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1.何故異議を唱えぬ? 小泉首相の靖国参拝の「本質」 |
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スタッフの皆様、新年あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。
超党派議員が働きかけていた、国立追悼施設の建設のための、調査費が「まだ世論の支持が不足」との理由で見送られたとの年末の報道にホッとしたのもつかの間、年明け早々中国当局の不当な圧力行為によるとされる、上海総領事館員の自殺問題が発覚し否応なしに波乱の一年を予感させられる年始めとなりました。
さて、年頭にあたりまして昨年来私がずっと抱いていた靖国参拝に関しての小泉首相の戦争認識につきましてスタッフのかたのご意見を頂戴いたしたくその前に私なりの考えを述べさせていただきたいと思います。
昨年四月のアジア・アフリカ首脳会議の席にて、小泉首相が「わが国は極東国際軍事裁判を受諾し、A級戦犯は戦争犯罪人と認識している、私が靖国神社に参拝するのは断じて一握りのA級戦犯のためではない」との声明を出したのはまだ記憶に新しいところです。
国際会議という「公の場」において、一国の首相がこのような言葉を臆すこともなく発することの意味を小泉首相は果たしてどのように認識しているのでしょうか。
最近でも同じ内容のことを、マスコミの前でも何度か繰り返し発言しています。
これらの小泉首相の発言に対し、国民はもとより政治評論家や学者の間からすら何故批判の声があまり聞こえてこないのかと私は思うのです。
S・F講和条約第十一条の解釈を小泉首相がかように認識していることについて、ここでくどくどと書き立てるつもりはありませんが、本来日本人の戦争に対する歴史観の問題でも、ましてや中・韓の歴史観の問題でもない靖国問題について国際会議という公式の場において自虐的表現を持ち出し、ますます中・韓の外交の道具として靖国が利用される事態をさらに悪化させた小泉首相の責任は量り知れません。
靖国神社とは時代も個人の宗教的信条も主義主張も超越したところに在るべきものです。
たしかに小泉首相は、靖国参拝に関し「他国が干渉すべきではない」とも発言して心ある国民の喝采を博しはしました。しかし私が言いたいことというのは国民が首相の靖国参拝という「行為」そのものに対する評価こそあれど、その「本質」が奈辺にあるのか、つまり小泉首相の「わが国は国策を誤った不正義の戦争をした」との認識に基づいた上での靖国参拝に対しての批判が批評家も学者もマスコミまでも含めあまりに少なすぎると感じるのです。
歴代内閣の中でも、小泉内閣は飛び抜けて高い支持率を誇ってきました。小泉首相本人の持つポピュリティが政策とうまくシンクロナイズし、国民から支持されたということでしょう。
「民衆(私もですが)はポピュリズムに弱い」などとここで書くつもりはありませんが、歴代首相の中においても稀有の人気を博す小泉首相のそのような発言が、民衆に与える影響は大なのです。
多大な影響力を持つ立場の人間が歴史評価にまで踏み込むべきことではないし、仮にそれが許されるとしたなら私情は排除された上でのみ許されるべきことではないでしょうか。
安倍官房長官の「先の大戦の国策に対する評価は歴史(歴史家)に委ねる」との弁は、まだ国民の常識の範囲であると思います。
小泉首相の「戦没者全般に敬意と感謝の誠を捧げる」との言葉に嘘、偽りはないと信じたいですが、もしそうであるなら「戦争犯罪人」などの言辞など発せず正々堂々、日本国内閣総理大臣たる資格において参拝するべきだと思います。
小泉内閣以前における宥和政策と比較すると、対外的に毅然とした外交を図っているかのようにも見えますが肝心の国内の反日勢力を喜ばせるだけの軽率な発言や、国民の贖罪意識をいたずらに煽るがごとくの言辞を発する小泉首相は、日本国政府の歴史認識の露呈というよりは個人的感情を公に明言したことにより、外交問題をただ複雑化させただけの結果にすぎません。
私は、共和制につながる危険性をはらんだ首相公選制には反対の立場ですが、現行憲法改正にはおおいに期待する側の立場でもあります。
しかしある世論調査によると改憲に賛成する人々の大半は「首相国民投票制を新憲法には明文化せよ」との賛成理由からのようです。仮に百歩譲って首相国民投票制を導入するとしたならば、同時に内閣不信任案による国会決議でなく、首相の罷免も直接国民投票によりなされるべきとせねばならないと思います。
そのために必要とされる一人一人の国民意識としては、野党から「衆愚政治」などと揶揄されない、つまり国民投票をするに値する「資格」を有すべき国民となる努力を重ねていくべきであろうと私は考えます。
つい、くどくどと書くつもりはないなどと言っておきながらくどくどと書いてしまいましたが、国のゆく末を案ずること故とお許しください。
■回答
本年も宜しくお願い申し上げます。
靖国問題について政府がもっと歴史的な経過を説明すべきだと私も思います。
11条問題で相手は日本を攻撃してくるのだから、11条の後半で「全員国際的に赦免されている」と反撃すべきだと思いますが、その様な主張をする人が少なく、いらいらしています。
さすがに稲田弁護士(今回衆議院に当選)はチャンネル桜でしっかり説明していました。
11条とは戦争裁判を受け入れ、勝手に釈放してはならないと言う条項です。それと共に後半部では、日本国の提案により関係各国が同意すれば、釈放することが出来る事になっています。
その条項を受け、日本の国会では4回も赦免要請決議を行い、関係各国の了解を得て全員釈放されました。その結果全員恩給が貰えることになりました。この時点で、日本には戦争犯罪者は一人もいなくなったのです。従ってA級裁判で無期刑を科せられた賀屋興宣が法務大臣になっても、どの国からも苦情が出なかったのです。
このような歴史的事実をしっかり主張すべきだと思います。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
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2.韓国人の本質 |
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私は韓国と友好関係を築いていきたいと思っています、それは現在歴史上最も日韓関係が最悪であり一刻も早く正常な関係に戻していかなければなりません。日韓関係のもっとも良好な関係とは、韓国と国交断交をすすめることです、もちろん韓国人と朝鮮人の皆様は順次祖国へ帰国してもらうことです。
韓国人(朝鮮人)は嘘を平気でつきます、もちろんどこの国の人も嘘をつきますが、国家として平然として嘘をさも本当のように国家ぐるみ国民総ぐるみで嘘をつくのは韓国人だけです。中国人も南京事件その他の歴史を曲げたり、東シナ海の石油開発、潜水艦の国境侵犯等不法な行動は許せません。しかしそれは中国自身、嘘とわかっていて、あくまで交渉の手段として使っています。韓国人はごく一部の人を除いて日本のお陰で今日があることを全く知ろうとしません。感謝まではされなくも批判されるゆわれはありません。
日韓閣僚会議など日本にマイナス(韓国にプラス)はあってもプラスはなにもありませんから韓国とは話合いをする必要はありません。
NHKは偏向教育がもたらした自虐的日本人か、帰化した在日韓国人朝鮮人が在籍しているようで韓国の宣伝を毎週放送しています、ほんと日本人として情けないです。
韓国人の本性は金正日、文鮮明、この2人は全く思想が同じです。また最近新聞を賑わしているソウル大学の黄教授そしてそれを支持した殆どの韓国人も金正日、文鮮明と全く同じ思想です。
韓国人は日本で悪事のし放題です。日本人は歴史の過去に朝鮮経由でも文化が入ったことで必要以上韓国に対しなんと言うか有り難味を感じる人がいます。(統一教会はまさにその心理を巧みに利用して日本人は韓国人に隷属すべきと説く)
韓国人は本当に悪い人種です、一刻も早く日韓国交断行と韓国人及び朝鮮人の祖国帰国、そして帰化韓国人の韓国人国籍の復帰と帰国をうながしていきたいものです。
■回答
ご意見有り難うございました。
しかし、私は貴方のように悲観的にはなっていません。韓国でも中国でも、分かる人は分かるのです。
今のノムヒョン政権、それを支えるマスコミは非常に左傾しています。
しかし建前としての言論の自由は残っています。必ず揺り戻しがあると信じています。
恐れず、しぶとく真実の歴史を主張していきたいと思います。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
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3.戦陣訓について思うこと |
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杉本さま、こんにちは。Q&Aの中にある東条首相の戦争責任を読みました。
この中で戦陣訓が出てきましたので、いくつか思いついたことがありますので、質問いたします。
東条大将が陸軍大臣の時に戦陣訓が作られ、そのせいで、捕虜になることが禁じられて、無用な流血を出したと一般的に考えられているようですが、そうなってくると、それ以前はどうだったのか、と言う疑問が生じます。
戦陣訓にそのような効果があるのなら、もともと日本では捕虜を禁じる決まりはなかったのではないだろうか、と言う解釈も成り立つのではないでしょうか。
日露戦争では1500人以上もの捕虜がでたと記録があり、また、毎日新聞社「日本の戦史第二巻」にはノモンハン事件での捕虜帰還兵の証言があり、その人は重営倉一週間の後、特別負傷兵として家へ帰された一方で、将校の中には自殺を強いられた者もいたそうです。
また、戦陣訓が陸軍大臣によって作られた以上、それが有効なのは陸軍のみで、海軍の場合、海軍大臣が海軍でも、と思わない限り、海軍ではこれに縛られる必要はないと思います。
さらに、真珠湾攻撃では5隻の特殊潜航艇が参加し、すべて未帰還で、搭乗員のうちの9人が軍神としてたたえられましたが、具体的に9人の搭乗員の名前を明らかにできたのは、アメリカが酒巻少尉を捕らえたことを公表したからであって、もし、日本の側で捕虜を忌み嫌う概念があったならば、酒巻少尉も死んだことにして、戦後戻ってきたら、ひそかに処刑か自殺を命じれば良かったのに、正直に死んでいないとしたのは、必ずしも、捕虜を禁じる概念だか決まりだかがあったとはいえないのではと思います。
となると、必ずしも、軍規で定まっていないことが社会的に自然に認知されたと思われますが、これはどのようにして広まっていったのでしょうか。
■回答
私ははっきり調べたわけではありませんが、戦陣訓というのは兵としての心がけを示したものであり、法律のようなものではないと理解しています。
理由は訓とは教えの意味だからです。これは武士道から来たもので東条さんが発明したものではなく、また違反すれば云々というものでは無いと思いますが、この戦陣訓の中の「生きて虜囚の辱めを受くる事なかれ」の言葉により、捕虜になるより、戦死を選んだ人が多かったのは事実と思います。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
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4.大学入試センター試験「日本史A」第3問、問5」について |
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初めまして。日頃から貴研究会のホームページは拝読させていただいています。
受験生ではありませんが、数年前の偏向問題以来、大学入試センター試験の「日本史」の問題について、毎年チェックするようになったものです。
標記の今年度の「日本史A」第3問は明治以降の日本教育制度の移り変わりに関する問題で、問5は次のような問題となっています。
問5 下線部○dに関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組み合わせの正しいものを、したの@〜Cのうちから一つ選べ。
X 東南アジアの日本軍占領地では日本語教育が行なわれた
Y 植民地である朝鮮では朝鮮語の教育が奨励された
@ X 正 Y 正、 A X 正 Y 誤、 B X 誤 Y 正、 C X 誤 Y 誤
問題文中の下線部○dとは、日中戦争以降教育の軍国色が強まるなかで、子どもたちも戦争に巻き込まれていったという記述の後の次の部分です。
戦争が拡大するなかで、(下線○dの開始)植民地や東南アジアなどの占領地の子どもたちも戦争の影響をこうむった(下線○d終了)。
この問題について、私はまず、Xについては多少の例外はあったにせよ、インドネシアではインドネシア語を奨励したのは日本軍であるし、植民地ではなく、「占領地」において日本語教育が行なわれるほどの統治が行なわれていたとは、はなはだ疑問であるので、正解は大筋としては「誤」ではないかと考えます。
また、Yについても、戦争が拡大していく以前の問題かもしれませんが、ハングルの普及を図ったのは、日本ではないかという認識ですので「正」と考えます。
ということで、私の解答はBなのですが、大学入試センターの発表によると、正解はA、つまり軍占領地で日本語教育は行なわれ、朝鮮では朝鮮語の教育は奨励されていないというのが正解となっています。
まず、Xの軍占領地で日本語教育が行なわれた事例はあったのでしょうか?また、センター試験で「これが正解」といえるほど、そのような例が占領地では主流だったのでしょうか?
Yについても、終戦直前の朝鮮半島では「朝鮮語」の授業はなくなったという認識はありますが、これもセンター試験で「これのみが正解」といえるほど、朝鮮語は無視されていたのでしょうか?
そもそも、この問題自体が誘導尋問のような気がします。というのが、下線部○dの文末の表現が気になります。「影響をこうむった」という表現は、暗に「否定的な影響を与えた」ということを示唆するものでしょう。中立的に記述するなら、ここは「〜影響を受けた」ではないでしょうか。このような、日本の占領による否定的な効果を暗示させておいて、「日本は外国に対してひどいことをした」ような解答を強要させるのは、問題作成者の強い意図を感じますがいかがですか?
■回答
いやな問題ですね。
Xについて、多仁安代『大東亜共栄圏と日本語』勁草書房によると各地の小学校(場所により名前が違う)で日本語教育が必修科目として行われていたようです。
Yについて、1930年代以降日中戦争の激化と、時代が限定されている事から、誤りとせざるを得ないように思います。1938年の朝鮮教育令の改正により、朝鮮語は選択制になりました。それまでは官吏への朝鮮語奨励金の交付等、朝鮮語教育を奨励していただけに、次第に朝鮮語教育は奨励されなくなったと、解釈されます。禁止したと書いてないところが味噌ですね。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
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5.私の蘭印における子供時代、日本軍占領時代のサイトを見てください(原文:英語) |
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今日、貴方たちのURLを見つけました。
インターネットの http://www.jiyuu-shikan.org/e/index.html には大いに興味を持ちました。
あなたは何と素晴らしい仕事をしているのでしょう。
また、「皆が一緒になって、いろいろな観点から、自由に積極的で理論的な議論をし、タブーやイデオロギーの束縛を乗り越えようとしている。」ことと信じています。
私はオランダ人で、以前の東インド諸島(インドネシア)で育ち、日本軍が侵攻してきたときは、15歳でした。その頃の出来事をすべて覚えている老人です。
私は戦争を憎んではいませんが、今でも最愛の父を憲兵が殺したことを大変、悲しく思っています。
今、私はウェブサイトを作り始めましたが、まだ製作途中ですが、インドネシアにおける美しい子供時代、それに続く日本占領時代について書いています。
私のサイトを読んで頂けませんか?
www.dutch-east-indies.com
読んでいただければ幸いです。あなたのご返事をまっています。
オランダより
■回答
我々のホームページを評価していただき有り難うございました。
貴方の父上が日本の憲兵に殺された事に心から哀悼の意を表します。
あの戦争では日本の市民も多勢殺されました。原子爆弾もひどいものでしたが、焼夷弾爆撃はもっと残酷なものでした。
最初に彼らは逃げ道を塞ぐため、市の周りに焼夷弾をばらまき、火災を起こし、その後で市の中心部に焼夷弾をばらまきました。多くの市民が焼け死にました。
しかしこれらの問題はサンフランシスコ平和条約と、1956年のオランダとの補償交渉により、すべて完了しています。
私はこの不幸を2度と繰り返さないよう、歴史の問題として議論していくことが必要だと思っています。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
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