1.学校の授業で習ったフィリピンにおける日本の虐殺

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日本はフィリピンでは10万人を虐殺したと教えられました。

日本の植民地支配は欧米よりもひどかったと教えられました。 本当なのですか?

■回答(1)

まず虐殺とはどのようなことを言うのでしょうか。

1937年7月29日、日中戦争開始22日後、通州で日本人居留民223人が 中国の保安隊に殺されました。腹が引き裂かれ、女性の陰部に棒を突っ込む等極 めて残虐な殺され方でした。目をくりぬかれた人もいました。このような残虐な 殺し方を虐殺というなら、日本は虐殺をしていません。このような残酷な殺し方 は日本人にはできません。

日本軍は1942年1月2日マニラを占領しました。マッカーサー軍の主力はコ レヒドールに撤退し、そこで降伏、日本軍の捕虜になりました。 各地に取り残されたアメリカ軍は現地人を取り込み、ゲリラとなりました。更に 共産党系のフクラバハップが各地でゲリラ活動をしました。丁度現在アメリカ軍 がイラクで苦労しているのと同じです。

1944年アメリカ軍の反撃で、レイテ島での戦いに始まり、マニラをめぐる攻 防となりました。その時、山下奉文将軍はマニラを非武装地域とし、ルソン島北 部に撤退しようとしましたが、海軍がマニラ死守を主張し、マニラに立てこもり ました。その為マニラは市民を巻き添えとした戦場になりました。 アメリカ軍による爆撃・砲撃に始まり、市街戦で日本軍が全滅するまで、とばっ ちりで死んだ現地人は10万人に達したと言われます。

マニラでの日本軍の劣勢を知った現地人は一斉にゲリラになり、日本軍の輸送部 隊に襲いかかりました。現地人に奪われた資材を取り返そうとし、行きすぎた捜 査になった例も見られます。

更に再上陸したアメリカ軍は共産党系のフクラバハップの弾圧を始めました。ア メリカ軍もゲリラとの戦いになったのです。 ゲリラとの戦いは一般人とゲリラの区別が付きにくいため、行きすぎた捜査、刑 罰になり、虐殺と非難されます。

フィリピン人はフィリピン軍として、直接日本軍との戦闘にも従事していまし た。大東亜戦争でフィリピン人は100万人余り死んだと言われています。 そのうち何人が直接戦闘で死んだのか、何人日本軍に殺され、何人アメリカ軍に 殺されたかは分かりません。まして虐殺の定義がはっきりしていませんので、何 人日本軍虐殺され、何人アメリカ軍に虐殺されたかは分かりません。ただ言える ことは通州でのような虐殺は、本人には出来ないと言うことだけです。

自由史観研究会理事  杉本幹夫

■投稿(2)

お返事ありがとうございます。

学校で習ったのは日本はフリィピン で十万人の民間人を殺したということです。やり方は残忍なやり方で泣く赤ん坊を放 り投げ落ちてきたところを銃剣で刺すという残忍なものであった。とビデオの中で フィリピン人女性が言っていました。

■回答(2)

10万人という数から考え、恐らくマニラの攻防戦をめぐってのものと思われます。 マニラ攻防戦では日本軍の残虐さが誇大に伝えられていますが、死者の大半は米軍の 爆撃、砲撃によるものではないかと思います。しかしこれも日本軍が、山下将軍の指 示に従って、マニラを放棄して撤退すれば生じなかったことですから、日本軍の責任 は大きい思います。 しかし米軍の攻撃方法が全く責任がないとは言えないと思います。

何処の国でも敗残兵に襲いかかり、少しでも物資を略奪しようとする人がいます。日 本軍は米軍と戦う前にこれらのゲリラとも戦わなければならなかったのです。ゲリラ との戦いではどこでも良民の虐殺が非難されます。特に絶望的な戦いを目前にした日 本兵の中に暴行を行った兵士がいたであろう事も否定できないと思います。

尚、1945年2月共産系ゲリラのフク団兵士約130人が米軍に虐殺されたとの記 事もあります。ゲリラとの戦いには虐殺の非難はつきもののように感じます。

尚昨日のメールで、大東亜戦争の間に、現地人100万人以上死んだと書きました が、別の本では死傷者が110万人となっていました。いずれにせよ、中国を除け ば、最大の被害国だった事は間違いないと思います。

日本の植民地支配は世界で一番素晴らしいものでした。その何よりの証拠は、日本の統治した台湾・韓国のみが世界の先進国の仲間入りしていることです。

自由史観研究会理事  杉本幹夫

■回答(B)

自由主義史観研究会のスタッフとして質 問に対して答えます。個人的な一つの考え方にすぎないので、ご自分でいろいろ と勉強されることをお勧めします。

日本の植民地支配は欧米よりましだと思います。

アフリカやインドやアジアの無数の欧米の植民地と、日本の支配した台湾と朝鮮 と南洋諸島(ポナペやパラオやトラック・・・)などを比較してみればいいと思 います。

フィリッピンは第2次大戦中に戦場になったというだけで、日本が植民地支配し たとは言えません。米国のフィリッピンの植民地支配は、通常の欧米諸国の植民 地支配と比較するなら教育やその他で例外的に良いものであったと思います。そ れと日本の支配下にあった台湾・朝鮮・南洋諸島と比較するならどうでしょう か。

戦後の発展の原因となったインフラストラクチャー(道路・鉄道・ 港湾・電 気・水道学校・病院・社会福祉施設)なども視野にいれると日本の方が良かった といえるかもしれません。まして例えばビルマやインドネシアなどの植民地支配 と比較すれば日本の植民地支配の方が良いですし、アフリカ各地やインドの過酷 な支配と比べればどちらの植民地支配が良かったかは歴然です。

自由史観研究会会員  渡辺龍二

                                 


2.海外のホームページを巡る憂鬱さ

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このたび貴会にメールさせていただきましたのは、最近私が海外のホームページ で経験した出来事をお伝えしたかったからです。

軍事関係を含 めた近代史に興味があり、色々インターネットを検索している際に、ある英語の 軍事関係の掲示板に行き当たりました。

当初、海外の人々の軍事に関する興味について知りたかったのですが、アジア・ 太平洋を扱う掲示板を覗いたところ、若い中国人とおぼしきメンバーが日本を非 難する論陣を張っていました。他の欧米系の参加者は無視していたようですが、 その内容のあまりのひどさに、日本ではほぼ常識とされている、「中国政府の第 2次大戦中の日本軍の行為に対する歴史評価はフェアではない」というような意 味合いの内容を投稿したところ、延々と第2次世界大戦における日本軍の虐殺写 真とされる残虐な写真を見せられたあげく、「黙まれジャップ」「恥を知れ」 「おまえ達は6000万人の中国人を虐殺した」(間違いではありません。六千 万人と書いていました)「おまえ達の頭に原爆の嵐を落としてやる」「今度戦争 になったら日本人を一人のこらず殺してやる」などというちょっと信じがたいほ どの罵声を浴びせられました(もちろんジャップ呼ばわりです)。

この掲示板は特別特殊な人々が集まるわけではないアメリカのサイトのようです ので、このような事は他のサイトでも日常茶飯事に起きているのに違いありませ ん。メンバーの一人は中国系オーストラリア人と書いていましたので、反日傾向 の強いオーストラリア人らしい反応とは思いましたが、それにしてもこの激越な 反応にはとまどう他にありません。

例のアイリス・チャンの反日本や中国政府の日本叩きに呼応した、正義感の強い 若い人達が、日本はけしからん、と叫んでいる様子が手にとるようにわかり、な にやら恐ろしいものを感じてしまいました。皆様も似たような経験をされた事と 思います。

日本人がこの国の中だけで暢気に論争している内に、世界では大変な日本叩き が、主として中国人ネットワーカーによって広められているのを見るにつけ、 いったい日本政府は何をしているのかと疑問に思わざるを得ません。 まったく反論を許されないまま、またぞろ日本は世界の悪役にされてしまうので しょうか。憂鬱な話です。

■回答

メール有り難うございました。
我々も英語のページをもっと充実させたいと思いますが、英語を自由に読み書き できる人が少なく現状に止まっています。
全員がボランティアですので新しい戦力が加わらない限り、限界です。

自由史観研究会理事  杉本幹夫

■投稿(2)

早速のお返事ありがとうございます。

微力ながら、私自身のつたない英語で誤解を解く努力をするとともに政府の方に も働きかけて行きたいと思います。

皆様のご健康と、今後ますますのご発展を祈念いたしております。


3.南京大虐殺や731部隊について

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HPを読ませていただくと南京大虐殺はなかったと主張しておられますね、私 もこのHPを読んでそうなのか、と思っていましたがこんなHPを見つけまし た。(http://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/8sho.htm)このHPによると60 万から70万人が事件直前の南京の人口と言っています。さらに4月には17万 人に激減しているともいっています。このHPでやはり大虐殺はあったんじゃな いか?と思い始めたのでこのHPに対する意見を聞かせてください。

 あと731部隊の行ったとされることは本当なのでしょうか?

■回答(A)

南京虐殺を主張するホームページは、全くのプロパガンダでウソの塊のようなも のです。

まず、一番肝心なのは人口ですが、事件直前に60万から70万の人口がいたな どというのは大嘘で、何の根拠もありません。もともと百万の人口を持っていた 南京ですが、日本軍が南京攻略を決定し、蒋介石政権は南京死守を呼号しながら 政府機関、家族を避難させ始めると、多くの市民はどっと後を追うように逃 出 し、11月末にはとうとう20万近くになってしまいました。勿論、そういう情 勢の中ですから、正確な数字は把握することは困難ですが、南京は城壁に囲まれ た世田谷区の4分の3くらいの広さしかありませんでしたので、警察庁では、ほ ぼ20万と推計しまして、長官、王固磐が記者会見でこれを発表しました。

12月3日に馬市長が安全区国際委員会に食料、金等を預けて逃亡しましたが、 国際委員会はこの20万人という人口を前提に、市民に対する食料供給、住宅手 当等2ヶ月近く行います。肝心なことは、12月13日に日本軍が入城したとき には、ほとんどの一般市民は「安全区」に集まっていたということです。この国 際委員会の活動記録が"Documents of Nanking Safety Zone"(1939年に、上 海のKelly & Walsh 社から出版されています。)ですが、そこにはっきりその ように書いてあります。

また、その本の中でも、12月中は、人口は20万と、何回も書かれています。 陥落後1ヶ月経った1月14日に人口は、25万と増えたことが記録されていま す。これが国際委員会の記録であり、60万とか70万とか言うのはなんの根拠 もないデマすなわち大嘘です。

又国際委員 会のスマイス金陵大学教授が、3月から4月にかけて学生を動員した社会調査 (サンプル調査)を行いまして、その拡大推計から、3月末の人口を、25万か ら27万と推定しています。したがって、国際委員会の推定していた人口は、1 2月13日(陥落時点):20万人、それ以降12月中:20万人、1月以降 (14日記録):25万人、そして3月25−27万人です。南京自治委員会 が、13年1月1日の設立式典を挙げ行政機構が次第に整備されていきます。8 月には、警察調査の人口が、30万8千546人と発表されます。年末には44 万人と順調に人口が増えていることが記録されています。

今や南京事件の研究は非常に進んできまして、例のホームページのようなウソ は、よほど人間的な良心に欠ける人でないと恥ずかしくて言えない状況です。是 非、まともな研究結果をご自分で読んで勉強してください。お薦めする本は、

「南京虐殺の徹底研究」(東中野修道著/展転社)
「ザ・レイプ・オブ南京の研究」(東中野修道・藤岡信勝共著/祥伝社)
「南京事件の核心−データベースによる事件の解明」(富沢繁信/展転社)
「1937南京攻略戦の真実}(東中野修道編著/小学館)

731部隊につきましては、戦後アメリカ軍が資料を没収して持ち帰り、その後 アメリカ軍研究者によるその調査報告書が4つほどでていますが、細菌兵器の実 用化に至らなかったと結論付けられています。そもそも、生物化学兵器研究では 進んでいたソ連軍に対する防衛を主目的に作られたのが731部隊であり、毒ガ ス兵器を最初に使ったのは、そのソ連の支援を受けていた中国軍であったことを 見逃してはいけません。悪名高い731に関する情報はもともと、その生物化学 兵器の先進国ソ連が、戦後日本軍をまともな弁護もナシに一方的に裁いたハバロ フスク裁判という文字通りの「悪魔の暗黒裁判」の記録をもとに共産党がまき散 らしたものですから、信憑性がきわめて薄いものです。今後の一層の研究が待た れます。

いずれにしてもこんな大嘘のデマ宣伝のHPを見ていたのでは、何も本当のことは 分かりません。メールに書きましたように、まともな本を読んで、ご自分で何が 本当かを考え、確かめてください。

自由史観研究会会員  水元茂

■回答(B)

   例のページを見せていただきましたが、あのページには実に悪質な情報操作が なされているので、ズバリ指摘します。  人口のことですが、当該ホームページには次のように書かれています。
    =============(引用開始)=============
   南京大虐殺を否定する学者の中に拓殖大学講師田中正明がいる。彼は「南京大 虐殺の虚構」という本を一九八四年一月に出版し、日本軍国主義の血塗られた歴 史を消し去ろうともくろむ。田中の主な議論は「当時の南京の人口は外国人を含 めて20万に過ぎなかったから、30万 以上が殺されたというのはありえない ことだ!」と主張する。また、「当事の南京市民の人口は20万であり、中国兵 は5万であった。

それなのに犠牲者の数が30万というのはありえない。」とも書いている。  では、一九三七年の南京の人口は実際どのくらいだったのだろうか。 南京市礑案局の一九三七年の人口統計を見てみよう。上記のグラフを見ると南京 の人口は一九三五年には90万に達していることがわかる。 一九三七年の6月 には百万を超えている。では、大虐殺の前後を見てみよう。
==============(中略)============
 王鴻恩氏は人口統計をもとにして事件以前の南京の人口は107万であったと いう。その107万のうち40万の消息は分かっている。彼らは南京から逃げた 人たちである。残りの60万から70万人が事件直前の南京の人口である。この 数字から市外の出稼ぎの人たちの数を引くと、 当時の南京の人口は50万―60万を下らないといえる。事件直前のこの状態か ら、一九三九年の4月には17万人に激減しているのである。この数の差は何を 意味するのか。答えは簡単、大量虐殺、ホロコーストである。
  ============(引用終了)==============

さて、この内容をもう一度簡単にまとめてみましょう。
   1935年     90万
 1937年6月  107万
 1939年4月   17万
   なるほど、これを額面通りに受け取ればそうなりますが、それではその間、南 京には何の記録もなかったのでしょうか。  それがあったのです。それもアメリカ、ドイツ、フランス、イギリスなど列国 人の集めた膨大な量の記録が。

   ではその例を挙げてみましょう。人口と人口密度の具合をこれらの記録から読 みとっていただけたら幸いです。

  11月28日   ・警察庁長王固盤は南京には中国人がまだ20万人住んでいると繰り返した (ラーベ日記)

12月6日   ・黄上校との話し合いは忘れることができない。黄は安全区に大反対だ。そ んなものを作ったら軍紀が乱れるというのだ。(中略)なぜ金持ちを、約80万 人という恵まれた市民を逃がしたんだ?(ラーベ日記)

12月7日    12月6日は終日安全地帯に人が流入(残留外国人の記録・アチソン)

12月10日    日本軍の爆撃攻撃で残留市民は安全地帯殺到(シカゴ・デイリーニュー ズ)

12月13日    南京残留市民は、安全地帯に群がった(残留外国人の記録ウィルソン書 簡) (谷原注:南京陥落の日。東京裁判ではこの日から6週間に渡って南京虐殺が行 われたとされる)

12月17日     20万人が餓死の危険(南京安全地帯の記録)

12月18日    20万 委員会が救済(南京安全地帯の記録)
   町の9割の地区から中国人の姿がなくなり(残留外国人の記録・ウィルソ ン書簡)
   南京の1割の地区に20万の中国人(残留外国人の記録・ウィルソン書 簡)
   安全地帯外に5万人いた(ダーディン記者、ニューヨークタイムズ)

12月21日    20万 市民のために(南京安全地帯の記録)
   20万 食料は1週間分(南京安全地帯の記録 )
   安全地帯の外では日本兵の他はほとんど誰も見ない(ヴォートリン日記)

12月26日   ・安全区の20万もの人々の食糧事情はだんだん厳しくなってきた。   米はあと1週間しか持たない。(ラーベ日記)

12月30日   ・安全地帯の他は無人地帯、人通りがない(ヴォートリン日記)

 1月2日   ・安全区の混み具合は日中の上海よりすごい(ラーベ日記)

 1月14日    25〜30万 良民登録(南京安全地帯の記録)

 1月17日    25万 には1日に米1000袋(南京安全地帯の記録)
  ・難民の数は今や25万人と見積もられている。増えた5万人は廃墟になっ た所に住んでいた人たちだ。(ラーベ日記)

 1月18日    25万 食糧放出が少ない(南京安全地帯の記録)

 1月19日    25万の市民を養う(南京安全地帯の記録)

 1月22日    難民の90%は区内に、残りは自宅帰還(南京安全地帯の記録)

 2月18日    中国人は安全地帯以外の元住所に帰りつつある(残留外国人の記録・アリ ソン)

     いかがですか。これらは当時書かれた一次資料の示す数字です。特にラーベら は難民区で食糧の供給をしていただけに、食料に関わる記録は重要です。

 それとあなたの示したホームページに書かれている論文をざっと見ましたが、 恐らくアイリス・チャン氏による反論だと思うのです。彼女は自著『THE RAPE OF NANKING −THE FORGOTTEN 、HOLOCAUST OF WORLD WAR U』で、朝香宮鳩彦王 (あさかのみやなるひこおう)中将が南京における虐殺の命令者であると位置づ けていました。また、過去に南京虐殺のことをデヴィッド・バーガミニが「南京 虐殺は昭和天皇の命令である」 と『天皇の陰謀』で書いていますが、これはラ イシャワー博士によって「不幸な著作」という批判を浴びています。チャン氏の 場合は、昭和天皇が朝香宮に直接指令したと自著で書いています。しかもバーガ ミニの著作を礼賛している所はこのページでも変わりませんので、彼女自身が恥 知らずにもウソの上塗りをしているとしか思えません。

 何より、軍の指揮命令系統から考えると、昭和天皇から朝香宮中将に秘密裏に 指令が下されるなどと言うのは絶対にあり得ないことです。  松井大将は中支那方面軍司令官であり、上海派遣軍司令官である朝香宮中将は その指揮権に従わなければなりません。

 そこでアイリス・チャン氏は松井大将が肺結核に罹っていたなどと言い、その 間に朝香宮が昭和天皇(裕仁)から直接命令を受けて虐殺を実行したなどと言う のですが、これは全く史実に反します。松井大将は南京陥落に際して確かに病臥 しましたが、軽い風邪に罹っただけでした。もちろん、肺結核など患ってはいま せん。

   そういうわけですので、当該ホームページの731部隊に関する内容も五十歩 百歩です。詳しいことはご意見箱に他の方に対する当会の会員が回答した文がご ざいますので、是非お読み下さい。

 

自由史観研究会会員  谷原茂生

                               


4.A級戦犯の復権について

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靖国神社での戦犯以外の一般戦死者への参拝は、大賛成です。 独立国として、他国の内政干渉に屈してはいけないと思います。 ただ、戦犯の中で絞首刑になった人たちには、東京裁判の不平等を差し引いて も、本当に人道的責任があった方もいるように思います。 文章を読ませていただき、戦犯の復権の解釈に疑問が残りました。

質問の内容は、下記の通りです。
Q&A 靖国神社のBより引用
「A級戦犯というのは国内法では犯罪者ではなく、国際法でも法的にはすでに復 権しているのであり、靖国神社に合祀されている(祭られている)人の中にA級 戦犯が混じっていたとしてもなんら問題はありません。」

質問:
国際法でも法的に復権しているとのことですが、どの国際法ですか。 また、日本国による解釈ですか。それとも、他国あるいは国連の承認を得ている のでしょうか。

サンフランシスコ講和条約第11条は、絞首刑にならなかった戦犯への赦免許可 であって、絞首刑になった戦犯の復権を意味しないように感じますが、いかがで しょう。

■回答

さて、A級戦犯についての質問ですね。(基礎的なことだけ述べますの で、後はご自分で調べられるといいと思います。もちろん思想や歴史認識の面か らの答えなら、人によって見解が違ってきますし、別の長い答えになると思いま す。しかし質問は法的な面からと思いますので、その面から簡潔に答えます。)

【戦犯の赦免の国際法上の根拠について】

ご承知のとおり「どの国際法ですか」というような国際法という法律があるわけ ではなく、国際法とは、慣習や条約や一般原則(すじとか道理とかいうもの)で す。戦犯については、サンフランシスコ対日平和条約第11条に従って関係諸国 の同意を得て赦免しています。これなら国際法上も全く正当ですし、国際法で問 題になることもありません。 【サンフランシスコ対日平和条約第11条の意味】

事実上の問題として、死んだ人はこの11条で赦免することはできないというだ けです。生き返らせることはできないのですから。しかし、もしご主張のとおり ならば、(ABC級戦犯に共通して)死刑になった方の赦免には、この11条が 関知しないことになります。それはすなわち、彼らに関しては国際法上で関係諸 国の同意を得る必要はなく、国内法で犯罪者として扱わなければそれでよいとい うことになります。

そもそもこの第11条は条約によって、東京裁判の判決を日本の独立後まで守ら せようとした特殊な条文(本来は国際法に反した良くない条文)なのです。どう して連合国らがこういう条文を入れたかというと、講和条約を結すべは戦争状態 が終わる(手打ちが終った)ので、その後に東京裁判の判決をそのまま受け入れ たままにするか、それとも東京裁判に反して赦免してしまうかというのも、独立 したら日本政府と国民が決めるのが可能だし普通のことだからです。

たぶん、あなたは、戦犯の中で死刑になった人だけは別に扱うべきだとのご主張 かもしれませんが、この11条においても、死刑になった方と例えば無期や禁固 7年の刑などで赦免前に亡くなった方を区別するのは、それが明文化されてなけ れば無理があると思います。つまりこの11条に、「絞首刑になった戦犯は永久 に犯罪者として処遇しなければならない」というような明文の規定がなければ難 しいと思います。(明文の規定があってもそういう条文が国際上で適当かという 問題はありますが)

 余談ですが、もちろん靖国神社では死刑になった方も禁固中に亡くなった方も 区別されていません。一寸わかりにくかったかもしれませんが、この質問自体が かなりひねった条約解釈なんです。

自由史観研究会会員  渡辺龍二

■投稿(2)

丁寧な返答ありがとうございます。 質問でなく、一言感想を申し上げます。

法的な問題について、渡辺様の意見の通りであれば、日本政府が中国政府に「サ ンフランシスコ講和条約第11条を確認してください。内政干渉です。」と言え ば、それで全ての議論は終わるのではないでしょうか。

■回答(2)

QAコーナーでの私の説明の仕方が悪かったので、疑問をお持ちになるのも当然 のことと思います。まず、おわび申上げます。

おっしゃるとおり「内政干渉」と 言えば、それで全ての議論は終わると思います。中国政府は、靖国問題に関わら ず、サンフランシスコ講和条約第11条によって、日本は「東京裁判史観」に未 来永劫にわたり拘束されるべきだとの主張をすることがあります。

これは法的には2重に間違いです。まず東京裁判は個人に対する裁判であり、こ の11条は戦犯に対する赦免規定にすぎません。次に中国はサンフランシスコ講 和条約の当事者ではないので、この件で文句をつけることはできません。

ただ、外交戦略の問題なので、中国は効果があるなら今後もこういう理屈を使っ てくると思います。国内で反日教育をしているのでその手前もあるでしょう。ま た、日本政府は中国には反論をしたりことを荒立てたくないという考えだと思い ます。とにかく、日本国内では正しい知識を広めなければなりません。また、い ろいろとご指摘ください。

自由史観研究会会員  渡辺龍二

                           

■回答(B)

サンフランシスコ講和条約第11条で日本が受諾したのは東京裁判の判決です。 この結果、日本国内で服役中の人の刑の執行を連合国に代わり執行しました。 しかし日本国内に戦犯の免責を請願する国会決議が何回か圧倒的多数で可決さ れ、関係各国に釈放を請願しました。その結果、関係各国の同意を得てA級戦犯 は昭和31年3月31日までに、B、C級戦犯は昭和33年5月30日までに全 員釈放されました。

勿論既に死刑になった人を甦らせる事は不可能ですが、その時点で戦犯は全員復 権したと理解しています。A級戦犯の中には重光葵(禁固刑7年)、賀屋興宣 (終身刑)、岸信介(逮捕されたが起訴にいたらず)等がいました。後に外相、 蔵相、首相として復権しましたがどの国も異議を言っていません。

東京裁判について

マッカーサー元帥は昭和26年アメリカ上院で「日本の戦争の動機は正当防衛で あり、侵略戦争と呼ぶべきものではなかった」と証言しています。

トルーマン大統領は引退後、日本の元軍人に対して「神の前では双方に罪があ る」と述べています。

オランダのレーリング判事とフランスのベルナール判事は後に「法的手続きの不 備や南京大虐殺のような事実誤認があったが、裁判中は箝口令が敷かれていて言 えなかった」と言っています。

オーストラリアのウェッブ裁判長は帰国後、「東京裁判は誤りであった」と言っ ています。

アメリカのキーナン主席検事は「東京裁判は公正なものではなかった」と発言し ています。

東京裁判とは一体何だったのでしょうかね。

更に 毛沢東は、社会党の佐々木委員長に「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたら し、中国人民に権力を奪取させてくれました。皆さんの皇軍なしには、我々が権 力を奪取するのは不可能だったのです」と言っています。

とう小平は三橋健次郎元陸将に「日本が蒋介石を重慶まで押し下げてくれたの で、日本軍の占領地域の後方に拡がり、8年の間に120万に増え、さらに数百 萬の民兵を作ることができた。」と感謝しています。

中国にも色々な考えがあるのですね。

自由史観研究会理事  杉本幹夫

■投稿(3)

掲示板を拝見し何気に感じた疑問を投稿させて頂きました。 私のような立ち寄りついでの初心者に、ここまで丁重な御返事を有難うございま した。

復権の法的な問題について、渡辺様と杉本様の意見の通りであれば、日本政府が 中国政府に「サンフランシスコ講和条約第11条を確認してください。内政干渉 です。」と言えば、それで全ての外交的議論は終わるのではないでしょうか。

また、元の質問と少し別の議論になりますので段落を改めて、東京裁判の記述に ついても感想を述べさせて頂きます。 当時の米中指導者の証言について、今日初めてそのような事実があると伺いまし た。 これらの事実は、非公式会見からでしょうか。あるいは、非公式会見だとして も、客観的な証人による裏づけが可能でしょうか。 といいますのは、私が今までずっと聞いてきた歴史と大きく異なるからです。

■回答(B−2)

外務省の役人、マスコミの主力が自虐史観にどっぷり浸かっており、正しい歴史 を学ぼうとしません。 相手を怒らせず、相手の言い分を日本に伝え、にこにこつき合うことだけが国益 だと思っています。 全くの国賊集団です。

サンフランシスコ講和条約第11条の確認ではありません。この条項は東京裁判 の判決を受け入れる事が主眼です。 被告の刑の減免等については関係各国の了承を得なければならないとなってお り、その後の外交交渉で関係各国の了承を得て免責したと言うことです。

サンフランシスコ講和条約には蒋介石政権も共産党政権も参加しいていませんが、 東京裁判の時点では中国を代表する政権は蒋介石政権でした。現在の共産党政権ではあ りません。

田中内閣が日中国交回復をするとき、毛沢東は「蒋介石政権で成立した国際的な 責務をすべて引き継ぐ代わり、蒋介石政権が持っていた国際的な権利をすべて認 めろ」と主張しました。その結果台湾と断交したのです。従って中国も戦犯の免 責を認めたことになります。

韓国は戦争当時、日本の一部であり、サンフランシスコ条約の当事国ではありま せん。従って戦犯の免責についての発言権はありません。

東京裁判についてのマッカーサー証言は有名です。その他の人の発言は、石原藤 夫『靖国神社一問一答』展転社発行から追って下さい。

自由史観研究会理事  杉本幹夫