6.シンガポール虐殺事件(原文:英語)

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第2次大戦中、日本占領下の諸国において日本の残虐行為が報告される度、それは嘘であり、中国人の陰謀だと、あなた方は主張される。私はその訳を知りたい。
私はシンガポール人であり、私は日本人とのハーフです。

ここには無実の民間人、中国人、または非中国人が、日本の占領時に日本兵の残虐行為の犠牲になった記録があります。 非中国人である私の祖父も犠牲者の一人です。
又死の行進のようなS.E.Aのすべての残虐行為やタイのKatchanaburiの強制収容所の記録や報告書が収められた戦争記念館もあります。

これらの宣伝のための虚構と言われるものは、中国人により作成されたものではありません。犠牲者の多くは非中国人です。 どうぞ、私の人種のどんな部分が過去に責任があったかを教えてください。

■回答

返事が遅くなり申し訳ありませんでした。 私はこの事件について余り調べていません。
しかし昭和研究所の2002年11月号に「華僑粛正事件の真相、憲兵として処分の実相を語る」という記事を見つけました。7回にわたり連載されています。著者はシンガポール特別警察隊長であり、終戦時憲兵少佐でした。

貴方は日本語が読めますか。日本語が読めるならコピーをお送りします。
かれはこの要因として下記の4点を上げています。
1.中国人の反日運動
2.守備兵の減少による不安
3.灯火による信号に対する怯え
4.日本軍の厳しい慣習

中国人の反日運動は1920年頃から始まりました。それは1937年のシナ事変の勃発と共に組織化され、年と共に激化しました。 大東亜戦争が始まると、逮捕されていた共産主義者や暴力団が釈放されました。そして彼らはゲリラとして組織化されました。
その数はイギリスの資料によると14,382人に達します。 日本軍は共産主義者の団体から201挺の小銃、77の猟銃、2万発の弾薬を差し押さえました。

一般的にゲリラとの戦いは厳しいものになりがちです。それは一般市民とゲリラの判別が難しいからです。 著者が指摘しているように日本兵は彼らに大変怯えていました。必然的に過剰反応する事になります。

私は中国人以外の良民が犠牲となった可能性は否定できないと思います。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


7.2006年、共産中国から民主中国へ 

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兪明鶴です。 2005年はお世話になりました。
2005年、徳永先生の支援で、大阪地方裁判所で江沢民を提訴し、多年の念願をかないました。

また、数年前から計画した大紀元サイト(http://www.epochtimes.jp/)を2005年3月に立ち上げ、微力ながら日本の皆様に中国の本当の情報を伝えることも可能になりました。
2005年は中国にとっては激変の前夜だったと思います。 2006年は、いよいよ中国民主化の本番になる年です。 2006年は、民主中国に備えて、中国人有志が新しい中国憲法、歴史、教育などの様々な面で具体策も出すと思います。 一部の世界学者の中には、中共の崩壊後の中国軍について、注目してますが、実質軍への対応は用意されてます。 また、共産中国から民主中国への移行は、平和的な手段で進められるし、思わぬ展開をすると、思います。  中国人の知恵が試されるでしょう。

日中問題で色々な論調があると思われますが、将来日中関係も、かつて前例のなかった展開になるでしょう。 日本が民主中国を前提にした外交戦力を考える時期がきたのではないかと、思います。
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2006年、共産中国から民主中国へ      

 十数年前、ソ連、東欧諸国の強大な共産主義政権が崩壊したが、その一員であった中共政権は自国の大学生を機関銃で乱射し、政権の延命を果たした。
 今日民主社会で生きる日本人としては、中国民主化の必要性は常識として理解できることであって、特に鋭い見識を必要としない。しかし、中共の洗脳を受けつづけている中国人に民主化の必要性を理解してもらうためには後1年、2年要すると思われる。

 天安門事件は、中国人民を完全に失望させ、共産主義思想を信じる中国人がいなくなった。理論的な根拠を失った中共政権は政権維持のため、異常な愛国主義(実質反日、反米)を推進し、共産主義政権からファシスト政権に変身した。
 反日デモその愛国(愛共)において、日本が都合よかったこともあって、最も中共の洗脳を受けた20代の若者が主体であったのも自然であろう。

 中共の本質がちっとも変わってないのは、広東省汕尾市東洲村の村民への発砲射殺事件が典型である。一部の報道では「第二の天安門事件」と称するが、このような弾圧は天安門事件後も多数あった。

 2005年は崩壊目前の中共政権がその本質を露骨に表し、全世界の人々の背筋を寒くさせた一年であった。趙紫陽の死去、反国家分裂法、反日暴動、外交官の亡命事件、鳥インフレンザ、松花江汚染事件、汕尾射殺事件、、、などの事件、また7万5千件の当局に対する抗議事件があった。中共政権が隠し続けた問題が一気に噴出し、中共はその恐ろしい顔を隠せなくなった。
 やがてこの野蛮な政権は窮地に追いこまれ、狂ったようにあらゆる民主運動を徹底的に弾圧している。その典型として中共政権が発布した法律に基づいて活動を展開する村民に銃を向ける悲惨な事件から「法制あって法治なし」という中国の現状を世界の人々はどれほど理解しただろうか。

 歴史の潮流に逆行する蛮行は、中共政権の崩壊を加速するに違いない。中国は中共ファシスト政権から民主政権への過渡期に入った。
 2006年、胡錦涛が中国共産党を解体しない限り、将来民主中国において最も注目されるのは、高智晟氏である。私自身も直接電話で話を聞いたことがあり、素晴らしい方だと思うし、将来民主中国の「大統領」として全力で支援したい人物である。

*新型民主化運動の特徴:インターネットの活用と民主派弁護士の輩出

 インターネットの発達は世界中の中国の民主活動家の連帯を生み、低コストでの運動を可能にした。インターネットの活用により、情報伝達がかつてより迅速になり、新しいタイプの運動への道を開いた。

 近年、民主派弁護士が輩出し、「法制あって法治なし」の中国において、法律専門家が民衆の利益を擁護することによって、中共政権を強く牽制した。また、民主派弁護士と人民との連携による法の定める手続き通りの運動が中国各地で展開されている。このような運動はインターネットに通じ、世界中に情報が流れ、「海外の目」を顧慮する中共政権は対応に慎重になる。民主派弁護士の活躍は理論上の民主化運動家より実践的で民衆の利益を擁護するため民衆の支持を拡大させている。

 民主主義理念に精通している海外の民主化活動家と中国国内の法律に精通している民主派弁護士が連携し、中国の民衆の人権擁護、権益擁護のため奮闘している。大紀元サイトがその活躍の場を与えていると考えられる。

 民主派弁護士は、中国を人治国家から法治国家へ導く先駆者であろう。

兪明鶴


8.日本軍政下におけるインドネシアについて 

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まず、第一にロウムシャについて。
インドネシア側の調査では日本軍政下におけるロウムシャの総数について410万人、日本側の調査では20万人だとされているのですが、どちらが実際の数値としては正しいのでしょうか?

第二に日本軍政下のインドネシアにおいて、過酷な食糧供出やロウムシャ徴発における農業労働力不足によって大規模な飢餓が発生したという話があるのですが、本当でしょうか?第二次世界大戦における飢餓といえば、ベトナム北部の飢餓やベンガルの大飢饉が有名ですが、
http://web.soshisha.com/archives/holland/2005_0721.php によれば、日本軍が米取引市場を廃止したために、米を自給できない地方を中心に、インドネシアの人口7000万人のうち、250万人が飢餓に陥ったとされているのですが、実態はどうでしょうか?日本軍政下のインドネシアは百年以上続いたオランダの支配以上に過酷だったと言われていますが、どうでしょうか?

第三に第二次世界大戦におけるインドネシア人の犠牲者ですが、教科書によれば、200〜400万人だとされていますが、実際はどうなのでしょうか?インドネシアではカリマンタンや西部ニューギニアを除けば、戦場にはなっていなかったため、日米両軍の激しい戦場になったフィリピンの100万人、オランダの独立戦争での死者80万人を凌駕する数にはならないと思うのですが、どうなのでしょうか?

詳しい返答をお願いします。参考文献等もあればお願いしたいです。

■回答

HPを読んでくださってありがとうございます。HPスタッフの渡辺と申し ます。

インドネシアでは、当時を実際に知っている人たち、ペタ(義勇軍)の人たちや独立戦 争を戦った人たちと話をしたりしたことがありますが、ロウムシャのことなど特に話題 になることはありませんでした。私は、ロウムシャのことは、最近になって(従軍慰安 婦の宣伝と同じ頃に、たぶん同じパターンで)言われるようになったことだと気にもと めていませんでした。しかし、何がどう言われているのでしょうか。そしてそれが問題 になっているなら、できるだけ早く真実を明らかにしなければならないと思います。

@『インドネシア側の調査では日本軍政下におけるロウムシャの総数について410万人 、日本側の調査では20万人だとされているのですが、』

このインドネシア側の調査・日本側の調査というのは、具体的に何かをぜひ教えてくだ さい。それをあたってみてご返答します。このロウムシャというのは、常雇労務者か臨 時労務者か、技能者や勤労奉仕を含むのか、オランダ時代から続くジャワ島からの移民 的なものを含む(いわゆる島外派遣労務者)ことなのか、何かわかりませんが、410万 人とか20万人とかいう、その元の資料さえ読むことができれば何のことを言っているの かわかると思います。(410万人というのはびっくりする数字ですが)

A『日本軍が米取引市場を廃止したために、米を自給できない地方を中心に、インドネ シアの人口7000万人のうち、250万人が飢餓に陥ったとされているのですが、実態はど うでしょうか?』

250万人が餓死したのですか。これも初めて聞きました。これも具体的な資料をご存知 ならぜひ教えてください。それがないと雲をつかむような話で何ともいえません。もち ろん大戦末期には、流通が阻害されたことはあると思います。米の増産は技術指導など で成果があがっていたはずなので、問題があったとしたら流通でしょうね。最近(10 年くらい前?からか)、日本軍がベトナムで米を奪って住民を餓死させたという嘘の宣 伝がされたことがありますが、そういう類の宣伝かもしれませんよ。

B『日本軍政下のインドネシアは百年以上続いたオランダの支配以上に過酷だったと言 われていますが、どうでしょうか?』

戦争や敗戦という特別な事情はあったとは思いますし、一般的には、日本人と同じよう ことを性急に押しつけたという面があるかもしれませんが、日本人は、一緒に食事をし たり共に同じ訓練をしたりとか、少なくともインドネシア人を同じ人類として見ていた と思います。そのへんから根本的にオランダの支配とは違いはあると思います。

C『第三に第二次世界大戦におけるインドネシア人の犠牲者ですが、教科書によれば、 200〜400万人だとされていますが、実際はどうなのでしょうか?インドネシアではカリ マンタンや西部ニューギニアを除けば、戦場にはなっていなかったため、日米両軍の激 しい戦場になったフィリピンの100万人、オランダの独立戦争での死者80万人を凌駕す る数にはならないと思うのですが、どうなのでしょうか?』

400万人ですか、何の教科書にそう載っているのですか、というよりも原資料は何なの でしょうか。これも不思議ですね。日本軍がインドネシア人をそのように虐殺すること もありませんし、激しい戦場にもなっていませんからね。フィリピンや沖縄では戦場に なって、主に米軍の砲爆撃によってたくさん亡くなっていますが、インドネシアでは石 油基地など、一部に対する爆撃しかなかったですからね。

 取り急ぎ、まずご返事しました。すみませんが、以上の話を聞いて私もびっくりしま した。そういう主張の原資料をぜひ教えてください。それがないと、今のところ雲をつ かむような話です。よろしくお願いいたします。こんなことが言われているのだとした ら、私もぜひ検討してみたいのです。