1.韓国名の英語表記について

■投稿(1)

 これは前から言われていることなのですが、韓国の英語表記は昔は「Corea」で日本が「Korea」に変えたのだと言われます。理由は、日本がオリンピックで韓国より先に紹介を受けたかったとの事ですが、これは本当でしょうか?解説をお願いします

■回答(A)

Coreaは、フランス語(Coree)、スペイン語(Corea)などから来たものでしょう。英語表記は昔からKoreaだったと思います。KoreaあるいはCoreaは、「高麗」から由来する語です。フランス語などラテン諸語ではKの文字は原則として使いません。英語、ドイツ語では、Kの文字は煩雑に使われます。だから、英語表記のKoreaは不自然ではありません。ただし、昔、フランス語表記Coreaが英語に入っていったことは、充分に考えられます。いずれにせよ、日本がCoreaをKoreaに変えたなどというのは、言いがかりです。

なお、韓国で、KoreaをCoreaに変えようというのは、国際スポーツ大会の入場式でKoreaがJapanの後になってしまい、面白くないというものです。つまらない反日感情です。

自由史観研究会会員 五十嵐岳男

■回答(B)

国の名前を決めるのはその国の固有の権利であり、どの国も拒否できないと思います。 韓国・北朝鮮は独立したとき、片方は韓国を選び、片方は朝鮮を選びました。

そのようにCoreaが良いと思えば、その時Koreaを選ばず、Coreaにすれば良かったことです。しかし両国ともKoreaを選んだだけでしょう。このように自己責任を認めず、他国にばかり依存したことが、朝鮮滅亡の最大原因ではないでしょうか。

オリンピックに日本が初参加したのは1920年であり、日本が韓国を併合したときにオリンピックの事など考えるはずがありません。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


2.沖縄戦について

■投稿

初めてメールを出します。いつもホームページを拝見し,感心することばかりで,勉強になります。早速ですが,以前沖縄に行った時,戦争体験者と言われる方が,盛んに日本軍は沖縄に迷惑を掛けたとか,日本軍は沖縄人に対して残虐な行為もあったなど言っておりました。そこで,沖縄戦とはどのような状況であったのか。また,日本軍は言われるように悪かったのか。更には,なぜアメリカ軍は,沖縄を攻撃したのかなどを教えて頂きましたら幸いです。お手数をお掛けしますが,もし,宜しければお願いいたします。

■回答

HPを読んでくださってありがとうございます。 ご質問は、沖縄戦についてですね。あまりくわしくありませんが、できるだけご協力いたします。

@『なぜアメリカ軍は,沖縄を攻撃したのかなどを教えて頂きましたら幸いです』
日本本土(九州)侵攻のための基地とするため、爆撃機の基地とするために、米軍は沖縄の占領を目指したのだと思います。

A『そこで,沖縄戦とはどのような状況であったのか。また,日本軍は言われるように悪かったのか』
手に入りやすい本では、『沖縄』 副題「日米最後の戦い」(光人社NF文庫)など読めば概略がわかると思います。この本は米国陸軍省編なので、もちろん米国の立場から書かれています。例えるなら、現在のイラク戦争について米軍が書いた本みたいなものです。でも、日本の進歩的文化人の書いたような本と比較するなら、それでもはるかに公平です。

また、『日本軍は言われるように悪かったのか』というのは、どういう意味かわからないので、答えるのに困ってしまいます。たぶん下記のことだと思います。
『以前沖縄に行った時,戦争体験者と言われる方が,盛んに日本軍は沖縄に迷惑を掛けたとか,日本軍は沖縄人に対して残虐な行為もあったなど言っておりました。』

具体的にどういうことを言われたのか、それを言ってくだされば、それに応じて答えられると思います。

自由史観研究会会員 渡辺龍二

■回答<B>

わたくしどものサイトをご覧頂きましてありがとうございました。

そうですね、沖縄戦で一般住民が犠牲になったのは事実です。 また、当時の総力戦とは、東京大空襲(一般民間人の大虐殺ですよね)や原爆投下も 含めて、市民が巻き込まれることが多かったことも事実です。 現在のイラク戦のように、軍の「誤爆」で民間人に死傷者が出たとか出ないとかの話 ではありません。 最初から、民間人を狙ったものでした。

さて、沖縄の「戦争体験者」が語る物語は、すでに「神話化」されてしまった部分も あり、一部に起こったことが、誇大に吹聴されていることも知っておいて頂きたいこ とです。

ひめゆり部隊の話を持ち出すまでもなく、沖縄の住民は、戦争に対して非常に協力的 で、沖縄戦の司令官で自決された大田実海軍中将の電文は大変有名です。

これを意約しますと 「沖縄島に、敵、攻略を開始して以来、県民を顧みる暇が、ほとんどなかった。しか し、わたしの見る限りにおいては県民は青年、壮年のすべてを防衛に捧げ、残った老 幼婦女のみが砲撃に晒されながら防空壕に避難し、乏しい生活に甘んじた。しかも若 き婦人は率先して軍に身を捧げ、看護婦、煮炊婦はもとより、砲弾運び、挺身斬込隊 すら申し出る者があった。(中略)

沖縄県民、斯く戦へり。県民に対し、後世、特別の御高配を賜らんことを」 となります。

要するに、日本列島で唯一の地上戦となった沖縄には、筆舌に尽くしがたい悲劇があ りましたが、県民も軍と一体となって祖国防衛のために戦ったのです。 全部が全部、好きこのんで行った人ばかりではないでしょう。 しかし、司令官が自決前の最期に「沖縄県民は本当によく戦ってくれたのだから、後 世の人々はこの県民の働きを忘れず、(政府は)特別に配慮をしてやって欲しい」と 言わしめた尽力があったことも事実なのです。

また、それが、なぜ、戦後になって「恨み節」ばかりになってしまったか、について は曾野綾子さんが『ある神話の背景』として一冊の本にまとめられております。 本書では、沖縄県民が戦後、悲劇の物語を語り継いだ理由の一つに補償問題があった ことを指摘しています。

たとえば、軍の陣地に島民が避難するのを断固拒否したという物語。
これは軍陣地は敵の砲弾の的になる危険性が非常に高く、民間人を巻き込まないよう に配慮したというのが事実。

さらに、民間人に自決を強要したという物語。
これは、戦後、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の対象者認定にあたって、みずから (貞操を守るため、陵辱、虐待を避けるため)自決した人々は、これに認定されない と考えられたからでありました。

つまり、年金給付や援護法の対象となるには、敵を恐れての自決ではなく、軍命令に よる自決であったと主張することが必要だと思われたのです。 厚生省(当時)の役人は、軍命令による自決でないことを知りながら、県民の今後の 生活を思えばこそ、その主張に目をつぶりました。 それが今日、定説になってしまったわけなのです。

アメリカ軍の戦略については、あらためて別のスタッフが回答してくれることでしょ う。 わたくしは、以上の点を知って頂き、いろいろな角度から「証言」というものを分析 し、その危うさを感じ取って頂ければと思います。

参考文献には、
曾野綾子『ある神話の背景』
小林よしのり『戦争論3』第11章・沖縄戦神話の真実113ページ〜
を、お勧め致します。

自由史観研究会会員 飯島瑞穂


3.「テレビ朝日Nステ 南京戦報道疑惑」の結末はどうなったのか?

■投稿(1)

初めてメールします。お忙しいとは思うのですが、「ご意見箱」の「2002年8月分、テレビ朝日Nステ南京戦 虚偽捏造報道疑惑」の結末はどうなったのでしょうか?  TV朝日 に抗議なさったのか、あるいはしなかったのか、抗議したとしてその結果はどうだったのでしょう?

それと、記事中のURLはすでになくなっていてアクセスできません。どうなったのでしょうか? (まあ、TV番組の一部とはいえTV朝日の許可がないとHP上で公開できないとは思いますが)私自身はこの放送を見ておらず、いったいどういう内容だったのか気になります。

久米宏さんは、左翼思想の持ち主ではありますけど、番組としてはいい報道番組だったと思います。その後を次いだ古館はまるでダメですが・・・。コメンテーターもつまらないです。いまだに左翼思想をひきずっているのはどうしてでしょうねえ。理想の国であったソ連の崩壊や中国の資本主義化を知らないのでしょうね。

■回答(1)

HPを読んでくださってありがとうございます。

2002年8月分のご意見箱のニュースステーションの報道に関することですね。多くの方が朝日テレビに抗議されたと思いますが、当時、自由主義史観研究会が抗議したかどうか私は知りません。(自由主義史観研究会は政治団体でも、内部の思想を統制している団体でもありません)

さて、問題の報道は、「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」という本についての報道だったと記憶しています。 私はこの本を読んでいますが、ニュースステーションの報道は宣伝臭の強い意図的な報道だと感じました。ただ、それは実際にVTRを見ないと説明しづらいです。

それよりも、このようなトンデモ本を、あたかも南京大虐殺の重大な証拠が見つかったように報道したということ自体が、悪質な報道です。

自由史観研究会会員 渡辺龍二

■投稿(2)

本の紹介とは知りませんでした。TV朝日が取材して作った番組だと思っていたのです。 HPの文を読むと、抗議したのかなと思えたので、お伺いしました。 TV朝日とのやりとりがあれば、読みたかったのですが、残念です。

TVのニュースのキャスターは左翼系の人達が多いですね。23の筑紫哲也、報道ステーション、朝のワイドショーもそうです。これらニュース番組は、常には普通の刑事、民事事件、芸能ネタ、スポーツなどを取り上げているわけで、こういう人達が、戦争のことを番組で話すことに無理があるんではないかと思っています。戦争は怨恨とか金のトラブルとかが原因で起こるわけではなくもっと複雑怪奇なものです。

イラク戦争の時、こういう番組では、逃げまどう市民とか、誤爆で壊れた家とか、病院のケガをした人達とか・・・そんなことしか報道してません。まるで、日本の普通の町で起きた傷害、殺人事件を扱う視点でしかありませんでした。

戦争のことをちゃんと扱える人がキャスターになって、報道番組を作ってほしいものです。

■回答(2)

<TVのニュースのキャスターは左翼系の人達が多いですね>
おっしゃる通りと思います。

<イラク戦争の時、こういう番組では、逃げまどう市民とか、誤爆で壊れた家とか、病 院のケガをした人達とか・・・そんなことしか報道してません。まるで、日本の普通の町で起きた傷害、殺人事件を扱う視点でしかありませんでした。戦争のことをちゃんと扱える人がキャスターになって、報道番組を作ってほしいものです。>
これも、貴方のおっしゃる通りだと思います。何がどっちが、日本の国益にかなうかというような冷静な報道も必要だと思います。日本の報道は、情緒的すぎると思います。

今後ともいろいろとご指摘ください。ご活躍をお祈りいたします。

自由史観研究会会員 渡辺龍二


4.旧植民地国独立後の接収資産、旧債務について

■投稿(1)

杉本先生

小生、近代の東アジア史に興味を持ち、勉強している者ですが、 先生のHPに接し、客観的で詳細な資料研究と公正で穏当な論評に深く感銘を受けております。 さて、韓国関係の先生の論文を拝読した中で、以下の部分にただただ驚きました。

「更に戦後これらの国が独立するに当たり、接収した私有財産のみならず、国にも補償金を支払っているのである。それに対し、日本は逆に経済協力金を支払っているのである。」

この「独立謝礼税」とも言うべき補償金の内容について、米英仏蘭その他「宗主国と支払い国」およびその「総額と名目」を具体的に知りたく思い、ネットで調べようとしたのですが良く分かりません。

そこで、上記の詳細または資料のありどころについて、御教示いただければと存じます。 お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願い致します。

■回答

整理・整頓が悪く、使った資料が出てきません。

只一つ出てきたのが、下記のインドネシアがオランダから独立した時(1949.11.2)、オランダとインドネシアの間に取り交わされた一連の条約の日本語訳だけです。(これもどの本から引っ張り出したか、不明です)この中に財政・経済協定があり、詳細に規定されています。その中の幾つかのポイントは『植民地朝鮮の研究』に述べています。

今読み直してみて、「国にも補償金を支払っている」との表現が、「独立謝礼税」との印象を与えたとすれば、不適切な表現だったように思います。 これは、インドネシアの為に使った国債の償還残や、負債残等はインドネシアが引き継ぐことになった事を指しています。

(ポイントの要約)

第25条、インドネシア共和国は次の負債を引き受ける。
A、利付公債(明細表示)
B、第3国に対する負債、(明細表示)
C、オランダ王国に対する負債であって、次に明記する最大金額にまで達するもの
D、主権移譲の日におけるインドネシアのすべての国内的負債

第26条 インドネシア共和国は前条に掲げる負債の利子の支払い責任をとり、その負債に関する現行協定に基づく権利を取得する。

第27条 主権移譲の日におけるオランダ王国に対するインドネシア法人の残存債務は、同じ日のインドネシア法人のオランダ王国に対する債務を相殺したものとみなさればならない。これは20億ギルダーのオランダに支払うべき負債の軽減を含むものである。

私の記憶は独立を要求すると共に、その後の発展のためには宗主国との経済協力が不可欠として、各国ともそれなりの配慮をしているとの印象でした。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■投稿(2)

お忙しい中で早速のお返事、有難うございました。 文面のご趣旨は了解しました。 私のほうも、時間をかけてもう少し詳しく調べてみたいと 思います。
先生のさらなる御健勝、御活躍をお祈りします。

追伸

多忙にかまけてその後「独立時補償金」に関する調べは進んでおりませんが、 テーマを「植民地支配や侵略」における「国家による正式の謝罪」という視点で考え るなら、 あれほどに露骨で邪悪な「アヘン戦争」について、イギリス政府は 中国に一度も謝罪していませんね。香港の返還時にエリザベスやチャールズが頭を下 げたというニュースも耳にしませんでした。

そもそも第二次大戦で《戦勝したがわ》の宗主国で、「植民地支配」について、被支 配国に公式謝罪した国はあるのでしょうか? クーデタ時に多数の若者を虐殺したのは明白なチリのピノチェトを、国家元首である がゆえに国際社会が裁きえなかったように、 少なくとも21世紀初頭段階の国際慣例では、《公正な事実認定もない》過去の歴史 について、一国家が公式謝罪をするのは異例というより椿事であり、安易になすべき 行為ではないと思います。

もっとも細川政権以降何度かあった為政者による「反省表明」が、正式な謝罪に当た るのかどうかも、定義上の問題を含みますが。 「歴史の評価は、その生起した時点での思潮や常識に基づいて判定されなくてはなら ない」とする、M・フーコーやレヴィ・ストロースなど構造主義歴史学派の主張は、い まや世界の思想界に広く受容されている考え方だと思いますが、 20世紀東亜史における日本の評価は「勝者の正義」という偏向に歪められているだ けではなく、まずもって「犯した罪科」への正当な事実認定すら行われていないのが 実情です。

その意味で、いわゆる「東京裁判」のあまりに公正さに欠ける結論を、事実の掘り起 しから覆すことになる杉本先生の研究に深く敬意を表し、先生の一層の御健勝と御活 躍をお祈りする次第です。


5.日本の占領国の資源について

■投稿

いつも拝見させてもらっています。さて質問なのですが、「大東亜戦争」の時、日本は自衛のため資源を求めて南進しました。そして欧米の植民地であったアジアの国々を独立させました。ここにまず驚きがあったんです。私はずっと「軍政」が終戦まで続き、実質的な統治権は現地人の手にはなかったと思っていました。
  
事実教科書で習ったのは「軍政をしいた」と、それだけですし、終戦後独立した有名国として紹介されていたのがインドネシアです。ですから「戦時中に独立させていた国があった」ということは驚きました。 全く強調されてませんからね。今回の質問はこれに関連するのですが、日本は南方を占領後、石油やアルミ、ゴムなどの資源を日本へ輸送を始めましたよね?これはどういう形で行われていたのでしょうか?

わかりやすく言えば、「占領後の実質的な統治はどういう風に行われていたのか?軍政は布いていたけど形だけで、実際は現地人による統治だったのか?」、そして「その国が持つ資源(石油やアルミ)などをどういう形で手に入れていたのか?」という事です。

一つ目の質問に関してこのホームページで色々見たのですが、日本占領前と占領後の現地の変化しか書いていないので、日本人を信じているんですけど、まだこの点では呪縛から解けないのです。日本はどういう統治を行ったのか?具体的な仕組みと、統治の中身、つまり実態を詳しく教えて欲しいんです。

二つ目の質問に関して、要するに「占領後の資源はきちんとした形、例えばきちんと現地の人にお金を払って買っていたのか?」ということです。日本のそういった部分に関する情報も少ないので、教えてください。タダ同然で、強制的にそういった資源を得たのか?それとも現地で会社みたいなものをつくって(欧米時代から、そういう会社があったのなら社長に現地人を据えるなどをして)、現地人にお金を払って堂々と得ていたのか?こういう点も非常に大事だと思います。

多くの人が「日本は悪いことをしていたんだ」という認識、先入観を嘘の情報を元に植えつけられています。そういう人は日本のアジア統治、資源確保の真実を知らないと思います。おそらく「悪いことをしてたんだろう」みたいな、マイナスイメージが作用するに違いありません。

だからこそ、正確な事実の情報を与えて、彼らに考える機会(情報)を与えることが重要だと思います。今回私の質問に関して、このホームページから答えが見つからなかったのでメールを送りました。 どうか回答をお願いします。そして早く我々の先祖の汚名を晴らして下さい。

我々の先祖が靖国で、心配そうに日本を見つめているのを想うと、私としては今の日本の状況が悔しくて悔しくてなりません。私はアメリカにいるのですが、やはり韓国や中国、そして台湾の一部の人は日本に対する嘘で固められた先入観を持っています。早くそういう嘘や、言いがかりに決着をつけてほしいんです。日本は世界に誇れることをしました。世界を変えたんです。植民地支配、人種差別を終わらせて、今の世界に変われたのは、日本がいたからなのですから。世界を変えた例は、歴史上日本だけでしょう。この近代の歴史こそ、日本人のすべてが凝縮されています。どうかこの部分をしっかりと誇れる国にしてください。そして中韓の偽りの歴史教育に終止符を、どうか打ってください。心からのお願いです。貴会の活動が実を結ばれることを心の底から願っています。

■回答

統治の形態は場所により異なりました。 それはその地区が自治能力を持っていたかどうかです。 当時最も自治能力を持っていたのはフィリピンです。

フィリピンは1942年1月マニラが陥落し、5月にはコレヒドール島が陥落し、戦争が一段落しました。その段階でバルガスを行政長官に任命しました。翌43年には選挙でラウレルを大統領に選び、独立を与えています。ラウレルは日本人顧問雇用についての日本軍の要請を拒否し、唯一人ハーバート大学卒、GMの極東地区総支配人浜本正勝を顧問に任命しただけです。日本の軍事上様々な制約があったと思いますが、決して名前だけの存在ではありませんでした。

石油、ゴム、労働者に対する賃金等すべて正当に支払われていました。但し国内でも同じですが、物価統制令により、公定価格が決められていましたので、価格の妥当性について非難はあるかと思いますが、決めた当初はその時の相場です。

現地経営者の大半は欧米人であり、捕虜として扱われたと思います。そのような企業へは日本の同業者の技術者を派遣し、経営させました。敗戦により色々な点で補給困難に陥り、且つ増産要求・工程短縮要求が出たため、無理を強いることになったと思います。

しかし先日テレビでニューギニアか、ソロモン諸島か、あの辺の現地人が日本統治時代を大変懐かしんでいる話が放映されていました。

自由史観研究会理事 杉本幹夫