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■投稿(1)
杉本幹夫様
はじめまして。会報に『五箇条の御誓文と韓国併合』を掲載させていただいている大場敏夫です。
12月号の拙論では、杉本さまの『「植民地朝鮮」の研究』の「結論」
「一 韓国・北朝鮮に謝罪は不要」で記載されている部分を引用させていただきたいと思ったからです。
それは、「日本は韓国・朝鮮の植民地支配についてまず謝るべきだと主張する人の論拠として、一、
二、三の三点があることを指摘した」と述べられている部分の三点に纏められた部分です。
非常に簡潔に纏められており、今回拙論「第三章 ハワイ併合、琉球処分と韓国併合」で、「植民
地化と併合は違う。また三つは全て併合なのに、現在ハワイ人も沖縄人も批難していない。韓国・朝
鮮だけが批難するのは可笑しい」という結論で、杉本さまの挙げられた三点について、個々について批判しております。
拙論を添付してありますので、もし宜しければ読んでいただき、コメントなどいただければ幸いです。
大場敏夫
■回答(1)
『五箇条の御誓文と韓国併合』、いつも面白く読ませていただいています。
私の意見については遠慮なしにご批判下さい。自由に批判することにより、学問は進歩します。
私は植民地であったか、併合であったかと言う議論はどうでも良いと思っています。
私は「宗主国」は搾取するもの、「植民地」は搾取されるものという考えは、「資本家」は搾取するもの、「労働者」は搾取されるものと同じく、マルクスレーニン主義の遺物と考えているからです。20世紀に入ると殆どの植民地は、教育とインフラの整備、独立運動対策で赤字です。アメリカはいち早くフィリピンを領有する不利益を悟ったから独立させたのです。一方オランダは国力の維持のため、一生懸命投資しています。
私は植民地か、否かについてはある程度、権利と義務が宗主国と同一水準になったかどうかで、判断してはどうかと思っています。
その点で見ると、沖縄に参政権を認めたのは1912年です。ハワイは戦後です。両地域が本当に本国と一体化したのは、更に何年か要したのではないでしょうか。その点、朝鮮人も台湾人も権利義務が内地人とかなりの差がありました。
ソ連は連邦です。だからグルジア人のスターリンが総統になっています。
第一次世界大戦の後、フランス領になったストラスプール当たりがどの様になったのか、興味がありますが、調べていません。
自由主義史観研究会理事 杉本幹夫
■投稿(2)
早速のご返事ありがとうございました。
『データから見た日本統治下の台湾・朝鮮プラスフィリピン』も
読ませていただかねば、と感じました。
ところで、『創氏改名』についてお聞きします。
「改名」以前の朝鮮の人々を日本人がどう呼んでいたか?、です。
現在でも中国では、日本名小林さんに対して「シャオリン」と中国読みで会話をしています。
金さんの場合は「キムさん」で似ていますから良いのですが、朴さん
の場合「パクさん」と「ボクさん」では明らかに響きがちがいます。
どちらを使っていたのでしょう。
もし「キンさん」「ボクさん」が当たり前であったなら、すでに「創氏改名」だったし、抵抗はなかったのでは?、と思われるのです。
疑問に感じている点です。
つけたしですが、私も、杉本さまのイザベラ・バード引用のように、当時の朝鮮の社会状況(住居、習慣、交通)に非常に関心を持っています。良い本がありあしたら御紹介ください。、
大場敏夫
■回答(2)
名前の呼び方については知りません。常識的には朝鮮人同士は朝鮮読みで、日本人が呼ぶときには日本式と思いますが。
又親しくなれば朝鮮読みする人にいるでしょうし。
朝鮮から引き揚げてきた人も多数いますから、そのような人に聞いてみられたら分かるのではないでしょうか。
読み方が違っても字は変わっていませんので、創氏とは言えないと思います。
ヨーロッパでも国により、ジョージをゲオルグと読んだりしますが、名前が変わったとは思わないでしょう。
当時の朝鮮についての本は色々出ていると思いますが、私が読んだのは引用しているあの4冊だけです。
いずれも戦後出版ですから、大きな図書館には置いてあるのではないでしょうか。
書かれた目的、時期等が違いますので、興味の中心が違います。
イザベラ・バードの本は旅行記ですし、シャルル・ダレの本は宣教師が送った報告を編集したもので、風俗・習慣等良く整理されています。韓国誌はロシアが将来の支配を念頭に調査したものを日本が編集したものであり、そのような意図が感じられます。又マッケンジーは日本の統治、3.1独立運動等を痛烈に批判しているジャーナリストです。その他にも何冊か出版されていますが、著者の興味や職業により、見方が色々違ってくると思います。
自由主義史観研究会理事 杉本幹夫
■投稿(3)
たびたびメールをお出しして申し訳ありません。
今、『韓末秘史 民族の閃光』を読み始めているのですが、「大院君の内政改革と鎖国」の項(p6)に、大院君の改革として「四色党派(老論・少論・南人・北人)と地方差別を押さえ
南人・北人を登用するとともに、これまで要職につけなかった西北人と開城王氏の子孫まで登用した」、と記されています。このグループ差別についてご教示願えれば嬉しいのですが。
南北朝鮮に別れた韓国では、金大中氏出身の全羅南道が差別されています。理由は昔の流刑地であったからとのこと。ところが、四色党派には重ならないのが奇妙に思えるのですが。
『日韓外交史料』10には、杉村濬の『在韓苦心録』以外に、『金亨燮大佐回顧録』の外、侍従武官として日本人要人と折衝した『魚譚少将回想録』があります。
その回顧録の中に、伊藤博文が国王に国内巡幸を勧めたさい、特に「不穏な北の連中の順慰のためにも国王自らが顔を見せることが大事だ」と説得している部分があるのです。
この北の連中というのが西北人(平安北道?)を指しているのでしょうか。 また、なぜ彼らは要職にも付けづ、従順ではなかったのでしょうか?
北朝鮮関係の本の中でも、西北人は現在でも差別されているようんですが? ご存知でしょうか?
以上です。 大場敏夫
■回答(3)
当初は儒教の教義をめぐっての争いでしたが、それに閨閥、地方閥等が加わり、派閥争いが激しかったようです。
詳細は知りません。
植民地朝鮮の研究の70頁に、青柳綱太郎の意見として、李完用が老論派だった為、併合時の恩典が老論派に偏ったことが、3.1独立運動の遠因となったと書いています。
平壌周辺は反日派が多かったようですが、その原因については知りません。キリスト教が最も普及しており、3.1独立運動の前の、寺内総督暗殺未遂事件の中心になりました。安重根も北朝鮮出身だったように思います。キリスト教の民族自決主義が原因かと思っていましたが、地方差別が主因だった可能性もありますね。
自由主義史観研究会理事 杉本幹夫
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