鎖国の授業
「ヨーロッパとどうつき合うか?」


齋藤武夫(自由主義史観研究会副代表・さいたま市立島小教諭)

江戸時代の鎖国は、これまで不合理な政策として教えられてきた。キリスト教の禁止とキリシタンへの弾圧も、幕府の非人間的な民衆支配という文脈で教えられてきた。これは、現在から過去を裁く歴史である。

私は子供たちを歴史人物の立場に立たせるようにする。諸々の史実も、当事者の立場から、その理路や筋道を理解させようとする。すると、鎖国は見事に合理的な政策であったことがわかるのである。二六〇年の平和と安定と豊かさを実現した統治を安直に批判できるなどと教えない方がいい。児童生徒には、先人の歩みに共感させ、敬意を払わせるべきなのである。

この授業で、子供たちは、鎖国とは国を閉ざすことだったのではなく、わが国の安全保障を守りながら西洋との交際を続けるための政策であったことを理解するのである。

まず一時間目には、豊臣秀吉が衝突したキリスト教問題の意味を学ぶ。ポイントは、秀吉の幻に終わった第一次案である。それは次のような信仰の自由令であった。
・キリスト教の信仰は各々の自由である。 
・キリシタン大名が領民に信仰を強制してはならない。

まことにリベラルな政策だが、子供たちは、古代の仏教伝来とその解決策を思い出した。「両方ありにするのが日本だよね」と。両方とは、外国の神と日本の神仏のことである。

しかしこの自由令は実現しなかった。高山右近や宣教師コエリョが、秀吉の諮問に対して断固たる拒絶の意志を示したからである。「良き神は一つであり、神道も仏教も邪教である。邪教は滅ぼされなければならない」と、一神教の立場で主張したのである。だからこそ、領民に信仰を強制し神社仏閣を破壊することは唯一神の正義を実現することなのだと。

この衝突によって、秀吉はキリスト教の異質性を理解した。聖徳太子の学習以来、わが国の「外来文化と伝統文化の統合」という文化戦略に共感している子供たちもまた、秀吉になったかのように危機感を抱いた。「このままでは、(日本の)神さまと仏さまがやられてしまう」と。 子供たちの多くは、秀吉のバテレン追放令を支持したのである。こうして、キリスト教問題が、世界征服をめざすスペイン王フェリペ二世との対決でもあるということが次第に明らかになってくるのである。


二時間目は、秀吉の政治課題を引き継いだ江戸幕府が、真の平和秩序を創造するにはどうすべきかを考える。「ヨーロッパとつきあうためのルール」を、貿易とキリスト教の二点から考えるのである。

オランダの登場、南蛮貿易で利益を得る大名たちの危険性、そして島原の乱。この三つの情報を参照して考え、子供たちが主張した新政策をまとめると、次のようになった。

1.キリスト教は日本の伝統には合わないので禁止する。
2.西洋の技術や情報は日本にとって必要だから貿易は続ける。
  貿易相手国はキリスト教の布教をしないオランダにする。
3.反乱を防ぎ平和を守るために、貿易は幕府だけが行う。

これはまさに徳川幕府の鎖国政策にほかならない。

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