5.朝鮮人警察官について

■投稿(1)

いつもお世話になっております。また質問があります。

韓国の独立記念館なので日本人の残虐行為として憲兵による拷問の蝋人形なのがあります。これについては、
http://muninn.net/blog/2005/06/seodaemun-prison-museum.html
などでもその偽善性について指摘され、また、日本の有志によるサイトで、例えば、

朝鮮半島における1910年末の警察官数
役職 日本人 朝鮮人 朝鮮人の割合
警察部長 13 0 0.0%
警務官 2 1 33.3%
警視 30 14 31.8%
警部 167 101 37.7%
巡査 2,053 181 8.1%
巡査補 0 3,131 100.0%
2,265 3,428 60.2%

【出典】
水田直昌監修『総督府時代の財政』、友邦協会、122ページ

【分析】
・上位三階級のうちの25%は朝鮮人
・日本人警部167名のうち31.8%は朝鮮人警視の部下
・警察官全体の6割が朝鮮人

【結論】
・日本の朝鮮統治は、朝鮮人と共に行っていた。
・警務官、警視などの上位階級にも朝鮮人は登用されていた。
・朝鮮人が上司で、日本人が部下という場合もあった。
・直接朝鮮人を取り締まっていた警察官のほとんどは巡査補である朝鮮人だった。
・朝鮮人に対して拷問を行った警察官は巡査補である朝鮮人だった。

歴史を偽造する韓国 中川八洋 徳間書店 より
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/heigou/kenpei.html
などの意見が表明されております。

拷問をしたものにコリア人が含まれていたことはたしかだとしても(これについては名簿なのが写真でネット上公開されています)、この結論は先生も同意されるでしょうか?

そして、
1)1910年の警官数が掲載されていますが、コリア人の割合は植民地時代を通じてだいたいこの程度だと考えよろしいでしょうか?
2)指揮命令系統でコリア人の指揮官の割合も植民地時代を通じてこの程度と考えてよろしいでしょうか?

■回答(1)

詳細については朝鮮総督府統計年報を見てください。

概略は小生著「データから見た日本統治下の台湾・朝鮮プラスフィリピン」龍渓書舎にグラフ化しています。 この本は昨年再版しましたので在庫があるはずです。

朝鮮人警官の比率は1910年の30%強からから次第に減り、1940年では10%程度まで減少しています。
しかし警視クラスまで朝鮮人が登用されていたことは事実であり、朝鮮人警視の下に日本人警官がいたことも事実です。

自由史観研究会理事 杉本 幹夫

■投稿(2)

早速のご返答ありがとうございます。ネット上の情報故、省略があるのかもしれませんが、前提と結論に多少ちぐはぐさを感じましたのでこの関係の権威である先生にうがいたく質問させていただきました。歴史の解釈というのはなかなか難しいですね。ありがとうございました。


6.閔妃暗殺事件について

■投稿(1)

いつもお世話になっています。 いま英語サイトなどで韓国の歴史などを読んでいるのですが、
http://www.kimsoft.com/2002/jp-rape.htm
http://mirror.jijisama.org/kankoku_heigou2.htm
で閔妃暗殺について書かれているのを読んで疑問に思ったものがあるので質問させてください。

当キムソフトサイトによれば、角田房子氏の本からヒントをえて、國立國會圖書館(憲政資料室) (藏) (憲政史編纂會文書)でみつかった石塚英藏レポートを発見、それによると王妃の殺害方法について、「王妃室に突入して王妃を引きずりだし、何度も刺し、真っ裸にし、性器を検査し、ガソリンまいて火をつけた」というんですが、この資料は日本ではどう評価されているのでしょうか。書かれていること、あるいは、その信憑性について知っておられることがあれば教えていただけませんでしょうか。できれば英語で反駁文を書きたいと思っています。

(他の英文サイトをみると目撃者といっても、ロシア人のセバスチャン?くらいではっきりしたことはわからず、また、日本では韓国人教授の内田文書に関する論文に対する反駁まではみつかったのですが、石塚文書に関する言及はみあたりません。)

■投稿(2)

王妃暗殺の件、2ちゃんねるで聞きましたら、見当がつきました。やはりねつ造のようです。お手数をおかけしてすみませんでした。

以下、参考までに
840 「日本人はビックリ 韓国人の日本偽史」 野平俊水 (=水野俊平)小学館文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094027165/250-0802503-1365007

第3章 第3節 『皇太子妃拉致事件』の波紋…、水野俊平は、2002年7月韓国で出版された大衆小説「皇太子妃拉致事件」の中で、 閔妃殺害の内容の歴史歪曲について述べている。

問題の小説の著者金辰明氏は、「閔妃の遺体に対する屍姦」の根拠が山邊健太郎氏の「日韓併合小史」と角田房子氏の「閔妃暗殺」の記述であり、 また「石塚英蔵の報告書を実際に入手した角田房子氏は、韓国教員大学の金恩淑教授(『閔妃暗殺』の韓国版訳者)に『閔妃(の遺体)は屍姦された』と語ったそうである。」 とのことから、「閔妃の遺体に対する屍姦」の記述をしたとのこと。……

…件の文書(石塚英蔵の報告書)を見たという角田房子氏に直接問い合わせの書信を送ったところ、 角田氏の返信が到着したが、「報告書に『閔妃を屍姦』したという記述はなかった」とのこと、「件の報告書のコピーは紛失してしまった」ことだった。

また、「閔妃暗殺」の韓国版訳者、韓国教員大学の金恩淑教授にも問い合わせたが、 「角田氏が、閔妃屍姦の記述があったと私に語った事実はない。」とのことであった。つまり金辰明氏は、ありもしない角田氏の発言を捏造し「屍姦」の根拠にしていた。

結局、紆余曲折の果てに、筆者(水野俊平)は、件の文書を国立国会図書館憲政資料室で発見することができた。文書の該当部分を引用すると

 王妃ヲ引キ出シ二三ヶ処刃傷ニ及ヒ且ツ裸体トシ局部検査(可笑又可怒)ヲ為シ最後ニ油ヲ注キ焼失セル等誠ニ之ヲ筆ニスルニ忍ヒサルナリ其他宮内大臣ハ 頗ル残酷ナル方法ヲ以テ殺害シタリト云フ右ハ士官モ手伝ヘタリ共主トシテ兵士外日本人ノ所為ニ係ルモノノ如シ。(「朝鮮王妃事件関係資料」石塚英蔵書簡 [ペン書き・法制局長官末松謙澄]

文書に「閔妃は屍姦された」という記述はなかったわけである。
「他人の捏造した偽史は歴史歪曲に見え、自分の捏造した偽史は歴史の再評価に見える」
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nisshinro/denbun435.html
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nisshinro/minpiru.html

■投稿(3)

閔妃の暗殺は朝鮮人を憤慨させました。 儒者は日本人と戦うためにボランティアを募りましたが殆ど応募する人はいませんでした。 しかし日本に対する抵抗は次第に広まり、義兵軍と呼ばれるゲリラ組織が朝鮮半島に止まる日本軍に対し立ち上がりました。 ゲリラを抑えるために、政府は新しく首都防衛軍を作り、各地で同国人と戦うため派遣するという苦しい決定をしました。(杉本訳)
http://directory.google.com/Top/Society/History/By_Region/Asia/Korea/

7.日本の朝鮮統治について

■投稿(1)

先生のご論攷をいつも参考にさせていただいております。また、最近ネット上の英文で統治時代の朝鮮について読んでいます。英語でネット上に存在しますから、世界中の人がみると思います。読んでいて適切か否か疑問に思った文章があります。以下の文章で先生のご意見をうかがわせて頂ければ幸いです。

以下はネット上の百科事典です。世界中の人がよく利用しています。

7千人が逮捕され、553人が殺され、1409人が受傷しました。独立運動の間、朝鮮人キリスト教徒は朝鮮独立運動に荷担したとして迫害され、教会で生きながらにして焼きころされた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Korea_-_History#Japanese_Occupation
「31独立運動で、クリスチャンが、責め苦しめられ、教会で生きながらにして焼きころされた」

1937年シナ事変が発生し、更に第2次世界大戦に突入すると、日本は国としての朝鮮を抹殺しようとした。 神社参拝を強制し、学校のカリキュラムから朝鮮語教育は外されました。 新聞は韓国語で出版する事を禁止され、新聞は韓国語で出版する事を禁止されました。更に大学における韓国の歴史の研究は禁止され、朝鮮語の資料は焼かれたり、壊されました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Korea_-_History#Japanese_Occupation
「神道が強制された」(これは他の宗教の弾圧もしたのでしょうか?)、
「朝鮮語の教科書が焼かれた」

日本の地主の過酷な米の搾取による貧困と栄養失調にも関わらず、平均寿命は26歳から42歳(1945年)に伸び、人口は2倍になりました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Period_of_Japanese_Rule_(Korea)
「日本の地主から米が没収された」(没収できる法律でもあったのでしょうか?)

朝鮮人農夫は日本人地主の小作として雇われ、以前に比べ遙かに高い小作料を取られました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Period_of_Japanese_Rule_(Korea)
「以前、つまり李氏朝鮮時代より高い税金を払わされた。」

日本の地主は朝鮮の農地を次第に、19世紀以前の支配者同様独占的に支配することに成功しました。 この事は1916年、1920年、1932年の日本の地主の農地保有率を見れば明らかです。 これは最初36.8%から始まり、39.8%、60.2%に増えました。これに伴い、朝鮮人の農地保有率は63.2%から、60.2%、47.3%と下がりました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Period_of_Japanese_Rule_(Korea)
「李氏朝鮮と同様に農民の財産を独占した。」

1939年から45年までに540万が強制労働にかり出され、67万が日本に連行され、そのうち6万人が日本で死亡
その期間に朝鮮各地と満州に連行され、死亡した人はそれぞれ27万人、81万人と推定されます。
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP3.HTM
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP3.HTM
「1939年から45年までに540万が強制労働にかり出され、67万が日本に連行され、そのうち6万人が日本で死亡」 (引用しているハワイのサイトはネットでもときどき引用されるのを見かけます。)

建前として朝鮮人は天皇陛下の臣民として、日本人と同じに扱われることになっていました。しかし実質は朝鮮人は征服された人民として扱われたのです。1921年までは自国の新聞の出版、政党の結成は禁止されていました。
http://www.country-studies.com/south-korea/under-japanese-rule.html これ以下は米国のサイトからです。「1921年まで自国の新聞の出版、政党の結成は禁止」

朝鮮人企業家の利子が日本人ライバルより25%高かったので、朝鮮人企業家が成功することは困難であった。 農地は次第に日本人に取られ、朝鮮人は小作人に転落するか、日本や満州に移民せざるを得なかった。
http://www.country-studies.com/south-korea/under-japanese-rule.html
「朝鮮人の方が利子が日本人より25%負担が大きかった」

1937年総督府は学校教育令を改正し、すべての授業を日本語で行い、すべての生徒は学校の内外で朝鮮語を話すことを禁止しました。戦時下では韓国語の新聞雑誌も禁止されました。
http://www.country-studies.com/south-korea/under-japanese-rule.html
「1937年学校外でも朝鮮語禁止との政令がでた」
「戦時下では韓国語の新聞雑誌も禁止」

時間のあるときで結構ですので、ご教示頂ければ幸いです。これらに誤り不適切な点があれば、私も時間のあるときに英文でネット上で公表していきたいと考えております。

■回答(1)

今最も必要とするものは、英語での発信です。貴兄の努力に感謝します。

さて回答に移りますが、全く事実を歪曲していますね。質問文の中に回答を書き込みます。尚質問は<>で示します。

3.1独立運動

<7千人が逮捕され、553人が殺され、1409人が受傷しました。独立運動の間、朝鮮人キリスト教徒は朝鮮独立運動に荷担したとして迫害され、教会で生きながらにして焼きころされた。>
http://en.wikipedia.org/wiki/Korea_-_History#Japanese_Occupation

まず第1点ですが、3.1独立運動の参加者の数について、韓国の教科書等の主張と、総督府の発表には大きな差があります。韓国の主張は、当時上海に亡命していた朴殷植が人の噂を元にでっち上げたものです。総督府のデータは場所別、月別に積み上げられたものです。
両者の数値は次の通りです。
参加者死者負傷者
朴殷植203万人7509人15961人
総督府106万人 553人 1409人
憲兵・警官     8人  158人

その点このHPは総督府の数値を使っており良心的といえます。

この事件の主力はキリスト教と天道教でした。『子爵斎藤実伝』によりますと、容疑者19、525人中、キリスト教3、328人、天道教2、297人でこの二つの宗教が主力だったとしています。従って取り調べに当たり、キリスト教徒に対して厳しかったのは当然と思います。尚その後の裁判では有罪とされたのは僅かに37人に過ぎず、それも最高刑が懲役3年で途中恩赦により釈放され、親日派に転向しています。

<31独立運動で、クリスチャンが、責め苦しめられ、教会で生きながらにして焼きころされた>

又教会で焼き殺されたというのは堤岩里事件の事と思います。この事件は官公署の焼き討ち事件、警官が虐殺されたことに始まります。その取り調べの為、住民を教会に集めました。そこで取調中住民が反抗、暴動に発展しそうになったので、数に劣る憲兵が逃げ、扉を閉じたのです。折から強風の下、隣家より火災が発生、教会が類焼しました。

当時はウィルソン大統領が民族自決を主張した時期で、シナでも5.4運動が起きています。この運動の中心にもキリスト教の牧師がいます。朝鮮では斎藤実総督の努力により、キリスト教とは和解しましたが、シナではエドカー・スノー、アグネス・スメドレー等、牧師が共産党の先兵となり、アメリカ世論を反日にしむけ、大東亜戦争を引き起こしました。その結果、大変な犠牲者を出しながら、アメリカは中国におけるすべての利権を失ったのです。その原因究明がマッカーシー旋風であり、共産主義者の追放に発展しました。

私は当時の共産主義と民族主義は、敵が資本家か、宗主国かの違いだけで、発想は同じだと思います。

神社参拝の強制と朝鮮語教育の禁止

<1937年シナ事変が発生し、更に第2次世界大戦に突入すると、日本は国としての朝鮮を抹殺しようとした。 神社参拝を強制し、学校のカリキュラムから朝鮮語教育は外されました。
新聞は韓国語で出版する事を禁止され、新聞は韓国語で出版する事を禁止されました。更に大学における韓国の歴史の研究は禁止され、朝鮮語の資料は焼かれたり、壊されました。>

 朝鮮語が禁止されたとの話を良く聞きますが、NHKの朝鮮語によるラジオ放送は終戦まで続けられ、毎日新報は終戦まで発行されました。
小学校のカリキュラムから消えましたが、禁止されたわけではありません。昭和16年の朝鮮教育令、小学校令の改訂によっても、朝鮮総督府の朝鮮特殊事情による特例は従来と同様とし、「国民学校令ノ特例」として、「国民学校ニハ随意科目トシテ朝鮮語ヲ加設スルコトヲ得」と残っているとの事です。
(朝鮮総督府施政年報昭和16年版クレス出版http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/index.html)

神道の強制は神道の本質を知らない人の誤解です。日本人はキリスト教の教会で祈り、神社の前で神様に祈ります。それが普通です。
神社で行われる戦勝祈願祭に、宗教を理由に出席を拒否される事には、日本人は耐えられなかったのです。今でも職場で行われる地鎮祭や安全祈願祭に宗教を理由に出席を拒否されると、その人は嫌われるのではないでしょうか。一神教と多神教の本質的な相克です。

尚キリスト教は禁止されたことは全くありません。 日本国内ではこの相克は割合早期に克服されましたが、朝鮮では1930年頃まで持ち越されたのだと思います。

米と農地の収奪

<日本の地主の過酷な米の搾取による貧困と栄養失調にも関わらず、平均寿命は26歳から42歳(1945年)に伸び、人口は2倍になりました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Period_of_Japanese_Rule_(Korea)
「日本の地主から米が没収された」(没収できる法律でもあったのでしょうか?)>

平均寿命は26歳から42歳に伸びたとは大変な進歩ですね。それにしても李朝朝鮮時代の平均寿命が26歳とは、大変な国だったのですね。

<朝鮮人農夫は日本人地主の小作として雇われ、以前に比べ遙かに高い小作料を取られました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Period_of_Japanese_Rule_(Korea)
「以前、つまり李氏朝鮮時代より高い税金を払わされた。」>

朝鮮人農夫を小作として雇った地主の大半は朝鮮人地主です。小作料の相場は朝鮮人地主で決められた筈です。
地税納入義務者面積別統計表(総督府統計年報)によりますと、100町歩以上の地主は日本人が多くなりますが、100町歩以下の地主の大半は朝鮮人です。
小作料については1920年代から30年代初めに大きな問題となり、対策が議論されたと記憶しています。

<日本の地主は朝鮮の農地を次第に、19世紀以前の支配者同様独占的に支配することに成功しました。 この事は1916年、1920年、1932年の日本の地主の農地保有率を見れば明らかです。 これは最初36.8%から始まり、39.8%、60.2%に増えました。これに伴い、朝鮮人の農地保有率は63.2%から、60.2%、47.3%と下がりました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Period_of_Japanese_Rule_(Korea)
「李氏朝鮮と同様に農民の財産を独占した。」>

 この数値はどこから出てきたものでしょうか。 私の調べでは1922年の日本人農業者所有土地面積は約6%に過ぎません。

<「日本の地主から米が没収された」(没収できる法律でもあったのでしょうか?)>

朝鮮の農民が米を食べられなくなったのは、昭和不況の時期です。この時期米の価格が暴落し、日本の東北地方でも地方役場は給料が払えず、娘を売らなければならない家庭が続出しました。日本では朝鮮からの無制限の移入を禁止すべしと言う農林省と、それでは朝鮮人は食えなくなると主張する総督府並びに陸軍の意見が衝突し、石黒農林次官が怒って退職しています。
2.26事件も貧乏農家の疲弊が根本原因でしょう。

この時期、アメリカでもフィリピンからの農産物が安値で移入されたので、アメリカ農民の反発を呼び、フィリピンの切り捨て、フィリピンの10年後の独立が決まったのです。

終戦近くになると、日本でも朝鮮でも労働力や肥料が不足し、食糧不足になりましたが、友人の父の(当時朝鮮在住)話では、日本より食糧事情は良かったと言っていました。

尚それにも関わらず寿命が26歳から42歳に伸び、人口が2倍になったという事は、日本の政策が正しく、言われるほどの搾取がなかったことを示すものではないでしょうか。

税金が高くなったというのは何時のことですかね。35年の統治期間で税制は次第に変わっています。 色々な税金は日本より安かったと認識しています。
例えば併合の翌年の歳入は合計52百万円、内租税22百万円、官業収入4百万円、日本からの補充金12百万円、公債・借入金10百万円・前年度繰越金が4百万円でした。如何に日本が持ち出しだったか分かります。

強制労働

http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP3.HTM
http://www.hawaii.edu/powerkills/SOD.CHAP3.HTM
「1939年から45年までに540万が強制労働にかり出され、67万が日本に連行され、そのうち6万人が日本で死亡」 (引用しているハワイのサイトはネットでもときどき引用されるのを見かけます。)>

根本原因として、人口の急増があります。農地面積は急に倍増できるものではありません。農業以外の就業者が増加したからこそ、これだけの人口が養えるようになったのです。
「1939年から45年までに540万が強制労働」について、強制労働の定義が分かりません。これが鉱工業労働者数とすると、この間に随分鉱工業が発展した事を示します。

「67万が日本に連行され」連行という言葉に抵抗がありますが、その程度の人数の人が労働者として日本に渡ってきた事は事実と思います。

その中には希望して来た人も一杯いました。嫌々来た人も多くいたと思いますが、手錠をかけ連行された人は一人もいません。所定の場所に集合し、歓呼の声に送られて出発したのです。

死んだ人がどれだけいたかは分かりませんが、原爆や空襲で米軍に殺された人も多数いたと思います。尚この無差別爆撃は明らかなハーグ国際条約の違反であり、戦争犯罪です。

自国の新聞の出版、政党の結成

<朝鮮では建前として朝鮮人も日本人と同等の権利を有していた。しかし事実として日本政府は朝鮮人を被征服人として扱った。1921年まで自国の新聞の出版、政党の結成は禁止されました。
http://www.country-studies.com/south-korea/under-japanese-rule.html
これ以下は米国のサイトからです。「1921年まで自国の新聞の出版、政党の結成は禁止」>

「1921年まで自国の新聞の出版、政党の結成は禁止」正確には知りませんが、1919年の3.1独立運動後、斎藤総督の時代に解禁されました。
斎藤総督は3.1独立運動の首謀者を3年の刑期満了前に恩赦で釈放し、崔麟や李光洙を親日派のリーダーに育て上げました。地方自治を確立し、日本の貴族院議員になった人も10人程いますし、東京から衆議院議員に当選した人もいます。
日本の県に当たる道の知事13人中5-6人が朝鮮人の指定席でした。

朝鮮人企業の抑圧

<朝鮮人企業は競争相手の日本人企業より、25%も高い金利を払わせられた。従って朝鮮人企業が成長することは困難であった。農地はどんどん日本人の手に渡り、朝鮮人は小作に転落するか、日本や満州に移住せざるを得なくなりました。
http://www.country-studies.com/south-korea/under-japanese-rule.html
「朝鮮人の方が利子が日本人より25%負担が大きかった」>

朝鮮人と日本人には何の差もありませんが、信用のある大企業と弱小企業では金利の差はあったと思います。それが資本主義ではないでしょうか。カーター・エッカートの「日本帝国の申し子」を読むと京城紡織などは総督府と一体となり、朝鮮の発展に働いています。

所得税は朝鮮は1934年まで課税されませんでした。1934年から課税されましたが、税率は内地の半分でした。その後次第に税率が上がりましたが、内地よりは低率でした。朝鮮人・日本人の差はありませんが、累進課税でしたので、所得の多い日本人の方が、高率だったはずです。

朝鮮語の禁止

1937年総督府は学校教育令を変え、生徒に学校の中でも、外でも朝鮮語を話すことを禁じました。戦時中朝鮮語の新聞・雑誌は発行を禁じられました。
http://www.country-studies.com/south-korea/under-japanese-rule.html
「1937年学校外でも朝鮮語禁止との政令がでた」
「戦時下では韓国語の新聞雑誌も禁止」>

最初の方で書きましたが、NHKの第2放送は朝鮮語で放送していました。
初等教育の普及状態から考え、高齢者は日本語を習っていないので、朝鮮語を禁止するなど不可能です。

植民地を持つ目的

植民地を持つ利益は何でしょうか。赤字企業を買収する目的は何でしょうか。共に無駄に使われている経営資源を有効に使い、国、又は企業を発展させることではないでしょうか。反発し合うのではなく、相協力してこそ、その利益が得られると思います。

 日本は朝鮮を植民地にした目的はロシアからの防衛です。朝鮮人に武器を持たせた場合その矛先が日本に向けられず、ロシアに向かせるにはどうすべきでしょうか。

日本は必死に経営努力をしてきました。だから韓国も台湾も先進国の仲間入り出来たのです。他の欧米諸国の植民地と比較してみてください。

自由史観研究会理事 杉本 幹夫

■投稿(2)

いつもありがとうございます。ご回答頂き眼が開かされます。感謝しております。私の方の英文での討論もあるのですが、それをちょっとまとめてみたいと思っています。歴史に疎いのでなるべく自分の意見はなるべく抑え、他の人の参考になるような資料を提示したつもりです。ご笑覧くださいませ。公開するほどのものではございません。これからも慰安婦問題、併合時代の誤解などを解消するようなものを公表していくつもりです。イザベラバードなどの原著も図書館で借りられるようなのでそれにもあたってみます。

ところで、崔 基鎬氏などのように併合を高く評価する人の書いた日韓併合などを読みますと、朝鮮人の校長の給料が日本人の新人の教師の給料より安いことがあった、そんな点で戦後朝鮮の人々の反感を残すことになった、というような記述があります。p168 先生のお考えはどうでしょうか?法的な意味で差別的待遇というのはどの点であったのでしょうか?また、時間のあるときなどご教示頂ければ幸いです。

■回答(2)

英語のページは手が空いたときゆっくり読ませていただきます。

崔 基鎬氏の日韓併合は読んでいませんので、どのような事を述べておられるのか分かりませんが、当時朝鮮と内地では給料が1.5倍ほどの差がありました。

官吏の場合、同一資格の人の俸給は内地人も朝鮮人も同じでした。しかし内地人が朝鮮に赴任するとき、奏任官以上50%、判任官60%の在勤加俸がついたのです。朝鮮人が朝鮮に赴任しても、この在勤加俸はつきませんでした。これは内地人としては当然の要求であり、同一俸給では不便な朝鮮を希望する人はいません。しかし朝鮮人は喜んで朝鮮を希望したのではないでしょうか。

民間人もこれに見習い、朝鮮に赴任すると、内地で勤務するより、高い給料が貰えたようです。後に小野田セメントの社長になった安藤豊録も朝鮮に赴任すると給料がよけい貰えるので、朝鮮勤務を希望したと「私の履歴書」に書いています。

この在勤加俸で、新人教師も朝鮮人校長並みの給料になったのですかね。

この在勤加俸は小磯総督時代に朝鮮人にもつくようになり、内地人も朝鮮人も全く同じになりました。

今日東南アジア諸国に転勤する人の事を考えてみてください。転勤する人の立場に立つと、外地手当を欲しいと思うでしょう。逆に現地人の立場に立つと、なんでこんな高い給料を払わなければならないのかと感じるのではないでしょうか。

自由史観研究会理事 杉本 幹夫