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■投稿(1)
貴HPでは通州事件を
28日 通州事件
「日本軍の飛行機が、冀東防共自治政府の保安隊を誤爆した。これに怒った保安隊は、日本軍守備隊と居留民を襲い、居留民124人、兵士18人を惨殺した。この殺し方は残虐そのものであり、日本人の強い反感を買った。」
とありますが、私の所有する本では、この事件を鎮圧に向かった部隊の思い出として、「日本軍敗退とのデマに踊らされ蜂起した」と書かれております。この本は「支那歩三、第十中隊の歩み」支那歩三、第十中隊会編集といい、今までWeb上では見たことがありませんが、どちらが正しいのでしょうか。ご意見をいただければ幸いです。以下該当個所を引用させていただきます。
(前略)
当時、北平東北の通州には、冀東防共自治政府が殷汝耕を首班として成立されてあり、我が方と緊密であった。その指揮下の保安隊も四、五千を算したという。その保安隊の指導のため、聯隊より私の同期生第一中隊飯塚軍曹、第二機関銃中隊間瀬軍曹が教官として派遣され、前者は十一年式機関銃、後者は三年式重機関銃の教育を一年位したことがあった。
ところが何んぞ図らん、その保安隊が今次京津作戦で日本軍失敗、支那軍大勝利の誤報デマを信じ叛乱を起こし、通州守備隊(支歩一の一小隊)、特務機関(長絹本少佐)等を急襲すると同時に、居留民に封し暴虐の限りを尽くした。避難せずに市内に在った無抵抗なる婦女子多数を含む同胞約二百名が虐殺された。その有様は見るも無残で、到底正視するに忍びない。
この報が北平に届き、又東の空を見れば温か地平線上に黒煙が望見されたが、救援は間に合わず、痛恨の極みであった。七月二十九日のことである。
当時は雨期で、至るところ泥濘となり、我が快速機械化部隊も行動の自由を阻まれ、通州を反乱軍の蹂躙に任かせたのは実に残念であった。
中隊は平綏線附近の掃蕩警備を経て、右記叛乱保安隊の本拠通州に進駐、同地附近に蠢動を続ける匪化した同部隊を、平家町にて鉄槌を下し、掃蕩した。次いで虐殺された同胞、恨を呑んで假埋葬されてある婦女子多数の一般居留民遺体約二百体を収容し、壕を掘り、燃料を集めて、その上に安置、従軍憎の読経の後安らかなれと祈りつつ謹んで苓昆に付した。遺体は自煙と化し、昇天したが、我等は固くその下手人に対し復讐を誓い、成佛を祈った。
当時は炎熱の夏季のこと、遺体は腐敗甚しく、その屍臭は市内に充満、鬼哭暇々とは正にこのことで、戦争の悲惨さを眼のあたりに見たわけである。市内は私のいた八月二十七日までは人影を見ず、その復興は相当永くかかったらしい。
(後略)
「支那歩三、第十中隊の歩み」p.14, 支那歩三、第十中隊会編集, 昭和60年
■回答(1)
HPを見てくださってありがとうございます。まず、お返事が遅くなったことをおわび申上げます。中村さんのメールの題名が (no subject) となっいたので中村さんのメールを読んでいませんでした。
さて、通州事件(昭和12年に北京郊外の町で、日本側についていた中国人の保安隊が裏切って日本人の民間人(半分ぐらいは朝鮮人)が虐殺された事件)の原因に関してのご質問ですね。
自由主義史観研究会のHPには原因を日本軍の誤爆と書いてあるが、中村さんのお持ちの「支那歩三、第十中隊の歩み」p.14, 支那歩三、第十中隊会編集, 昭和60年には、「日本軍敗退とのデマに踊らされ蜂起した」ためとなっているのですね。
通州事件の原因については、誤爆説(日本軍が保安隊を誤爆したため)と最近は有力になってきた通謀説(保安隊が蒋介石側と連絡をとっていて裏切った)があるようです。
どちらもそういう事実はありました。
私は通州事件を研究したり調べたことはありませんが、私の個人的な見解では、事件の原因としては、中村さんの持っておられる本の方が正しいと思います。その理由は、下記のとおりです。
@当時の中国ではこのような虐殺は特別のものではありません。通州事件が話題になるのは被害者が日本人であったからです。
Aまた、当時の中国人の各種の雑軍は、大きな勢力についたり寝返ったりもよくあることです。そういう軍隊と盗賊との境界もあいまいな場合も多いのです。中国ではこういう軍隊は、敵対する勢力のどちら側とも裏では交流しているということは普通のことです。当時の中国では、大きな戦いでどちらかが有利になると、こういう軍隊があちこちでなだれをうったように有利な側の方について勝敗を決定的にするのです。
B日本軍が誤爆して数名が死傷というのを、日本人の常識で考えてはいけないと思います。当時の中国の軍隊では兵隊の値段は安いのです。数名が死傷といいますが、具体的に何名が死んだのでしょうか、これ自体もはっきり述べられていないようです。保安隊の司令官は普通はそんなことは気にしません。
もし、誤爆が原因とするなら、死者の中に保安隊の司令官の家族がいたか、メンツをつぶされたかです。しかし、日本側が陳謝して了解を得ているのでメンツは保っていますし、死傷者の中に司令官の家族がいたという記述はありません。
Cただ誤爆が遠因になった可能性として、蒋介石側との通謀が日本軍側にばれて警告のために爆撃されたと保安隊の司令官が思い込んだ場合です。しかし、これも保安隊側が、誤爆後の日本側の様子を観察すればわかることです。
D蒋介石側から日本軍敗退の宣伝はされていましたし、原因を特殊なものを求めるのではなく、やはり日本側が負けるという見込みで裏切ったと考えるが通常だと思います。中国の地方の軍隊にはよくあることです。
通州事件そのものについてはよく知らないので間違ったことを言っているかもしれませんし、また情報があれば教えてください。思いつくことを適当に書きました。結論は、日本軍が不利だと思って先走って裏切ったのだなと考えるのが常識的だと思います。もし、日本軍の全面勝利なら逆に保安隊が殲滅されるわけですしね。誤爆説は、戦後の左翼的言論環境の中で定説として流布するようになったのだと思います。重要な証言の載っているご本ですので大事にしてください。
自由史観研究会会員 渡辺 龍二
■投稿(2)
渡辺 龍二様 ご返事ありがとうございました。
Subject名が抜けていたとのこと大変失礼いたしました。ウイルスと間違えやすいですね。
さて、通州事件については、渡辺様の考察が正しいように思えます。日本軍の誤爆であったためならば、なにも日本人民間人を殺害する必要はなく、誤爆に対して声高に日本軍非難を行うか、日本軍に対しテロ行為を仕掛ければよかったと思います。町を襲うということは、その町を勢力下に置く目的か、略奪を目的とすることのほうがありえると考えます。
さらに虐殺の後の事後処理を考えると、日本軍には反撃の力はなくなったとでも思い込まなければ、とても攻撃を仕掛けることなど考えられないのではないかと考えます。
なお、通州事件について裁判も行われたとの記録があるようですが、もし、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらお教えいただければ幸いです。ありがとうございました。
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