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現在、慰安婦問題のレポートを書いています。ひとつ分からな
い(英語でうまく説明できない)点があります。
名乗り出てきた慰安婦や韓国系支援者の動機は、お金が第一、
反日が第2だと思います。
日本で慰安婦訴訟を起こした弁護士の動機は、お金と売名行為
。
ここまでは、アメリカ人が読んでも納得できると思います。
ところが、最初に慰安婦を探しに韓国に行った青柳さんの動機
、朝日新聞の動機、国連に行って訴えた戸塚さんの動機、いま
でも国会で騒いでいる慰安婦支持派の議員の動機、これは何だ
ったんでしょうか。
反日だけでしょうか?
日本や日本人が嫌いだから、旧軍の残酷行為を暴きたいからと
いう理由でこれだけの、エネルギをかける動機が、被害者側で
なく、加害者側であるはずの日本人から出てくることが説明で
きません。
これらのマゾイズム(自虐)の日本人のメンタリティーを、ア
メリカ人に理解させる説明が見つかりません。
日本人の多くが洗脳されて自虐的になり、これを訴えた人たち
がヒーロになった時代があるのだと書けばいいのでしょうか?
日本人の名誉を守るために文書を書いているのに、日本人は馬
鹿でしたと認める文書をいれるのは抵抗があります。
なにか、よい解決策や参考文献があれば教えてください。
■回答
慰安婦問題の発端について、西岡力「日韓誤解の深淵」亜紀書房1992年に書いてあることを要約します。
1.在日朝鮮人で大分県に住む宋斗会は在日朝鮮人が冷遇されているとして、日本国籍を求め、日本人と同等な補償・待遇を求める運動をしていた。更に彼は朝鮮半島に住んでいる朝鮮人についても、潜在的に日本国籍があり、日本国民として戦争に動員して、犠牲を強要した人たちに公式に謝罪をし、然るべき賠償をすべきだ」と主張していた。
2.下関でも同様の主張をする人が日本国籍確認裁判を起こし敗訴した。そこで宋氏はこの人と連絡を取り、「朝鮮と朝鮮人に公式陳謝を求める百人委員会」を組織し、1989年5月、朝日ジャーナルに意見広告を出した。
3.青柳氏は宋斗会に私淑しており、この事務局長的存在であった。
4.青柳氏はこの運動に韓国人も巻き込む為、韓国に渡り、あちこちにビラをまいて帰国した。
5.それに呼応したのが韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」であった。
6.1990年5月青柳氏は韓国に渡り、裁判費用400万円は日本で準備するとして、原告になってくれる人を募集した。この後日本大使館にデモをかけた。以来対日デモが頻発するようになった。
7.1990年10月22人の韓国人遺族が日本政府を相手に公式陳謝と賠償を求める裁判を起こした。
8.その直後から遺族会と青柳氏との関係がおかしくなり、遺族会はこの取材を続けていた臼杵敬子氏らが立ち上げた「日本の戦後責任をはっきりさせる会」と連繋するようになった。同時にサハリン残留韓国人問題に取り組んでいた高木健一弁護士が主任弁護士となり、第2次訴訟を行った。この原告に始めて元慰安婦が3人加わった。
9.この問題を精力的に取り上げた朝日新聞の植村記者は「太平洋戦争犠牲者遺族会」のリーダー的存在、梁順任常務理事の娘の夫、即ち義理の息子である。
以上が西岡氏の「日韓誤解の深淵」によるこの問題の原点です。
しかしこの問題の根本は在日韓国人に対する差別とそれに同情する日本人と言うことになるのでしょうか。
戦後マッカーサーは在日朝鮮人、台湾人を解放された民族として、警察権をあいまいにしたまま、監獄に入っていた共産主義者・民族主義者・犯罪者を釈放しました。
彼らは警察権が及ばないことに目を付け、暴れ放題に不正を行いました。彼らは日本人でもなく、連合国の人民でもないことから、第3国人と呼ばれました。彼らに対抗して日本人を守るために出来たのが、山口組や安藤組等の暴力団です。
この事実にGHQも気づき、46年11月にようやく彼らに対する警察権が日本政府にあるとし、警察による彼らの取り締まりを認めました。しかしこの間にすっかり韓国人は早く帰国して貰いたいというムードが出来ました。これが帰化の条件を厳しくしました。
敗戦直後は帰国ムードも強かったのですが、朝鮮の実情が分かると帰国ムードが衰え、一旦帰国した人も舞い戻ってくるようになりました。
次の転機は日韓基本条約の締結です。日本は戦死者、徴用工等に対する個人補償を提案しましたが、韓国政府は一括補償を主張し、一括補償としました。それと共に韓国人による一切の個人的な請求権を放棄しました。
ここで一番割を食ったのは在日朝鮮人でした。韓国在住の戦争による遺族には、朝鮮戦争による遺族と同額の一人30万ウォン支払われましたが、在日朝鮮人・韓国人には1円も支払われなかったのです。即ち彼らはどちらの国からも見捨てられた事になったのです。
その様なことが、青柳氏その他の同情を買ったと思います。
自由史観研究会理事 杉本幹夫
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