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■投稿(1)
杉本様、昨日Wさんが韓国の動きに危惧を表明されていたことに対する
私の反論を参考までにお送りします。
「それは386世代の登場が原因で、韓国社会がそれだけ言論の自由が認め
られる社会になった証拠なのだ」
「だから、心配ありません」
→ つまり、「不穏な動きとは、今まで少数意見として(弾圧?)表面にあらわれ
なかったものが
顕われたにすぎない」「少数意見でも認められる成熟した社会になった証明である」
最近韓国では、「大韓航空爆破は北朝鮮の陰謀ではなかった」という小説『背後』
がベストセラーになっていると言う。さらにミャンマーにおけるチョンドファン全斗
煥大統領爆破未遂事件も、KGYの陰謀と言っている。このような北朝鮮を利する動き
に対して、危機感を感じる方々も会員の中にいるかもしれない。
しかし、それはある意味韓国がそれだけ成熟し安定した社会になった証拠とも言え
るのだ。つまり、言論の自由を認める本物の民主的社会になったということである。
ところで、私もこの二つの事件に対しては、「386世代」と全く同じ疑惑を感じ
ている。事実、当時『週間ポスト』も私と同じ意見で、事件の洗い直しをしていた。
『北朝鮮に消えた女』(野田峰雄著JICC出版)という本が本棚にある。
いずれにしろ、韓国も真実を追究できる時代になったのである。『親日派のための
弁明』は即発禁処分、だが2003年に再出版され、今では著者金氏は平然とソウルの街
を闊歩しているとのこと。
現在日本を動かしているのが団塊の世代であるとすると、韓国の場合「386世
代」が業界を動かしているのである。従って、彼らの動きを注目すれば韓国のこれか
らの動きがわかるのである。
以下、「386世代とは何か?」、に対する興味深い回答を、『親日派のための弁明』の著者・金完燮の新作『日韓「禁断の歴史」』小学館 より
OCRコピーしてお見
せしよう。読みやすくするため段落を多くした。
「第三章 北朝鮮への処方箋」中、p92タイトル
韓国「386世代」が抱える対北シンパシー
独裁政権への憎悪から北朝鮮工作員を支持した若者たち
最近、日本人と話をすると北朝鮮に対する韓国の態度に批判的な声をよく聞く。
例えば、北朝鮮に拉致された韓国人が数百人もいるのに、なぜ日本人拉致事件には非
協力的なのか、あるいはいくら同民族だからといって北朝鮮のようなヤクザのような
国家に対して、韓国人たちはどうしてそのように友好的なのか、といった批判だ。最
近、筆者と『日韓大討論』(扶桑社刊)というタイトルの対談集を出版した電気通信
大学の西尾幹二名誉教授も対談中に同じような話をしていた。
彼は北朝鮮が犯した犯罪の代表的な例として、1983年の韓国のチョンドファン全斗煥
大統領暗殺未遂事件と1987年の大韓航空機858便の爆破事件などを指摘したが、この
ような認識は北朝鮮問題に関する日本人の典型的な理解をある意味で象徴している。
すなわち大韓航空機爆破事件は北朝鮮政府の指令により、金賢姫らが実行したことと
して知られているが韓国ではまったく違った見方もある。
個人的にも、この事件は政権を維持しようという韓国の軍事政権と米国の合作劇だっ
たという疑いを捨てきれない。最近、韓国にはこのよりな立場で書かれた『背後』と
いう全2巻の小説が出版されたが、韓国社会の386世代(2000年の総選挙のころにはや
り出した言葉で当時、30代で1980年代に学生だった1960年代生まれ)なら、こうした
認識はほとんど常識ではないかと思われる。
『金正日の料理人』一同社刊一でも、この事件の真相を垣間見ることのできる元料理
人の証言がある。韓国のマスコミの報道によれば、金正日がこの料理人に大韓航空機
爆破事件について、「この事件をわが国がやったと思うか」と聞いたというのだ。
当時、韓国の軍事独裁政権と米国に反対していた北朝鮮がどのような理由で多くの民
問人が乗った民問航空機を爆破するというのか。北朝鮮社会のシステムに関する理解
が少しでもある人ならば、」のようなテロは、実行はもとより論議そのものが不可解
だといえよう。
1988年のソウル五輪を妨害するためだったという主張もあるが、そのために9ヶ月も
前に事件を起こしたということも、納得ができない理由のひとつだ。
1983年、ミャンマーのアウンサン廟で発生した韓国大統領暗殺未遂事件についてもそ
うだ。大部分の韓国人はこのニュースが報道されたとき、独裁者・全斗煥大統領が暗
殺されてくれればと願った。しかし惜しくも随行員たちだけ爆死して全斗煥大統領自
身は無事に生き残り帰国した。そして韓国人の凶賊を排除しようと努力した北朝鮮工
作員たちに対して、私たちは心からわき起こる感謝の気持ちと同族愛を感じたのだ。
1975年に発生した在日韓国人青年の文世光による朴正煕狙撃事件についても、韓国の
民主勢力はその背後に北朝鮮がかかわっていると考え、大変ありがたく思ったもの
だ。そのころ、私たちの世代は(私も含め)軍事独裁政権を終わらせることができるの
なら、赤化統一(韓国を共産主義化して、南北を統一すること)されてもいいと思うほ
ど独裁体制に嫌気が差していた。
北朝鮮で発展し韓国で潰された主体思想
1980年に発生した光州事件でも似たような経験がある。筆者はこの事件の最後の闘争
に参加した当事者でもあるが、その時、光州は全斗喚の軍(戒厳軍)によって完全包囲
されていたし、すべての韓国メディアは真実とは隔たった報道をしていた。当時、光
州市民の側にたって報道していた唯一のメディアは北朝鮮の朝鮮中央放送だけだっ
た。
そのため当時、光州市民は一日中、家で北朝鮮の放送を聞くことで、この事件の成り
行きを詳しく知ることができた。私も後で全斗換の軍によって逮捕され、一日中、北
朝鮮の放送を聞いた」という代価として、まだ未成年だったにもかかわらず、とても
耐えられないようなひどい拷問を受けなければならなかった。彼らは、私を「南派ス
パイ」(韓国に送り込まれた北朝鮮のスパイ)と断定して、捜査記録に「特A」と赤
い字で書き記した。
30年以上にわたって軍事独裁政権に対立して闘争する過程で蓄積されたこのような経
験によって、韓国の学生運動家たちは、北朝鮮に対して徐々に同民族としての親しみ
を感じ始めたし、彼らこそ本当のデモクラシーの友軍だと思うようになった。米国と
日本は韓国の軍事独裁政権を支援していたので、韓国の反政府勢力には自然と親北朝
鮮、反米、反日の気運が形成された。
その結果、1980年代半ばに韓国では自主的な主体思想派グループが組織され始め、こ
のグループは学生街で熱狂的な支持を得て、1980年代後半になると学生運動の主流と
して浮してきた。韓国では、彼らを略して主思派(チュサパ)と呼ぶ。
主体思想は、1926年当時、14歳だった金日成が満州で打倒帝国主義同盟を結成しなが
ら始めたとされる。彼は概して聡明で好感を持たれる性格を持ったゲリラのリーダー
だったと考えられる。金日成は1930年代以後、満州と朝鮮半島北部で日本軍を相手に
抗日パルチザン活動を展開する過程で、一時は200人余りを指揮する革命家として勇
名を轟かせ頭角をあらわした。
しかし、1930年代後半、日中戦争が始まってからは、日本軍の討伐をうけ、ソ連に逃
げるしかなかった。ソ連軍は金日成に大尉の階級を付与し、彼の指揮下に朝鮮人部隊
を別編成した。日本が戦争に敗れると朝鮮半島北部を占領したソ連は、金日成部隊に
北朝鮮の統治を全権委任し、以降、金日成は死ぬまでの約50年問、この地域で絶対的
な権力を行使した。
金日成は初期の20年間、マルクス・レーニン主義を統治理念にしていたが、中国で文
化大革命が始まったころ、主体思想を打ち立て、朴憲永などの政敵たちを排除し、北
朝鮮を個人崇拝国家にした。以後、主体思想は北朝鮮で体系的に発展したが、韓国社
会では厳しい思想弾圧によってほとんど普及することはなかった。
抗議自殺続出で葬儀場と化したソウル大
ソウル大学は朝鮮総督府時代に設立された京城帝国大学の後身で、大日本帝国政府が
直接運営していた帝国大学の一つだった。韓国が独立した後も京城帝国大学は韓国社
会の中で最も権威ある教育機関として発展したし、現在も、この大学が英才を独占し
ている状況はますます強まる傾向にある。しかし、韓国社会でソウル大学の権威は政
府の支援と学問的な成果だけではなく、軍事独裁時代に最も献身的で熾烈に闘争して
きたという政治的な道徳性によって、より強まった。
ソウル大学の反独裁の闘いは「殺身」(大義のために命を捨てる)の歴史だ。1975年、
金相鎮の割腹自殺以降、1981年の金太薫の投身自殺、1982年の黄貞何の投身自殺、
1986年の金世鎮、李載虎、金東秀の焼身自殺、1987年の趨星満の焼身自殺など、学友
たちが反独裁闘争を訴えて、仲間の意識を喚起する政治的な自殺事件が相次いだ。ソ
ウル大学の七.ヤンパスはいつも葬儀場と化したし、学生たちは友人の死に報いるた
め、快く学業をあきらめて職業革命家に転じた。1986年の報道によれば、当時、ソウ
ル大生の16%がーか月以上投獄された経験がある前科者だった。ソウル大生たちは誰
もが革命家になるように求められたし、学業にだけ専念する模範的な学生たちは自分
の出世だけを考えて大義を捨てる人間のクズのように扱われた。韓国を代表する大学
はどこも反独裁の闘いの戦士を養成する軍事基地に変貌したのだ。
「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫んで焼身自殺した学生も
この過程で、1985年ごろ、韓国最初の自主的な主体思想グループが形成された。最初
の主体思想グループは当時、ソウル大学法学部と自然科学部の地下グループとして形
成
以下 略
自由史観研究会会員 大場敏夫
■回答(1)
投稿有り難うございました。私自身の感想としては、「韓国の青年は朝鮮戦争が何故起こったのか、もっと勉強して貰いたい。」と言うことです。
親日派糾弾法を制定し、かっての軍事政権を糾弾するのが、なんで言論の自由が認め
られることになったのか、私には分かりません。
これは朴謹恵に対する政治的な弾圧としか思えません。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
■投稿(2)
韓国で「親日派糾弾法」を制定などということを私は知りません。
たとえ制定されたとしても、私は少しも心配していません。
私はオリンピックの前釜山へ、また総督府が壊され前にソウルに行きました。
ソウルでは私たち夫婦にガイドがいる旅で、私の願いで江華島に行きました。
江華島近くに博物館もありましたが、江華島を含め一切反日の臭いのするものはありませんでした。と言うより、日本イルボンの”イ”さえもありませんでした。
日本人が来るから”民族博物館”だと思いますよ。
日本人の来ないところでは、やはり日本なんて関係ないんですよ。
オリンピック前の釜山でしたが、露天の本屋ですら日本語の週刊誌月刊誌を売っている。
ましてや専門の日本語のみの本を売っている本屋もありました。その時日本に帰って、調べたら日本語を第二外国語として学んでいる学生はNo1でした。
あまり表面的なことで、カリカリするのは問題ではありませんか?
自由史観研究会会員 大場敏夫
■回答(2)
今問題になっている親日派糾弾法をご存じないのですか。
この法律の制定により、与党ウリ党の党首・辛基南国会議長が議長職の辞任に追い込まれたとのことです。
理由は父親が日本統治時代、日本軍の憲兵だったからとのことです。これだけの事で国会議長を辞任しなければならない事を異常と思われないのですか。
更に廬武鉉大統領は、新たに戦後の軍事政権時代の事件についても洗い直しを計画中との事です。まさに朴槿恵女史をねらい打ちしようとしていると思われても仕方がないのではないでしょうか。李朝時代の政争そのものです。これで言論の自由を認める本物の民主的社会になったといえるのでしょうか。
最近呉善花氏と今一人満州出身の朝鮮人の講演を聴きましたが、二人とも韓国へ行くのに身の危険を感じると言っていました。
天安の民族独立記念館をご覧になりましたか。壮大なスケールで反日を煽り立てています。南京の抗日記念館より大きいのではないでしょうか。江華島の博物館が反日の色が無かったからと言っても、あれだけのスケールで、あれだけ多くのお客を呼び、反日を煽り立てている博物館を放置していて、心配はないと言われる神経が理解できません。
金完燮の『親日派のための弁明』は発禁処分になったことはありません。有害図書の指定を受け、本屋で立ち読みできないよう、ビニールカバーを掛けさせられただけです。当時も別に拘束されたわけではなく、ソウル市内を闊歩していたと聞いています。但し嫌がらせは続き、最近も既に亡くなった人に対する名誉毀損で訴えられたとの話を聞きました。
386世代が光州事件の反動だという事は理解できます。しかし朝鮮戦争が何故起きたか、北朝鮮の実態を調べれば、彼らのような主張ができる筈がありません。私は北朝鮮工作員の工作の成果が出てきているように感じます。私は386世代を中心とした韓国の左傾化に不安を感じます。
私は芸能面や、経済面で日本との交流が深まることと、歴史認識が親日的になることと殆ど関係がないと思います。
今冬のソナタ等で韓国ブームですが、歴史認識が或る程度の合意を得られない限り、真の日韓友好は得られないと思います。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
■投稿(3)
現在のところ、以下のコメントに対する適当な反論はありません。ただ、私は対極的な歴史の流れから見れば、親日が主流で、以下の法律も政府がやっていることで、国民全員が同調しているとは思えません。きょうの朝のテレビでは、V6がついに韓国で日本語デビューし、近日の公演では30名もの韓国報道陣が詰め掛けたとの事。
「歴史認識が或る程度の合意を得られない限り、真の日韓友好は得られないと思い
ます」と言うご意見には、反論します。台湾を考えてみてください。いつ台湾は歴史
認識について合意して、反日から親日になったのでしょうか?
まさに、李登輝総統が登場して外省人の反日が薄れ、内省人(台湾人)の親日が
圧倒的になっただけに過ぎません。今でも外省人の「新しい教科書反対運動」や総理
の靖国訪問に対して反対デモは行われているはずです。
韓国も同じです。しかも日本語とハングルは文法構造は同じ。また、インフラ
(例えば、社長・課長・係長・有給休暇など)の全てが日本統治時代をそのまま→ハ
ングル語にしただけ。道路はドロ、電車はキチャ等等。
私は、現在の韓国の「文化を開放」政策の状況は、1905年の日韓保護条約の頃
の朝鮮と同じだと思います。津波のように押し寄せてくる日本の文化に、危機感を持
つ一部の反日派が、憂国の志士を気取って親日派を攻撃しようとしているだけ。
呉善花女史が危険を感じているというのは、当時の李容九の状況と同じです。そ
れでも朝鮮民衆は日本支配を喜んで受け入れようとする雰囲気は加速していったので
す。
私は反日が親日に変わるのは理論的説得ではなく、情緒的→一言で言えば彼らの
自尊心が満足すれば、変わると考えます。
1.韓国の橋は落ちたが、統治時代の橋はビクとしない。日本の建造物は絶対に
壊れないと思っていた。ところが、関西大震災では、日本の建物の完全ではなかった
ことが分かった。
2.本来日本人は韓国・朝鮮人を差別しているのを隠しているが、大震災でも起
れば、きっと関東大震災のような虐殺が起るに違いない→起らなかった。
3.日本人は韓国・朝鮮人を劣等民族と考えているので、自分たちの文化を評価
することは絶対ないと思っていた。→ところが、「冬のソナタ」は大ブレークし、ペ
・ヨンジュンは日本のオバちゃんたち「ヨンさま」と呼ばれるようになった。
韓国映画も日本でブレークしている。
互いに対等に評価ができるようになった時、はじめて自国の歴史を客観的に見れ
るようになるものです。そして、現在韓国は日本に対し、すこしづつ劣等感が薄れ、
客観的も自国の歴史を見れるようになっていると確信しています。
もう、大統領や政府が、国民の嗜好を操作できる時代ではなくなったのです。一つ
や二つの反日法案に一喜一憂するのは馬鹿げています。
年齢も考えず、申しわけありません。
自由史観研究会会員 大場敏夫
■回答(3)
貴方の予測が当たれば嬉しいのですが。
台湾は李登輝の登場により、言論の自由が確保されたのです。
韓国は情緒面での日韓交流が如何に深まっても、言論の自由がありません。父親が日
本軍の憲兵だったというだけの理由で、国会議長を辞めなければならなくなった現状
は、良い方向に進んでいるとは思えません。
1972年中国と国交を回復しました。その頃は殆ど反日感情はなかったのです。
反日感情が出てきたのは1980年代、江沢民が反日教育を始めてからです。
経済交流、文化交流は1970年代とは比較にならないほど盛んになっていますが、
反日感情は経済交流、文化交流と無関係に加速しています。
韓国・中国の反日感がアメリカに拡散していま
す。韓国人が自信を持ってきたとき、始めて冷静に歴史を評価できるとのご意見は理
解できます。しかし冷静な評価がマスコミや社会から圧殺・迫害を受けているのが現
状ではないですか。
なかなか貴方のように楽観的になれません。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
■投稿(4)
添付論文はインターネット・電話で掲載していた私の論文『世界に貢献できる
ニッポン精神』の愛読者からのメールに対する回答です。
現在「韓国は情緒面での日韓交流が如何に深まっても、言論の自由がありませ
ん。」に対する反論として、「私の韓国現代史観を明らかにしたい」と思いOCR
コピーをして投稿します。
私の韓国の未来について、楽観視し始めたのは決して最近始まったことではあり
ません。
オリンピックが終り、漢江で橋が落ち、また朝鮮総督府撤去が決まった折、ソウル
に滞在したころには、すでに楽観論はスタートしていました。帰国したころデパート
崩壊のニュースがはいったのです。
そして以下のメール回答のように、関西大震災、地下鉄サリン事件が起ったのです。
以下の回答のように現在の韓国民には、日本にたいするパラノイア(誇大妄想)は殆どないはずです。国会議員の一部が反日的な法案を決めたとしても、韓国庶民の生活には変化はありません。それは、日本とアメリカとの戦後史とも似ています。
日本も第一次オイル・ショックまでは、常にアメリカの顔色を窺い続けていました。パラノイア症候群だったのです。しかし、第一次、第二次ショックを上手に乗り越えてしまった頃には、アメリカに対する関心は薄くなりました。少なくとも若者たちには、畏れも恐怖もありません。
現在の韓国庶民もすでに成熟し、客観的に物事をみれるようになっているのです。
在米コリアンの見解にも心配していません。「フライ・ボーイ」など反日評論に躍らされているだけ。
ところでThe Japan TimesのBoard OKs Nationalist―bent History text のナカムラ・アケミを読まれましたか?
メールを消去してしまったので「つくる会」のダレが批難していたか忘れましたが、それほど危機感を持つような論調ではありません。
批判用語は相変わらずですが、論調が変わってきた。多分「拉致問題」が明らかになり、あまり一方的な批難ができなくなっているように感じます。
また閑があったら訳して見ます。
自由史観研究会会員 大場敏夫
■回答(4)
大筋については貴方のおっしゃる通りです。一部に歴史を冷静に見、身の危険を顧み
ず発表している人が増えつつある事は事実と思います。
問題は未だに金完燮が迫害され、呉善花も帰国は身の危険を感じると言っていること
です。
国会議員の一部だけで反日的な法案を決める事はできません。過半数の賛成がなけれ
ば決められないはずです。
国会議員の勢力分布は近年非常に左翼化しています。この動きと親日派糾弾法の制定
が、リンクしているのではないかと懸念しているのです。
植民地搾取論の原点はマルクス主義です。
日本や中国の例を見ても教育の影響は大きいだけに、まだ貴方のように楽観的には見
られません。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
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