1.日本は世界の嫌われ者か?

■投稿

はじめまして、日本の歴史について調べていたらここに行き着きました。
自分は中学生の頃、授業中はよく寝ていたのであまり授業を受けていませんでした。 そのせいもあってか、勉強不足を感じ学校教育が終わってから独学で勉強するようになりました。

日本の歴史については、テレビや政治家達の謝罪を見る限り、第二次世界大戦中、本当にアジア諸国に迷惑を掛けたのだろうとなんとなく思っていました。
しかし、テレビや新聞で「世界の嫌われ者 日本」とたまに伝えられるのを見て、どれくらい嫌われているのだろう?と思い、親日・反日国について調べていましたら、全然違った事実が書いてあり、驚きました。

「日本を嫌っているのは中国・韓国・北朝鮮だけ」ということ。
世界185カ国中たった3カ国に嫌われているだけで「世界中から嫌われている」は明らかに間違いです。

また、東南アジア・ヨーロッパ各国では中国人・韓国人こそ嫌われている事実。
東南アジアの代表や偉い人は日本を独立の母と言っている等、教えられている事、伝えられている事と随分違いがあることに驚きました。

それから当時の日本兵の事を調べて見ると、世界中(当時)から大絶賛を受けているそうじゃないですか。
日本の占領地は一番治安が良かったそうで、中国人は自分達から日本の占領地に行って自発的に日章旗を立てていた等。

とても中国の人達を虐殺するような軍隊には見えなかったので、それも調べてみたら虐殺はアメリカや中国国民党の捏造ということ、また、実際にレイプ等をしていたのは朝鮮族の志願兵の日本兵だったのではないかという事など(当時、日本は兵力不足で、朝鮮人や台湾人の志願兵を大量に募っていた)当時、香港住民は日本軍よりも朝鮮人を激しく憎んだ。

そして、これらの調査書や発言のほとんどが外国人からの物であること。

どんどん掘り下げて行くと、今まで知らなかった事実が次から次へと出てきて日本人であることの誇りと、これからの日本への危惧を感ぜずにはいられませんでした。
今の日本人は日本で育ち、日本国籍を持っているにも関わらず「日本の心」を持っていないように思います。
その原因として、自国に対する正しい歴史認識や古くからの日本の心・精神を充分に教えられていないからだと思います。

つくる会の活動は、1945年8月15日に多くの日本人が失った「大和魂」復活への、貴重で偉大な一歩なのだと、心から応援致します。

■回答 

応援有り難うございます。真実の歴史を学ばれるよう期待しています。

ただ
<当時、日本は兵力不足で、朝鮮人や台湾人の志願兵を大量に募っていた>は正確ではありません。

朝鮮・台湾では兵役への希望が多数あったのです。朝鮮人の要望を受け入れる形で特別志願兵の募集が始まりました。
1938年朝鮮で特別志願兵の募集をした時には、400人の募集にすぎません。応募者は2948人に達しました。
台湾はシナとの戦いと言うことを考慮してか、募集が始まったのは1942年です。5000人の募集に対し、42万人の応募者がありました。

戦争後半には確かに兵力不足になり、次第に募集者も増え、1944年には徴兵制になりました。
徴兵制になる前の1943年は朝鮮では5300人の募集に対し、約30万人応募者があったのです。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


2.朝鮮併合時における抗日犠牲者数についての質問

■投稿(1)

いつも拝読させていただいております。先日も韓国のキムソフトなどに反論文を書いて欲しいなどとお願いしたものです。英語で論戦中に次のような記事を提出されました。

Between 1905 and 1910, uprisings and rebellions erupted frequently throughout Korea. Japan crushed them with efficient savagery. The Koreans had few weapons, and Japan was a powerful and merciless nation. According to Japanese statistics, 14,566 Korean "rebels" were killed between July 1907 and December 1908. By 1910, when Japan formally annexed Korea, little open resistance remained in the land; and no Western nation spoke out against Japan's seizure of the peninsula
http://www.army.mil/cmh-pg/books/pd-c-01.htm

アメリカ軍の資料で
日本の統計によれば1907年から1908年の間に韓国の抗日勢力が14566人殺害された、とあります。
(親韓派のアイルランド人が出してきた資料 http://www.occidentalism.org/?p=88 でJTなどでも韓国人が引用をはじめております。
この数字は確かでしょうか。

この記事では他の引用はちゃんと出所を脚注で示していますが、これにかんしてはありません。そこをついてもよいのですが、積極的な反駁になりません。そこで、この数字根拠がないとしたらその証拠をお教えいただければと思い質問した次第です。

よろしくお願い致します。

■回答 

海野福寿著『韓国併合』には、朝鮮駐さつ軍司令部『朝鮮暴徒討伐誌 1913年』より、義兵側死亡者数は、1906年82人、1907年3,627人、1908年11,562人、1909年2,374人、1910年125人となっています。この数値から韓国統監府ができ、伊藤が統監に就任したときは、殆ど抵抗がなかったことが分かります。

1907年、ハーグの国際会議に際し、韓国皇帝は韓国政府にも日本が設置した韓国統監府にも何の相談もせず、密使を出し、列国代表に日本の不当を訴えようとしました。第2次日韓協約で、韓国は外交権を放棄していましたので、どの国も相手にしませんでした。

日本政府も怒りましたが、韓国政府も怒りました。林外相が閣議の決定を持って来韓し、伊藤統監と協議に入りました。その結論が出る前に韓国政府が韓国皇帝に詰め寄り、皇帝を退位させました。この事により、反日デモが発生しました。7月18日です。

7月24日第3次日韓協約が結ばれ、日本の内政への関与が強化されました。8月1日韓国軍の解散により、武器を持ったまま帰郷し、義兵運動が始まりました。失業した軍人が、不平分子と手を結んで反日運動が始まったことが分かります。

大変な抵抗があった事は事実と思います。しかし台湾に比べれば、スムースに行った方であり、アメリカ統治が始まったときのフィリピン独立軍との戦いも数年かかり、サマール島の虐殺事件などが発生しています。

イラクにせよ、アフガニスタンにせよ安定した政権が出来るまで、時間がかかるでしょうね。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■投稿(2)

読み返しまして、気づきました。

「大変な抵抗があった事は事実と思います。しかし台湾に比べれば、スムースに行った方であり、アメリカ統治が始まったときのフィリピン独立軍との戦いも数年かかり、サマール島の虐殺事件などが発生しています。」 なるほど、比較的にみれば抵抗は少なかったわけですね。

学生時代は歴史などまったく興味がなかったのですが、最近おもしろく感じるようになりました。「教科書が教えない歴史」を昨日購入しまして暖かみのある歴史の見方がこんなにおもしろいものか感動しております。


3.靖國神社について

■投稿(1)

今晩は。いつも楽しくは意見させていただいております。

九月分の「ご意見箱」の中で、「靖國神社について」と「首相の靖国神社参拝問題」が出されておりましたので、日々神明に奉仕する物と致しまして少し申し上げたく存じます。
「靖國神社について」のご意見の中で、いわゆるA級戦犯の分祀問題に触れておられましたが、これは神社の根幹に関わる問題ですので当事者として申し上げます。

日本全国に数え切れない「お稲荷様」が祀られています。神社の形態としてではなく、町の祠や各会社のお社として祀られている事を考えると、全国で十万を遙かに超えると思います。神社本庁管轄下の神社の総数は、全国で八萬余社と言われておりますことを考えますと、この数がどれだけ多いのかお解りいただけると思います。

その稲荷社のほとんどが、京都の「伏見稲荷大社」より「分祀」されたものです。つまり、前靖國神社宮司の「湯澤氏」が再三テレビでもお話しされているとおり、本家から「お神霊」を頂いても、本家にはその元となる「お神霊」は残るわけです。まさしく元となる一本のローソクの炎で他のローソクに火を灯して行くのと同じ通りで、「神社神道で言う分祀」とは、同じ神さまの「分御霊」を他に遷す事であり、一度神さまとしてお祀り申し上げた「お御霊」をはずすことは出来ません。

<例えば、小野田寛郎さんについても同じ事が言えます。>

これは、私の想像ですが靖國神社で戦没者としてお祀り申し上げていた方がご生存されていると判明した際には、その「祭祀」を取りやめる、或いは祭神からはずすのではなく、「生き御霊」として今まで通り祭祀の対象とされているのではないかと思います。「生き御霊」の概念は説明すると長くなりますのであえて申し上げませんが、古来、我が国では「村を始め共同体」に多大なご功績を樹てられた方を、「カミ」として生きておられる時から、称えていました。(カミの概念を考えますとごく自然なことです…尚、また別の機会にカミの概念に触れたいと思います…)それからもう一点、靖國神社には「鎮霊社」と呼ばれる「摂社」があり、ここで戦没者・殉難者以外の「お御霊」もご本殿のご祭神同様鄭重・厳粛にお祀りされています。

沖縄で非業の最期を遂げられた「ひめゆり女学生の霊」もここで祀られていますし、「民間人」の方、の外国の方の「お御霊」をもこのお社で祀られています。
「アエラ」という雑誌は、「鎮霊社」で祀られている方を「本殿で祀られない云々…」と書いていましたが、この記事を書いた記者は恐らく「鎮霊社」での慰霊の祭典を実際に目にしていなかったと思われます。

それとも「差別意識の持ち主」だったのでしょうか?(中国の「泰山?」では共産党の高級幹部しか祀られていないそうですので…)靖國神社でも特に祭祀に通じた「祭儀部」の責任者が、本殿の祭祀と同様に慰霊の祭典を行っています。このことだけでも、如何に靖國神社が「出自・身分等」関係なく、先の大戦の犠牲者の慰霊に日夜ご奉仕されているかおわかりいただけると思います。

靖國神社を始め、全国の護國神社でなされていることは、身分、出自(日本籍・台湾籍・朝鮮籍・他国)、男女の関係なく戦争で尊い命を国難に捧げられた方を慰霊・顕彰であり、以前にも申し上げたとおり、政治・思想・利権が入り込む余地などありません。
国の体制が、或いは政治方針が変わろうとも国難に準じられた方の「お御霊」をその国の長たるものが「慰霊と感謝と感謝の誠」を捧げることは、現在の世界常識であり人間として当然の務めです。

帝国主義の中国、歴史上の劣等感をいまだに持ち続ける韓国・北朝鮮のヒステリックな言動に惑わされることなく、独立国家の一員として冷静に靖國神社の今あるお姿を見て頂きたいと願わずにおられません。

■回答(1) 

色々ご教示有り難うございます。

ローソクの火の教理は私も知っていますが、分からないのは小野田さんの扱いです。 小野田さんは今も祭神名票に残され、生きながら靖国神社の祭神の一人として祀られているのでしょうか。

ひめゆりの塔で亡くなられた方々は、共に戦った人として或いは本社の方に祀られているのかなとも思っていましたが、「鎮霊社」の方ですか。
東京の戦災で亡くなられた人や、原爆で亡くなられた人も「鎮霊社」に祀られているのでしょうね。

「鎮霊社」での慰霊が、本殿の祭祀と同様であるから、差別がないとの論理は、逆の見方をすると、本殿に祀られている方も、「摂社」に祀られている軍馬や軍犬と同等だと言うことになり、失礼ではないでしょうか。やはり本殿に祀られるか、否かの格の違いを認めるべきだと思います。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■投稿(2)

私の拙いメールに鄭重なお返事をいただき有難うございました。
さて、小野田氏の件につきましては本当に私の想像の為(ご質問されても靖國神社様でもお答えになられないでしょう。ご祭神に関することはそれほど重要なことですので…)間違っているかも知れませんが、生きている時から「カミとして祀る」ということは充分にあり得ることです。

杉本様であれば「神社神道におけるカミの概念」をご存知だと思いますが、私どもが言う「カミ」とは、本居宣長翁が定義された「およそカミとは、世の常ならぬすぐれたる徳有りて畏きモノをカミというなり」の通りです。

それ故、生死関係なく人の魂を「カミ」として崇めるのは本来不思議ではありません。現在神社関係者では「カミ」の概念を、本居宣長翁の定義に基づいて捉えております。只、この概念は今の人たちには余り理解されておりません。神社関係者の努力不足もありますし、キリスト教の「神」(唯一絶対にして万物の創造者、或いはイエスキリスト自身や聖母マリア等)の概念が一般的になってしまったということもあります。また本来「カミ」と表記すべきところを漢字の「神」(中国での神は死者の霊を意味します。それも良い意味ではなく)を使用した事にも由来するかも知れません。キリスト教伝来時には、エホバのことは「神」ではなく「天主様」と呼んでいましたし。

以上まとまりが無く恐縮ですが、神社神道でいう「カミ」が生きている方の魂「生き御霊」であっても不思議ではない理由です。(神社名は申し上げられませんが、現実に生き御霊をお祀りされている神社もあります。)

もう一点のご指摘は仰せの通り、靖國神社の本殿と「鎮霊社」では明確な祭祀基準があります。「本殿」は戦没英霊と昭和殉難者、「鎮霊社」は戦争犠牲者です。また、戦前戦中には陸軍省・海軍省の中で祭祀に関して厳正な決まりがあったとのことですが、今では解りません。

それから、杉本様は「鎮霊社」に軍馬・軍犬・軍鳩も祀られているとお考えなのでしょうか?
本当にそうであるのなら今すぐそのお考えを変えて頂きたいと存じます。

森羅万象全てのモノに魂が宿るとする「神道の考え方」でも、動物の霊と人の霊ははっきり区別しています。(カミが動物の姿を借りて顕在化する神話はあります。また動物の霊を祀ることも神社ではなくとも個人や町内のお社ではあります)が、「鎮霊社」ではたとえ軍馬・軍犬・軍鳩であったとしても動物の魂は祀ってはおられません。

但し、別の場所慰霊碑等で軍馬・軍犬・軍鳩を祀ってはおられます。何卒誤解なされませぬようお願い申し上げます。

また、神社では確かに本殿での祭祀を最重要視致しますが、摂社での祭祀もやはり威儀を正し厳粛丁重に行われるのが常です。

まして、靖國神社様のように年中無休24時間体制(当直の神職が毎日必ずいます。また春秋の例大祭となりますと祭儀部の神職は徹夜だそうです)で慰霊の祭典をされている神社であれば当然摂社の祭祀も厳粛丁重に行われます。

「カミ」である「英霊」「殉難者」「戦争犠牲者」を、祀られている場所で区別或いは差別することは人間側の傲慢ではないでしょうか。

昭和天皇御製

  くにのため 命ささげし 人々の

ことを思へば 胸せまりくる(昭和34年)

杉本様に大変失礼なメールとなってしまいましたが、慰霊の場に政治を始め世俗的な事が持ち込まれている今の状況を憂慮する者と致しまして、少しでも多くの方が、昭和天皇の大御心を戴いてて欲しいと思います。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■回答(2) 

色々ご教示有り難うございます。
どうも今ひとつ「生き御霊」の概念が分かりません。具体的な例を教えていただけませんか。

鎮霊社と慰霊碑とうっかり混同しました。失礼しました。昭和殉難者が祭神としてお祀りしてあることは私も知っています。 ただ沖縄の場合、本殿に祀るべき人と鎮霊社に祀るべき人の仕分けは難しいなと感じる次第です。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■投稿(3)

今晩は。杉本様には続けてのメールとなり恐縮に存じます。

昨日の私のメールには、靖國神社の本殿には「戦没英霊」「殉難者」が祀られているとありましたが、少し補足説明を申し上げます。
「戦没英霊」には、「軍人」のみならず「軍属」も含まれます。
つまり、「従軍医師」「従軍看護婦」「通訳」「技師」として戦場へ赴かれお亡くなりになられた方も祭祀の対象とされています。
また、自ら戦闘行為を行わない方でありながら、「刑死」された方も祭祀の対象とされています。

通訳として戦場に赴かれ、シンガポールにて「法務死」された、元陸軍兵長 木村久夫命の最後の「言の葉」をご紹介致します。
 私の命日は昭和21年5月23日なり。
 もう書くことはない。いよいよ死におもむく。皆様お元気で。
 さやうなら、さやうなら。
 一、大日本帝国に新しき繁栄あれかし。
 一、皆々様お元気で。生前は御厄介になりました。
 一、末期の水を上げてください。
 一、遺骨はとゞかない。爪と遺髪とをもつてそれに代へる。
 朝かゆをすすりつゝ思ふ故郷の 父よ許せよ 母よ嘆くな
 指をかみ涙流して遙かなる父母に祈りぬ さらばさらばと
 をのゝきも悲しみもなし絞首台 母の笑顔をいただきてゆかん
 風も凪ぎ雨もやみたりさはやかに 朝日をあびて明日は出でなん
   処刑半時間前擱筆す。
    木 村 久 夫
      昭和21年5月23日シンガポールにて法務死
      京都帝國大学経済学部 大阪府吹田市出身 28歳


4.日本の宗教観について

■投稿(1)

小泉総理の靖国神社参拝に海外では例によって中国・韓国が反対しました。A級戦犯が合祀されているからなんて、とりわけ韓国の場合は馬鹿げた主張です。

彼らの言う「日帝36年」はナチスと同列の悪逆非道だなんて言いますが、それを言うなら、もっとドイツのことを学ぶべきでしょう。

ニュールンベルク裁判では、処刑された10人の中にポーランド総督であったハンス・フランクが含まれていましたが、それと釣り合いを取るならば、東京裁判でも朝鮮総督を勤めた者が処刑されてもよさそうな物ですが、処刑された7人の中に陸軍大将が5人もいましたが、朝鮮総督を勤めた者はいませんでした(板垣大将は朝鮮軍司令官を勤めていましたが)。

この点からしても、朝鮮統治が悪政だったと指摘された訳でもないですね。

さて、韓国では皇民化政策として、日本は神社参拝や宮城遥拝の強制を行ったなどと主張していますが、これが本当だったら、日本でも当然ありうるべき事で、この程度の事をホロコーストの如く言われたくはありません。

実際のところは、呉善花氏の本(タイトルは失念しました)によれば、朝鮮人の生徒で、クラスで神社参拝を企画した所、中にキリスト教徒がいて、自分は参拝しないと、神社の外で待っていたと言う記述がありました。

一方、日本では、映画「大日本帝国」の中で、キリスト教徒の大学生が教会を出た所を特高警察から、キリスト教を信仰する事で、天皇をかろんじているんじゃないか、軍事教練をサボっているんじゃないか、と疑われて、散々絞られる場面がありました。

それでも、キリスト教徒であることは犯罪ではないために、絞られた挙句に即日釈放となりましたが、実際のところ、当時の日本の宗教観はどうだったのでしょうか。
@神社参拝や宮城遥拝はどのような形で進められていたか。どれだけ強制はあったか。
Aキリスト教に対する社会的な意識。
Bキリスト教徒自身にとっての他の宗教観。特に天皇をどのように考えていたか。

日本の宗教観からすれば、天皇を崇拝し、国家に忠実でさえあれば、よしんばキリスト教徒だろうと当時でもお構いなしだろうと思います。だから、江戸時代のように禁教にしていないと思うのですが、なにぶん、キリスト教は一神教ゆえに、外部から疑われる余地がありますから、難しい問題です。

■回答(1) 

ご指摘の通り、神社参拝の強制問題は、一神教のキリスト教と多神教の日本国民の相克だと思います。

現在も熱心なキリスト教信者や、創価学会の信者の中に、会社の行事として行われる、地鎮祭や安全祈願祭への出席を拒否される人がいます。困るんですよね。他の神様に祈ると、今までの信心の甲斐が失われると言うのですよね。

当時あの激しい戦争の中、色々な団体で戦勝祈願祭が行われたと思います。キリスト教信者だから、神社へ参拝できないと言えば、色々なところから、迫害されるのはやむを得なかったと思います。

日本は割合早い時期にキリスト教との和解が出来ましたが、朝鮮はキリスト教が日本より普及しており、神道への理解が少なかったので、説得には苦労したと思います。

自由史観研究会理事 杉本幹夫