7.日本の精神文化の源流〜八百万の神を大切に〜

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自由主義史観スタッフの皆様。突然このようなお便りを差し上げます 不躾をお許しください。小生は「新しい歴史教科書をつくる会」の趣旨 に賛同し(今期からは会員として)この素晴らしき運動を支援してをります。 「つくる会」のホームページより、御研究会ページへと足を運び、お便り 申し上げる次第です。御研究会の藤岡先生を始めとする皆様の趣旨にも、 大いに賛同している小生ですが、今回の文面、御研究会の趣旨に合致する ものかどうか甚だ不安ではありますが、暫しお付き合いくださいませ。

現在の歴史教育の現場で軽視されてきたと思われるものの一つに、日本 の精神文化の源流たる「神話」があります。日本の先人たちは、この豐か な神話を語り継ぐことによって、自らの心の支えを築き、美しい文化を 作り上げてきたのではないでしょうか。小生自身も、美しい神社を目の当たり にしたり、日本の神々によってつくられた(不適切な表現であればご容赦願います) 風土・文化のなかで暮らすことで、(甚だ若輩者ではありますが)日本人 としての誇りを培ってきたと思ってをります。

しかしながら現在の日本はどうでしょう。日本古来の神々を(教育の場において) あまりに軽視してはいないでしょうか。日本の大切な精神文化「神話」を何故 きちんと語り継がれるべきものとして、教えないのでしょう。

教える教師陣の、イデオロギー的な態度にも問題があると思われます。少し話題が 逸れるやもしれませんが、小生の体験談に、このようなものがあります。 小生が中学生の時分です。第二次大戦について学んでいたときのこと、戦没者の 話題の中で、同級の女の子がこんなことをを言いました。

「戦没者の皆さん、兵隊の皆さんは、靖国神社にお祀りされているんですよね。 日本のために窘しい決断をして、命をとられた人たち…かわいそうだけど、そう いう人たちが今は「神さん」として私たちを守ってくれてるから、感謝すべきです。」 彼女は尤もなことを言ったものです。小生も内心肯いておりました。日本人なら そういう感謝の気持ちをもって当然ではないでしょうか。

けれども悲しいかな、そうで はない人も大勢なようです。その彼女の発言をうけた歴史教師の憤慨ぶりたるや 凄まじいものでした。やれ、日本人の罪だの、神話復活はダメだの、それで苦しんだ 韓国や中国の人がいるなど…今にして思えば見当違いも甚だしい議論を蜿蜒とその 女の子に話し出しました。挙句にはクラスの皆に同意を求める始末です。 彼女も傷ついたでしょう。小生も憤懣やるかたない気分だったのを今でも覚えて います。

あれから十数年、いまでもそんな授業が行われているのでしょうか。世に蔓延る現行 教科書を具に見れば、その不安も募ります。「自由」のない、凝り固まった歴史観で 育つ子供たちをこれ以上増やしてはならない、そう感じます。(閑話休題的な余談で ありますが)日本人たる小生が(小生は四肢を患っているのですが)「韓国・中国の 人が日本人から受けた苦しみに比べれば、お前の病気なんてなんでもないよ。」などと 日本人自身からいわれるのは、もうおしまいにしたい。日本人の誇りよ、何処へ!

だいぶ話が逸れました。失礼しました。日本人の自由な姿勢、誇り高い態度を取り戻す ためにも、精神文化・八百万の神々を大切にし、語り継げるような授業を、「歴史」 において展開していくべきである、そう考えます。神社で手を打ち、拝礼したときの あの清清しさこそ、日本人の源流・所以です。

長々と拙なる文を繰り広げてしまいました。ご容赦ください。御研究会の「自由主義 史観」に基づく授業で、誇り高い日本人が沢山育つことを、切に願ってをります。 未来の子供たちのため、風に櫛り雨に沐う御研究会の皆様に、心より敬意を表します。

■回答

メール有り難うございます。

日本の歴史教科書に神話は絶対のせるべきだと思っています。神話は伝承です。シュリーマンによるトロイの遺跡の発見の如く、将来新たな発見がないとは言えません。

又お説の通り、神道は日本精神文化の源流です。 あらゆる所に神がいる。何をしてもちゃんと神様が見ている。このあらゆる物に敬虔な心を是非若い人に引き継いで貰いたいと思います。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


8.左目で歴史を眺め「中庸」といひ

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拝啓 初めてお便り申し上げます。 今回、貴ホームページを拝読し、私なりに感ずるところがありましたので、 意見と申しますと大変おこがましうございますが、一感想を申し上げたく 筆を執りました。

貴ホームページにおける「歴史の見方」を拝見し、現在までの歴史が如何に 一方的で「片側」しか観ていないものであったかを痛感いたしました。 本来、歴史は先人の考え方や感じ方を学び、自国の果たした役割や、英雄に 敬意を表しながら自らの文化を豊かにしていく、「楽しい」ものである筈です。

けれども、今までの歴史授業は「中庸」「平等」の名の下に(実はそれが「左目」 で眺めた頗る一方的なものであるにもかゝはらず)その「楽しさ」を翳んだもの にしていたのです。

日本の国のために尽力した人物を、悉く蔑む。その時代の状況を顧みもせずに。 「講談」において語られる日本国の混乱を最小限に抑え、安寧な統一国家へと導くことに 尽力した、太閤秀吉。その人柄と努力に、私は何か熱くこみ上げるものを感じたもの です。しかしながら、教科書における秀吉は、朝鮮に侵攻しようとしたという 「悪人」です。(これは私にしてみればありえない。教えることではない。)

韓国に媚を売る類いの人々は、何かといえば上記のことまで遡って持ち出し、批判 を繰り広げます。間違いだらけの一方的認識で。韓国併合然り、伊藤博文然りです。 全く以て不愉快な話です。「謝れ、反省しなさい。そうして初めて「平等」な歴史 認識を持てるのだ。大罪を犯した日本人よ、謝れ。」…これでは「楽しい」歴史は できません。そんな「左目」でしか歴史を眺めていない人々が、「自由」だの「平等」 だのといって大きな顔で胡坐をかいてゐるのですから、異常です。

「平等に歴史を観る」というなら、「栄光・努力」にも目を向けるべきでせう。日本人 の誇り高さ、努力と勤勉、そうした英雄たちへの崇敬の念など(これらこそ「教える べきもの」ではないでせうか?)をヒタ隠しにして、人数ばかり多い抵抗派に媚を売る 歴史観を「平等」とは。声の強いものがすべてなら、この国に自由はありません。 そういった人々を穏やかに右目で見送り、真摯に生きている(私も恐縮ながらそんな 一人と自負してゐます。)人々の誇りを捫り潰すことは、許されません。

「従軍慰安婦」「強制連行」・・・「日本人は悪い!」ありえない事実を声高に叫ぶ 人々、其れに媚び諂い、迎合する多くの人々…ウケのいい「お涙頂戴」話に、安易に 同意するのは楽かもしれない。何につけても安易に反対するのは楽なもの。けれども 結果、其れが事実を歪めていることに彼らは気づいてゐるのでせうか。事実を捻じ曲げ てまで「平等」がほしいのでせうか。そうならば、矢張り異常です。

日本人に自信と誇りを取り戻し、「楽しく」生き生きと過ごせるようにするには、上記 のやうな異常を打破し、真摯に「左右の目で」眺めた歴史教育が必要なのです。 貴会の皆様の活動の意義は、充分にあり、この国に必要なものです。安易な「平等論」 に屈することなく、成果をあげられることを祈念申し上げます。 (私自身も、こういった感覚の持ち主ですから「国粋主義な不具者」などと罵詈雑言 を受けることもありますが、屈せず貫いていかうと思ってゐます。) 皆様の活動が、「常識」として根付く日を願って。


9.日本人ばかりが悪いのか。〜僕の思 い〜

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現在の日本の歴史(特に近現代史)教育の殆どが「日本人の罪」について認識させるもの、というふうにしか僕には見えない。日本人の犯した罪によって、多くの人が苦しんだ。我々日本人が自由を奪った人々の苦痛を思い、反省しなければならない。そのようなことしか教えていないような気がしてならない。

そもそも、日本人への教育において「日本人の贖罪意識」を刷り込まんとするような行為が行われているというのが解せない。姪っ子の歴史の教科書を見る機会があったのだが、近現代の部分の殆どがそんな記述である。(此処は日本だ。韓国や中国ではない。)「日本人が中・韓で犯した罪を認めることが正しい歴史認識」といった雰囲気が蔓延している。冷静に見ておかしい。

学ぶのは子供たちだ。楽しく学んでこそ伸びやかな子供が育つ。僕はそう信じている。けれども、上に記したような「反省ばかりの日本史」で、子供が楽しく学べる筈もない。ましてや「国への愛情」「国民の誇り」なんて持てよう筈がないではないか。もっときちんと「日本という国の素晴らしさ」を子供には教えるべきだ。先人から受け継いだ誇りを教えるべきだ。そう強く感じる。自虐意識や、大人めいた都合の良い天秤論は、子供にはいらない。このままでは「何でも悪い」「反対することに意義がある」といった「良いところを見つける前に目を背ける」、そんな子供たちが増え続けてしまうような気がしてならない。

僕は日本が好きだ。過去の日本人であっても同じである。日本人が悪いことばかりしたなど、到底思えない。日本の文化も好きだ。豊かな美意識や語彙も好ましい。神社も好きだ。神として祀られた英霊への感謝と敬意も忘れない。もちろん神々への崇敬も。それは、僕自身が「反省ばかりの日本史」に懐疑的であり、自由な視点で日本を見続けられたからだろう。これからの子供たちにも、そういう視点を持って欲しい。また持ちうる国であって欲しい。そのためにも、僕は、皆さんの「自由主義史観」活動に大いに期待をするのである。

脈絡のない意見で恐縮だが、以上が僕の率直な思いであります。