6.オランダに対する戦後補償の記述について

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この度は、貴会のHPを拝見し勉強させていただく中、少々疑問を感じました記 述につきましてお伺いさせていただきたいと思います。

Q&A「償いは済んでいる」日本の戦後補償の中のオランダに対する戦後補償の 項等では、BC級などの所謂通例の戦争犯罪や人道に対する犯罪などに関しての 戦後補償について書かれておりますが、全般的に我が国の戦争犯罪について補償 要求され国家賠償をおこなってきたが、一方で戦勝国の戦争犯罪云々との記述が 目を引きます。

このような文面を拝見いたしますと、あたかも我が国の軍隊・軍人も戦争犯罪を 犯したかのような印象を受けますが、私は国家並びに武人の名誉に関わる戦争犯 罪を、我が国の立派な軍人が行ったとは思えません。

具体的に例示すべき事件があればご教示いただければ幸いですが、もし、戦争犯 罪といえる事実が無ければ、文中の何れかで「全てが不当な軍事裁判により捏造 された事件による」などの説明を加筆すべきではないでしょうか。

■回答 A

ご意見をお寄せ頂きましてありがとうございます。 当該項目を執筆致しました飯島と申します。

敗戦国となった我が国軍将兵が、不当な罪、いわゆ る、ぬれぎぬを着せられた事例は、仰せのように、 たくさんあったと存じます。
よく、言われるところでは、食糧難のなか、捕虜に 「ゴボウ」を食べさせてあげたのに、収容所では 「木の根」を食べさせられた、捕虜虐待だと言われ た、であるとか。

泰緬鉄道建設時にも、欧米人捕虜には可能な限り、 肉を出すようにというお触れがあったにもかかわら ず、やはり捕虜虐待に問われています。

その一方で、上坂冬子さんが調査発表されたよう に、横浜での「捕虜生体解剖事件」は、事実として ありました。

徴兵制度下でしたから、聖人君子ばかりが国軍兵士 となったとは限りません。
針小棒大に騒ぎ立てられたこと、人違い、勘違い、 文化の差異による誤解などもありながら、しかし、 戦時における戦争犯罪がなかったとは言えないとい うのが、わたくしの考えです。

現在の日本国民を見ても、立派な人もいれば、売国 奴のような人物もいる、思想上のことばかりでな く、言動においても、法を守る人が大方ではありま しょうが、犯す人がいることも確かです。
わたくしは学校教育で、南京事件や植民地支配の横 暴などを聞かされましたが、学生当時から、日本の 兵隊が悪行なんか犯すわけがないという考えを持っ ておりました。

しかしながら、「サヨク」が、「真実」に目覚めて いくのと、逆に、社会に出てから、日本人の中にも いろいろな人間がいるのだということに気がつかさ れました。
残念ながら、少数の跳ね上がりはいた、それが実態 だと思います。

むしろ「人道に対する罪」「平和に対する罪」な ど、遡って裁くことの出来ない問題をでっち上げら れたことに対してであれば、堂々と無罪を言い立て ることが出来ましょう。

言葉の足りない点がございましたら、ご寛恕下さい。

自由史観研究会会員 飯島瑞穂

■投稿(2)

私は日本軍の犯罪行為があったか、或いは捏造の断罪であったのか、事実や詳細は知るべくもありません。

しかし、蔡焜燦さんの台湾人と日本精神、楊素秋さんの日本人はとても素敵だった、井上和彦さんの親日アジア街道を行くなどを始め、多くの書から得る日本軍人の姿からは、とてもそのようなイメージは湧きません。というよりは思えないのです。
それは、極限の戦闘状況ゆえ、ある程度の誤解を招く厳しい行為は当然あったでしょう。然しながら、人の道を踏み外す極端な非人道的行為があったとは俄かに信ずることは出来ません。

私の伯父は、昭和19年11月、レイテ島リモン北方高地の激戦で戦死いたしました。祖母から、伯父の人となりや伯父と共に出征された方からの話として聞かされた日本軍人の姿からは、とても犯罪行為などと思えてなりません。

取り分け、飯島様の述べられた徴兵制度ゆえ聖人君主は居らずとのお話には極度の抵抗を覚えてなりません。
私も殆ど聖人君主は存在しないであろうことは当然のことと思います。何故なら皆平凡な一国民だったのですから。がしかし、聖人君子ではないという当たり前であることの表現を以ってして、犯罪行為はあったであろうとするお考えに理解が及ばないのです。

戦死した伯父も聖人君主ではありません。でも、かつての日本人は今日の教育や躾とまったく異なる教えを受けましただけに、堕落した現代人から切って捨てるように断じられることに申し訳ない気持ちで一杯です。

私は、死地に赴かれた存命の方々の証言として犯罪行為が明らかにならない限り、我が国の勇士たちは立派であったと信じております。
またそれが今に生かしていただいている私の思いでもあり、日々ご英霊に感謝し、毎朝チャンネル桜から流れます国歌と海ゆかばを聞きつつ靖国に向かい一礼しております。

■回答 B

基本的に私は飯島さんが言われる通りだと思います。

貴方が日本兵の潔白を信じたい気持ちは貴重であり、敬服しますが、残念ながら、腹が減っては戦は出来ません。不法と知りながら略奪に走るのは人情だと思います。

私の知人(故人)で粤漢打通作戦の頃軍属として参加した方がおられましたが、その方の著作でも日本兵による略奪が記載されています。
又シナ事変参戦者に自慢話として不法行為をしたと話す人がいることは、まま聞きます。

飯島様の述べられたのは、徴兵制度ゆえ「聖人君主は居らず」ではなく、「聖人君子ばかりではない」です。私もその通りだと思います。

インドネシアでは日本軍政下において、過酷な食糧供出やロウムシャ徴発における農業労働力不足によって、大規模な飢饉が発生したという話があります。後藤乾一早大教授、倉沢愛子慶応教授等が日本非難をしています。

日本はニューギニア戦線の兵站補給に大失敗し、多大の兵を失いましたが、その大半は餓死だと言われています。

従ってこの補給路の開削等に労務者の動員がなされた事は事実と思います。又それに加え、昭和18年は干魃・蝗害等により、大変な不作になりました。敗戦という事実からこれらの地域では、不幸なものになったであろう事は否定しがたいと思います。そしてそのとばっちりが捕虜の待遇に及んだと思います。

オランダ人は王侯貴族の生活をしていました。捕虜になった彼らの生活落差は大変だったと思います。彼らが復讐裁判に走ったことも理解できます。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■投稿(3)

記述を錯誤し申し訳ありません。聖人君主とは立派で高貴な志をもたれた人物という理解から、勝手に聖人君主は居らずとの表現になってしまいました。前回も述べましたように、どのような事件があったか事実は現段階で知るべくもありません。知人の著書にとのお話でありますが、著書がどのような方か存じ上げませんし、また一方で、東中野修道さんのように、お話や著書などにおいて日本軍人の略奪とされる事件を客観的に分析し、その疑惑や捏造の実態を明らかにされている方も居られます。

ただ私は、これまで貴会に意見欄やQ&Aへの掲載、機関紙歴史と教育への掲載をしていただく中、大局的な正しい歴史認識を共有しているとの見地から、少々寂しい思いがいたしましたのも事実です。

何れにいたしましても、私は伯父の命日である11月14日は毎年靖国に昇殿参拝し、東京へ出かけたときは可能な限り靖国を参拝させていただいておりますが、略奪や不法行為があったとの気持ちを携えては、清々しく崇敬の念を以って靖国に参拝できないのです。

この点をご理解いただければ光栄です。


7.警察は、「暴力をともなう刺客」にあまいのではないか?

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田中真紀子衆院議員の自宅に、脅迫電話が相次いであったことが分かり、警視庁大塚署が脅迫容疑で捜査しているとのことです.(産経新聞9月20日)

この報道では、被害届けとともに脅迫電話の声を録音したテープが提出され、声の分析など捜査が進められているそうです.このテープの提出に関しては、あきらかに警察側が報道に流した情報であると考えられます.これでは、犯人の側にテープによる捜査が進められていることを知らす結果となります.

加藤紘一議員宅の放火事件の際には、「右翼関係」との発表だけで、「右翼関係」をかばうかのような報道のされ方が印象的でした.

これでは、「警察は『暴力をともなう刺客』に、あまいのではないか?」という疑問が生じるのは自然なことです.ビラ配布など「言論・表現の自由」に関しては憲法を無視して取り締まる.言論封殺の暴力に対してはあまい.このようなやり方は、許されるでしょうか?

■回答

いやな事件ですね。昔新しい歴史教科書を作る会の事務所が放火されました。未遂に終わりましたが。 私も「植民地朝鮮の研究 謝罪するいわれは何もない」を執筆していた頃、多くの人から「そんな危ないことは止めなさい」と忠告を受けました。

右からであれ、左からであれ、言論封殺の暴力は徹底的に取り締まって欲しいと思います。 最近朝日新聞は右からの言論封殺の暴力の取り締まりを要求していますが、当時もっと左からの言論封殺の暴力の取り締まりを要求して欲しかったと思います。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


8.新自民総裁と日本国憲法

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新自民党総裁に選ばれた安倍晋三氏は、政権構想「美しい国、日本」で「新たな時代を切り開く日本にふさわしい憲法の制定」をかかげています。

日本がドイツ、イタリアと同盟しておこなった第2次世界大戦では、数千万人が犠牲となりました。日本は、この人類社会にあたえた犠牲に大きな責任があります。

ドイツは、政治・道徳・経済的に被害国民との清算を果たし、国際社会での理解と信頼を確立しています。ドイツはナチスの被害国・被害民族との和解を達成したからこそ、現在のEUでの立場があるのではないでしょうか。

“21世紀にふさわしい日本”を考える場合に、日独伊三国軍事同盟の相手、とくにドイツの戦後清算のあり方につていてあらためて検討する必要があるのではないでしょうか? 日本では、日本自体が望んだことでもあり、米国の占領政策上有利であるとの判断から天皇の戦争責任が問われず、これが日本の対米従属、後の継続的な憲法の軽視・無視、戦犯政治の混入などとして、日本の政治を特徴づけてきたとも言えます。

政府見解としては村山談話の「自国の戦争が侵略戦争であったことを認める“立場”」をとってはいるものの、指導者が正々堂々なりコッソリなりの「靖国参拝」でそれを否定するともとれる行動をとっています。あるいは、アジアに対する侵略戦争であったとする村山談話を、当時の歴史的な“立場“だとして、現在この立場をとることを拒否する動きもあります。

1945年、日本のポツダム宣言で太平洋戦争が終結しました。日本が受諾した宣言の条件には、「国民をだまして侵略戦争に引き込んだ勢力は、永久に除去する」(ポツダム宣言 6【軍国主義勢力の除去】)ということが含まれていました。
“戦争をしない”“戦力を持たない”条件も、日本が受け入れた宣言に含まれています。この条件は、憲法の前文と9条にも生かされています。

この経緯を見ると、憲法は日本の国際公約と希望にもとづいて作られたのであることがわかります。“憲法は押し付けられた”のではなく“歴史の中で作られた”と言うべきではないでしょうか。

第2次世界大戦の反省として“戦争のない世界”のために、国連憲章や日本国憲法がつくられました。“戦争のない世界”は、まだ実現されていません。しかし、国際社会には、それを目指す強い流れがおきています。日本国憲法9条は、その中でますます役割が強くなっているのです。
国連憲章と日本国憲法9条を守り“戦争のない世界”の実現をめざす。これ以外に人類社会と地球環境の将来はありません。

安倍氏は、21世紀にふさわしい憲法を制定するといっています。“21世紀にふさわしい日本のあり方”とは、米国の要求にもとづく“憲法の軽視・無視”と“対米従属”の継続ではなく、“戦争のない世界のために積極的に行動する日本”の立場であることを理解してほしいと思います。

■回答

大分事実誤認がありますね。

ドイツは東西に分裂していたため、殆どの國と講和条約を結ばないまま、国際復帰しました。それに対し、日本はすべての國と平和条約を締結しました。取り残されたのは北朝鮮だけですが、当時韓国は北朝鮮分も合わせて補償要求し、韓国では北朝鮮分も合わせて受け取ったことになっています。

数年前戦時中の捕虜等にたいし、ドイツは個人補償しましたが、日本はサンフランシスコ条約16条及びオランダとの個別条約で個人補償は終わっています。

ドイツはユダヤ人虐殺のようなひどい事をしましたので、国内的にもナチス弾劾法で、指導者を免責していませんが、日本はそのようなひどい事をしていないこと、民主国として指導者だけに責任を押しつけることは不合理であるとして、独立回復と共に全員国内的には戦争犯罪者はいないとして、恩給その他の受給資格を認めました。この蔭には4000万人を超える赦免要請署名、全会一致の国会決議がありました。

政府見解としては村山談話の「自国の戦争が侵略戦争であったことを認める“立場”」を採ったことが大間違いで、その後の外交をやり難いものにしています。日本の中国進出は侵略ではなく、テロとの戦いです。1926年末西安で蒋介石が張学良に逮捕監禁されました。毛沢東は蒋介石を死刑にしようとしましたが、スターリンは釈放するよう命じ、国共合作が実現しました。

盧溝橋事件に始まるシナ事変は、共産党ゲリラの策略によるものです。共産ゲリラが日本軍に発砲し、日本と蒋介石を戦争に引きずり込んだのです。毛沢東は三国志の世界と認識し、日本と蒋介石を戦わせ、その間に勢力を伸ばし、遂に中国の覇権を握ったのです。だから毛沢東は社会党の佐々木委員長に「日本は詫びる必要がない。日本のお陰で中国統一が出来た」とお礼を言われたのです。

アメリカは共産党についても日本についても全く無知でした。ルーズベルト周辺は共産主義のシンパに固められていました。だからあれだけの犠牲を払って中国から追い出されました。この原因追及がマッカーシー旋風であり、共産主義者の追放が始まりました。その時槍玉に上がった人を調べてご覧なさい。如何にアメリカ政府に上がってきた情報が偏向していたか分かります。

勝者の歴史ではなく、真実の歴史を学んで下さい。
“戦争をしない”“戦力を持たない”は理想ですが、隣に暴力団がいる限り、自衛の戦力は必要です。

自由史観研究会理事 杉本幹夫


9.朝鮮での美術品の略奪

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http://www.occidentalism.org/?p=366#comment-7959での論争のなかで、

Looting:
Japan is hardly unique in having made off with treasures from a former colony. The best European museums would be empty without looted art.

But the size of the haul is astounding. Eighty percent of all Korean Buddhist paintings are believed to be in Japan. And, says Seoul art historian Kwon Cheeyun, “35,000 Korean art objects and 30,000 rare books have been confirmed to be there, too.” That’s only the tip of the iceberg: much more is believed to be hidden away in private collections.

(訳  略奪:日本は欧米諸国同様、かっての植民地から財宝を持ち出しました。欧米の有名な博物館は略奪品無しでは殆ど空になるでしょう。 日本の略奪品はびっくりする程の量でした。朝鮮の仏教画の80%は日本に持ち去られたと思われます。又Kwon Cheeyun,からは35.000点の美術品と30.000点の貴重図書が日本に持ち去 られました。しかしそれは氷山の一角であり、個人の収集家によりもっともっと持ち去られたと信じられています。)

とあり、これは、http://msnbc.msn.com/id/6919593/site/newsweek/かららしいのですが、よく読めばすべて略奪したわけではないとありますが、日本にある朝鮮の絵画などの大半が略奪されたもののように書いてあります。

実際のところはどうなのでしょうか?

■回答 (1)

朝鮮からかなりの美術品や書籍が日本に持ち込まれたことは事実だと思います。

1965年まで続いた日韓交渉で、その返還要求が出ています。
それに対して日本は「それが不当・不正な手段で入手したものかどうかと言う点で、確実な証拠によるものだと認めるにはには難しいものがあった」 としています。

当時の朝鮮は貧乏で無知でしたから、不当に安い価格で買ってきたものもあったのではないでしょうか。しかし掘り出し物というのは安いと思ったものが、ただ同然という場合もあります。売った人は儲けたと思っていたこともあるでしょう。

初代朝鮮総督の寺内は美術品の保護に熱心で、美術館を作ったりして美術品の散逸を防ぎましたが、各地の発掘調査等で出土したものなどの一部が日本に持ち出されることを防ぐことは出来なかったと思います。
又貴重な書籍の一部が東大の要請により、東大に寄付されたものもあったとのことです。

柳宗悦や浅川兄弟が、朝鮮土着の民芸品の保護・発掘に大きく貢献したことも有名な話です。

日韓基本条約では「品目その他につき協議の上引き渡す」事になっています。その後40年もたっていますから、当時問題となったものはすべて解決されている筈だと思います。

韓国は戦勝国でもないのに、日本人は私財をすべて没収されたことも忘れてはならないと思います。

自由史観研究会理事 杉本幹夫

■投稿(2)

ありがとうございます。記事になったのは918-1392までの阿弥陀仏を日本からの略奪といって盗んだのにもかかわらず、植民地時代の略奪物の返還だといっているのですから、盗人猛々しいとはこのことです。

竹島問題と同じ構図かもしれまんせん。被害者意識を教育するのはむこうさんの勝手ですが、その被害者意識に基づいて犯罪まで正当化するというのはいかがなものか、と思います。

ご教示ありがとうございました。