5.大日本帝国に及ぼしたソ連の影響

■投稿(1)

 満州事変以後の日本を見ていると疑問に思う事があります。
何故あんなに日本、特に日本陸軍はスターリンに都合の良い行動ばかりを繰り返したの でしょうか?

 まず第1に支那事変の拡大はそれが中国共産党の謀略だったとしても見事にこれに 乗せられて満州に展開した日本軍を南に向けさせ、極東ソ連地域の安全を保証する結果 になりました。

 第2にノモンハンにおける大敗です。
この戦いの勝利がソ連に一局地戦の勝利以上の戦略的メリットを与えた事は明白です。  

 第3に対米開戦です。  
1941年12月はソ連とスターリンにとって正に最大のピンチでした  何しろドイツ軍がクレムリン宮殿の見えるところまで攻め込んできており  それを冬将軍とジューコフ将軍のおかげで何とか食い止めているという状況でした。  ソ連軍がシベリアから引き抜いた兵力を投入してモスクワ正面で大反撃に出たのは  12月6日、つまり真珠湾奇襲の僅か2日前です。  
この反撃が失敗すればモスクワは危なかったでしょう。  
スターリンは生きた心地がしなかったことでしょう。  

このようなのっぴきならない土壇場で日本がドイツとアメリカを戦争状態に陥れた わけです。スターリンは喜びのあまり踊り回った事でしょう。  
対戦中にアメリカがソ連に送った軍事援助の規模は凄い物でした。  
一説には軍用航空機が約一万五千機、戦車七千台、ジープやトラックがやく四十万 台、その他にも鉄道のレールや食料まで膨大な量です。  
これがあったからこそ工業地帯の多くがドイツ軍に占領されながらあれだけ 大量の戦車や他の兵器類を生産してベルリンまで押し返す事ができたのです。  
そして周知の事ですが対米開戦派の中心は陸軍でした。  

そして第4は終戦の時です。くどくど説明するまでもなく1945年8月という 時期に戦争が長引く事によってどこの国が利益を得るか。  
ソ連しかないわけです。  
そして終戦に強行に反対したのはやはり陸軍でした。 つまり日本ー特に日本陸軍ーは日本の命運を左右する重大な局面において常にソ連 に最も都合の良い行動を取ってきたのです。  

一度や二度なら偶然でしょう、しかし四回もたて続けにです。  
これは果たして本当に偶然か?という疑問が沸いてきます。  
最近、文藝春秋などにも出ていますが昭和20年の2月14日、近衛文麿が昭和天皇 に提出した上奏文にも「軍部には日本の国体と共産主義が両立すると考えている者がお り、満州事変から対米開戦へと事態を悪化させたのは実はこれら共産主義者の謀略による」 とあったそうです。  

私は近衛という人をあまり高く評価しません。あまりに軍事戦略にうとい人だと 思います。  
「南京政府を対手とせず」というあの声明はどうみても愚作です。交渉しないで一体 どうやって戦争を終わらせるというのか?  
しかし、昭和天皇に対して妄想を吹聴するとも思えません。  
そして軍部内に共産主義者(それもかなり有力なグループ)が存在するという情報を いつどこから得たのか。  
この点大いに興味深いです。

 更に「日本の国体が共産主義が両立する」という発想は噴飯ものですが、同時に はっとする物があります。  
二・二六事件のさいに青年将校達の思想的な基本となった北一輝の思想。 あれはまさしく天皇制の仮面をかぶった共産主義というべき物でしょう。  
そして問題なのは、あのような思想が受ける時代背景があったという事です。 1930年代から40年代の世界中の共産主義者には自分の国よりソ連が大事と考える 性質がありました。  

以上の様な点を考えるとソ連にコントロールされた共産主義者グループが日本陸軍内 部に存在した可能性は大いに高いと思います。  
私の勝手な推測ですが「幕僚統帥」を乱発した左官クラスの参謀将校が怪しのではな いかと思いますが

 現在ロシアでは旧ソ連時代の極秘資料が次第に公表されているそうですから こういった資料を詳細に分析すれば何かでてくるかもしれません。  
しかし、たとえソ連の謀略がが大きく働いていたとしても 悪いのはすべてソ連だ、日本は被害者だという主張には賛成できません。  
謀略に踊らされた軽率、無思慮、謀略に対する無防備は歴史の教訓として真摯 に受け止めなければなりません。  
だいたいが敵対する国家間では謀略を用いるなんてあたりまえの事ですから。

 もっとも重要なのは謀略の重要性を理解する事、そして目先の事象に惑わされずに 世界的規模で状況を把握して国家戦略を考える事がいかに重要であるかを理解する事。 歴史の真の教訓を学ぶ事でしょう。

■回答(A−1)

疑問に思われるのはもっともと思います。ただし、私はいくつかの点については、若干違うことも考えていますので、ご参考までに書いて見ます。

<満州事変以後の日本を見ていると疑問に思う事があります。
何故あんなに日本、特に日本陸軍はスターリンに都合の良い行動ばかりを繰り返したのでしょうか?   
まず第1に支那事変の拡大はそれが中国共産党の謀略だったとしても見事にこれに乗せられて満州に展開した日本軍を南に向けさせ、極東ソ連地域の安全を保証する結果になりました。>

中国共産党の謀略だったというのは、必ずしも正確な表現ではありません。当時の中国共産党は、コミンテルンの支配下にありましたから、言って見ればスターリンの指令に添って、日本と蒋介石が戦うように工作したわけです。それを端的に示す例は、盧溝橋事件直後に中国共産党に対して出されたコミンテルン指令です。

 1)あくまで局地解決を避け、日中の全面衝突に導かねばならない。
 2)右目的貫徹の為あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって中國の解放を裏切る要人は抹殺してもよい。
(3.4略)
勿論中国共産党がその意に反してコミンテルンの指令に従ったのではなく、これが彼らにとって最良の手段だったわけです。中国国民にとってよかったかどうかは別にして。

<第2にノモンハンにおける大敗です。
この戦いの勝利がソ連に一局地戦の勝利以上の戦略的メリットを与えた事は明白です。>  

全くです。この戦いが、あたかもソ連軍の勝利であるかのように収束したことは、ソ連にとっては勿論のこと(なにしろ、休戦協定の翌日にポーランド侵略を開始したのです!)、中共、蒋介石軍に翁励ましとなったことは間違いありません。実際に大敗したのは、ソ連の方だったことは今では明らかになっています。日本軍の3倍以上の兵力を前線に投入しながら、死傷者の数では、日本の17405の1.5倍にも当たる、25655という惨憺たるものだったことが情報公開で明らかになっています。戦力二乗の法則というのがあって、2倍の兵力を以て敵と当たると、2の2乗、すなわち4倍の戦力を発揮します。3倍ですから9倍の戦力です。普通だったら、従って損害も9分の1になる所が、1.5倍ですからひどいものです。ソ連を刺激しないなどという軍中央の愚かな方針の為に、スターリンの命令一下どんな犠牲を払ってでも戦力を投入して相手を叩け、という方針に、第一線は敢闘むなしく、やっと反撃態勢を整えた所で、停戦させられてしまったのです。まさにソ連を軍中央は助けました。

<第3に対米開戦です。
 1941年12月はソ連とスターリンにとって正に最大のピンチでした何しろドイツ軍がクレムリン宮殿の見えるところまで攻め込んできておりそれを冬将軍とジューコフ将軍のおかげで何とか食い止めているという状況でした。  
ソ連軍がシベリアから引き抜いた兵力を投入してモスクワ正面で大反撃に出たのは12月6日、つまり真珠湾奇襲の僅か2日前です。  
この反撃が失敗すればモスクワは危なかったでしょう。  
スターリンは生きた心地がしなかったことでしょう。  
このようなのっぴきならない土壇場で日本がドイツとアメリカを戦争状態に陥れたわけです。スターリンは喜びのあまり踊り回った事でしょう。>

ソ連としてはその通りでしょうね。

< 対戦中にアメリカがソ連に送った軍事援助の規模は凄い物でした。  一節には軍用航空機が約一万五千機、戦車七千台、ジープやトラックがやく四十万> 台、その他にも鉄道のレールや食料まで膨大な量です。  これがあったからこそ工業地帯の多くがドイツ軍に占領されながらあれだけ大量の戦車や他の兵器類を生産してベルリンまで押し返す事ができたのです。  そして周知の事ですが対米開戦派の中心は陸軍でした。>

この膨大な武器援助はどこからなされたとお考えですか?北極海のムルマンスク、宗谷海峡、そして印度洋です。その中心は印度洋でした。イランの南半部をイギリスが占領し北半部をソ連が占領しており、ここを通って援助物資が運ばれたわけですが、全援助の7割がこのルートだったと言われています。16年11月15日に決定した「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」によれば、初期の東南アジア資源地帯を確保した後は、印度洋作戦によって英国・ソ連・中國(ビルマルートが断たれた後はヒマラヤ越えの空輸が唯一の補給路)への補給路を断ち、英を屈服させ、蒋政権を屈服させ、米をして戦争継続の意欲をなからしむ、となっていました。この戦略を忠実に実行すれば、
1.ソ連の勝利はあり得なかった(10000機の飛行機が行かなくなってしまうのに、5000両の戦車が無くなり、ドイツに勝てると思いますか)し、また重慶政府の屈服は実現していたでしょう。そうすれば、汪蒋連合の親日政権が中國に出来ます。

大東亜戦争のそもそもの主因であった日支事変の解決です。こうなった所で和平提案をすれば、アメリカとしては戦う名分が無くなるのはありませんか。こうした戦略を全く無視して対米前方決戦にむやみにでて行ったのが海軍です。ミッドウェー戦がその始まりで、更にラバウルの1000キロも先の陸軍の殆どの人が名前すら知らないガダルカナルへ飛行場を造ってそっくりアメリカに差し上げ、その上そこで大消耗戦を行ない、肝心の印度洋作戦を出来なくしてしまったのは海軍です。勿論その海軍にひきづられて南方決戦に深入りした陸軍の少壮参謀を押さえられなかった陸軍にも責任はあります。東条首相はガダルカナルなど大反対だったのですが、海軍は愚か陸軍の統帥権も持っていなかったのでどうにもならなかったのです。

<そして第4は終戦の時です。くどくど説明するまでもなく1945年8月という時期に戦争が長引く事によってどこの国が利益を得るか。  ソ連しかないわけです。  そして終戦に強行に反対したのはやはり陸軍でした。>

確かにそうですが、大陸にいた、100万(+満州50万)の陸軍は、殆ど無傷といってよい状態であった、ことなどを考えると簡単に降伏を承認し難い状況であったことも事実です。しかし、何はともあれソ連に仲介依頼をするなどというのは全くバカか共産主義者かしか考えられないことですね。

< つまり日本ー特に日本陸軍ーは日本の命運を左右する重大な局面において常にソ連に最も都合の良い行動を取ってきたのです。  一度や二度なら偶然でしょう、しかし四回もたて続けにです。  これは果たして本当に偶然か?という疑問が沸いてきます。  最近、文藝春秋などにも出ていますが昭和20年の2月14日、近衛文麿が昭和天皇に提出した上奏文にも「軍部には日本の国体と共産主義が両立すると考えている者がおり満州事変から対米開戦へと事態を悪化させたのは実はこれら共産主義者の謀略による」とあったそうです。>

その通りですが、軍部とは言い切れない要素があります。例えばゾルゲ事件の尾崎秀実です。彼は近衛のブレーン、特に中國問題の最高権威として近衛に影響を与えました。彼は実はコミンテルンの手先というよりも確信犯的なエージェントでした。蘆溝橋事件勃発の後、軍を始め政府もことごとく「不拡大」をとなえました。軍も「不拡大」でした。その中に、一撃派とより穏健に派という違いがありましたが、拡大派というのは実はいませんでした。ところが、進歩的雑誌の改造などで、支那問題の権威尾崎は徹底拡大を当初からとなえていたのです。これが近衛に影響し、また一撃派を拡大派にむかわせたもっとも大きな要因だったともいます。

< 私は近衛という人をあまり高く評価しません。あまりに軍事戦略にうとい人だと思います。 「南京政府を対手とせず」というあの声明はどうみても愚作です。交渉しないで一体どうやって戦争を終わらせるというのか?>

陸軍参謀本部は、何としても和平に持って行くべきだとして、近衛が「相手とせず」表明をするのを阻止しようとして、当時はまだ異例であった御前会議まで開くように持って行きました。その中心者は参謀本部の多田次長(実質参謀本部の最高実力者)です。内閣の多数と海軍が、蒋政権が誠意が内といって和平打ち切りを主張するのに最後まで多田は頑張ったのですが、最後の止めを米内海軍大臣にされたのです。「内閣をつぶすかどうかということだ!」と。

< しかし、昭和天皇に対して妄想を吹聴するとも思えません。  そして軍部内に共産主義者(それもかなり有力なグループ)が存在するという情報をいつどこから得たのか。  この点大いに興味深いです。  更に「日本の国体が共産主義が両立する」という発想は噴飯ものですが、同時にはっとする物があります。  二・二六事件のさいに青年将校達の思想的な基本となった北一輝の思想。 あれはまさしく天皇制の仮面をかぶった共産主義というべき物でしょう。  そして問題なのは、あのような思想が受ける時代背景があったという事です。 1930年代から40年代の世界中の共産主義者には自分の国よりソ連が大事と考える性質がありました。  以上の様な点を考えるとソ連にコントロールされた共産主義者グループが日本陸軍内部に存在した可能性は大いに高いと思います。  私の勝手な推測ですが「幕僚統帥」を乱発した左官クラスの参謀将校が怪しいのではないかと思いますが・・>

確信犯がいた可能性は否定できません。これから資料が出てくるかもしれません。しかし、私は、そういうエージェント的な軍人よりも、尾崎などのように愛国者の衣をきたコミンテルンのエージェントのインテリに影響されて自分は愛国者のつもりでいながら彼らの考え方に同調した軍人が多かった、というのが真相ではないかと思っています。

自由史観研究会会員 水元繁

■投稿(2)

 現在ロシアでは旧ソ連時代の極秘資料が次第に公表されているそうですからこういった資料を詳細に分析すれば何かでてくるかもしれません。  

しかし、たとえソ連の謀略がが大きく働いていたとしても悪いのはすべてソ連だ、日本は被害者だという主張には賛成できません。  謀略に踊らされた軽率、無思慮、謀略に対する無防備は歴史の教訓として真摯に受け止めなければなりません。  だいたいが敵対する国家間では謀略を用いるなんてあたりまえの事ですから。  

もっとも重要なのは謀略の重要性を理解する事、そして目先の事象に惑わされずに世界的規模で状況を把握して国家戦略を考える事がいかに重要であるかを理解する事。 歴史の真の教訓を学ぶ事でしょう。

            

■回答(A−1)

■回答(B)

HPスタッフの渡辺と申します。

ご意見を興味深く読ませていただきま した。おもしろく独創的な視点だと思います。しかし、ノモンハンや対米開戦や終戦の 時期が、すべてソ連の手先の仕組んだことというのは、証拠はないと思います。また、 いわゆる謀略史観になってはいけないのではないかと思います。スパイがいたというこ ととをおおげさに考え過ぎてもいけないと思います。貴殿の挙げられた例をニ、三 検討してみます。

@近衛文麿の言葉
 近衛が言わんとしたのは、戦前の日本がスターリンに操られたということではないと 思います。近衛は、戦前の核心官僚や軍部を右翼と思っていたが、実は彼等は左翼であ ったということに気づいたと、確かそういうことを言ったのだと記憶しています。これ は、今でも同じで全体主義とか統制経済という面では、右翼と左翼は基本思想が合致す ると思います。貴殿が言及された、北一輝の思想なども同じ系統だと思います。

A『ソ連にコントロールされた共産主義者グループが日本陸軍内部に存在した可能性』
これについては、可能性はないと思います。証拠のかけらもないと思います。ただ、い わゆる青年将校たちは、共産主義思想を嫌っていたのだけども、実際は天皇制を除いて は共産主義に近い思想の将校も多かったとはいえるかもしれません。

私は、実証的な面から貴殿のご意見には賛成ではありませんが、推論としてはなか なか興味深いご論考だと思います。またいろいろとご意見、ご教示ください。

自由史観研究会会員 渡辺 龍二

■回答(C)

杉本幹夫です。

私も今スターリンの謀略史観に捕らわれています。
「アメリカも日本も共産主義にあこがれたていた、右翼も左翼も国体の事を外せば、同じである。」 そこを突かれたと言う感じを持っています。 三田村武夫「大東亜戦争とスターリンの謀略」は必読の書だと思います。

又アメリカのルーズベルト政権が如何に共産分子に支配されていたかは、蒋介石秘録、ウェデマイヤー「大東亜戦争に勝者なし」等で明らかです。

私の考えを渡辺さんの回答文中に書きます。

< @近衛文麿の言葉
 近衛が言わんとしたのは、戦前の日本がスターリンに操られたということではないと 思います。近衛は、戦前の革新官僚や軍部を右翼と思っていたが、実は彼等は左翼であ ったということに気づいたと、確かそういうことを言ったのだと記憶しています。これ は、今でも同じで全体主義とか統制経済という面では、右翼と左翼は基本思想が合致す ると思います。貴殿が言及された、北一輝の思想なども同じ系統だと思います。>

近衛文麿の秘書に西園寺公一がいます。彼は戦後共産党に入党しています。彼がゾルゲ事件の尾崎秀実を近衛のブレーンに引き込みました。 そして尾崎秀実は昭和研究会や朝飯会の中心メンバーとして近衛内閣の方針決定に大きく関与しました。彼が、日本よりスターリンの意志に従っていたことは彼自身の手記で明らかです。

< A『ソ連にコントロールされた共産主義者グループが日本陸軍内部に存在した可能性』
これについては、可能性はないと思います。証拠のかけらもないと思います。ただ、い わゆる青年将校たちは、共産主義思想を嫌っていたのだけども、実際は天皇制を除いて は共産主義に近い思想の将校も多かったとはいえるかもしれません。 私は、実証的な面から崎山さんのご意見には賛成ではありませんが、推論としてはなか なか興味深いご論考だと思います。またいろいろとご意見、ご教示ください。>            

この事は11月号の文藝春秋の「日本破れたり」で保阪正康は、一九三八年国民党の政治部長・組織部長をしていた陳立夫の言として、「シナ事変はソ連の演出であり、日本軍の中の共産主義者が関わっていたに違いない。」と主張していたと紹介しています。又中西輝政は尾崎秀実と武藤章軍務局長との緊密な関係から、ゾルゲ事件発覚後武藤章軍務局長が左遷されたと書いています。

武藤が尾崎と親密な関係にあったとしたら、トラウトマン工作や孔煕工作が失敗した理由が分かるように思います。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■回答(B−2)

ご意見ありがとうございました。この件は深入りしても益はないと思 いますが、今後もいろいろなご教示をお願いします。

@近衛文麿の言葉

【近衛文麿の秘書に西園寺公一がいます。彼は戦後共産党に入党しています。彼がゾル ゲ事件の尾崎秀実を近衛のブレーンに引き込みました。>そして尾崎秀実は昭和研究会 や朝飯会の中心メンバーとして近衛内閣の方針決定に大きく関与しました。彼が、日本 よりスターリンの意志に従っていたことは彼自身の手記で明らかです】

 終戦時に近衛が言った言葉の意味は、最初にAさんが提示された趣旨のことを言っ たのではなく、「右翼といっても彼等の本質は左翼であった」という意味で言ったのだ と思います。しかし、これは、私の記憶で言っているだけで調べ直して書いているので はないので、もし違っていればご指摘ください。それとは別の問題で、近衛のプレーン の中に尾崎秀実というソ連のスパイがいたことを、全体の中でどう評価するかという問 題はあると思います。

A【ソ連にコントロールされた共産主義者グループが日本陸軍内部に存在した可能性】

『この事は11月号の文藝春秋の「日本破れたり」で保阪正康は、一九三八年国民党の 政治部長・組織部長をしていた陳立夫の言として、「シナ事変はソ連の演出であり、日 本軍の中の共産主義者が関わっていたに違いない。」と主張していたと紹介しています 。又中西輝政は尾崎秀実と武藤章軍務局長との緊密な関係から、ゾルゲ事件発覚後武藤 章軍務局長が左遷されたと書いています。武藤が尾崎と親密な関係にあったとしたら、 トラウトマン工作や孔煕工作が失敗した理由が分かるように思います』  

陳立夫の言葉を引用していますが、上記程度の話(推論や意見など)はどんなことに でもあると思います。武藤章軍務局長がソ連のスパイであったという証拠はありません 。感覚的にも当時の陸軍に、『ソ連にコントロールされた共産主義者グループが日本陸 軍内部に存在した』というのは、ありえないと思います。また、たまたま思いついた例 ですが、例えば、もし「シナ事変はアメリカの謀略だ」という命題を立てた場合でも、 いろいろ捜せば上記程度のなんらかの証拠は見つけられるのではないかと思います。

自由史観研究会会員 渡辺 龍二

■回答(Cー2)

< @近衛文麿の言葉 「右翼といっても彼等の本質は左翼であった」という意味>

その通りだと思います。1935年のコミンテルンの戦術転換で「天皇と国民の間に介在するブルジョア支配階級、搾取階級を取り除いて、天皇を戴いた強力な社会主義国家を建設しよう」。これが尾崎の理論だそうです。要するに右翼も左翼も天皇制を除けば、殆ど同じだという点を突かれたのです。

尾崎秀実の事は是非調べてみてください

自由史観研究会理事 杉本幹夫


6.南京事件に関する英訳史料についての問い合わせ


■投稿(1)

いつもありがとうございます。英語のブログやフォーラムなどで議論しているものです。
東京に住んでいます。英語で反論するのに以下の書籍が有用と考え、購入を考えています。 外国のアマゾンサイトではあるのですが、日本のアマゾンサイトにはありません。 新宿紀伊国屋にもありません。

一般の書店からオーダーできるでしょうか。出版社の電話番号など教えて頂ければ幸いです。

What Really Happened in NANKING The Refutation of a Common Myth by TANAKA Masaaki 2001 1400yen + postage 400yen Translated & Published by Sekai Shuppan, Inc., Tokyo 
3F Shin Sakuma Big., 2-13-14 Nishi-Shimbashi, Minato-ku, Tokyo, 105-0003 Japan

■回答(A-1) 

HPスタッフの渡辺と申します。

田中先生の本は素晴らしいですが、ご存知かもしれませんが、他に『再審「南京大虐殺」』明成社大原康男 竹本忠雄 があります。
日英対訳ですし、こちらの方が少し簡単というか南京事件の初心者向けですが、討論には十分使えます。田中先生の本と両方買われることをお奨めします。ただ、最新の研究成果は日本語の本でおぎなうしかありません。討論の途中で、二つの本ではわからないことが出てくれば、staff@jiyuu-shikan.org宛に、お問い合わせください。最新の研究成果や文献等をご紹介します。

自由史観研究会会員 渡辺 龍二

■投稿(2)

ご親切にありがとうございます。田中先生のご著書は注文させていただきました。

英語圏では南京事件に関する中国側、あるいはエスニック韓国人によるサイトが蔓延しています。それも証拠に基づくというより宣伝神話の類のものばかりです。日本人として歯がゆいばかりです。日本語でも本件に関して勉強してはいるものの、やはり英語で書かれたものがあればそちらの方が反論しやすいと思い注文させて頂きました。

ところで、再審「南京大虐殺」』明成社大原康男 竹本忠雄 は
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/index.html
で公開されているものとは内容が異なりますでしょうか?

こちらはネット上で公開されているのでそのまま引用ができ大変役に立つのですが、出版されているもののほうが詳細であればそちらも購入したいと思っています。

■回答(A-2) 

日本のために、英文で討論をしてくださってありがとうございます。

ネットの「再審〜」を2、3ページ見ましたが、出版されているものと同じです。公開されているとは知りませんでした。大変に失礼いたしました。また、すみませんが、ご意見やご返信等はstaff@jiyuu-shikan.org 、宛でお願いします。

また、討論の過程において、疑問点や反論しにくい点などでてきましたら、staff@jiyuu-shikan.org宛にメールを下さい。 ほとんどの場合、お答えできるのではないかと思います。

自由史観研究会会員 渡辺 龍二

■投稿(3)

ご親切にありがとうございます。感謝申し上げます。

南京に関しては日本人研究者のなかにも諸説があるようで、なかなか素人には全体像を把握しにくいところがあります。ただ、中国側が主張するのは明らかに政治的意図に基づいたねつ造が多々あるようです。ネット上ではそこをつければまずまずの成果ではないかと思っています。日本語の文献を読んでもそれを英語に表現し直す場合、独特の表現があるので、そうした点も参考にしたいと思っています。また質問させて頂くこともあるかと思います。そのときは宜しくお願いします。

韓国側ではキムソフトなど英文反日サイトなどが充実しており、当方も歯がゆい思いをしております。彼らの反日言動にもパターンがあるようですね、なお、貴兄サイトはとても役に立っています。謝罪賠償などは常々話題になり参考にさせて頂いております。

ありがとうございます。より一層のご活躍を期待しております。

■回答(B) 

ご興味をお持ちいただき、有難うございます。

世界出版社 (〒105-0003 港区西新橋2−13−14) の
電話番号は 03−3 519−4366、  
FAX は03−3519−4367、
メールは ( sekai-shuppan@gol.com ) です。

いずれかの方法でコンタクトいただければ、入手可能かと思います。 英語圏での議論は相手が多く大変と思いますが、心より応援いたします。

自由史観研究会会員 野口ひかる