3.日露戦争から太平洋戦争までの、アメリカの新聞

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私は、親の都合でアメリカの高校で勉強している10年生です。

高校の、授業の一環で歴史の研究発表(ヒストリーフェヤー)に取り組んでいます。 テーマは、日露戦争から太平洋戦争までの、アメリカの新聞での日本の報道のされ方です。 いろんな、ホームページをみると、この時期、ソビエトによる日米への陰謀、中国のプロパガンダが話題になっています。

個々のケースや写真は見つかるのですが、これに関するまとまった研究はないのでしょうか? また、日本はこのじきアメリカに対してどのような、プロパガンダをしていたのでしょうか? 新聞を、見ていると、日本と利害が対立するときは、それを書かれますが。 アメリカに関係がないと、何の記事にもなっていないことがあります。 一方的に、ソ連や中国にやられていたのでしょうか?

■回答

本会のウェブサイトを訪ねてくださってありがとうございます。 私は本会の理事の一人で、赤野と言います。 元高校教師でLAに住んでいます。

日本の高校と違って、こちらでは自分で調べ、考え、発表するという、 経験ができることが素晴らしいことですね。 是非頑張ってください。

さて、ソ連・中国の陰謀については、 私が直接研究していたテーマではないので詳しい情報はないのですが、 今私の手元にある下記の書物をざっと見たところ、 あなたのテーマに役立ちそうなものがニ三見つかりましたので、 とりあえず紹介しておきます。

□黒羽茂『日ソ諜報戦の奇跡-明石工作とゾルゲ事件−』日本出版放送企画 ・副題にもありますように、ソ連の陰謀で象徴的なのは「ゾルゲ事件」です。

□K・カール・カワカミ/福井雄三訳『シナ大陸の真相 1931-1938』展転社 ・原題はJapan in Chinaです。

□ヘレン・ミアーズ・伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』メディア・ファクトリー ・マッカーサーが発禁にした原著の題はMirror for Americans: JAPANです。

下の2冊は原典が図書館で見つかるかもしれません。

また邦訳本は比較的新しい本なので、 日系書店で注文可能だと思います。 あなたがLA近郊にお住まいならば、お貸しできるのですが……

私の知る限りでは、大東亜戦争中日本の諜報戦略はソ連や中国に比べるとかなり小規模だったと思います。 専門家に言わせればまた違った見解も出るかもしれませんが、 日露戦争の頃に比べると雲泥の差です。

中国は当時さかんにロビー活動を行い、親中派が政府や世論をリードするよう仕向けています。 特に支那事変が始まってからは、日本が残虐行為をしているというようなデマを流して、 そのような流れを作り続けたのです。 南京大虐殺というような話はその延長線上にあるわけです。

しかしあなたのこれまでの調査によれば、 一般の米国市民にとって、1941年12月まで日本が何をしようが そんなに関心がなかったのではないでしょうか。 マスコミは関心のあることを書くものです。

何かお役に立てば幸いです。 あなたの今している勉強が、あなたの生まれ育った祖国である日本をしっかりと見つめなおし、 誇りを持って国際社会に生きていけるきっかけとなることを願っています。

これからも本会のウェブサイトに注目していてください。 何か質問があればいつでも本会、もしくは私にメールをください。

自由史観研究会理事 赤野達哉


4.歴史論争最前線「満州事変・支那事変で教えて貰いたいこと」を読んで

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歴史論争最前線「満州事変・支那事変で教えて貰いたいこと」に次のように書いてあります。
<運命は皮肉なもので、支那事変発生時、石原莞爾は参謀本部作戦課長として現地軍による戦線拡大を押さえようとした。しかし現地軍は「貴方のした事を真似ているだけだ」として、石原莞爾の指示に従わず、泥沼の中にはまりこんだ。一九九〇年代幾つかの企業で、内規を破り投機に失敗して、会社の存亡を問われる事件が発生した。その責任者はすべて、その前のバブル期に会社の内規で定められた以上の投機で大成功し、栄進した人であった。>

  支那事変が泥沼化し、我が国が之を解決できなかった真因は、政府が参謀本部戦争指導班の堀場一雄中佐の警告を無視し、軽率にも汪兆銘政権を樹立承認してしまったことです。

 近衛内閣が汪兆銘政権を正式承認し、国際法上において我が国の交戦相手である重慶政権を完全に抹殺してから二日後の昭和十五年(一九四〇)十二月二日、国民党中央党部の拡大総理紀念週に出席した蒋介石は、
 「敵軍閥が一昨日、汪逆賊のニセ組織を承認し、同時に、敵とニセ組織がニセ条約を発表した。和平のデマ攻勢に失敗した敵が採った、道理に反する荒唐無稽な行動である。この種のホゴ同然のニセ条約は、ニセ組織が、自由意志を完全に封じられて、甘んじて日本の奴隷となることを承認したものであり、根本的には一顧だの価値もない。しかし、中日両国の仇恨史上、将来ひとつの重要な資料となるであろう。しかも、この一枚のニセ条約は、中日両国の戦禍を無窮に延長し、中日両民族間に、百世にわたっても解けない仇恨をもたらすものである。これは、近衛内閣(第二次)最大の罪悪である。」
と近衛内閣を非難し、この日の日記に次のように書き記した。

、「近衛は、無知無能にも、汪政権を承認したことで、中日両国間に解くことのできない仇敵関係をつくりだした。これは敵国(日本)のためにもまことに残念なことであるばかりでなく、さらに東亜のためにも危機感を深めるものだ。」(【蒋介石秘録12】二二一頁)

  よって支那事変を泥沼化させた真犯人は尾崎秀実ら政府軍部内の共産主義者です。

 「日本の当局者の責任は与うかぎり速かに汪運動の全貌を国民の前に明らかにし、国民をしてこれを理解せしむるべきである。汪精衛運動が支那再建の唯一の方策であり日本としては全力を挙げてこれを守る以外に良策なきこと、しかもこれは日本が後日大陸に雄飛し得べき具体的な足がかりを提供するものであることを明らかにすべきである。 日本人はまず心を虚しうして汪運動の前進をはかるべきである。戦勝者の威容をつくることも悪くはあるまい、特殊の要求を持ちこむことも技術的に不可能ではあるまい。後日の保障を求めて置くことも無意味ではないかもしれない。しかしながらあらゆる問題の中で何が一番大切かといえばともかくも多くの困難なる条件によって発展の可能性を縮小されている汪精衛政権の誕生と発展とをはからなければならないということである。 汪精衛運動が民族運動のヘゲモニーを重慶政権との間に争うべき最後の段階はやがてその後に到達するであろう。」(【尾崎秀実著作集2】三七五〜三七八頁、公論昭和十四年十一月号「汪精衛政権の基礎」)

東亜連盟戦史研究所へお越し下さい。

■回答

ご指摘有り難うございました。

私は支那事変が泥沼化したのは、ご指摘のようにコミンテルンの謀略を防ぎきれなかったことにあると思っています。 汪政権の樹立もその一環だと思っています。

しかし同時に石原莞爾の戦線不拡大の主張が通らなかった理由の一つは、満州事変で彼が中央の方針に従わなかった事もあると思っています。中央の指示と個人の主張の不一致について、どの様に処すべきかを考える一例として取り上げました。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


5.歴史論争最前線「ノモンハンの真相」について

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拝啓 茂木 弘道 先生

 こんにちは。お世話になります。先生の「ノモンハンの真相」の続編を心待ち にしておりました。聴衆が、真剣に先生のお話に耳を傾けていたことをよく おぼえております。もちろん、自分も、そのうちのひとりです。

前回の先生の講 義について、全般を通じて感じたことですが、たとえ、さきの大戦で、わが 国が敗戦国であろうと、歴史の偽造はあってならないと思いました。

 僕なりに、ノモンハン事件に関して考えたところ、なぜ、当時、五味川が虚偽 の報告をしたのか、大いに疑問です。これまで、歴史の教科書では、日本 は、ノモンハンで、ソ連の機械化部隊に大敗を喫したにもかかわらず、これを教 訓とできずにアメリカとの開戦に踏み切ったとされています。ところが、ノ モンハン事件の真相から判断すれば、当時の日本軍の装備が古くはなく、将兵の 士気も高かったことが伺えます。同時に、ソ連軍の武器が、近代的であると いうのはデマになります。そうなると、結局のところ、ソ連が、ドイツに勝利を 収められたのは、アメリカからの武器貸与法による武器援助であると断定し ても差し支えありません。

 先生の前回の講義から、自分は、筑波大学の中川先生が『近衛文麿とルーズ ヴェルト』という著書で、日本の北進を主張していた点を理解することができ ました。中川先生は、極東のソ連の戦力をあまり評価していませんでした。も し、北方のソ連の動きを抑えて、満州においてアメリカと共同経営に踏み切っ ておけば、アメリカと開戦することは回避できたのでないかとも考えておりま す。当時も、アメリカとの戦争を望んでいた国民は、少なかったかと推察しま す。そういう意味からの、ノモンハン事件を、たんにひとつの限定戦争ととらえ るのではなく、歴史の大きな流れのひとつと位置付けるべきであると考えて おります。

 そういえば、ようやく、イラクにおいて3人の日本人の人質が解放されまし た。とても、よかったと思います。ただ、3人には自己責任を自覚してほしい ものです。彼らは、アメリカのイラク占領政策に異議を唱えているとお見受けで きます。かりに、アメリカがイラクに介入しなければ、フセイン政権は、温 存されます。それでも、いいのでしょうか?彼らの行動は、見方を変えると、日 本人の国際感覚の欠如を世界に伝えているようなものです。イラクでは、戦 争は終結したものの、以前として、国内は不安定であるのです。この状況を踏ま えて、イラクに入るのは、いかがなのもでしょうか?

 イラク問題に関しましては、私も先生たちのグループの方々、同様、真正なる 自由主義の立場から、アメリカを支持しています。おそらく、先生と交流が あること思いますが、外交評論家の加瀬英明先生も、最近、グラフ社から出され た『独裁者』という著書で、今回のアメリカのイラク戦争は正しかったと記 しています。イラク戦争に反対している心無い左翼系および一部の右翼方々の意 見には承服しかねます。特に野党第1党の民主党の自衛隊のイラク派遣の反 対の主張は、無責任であるとしか言いようがないと思います。先生をはじめと した自由主義を守る立場の先生方には、ぜひとも、アメリカのイラク政策の 支持をネット等を使って訴えて下さることをお願いしたいものです。期待してお ります。

 話題は、先生の講義に戻りますが、これからも、先生には、ノモンハン事件を はじめとした歴史の偽造の解明を強く、希望します。お世辞を申し上げるつ もりはありませんが、前回の先生の講義は、これまで伝えられてきた虚構の歴史 を正確に教えて下さったという点で、とても、実のある講座でした。

 本日は、お忙しいなか、私の至らない長文にお付き合い頂きまして、ありがと うございました。今後とも、よろしく、お願い申し上げます。

■回答

「ノモンハンの真相」もう一回やってくれという声がありましたが、5月に続編をやることになりました。心待ちにしている、とおっしゃっていただいて大変有り難く思っております。

実は、前回ご報告した内容に関しまして、その後防衛大学で教えていた方から疑問と批判を頂きました。専門の方でもこんな思い違いをしているのか、と驚かされることが沢山ありまして、そういういわゆる一般通念となっている間違いを次回にはもっと詳しくご説明しようと思っております。あの時に質問が出ました、ゾルゲ事件との関連もその後調べておりまして、そのあたりのこともお話しようと思います。ただし、はっきりいいますとゾルゲはノモンハンに関しましては、「本人が思っているほど」貢献しているわけではない、というのが私の結論です。

北進南進問題で最高機密を尾崎を通じてつかんだのは大功績ですが、 ノモンハンの時は、そんな機密をさぐらなくとも、政府が「不拡大方針」を公然と発表していますので、スターリンは「安心して」可能な限り最大限の兵力を700キロの距離の彼方の外蒙の戦闘地に送ることができたのでした。ゾルゲの助けなど必要としていなかった、といってもよいでしょう。

いずれにしましても、ノモンハン事件は後の戦争、更には今の戦争(歴史偽造・自虐マインドコントロール戦争)と深く結びついていますので、よりトータルな解明が必要であると思っています。

自由史観研究会会員 茂木弘道


6.情報提供と意見

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 こんにちは、よく「教科書が教えない歴史」のホームページを閲覧している者です。

私も小学生や中学生の頃は、教師が持ってきた(学校で推挙していた?)本で、戦争の歴史を習いました。  しかし、逆にそれらから近世の歴史に興味を持ち、いろいろ戦史を調べていくうちに、その小中学校の知識と、本格的な戦史雑誌「丸」や、当時の兵士、将校の手記を読むうちに、「何かおかしい」と感じるようになりました。

 そして、何年が前に、外国(シンガポール)の日本人向け書籍売り場で見つけた「教科書が教えない歴史・マンガ版」を立ち読みしたところ、その疑問がほぼ氷解し、より本格的に調べるようになり、現在に至っています。

 とはいえ、今回メールしたのは、この本に対する感想ではなく、情報提供です。

 今は亡き母方の祖母が話していたことで、「たこ部屋」、つまりは強制労働についてのことです。 「そんなことを言うからには、中国人か北朝鮮人、韓国人の方ですか?」と聞き返されそうですが、無論違います。確認できた限りでは、数百年くらいにおいての大陸との縁は、ほぼ出征くらいしかありません。

 で、本題の「たこ部屋」についてです。

 私のとある遠縁の人が、遊び癖のある人だったようで、ある時うまい話にだまされて、いわゆる「たこ部屋」に連れて行かれたそうなのです。  しかし、運良く逃げ出すことができ、実家に戻ることができたそうです。  とはいえ、食事もまともに与えられていなかったらしく、かなりやせ衰えていたので、まわりが「まずはおかゆから」と、弱った身体をいたわった食事を与えていたところ、「もっとはらいっぱい食いたい」と、倉の中のものを持ち出して売り払い、実家から逃げ出してしまった、という話です。

 聞いた当時は何となく「不良っぽい人は、いつの時代にもいるもんだなあ」と思っていましたが、あとあと考えると、義務教育時代に習う知識(反日史観)とは別のものが含まれています。 『その親戚は、日本人なのに「たこ部屋での強制労働」をさせられた』 つまりは、「たこ部屋」自体は当時存在したことは間違いないのでしょうが、そこにつれてこられる人間は、中国人だろうが南北朝鮮人だろうが日本人だろうが、当時の日本の主権が及ぶ地域から、不良業者にだまされてつれてこられた人たちだということです。

 その親戚も、日本の町中を歩いているときに日本軍のトラックが来て、無理矢理連れて行かれたわけではないでしょうから、素直に業者の「うまい話」に引っかかったのでしょう。  こういう、人夫を募集して工事を行う業者には、現在でも不良業者がいるという話ですし(去年か今年でしたか、浮浪者を都会で集めて、遠隔地の山奥で働かせて、給料をほとんど支払わないで、反抗的なものは殺して工事現場に埋めていた業者がニュースになっていました)、当時だけの話ではありません。

 無論、当時も軍が関与するような話ではなく、当時の不良業者だけの話でしょう。 「たこ部屋」と呼ばれる、強制労働は、不良業者のうまい話にだまされて一山あてようとしてつれてこられた、国籍に関係ない人たちが働かされていた場である、証拠の一つだと思います。

 あと、もう一つの話を。  当時の話ではなく、現在の話です。  今回、イラクで日本人が三人人質にされたとき、市民運動家のみなさんが、急に署名活動をしておられましたが、その話です。

 私の地元が北海道札幌市なので、かの御仁達を「救おう」と署名運動を行っていたようですが…そのネットワークの動きが、あまりに素早かったのです。  彼らはメールで連絡をとりあって、自衛隊派遣反対の署名運動依頼をし、その日から運動が始まったそうです。

 それをやっていた横を通ってきた友人に聞いたところ、通路を妨げるように署名用紙を差し出し、明らかに通行妨害だったそうです。  しかも、その用紙に書かれている団体名が、共産党にも相手にされなくなった「極左」の団体名が書いてあったそうなので、友人は署名をしなかったそうなのですが……

 それはともかく、中国や北朝鮮、韓国から、例えば「靖国公式参拝」などで日本に抗議が来たときに、貴会や同様の主張をしている団体が、こういうレベルでの抗議活動を、横のつながりを使ってできるか、と言うことについては、少々疑問に思っています。

 以下は、貴会ホームページにあった「ご意見箱」からの抜粋です。

<3.自由主義史観研究会と新しい歴史教科書をつくる会

現在は全く別の団体です。しかし共に藤岡信勝先生が立ち上げた団体です。
藤岡先生は最初自由主義史観研究会を立ち上げられ、次に新しい歴史教科書をつくる会を立ち上げられ、会長に西尾幹二氏を引っ張り込まれました。従って新しい歴史教科書をつくる会設立当初は、つくる会の事務所は自由主義史観研究会の事務所の中に作られました。

つくる会の会員拡大に伴い、事務所は別になり、次第に疎遠となりました。自由主義史観研究会の主催者は今でも藤岡先生ですが、つくる会では藤岡先生は副会長に過ぎません。>

 これを私が読んで思ったのは、もし違ったら申し訳ないのですが、「活動範囲が違うので、別団体になった」と言うよりは、「すでに両団体は不仲」ともとれます。もしそうなら、これではいろいろな外国からの圧力に対して、各団体共同しての論陣や活動を張ることなど不可能のように感じます。

 左傾市民団体の「素早さ」については、ホームページなどでは「赤軍が背後にいる陰謀論」も出ているようですが、それを置いておいても、右(便宜上こう書きますが、私は中道思想だと思っています)の思想家、市民活動家の動き(特に横)は、あまりに鈍いと思われます。

 せっかく「インターネット」というものがあるのです。  ぜひもっと活用して、同様の主張をしている活動家との横のネットワークを作って欲しいです。

 的はずれかもしれない苦言が混じってしまい、申し訳ありませんでした。  これからも、日本、そして日本人の本来の文化、歴史を取り戻すよう、活動をよろしくお願いします。

■回答

メール有り難うございました。

たこ部屋というのは、炭坑や土木工事の飯場(特にその中の仕置き部屋)の蔑称です。勿論日本人もいました。と言うより日本人の方が遙かに多かった筈です。

当時は建設機械が殆どなく、これらの現場は、つるはしやスコップで掘り、もっこで担ぎ出すという大変な重労働でした。又一つの現場には大変多くの人手が必要でした。 従ってこのような職場に集まる人は一筋縄で扱える人ばかりではなく、それと共に監督者にも暴力団が絡む場合が多かったようです。又、博打ですってんてんになり、その穴埋めに人一倍の重労働をさせられたという話も聞きます。

江戸時代の人入れ稼業としては播随院播随院長兵衛が有名ですし、山口組も神戸港の沖仲仕の元締めだったと聞いた記憶があります。 勿論大半の企業は善良な技術者集団だったと思います。

自由主義史観研究会と新しい歴史教科書をつくる会は決して不仲になっていません。

もしそのような誤解を与えたとすれば、私の文章力の不足です。依然として藤岡先生が「新しい歴史教科書をつくる会」の中心人物であり、我々が支援していることに変わりはありません。

左翼の運動家の激しさ、ネットワーク作りの上手さに見習うべき所があることは認めざるを得ません。まだまだ努力がたりないと言われればその通りでしょう。朝日新聞やNHKに洗脳された人が圧倒的に多いですからね。しかし数年前に比べると風向きはかなり変わってきたと自負しています。

これからもご支援下さるようお願いします。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■投稿(2)

素早いお返事、ありがとうございました。

 「たこ部屋に対する情報」は、まさに「釈迦に説法」の形になってしまい、恥じ入るばかりです。

< 自由主義史観研究会と新しい歴史教科書をつくる会は決して不仲になっていません。 もしそのような誤解を与えたとすれば、私の文章力の不足です。依然として藤岡先生 が「新しい歴史教科書をつくる会」の中心人物であり、我々が支援していることに変わりはありません。>  どうやら、単なる私の邪推だったようです。事実誤認、申し訳ありませんでした。

< 左翼の運動家の激しさ、ネットワーク作りの上手さに見習うべき所があることは認めざるを得ません。まだまだ努力がたりないと言われればその通りでしょう。朝日新聞やNHKに洗脳された人が圧倒的に多いですからね。しかし数年前に比べると風向きはかなり変わってきたと自負しています。>

 事実、少しずつですが、風向きは変わってきている気がします。

 私は、某ゲームサークル(政治、歴史などとは全く関係ないもの)に参加しているのですが、やはり選挙時期や大きな事件が起きたときなどは、ほとんどが成人なので、集まったときに雑談の中で、少々ゲームとは関係ない政治の話が出ることがあります。  そのときのメンバーの話の感触からして、「左翼」は少なく(というよりほとんどおらず)、かなり保守政党の言葉と同じような意見を言う人が、ほとんどです。

 どう見ても、「市民活動家」達は少数が無駄に大きな声と無駄に大きな運動を起こしており、声をあまり出さない多数のほとんどが「保守」のような気がしてなりません。  実際、政治系のホームページをいくつも回っても、「黒い街宣車」の右翼ではなく、「健全な保守層」が多いことも目につきます。彼らホームページの作者も、顔を出しての活動はできなくとも、ネット上での活動を盛んに行っていて、頼もしい限りと感じております。

 この「声なき」「声を上げられない」保守層に、ぜひ堂々と声を上げさせることができる世の中を作られるよう、これからの活動をお願い致します。