5.日本の将来を案じて

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私は、日々の出来事を見て日本の将来を痛切に案じております。報道で知る事件は勿論、身近な社会生活においても、身勝手で他人の迷惑など一切気に留めない風潮や行動が随所に見られます。そしてその行動は大人から若者へと次第に顕著となります。

戦後今日まで私達は大きく価値観を変え生活してきました。物質欲、地位、富、名声と止まるところを知りません。それは国民が豊かさを希求してきたからかも知れません。しかし、それだけではないように思えます。戦前までの心豊かな精神を忘れ去ってきたからではないでしょうか。そのような時代背景の流れから、現代の価値観へと変遷し、今日の社会が築かれ、礼節を忘れ、恥の文化を捨て、思いやりを無くした日本人が増殖してきてしまいました。

将来日本人はどうなっていくのでしょうか。このまま放置すれば日本社会はさらに荒んでいくでしょう。私たちの子供たちや子孫が加速度的に堕落し乱れた社会で暮らさなければならないと考えますと心痛む思いがいたします。

私が日頃思いますことは、この価値観の後退、即ち戦前の日本人の価値観を取り戻すことが現代社会の膿を晴らすことに繋がるのだと思います。日本人はかつて世界にも類例のない偉大で立派な民族でした。しかし、今日の歴史教育のなかでは、高名な人物を取り上げ、年表的歴史の傍受でしかありません。

日本人は真の歴史を知るべきです。かつて日本人がどのような心を持ち、どのような政策を行い、どのような背景で戦争を行ってきたか、歴史の真実を日本人は知るべきです。日本人ならば。

江戸時代、天草に鈴木重松公という代官が赴任しました。天草は例年の干ばつなどで石高が半減し、二倍の石高に対する年貢に喘ぐ農民を救うため、重松公は嘆願のため切腹しました。隣室では妻が静かに自決を待ちその気配を感じ取り、重松公言いつけの嘆願書を自決の報とともに提出したそうです。これが日本精神の礎でもある武士道精神です。

日本は、幕末、明治維新、日清・日露戦争と自存自衛のため富国強兵を目指し大きな試練を経験してきました。この間、台湾の併合や朝鮮の併合が成され、内地と同様日本国としてあらゆる政策が行われました。当時の時代背景は、一等国以外は植民地となる危険がありました。一等国即ち帝国はその国力を内外に示す必要がありました。そしてあらゆる合意の下中国へ進出。しかし、共産主義の陰謀や欧米の人種差別に起因する不平等な政策などから、日華事変・大東亜戦争へと導かれました。

私は、特にこの幕末から大東亜戦争に至る歴史の過程、即ち時系列ではなく、当時の時代背景、日本のおかれた状況、世界の状況を詳細に捉え、かつての日本は、そして日本人はどのような国家どのような人々だったのか、それぞれの戦争はどのような戦争だったのか、そして台湾・朝鮮の統治ではどのようなことをしてきたのか、さらにはある新聞が火付けとなった朝鮮人や慰安婦の強制連行、そして中国が記念館まで造り中傷する南京虐殺など、これらについて学校教育の場から歴史の真実を教育していかなければならないと思います。

日本人は病んでいます。孫子に手渡す将来の日本の姿がこの上なく不安です。現代社会の膿を出し病みを葬るには、注意や叱ることでは解決しません。日本の過去の歴史や先人の行ってきたこと、国家と国民のため尊い命を捧げた方々の真の姿、真の歴史を真摯に知ることによって日本の歴史に誇りを持ち、日本国民としての自覚と自信が目覚め、健全な日本精神が宿る日本人の姿が描けるのではないでしょうか。

千葉県木更津市  岩崎芳夫


6.石原知事の発言は“妄言”か?

 

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日韓併合に関する石原慎太郎都知事の歴史認識について、再び朝鮮人が問題にして いる。南朝鮮の新聞は「石原都知事がまたまた“妄言”」と書きたて、大韓民国外交通商省は 「非常に遺憾だ」と論評した。残留朝鮮人団体の民団と総連は東京都庁へ押しかけて抗議 文を渡し、知事に対して発言の撤回と謝罪を求めるという騒ぎだ。しかし石原知事の歴史 認識は正しいから、撤回も謝罪もしなくてよい。併合前の朝鮮の実態と併合に至る経緯に ついては次の本に詳しいので参照されたい。信頼できる史料と確実なデータの積み重ねに よる実証的な好著である。
   ※杉本幹夫著『 植民地朝鮮の研究 』展転社 

    ◆日韓併合といえば、明治43年(1910年)の出来事だ。一世紀近くも昔の話だから、普通の 民族であれば、戦争に勝ったにしろ負けたにしろ、他国を支配したにしろ他国から支配 されたにしろ、歴史の一齣(ひとこま)として冷静に眺めるはずだ。にも拘わらず南北 朝鮮の人たちは、何時まで経っても日本統治時代を冷静に、客観的に見ることができない らしい。何と狭量で偏執的で悲しい民族なのだろう。

◆日韓併合に関する国際社会の歴史評価はすでに確定している。例を挙げれば、ケンブリ ッジ大学の J .クロフォード教授(国際法専門)らは、ハーバード大学で開かれた国際学術 会議で「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を 取り込むということは当時よくあったことで、国際法の上では日韓併合条約は不法なもので はなかった」と述べた(平成13年11月27日付産経新聞)。

◆日本は大韓帝国の併合を、武力によってではなく、外交交渉によって実行した(併合 条約の締結)。しかもその上、日本はこの併合について国際社会の同意を取り付けた。 そうは言っても朝鮮の人達にしてみれば、当時の日本はロシア帝国との戦争に勝つほどの 強力な軍事力を有していたから、大韓側は不利な交渉を強いられたのだと言いたいであろうし、 私も軍事力による無言のプレッシャーがあったであろう事を否定しない。しかし、だから といって「併合条約は不法だ、無効だ」という事にはならないのだ。
※国名:朝鮮(1392年〜1896年)、大韓帝国(1897年〜1909年)   いずれの時代も李王室が統治したので、両時代を通して李朝時代という。

◆朝鮮(大韓)は弱小国だった。小国が大国に併合されるのは、当時の世界では何ら異常 な出来事ではなく、普通のことだった。日本に併合されたくなければ、なぜ朝鮮は大国に ならなかったのか、なぜ軍事強国にならなかったのか、と言うことだ。だから今の朝鮮人が 日韓併合に不服を言うのであれば、それは日本人に向ってではなく、当時の朝鮮人、 つまり自分たちの祖先に言うべきなのだ。

◆併合した朝鮮半島を日本が統治したのは36年という短い期間だった(昭和20年 (1945)まで)。統治政策の実施機関として京城に朝鮮総督府を設置した。明治維新期の 政策に倣って半島の近代化を強力に推進するのが総督府の方針だった。
     ※京城:「けいじょう」と読む。今のソウル。

◆朝鮮社会は李朝の暴政によって極度に疲弊していた。総督府は先ず、諸悪の根源だった 法制度の改廃に着手した。次いで農業改革と米穀増産に心血を注いだ。さらに公共インフ ラの充実と医療施設の整備を推進した。教育を振興し、朝鮮社会のリーダーの育成に注力 した。その結果、半島の近代化は急速に進み、朝鮮の人口は短期間に倍増、経済が発展し て人々の生活は李朝時代に比べて豊かになった。日本政府は旧政権(大韓)への債権を 棒引きにし、その上さらに毎年、多額の公的資金を投入して、総督府の税収不足を補った。 日本人の税金が朝鮮人のために使われたのだ。しかし昭和20年(1945)、日本の敗戦で 総督府は閉鎖された。
  ※半島の人口推移: 1910年、1313万人  →  1942年、2553万人

◆戦後の昭和23年(1948)、朝鮮は南朝鮮(大韓民国)と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和 国)とに分裂して独立した。南朝鮮は資本主義の国に、北朝鮮は共産主義の国になった。 日本と南北両朝鮮との国交がない時期が続いた。

◆昭和40年(1965)、日本と南朝鮮は国交を樹立した。日本から分離独立して20年を経過 した南朝鮮の経済はどん底だった。人々の生活は総督府時代より悪いと言われた。日本 は南朝鮮に5億ドルの資金援助をした。当時の日本にとって5億ドルは大金だった。さらに 経済建設に必要な、製鉄、造船、建築、家電製造、自動車製造などの民生技術を南朝鮮 へ移転した。かくして再び南朝鮮の経済発展が始まり、1988年にはソウル・オリンピック を開催できるまでになった。 

◆平成10年(1998)、南朝鮮経済が通貨危機に見舞われた時にも日本は資金を援助し、 南朝鮮経済は立ち直った。現在、南朝鮮の一人当り国民所得は、年間9千ドル強だ。この 数字はアジア諸国の中では台湾とともにトップクラスであり(日本を除く)、日本の朝鮮統治 がどんなに朝鮮の経済発展に貢献したかを物語っている(台湾も日本が統治した)。総督府 時代のインフラ整備や教育振興が成果をあげたのだ。欧米の植民地だったフィリッピン、 インドネシアなどと比較すれば明らかではないか。

  ◆併合前の朝鮮の社会は、今の北朝鮮の状況に似ており、李王室と両班(ヤンパン)に よる極端な圧政のために自力で改革する能力を喪失していた。日本による“外圧”が朝鮮の 近代化を成功させたのである。日本の統治に感謝の意を表明せよとまでは言わないが、 朝鮮人は、せめて歴史を客観的に見つめてはどうなのか。

◆以前、南朝鮮の中学校用歴史教科書の日本語版『入門 韓国の歴史』(明石書店)を 読んだが、日朝関係史の章で日本について嘘ばかりが書いてあるので腹が立った。

@『電気と鉄道などの事業は朝鮮総督府や日本の大企業がこれをにぎり、彼らの利益を 増大させることに利用した。』
  大うそ! そもそも併合前の朝鮮には電気も鉄道も少なかった。電力会社や鉄道会社 を設立して公共インフラを整備するには莫大な資金を必要とするが、朝鮮にはなかった。 鉄道建設などには日本の公的資金が注ぎ込まれ、大勢の朝鮮人労働者に働く場を提供した のだ。むろん会社の利益は日本側に入ったが、莫大な初期投資を回収するには程遠いもの だった。

A『日帝は彼らの食糧不足を解決するために、韓国から米を略奪する…………韓国の農民 は生産した多くの米を日本に奪われ、飢えを免れられなかった。』
  これも、うそ! 人口が激増したのは餓死者が殆どなかった証拠ではないか。総督府 の指導で米穀増産を達成した朝鮮農民は余剰米を日本へ輸出して稼いだ。日本は高い 値段で買ってくれるので、農民の中には現金収入に魅力を感じて自家用米も輸出し、 自分たちは雑穀を食べて済ませ、貯金に励む者も多かった。李朝時代には考えられなかった ことだ。
  朝鮮の伝統的食文化では雑穀の食事が主流だった。むろん、米も食べてはいたが米は 雑穀の一つに過ぎなかった。だから朝鮮農民が、米を輸出して自分たちは他の雑穀を食べ ることに、抵抗感はなかったはずである。

B………とても書き切れないほど嘘が多いので、以下省略。

南朝鮮は国定教科書だから国民全員が『入門 韓国の歴史』で勉強する。南朝鮮は国を挙げ て反日教育をしているのだ。朝鮮人の対日感情が良いはずがない。北朝鮮もまた反日教育 をしている。

◆ところで戦後の占領時代に、連合国軍総司令部(GHQ)から日本政府に対して「日本 政府の費用と責任で、(総督府時代に渡って来て日本に定住している)朝鮮人を朝鮮半島へ 帰還させるように」との指令があり、政府は船を手配するなど帰還を援護した。その機会 に半島へ帰った人もいたが、日本に残りたいという人たちも多かった。現在の“在日”は、 自らの意志で日本に残留した朝鮮人とその子孫なのである。半島に帰りたいという朝鮮人の 意志を無視して、強制的に日本に抑留した事実もなければ、帰らないで下さいと日本が お願いした事実もない。だから残留朝鮮人(在日朝鮮人と在日韓国人)は、日本で定住 できること自体に感謝すべきなのであって、日本の政治家の発言を取り上げて撤回しろとか 謝罪しろとか言える立場ではないのではないのか。

  最後に言いたい。 南朝鮮は、不法占拠している竹島から撤退せよ!

  朝鮮人の理不尽な言い分に対して、私たちはいつまでも黙っていてはいけない。残留 朝鮮人の同僚や知人をもつ日本人は、彼ら(彼女ら)に向って、この原稿に書いたことを はっきりと言うべきだ。

【言葉/用語の問題】
@ 朝鮮半島の北緯38度以北の国は朝鮮民主主義人民共和国であり、その通称は北朝鮮 (North Korea)である。いっぽう、38度以南の国は大韓民国であり、通称は南朝鮮(South Korea)だ。
A総連:在日本朝鮮人総連合会の略称。北朝鮮系の残留朝鮮人の団体。
B民団:在日本大韓民国民団の略称。南朝鮮系の残留朝鮮人の団体。

Mサンマ[ 男、 日本人、住所:東京都目黒区 ]


7.朝鮮統治について

■投稿(1)

杉本幹夫様
 はじめまして。会報に『五箇条の御誓文と韓国併合』を掲載させていただいている大場敏夫です。

12月号の拙論では、杉本さまの『「植民地朝鮮」の研究』の「結論」
「一 韓国・北朝鮮に謝罪は不要」で記載されている部分を引用させていただきたいと思ったからです。  それは、「日本は韓国・朝鮮の植民地支配についてまず謝るべきだと主張する人の論拠として、一、 二、三の三点があることを指摘した」と述べられている部分の三点に纏められた部分です。

 非常に簡潔に纏められており、今回拙論「第三章 ハワイ併合、琉球処分と韓国併合」で、「植民 地化と併合は違う。また三つは全て併合なのに、現在ハワイ人も沖縄人も批難していない。韓国・朝 鮮だけが批難するのは可笑しい」という結論で、杉本さまの挙げられた三点について、個々について批判しております。

拙論を添付してありますので、もし宜しければ読んでいただき、コメントなどいただければ幸いです。

大場敏夫

■回答(1)

 

『五箇条の御誓文と韓国併合』、いつも面白く読ませていただいています。

私の意見については遠慮なしにご批判下さい。自由に批判することにより、学問は進歩します。 私は植民地であったか、併合であったかと言う議論はどうでも良いと思っています。

私は「宗主国」は搾取するもの、「植民地」は搾取されるものという考えは、「資本家」は搾取するもの、「労働者」は搾取されるものと同じく、マルクスレーニン主義の遺物と考えているからです。20世紀に入ると殆どの植民地は、教育とインフラの整備、独立運動対策で赤字です。アメリカはいち早くフィリピンを領有する不利益を悟ったから独立させたのです。一方オランダは国力の維持のため、一生懸命投資しています。

私は植民地か、否かについてはある程度、権利と義務が宗主国と同一水準になったかどうかで、判断してはどうかと思っています。 その点で見ると、沖縄に参政権を認めたのは1912年です。ハワイは戦後です。両地域が本当に本国と一体化したのは、更に何年か要したのではないでしょうか。その点、朝鮮人も台湾人も権利義務が内地人とかなりの差がありました。

ソ連は連邦です。だからグルジア人のスターリンが総統になっています。 第一次世界大戦の後、フランス領になったストラスプール当たりがどの様になったのか、興味がありますが、調べていません。

自由主義史観研究会理事 杉本幹夫

 

■投稿(2)

早速のご返事ありがとうございました。 『データから見た日本統治下の台湾・朝鮮プラスフィリピン』も 読ませていただかねば、と感じました。

ところで、『創氏改名』についてお聞きします。 「改名」以前の朝鮮の人々を日本人がどう呼んでいたか?、です。 現在でも中国では、日本名小林さんに対して「シャオリン」と中国読みで会話をしています。 金さんの場合は「キムさん」で似ていますから良いのですが、朴さん の場合「パクさん」と「ボクさん」では明らかに響きがちがいます。 どちらを使っていたのでしょう。

もし「キンさん」「ボクさん」が当たり前であったなら、すでに「創氏改名」だったし、抵抗はなかったのでは?、と思われるのです。  疑問に感じている点です。

 つけたしですが、私も、杉本さまのイザベラ・バード引用のように、当時の朝鮮の社会状況(住居、習慣、交通)に非常に関心を持っています。良い本がありあしたら御紹介ください。、

大場敏夫

■回答(2)

 

名前の呼び方については知りません。常識的には朝鮮人同士は朝鮮読みで、日本人が呼ぶときには日本式と思いますが。 又親しくなれば朝鮮読みする人にいるでしょうし。

朝鮮から引き揚げてきた人も多数いますから、そのような人に聞いてみられたら分かるのではないでしょうか。 読み方が違っても字は変わっていませんので、創氏とは言えないと思います。 ヨーロッパでも国により、ジョージをゲオルグと読んだりしますが、名前が変わったとは思わないでしょう。

当時の朝鮮についての本は色々出ていると思いますが、私が読んだのは引用しているあの4冊だけです。 いずれも戦後出版ですから、大きな図書館には置いてあるのではないでしょうか。 書かれた目的、時期等が違いますので、興味の中心が違います。

イザベラ・バードの本は旅行記ですし、シャルル・ダレの本は宣教師が送った報告を編集したもので、風俗・習慣等良く整理されています。韓国誌はロシアが将来の支配を念頭に調査したものを日本が編集したものであり、そのような意図が感じられます。又マッケンジーは日本の統治、3.1独立運動等を痛烈に批判しているジャーナリストです。その他にも何冊か出版されていますが、著者の興味や職業により、見方が色々違ってくると思います。

自由主義史観研究会理事 杉本幹夫

 

■投稿(3)

たびたびメールをお出しして申し訳ありません。

今、『韓末秘史 民族の閃光』を読み始めているのですが、「大院君の内政改革と鎖国」の項(p6)に、大院君の改革として「四色党派(老論・少論・南人・北人)と地方差別を押さえ 南人・北人を登用するとともに、これまで要職につけなかった西北人と開城王氏の子孫まで登用した」、と記されています。このグループ差別についてご教示願えれば嬉しいのですが。

南北朝鮮に別れた韓国では、金大中氏出身の全羅南道が差別されています。理由は昔の流刑地であったからとのこと。ところが、四色党派には重ならないのが奇妙に思えるのですが。

『日韓外交史料』10には、杉村濬の『在韓苦心録』以外に、『金亨燮大佐回顧録』の外、侍従武官として日本人要人と折衝した『魚譚少将回想録』があります。 その回顧録の中に、伊藤博文が国王に国内巡幸を勧めたさい、特に「不穏な北の連中の順慰のためにも国王自らが顔を見せることが大事だ」と説得している部分があるのです。

この北の連中というのが西北人(平安北道?)を指しているのでしょうか。 また、なぜ彼らは要職にも付けづ、従順ではなかったのでしょうか? 北朝鮮関係の本の中でも、西北人は現在でも差別されているようんですが? ご存知でしょうか? 以上です。

大場敏夫

 

■回答(3)

当初は儒教の教義をめぐっての争いでしたが、それに閨閥、地方閥等が加わり、派閥争いが激しかったようです。 詳細は知りません。

植民地朝鮮の研究の70頁に、青柳綱太郎の意見として、李完用が老論派だった為、併合時の恩典が老論派に偏ったことが、3.1独立運動の遠因となったと書いています。

平壌周辺は反日派が多かったようですが、その原因については知りません。キリスト教が最も普及しており、3.1独立運動の前の、寺内総督暗殺未遂事件の中心になりました。安重根も北朝鮮出身だったように思います。キリスト教の民族自決主義が原因かと思っていましたが、地方差別が主因だった可能性もありますね。

自由主義史観研究会理事 杉本幹夫