」である。(これも貴方の批判する日本からの情報源ではない。)これは南京安全地区の国際委員会の報告書 で、この委員会は12月3日に南京から逃亡した馬市長から依頼されて、南京市民の面倒を見ていました。食料、お金、その他を市長より預かり、事実上の 南京市の行政の機能の一部をはたしていました。

この文書で最も重要なのは人口に関する数字である。 人口のデータは 王固磐(警察署長)から委員会にわたされたものですが、人口は20万人となっています。委員会はこの数字をを基にして食糧供給、住宅対策などを行って いました。。この「安全区の記録」では12月17,18,21,27日の人口を200,000、そして日本軍占領後ちょうど1ヶ月後の1月14日には 250,000と記録しています。もし貴方が健全なる常識と理性をお持ちなら、200,000 - 300,000=250, 000 などという等式はを議論までもないばかげた論であることをご理解するでしょう。アイリス・チャンがいっていることは現にこのようなとんでもな い大 馬鹿・非論理にほかならないのです。これが私たちがチャンは人口を「発明している」または「作りだしている」と言っている所以です。

この「安全区の記 録」には、殆ど全ての市民は安全地区に集まり,と記録されています。安全区の広さはニューヨークのセントラルパークと同じ大きさでした。その安全区の 人口はむしろ増加していたのです。こんな広さのところで殺人のような重大犯罪が起きたとしたら、400,000の目(200,000X2) の目撃から逃れることはまずできなかったでしょう。事実何か不正行為が委員会に報告されるとこの「安全区の記録」に記録されたのです。我々はこの記録 を分析しましたが、殺人は全部は27件で、しかもその内目撃証人がいたのはたった1件だけであったことが明らかとなりました。これは上記で述べた人口 状況と非常によく整合しています。(この「安全区の記録」は米国、カナダの多くの大学の図書館にあり、あなた自身がその事実を確認することが出来る.)

以上、私は1次資料(それが起った時点かその時点に近い時期に事実に基づいて記録されたされたもの)に基づいて、しかも日本のものではなく第3者か中 国側の1次資料に基づいて、南京事件の基本的枠組みを提示することが出来たと確信しています。 300,000などと言うはおろか、10,000、1,000、100のオーダーの虐殺もありえなかったと言う事実を確認され、再びショックを受けら れたことでしょう。あなたがもし人間としての良心をお持ちでしたら,我々が以上提出した真の事実をあなたがはっきりと受け止め、その上で貴方自身の見 解を導き出すために、ご自身で客観的事実の基づく研究をされることを望みます。 貴方のどのような疑問にもお答えします。どうぞご遠慮なく質問してください。

自由史観研究会会員 水元 茂


2.歴史認識の禍根と影響

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戦後58年、この長い年月の歴史こそ日本有史以来の屈辱の時間ではないでしょうか。勿論、過去の戦いで多くの先人が亡くなり英霊となられたことも大きな悲劇です。しかし、戦いには国家国民の自存自衛という最も崇高な大儀がありました。

戦後この間、日本人は自虐的かつ自滅的歴史認識で過ごし、アジア諸国や欧米に対しどこか後ろめたさのような思いを背負い暮らしてきました。

「日本はアジアを侵略し、多大な迷惑を掛けて来たのです。」これは私たち戦後生まれの日本人が教科書や学校で教えられてきた昭和の歴史の基本事項でした。それでも私は、日本も何か良いことをしていたのでなないかと思いを巡らせ、どこか藁をもつかむ思いがありました。数年前、ホームページと同じ「教科書が教えない歴史」と題された4冊の本を偶然見つけ、数週間のうちに完読しました。そして何か心の底が熱くなる思いと共になぜか涙が流れるのを覚えました。以来、蔡焜燦、黄文雄、小室直樹、前野徹、ヘレン・ミアーズ、その他多くの歴史書を拝見しているところです。

私たちが歴史を学ぶには書物しかありません。かつて戦争に出兵した老人が幾人かおりました。軍隊生活のこと、零戦のエンジン始動中怪我をしたこと、上官のドラム缶風呂を使い罰を受けたことなどなど、興味を持つ話が聞けました。しかし一兵士からは戦争の大儀などは語れるはずもありません。ただ日本のために家族のために戦ったとしか答えてくれません。

これらの本に触れ、維新以来の日本の成長、東南アジア諸国の独立、台湾・朝鮮統治での日本の日本人の偉業を知るにつれ、日本人は世界に名立たる立派な民族であったことを思い胸を張って生きなければと言う気持ちにさせてくれます。

蔡焜燦さんの著書に記されているように台湾人・高砂族は日本人のために進んで命を投げ打ったといいます。台湾人も立派です。同時にこのような行動をさせた日本人も素晴らしいのです。この互いの素晴らしさは恐らく欧米人や中国・韓国の人々には到底理解できないでしょう。朝鮮にも日本は台湾と同様に教育や基盤整備を行い近代化を図ってきました。欧米の搾取政策とはまったく違います。

先般、このページを拝見し、一昨年韓国人のアメリカ留学生と理事杉本幹夫さんとのやり取りを読みました。アサヒビール顧問の中条高徳さんの著書の中でアメリカに暮らす氏の孫娘のコメントからも韓国人の日本人に対する誹謗中傷の事実が述べられておりますが、やはり韓国とは理解し得ないのではと絶句します。同じように統治した台湾とはまったく異なります。しかし日本人にも自虐的に見られる人も多くいます。知識がなく自虐的ならまだましです。ある新聞のように、系列のテレビ局のように声高々に日本は侵略をしたのですと力説している方々もおります。本当に残念なことです。

今日の日本の荒廃、政治、教育現場、マスコミ、色々な面で乱れた国家です。歴史に正しく向き合う意識、歴史の正しい認識、先人に敬意を持ち偉業を称える気持ちなくして日本の心の再建はないでしょう。日本人固有の武士道精神・日本精神を復活させなければならないと思います。

昨年金完燮(キムワンソプ)と言う韓国人の書かれた「親日派のための弁明」という本が出版されました。微妙な部分でご認識はありますが、総じて正当に認識された始めての韓国人による歴史書ではないでしょうか。残念ながら韓国では有害図書として出版されないとのこと、本年中には一部出版とのことですが、韓国人が書かれたことが重要だと思います。韓国にも正当に歴史を見られる人がいると一筋の明かりが灯されたと思いたいものです。

現状で韓国人と色々議論しても空しくなることでしょう。研究会のご苦労と憂いを強く感じ入ります。韓国人の正しい歴史認識は韓国人自らの力で変えなければ不可能です。願わくば、金完燮のような人物が多く出現し、曇りのない目で歴史を語れる日の訪れることを期待したいと思います。

木更津市 岩ア芳夫


3.麻生政調会長の創氏改名発言

■投書

麻生政調会長の旧朝鮮における創氏改名発言で例によってマスコミや韓国発の謝 罪要請、歴史認識などばかばかしい歴史改ざん意見がでていますが、−−私の拙 い韓国についての勉強でも麻生氏の発言は本当の事件だったと認識しています が、もう少し詳しく知りたいと思います。すみませんがもし貴研究会でわかるの でしたら教えてください。

 また戦後新憲法発布まで旧国会には韓国姓の国会議 員がいた、朴大統領は帝国陸軍士官学校を首席で卒業しだが朴姓でとうしたなど とゆうような事を聞きましたが事実だったのでしょうか?

■回答

創氏改名については私のHP http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/index.html  及び、展転社発行、杉本幹夫著「植民地朝鮮の研 究」を見て下さい。

麻生さんが言われるように内地や満州に進出した朝鮮人から、日本式の名前にし たいとの希望が出されたのが発端です。就職にしろ、仕事・生活面でも差が出ま すので当然の要望でしょう。その要望に応え、皇紀2600年(1940年)の 紀元節を祝って台湾と、朝鮮で同時に施行されました。それに対して台湾では厳 重な資格審査により、1.6%しか改姓名出来ませんでした。

ここで注意すべきは台湾では改姓名であり、朝鮮では創氏改名だった事です。朝鮮では同姓の男女の結婚は禁止されており、この制度はこの時の民事令の改正でも残りました。この制度を維持するためには姓が一生変わらず、戸籍簿で明確になっていることが必要です。日本式の姓に変えたのでは、同姓の男女の結婚禁止の制度は維持できません。

そこで考え出されたのが、朝鮮式の名字を姓とし、日本式の名字を氏にすることでした。即ち創氏です。朝鮮式の姓は戸籍に残し、一生不変です。平生は日本式の氏を使うことにして、変えたい人は届出、6ヶ月以内に届のない人は戸主の姓を氏とする事にしたのです。

朝鮮は同姓結婚せずですから夫人の姓は夫の姓とは別です。日本式は家族同姓ですから、夫人の氏は夫の氏と同じになりました。即ち朝鮮人はすべて姓と氏を持つようになりました。 戦後の北朝鮮のように同姓結婚せずのルールを外せば、氏という制度を作る必要がありませんでした。即ち日本は朝鮮人の姓を捨てさせたのではなく、姓を大切にしたため、氏を創らせたのです。

朝鮮では強制と言われますが、約20%の人が創氏届を出していません。特に目を 引くのは数人の道知事です。朝鮮には13人道知事が居ましたが、そのうち5人 〜6人が朝鮮人でした。その中にかなりの朝鮮名の人がいたことです。終戦時は 3人の朝鮮名の人が居ます。自分が改姓名しなくて何故改姓名を部下に強制でき ますか。

又当時の警務局長は改姓名に反対でした。従って日本人警官は強制しなかったと のことです。創氏改名に熱心だったのは学務局長と言われます。又、この届け出 期間はたった半年でした。学校の先生は「今しかチャンスはないのだから、創氏 改名した方が得だよ」と強く勧奨したと思われます。しかし強制の権限はありま せん。そのように考えると強制の主体は誰だったのでしょうか。もっと調べる必 要があると思います。

私の推定はマスコミとマスコミに煽られた朝鮮人地方官僚です。当時郡守、面長 (村長)はほぼ全員朝鮮人です。教科書問題で見られるように朝鮮のマスコミは 異常です。反対を許しません。当時は日鮮一体化の大合唱でした。

戦前東京から朴春琴が2回も衆議院議員に当選しています。当時は内地では朝鮮 人も選挙権、被選挙権を持っていました。その代わり朝鮮では日本人も朝鮮人も 選挙権はありませんでした。1945年の選挙法の改正で朝鮮にも18人の定員 が割り当てられましたが、総選挙のチャンスがありませんでした。 貴族院議員には通算10人が任命さて居ます。

朴大統領は満州の軍官学校を首席で卒業し、陸軍士官学校に短期留学したと記憶 していますが、定かではありません。

理事 杉本幹夫/DIV>


4.ソ連のバルト三国併合について

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いつもこのサイトを楽しく見ている者です。ここのサイトに書かれ ていることは過去の歴史について非常にためになることばかりで「教科書が教え ない歴史」は私のお気に入りの本です。私は学校では「日本は悪いことをした」 としか教えられてなかったので逆に「教科書が教えない歴史」で書かれているこ とは新鮮な感じでした。過去の日本の戦争のことを書いた本はいろいろあります がそのほとんどが日本だけが悪いという自虐史観的なものばかりで当時の世界情 勢がどのようなものだったかを検証して調べなければいけないと思います。

日本 が戦争を起こした理由についてソ連の猛威があったと思いますが当時のソ連こと について負に落ちないことがありまして、それはソ連のバルト三国併合について なんですが当時、独ソ両国の密約があったことは分かるのですがどういう過程で 併合されたのかが分からないのです。もしよろしかったら詳しく教えてくださ い。

■回答

「地球の歩き方」で調べた程度しか知りませんが、私の認識を述べます。 ポーランド、バルト3国は、第一次世界大戦で独立した国である。 第一次世界大戦前、バルト3国はロシア領であり、ポーランドはドイツ、ロシ ア、オーストリーに分割されていた。 ポーランドからバルト3国にかけてのバルト海沿岸部は、ドイツ騎士団、ハンザ 同盟がその歴史に大きく関わっており、特にポーランド領グダンスク(ダンチ ヒ)からロシア領ケーニヒスベルグにかけては、ドイツ連邦建国の中心となった プロシア王国の根拠地であった。 従ってドイツはこの地区の復権に非常に大きい欲望を持っていた。 1939年独ソ不可侵条約を締結すると共に、モロトフ/リッペントロップ秘密 協定によりバルト3国はソ連の勢力範囲とされた。 この秘密協定により、ソ連は安心して謀略により3国を併合した。 これ以上はご自分でお調べ下さい。

理事 杉本幹夫/DIV>


5.「満州事変・支那事変で教えて貰いたいこと」

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杉本幹夫氏の「満州事変・支那事変で教えて貰いたいこと」(歴史と教育第73号27頁)を読んでいささか戸惑った。

「1、支那との戦いはテロとの戦いであった」、として、「弱者が強者に対し闘うにはテロしかない」(73号27頁の他に63号31頁、57号23頁にも似た表現がある)と言われると、読者は「筆者はテロを肯定しているのか」と戸惑う。テロは秩序を乱し、巻き添えで犠牲者を生み、大衆に相互不信と疑心暗鬼を呼び起こす、ことも指摘すべきでしょう。

「2、マスコミの主張は素直に信じてはならない」と書かれても、読者は「ではどうしたらいいのか」と戸惑う。マスコミの論調は「世論を反映する」、だが世論が「無視した事実がある」と言うべきでしょう。

「3、スクイズのサインを無視し、ホームランを打った打者を誉めるか、叱るか」と言われても「さて筆者の真意は何か」と読者は戸惑う。

マスコミは(あるいは世論は)無責任だから「結果よければすべてよし」です。世論がマスコミに動かされる大衆民主主義社会では、為政者は世論に迎合する、さもないと為政者は世論の攻撃にさらされ、結果として為政者は世論に排撃される。

だから、以前に上役から誉められた経験がある個々人は、再び誉められると思って同じことをしてうまくいかないとき、そのときにマスコミに攻撃され、その結果として為政者は(表向き、形だけでも当人を)叱る。これは大衆民主主義の特徴です。しかし、独裁政治に較べれば次善として受け入れざるを得ないでしょう。

 アラブの諺は「友達になっても隣人となるな」と言い、大陸ではもっと直裁に「近攻遠交」と言う。一神教の世界では「自分の泉の水は他人にわけるな」と戒める。ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の世界は、かくして人攫いや飢餓や拉致や虐殺から逃れて生き延びた人の、子孫からなる。大陸から押し出されあるいは雄飛した人々は華僑などとなって世界に分布する。

欧米の大衆は同じ一神教のアラブの心を理解できるが、大陸のエリートは理解しようと努力するが、日本の大衆には理解不能である。日本のマスコミにもわからない(あるいはわからない振りをする)。全能の神と日本の神々はあまりにも違う。

会員 石田寤

■回答(1-1)

杉本幹夫氏の随想についてのご感想を読ませていただきました。杉本氏の「弱者が強者に対して闘うにはテロしかない」だけを読むと、「筆者はテロを肯定している」と受け取れるかも知れません。  私自身は、「1、支那との戦いはテロとの戦いであった」全体の記述からして、《支那(いわゆる弱者)はテロという手段を使い、日本(いわゆる強者)はそれに対抗するために軍事力を使った。支那には支那なりの理屈があり、日本には日本なりの理屈があった。 しかし、私は日本の理屈を支持する》と読みました。

 《マスコミの論調は「世論を反映する」、だが世論が「無視した事実がある」》との石田様のご見解は、なるほどと思いました。マスコミの性格について付け加えますと、「マスコミは世論を誘導する」一面があると思います。朝日新聞などをみていますと、「世論を反映する」かのようにみせて実は「世論を誘導している」面が多分にあると思います。 ここでは、杉本氏は、マスコミに誘導された世論が軍部をつきあげて対支戦争に向かわせた一面を述べているのだと読みました。

理事 上原卓

■回答(1-2)

石田寤齬l 鋭いご指摘有り難うございます。

1、支那との戦いはテロとの戦いであった」、として、「弱者が強者に対し闘うにはテロしかない」 につきまして、私の気持ちは上原さんが指摘されたとおり、《支那(いわゆる弱者)はテロという手段を使い、日本(いわゆる強者)はそれに対抗するために軍事力を使った。支那には支那なりの理屈があり、日本には日本なりの理屈があった。 しかし、私は日本の理屈を支持する》です。

 私はイスラエルとパレスチナの関係を見ていて、本当に当時の日本と支那の関係との類似性を感じます。アメリカ・イスラエルはアラファトを外し、アッパス・パレスチナ首相と交渉を始めました。これなどは「蒋介石を相手にせず」との類似性を感じます。

日本は満州では、このテロとの戦いを見事に克服しました。この勝因は
1.五族協和を旗印に現地人を上手く取り込んだこと。
2.圧倒的な武力で、他からの妨害なしに、反日勢力を駆逐し、早期に治安を回復できたこと。
3.インフラの整備、産業の振興により、住民の生活を安定させたこと等があると思います。 支那事変では、ソ連、アメリカ、イギリス等が支那を支援しました。特にソ連の支援を得た共産党の活躍により、占領地の治安も完全に確立できませんでした。

私はパレスチナ紛争を解決するためには、満州事変・支那事変を今一度検証し、その教訓を如何に活かすかが極めて重要だと思っています。

「2、マスコミの主張は素直に信じてはならない」 につきましても、上原さんのご指摘通り、マスコミの世論誘導性を指摘したものです。現在の自虐史観の横行もマスコミの世論誘導によるものです。じゃーどうする?と言われても、マスコミの意見をそのまま信用せず、もっと自分で考える習慣をつける事が必要だとしか言えないでしょう。

3、スクイズのサインを無視し、ホームランを打った打者を誉めるか、叱るか」 については、叱るべきだというのが私の意見です。

これについて私の頭の残っているのは、バブルがはじけかけた時期、幾つかの会社で、投機の失敗により巨額の赤字を出した事です。彼らは投機で赤字を出したとき、会社の規定を無視して、今度こそは取り返せると更に追加投機をしましたが、思惑が狂い、次々と借金が膨らみ、会社に大変な損害を与えました。大和銀行の海外からの撤退はこの事件が原因だったので無かったでしょうか。(記憶違いの可能性あり) 彼らはすべてその前、バブル期に、同じような事をしたが、結果的に大成功して会社に貢献しています。

問題はその損害が会社の浮沈に関わるくらいの巨額だったことであり、会社の規定を無視したことです。 ある程度のリスクを覚悟しなければ成功はありません。しかし会社を潰すようなリスクを、個人の判断(オーナー社長以外の)で行ってはならないと言うことです。成功したときにも会社の規定を無視したことで叱っておけば、このような巨額の損害にはならなかっただろうと言うことです。

石原莞爾の賭は大成功しました。しかしその結果、ルール破りを罰することが出来なくなり、上層部の指示を無視した若手将校の暴走により、戦線はドンドン拡大し、遂には敗戦に至ったと言うのが私の認識です。

理事 杉本 幹夫

■投稿(2)

杉本幹夫さま 久しぶりです。お元気でなによりです。お便りをありがとうございました。

私は「杉本さんの真意を誤解する読者がいるおそれがある」と書いた積りです。 それで私は、杉本さんへでなく、上原さんへ、私の感想文をお送りしました。 しかし、上原さんにも、杉本さんにも、私の真意は伝わらなかったようです。 杉本さんの文章の真意は、上原さん同様に、私もわかっていた積りです。 私は、杉本さんの自説への感想または反論を述べたのではありません。

北朝鮮が拉致被害者を日本へかえした理由はなんでしょうか。 北朝鮮が拉致した日本人の一部である五人の拉致被害者をかえせば、 日本はもっと北朝鮮から拉致被害者をかえしてほしいので、 日本は北朝鮮へ米などを援助するだろうと、北朝鮮は予測したのでしょうか。 日本の大衆は、「拉致はない」との主張を半信半疑ながら、 「拉致はない」と「信じたい」と言う国民感情があったことを、 北朝鮮は知らなかったのでしょうか。

大陸(中国、北朝鮮、韓国、台湾)では「拉致はあった」と言うことは常識だが、 日本では「拉致はない」と「信じたい」と言う国民感情があったと思います。 このことについてご意見を頂きたく思います。

会員 石田寤

■回答(1-1)

鋭いご批判有り難うございました。限られたページ数でまとめるために、事実関係の詳細を書くことが出来ず、分かり難い文になったことは事実です。

私は大学院時代、ゼミで「盧溝橋の一発が何故あんな大戦争になったのか」と言うテーマで報告したことがあります。 常識的にあの程度の事件は、外交交渉で簡単に収まる筈のものです。そこで感じたことがあの原稿です。

北朝鮮問題については何故金正日が拉致を認めたのか分かりません。人命を軽視する北朝鮮では、こんな大きな問題になるとは思ってもいなかったのでしょう。田中均も同じです。これで経済援助が貰えると思ったのでしょう。「たった数人の拉致事件と北朝鮮との国交回復とどちらが重要なのだ」という価値判断が両者とも狂っていたと言うことだと思います。

更にこの件であぶり出されたのが、朝鮮総連と政権との癒着です。部落解放同盟と言い、朝鮮総連と言い、うるさいところには飴をしゃぶらせておこうという、弱い政治家が多くなったように思います。

理事 杉本 幹夫

■投稿(3)

杉本幹夫さま     早速のお便りをありがたく拝読いたしました。

私は、北朝鮮が日本へ五人の拉致被害者を返した理由を、仮説として考えて、この仮説を私の学生に話して見ようと思っています。大陸(中国、北朝鮮、韓国、台湾)の伝統文化は「拉致と虐殺」と言う仮説です。私は「拉致と虐殺」を善悪で論じようと言うのではありません。(学生の多くは朝日新聞を読んである種の国民感情をすでにもっていると思います。天文学や宇宙の科学や物理学の教員がその授業でこのような話をするのは学生にとっても意外でしょうが、頭の体操です。私は毎時間、出席票の代わりに紙を配って疑問質問意見を書かせています。学生数が百を超えますので代返もありますが、私の話への反応が分かるので大変に有用です。)

北朝鮮は、最高指導者が熟慮の上で国益を賭けて決断したことが、北朝鮮にとって予想外の結果を引き起こしたのですから、伝統文化の違いとして検討するに値すると思います。

ここで言う「伝統」とは百年あるいは三百年あるいは千年で出来上がる地域的な常識、いわゆる国民感情のことです。日本の国民感情は、「拉致はあってはならないこと」であり「ないにこしたことはない」ことであり「もしかしたらないのかも知れない」のであり「ないと朝鮮総連が社会党や共産党ばかりか自民党の政治家でさえも言っている」のだから「万人が認める証拠がない」うえに「北朝鮮政府が否定している」のだから「拉致は単なる疑惑であり、ためにする噂かも知れないので、事実かどうか究明する必要はあるが、直ちに事実とはみとめられない」と言うものでした。だから「拉致疑惑」とマスコミは書いていました。国民感情からみれば、数あるなかの単なる一つの「・・疑惑」でした。

会員 石田寤