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■投稿(1)
本日、初めてこのサイトを覗きました。
まだ意見のところを読んだだけですが、研究会の皆さまに国民の一人として感謝申し上げます。
外国の方々(反日日本人もですが)から、修正主義と批判されていますが、プロパガンダがどのように成功を収めて行ったかが外国人には特にわかりにくいのかもしれません。
私たちが中国や韓国の主張に接したときのような外国人の反応には戸惑うばかりです。
日本が今このような批判に晒される大きな原因となった『ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム』について、このプログラムが中国や韓国に与えた影響なども含めて、書いていただけないでしょうか。
戦前におけるアメリカの共和党と民主党の対日政策の違いも日本にとっては大きかったようですね。
外交や戦争が、こんなにも日本人の歴史観を壊したというのは恐ろしいことです。
もちろん今の今まで持ち直せなかった日本も日本ですが、世界にデビューして間もない幼年期の日本にとっては、仕方の無いことだったのでしょうか。
日本国民も天皇家も再び受難のときを迎えたのかもしれません。
取り止めの無い話になってしまい失礼致しました。
皆さまの健康とご活躍をお祈り申し上げます。
■回答(A-1)
HPを読んでくださってありがとうございます。
HPスタッフの渡辺と申します。
<『ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム』について、このプログラム
が中国や韓国に与えた影響なども含めて、書いていただけないでしょうか。>
直接には影響を与えていないと思いますが、日本の左翼や活動家を通して間接的には影
響があったかもしれませんね。
<外国の方々(反日日本人もですが)から、修正主義と批判されていますが、
プロパガンダがどのように成功を収めて行ったかが外国人には特にわかりにくいのか
もしれません。>
私は歴史を修正しようは思いません。外国の方に対しては事実を淡々と示せばどうでし
ょうか。今後ともよろしくお願いいたします。ともにがんばりましょう。
自由史観研究会会員 渡辺 龍二
■回答(B-1)
会員の大場と言います。
会報『自由と教育』に、毎月拙論を掲載させていただいている者です。
ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラムについて、上記保坂氏が興味深い本を書いています。
『会報』掲載とは別の論文から引用します。参考にしていただければ幸いです。
【戦後の歴史教育は色メガネ史観であった】
ところが、戦後になると形相が一転するのです。このことを理由に、「戦後の日本はGHQの植民地であった」、とする説も生まれるのです。
『太平洋戦争の歴史的意義』の著者上山春平氏は戦後教育を、三つに分類しています。
ただ、現在の読者には分かりにくいと思われますので、別のことばになおします。
@ マッカーサーなど占領軍による「太平洋戦争史観」の徹底。→アメリカを主体とする連合軍の「正義の戦争」。アジア開放のための「大東亜戦争」史観は認めない。
(上山氏では「デモクラシー列国の、反ファッシズム闘争の勝利であった」。分かります?
A レーニンの『帝国主義論』に基づいて、日・独・伊帝国主義と欧米帝国主義の激突に過ぎなかった。→人間開放のためには、「社会主義革命が必要である」と説く。
B 中国共産党や蒋介石国民党の見解では、日本帝国主義の中国侵略に対する抵抗運動の勝利。
それに、C朝鮮・台湾をはじめ東南アジア「植民地化史観」が加わり、ひたすら「悪者日本・自虐的史観」にさせられてしまったのです。
わたくし筆者を含め、戦後教育を受けた者には、この四つの史観から自由であることは極めて困難だったのです。毛利氏・司馬氏もそうだったのです。
「こうした歴史観は、何かおかしい」、と感じていた人たちも何人かいましたが、決定的な歴史見直しが始まったのが、「はじめに」で言及しました《ベルリンの壁崩壊》だったのです。
改めて、現在の歴史書・歴史教科書を検討すると、面白いほど、「理屈に合わない=[例]常識的・時間的に無理」なものが、山ほど出てくるのです。
「参考文献を発見】
ところで@のGHQ史観にについて、保阪正康氏の『日本解体』(産経新聞社 ~15年刊)副題「『真相箱』に見るGHQアメリカの洗脳工作」という本を図書館で見つけました。
昭和二〇年一二月八日(意図的か? 真珠湾攻撃のあった日)、GHQは、全国すべての新聞に「連合国総司令部の記述せる太平洋戦争史」を一斉に掲載させたのである。……
……掲載がはじまった翌日から、ラジオで「真相はかうだ(まま)」という番組が放送されている。新聞とラジオという二つのメデアを使った大がかりな教育である。
また新聞社に寄せられた「投書に答えるという筋立てで」、「十二月九日から翌二十一年二月十日までの十週間にわたって、週一回放送」されたというのです。保阪氏は、その『真相箱』の回答の一つ一つを引用され、敗戦の「真理的空白のなかで、GHQの意図する〕特定の価値観が入り込み、それが価値体系の根幹〔国民にGHQ史観を徹底させる〕を成すように配慮されていたことに改めて、実感したと、「あとがき」に記しています。(内容略)
【西欧史観「人間の歴史は闘争の歴史」】
「毛利敏彦氏や司馬遼太郎氏も戦後の四つの史観から自由ではなかった」、と述べました。
特にギリシャ・ローマから現代欧米の一貫した歴史観、「戦いは万物の父である」(ヘラクレス)。そして、市民革命時「闘争の歴史」(ホッブス)、近代「階級闘争の歴史」(マルクス)でした。それらを定説と考え、日本の歴史にも通じると考えたことが、両氏の〈伊藤、または江藤陰謀〉説を生みだす要因であった、と思うのです。
「所詮人間は私利私欲の存在で、自己の利益を脅かすようなことは絶対にしない」、と。例えば、毛利氏は、「岩倉具視など所詮公家さま、自己保身と権謀詐術の権化であった」、とみなしてしまったのです。それは、毛利氏だけでなく他の学者についても当てはまるのです。
ところが、豊穣の地日本では、その方程式が当てはまらないのです。そのことを実は戦前の日本人は注知っていたのです。一方、戦後の知識人は忘れてしまったのです。
ただ一九八九年の《ベルリンの壁崩壊》後、わたくし筆者たち「団塊の世代」もしくは「全共闘世代」は、若い頃から権威否定を行っていましたから、過去を捨て歴史再検討を行うことが容易だったのです。
『従来の《政変》解釈に異議あり』より
自由史観研究会会員 大場 敏夫
■投稿(2−A)
渡辺 龍二 先生 こんにちは。
お忙しい中、わざわざお返事をありがとうございました。
お返事がいただけるとは思っておりませんでしたので、恐縮しております。
私は、最近になってネットの言論に触れ、いろんな本を読むようになりました。
ネットでいろんな意見を見ていると、様々な検証をくわえているにも拘らず、『修正
主義者』と決め付けられているのを見かけます。不思議で仕方ありません。反日日本
人や中・韓ならわかるのですが、そのほかの国の方々も多いようです。しかも、いく
ら読み直しても大した根拠が無いのですから尚更に納得できないのです。
いろんなものを読むうちに私の中では妄想にも似た、こんなイメージが出来てきまし
た。
WGIP→日本人の歴史観→反日勢力→海外親中メディア→在外中国人・韓国人→海
外世論
もちろん、それぞれの国に違う事情もあり、こんなに単純であるはずが無いのです
が、
検証すら受け入れられないというのは、どうしても理解できません。
何か理由があるはずと思ってしまいます。
いろいろ思うものの、表現したり説明したりする能力の無い身としては、
研究会の皆さまのご活躍を願うばかりです。
これからも、どうか頑張ってください。
■投稿(2−B)
■投書(2−B)大場 敏夫 先生
こんにちは。
お忙しい中、わざわざお返事を頂き、ありがとうございます。
たいへん難しい内容で、全てを理解できそうには無いのですが、 これまでの日本人の歴史観には、 (1)米占領軍による『太平洋戦争史観』、
(2)レーニンの『帝国主義論』、 (3)中国のプロパガンダ、 (4)植民地化史観など、複合的な原因があるということでしょうか。
『何かおかしい』と感じながら、負わされた罪悪感を捨てきれないために沈黙してしまっていたということでしょうか。
プロパガンダが成功する理由は人間の罪悪感に訴えるせいなのかもしれませんね。
毛利敏彦氏や司馬遼太郎氏が(私は読んだことが無いので)、『所詮人間は・・・』というお考えを持っていたとは存じませんでした。ですが、人間が自分の利害を超えて大きな理想を持ちうると考えるより、矮小な存在である方が、プロパガンダには好都合ですね。
唐突ですが、日本に天皇陛下がいらして良かったと思います。
私たち日本人は天皇陛下を通して2000年以上も前の日本人を感じることが出来ます。
天皇家や各時代の権力者の意向だけでは、2000年続くことは難しかったのではないでしょうか。
私は、そこに利害を超えたものを感じます。
話題が逸れてしまいましたが・・・。
最近日本から発信される日本独自の史観はなぜ『修正主義』という非難を受けなくてはいけないのでしょうか。
なぜ検討してもらえないのでしょうか。
私は外国人の拒否反応のような対応には不信感を持ちます。
なぜ、あのような反応が中・韓だけではなく海外に広まったのか、納得できません。
何か理由があるはずだと思うのです。
研究会の皆さまのご活躍を、心からお祈り申し上げます。
■回答(B-2)
早速のメール、ありがとうございました。
< 複合的な原因があるということでしょうか。
『何かおかしい』と感じながら、負わされた罪悪感を捨てきれないために沈黙してし まっていたということでしょうか。>
上記の質問に対し、私は現在執筆中の仮題『辛亥革命と満州国』において、1989年《ベルリンの壁崩壊》まで、1848年『共産党宣言』から「150年間、なぜ知識人は社会主義・共産主義を信じてきたのか?」と自問し、自答として、「人間も動物である(←当たり前)」。
だとすれば、ネコ科の動物がマタタビを食べるとメロメロになってしまうように、人間にもマタタビがあるはずだ、それも言語に。
「マルクス主義を信じたのはなぜか?」
答えは、彼が自らを「科学的」だと答えたからだ。そして社会主義・共産主義社会は、「科学的=歴史的必然である」、と断言したからだ。
「科学的論拠」は物理・化学と同じで数え切れない実験が必要である。
ところが一方を「空想的(社会主義)」と糾弾し、自らを「科学的」だとレッテル付けることで、多くの知識人(また、レーニン・スターリンも毛沢東)は、何ら検証なしで信じてしまったのです。
つまり、「科学的」ということばがマタタビだったのです。
歴史的に検討すれば、この「マタタビ的ことば」は大量に発見できるのす。例えば、@「正義」です。対する「邪悪」という言葉で何百・何千万人の人々が殺されたでしょう? A「正統・異端」もそうです。 B〜は、一言でイディオロギーの違いです。
「種の純潔性」なども、ある種の人々には媚薬ですね。
中国の中華思想、韓国・朝鮮の儒教的価値観などもそうです。
そして、上記の質問に対する答えが次です。
日本人にとって、心地良い媚薬・マタタビは、「怨霊思想」です。
誰にも恨まれたくない。こき使った針が恨みに思うかもしれない→針供養です。
そして、日本人の「××供養」感が、戦後「負わされた罪悪感」だったのです。
兵士として実体験がなくとも、「知らないうちに、また、どこか別の場所で戦友が現地人に悪い事をし、迷惑をかけたとしたら、まず謝ることが先決だ」「恨みを買ってはいけない」。
また、中国や韓国・朝鮮は、その媚薬を利用して、例えば靖国参拝批判をしているのです。
蛇足ですが、今回の論文の主張は、「1911年《辛亥革命》は、過大に評価されすぎている。革命後共和国国家になったことなどない。1945年の終戦まで、唯一法秩序があった場所は満州国しかなかった」、というものです。
孫文を神格化している中国人(中国通日本人)にとって、辛亥の年に起ったクーデタ劇を《革命》と呼ぶことで、「媚薬=またたび」化してしまったのです。
天皇制については、『宋史』の中、「中国皇帝が羨んだ」と記されています。
自由史観研究会会員 大場 敏夫
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