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■投稿(1)
初めて寄稿させていただきます。何卒よろしくお願い致します。
さて、東京裁判がその唯一の源泉をマッカーサーの裁判所条例(チャーター)とした、国際法を一切無視したでたらめな裁判であったかは、周知の通りですが仮にも国際裁判と名のつく以上、ここまでひどい判決に至る前に何かしらの予防策はなかったのかとの見地から、感情論と自覚した上で下記の質問をさせていただきたいと思います。
@1919年6月28日締結のベルサイユ条約には、わが国も英・米・仏・伊の発足間際である国際連盟常任理事国の予定国と肩を並べ、国際連盟規約に賛同した上で調印しています。したがってわが国が1933年3月28日にリットン報告及び満州問題に関する採択を不服とし連盟を脱退しているとしても、脱退するまでの間は加盟国として分担金を納めていたことであろうと思いますし、いかに国際連盟が形骸化されていようとも、連盟に軍事的紛争の仲裁裁判を委託する権利はわが国は有していたのではないかと私は考えるのです。国内世論的には民衆もマスコミもそろって総懺悔状態ではあっただろうが、例えば心ある有識者のなかで裁判所の外(パール博士のような中からでなく)から国際世論に裁判の違法性を訴えたという具体的な事例がありましたら、その個人名(あるいは団体名)も含めお教え下さい。
A1928年8月27日調印の、パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)の骨子とは、あらゆる国際紛争を平和的に解決することを各国、申し合わせたものですが、その国際紛争たるものが何をもって侵略を指すものなのか、あるいは自衛を指すものなのか、その定義は各国の意見において一致せず当のケロッグ米国務長官すら自衛権がどこまでの範囲なのかは各国の主観に委ねるとし、結論は避けました。 このことをふまえて今後論争が必至とされる憲法九条の改正問題に必然的に伴う、(国際紛争を解決する手段)あるいは第一項の(正義と秩序を基調とする国際平和)の解釈の仕方について事務局のかたなりのご意見、私見をお聞かせ願えたらと存じます。
年末に向けお忙しいことは承知しております故、急は要しませんのでお手隙の折にご返事頂けたら
と存じます。 よろしくお願いいたします。
■回答(1)
HPを読んでくださってありがとうございます。HPスタッフの渡辺と申します。
下記の二つの問題ですね。
@『いかに国際連盟が形骸化されていようとも、連盟に軍事的紛争の仲裁裁判を委託する権利はわが国は有していたのではないかと私は考えるのです。国内世論的には民衆もマスコミもそろって総懺悔状態ではあっただろうが、例えば心ある有識者のなかで裁判所の外(パール博士のような中からでなく)から国際世論に裁判の違法性を訴えたという具体的な事例がありましたら、その個人名(あるいは団体名)も含めお教え下さい』
寡聞にして、当時、国際世論に裁判の違法性を訴えたという具体的な事例は知りません。戦争の勝ち負けの力関係のことですから、国際世論や国際連盟に訴えるということは無意味なことだし、負けた方がそういうことをするのはいさぎよくないと思います。裁判の中でこちらの言い分を主張するのが最も良い方法だったと思います。負けたならきれいに負けなければ将来に良くないと思います。例えば進駐軍に対してゲリラ戦をやるようなものだと思います。
A『1928年8月27日調印の、パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)の骨子とは、あらゆる国際紛争を平和的に解決することを各国、申し合わせたものですが、その国際紛争たるものが何をもって侵略を指すものなのか、あるいは自衛を指すものなのか、その定義は各国の意見において一致せず当のケロッグ米国務長官すら自衛権がどこまでの範囲なのかは各国の主観に委ねるとし、結論は避けました。 このことをふまえて今後論争が必至とされる憲法九条の改正問題に必然的に伴う、(国際紛争を解決する手段)あるいは第一項の(正義と秩序を基調とする国際平和)の解釈の仕方について事務局のかたなりのご意見、私見をお聞かせ願えたらと存じます』
自由主義史観研究会の会員はそれぞれ自由な立場で発言していますので、今から述べることも私の私見です。さて、自衛か侵略かの定義ですが、『各国の主観に委ねる』、それ以外の定義はできないと思います。パリ不戦条約というのは、相手国を非難する時に持ち出すだけのものだと思います。
憲法九条の改正問題に必然的に伴う、(国際紛争を解決する手段)については、自衛か侵略かの定義できまる問題ではないと思います。歴史からみると、軍事を軽視しても逆に軍事を重視しても、国は滅びます。この両極端の間で、その時の状況でどの程度のスタンスが適当かということだと思います。また、日米で世界のGDPの4割くらいを占める現実、そして長期的には米国の経済的衰退が予測される中で、今後の日本は軍事面でも世界に対する責任をはたさなければならなくなっているという流れはあります。
予測されていた答えとは違ったかもしれませんが、人それぞれの思想の枠組みも違うのでしかたないと思います。ご意見等ございましたら、staff@jiyuu-shikan.org宛でお願いします。
自由史観研究会会員 渡辺 龍二
■投稿(2)
渡辺様、早速のご回答ありがとうございます。
@の回答につきましてはその様な考え方もあるでしょうし、
裁判前に国際世論に訴えるのは、事前に根回しするようでたしかに潔くないですね。
ただ私は米国務省がマッカーサーに命じた戦後の対日政策の「終極目的」が、戦犯の断罪ではなく「日本の徹底的な民主化」にあったはずなのにいきなり日本国民の頭をハンマーでガツンとやったそのやり方がどうしても許せないのです。
わが国からは無理だとしても、せめて中立国からの判事の選出が可能ではなかったのかと・・・しかし考えてもみたら国際連盟イコール極東委員会の11か国ですから、とんだ愚問でした(苦笑)
Aの回答につきましては、まったく同感に思います。
憲法九条改正問題は、わが国の安全保障問題に直結する重要課題です。戦争の性格が自衛か侵略かの区別は非常に困難ですが、国家の根本規範である憲法には、自衛と侵略の「概念的仕分け」を明確に記す必要があるとおもいます。
具体的な国防観としては、大東亜戦争直前のGNP比19.2パーセントもの軍事費に達した軍事大国となることは肯定できませんがアジアにおいて孤立しつつある今こそ「自分の国は自分で守る」たにはどうしたらよいのかを国民全体で考えるべきではないかと思います。それはやはり自主防衛に予防的先制攻撃を含むかという解釈問題だということです。私はそのことはやはりきっちりと憲法改正試案に示し、あとあと誤解釈の生まれる根を絶ったうえで本改正に望むのがよいと考えますが、別のご意見がありましたらぜひ、お聞かせください。
よろしくお願いいたします。
■回答(2)
日本の近現代史について、深く考えられているので素晴らしいと思います。
こういう問題は、人それぞれ考え方が違って当然です。しかし、再びご意見がありまし
たので、私見を少し補足します。
@東京裁判について
<裁判前に国際世論に訴えるのは、事前に根回しするようで
たしかに潔くないですね。
わが国からは無理だとしても、せめて中立国からの判事の選出が
可能ではなかったのかと・・・>
日本は、広大な太平洋に空母機動部隊を展開して、いわば横綱相撲をやったのです。負
けたならきれいに負けるべきです。それにその方が早く再起できます。『裁判前に国際
世論に訴える』というのは、いさぎよくないというかそういう発想には違和感を感じま
す。
また、東京裁判は、普通の意味の裁判でなく戦争の継続であったと思います。しかし、
講和条約を結んで戦犯が釈放されれば、後はなんの効力もありません。そして昨日の敵
は今日の友です。
A憲法九条改正について
<根本規範である憲法には、自衛と侵略の「概念的仕分け」を明確に記す必要がある・
・・
そのことはやはりきっちりと憲法改正試案に示し、あとあと誤解釈の生まれる根を絶ったうえで本改正に望むのがよいと考えますがアジアにおいて孤立しつつある今こそ・・・>
おっしゃるように改正の時にはいろいろと議論がされると思います。しかし、自衛と侵略の定義は不可能ですから、変化していく国際状況の現実に対応できるような条文の表現にするか、そのつど度改正できるように改正しやすくするか、どちらかだと思います。前回と同じことを繰返しますが、歴史上では、軍事行動を軽視した国も逆に重視しすぎた国も滅びます。その両極端をはずして、状況と日本の立場によって常に軍事の比重が変化できるようにするべきです。
また、日本がアジアにおいて孤立しつつあるとは全く感じません。中国や韓国の方が「手」を失いつつあるので、めんくらっていると思います。中国や韓国の今までの対日外交からすれば、対等の関係になれば摩擦があって当然なのです。そのことで日本は他のアジアの国から信用を増すことはあっても、信用を失うことはないと思います。例えば、中国に言われて靖国参拝を止めれば、他の国は腹の底では日本を軟弱な国だとみなすでしょう、いざという時に頼みにすることができない国だと考えると思います。
自由史観研究会会員 渡辺 龍二
■投稿(3)
渡辺様、 東京裁判ならびに改憲に関してのご私見ありがとうございました。なるほど、そのような考えかたもあるなとあらためて納得しました。おおいに参考となりました。
歴史に関する本などを読む場合、自分のお金をだして買ったものはどうしても贔屓目にみてしまいがちなので、できるだけ普段は図書館で読むようにしています。経済的でもありますし、そのほうが客観的に読めるような気がします。それに私自身まだそこに書いてあることの真贋を見抜けるほどの読解力というか力量がまだまだないものですから。
角度を変えた見方、またお考えは大変参考になります。
今後ともなにとぞよろしくお願い致します。
さて、矢継ぎ早の質問で恐縮なのですが(図書館で調べてもわからなかったもので)
質問・・・上海における「ドイツ軍事顧問団」とは、いかなるものだったのか。
藤岡氏と東中野氏との共同著書「ザ・レイプ・オブ・南京の研究」(祥伝社)の34ページに、<松井石根大将率いる上海派遣軍が上海陥落にさいし、戦死者、戦病死者合わせ1万5000人もの大損耗を被った第二次上海事変で、日本軍が苦戦を強いられた原因に兵卒の数の差のほかに、蒋介石軍に軍事訓練の手ほどきをした「ドイツ軍事顧問団」なるものの関与があった。(ラーベも日記に書いていたそうですが)とありますが、この「ドイツ軍事顧問団」なる組織がどのような組織であったのか詳しくお教え頂きたいのですが。
わが国とドイツの間には、その前年(1936年11月)にそれが中国国民党政府でなくソ連に対しての牽制目的であったとはいえ、「日独防共協定」が締結されて表面上は良好?的な関係にあったのでは、と思うのですが。そのこととの因果関係も含めて解かる範囲でけっこうですのでお教えいただけたら幸いに存じます。
■回答(3)
こちらこそよろしくお願いいたします。人それぞれ見解が違うは仕方の当然のことだと
思います。
さて、中国のドイツ軍事顧問団についてですね。
<わが国とドイツの間には、その前年(1936年11月)にそれが中国国民党政府でなくソ連に対しての牽制目的であったとはいえ、「日独防共協定」が締結されて>
その当時のドイツの軍事顧問団のトップはファルケンハウゼン(中将でドイツ国防軍をやめた人物です。その前はドイツ国防軍生みの親のフォン・ゼークトでした)で、ドイツ国防軍・経済界と中国とのつながりは「日独防共協定」に関係なく続いていました。それによって、国民党軍はドイツから武器の供給を受け、ドイツ人顧問に教育された重火器を装備した近代的な師団が充実していました。
ファルケンハウゼンは、数日間ですが、上海でも直接に指揮をとっています。戦争中にも莫大な兵器がドイツから中国に輸出されています。その上海戦で日本軍は大きな損害を受けました。コンバットというアメリカのテレビドラマをご存知ですか。注意して見れば、第二次大戦中のドイツ軍の独特のヘルメットや棒のような形の手榴弾がわかります。当時の中国軍の精鋭もそういうヘルメットや手榴弾を使っていました。
ファルケンハウゼンやジーメンス社のラーベは、親中反日であり、ドイツ政府を反日にしようとしていました。しかし、戦争は日本軍の勝利が続き、南京が陥落したりドイツ人トラウトマンの和平工作が失敗したりしました。ドイツ政府の態度も徐々に変わり1938年4月に武器輸出は禁止され、7月にはドイツ軍事顧問団は帰国しました。しかし、中国への秘密の武器輸出は第二次世界大戦が始まるまで続きました。
自由史観研究会会員 渡辺 龍二 |