1.南京事件に対する質問

■投稿

南京事件FAQ、http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/nankin_faq.htmlに記 載されている これらも、みんな「うそ」で片付けられるのでしょうか?

■回答 A

 私ははっきりウソだといえます。詳細を書きますね。  一応目を通してみましたが、次のようなことがわかります。

・南京虐殺があったという前提でこのページは書かれていますが、 いわゆる捕虜としての資格の問題が述べられていません。  その資格というものは正規軍同士での戦闘でとらわれ、 かつ部隊長が捕虜にすると認定したものが捕虜であるという ことです。当然民間人を装ったゲリラはこれには該当しませんし、 軍人であっても制服を脱いで戦闘に参加することは違法であります。

 軍服を脱いで戦闘に加わるということは国際法で禁止され ており、それはすなわち捕虜になる資格を捨てるようなものです。 まして武器を隠し持っていたのであればなおさらのことです。

 また、このページの作者は一応南京城外から南京城内へ の人々の移動はない、としていますが、その上で25万人の 人々が変わらずすんでいたと認めているのですから、 南京市外から人々が戻ってこない限り、25万人の人口が 大きく減るならばラーベ達の数字にも大きな変化があって 当然ではありませんか?

 この人のいうことは笠原説に基づいているようですが、 そうすると笠原説のいうところの南京虐殺は東京裁判で 持ち出された南京虐殺とは違う、と言うことを意味します。

 すなわち、南京城内になだれ込んだ日本軍が誰彼かまわず 殺しまくり、女性を強姦したという話とは全く違う事件を 意味するのです。

 繰り返しますが、笠原氏の南京虐殺とは、従来 述べられてきた南京虐殺とは別物です。そこを お間違えがないように。

 自由主義史観研究会でも板倉氏や秦氏の説は よく知られていると思います。しかし、次の文は 明らかにこのページの作者の認識不足のようです。

<上海事変に派遣された日本軍が,参謀本部の命令を 無視して南京まで攻めのぼった過程全体で死亡した 将兵を含めての数字>

 上海を落としたところで、国民党軍に反攻の構えが 予想されるなら、これを追撃して撃滅するのは戦争の 常識です。これは明らかに、戦闘で死んだものも含めて いる数字ですがこれこそ笠原説のとんでもない部分といえます。

 戦死は虐殺ではありません。戦闘は合法的に 行われますから、その中で死んだものの数を含めて しまうなんて卑怯もいいところです。そしたらあらゆる戦争は 犯罪ではありませんか。

 あなたはこれでもウソだといえますかとおっしゃいましたが、 このページはこのようにすでにウソで塗り固められているのです。

自由史観研究会会員 犬村大角礼儀

■回答 B

投稿有難うございます。 大変膨大な内容で一度に反論することは無理です。 まず気付いた点を2−3述べさせていただきます。

Q1に対するA1を読みますと、「30万人虐殺とは、南京だけではあり得ない。そ こで範囲を上海から南京までにに広げることにした。更に一般人だけでなく戦死した 将兵を含める」と理解して良いのでしょうか。

Q2に対するA2では「安全区外にいた5万人が安全区に逃げ込んできた。と言うこ とは虐殺は安全区の外で行われた。安全区内では殆ど虐殺は無かった」と理解して良 いのですか。

Q3、ベイツは国民党政府顧問であったことが明らかになっており、国民党宣伝部顧 問であったティンバリの証言共々証言の価値がありません。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


2.南京事件の史料についての質問

■投稿(1)

先日「程瑞芳の日記」という「南京大虐殺」当時に、南京の安全地域の中国側責任者である女性が綴ったとされる日記が見つかったと、中国の各誌が報じました。

私は「ラーべの日記」「ヴォートリンの日記」「東史郎の日記」などの内容に全く無知で、彼らの書いた日記とあわせて真実が解き明かされるだろう、という中国の新聞記事の言わんとしていることが分かりません。この三つの日記の信憑性というのはどの程度のものなのでしょうか。安易な考えだとは思いますが、教えていただきたくメールを送らせていただきました。

失礼だと思いますが、「南京大虐殺」とかっこをつけているのは、わざとです。

■回答(1)

「ラーべの日記」これは日記と言う原本があるのか、わからないのです。ラーベが何かをもとに後で書きなおしたものに編集者が手を加えたものです。後に書いた文章が付け加えられています。また、明らかな間違いもかなりあります。中にはラーベ本人なら間違うはずがないところが、誤植でなく(日本後版も英語版も同じように)間違っていたりします。しかし、この日記で初めて判った事実もあり、たいへん参考になる本です。

「ヴォートリンの日記」これはちゃんとした資料です。

「東史郎の日記」これは創作です。南京大虐殺を肯定するような学者で資料として使いません。

簡単ですが、こんなところです。 ご意見ご質問等は、スタッフ宛のアドレスてお願いいたします。

自由史観研究会会員 渡辺龍二

■投稿(2)

簡潔で、また即日の回答ありがとうございます。 「東史郎日記」だけが胡散くさいとは、日本人として情けない限りです。

他の二人の日記は「大虐殺」自体を証明していないが、当時の様子を知る上での重要な資料である、という理解でよろしいでしょうか。

■回答(2)

おっしゃるとおりだと思います。

<『他の二人の日記は「大虐殺」自体を証明していないが、当時の様子を知る上での重要な資料である』という理解でよろしいでしょうか。>

虐殺がないことを証明する資料です。ラーベの日記も資料として事実を中心にして、伝聞や意見を区別したりして詳細に検討していくと、書き手や編集者の意図に反して、逆に虐殺がないことを証明する資料になってしまいます。

スタッフ宛のアドレスは以下の通りです。回答や返事は個人の責任で書いていますが、私の返事も含め他のスタッフも返事もすべて、全スタッフが目を通すようになっています。

staff@jiyuu-shikan.org ご連絡はこちらでお願いいたします。

自由史観研究会会員 渡辺龍二

■投稿(3)

1月18日に返答をいただいたものです。返事が遅れて申し訳ありません。 ウェブページを見せていただくと、中国人や韓国人と思われる、悪意あるメールが度々来ているようですが、そのような罵詈雑言など気にせず頑張ってください。 今回は本当にありがとうございました。


3.ノモンハン事件について

■投稿(1)

「ノモンハン事件の真相と戦果/ ソ連軍撃破の記録」 を読みましたが、なんだか今までのノモンハン事件のイメージが転覆し、思わず感動してしまいました。

しかし、一つ気になることがあるのです。ソ連戦車についてですが、今までの通説だと、日本軍の戦車砲などで攻撃しても、カンと音がして跳ね返るということがいわれているが、実際そうではないことがこの本で説明されていますが、それが南京大虐殺の証言のように、嘘八百ではないような気もします。

実は私の祖父も同じことを言っていたのです。祖父は工兵として蒙彊にいたのですが、戦車を相手にする場合、まともに撃っても穴があかないものだから、塹壕を掘り、戦車がその塹壕に入って上って来て、装甲が薄い戦車の底を見せた瞬間に、そこを狙って攻撃していたということでした。

これは思ったのですが、例えば障子に石を投げて障子紙に穴をあけるとしたら、曲射より直射のほうが、障子紙に穴があきやすいですね。これは、ソ連軍の戦車砲と日本軍の戦車砲の違いですね。

しかし、石は石だから、曲射だろうと直射だろうと、たいてい穴はあきます。しかし、石を極端に高くあげすぎる、つまり、角度が急すぎると、障子を破ろうとしても、かすったようにして破れないのですよ。しかし、障子を横に倒すと、同じ角度で石を投げても穴があきます。逆に、その障子をそのまの状態で石を直射しても、上を滑るようにして穴はあきにくいです。

おそらく、そういうことだと思うのですよ。たぶん、実際にソ連戦車を砲弾で攻撃して、それがある一定の距離であったから、上の障子の例のように「かすった」のではないかと思います。それで、前線にいた兵士は、日本軍の大砲はソ連戦車に無力と思い、そういう話が軍全体に広まって、それを本気にした部隊は、塹壕を掘ったり、穴を掘って上を通るソ連戦車の底に爆弾をつけたりしたのではないかと考えましたが、いかがでしょうか。

■回答

ご返事が遅くなりました。

ノモンハンに限らず、どういう砲でどのくらいの距離でどこに当ったかで、それぞれ違ってくると思います。 ノモンハンでもたくさん本が出ていますから、戦記物も最近書かれた本もありますから、ご自分で調べればすぐにわかると思いますよ。

<実は私の祖父も同じことを言っていたのです。祖父は工兵として蒙彊にいたのですが、戦車を相手にする場合、まともに撃っても穴があかないものだから、塹壕を掘り、戦車がその塹壕に入って上って来て、装甲が薄い戦車の底を見せた瞬間に、そこを狙って攻撃していたということでした。>

お父上は、工兵だそうですから、どういう方法・武器で戦車と戦ったか、ということですね。 ノモンハンは酷い戦いで、後の対米戦のミニチュアみたいなものでした。ただ、意外にソ連軍の損害も多かったというだけだと思います。

ご意見ご質問等は、スタッフ宛のアドレスへお願いします。

自由史観研究会会員 渡辺龍二


4.「関東大震災」の項での被害者数について

■投稿

パンフレット民団の皆様を感銘をもって読みました。論点5の関東大震災の項で被害者数についても言及していただいているが、数字を次のように改めたらもっとよかったと思ひます。韓国人は6000人といふ数字を上げていますが、警察の調査では200人台だからです。

■回答

ご指摘有り難うございました。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


5.日本軍の毒ガスについての疑問

■投稿

 千葉県で井戸水が砒素に汚染された事件がありました。当時、終戦の時に遺棄された日本軍の毒ガスによる汚染と報じられました。しかし、最近の調査で、砒素を大量に含む大きなコンクリートの塊が発掘され、それに刺さっていた木片がまだ腐っていないことから、終戦時よりもっと新しいのではないか、すなわち日本軍とは無関係ではないかと言われ始めたようです。

 ここで疑問なのは、「毒ガス」と称されているのが、クシャミガスであり、どうも致死性ではなさそうなことです。かつて70年安保闘争の頃、過激なデモを鎮圧するために機動隊が催涙ガスを使っており、今回言われている「日本軍の毒ガス」はこれと同じ類ではないかとおもうのですが、いかがでしょうか。常石と言う学者は、「日本軍の毒ガス」しか今回の汚染の原因として考えられない、と話していましたが、機動隊の使っていた催涙ガスや、ひょっとしてオウム真理教がらみでは、とも疑っています。

 フジテレビの朝の番組「特ダネ」で日本軍の毒ガス説に疑問が生じた事を知りました。しかし、昨日のTBSの「噂の!東京マガジン」では相変わらずの日本軍毒ガス説のままでした。新聞報道はまだ出ていないようですが、旧軍を貶める報道の訂正は出来るだけ早くして貰いたいものです。

■回答

ご返事が遅くなって申しわけございません。

< ここで疑問なのは、「毒ガス」と称されているのが、クシャミガスであり、どうも致死性ではなさそうなことです。かつて70年安保闘争の頃、過激なデモを鎮圧するために機動隊が催涙ガスを使っており、今回言われている「日本軍の毒ガス」はこれと同じ類ではないかとおもうのですが、いかがでしょうか。>

毒ガスは第一次世界大戦で使われ、第二次世界大戦当時は先進国の軍隊はどの国も持っていました。日本軍も例外ではありません。しかし、日本軍は毒ガスは使用しませんでした。使ったことがあるのは、貴方が言われているようなクシャミガスです。

今回の千葉県の井戸水の汚染の原因は知りませんが、時代が新しいなら旧軍に関係ありませんね。ぜひ、米山さんが調べて教えてください。また、左翼の学者は、日本軍に関係することなら催涙ガスを毒ガスと意図的に混同させるので常に注意が必要だと思います。

自由史観研究会会員 渡辺龍二


6. トップページの絵の修正についての意見

■投稿

今日久しぶりに投稿欄など読ませてもらいました。いつも皆様のご活躍ぶりを影ながら応援していますが、トップ・ページの右の絵が、以前見たときと違っています。

私は最初にあの絵を見たときに「あれっ」と思いました。皆さんもそれに気づかれたから手を加えられたのだと思いますが、それをやっちゃーおしまいだと思います。 私も保守を支持する人間ですから、もうこれ以上は申し上げません。

■回答

このホームページを担当している者です。

ご指摘の通り、右下の通行人の顔を墨で塗りつぶしました。

この写真は独立記念日を祝う大きなポスターの前を数人の通行人が歩いているものです。 従いました、通行人とポスターの中に描かれている人の表情が違います。そして何処までが通行人で、何処までがポスターに描かれている人なのか分かり難いとの指摘があり、通行人の顔に墨を塗りました。

当初そこまで配慮すべきであったと反省しています。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


7.欧米の植民地政策における問題点

■投稿(1)

大変日本の近代史に興味を持っております。

イギリス、フランスの植民地支配が、日本の場合と違い、たいへんひどい支配であったと聞いています。(阿片など) 具体的にどんなひどいことを現地人たちにしてきたのか? それが良く分かる資料やグラフ、写真などを探しています。 ぜひ、教えていただけないでしょうか? 授業作りに役立てたいのです。

よろしくお願いします。

■回答 (1)

メール有り難うございました。

私は各国とも、例えば教育の普及、インフラの整備等、程度の差こそあれ、それなりに努力していたと思います。

しかし欧米諸国から東南アジアに進出した人達は、当然本国にいる以上の収入を求めます。一方インドネシアのボルネオやパプアニューギニアなどは裸族の世界でした。 当然生活レベルの格差は大変なものがありました。現在東南アジアへ技術指導に行っている日本人と、現地人の生活格差を考えてみてください。これを搾取と捕らえるのはマルクス主義です。

しかし欧米人と現地人の生活レベル、知識レベルの格差は大変なものがあり、上海では、黄浦公園の入り口には「犬と支那人、入るべからず」と書いてあったと言われます。又ジャワ島では土地の王様や、貴族階級と道路であったとき、一一般民衆は土下座する習慣がありました。欧米人は王侯貴族と同等の扱いを要求しました。従って一般民衆は欧米人と道路であったときは土下座し、話すときも欧米人の前では土下座しなければなりませんでした。

当時の日本人の生活レベルは欧米人より下であり、それだけ現地人に近かったと言えます。フィリピンのミンダナオ島では、マニラ麻の生産に日本人が大量に進出していました。昭和初期の大不況の中で、アメリカ人の経営するマニラ麻農園が次々閉鎖される中で、日本人農園は見事に生き残りました。これは日本人農園主が、現地人と同じものを食べ、共に苦労をしたからだとのことです。

フィリピンはアメリカが1898年から統治しています。従って日本の台湾統治や朝鮮統治とほぼ同時代、同期間統治しています。世界国勢図絵等で、終戦後の一人当たり国民所得を比べてみてください。フィリピン・マレーシアは北朝鮮の下、韓国より上だったと思います。(マレーシアは北朝鮮の上だったかもしれません)。識字率では韓国とフィリピンは同程度乃至はフィリピンの方が上だったと思います。 それが何で今日フィリピンと韓国が逆転し、しかもかなりの格差がついたのでしょうか。一つはアメリカ人がフィリピン人の能力を過小評価し、工業化は無理と判断し、工業化の努力をしなかったことがあると思います。

同時に日本の教育、特に「私より公の重視」など修身教育の徹底が今日の台湾・韓国の発展に繋がったと思います。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■投稿(2)

丁寧に質問に答えてくださり、本当にありがとうございます。  自分の勉強不足を痛感いたしました。  今後、正しい歴史認識ができるように、更に勉強していきたいと思います。

   清の阿片患者の割合、日本が台湾に投資した金額など、様々なデータ、資料を見たいのですが、どこで調べれば分かるのでしょうか?  よろしければ、教えてください。

■回答 (2)

清の阿片患者の割合については知りません。 台湾への投資金額については溝口敏行、梅村又次『旧日本植民地経済統計』東洋経済 新報が一つの候補と思います。色々な統計が出ています。

投資金額とは違いますが、終戦時日本が残した資産はGHQの調べで、当時の金で、非軍事用19億ドルとなっています。(大蔵省財政史室『昭和財政史』)

現在価値はどのくらいになるか、考えてみてください。

自由史観研究会理事 杉本幹夫