5.第二次世界大戦中の日本軍の虐殺について

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あなた方のサイトを見て、私は以下の質問をしたいと思います。
第二次世界大戦中に、大日本帝国軍による兵士や市民に対する虐殺はあったのですか。

■回答

我々のウェブサイトを訪ねてくださってありがとうございます。 私は本会の理事の1人でカリフォルニア州ロサンゼルスに住んでいます。 私は私の知っていることをつたない英語で説明できるか心配です。

日本の兵士は第二次世界大戦中に、司令官や政府によって組織化された「虐殺」を犯したことは絶対にありません。 日本軍によって犯されたといういわゆる「虐殺」は全てプロパガンダです。 もちろん日本の兵士は他国の兵士がしたのと同じような犯罪を犯しました。 アメリカ人がベトナムやイラクでしたのとおなじです。 日本の兵士が特別だったのではありません。

自由史観研究会理事 赤野達哉

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返事を下さった方へ。あなたの回答に感謝します。

私はあなたの歳を知りませんが、多分あなたは第二次世界大戦中に、自分の目で何が起こったかを見るには若すぎたのではないかと思います。 あなたは日本の戦争中の虐殺の生き残りの人による 目で見た証拠や話を読むべきです。

もちろんあなたは全てのレポートがプロパガンダであり、 目撃者が全てうそつきだということも可能です。 日本政府はいくつかの事件に公式に謝罪しています。 それらも嘘ですか。

たとえば銃剣練習の的になった話や死の行軍のような全ての証言はどうですか。 それでも嘘だといえますか。

虐殺は日本でだけ起こったのではないと言うことは間違いではありません。 私はドイツ人の血を引いています。 そして私はナチス・ドイツが何百万ものユダヤ人、戦争捕虜、同性愛者、障害者を虐殺したことを否定できません。

否定することは何にもなりません。 しかし私たちは既に起こったことから、そのようなことを防ぐための方策を見つけねばならないのです。

あなたは「司令官によって組織化されたものは何もないと」書きました。 死の行軍は確かに組織化された軍事行動でした。 そのような死の行進を否定することは馬鹿げています。 生き残りの人によるたくさんの証言があるのです。 あなたのメッセージにあった主張はその明白な真実に反しています。

■回答(2)

お返事ありがとうございます。 私はあなたが「簡単な質問」をしたと記憶しています。 それで、私は簡単にお返事したのです。 しかしあなたは、「簡単な質問」に対して、簡単な答えを求めていなかったように思います。 あなたは本当は直接意見を言いたかったのでしょう。 そして私たちに「教え」たかったのでしょう。

そうです、私は戦後生まれです。 しかしながら、私は日本で歴史の教師をしていました。 歴史、特に第二次世界大戦のことを含む近代史日本史については、学部でも大学院でも研究をしました。

率直に言って、あなたは「虐殺」と「戦争犯罪」を混同しています。 もちろん、ドイツ人はナチスの恐ろしい「虐殺」を否定することはできません。 ユダヤ人に対する「ジェノサイト」は戦争犯罪ではありません。 それは「犯罪」なのです。恐ろしい犯罪です。

しかし日本人は決して特定の民族を皆殺しにしようというような計画を持ったことなどないのです。 私は日本の兵士が敵を殺したことは知っています。それは犯罪ですか。もちろん違います。 なぜなら日本人は敵を殺したからです。市民をではありません。

あなたは「目撃者」に言及していましたが、 私たちは中国人や中国のコントロールの下にある「目撃者」に信をおくことなどできません。 「目撃者」や「ジャーナリスト」は話を作るのです。 彼らは日本を敵視しているからです。これは民族差別ではないですか。 信頼できる歴史家は彼らの証言を、歴史的な研究にとってはクズだと考えています。 それらの、いわゆる「ジャーナリスト」は何か「事実」を中国で見つけるか、 「秘話」をそのような「目撃者」を見つけるかすると、何の調査もせずに 可愛そうな中国人と恐ろしい日本兵のためにわめき始め、ホラー・ストーリーをでっち上げるのです。

日本兵が人々を殺すのを確かに見た「目撃者」もいるでしょう。 しかし、もしも殺されたのが兵士ならもちろん問題はありません。 なぜなら戦争中なのですから。 しかし、それが一般市民に見えたのならば……。

それでは、いわゆる「南京大虐殺」の話をしましょう。 あなたはアイリス・チャンの書いた有名な作り話を読んだかもしれません。 私たちは彼女が反日のジャンヌ・ダルクだと知っています。 しかし彼女はチャイナ・ロビーの指導の下にあるのです。

私はあなたは第二次世界大戦中の真実、とりわけ、支那事変について何もご存じないと思います。 あなたは1937年12月の日本の南京占領以来、人口が増えていたことを知っていましたか。 あなたは中国政府がゲリラ(日本語で便衣隊といいます)を許していたことを知っていましたか。 ゲリラは国際法の保護を受けられません。 ゲリラはテロリストなのです。

当時、女性や子どもさえ日本軍に対するゲリラになりました。 多くの日本兵が彼らに殺されました。 もしも日本兵がそのような兵士を見つけたら即、殺したでしょう。 それは丁度アメリカ兵が裁判なしで、ベトコンやイラクのテロリストを殺したのと同じことです。

彼らが一般市民に見えたとしても、これは国際法規に反することではないのです。 これはナチスの犯した犯罪とは違います。 あなたは竹本忠雄、大原康男著の"The Alleged 'Nanking Massacre'" を読むべきです。 この日英対訳の本は、全て歴史的に証明された事実・記録からなる証拠によってのみ書かれています。 これはアイリスが作ったような「お話」ではありません。事実です。

どうか公正な心であなたの意見を構築してください。あなたは日本軍に対して、あまりに多くの先入観を持っています。

私の英語はつたないものなので、私の意見を明確に述べられるか心配しています。 しかしこれは私の意見です。なぜなら私は日本人であり、「真実の歴史」を学んだからです。 私は日本兵が他国の兵士と同じような悪事を働いたことを知っています。 それでも私は日本の歴史に誇りを持っています。

私はあなたの国籍を知りません。 しかしあなたもやはり自分の歴史、文化、人々に誇りを持っていることを私は承知しています。 私は汚らしい反日プロパガンダで事実が歪められることを許しません。 あなたがそう思い込んだように。

私たちは真実を追求し続けます。

自由史観研究会理事 赤野達哉


6.義和団事変について

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はじめまして。ひとつ質問があります。

詳しくは覚えていませんが、以前日本が中国で起きた反乱か暴動に対し欧米と共に軍隊を派遣し、 自国民の保護と治安維持をした事があったと思います。その時日本の担当地区だけ治安が良かったと聞きました。 この時の事が詳しく書いてある本があったら教えて下さい。

と言うのは、今イラクの治安が悪く多くの人が亡くなっています。もしかしたら、この時の日本のやり方が使えるかもしれないと思ったからです。テロ等というものはだだの自己満足に過ぎない愚かな行為です。国を復興させるとゆうのは10年20年かかる大仕事でありテロリストなどにかまっている時間はありません。一刻も早く治安を回復し他国の軍隊は撤退しイラク国民による治安維持及び復興をしてほしいと思います。

■回答(2)

本会のwebsiteを訪ねてくださってありがとうございます。私は本会の理事の1人で赤野と申します。

貴方がおっしゃっている「以前日本が中国で起きた反乱か暴動に対し欧米と共に軍隊を派遣し、 自国民の保護と治安維持をした事があったと思います。その時日本の担当地区だけ治安が良かった」 というのは、1900年の義和団事変のことだと思われます。

事件のあらましは本会の『教科書が教えない歴史』(扶桑社文庫,p222)に「列国が日本に大量出兵を要請」(上原理事執筆)をお読みになれば明快です。

残念ながら私は個人的に、その件についての詳しい資料は持ち合わせていません。

自由史観研究会理事 赤野達哉


7.感激しました

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はじめまして。 高市早苗さんのHPから、こちらのサイトを知りました。

大変興味深く拝見しましたが、特に「ご意見箱」におかれましては、アイリス・チャンなどの著した出鱈目な書物を妄信する外国人や、マルキスト教師に「日本軍=絶対悪」と教え込まれた若者たちに、研究会の方がひとつひとつ具体的な数字をあげて詳しく説明する態度に感激いたしました。

中には、気の短い私などなら「やかましいっ、お前なんか削除じゃ!」と怒鳴ってしまいそうな無知で頑固な輩にも、参考になる書物や資料を示しながら辛抱強く議論されている姿勢は心から頭が下がります。

斯く言う私も実をいいますと、数年前までは「台・韓の併合=悪」であり、大東亜戦争は日本の侵略の歴史であると、教科書で習ったことを鵜呑みにして「やってしまったことは事実なんだから、素直に謝ってしまいなさいよ」いう考えの似非リベラリストでありました。

しかし、従軍経験のある父親や、その周りの大戦を生き抜いた人々を見るにつけ、無理やり女性を陵辱したり、銃剣で赤ん坊を突き刺したりした者たちとは到底信じられず、大変な違和感を持っておりました。 そんな折り、「新しい歴史教科書問題」が起こり、藤岡氏をはじめ、秦氏、小林よしのり氏の理論を伺って目が覚める思いでした。

その後も何度となく、自由主義史観の方々と自虐史観の人々の討論を拝見しましたが。数字や詳しい資料を示して議論を進める自由主義史観の理論に対し、自虐史観側の理論といえば、論理のすり替えや捏造された資料がほとんどで、仕舞には「被害者が可哀想」などという単なる感情論に持ち込むなど、実に見るに耐えないものでした。

おかげさまで、今ではすっかり「安っぽい似非リベラリスト」から脱却することができました。

私の父は大戦末期、志願して、特幹(特別幹部候補生)第一期生となり、シンガポールで飛行訓練を受けるため(もう内地には飛行機も燃料もないため)に船上の人となりました。しかし、間もなく船団が敵の爆撃にあい、難を逃れて台湾に上陸しました。

台湾には屏東という所に陸軍の飛行場があり、そこで暮らしていましたが。もう戦争も末期だったために空襲が激しく、飛行訓練など到底できる状態ではないので、爆撃で滑走路に開いた穴などを直したりする毎日だったそうです。

台湾では、毎日空襲があるほかは、いたってのんびりしたもので。米は一年に二回獲れるなど食料に事欠かない、内地から見たら天国のようなところだったとのことです。概ね、地元民と日本兵がトラブルを起こすことはなく、問題を起こすのは大概民間人か、当時とても威張っていた巡査だったそうです。父などは、軍から支給されるマラリアの予防薬を飲まずに取っておいて、近所の農家の人が「兵隊サン飯食ッタカ(こんにちはの意)」といってやってくると、こっそりアヒルの卵(鶏は飼われていなかった)と交換したりしたそうです。一度は、そのお陰でしっかりマラリアにかかり、コトが班長にもバレて大目玉をくらったといっておりました。また、悪いものを食べたのか腹を壊し、折り悪く、そこに空襲があって、防空壕まで行けずに便所の中で震えていたこともあったそうです。とほほ…

そんなことをしているうちに、戦況は益々悪化していき、沖縄陥落の報告を受けました。「あぁ、これはもう次は俺達だな」「観念して、玉砕まで戦うかぁ」などといっていたところ、原爆が二発落ち、あっという間に終戦となってしまいました。(よく大型新型爆弾といいますが、父の記憶では台湾に報告が入った時点で「原子爆弾」といっていたそうです)

その後、国民党軍が入ってきて武装解除を受けるのですが、国民党軍の兵士が日本人に暴力を振るうことはなかったとききます。階級章も着けたままで、どちらの上司に対しても敬礼しますが、それ以外は普通に挨拶していました。お互い漢字の国なので、筆談で簡単な会話はできました。国:「その時計を売ってくれないか?」日:「父の形見だからダメだ」などということもあり、申し出を断ったからといって強奪することもなかったそうです。

とにかく、父の遇った国民党軍の兵士は概ね大人しく、自分達が敗戦国民であることなど忘れてしまいそうでした。帰国の際はリュック一杯の砂糖などの物資をくれたそうです。

そして引き揚げとなりました。台湾で先のように扱われていた父は「本当に負けてしまったんだろうか?」と少し戸惑っていたそうですが。引き揚げ船が広島(山口だったか)に着いたとき、オーストラリア兵卒が、丸腰で無抵抗な日本人将校を殴りつけているのを見て「あぁ、本当に負けてしまったんだなあ」と実感したそうです。 ここに書いたのは、あくまで父の体験談です。父の目を通して見た話であり、同じ台湾でも別の場所では、また違うかも知れません。

私がまだ似非リベラルに毒されていたとき。日本軍の行った行為に対して、批判しかしませんでした。そのことで、何度も父と言い争いをしていました。しかし、今ではお互い興奮することもなく、冷静にしっかりした議論ができるようになりました。これもすべて、「つくる会」や自由主義史観研究会の皆様の熱心な研究の賜物です。心より感謝申し上げます。

最後に。 私の父は運に恵まれ、戦闘も、戦勝国による屈辱も味わうことなく、無事に帰還することができましたが。南方の戦線に従軍された方々は劣悪な環境での戦闘を強いられ、そのまま命を落とされた方もいらっしゃるでしょう。また別の、満州などの外地で終戦を迎え。言い表せない程の暴力や陵辱の中、ひたすら祖国の土を踏むことを願い、その思い果たせず亡くなった方々の話もききます。そして不正な裁判によって無理やり命を奪われた方々、戦の責任を取って自決の道を選んだ方々。この方々の屈辱と無念を、現代的な安っぽいリベラル思想なんぞで無に帰してしまってはなりません!また、自己の満足や金銭のために、先人の行った善行の歴史までも捻じ曲げる外国人や反日日本人の欺瞞は絶対に許しては行けません。

どうぞ、大東亜戦争で傷ついたすべての同胞(韓国人日本兵・台湾人日本兵も含め)を日の光のあたる場所へ出して差し上げてください。 これからも皆様のご研究の成果が、益々進展されますことを心より願いお祈りもうしあげます。

■回答

大変なお褒めの言葉、有り難うございました。 微力ながら今後も努力したいと思っています。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


8.蒋介石政権との戦後処理

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当HPでは毛沢東は蒋介石の責務と利権継承を条件に日本と国交を回復しその結果日本と台湾の国交は断絶したとあります。 それでは日本と蒋介石の間でどのような条件で戦後処理がなされていたのでしょうか。

日本の政治家は中国にただひれ伏すだけ靖国の問題歴史の問題何一つ反論しません日本の名誉のため、私は反論したいと思います。

■回答

1952年4月18日サンフランシスコ平和条約に参加を認められなかった中国の代表として、中国もサンフランシスコ平和条約を基本的に認めるとの趣旨で、日華平和条約を締結しました。

この条約の最大のポイントは日本は全中国の代表として、蒋介石政権を認める事と、賠償放棄、台湾の割譲等です。 この条約の締結に当たり、有名な「怨みに報いるに恩を以てす」との蒋介石声明が出されています。

サンフランシスコ平和条約で、アメリカその他連合国との戦争状態が終結したのと同様に、この日華平和条約で、中国との戦争状態が終結したのです。

日中国交回復とは毛沢東政権は日華平和条約を尊重し、賠償を放棄する。その代わりに台湾領有を認めろと言うものであったと理解しています。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


9.戦後の朝鮮人

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藤岡先生へ

はじめまして。産経新聞に掲載されていたセンター試験の件に大変な危機感を感じ、このメールを差し上げた次第です。

在日の方々が掲げる強制連行ですが、私はインターネットで見かけた以下の文章が、真実であると確信しています。 日本人の良心につけこむような彼らの情報戦略は、決して許せるものではありません。 この件を決して風化させぬよう、よろしくお願いします。

乱文乱筆、失礼致しました。



日韓併合後、在日朝鮮人は厳しい身分差別から逃れるため、自らの意思で朝鮮半島を脱出して日本に渡ってきました。 日本がポツダム宣言を受け入れると在日たちは「戦勝国民」であると主張し、「朝鮮進駐軍」を名乗り、各地で暴れ始めました。 日本の男たちは戦場に駆り出され、残っていたのは女、子供、老人ばかり。 朝鮮人たちはやりたい放題で、駅前の一等地は朝鮮人に占領されました。 もちろん、そこに住んでいた日本人女性は容赦なく強姦され追放されたのです。

当然、日本人は在日を強く憎むようになりました。 そのため、在日朝鮮人たちは日本名を名乗るようになりました。 朝鮮名を名乗ることは自分が犯罪者だと宣言しているようなものだからです。

朝鮮人たちは共産主義者と組み、マスコミを使って歴史の捏造を始めました。 「強制連行されて来た」「土地を奪われて仕方なく来た」等々。 そして強姦犯罪を謝罪せず、土地を占拠し続けながら、 「俺たちは何も悪いことをしていないのに差別される」「不当な差別を受けている」 「謂れなき差別を受けている」等と宣伝しました。 朝鮮進駐軍を知らない世代の日本人は在日に対して罪悪感を持つようになりました。

在日たちは占領した一等地で事業を始めました。 それが「パチンコ」です。今でもパチンコ業者の8割は在日です。 パチンコは30兆円産業。何と自動車産業よりも規模が大きいのです。 パチンコ業界は脱税と、北朝鮮への送金で知られます。 「日本のパチンコがある限り、我が国は安泰だ(金正日)」 日本の政治家にもパチンコの金が流れています。 だから「パチンコ、パチスロはギャンブルではない」等という馬鹿げた論理がまかり通っているのです。

祖母や曾祖母が朝鮮人に強姦された場所でパチンコやスロットを楽しんだり、 朝鮮の民族料理である焼肉を食べる・・・ これは「日本人」以前に「人間として」恥ずべき行為ではないでしょうか。

■回答

投稿有り難うございました。 ご指摘の事項があったことは、誇張・行きすぎがありますが、かなり事実と思っています。 しかし同時に大多数の朝鮮人は善良な人達であったことも事実です。この事を無視してはいけないと思います。

そして朝鮮人の犯罪の多発により、日本人における朝鮮人差別が強まりました。この事は先日、姜徳相先生の講演を聴きましたが、先生も差別が激しくなったのは戦後であるとの認識のように感じました。

日本が台湾を領有したときのように、当面在日の朝鮮人・台湾人は日本国民として扱い、5年間の内に永住地と国籍を選択するとすれば、あのような朝鮮人の暴行はなかったと思います。そして在日朝鮮人との関係も、もっとスムースにいったと思っています。

アメリカの無知によるのか、日本憎しの余り日本を再起不能にする政策の一環だったのか、そこまでは分かりませんが、明らかにアメリカの政策の失敗によるものと思っています。

自由史観研究会理事 杉本幹夫