5.何故、裁判に訴えないのですか?

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従軍慰安婦、南京大虐殺が嘘だと言うのなら何故、裁判に訴えないのですか。貴方達の組織があれば訴えられるはずです。 日本人の名誉が損なわれています、名誉毀損で訴えられないのですか。

またつくる会の教科書は検定に通ったものであり、それを採用するなと運動するのは違反じゃないんですか。何故裁判に訴えないのですか。

■回答 

南京大虐殺では、100人切りの向井さんの遺族が、原告となり、毎日新聞・朝日新聞等を訴えています。

このようにはっきりとした現実の被害が主張できる場合は、訴訟を起こしやすいと思いますが、それでも大新聞相手に個人が訴訟を起こすことは、大変な費用と勇気を要することです。

訴訟を起こすためには、名誉毀損された明確な論拠が必要です。従軍慰安婦問題で、訴訟を起こすとすれば、誰が誰を訴えるのが現実的に有効か考えてみてください。

従軍慰安婦、南京大虐殺問題でも、日本政府が原告となり、訴えれば可能かもしれませんが、政府が原告になる事は非現実的だと思われませんか。

つくる会の教科書を採用するなと運動する事が違反であるとすれば、採用しろと運動するのも問題ではないでしょうか。やはり自由競争の社会だと思います。

しかし外国にはどの教科書を採用しろと言う権利はありません。又日本政府にもありません。それは各自治体の教育委員会の権利です。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


6.自虐史観に疑問を感じています

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自分は静岡県の高校生です。趣味としての模型製作をきっかけに先の大戦に興味を持ち、自虐史観に疑問を感じて現在に至ります。以前から貴サイトを拝見しておりました。大変勉強になります。
 この度は質問がございましてメールさせていただきました。お忙しいとは思いますが、ご解答いただければ幸いです。

 先日、高校の現代社会の授業で戦前の産業システムについて習いました。その中で戦前の経済は近代資本主義を取りつつも中世的封建主義が色濃く残っていたと教わりました。

 具体的に申しますと、農民については「寄生地主制」を例に出して江戸時代と変わらない封建制度であり小作は農奴と変わらない身分であったと。また経済についても財閥による寡占経済を挙げて、労働者の立場は弱く少数の持てる階級と多数の持たざる階級が存在し、産業に対する国内市場の貧弱さが大陸進出と大東亜戦争の一因であると習いました。

 このような授業を受け「労働者は権力によって搾取され極貧にあえいでいた」と言うのは典型的なマルクス主義的史観であり、非常に気になりました。
 小林よしのり氏の「戦争論」では山本夏彦の「誰か戦前を知らないか」を挙げて「戦前の日本は豊かだった」と主張しています。

 ですが、戦前の農民と言うと自分にはドラマ「おしん」で描かれたような貧農や有名な大根をかじる子供の写真しかイメージ出来ません。また経済についても財閥による経済支配が全体の1/4、金融業においては1/2近くを占めると授業で具体的なデータを示されたため反論の余地がありませんでした。

 政治システムにおいては、左翼の方々の主張する「天皇制という絶対王政による支配」ではなく、立憲君主制による民主政治が行われていたと理解しているのですが、経済については自分の勉強不足でよく把握できません。

 漠然としていて申し訳ないのですが、戦前の産業・経済、また国民生活は豊かであったのか、実態をご教示いただければ幸いです。

■回答 A

ホームページを見てくださってありがとうございます。

さて、
『戦前の産業・経済、また国民生活は豊かであったのか』という問いですね。

戦前といっても長いですし、明治の初めと昭和の初めではまるっきり違っています。しかし、豊かかどうかは、比較の問題です。例えば、江戸時代から比べれば豊かであったし、現在から比べれば貧しかったわけです。明治維新がなくて江戸自体のままであった方が良かったのでしょうか。(その江戸時代でも同時代の他国、例えば朝鮮などと比べれば豊かだったわけですけが)イデオロギーでなく歴史の学習なのですから、戦前の日本だけを現在の基準で裁くのではなく、前の時代や他国と比較するとよいと思います。

また、
『具体的に申しますと、農民については「寄生地主制」を例に出して江戸時代と変わらない封建制度であり小作は農奴と変わらない身分であったと』これも、農奴(例えばロシアとか)と実際に比較してみればいいと思います。中国やフィリッピンの農民と比較してみればいいと思います。まず、これをやってみられることをおおおめいたします。

自由史観研究会会員 渡辺龍二

■回答 B

高校生としては、大変しっかりした質問で感心しました。

ご指摘のように戦前は貧富の差が非常に大きい時代でした。又会社といっても公私の別がはっきりしない大家族主義の時代でした。

正月やお祭りの時は社長の家に挨拶に行くと共に、上に上がって一杯ごちそうになりました。その為に準備する料理や酒の量は大地主や会社では大変なものになります。

従業員や小作の家族はその準備や、手伝いに動員されました。良くも悪くも大家族的なムードがありました。

貧富の差の大きさから、マルクス主義に対し、多くの人が共感を持ちました。

しかし当時は保険とか、公的な助成制度が発達していないため、天候や病虫害、設備投資等の危険負担はすべて地主や、社長が背負いました。
私もサラリーマンの時代、社長がうらやましいと思ったこともありますが、今のような変化の激しい時代になると、危険負担をそれ程背負わなくてすむサラリーマンは気楽で良かったと思います。

私が実社会に出てから間もなく50年になります。当時の一流企業で名前が残っているのは幾つありますかね。銀行、製鉄会社すべて当時の名前が消えました。

大陸進出の理由は当時まだ工業が未発達でした。農業では土地の面積あたりの人口は制限があります。衛生・医学の発展により人口が急激に増えましたので、その対策の面もあったと思います。

今世界の資本がビジネスチャンスを感じ、中国へ殺到しています。当時も同じようにビジネスチャンスを求めて、世界へ飛び出したのです。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


7.沖縄戦における住民自決について

■投稿(1)

最近日本の戦争に関する歴史を勉強し始めた者です。

下記のような記事をみつけたのですが、代表の発言はどういった事実を踏まえているのでしょうか?
この記事での取り上げ方は、適切ですか?
http://www.iht.com/articles/2005/06/20/news/oki.php

私は以前、鉄の旋風を半分まで読んだのですが、(うろ覚えです。) そこには、沖縄の人々への過度の抑圧と、他民族?としての彼等の忠誠が、自殺に向かわせたというように繰り返し書かれていた気がします。 なので、代表の発言を、最大限にいいふうに解釈すると、軍や国からの直接の命令はなかったけれど、現場の指揮官や兵隊が勧めていたのではないかと思っています。 実際の所はわかりませんが。

また、他のウェブサイトに、遺族による遺族年金要求のための生存者への強制のことが一言、書かれていました。 でも、そういった複雑な事情はこの記事には書かれておらず、日本が軍国主義に向かっていて、過去を謝らない証拠として都合よく使われている気がします。

私は知識がないため直接意見できませんが、何か証拠や意見などを送った方がいいのではないでしょうか。

■回答(1)

ホームページスタッフの渡辺と申します。

沖縄戦で、渡嘉敷、座間味の両島では、日本軍の守備隊の隊長が住民に自決命令を出して、多くの住民が犠牲になったと宣伝されてきました。隊長たちや日本軍が鬼畜のように言われてきました。

<私は以前、鉄の旋風を半分まで読んだのですが、(うろ覚えです。)そこには、沖縄の人々への過度の抑圧と、他民族?としての彼等の忠誠が、自殺に向かわせたというように繰り返し書かれていた気がします。>

「鉄の暴風」には、渡嘉敷、座間味の両島では、隊長が住民に自決命令を出したと、書いてあります。しかし、それは嘘なのです。

<私は知識がないため直接意見できませんが、何か証拠や意見などを送った方がいいのではないでしょうか。> ぜひ、まずご自分で勉強されて、知識を身につけられるとよいと思います。例えば最近では「先生、日本のこと教えて」という本が出されています。この本にも上記の集団自決のこともとりあげられています。

自由史観研究会会員 渡辺龍二

■投稿(2)

至極まともなご意見ありがとうございました。
歴史認識の是非は己の無知をただす所から始まるのは、もっともだと思います。

様々な主張やわい曲がありすぎてくたびれた、あとは専門家と時に任せてしまえ、というのが、今の私の状況です。 改めて気長に勉強していきます。

また何かあったら質問したいと思います。

■回答(2)

お返事ありがとうございます。
いろいろな質問に方に答えますので、ぶっきらぽうな解答で申しわけございませんでした。

私も勉強中です。貴方が勉強されて分ったことや興味深いことがございましたら、ぜひご教示ください。日本のために共にがんばりましょう。

自由史観研究会会員 渡辺龍二


8.南京大虐殺の写真を使用したいのですが・・・(原文:英語)

■投稿(1)

私たちはドイツのケルン市にある映画会社で、日本刀についてのドギュメンタリー映画を作ろうとしています。日本刀における悲しいが大切な一節は第二次大戦において悪用されたことです、つまり、日本兵が沢山の罪もない犠牲者の首をはねています。私たちはドギュメンタリーの中に刀の歴史の一部として採用するためにこの虐殺の写真を探しています。

「ザ・レイプ・オブ・南京」の本で一枚の写真を見つけました。貴方たちのホームページでは次のように述べています: 3・神話を粉砕する:証拠写真問題 藤岡信勝 2004/2/25  /パート6:南京大虐殺からの写真 中国人の首を切る日本兵?/ 脚注:「南京において日本兵は殺人をスポーツとしていた。背後にいる日本兵は笑みを浮かべている。(Revolutionary Documents, Taipei).」

ここにある写真を私たちのドギュメンタリーに使用する許可がほしいのです。この写真の版権はどなたがお持ちか教えていただけませんか?

私どもの会社についての情報はいつでも  www.faction-tv.de  から入手できます。 ご協力いただければ非常に助かります。 どうぞ宜しくお願いいたします。ドイツより

■回答

貴方は大変誤解されているようようです。

問題の写真は偽物です。写真をよくご覧ください。犠牲者の後ろに二人の兵士がいます。一人は刀を持ち、その右側にもう一人います。二人の影を見てください。この影は違った方向を向いているのがお分かりでしょう?この写真は中国人によって日本人がこのようなことをしている「証拠」とするために造られた物なのです。この刀を持った兵士は、おかしなものを着ており、特にこのチョッキはおかしいことが日本人ならすぐにわかります。このような制服はありませんでした。

この写真は蒋介石(国民党政府)の宣伝部が1938年春から始めた大反日宣伝キャンペーンの 33000枚の写真のうちの一つです。彼らは資金を提供し、単に中国人のみではなく多くの西洋人をも採用していたことが知られています、そしてそのうちのある者は「レイプオブ南京」を主張した最初の抗議者たちなのです。

彼らのキャンペーンは大成功でした。宣伝部は1938年に中央通信社撮影部を使い始め、後にこれは廣?光新聞撮影通信社となった。 文書公開政策のため1941年に書かれた宣伝部の秘密書類が2003年に発見され、この書類では西洋人特派員の名義で世界の新聞雑誌に掲載された中国関係の写真の95%は実は廣?光新聞撮影通信社が提供したものだと自慢している。細かい点に関しては草思社2005年発行の「南京事件 証拠写真を検証する」をご参照ください。

WW2では一般兵士は日本刀は所持せず、小銃を持ち、銃剣を腰に挿し、接近戦ではそれを小銃に装着していました。将校のみが帯刀を許されており、(これは自己負担)、小銃ではなく、短銃を持っていました。憲兵や騎兵は例外として日本刀を支給されていました。

WW2は近代戦のため、通常の戦闘では日本刀が活躍する場は存在しませんでした。銃弾や爆弾には無力で、銃さえも使用が難しい接近戦における自己防衛用であったのでしょう。明治政府が最初にしたことは元武士から刀を撤収することでした。明治2年に初めて陸軍が創設された際、将校は日本刀をつけていません。当初は、フランス陸軍、後にはドイツ陸軍をモデルとしていたため、彼らはサーベルをつけていました。しかし、日清、日露戦争において接近戦では使い勝手が悪く、将校は刀の鍔は洋式であったが、中身は日本刀を好むようにになったと聞いています。

昭和の初めまでにはほとんどの任官将校は日本刀を提げていました。 刀は将校の名誉の象徴とされ、護身、戦闘用のものであり、処刑用とすることは名誉を汚すことになります。

江戸時代は武器の種類が少なく、処刑係は刀を用いましたが、明治初期には廃止され、絞首刑がとって代わりました。
貴方の「多くの無実の人を断首した」とおっしゃたことを正確に説明してください。 このような考えがどこから来たのか興味を持っています、私にとってはまったく新しいことなのですから、

何かほかにご質問があるならできるだけお答えするつもりです。

自由史観研究会会員 野口ひかる