4.英語版:南京大虐殺のサイトへの意見(1)(原文英語)

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自由史観研究会の方々へ

最近、貴方たちのアイリス・チャンの南京大虐殺についての間違いに関するホームページを読みました。

貴方たちの日本帝国軍部による何十万の無実の市民の虐殺についての貴方たちの取り扱いに驚いている。史上まれにみる恐ろしい痛々しい事件を貴方たちが打ち消そうとしているような書き方をして、南京事件を軽視しようとする貴方たちのページを見て、その日は胸がむかむかしてきた。

歴史的見地から本の詳細を非難するのは一つの方法ではあるが、帝国陸軍によって行われたこの痛ましい事件を正当化し、国際的に認められた情報を疑問視するのは別の問題だ。「中国側が日本軍の降伏勧告を無視したことによる」といって数十万の無実の中国人の虐殺の責任を中国側に負わせ、不要な中国兵と市民の死に至らせたと非難している。

共産党は中国本土を1949年まで支配していなくて中国軍は国民党の管理下にあったにもかかわらず、中国共産党の60の処刑法を持ち出して、日本軍の恐ろしい行為をねじ曲げようとしている。

60年も経ってこのような虐殺について戦時中責任がある人が、いまだこのような大量殺戮を犯した事実を受け入れない。そして世界に宣言している。更に自分の犯した過ちを繰り返す世代等、恐ろしいことだ。なぜなら、これらの人たちはあまりにも無知で自分たちの行為や責任を受け入れることが出来ないからだ。

■回答

我々のサイトに関心を持っていただいて有難うございます。貴方の主張されることはよく理解できます。こういう考えをお持ちの人が多いからこそ我々のサイトは真実を訴えなければならないと考えています。我々は歴史上の事実を無視など絶対にしません。南京事件に関し、実際に起こった真実を貴方に示したかっただけです。

まず、日本と中国の間で南京とその周辺で激戦が行われ、中国軍が大損害をこうむったという事実から話を始めましょう。

何応欽将軍が1938年春立法院に提出した軍事報告書によると中国軍の南京、上海における損害は死傷者98、340名(死者33、000名、負傷者65、340名)です。これが当時の中国政府の公式データです。これは実際より非常に少なめに見積もったも数字だと思いますが、中国軍が大きな損害をこうむったことは間違いありません。しかし、これは大虐殺を意味するものではありません。従って、中国政府はこの報告の中でも日本軍が大虐殺をしたなどとは一切いっておりません。

南京戦についてのもう一つ資料を挙げましょう。それは毛沢東の有名な「持久戦論」です。これを彼は1938年5月に書いています。

敵は、上海、南京、滄州、保定、南口、折口、臨汾の諸戦役で撃破は多かったが、捕虜や戦利品は少なく、ここに指揮のまずさがあらわれている。この5つの点ー兵力を小出しにふやしたこと、主攻方向がないこと、戦略的協力がないこと、時機を逸したこと、包囲は多いが殲滅が少ないこと、これらが日本軍の指揮のまずかった点である。

彼は日本軍がほんの少しの兵士しか殺戮していない事を非難しているのです。これが一般的な当時の考えでした。これらの事実により、裏で行われていたプロパガンダは別として、当時の中国政府も表立って南京事件を非難していなかったことが明らかです。そうです。色々な方法での裏社会、地下組織でのプロパガンダがありました。中国政府によって捏造した写真が、APなどの通信社を通じて新聞、雑誌に配信され掲載されていたことを1938年ニューヨークで発売された雑誌 ”The Lowdown” が明らかにしています。(もしこの歴史的事実に関心がおありならこの記事のコピーをお見せしましょう。)

「戦争と何か」 (What War Means)を書いたマンチェスターガーディアンのティンパレーのように中国政府は、ジャーナリストをも工作員として使ったことが明らかになっています。(国民党国際宣伝部長曾虚白は、自伝で、彼には多額の金を与えて書いたことを明らかにしている。)

次に論議しなければならない問題は中国市民の状況はどのようなものであったかということです。あなたか想像しているように一般市民は本当に虐殺されたのか、 ということです。歴史的に立証されている資料ではこのことは否定されているのです。

これを知るための重要な資料をお見せしましょう。それは「南京安全区の記録」で、1939年に国民党政府検閲のもとに上海のKelly & Walsh社によって出版されたものです。
これは、12月3日に逃走した南京の馬市長から南京市民の保護を依頼された南京安全区国際委員会の活動報告です。委員会は、食料、資金、その他を市長から与えられ、南京市の行政代行の一部を行っていたのです。 

この記録で最も重要な情報は人口に関する数字です。委員会は王固磐警視総監から人口に関するデータとして20万という数字をあたえられ、これを食料、住宅など市民サービスのための基礎データとして使用していた。この記録によると、人口は12月17、18、21、27日では20万と記録され、日本占領から1か月後の1月14日には25万と記録されています。

もし健全なる常識と理性をお持ちの方なら、200000−300000=250000 などと言う式をまともに論議するなど極めてばかげているということでしょう。
アイリス・チャンはこのような馬鹿げたことを主張しているのです。

私たちが彼女は架空の人口を作り出したったのだと言っているのはこのことです。
この記録によると殆どの市民が安全地区に集まり、その地域の広さはニューヨークのセントラルパークぐらいの広さでした。人口はむしろ増えたのです!
もし殺人のような重大な犯罪が起きていたのなら、40万の目(20万にんの)から見逃されることはあり得ないでしょう。どのような不正行為も委員会に報告され、委員会はは記録に残していた。それが「安全区国際委員会の記録」です。 この記録を分析してみて殺人は全部で27件が記録され、うち1件のみに目撃証人があったことが分かっています。
このことと、これまで述べた人口の状況は完全に整合性があります。

(この「記録」はアメリカ、カナダの多くの大学で入手できます。従ってあなた自身でこれらの事実を確認することが出来ます。)


私は一次史料(その時点またはその直後に近い時点での記述)に基づいて、あなたに南京事件についての基本的な骨組みを示したと考えています。

虐殺の桁数は300000はおろかが10000、1000、または100の単位でもあり得ない、という確たる事実を知ってショックを受けたことでしょう。もしあなたが人間としての良心をお持ちなら、我々の提供している事実をしっかりと直視し、客観的なデータ、資料にもとづく研究をされて、貴方としての考えをまとめ ることを望んでいます。疑問がおありならどのようなご質問にもお答えします。
ご遠慮なくお申し出ください。

自由史観研究会会員 水元 茂


5.南京事件に関する議論(2)(原文:英語)

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第二次大戦における南京や医療実験センターのような中国市民に対する日本軍の行動に関する貴方たちのサイトで見て、貴方たちは自由勝手な歴史観(すなわち空想の歴史観)を持とうとしているのだと理解した。

米軍が日本軍将校をことごとく戦争犯罪で処刑しなかったことが、日本が幸いにもこのような行動を正当化することを許してしまった。第二次大戦における日本軍の行動について嘘を言い、歴史の真実を捻じ曲げ、でっち上げていては、他のアジア諸国は勿論のことアメリカとも、良い関係にはなりえない。虐殺を認めなさい。そうすれば上手く付き合ってゆける。おそらく中国人も、レイプや殺人を乗越え、日本人を進んだ 国民として再び信用することになるだろう。

■回答(1)

私たちは南京事件など重要な歴史的事件について、良識のある全ての人々に根拠のある歴史的事実を提供することのよって、互いに意見交換できるようになることを望んでいるのです。これが客観的に歴史的事実に近づく唯一の方法でしょう。

しかし、事実に基づく論議や検証もせず、自分だけの思い込みにしがみついている頑固者がいるのを見ると非常に悲しくなります。このような態度は本当に人類の将来に損失を与えるものです。無知の人たちがやれる唯一のことは、事実を示さない悪罵をを浴びせることです。これでは破壊以外の何も作り出すことはないでしょう。

自由史観研究会会員 水元 茂

■投稿(2)


私はプロレタリア文化大革命のときの中国での食人慣習のこと以外に、あなたのウェブサイトに殆ど事実なるものをみつけられなかった。

私の言いたいことは、戦時中の行き過ぎた行動についてフタをし、何もなかったかようなふりをすることは、現在の日本のイメージに良い影響をもたらさないどころか、実は大きな害をなしているということです。間違いなく、アメリカ人捕虜は他の交戦国の捕虜よりは慈悲深く扱われた;しかし、アメリカ人捕虜でさえ受けた処置は、すくなくとも 野蛮なものであった。

これは意見ではない。実際の生き残った捕虜の何千もの証言の結果だ。貴方も知っているように戦時中、日本はジュネーブ協定を尊守せず、その結果、捕虜は20世紀の半ばというより、中世に近い基準で扱われた。逆にアメリカにおける日本人捕虜はジュネーブ協定に則って扱われた。この協定では医療処置、適切な食料、住居を与え、拷問や即処刑を禁じた。日本軍は拷問だけではなくアメリカ人捕虜を殺した。中国人捕虜も非人間的な扱いを受けた。これは歴史的記録であり事実である。日本軍国主義政府の植民地時代の台湾、朝鮮、満州における行動を否定することは歴史を否定することだ。これは嘘以上に悪い。

情報が不十分のアメリカ人は貴方たちの歴史偽造を信じるかもしれないと貴方たちが思っているのではないかと気になっている。でも、そういう教育のない情報の少ないアメリカ人はアメリカの中でも殆ど政治的影響力を持っていないのだ。
日本の教科書では戦争に関する歴史的事実や戦時中の日本の行為について述べていないことも知っている。これは数百万の若い日本人がなぜ中国人や朝鮮人に嫌われるのか知らせないだけでなく、大事なことは過去を置き去りにして全ての人類のためにより良い未来を作ることの妨げになるということだ。

貴方が私を人種差別主義者、偏屈者と思っているらしいのは、興味あることだ。
20世紀のアジアにおいて日本は優越人種だとの神話があった。この日本人の考えが勝つことが出来ず、そして不必要な数百万の死をもたらした戦争へと日本を導 いたのである。アジアからヨーロッパの植民地主義者を追い出すことを装って日本自体が植民地勢力となったのだ。率直に言って日本軍部が中国で行った虐殺を時が消すことには疑問がある。

今日でも中国では北部中国の広い場所に飛行機でばら撒かれた天然痘菌で苦闘している。別の見方をすればナチがヨーロッパでユダヤ人に対して行った非人道的な行為によるいかなる犯罪も中国に対し日本が1931年から1945年までにおこなった大量虐殺と比較すれば見劣りがする。別の見方をすればナチドイツは戦時中に行った日本軍将校に比較すればいい奴だった。

実際は知られてはいないが多くの最悪の虐殺は日本の天皇によって命令されていたというきわめて明らかな決定的な証拠がある。彼は戦後、Douglas MacArthur 将軍の力により、生き延びた。MacArthur将軍がいなければ、天皇は間違いなく 処刑されていたであろう。それはまさに政治的な判断であった。

アメリカ軍は戦後日本を平定するために天皇の力が必要であった、そしてMacArthur はこのことを理解し予見していた。明らかに、戦後のワシントン当局は軍人、民間人の全ての指導者をドイツでやったと同じように戦犯にしようとしていた。個人的には私はこのような戦争後の裁判を行う道義上の権利を持っているとは信じてはいな い;しかしながら、起こした戦争犯罪の過失を認めないことは疑問の余地無く絶対に不道徳だ。

もし私のコメントに答えようとするなら、喜んでこの会話を続けよう。

■回答(2)

貴方がこのサイトには事実が殆どないと言ったことを聞いて戸惑っています。

貴方は日本が南京を占領した時の人口は事実ではないと考えているのですか?私たちはいわゆる南京大虐殺が歴史的事実として実在したのか、それとも完全に捏造されたものかを決める鍵となる事実であると考えています。貴方の論議は全て検証されていない事実、すなはち、日本は南京で恐ろしい大虐殺をした、日本はアメリカの捕虜を殺した、または野蛮な拷問を受けたなどなどで、アメリカや中国から一方的に提供されたプロパガンダか、捻じられ曲げられた話に基づいています。

なぜあなたはこのような事実を隠そうとされるのですか?貴方はあたかもあらゆる歴史的事実を知っているかのように説教しています。しかし貴方の事実に対する思い込みが真実などではではなく、単に神話かせいぜいプロパガンダであったらどうなるのですか?

30万人の中国人大虐殺を検証してみましょう。これに関する重要な記録をお見せします。それは1939年、中国政府の監修のもとに上海のKelly & Walshから発売された「南京安全区の記録」です。これは南京地区の安全区国際委員会の活動記録です。この委員会は12月3日に逃亡した馬市長からの依頼を受けて南京市民の世話をするための食料、金銭、などを受け取っていました。

この委員会は日本軍が占領していた最初の2ヶ月間の事実上の南京市行政府でした。この報告書で最も重要な情報は人口に関する数字です。委員会は人口に関するデータを 王固磐警察長官から20万と知らされており、これを基に彼らは食糧供給、住宅供給の作業をしていた。この「南京安全区の記録」によると12月17,18,21 ,27日には人口は20万と記録され、日本軍が占領してから丁度一ヶ月後の1月14日には25万と記録されている。

もし貴方が健全な常識と理性を持っているのであれば20万−30万(虐殺者数)=25万などと言う式はとんでもない馬鹿げた話である、と一蹴するでしょう。しかし、実際にアイリス・チャンや中国人は現にこのような本当に馬鹿げたことを主張しているのです。これが我々が彼女は人口をでっちあげたとか、作りあげた、といっている理由です。

「南京安全区の記録」のなかで安全地区に全ての市民が集まったと記録されています。安全地区の広さはニューヨーク市のセントラルパークと同じくらいでした。 そして、日本が占領した最初の一ヶ月の間に人口はむしろ増加したのでした。も し人が殺されるようなことが起こったら、あの狭い安全区の中の20万の人の40万の目からは決して逃れる事はなかったでしょう。

どのような不正行為も中国人から委員会に報告されこの「南京安全区の記録」に 記録されていたました。この記録をよくみると、全殺人の記録は27件でそのうち目撃者がたのは1件だけ、他は噂を記録したものでした。これは上で述べた人口の推移の状況はまったく符合しています。(この「南京安全区の記録」は米国の多くの大学にありますので、あなた自身でこの事実を確認できす。)

もし貴方が人間としての良心をお持ちなら、いわゆる南京事件に関して、どちらがうそつきであるか判断できるでしょう。これはまったく小さな嘘ではありません。しかも中国政府によって宣伝された公知のもので、貴方のように多くの人たちをまどわして、事実として知れわたり事態を悪くしています。もしこの嘘を貴方が認めないというのなら、私のいっているどこがおかしいのか、具体的に指摘してください。

貴方の挙げた問題点は広い範囲にわたるものですので、最初にこの重要なことを検証することから始めましょう。さもないと多くの問題を一般論で論議をすることなり、真実に基づかないで単に意見を交換することになってしまいます。捕虜の扱いに関してはこのウェブサイトの"War Crimes: CharlesLindberg"をざっとご覧ください。当然貴方は "The Wartime Journals ofCharles Lindberg" (Harcourt Brace Jovanovich)のすべてを読むことも出来ます。

とにかく議論は一つ一つやりましょう。

自由史観研究会会員 水元 茂

■投稿(3)

貴方が正直できちんとした人だと分かってうれしく思っています。

どうか私も同じだと考えてください。貴方は頭がよく教養もあるだけではなく英語もすばらしいことは良くわかりました。もう少しあなたについて知りたいのです。どこで英語がそんなにうまく書けるように勉強されたのですか?おいくつですか? 男性ですか、女性ですか?どうかこのような質問があまりにも個人的で意図があるとは取らないでください。貴方の回答は意見交換するのにとってとても理解しやすいのです。

私は退職した神経システム研究者で--63歳です。コンピューターのイメージ認識技術、特に神経網とファジー理論が専門です。
今まで開発した学習理論の最速コンピューターの部門で米国特許を持っています。現在はまた歴史の生徒でもあります。子どものころから歴史は私の趣味でした。日本と特に台湾を含む東アジアを広く旅行しました。私の学習や体験の結果から、今論議している課題にきわめて精通しています。

この前のeメールの後で貴方たちのウェブサイトを再度全て完全に読みなおした。私たちがデータや事実と結論しているのは、実はその解釈によることの多いことに気付きショックでした。たとえば中国人を兵士かどうかの判 断するのに、手のタコや、鉄兜による日焼けから判断して、処刑していたことが1つの問題となっています。この説をとる有名な日本の教授は更に、沢山の女性が 強姦されたことは間違いだと言っています。(これは貴方たちのウェブサイトにでている。)

もしも私が中国における日本軍の行為を合理化しようとする日本の学者が言った上記のコメント以上に何も知らなかったら、以前にいったと大体同じ結論を出し たでしょう。その理由を話しましょう。

貴方たちは日本軍が武装していない中国人捕虜を処刑するのは合法的で道義的根拠があると考えている。手のタコや頭の日焼けのあとは当時の手作業者や農民も 兵士と同じようについていたであろう。言いかえれば中国人の成人男性は兵士だろうとのあいまいな判断で間違いなく銃殺されていた。

ジュネーブ協定では全ての国が戦闘時における個人行為の管理に関する条約に署名した。ジュネーブ協定では戦争捕虜の処刑は認めていない。同じように非武装の人たちの処刑も認めてはいない。相手側の軍隊の制服を着た捕虜はおおむね殺してもよいとは認めている。中国兵捕虜の何人が日本軍の制服を着ていたのか? 推察できますか?

私は絶対ゼロだと思う。ヘーグ軍事協定でも同じようなことをいっている。
この協定は、私が理解しているのは、戦闘員に対して決められたものである。武装していない人は決して戦闘員ではない。
ゲリラ戦闘員とはその性質上不規則に武装しているのだ。日本の教授は武装したゲリラについては論議していない。彼は手の豆や日焼けの状況を根拠に逮捕、拘束した人を虐殺するか否か分類したと語っている。これは紛れもなく戦争犯罪であることを述べている。

貴方の意見はウェブサイトにある多くの文章と同じように、事件が予想された前後、その期間の南京における大量の人の数について述べている。貴方は本当に1930年代、40年代の中国の市長が中国の都市に何人住んでいたか知っていたと信じているのか?
日本軍の進攻を避けるために中国各地を何十万の人が移動していたのは確かだ。
これらの行動には色々な原因があっただろう。南京における日本軍の事件をはっきり知るには、数字遊びはいい方法であることを私は認めなければならない。しかし数字は正確には何も語っていない! たとえ一つの暴行、一人の非戦闘員の処刑も戦争犯罪だ。知らないかもしれないが、市民を殺すことが犯罪であるのと 同様にレイプも犯罪なのだ。

証明はきわめて簡単だ。日本はジュネーブ協定における責任を放棄したのだ。その結果、日本軍の行動はジュネーブ協定を完全に無視している。1931年、日本が満州に不当侵略し、国際連盟を脱退したあとでこれらを廃止したのだ。当時の日本の行為は紛れもなく全て許されることもない侵略だ。これらの行為は国際連盟とその結果ジュネーブ協定が制御する行動の外に日本は置かれた。しかし貴方は否定されるかもしれないが、中国に対する日本軍の単なる不当な侵略だけではなく、まったく非拘束な行動が南京や中国各地で起きた大量なレイプと殺人を可能にしたのだ。これらの事件は合法的な名誉ある戦争行為の範囲外にあった。

私は貴方たちが貴方たちの事件を支援するかのようにCharles Lindberghを引用していることに驚いた。Charles Lindbergh はパリへと大西洋横断飛行をしたことで20年代の米国における偉大なる英雄であった。20年代30年代になると Lindbergh は単なるナチ心酔者であっただけでなくナチであったためその名声は劇的に失われていった。ナチドイツかその同盟者の日本が戦争犯罪を犯したか否かという彼の意見はせいぜい疑問の目で見られるか悪く言えば馬鹿げた話である。

教養ある日本人に過去何回もこのようなことを話したことがある。色々な方法で貴方たちのウェブサイトは国際的信頼と誇りを取り戻そうとしている。日本の誇りは二つの原爆で粉々になってしまった。しかし貴方たちのやり方では誇りや尊敬を回復する道ではない。

■回答(3)

私を人間として受け止めてくれて有難うございます。しかし私の英語についてはむしろお世辞のように思えます。私の英語能力は大学入学のときが最高で、それ以降だんだん悪くなっている。会社に入った後英語とは惨めな戦いをしなければなりませんでした。これは典型的な日本人のケースでしょう。

今は小さな会社を経営し、空いた時間をこの会の活動に割いている。このために私のお粗末な英語で貴方と議論するために時間をあまり割くことが出来ないのが大変残念です。しかし、考え方をを交換するために制限された条件の中で出来る限り、貴方と議論 しようと思っています。

最初に、我々のウェブサイトを全て読んでくれて有難うございます。「虐殺神話粉砕する」にある合成写真の話についての貴方の反応に興味を持っています。しかしこれについては後ほど議論しましょう。我々がデータや事実についてどう解釈するかというところに事実の結論が存在していることについては貴方と同じ意見です。しかし、同時に絶対に無視できない事実そのものもあります。 南京事件について二つの点を前回あなたは触れました。非武装の人の処刑と南京の人口です。

最初に南京の概況を把握するのに最も重要で有用な、人口の問題について議論しましょう。
1930年代、40年代に中国では市長でさえ人口を把握していないのではないかとの貴方は疑問視しています。
このような一般論的な味方ははまったくの間違いです。

南京市当局は1936年7月に人口調査をし、97万3千万人としています。1937年12月の初めには上海から南京へと日本軍が進攻してきたので人口の避難がはじまります。この状況はFrankfurter Zeitung.紙の1937年12月19日版でLilly Abeggがレポートしています。彼女は止めどもない避難民のために人口 はおよそ15万に減ったと報告している。次の通りである。

”私が見た南京の最後の光景は、限りなく続く避難民の列、板張りされた家や店、首都防衛のために走っていく兵士、絶え間なく鳴り響くサイレンであった。人力車や自動車には、うず高く、木箱、包み、家具、人が積込まれていた。街を離れる市民の群れは昼も夜も24時間続いた。店は一軒、一軒と閉ざされていった。

殆どの家は電気が切られて、商人は蝋燭の光の中で残った在庫をさばいていた。 梱包用の木箱や紙はどこにもなかった−−店では全て売りつくされていた。
最後の週には約20万人が南京を離れた。かってこの町には100万人が住んでいたのだが、その数は35万人に落ち込んでいた。今では多くて15万人が残っているが、避難民の波は果てしなく続いた。”

貴方が言ったようにその時の正確な数字は知られるはずがありません。しかし、 ともかく行政府はその状況を把握しなくてはならない。この任務の責任者、市警察長官は人口を20万名と見積もり、この数字を南京安全区国際委員会に渡しました。南京市は高さ10M、巾30Mの城壁に囲まれ、その広さはマンハッタンの たった3/5くらいの面積であったことを頭の中に入れておかなければだめです。

従って、警官が概略の人口を把握することはそれほどむづかしいものではなく、 実際とそうはかけ離れたものではなく、かなり近いものでした。さらに全ての南京市民が12月8日に防衛司令官唐生智の命令で安全地区に集められた。安全地 区はニューヨークのセントラルパークぐらいの大きさでした。国際委員会はこれらの人々の世話をするために20万という数字に基づいて食料、住居の世話をしたのです。この数字が現実離れしていたので、作業に不便なことがあったという記録はありません。これは20万が実際の数字に極めて近かったことです。

最も重要なことは委員会の活動した2ヶ月間のこの「記録」では人口が減ったとの記録が無いことだ。これが日本軍が占領した2ヶ月間の南京の概況だ。従って南京事件についてはこれを骨格として議論をしなくてはなりません。さもなければ全ての議論が事実の基盤の上に立たないたんなるフィクションにすぎないものとなってしまいます。従ってこの決定的に重要な人口という事実を否定した議論は幻想の中の独断的にすぎません。南京事件の議論のなかで本当に重要なことは人口に関する数字だと、あえて私は言います。

次には武装していない人の処刑についての問題です。この件は次回にしましょう。

自由史観研究会会員 水元 茂

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