1.南京事件に関連して

■投稿

いつも貴会のホームページで勉強させていただいております。 当方ただいま米国の政治系インターネット フォーラム、U.S. Politics Online (http://www.uspoliticsonline.com) にて中国人の憤青と思われる方と 靖国問題及び南京事件に関して議論しております。

(参照:http://www.uspoliticsonline.com/forums/showthread.php?t=23604&page=7 )

議論そのものはまだ始まったばかりなのですが、このままこちら側の主張を続けて良いものかどこまで 言ってしまってよいものかどうか判断がつきかねております。周りの雰囲気からすると、 泥沼にはまる前にここらで身を引いたほうがよいのかとも思われます。 どうかご教示のほど宜しくお願い申し上げます。

また、上記のページのポスト#103に貼られております写真なのですが、これらが本当に南京事件に 関わるものなのかどうか、また本当に日本軍によるものなのかどうかご存知でしたらば教えて いただきたく存じます。また同様に当該ポストにリンクが貼られている南京事件関連の動画につきましても 何かご存知のことがございましたら、教えていただけませんでしょうか。 お忙しいところ重ねて誠に恐縮ですが以上宜しくお願い申し上げます。

■回答

米国の政治系インターネットフォーラムで中国人と論争中とのことですが、お疲れ様で す。 ご健闘をお祈りいたします。

南京大虐殺の写真と動画だそうですが、現在までのところ南京大虐殺の写真と動画は1 枚も発見されていませんので、ご安心下さい。写真は中身よりも、いつ、どこで、誰が 撮ったか、というアイデンテイテイが重要です。正体不明の残虐写真などは世界中に無 数にあります。動画も同じです。

南京大虐殺の動画というものはほとんどが、大戦中の米国の宣伝映画「バトル・オブ・ チャイナ」からコピーされたものです。しかし、陥落当時の南京の映像は白井氏が撮影 した「南京」(覆刻版が出ています)とマギー神父(もちろん彼は虐殺を見ていない) が撮影した病院のシーンの二つしかありませんし、両者とも大虐殺の逆方向の映像です から心配はありません。とにかく嘘を暴くには「いつ、どこで、誰が撮ったか」をしつ こく問うことです。

南京大虐殺ではなかったことを証明することはできません。相手側の論拠を否定してそ のファンタジーかつフェイクなことを際立たせればいいと思います。再審「南京大虐殺 」明成社 日本会議は日英対訳でインターネットで公開されているので参考になります よ。

靖国神社は、第二次大戦の戦死者だけを祭っているのではないこと、戦後もずっと参拝 がされてきたけれども問題にされなかったことなどを言えばいいと思います。これも相 手側の嘘を指摘する方が楽です。

何かありましたら、いつでもご遠慮なくご質問ください。ご意見やご質問はstaff@jiyu u-shikan.org宛にお願いいたします。

自由史観研究会会員 渡辺龍二


2.靖国問題

■投稿

本日ふっとした切っ掛けから靖国問題の参考文献を読ませた頂き、今まで疑問というより少しは理解はしてはいましたが、自分の世界観と一致しよく理解が出来ました。この問題は日本人である以上決して隣国に指図され翻弄されてはいけません。昨今の日本国民は自由主義という言葉を鵜呑みにし薄っぺらな人間関係が謳歌しています。

官僚たる人は国民の規範となるべき士であるはずですが、尊敬にあたる人は見受けられません。 今一般国民はヒーローなる人物を求めています。全ての国民が自国を愛し誇りが持てるように、今こそ頑張って頂きたくお願いいたします。私も微力ながら応援させて頂きます、有難うございました。


3.征韓論他

■投稿(1)

「教科書が教えない歴史 明治〜大正〜昭和、大事件の真相」30ページで西郷隆盛は征韓論を唱えていなかったとしていますが、その根拠が筆者の単なる推論のように思われます。このことを証明する一次史料(証拠)はあるのでしょうか。それと、南京大虐殺が捏造事件であることや、従軍慰安婦の強制連行はなかったということについては、ある程度議論がつくされていると思うのですが、731部隊についてはどうですか。

■回答(A)

「征韓論」についてお答えします。

「西郷隆盛は征韓論を唱えていなかった」については、 政治学者の毛利敏彦氏が『明治六年政変』『台湾出兵』(中公新書) で、詳細に解明しています。 私も、毛利氏の見解に賛同しています。 また、史料については、板垣退助監修の『自由党史』上(岩波文庫) を読まれれば、毛利の見解は納得されるはずです。

 さらに、私は『従来の《政変》解釈は誤り』という論文を完成しました。 現在出版社を捜しているところです。  私が明らかにした点は、征韓論のポイント「西郷が使節として朝鮮に 渡れば殺される」という発想の発信源は、帰国組の岩倉具視や 大久保利通であって、西郷も板垣も、「朝鮮に渡っても殺される可能性 はゼロに近い。いつかは交渉可能だ」と考えていたという点です。 つまり、大久保陰謀説(通説)や江藤との軋轢説(司馬遼太郎)、 伊藤博文陰謀説(毛利敏彦氏)が誤りであることを証明しています。

質問:西郷の「征韓論」とは、具体的に何だとおもいますか?

自由史観研究会会員 大場敏夫

■回答(B)

731部隊とは基本的に防疫部隊でした。チフスやペスト等が発生したとき、消毒薬を散布しました。所がそれを病原菌を散布したと非難されています。

又、病院・研究所も持っており、色々な研究が行われていました。問題はどの程度の人体実験が行われていたかです。 薬品が不足する中で色々な無理もあったと思います。 又日本に持ち帰った資料はすべて米軍に押収されました。

事実を歪曲し、非難することは容易ですが、事実をすべて調べ、不当な行為がなかったと証明することは極めて困難な作業だと思っています。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


4.投資ファンドVS電鉄会社問題を見て、日清戦争〜日韓併合を考える。

■投稿(1)

このところ、村上ファンド対阪神・阪急に関する話題が喧しい。これを愚生は「日清戦争前夜」から「日韓併合」の時代に置き換えて見た。即ち、清国並びにロシア帝国=村上ファンド。阪神電気鉄道株式会社=李氏朝鮮(韓国)。阪急ホールディングス株式会社=(日韓併合直前の)大日本帝国。阪急・阪神の経営統合=日韓併合 と言う具合に…。この「置き換え」に無理はないか、と勉強を兼てインターネットでウェブ検索していた処、「韓国歴史教育、驚愕の捏造!(日韓併合の真実)」というWeblogがあった。それを編集すると概ね次のようなものになり、「置き換え」が必ずしも間違いではないものと思料している次第である。

 韓国国定中学校国史教科書には 
 (1) 日帝は、李完用を中心にした親日内閣に対して日帝に合併するよう条約を強要し、遂にわが民族の国権を強奪した。
 (2) 日帝の支配下で、わが民族はとくに経済的な収奪によってひどい苦痛を受けるようになった。この中でもっとも大きな被害を被ったのが土地の侵奪だっ    た。
 (3) 日帝は韓国 の土地を略奪すると同時に、わが民族の産業活動を様々な点で制約し、あらゆる手段を尽くして資源を略奪 した。 と記述されているそうだが、(1) についての真実は、朝鮮王朝に国家を運営する能力がなく、日本との信頼関係を裏切り、国際的な信用を無くしたあげく、韓国側の請願によって合法的に進められたものであった。敢えて言うならば、国を治める力が無く、陰謀と裏切りと変節の果てに国を失った朝鮮王朝の自業自得であった、と言えよう。

 アメリカ人の朝鮮外交顧問 ドーハム・スティーブンソンは、
 『朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財を略奪している。その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。伊藤博文統監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。』と述べている。

更に、ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」には、韓国駐在のシル米代表が明治27(1894)年7月29日、
『・・・日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と 繁栄と文明開 化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定した独立国にしようと考えている。 こうした日本の動機は韓国知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異論はないと思われる。(256頁)』と述べたとある。

また、『1910(明治43)年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであっ た。パールハーバー以前は、日韓関係について語る 歴史家は、日本が欧米列強から 教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。トリート教授によれば、日本は「・・・一つひとつの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである」。事実、列強の帝国建設は殆どの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。(258頁)』との記述がある。

(「アメリカの鏡・日本」は、昭和21(1946)年に連合国最高司令官総司令部の諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わったヘレン・ミアーズ女史が昭和23(1948)年に著した。マッカーサーは同書の日本語版出版を禁止したが、終戦50年後の平成7(1995)年にやっと日本語に翻訳され出版されたものである。)

 (2)、(3) については、次の真実から日本による「収奪」の事実は考えられず、韓国歴史教育は明らかに間違った内容を教育していると言えよう。

 土地調査令

  全錫淡他著、梶村秀樹他訳『朝鮮近代社会経済史』の記述によれば、日本は耕地面積のうち13万4千余町歩を国有地とし、未墾地とされた土地、90万余町歩 も接収した。当時の課税地総面積286万7千余町歩に対して考えると、耕地面積として約5%。未墾地を含めた接収分を入れると約 40%の土地を収奪した計算になる。
だが、実は土地調査事業により課税地総面積は424万8千余町歩と確認された。これは、李氏朝鮮末期の政治の混乱により正確な統計が行われていなかったことに由来する。この計算だと未墾地を含めても26%となり、未墾地を統計に入れるのは適当でないと考えればさらに少なくなる。さらに、日本人地主に有利だったとされるが、実際には日本人入植者の開墾により、耕地面積が1.4倍に増加したという統計もある。(東畑精一 他『朝鮮米穀経済論』( 日本学術振興会))  

 朝鮮会社令
  朝鮮会社令とは1910〜1920にかけて施行された、朝鮮半島における会社設立の届け出・認可制度のことである。李氏朝鮮末期、朝鮮半島には産業と呼べるものは全く存在せず、無慈悲で無能な支配階級と搾取される貧民しかいなかった。貧弱な商業基盤しか持たず、そもそも貨幣経済が機能していなかった。そのような状態で資本化が進行すればどうなるか?ということについて、19世紀の同時期に実例がある。
三国協商時のロシアに於いては資本化が他の西欧諸国よりもさらに急速に行われたために貧富の差が拡大し労働者はいっそう搾取され、後の共産革命の遠因ともなった。日本に於いても明治時代の都市住民の貧窮についての記録は多い。もし、朝鮮半島で無制限に資本化が行われれば、たちまち未発達な商業基盤しか持たない朝鮮産業は壊滅し、資本家と労働者の貧富の差はさらに広がったに違いない。朝鮮会社令の目的も、経済の知識がない朝鮮人による利権目的の会社乱立など、詐欺的な行為から一般の朝鮮人を保護する目的であったとされている。

諸賢は如何お考えでありましょうか。

堺市 岡田

■回答

村上ファンド対阪神・阪急をロシア、韓国、日本に置き換える発想はありませんでしたが、ご指摘の事はその通りと思います。

(2)の<土地調査令  全錫淡他著、梶村秀樹他訳『朝鮮近代社会経済史』の記述>のことは小生も気づき、「植民地朝鮮の研究」展転社で指摘しましたが、東畑先生が指摘されていたことは知りませんでした。

しかし<実際には日本人入植者の開墾により、耕地面積が1.4倍に増加したという統計もある。>については僅か数年の間424万8千余町歩−286万7千余町歩=138万町歩も開墾したと考えるのは不自然であり、やはり測量がでたらめだったと言うことではないでしょうか。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


5.戦犯の赦免、釈放について

■投稿(1)

「昭和二十七年六月九日、参議院本会議において「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、同年十二月九日、衆議院本会議において「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」がなされ、昭和二十八年八月三日、衆議院本会議においては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で可決され、昭和三十年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がなされた。サンフランシスコ講和条約第十一条の手続きに基づき、関係十一カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和三十一年に、「BC級戦犯」は昭和三十三年までに赦免され釈放された。」 http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/index.html とあります。

先日東京裁判がよくわかる本php文庫を読んでいましたら。関連箇所に「一方アメリカを中心とした連合国は国際赦免委員会を設置してA級戦犯の釈放に備えた。国際赦免委員会は、東京裁判を構成した11カ国のうちソ連、中国、パキスタンを加えた8カ国で構成された」とああります。この記述と「11カ国の同意」のもととは齟齬がありますが、どのように考えたらよいでしょうか?

また、いずれにせよ、東京裁判を構成した11カ国の「過半数」に基づき、赦免、釈放したと考えてよろしいでしょうか? そして、そのような同意があったとした場合、サンフランシスコ条約に基づき、つまり国際法的にも赦免されたと考えてよろしいでしょうか。 ご教示いただければ幸いです。

■回答

国際赦免委員会というものがあったことは知りませんでした。

しかしA級戦犯の内、終身刑に処せられた人を含め、生存者全員が、東京裁判を構成した11カ国の「過半数」の合意に基づき、赦免、釈放されたことは間違いありません。

問題は既に死んだ人が赦免されたのか、どうかの問題です。 この問題について民主党の野田議員の質問に対し、政府は次の通り答弁しています。(自由主義史観研究会会報 4月号より引用)

[質問]

 3 昭和二十七年六月九日、参議院本会議において「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、同年十二月九日、衆議院本会議において「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」がなされ、昭和二十八年八月三日、衆議院本会議においては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で可決され、昭和三十年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がなされた。サンフランシスコ講和条約第十一条の手続きに基づき、関係十一カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和三十一年に、「BC級戦犯」は昭和三十三年までに赦免され釈放された。刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。赦免・釈放をもって「戦犯」の名誉は国際的にも回復されたとみなされるが、政府の見解はどうか。

 4 「A級戦犯」として有罪判決を受け禁固七年とされた重光葵は釈放後、鳩山内閣の副総理・外相となり、国連加盟式典の代表として戦勝国代表から万雷の拍手を受けた。また、それらの功績を認められ勲一等を授与されている。同じく終身刑とされた賀屋興宣は池田内閣の法相を務めている。これらの事実は「戦犯」の名誉が国内的にも国際的にも回復されているからこそ生じたと判断できる。仮にそうではなく、名誉が回復されていないとするならば、日本国は犯罪人を大臣に任命し、また勲章を与えたということになるが、政府はこれをいかに解釈するか。

 5 「A級戦犯」として受刑し、刑期途中で赦免・釈放された重光葵、賀屋興宣らの名誉が回復されているとすれば、同じ「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった東條英機以下七名、終身刑ならびに禁固刑とされ服役中に獄中で死亡した五名、判決前に病のため病院にて死亡した二名もまた名誉を回復しているはずである。仮に重光葵らの名誉は回復されており、東條英機以下の名誉は回復されていないと政府が判断するならば、その理由はいかなるものか。

[回答]

お尋ねの「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではなく、一概にお答えすることは困難である。

 お尋ねの重光葵氏は、平和条約発効以前である昭和二十五年三月七日、連合国最高司令官総司令部によって恩典として設けられた仮出所制度により、同年十一月二十一日に仮出所した。この仮出所制度については、日本において服役するすべての戦争犯罪人を対象として、拘置所におけるすべての規則を忠実に遵守しつつ一定の期間以上服役した戦争犯罪人に付与されていたものである。

 また、お尋ねの賀屋興宜氏は、平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律により、昭和三十年九月十七日、仮出所し、昭和三十三年四月七日、刑の軽減の処分を受けた。この法律に基づく仮出所制度については、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が科した刑の執行を受けている者を対象として、刑務所の規則を遵守しつつ一定の期間以上服役した者に実施していたものであり、また、この法律に基づく刑の軽減については、刑の執行からの解放を意味するものである。

お尋ねの死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身禁錮刑及び有期禁錮刑とされ服役中に死亡した五名並びに判決前に病没した二名については、右のいずれの制度の手続もとられていない。

 そして、重光葵氏及び賀屋興宣氏については、昭和二十七年四月二十八日、平和条約の発効及び公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律(昭和二十七年法律第九十四号)の施行により、選挙権、被選挙権などの公民権が回復され、その後、衆議院議員に当選し、国務大臣に任命されたものである。また、重光葵氏については、昭和三十二年一月二十六日の死去に際し、外交の重要問題の解決に当たった等の功績に対して、勲一等旭日桐花大綬章が死亡叙勲として授与されたものである。

[杉本コメント]

 ここでの問題点は、赦免された人の名誉が回復されたかと言うことと、既に死んだ人に対し、赦免されたと考えて良いかと言うことの二点である。

一点目については政府は「「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではなく、一概にお答えすることは困難である」と逃げている。この見解は小泉内閣では変更は困難と思うが、これは見解の問題なので、次の内閣で変更可能である。

 常識的に考え、重光さんが国内的にも国際的にも名誉回復されていることを否定する事は無理であろう。

又既に死んだ人の釈放要求は現実的にあり得ない。これを以て赦免・釈放の手続きが取られていないから、名誉回復されていないと主張するのは、強弁であろう。BC級戦犯として処刑された人の遺骨が帰還したとき、「日本の名誉を汚した人」として鞭打って迎えたのか。そうではなく、日本のために戦って亡くなった人として、敬意を持って迎えたのではなかろうか。

 やはり野田さんが主張するように、刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。重光さんらの名誉が回復されているとすれば、同じ「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった東條英機以下七名の人々も名誉が回復されていると考える方が自然である。>

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■投稿(2)

早速のご回答ありがとうございました。読み返してみると、脱字があったようです。 正確な引用は、東京裁判を構成した11カ国のうちソ連、中国、フィリピン、インドを除き、パキスタンを加えた8カ国で構成された」p346.

米国が主導になって拘禁10年に達すれば釈放という方針があった、ということを『東京裁判とオランダ』という本から引用しているようです。 ありがとうございました。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


6.日本と韓国、中国の関係について

■投稿(1)

何時も大変興味深くHPを見ています。 世の中には色々な意見があることは承知していますが 貴会の意見が一番、的を得ている様に感じています。 これからもためになる考え方を私達に示して下さい。

ところで 日本と韓国、中国の関係について、 現在の日韓、日中関係が両国にとって好ましい状態で 無い事は誰が見ても明らかだと思います。 靖国問題等、明らかに内政干渉以外の何者でもないと 感じますが、振り返ってそれは相手国だけが悪いのでしょうか。 これまでの日本の対応に問題もあった事も歪んだ関係が 出来てしまった一因ではないかと思います。

日本が世界一とは思いませんが国としての成熟度は少な くとも両国より上ではないかと私は思っています。 だとすれば日本が主体的に行動して両国との関係を健全化 する必要があると思います。如何でしょうか。

ここからが肝心の質問ですが もしそうだとすれば日本はこれから両国に対してどのような アプローチをしていけば良いのでしょうか。

貴ホームページの全てを見た訳ではなく、この様な質問は 失礼かも知れませんがアドバイス頂ければ幸いです。 宜しくお願いします。

■回答

会員の一員の水本と申します。会を代表しての意見ではありませんが、一言申し上げたいと思います。

日中、日韓の現在のおかしな関係の原因は70%は、相手側の責任、30%は日本側の責任と見てよいかと思います。ただし、30%の日本側の責任という意味は、日本が勝手な要求をしているとか、過去の謝罪が足りないとかいうことでは全くなく、「言うべきことをしっかり言ってこなかった」という意味で言っているものです。

たとえば、中国の靖国問題に対する言いがかりを取り上げてみましょう。これは中国の国民感情に基づくものだなどというのは噴飯ものであることは言うまでもありません。戦後、そして国交回復後も中国政府が首相の靖国参拝を問題にしたことはなかった。昭和60年8月に突如参拝批判を始めるまでに16人の首相が60回以上靖国参拝していたのに対してたった一言も批判をしなかった。もし戦争の問題で国民感情がというなら、戦争に記憶の生々しい時にこそ批判が出るはずである。それが戦後40年もたってから「突如」言い出したのは、「政治的」理由による難癖以外に考えられない。A級合祀?これもウソ。合祀してから三人の首相が21回参拝していても何も言わなかったのである!

中国侵略の贖罪意識につけこんだ政治攻勢である。根本は、あの戦争を盧溝橋で仕掛け、上海で本格戦争にもち込んだのはたのは、中国共産党である、ということの認識を政治家が持たず、ひたすらひれ伏しているというところにあります。何しろ、靖国でがんばっているはずの小泉首相は、何と盧溝橋のウソと捏造だらけの戦争記念館に行って戦争謝罪をしているのですから、これでは相手はくみしやすしと思うのも無理ないでしょう。

もうひつ南京虐殺のことを挙げておきましょう。中国の中学生の歴史の本に南京虐殺が取り上げられたのはいつのことだと思いますか?被害者がたくさん生きているはずの頃、1940年代から50年代にかけて何と教科書には出てこないのです。実際にはほとんど被害者などいないのですから、それでも文句は出なかったのでしょう。

これが大々的に登場するのは、日中国交回復後、日中が友好関係になってからのことです。もっとはっきり言えば、本多勝一の「中国へのたび」で南京虐殺の証言なるものを書き連ねてからしばらくして、1979年の教科書から、南京大虐殺なるものが出るようになったのである。これは日本の教科書ではなく、中国の教科書のことである。当時の記憶も薄れ、関係した人も少なくなった頃のことである。さらにいうとかの有名な「南京虐殺記念館」は、1985年に建設されたものである。南京戦から47年後のことである。

今では、南京虐殺など存在し得なかったことはほぼ100%証明されている。国民党宣伝部の「極秘」資料に、当時の宣伝部が、南京戦の直前から約1年間の間に300回ほどの外国人記者を招いた記者会見を開いていたことが記録されている。しかし、300回の記者会見で、「南京で虐殺があった」という発表をたった一度も行っていないのである。もし本当にひどいことが起こっていたら、全然それを非難した発表を外国人記者に行わないなどということがありえるだろうか?まともな判断力を持つものなら、結論ははっきりしている。すなわち、事実はこのようなことだったのに、日本政府は中国政府の大嘘宣伝を事実に基づいて徹底反論しないで来た。そのために、これも日本脅しの材料に使われているわけです。

このように理不尽なことをいっているのは、明らかに中国政府ですが、それを言わせるような状況を作っている日本政府の責任も決して小さくはないということです。実体としては、日本は中国に獏大な支援を行っているのに対して中国は、何の感謝もせずに、さらに脅してたかろうとしているだけで、日本に対して友好的なことをやったためしはほとんどないという有様です。まるで日本が何か悪いことでもやっているような勘違いをしている人も要るようですが、事実は全く違います。

韓国についても同じようなことで、具体的に述べるまでもないかと思います。

自由史観研究会会員 水本 繁