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全国社会科教育学会実践報告
日本人拉致問題とは?

熊谷正秀(自由主義史観研究会理事・兵庫県立高等学校教諭)
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はじめに
最近の高校生が興味・関心を持つ外国といえば、必ず北朝鮮が上位にあげられる。つい数年前までは、韓国と北朝鮮の区別さえつかなかった生徒が多かったことを思えば、これは極めて大きな変化である。その原因は、何といっても平成14年9月の小泉総理の訪朝によるインパクト、すなわち、北朝鮮による日本人拉致が事実であったことが明白になり、その後北朝鮮の実態について日本のマス・メディアが大々的に報道したためである。
北朝鮮による日本人拉致事件は、人間の尊厳及び基本的自由を奪う重大な人権侵害であり、また、日本国の主権を侵害した明白な国家的犯罪である。しかしながら、教育現場では拉致問題を人権教育などのテーマとして取り上げることに極めて消極的である。その主な理由は、北朝鮮に対する配慮が存在することである。つまり、「この問題をとりあげること自体が、北朝鮮を敵視することにつながる」という意見である。また、「この問題をいかに教えるか」という点が不明瞭であることも、その原因の一つであろう。「解決策がわからない時点では教えられない」という意見である。
しかし、的確な教育内容を構成するならば、決して北朝鮮を敵視する教育にはならないし、そもそも、拉致事件について、これだけマス・メディアで報じられたのであるから、これを生徒に誤解させないためにも、正確な事実を教えることは教師としての義務であると考える。また、この問題をとりあげるのは、その解決策を考えさせるものではない。つまり、この問題を単に現代社会の問題としてとらえるのではなく、人としての生き方、家族のあり方、国民と国家との関係を考える一つの教材とするのである。
したがって、まず、日本人拉致問題とは何なのか、つまり、拉致はなぜ起きたのか、なぜ長い間公にならなかったのか、なぜ現在も解決しないのか、という点をできるだけ客観的に理解するための教育内容(教師用の解説書とでもいうべきもの)を構成してみた。そして、これを利用して、今回、地理の授業で同問題を生徒に解説し、世の中には如何ともしがたい国際政治の厳しさが厳然と存在することを理解させたうえで、アンケートを書かせた。以下は、その実践報告である。
T. 朝鮮の歴史
朝鮮・中国・日本の国名の概略対応。年次は朝鮮に対応。
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〜7C
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〜10C
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〜14C
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〜1910
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〜1945
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〜1948
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〜現在
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朝鮮
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三韓時代
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統一
新羅
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高麗
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李氏
朝鮮
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日本
時代
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米ソ占領時代
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韓国・北朝鮮
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中国
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漢・
三国時代・隋
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唐
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宋・元
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明・清
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中華民国
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中華人民
共和国
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日本
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倭
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日本
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1945年8月 日本の降伏により、朝鮮は北緯38度線以北をソ連、
以南を米国が軍事占領。
1948年8月 大韓民国(韓国)成立。
1948年9月 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)成立。
1950年6月 朝鮮戦争勃発
1953年7月 朝鮮戦争休戦
1965年6月 日韓国交正常化
1974年8月 文世光事件
1983年11月 ラングーン事件
1987年10月 大韓航空機爆破事件
2000年6月 南北首脳会談
2002年9月 日朝首脳会談
2004年5月 日朝首脳会談
U.日本人拉致問題とは何か
(1)日本人拉致の目的
2002年9月17日、史上初めての日朝首脳会談において、北朝鮮の金正日総書記が小泉純一郎総理に対し、特殊機関で日本語の学習ができるようにするため、また日本人の身分を利用して韓国に入るため、特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走って日本人を拉致したことを認め、自分の知るかぎり、これらの事件に関係した責任ある人々は処罰されたとして、これを謝罪した。これまで、「日本人拉致はでっち上げ」といい張っていた北朝鮮が、初めて自らの犯行を認めたのである。
金正日総書記が明らかにしたとおり、日本人拉致の目的は、特殊機関で日本人に成りすます人間を養成するために、日本語や日本の風習を教育する日本人が必要であったことと、日本人の旅券が必要であったことなのである。そして、このような目的のための工作活動を目撃されたために、活動の実態が発覚するのを恐れて目撃者を拉致したケースもある。[1] 特殊機関とは、対南(韓国)工作機関のことで、朝鮮半島の赤化統一を目標とする工作機関である。北朝鮮の半島赤化統一路線は、朝鮮戦争休戦以来一貫している。1968年には北朝鮮の武装工作員が韓国大統領官邸を襲撃(青瓦台襲撃事件)し[2]、1974年には、北朝鮮の工作員が在日韓国人の文世光という男を洗脳し、偽造した日本人旅券を持たせて韓国に送り、朴正煕大統領を狙撃させた。弾丸は朴大統領をそれて隣の大統領夫人に命中し、夫人は死亡した。(文世光事件)
この文世光事件が思わぬ展開をもたらす。実は、同事件によって韓国における反日デモが沸騰したのである。狙撃犯が日本人の旅券を所持し、使用したピストルが大阪府警南署管轄の派出所から盗まれたものであることが判明したからである。デモ隊の一部は、ソウルの日本大使館の中に侵入してガラスを割り、日章旗を引き摺り下ろし、日本人外交官を殴るまでに至った。捕まった文世光が北朝鮮の工作員の指示を受けたと自白して事の真相が判明したが、当時の日本では、多くのマス・メディアが「韓国は独裁国家」という報道を行っていたため、同事件を韓国の自作自演ではないのかと疑問視する声も多く、また、当時の木村俊夫外務大臣が「韓国には北朝鮮の軍事的脅威はない。」と発言したことから、朴正煕大統領は日本との断交も検討した。
しかし、日韓両政府は、結局1975年、同事件と1973年に発生した金大中事件(韓国中央情報部による日本の主権侵害)を抱き合わせる形で政治決着を試みたが、両国民の相互不信は高まった。これに目をつけたのが、1973年に金日成主席の事実上の後継者としての地位を確立した金正日書記である。つまり、日本人化した工作員が韓国に対してテロを行えば、日韓関係に決定的な楔を打ち込むことになると考えたのである。さらに、工作員が捕まりそうになった時に自殺させれば、北朝鮮の影響はまったく見えず、より効果的に工作を遂行することができると考えた。[3]
横田めぐみさんや田口八重子さんらが拉致されたのは、1977年から1978年にかけて集中している。おそらくこの時期に金正日書記からの日本人拉致指令が出たと見るべきだろう。 北朝鮮で日本人化教育を担当するためには、それなりの日本文化を身につけた人でなくてはならないので幼い子だと意味はないし、かといって年を取りすぎていると朝鮮語のマスターなど、北朝鮮での生活に適応できないので困難である。したがって、日本人化教育係としては大学生・高校生あたりが狙われた。また、蓮池さんと奥土さん、地村さんと浜本さん、市川さんと増元さん、などのアベックが狙われたのは、北朝鮮に拉致してから配偶者を与える手間が省けるからである。アベックの男女は一年以上隔離し、絶望と洗脳の過程を経てのち引き合わせて結婚させれば、心理的に安定した状態で日本人化教育をやらせることができる。これは、「よど号」グループの扱いから学んだ教訓だという。[4]
また、日本人のパスポートを作成するために、原敕晁さん(1980年宮崎で拉致される)など身寄りのない独身者を拉致したのである。原敕晁さんを北朝鮮に送った工作員(辛光洙)は、その後原さんに成りすまし、健康保険証・免許・パスポートを取得しているのである。この他、北朝鮮にシンパシーを感じる人々が、北朝鮮の指示で日本人を騙して北朝鮮に連れて行くケースもあった。「よど号」グループは、1979年からヨーロッパで本格的な活動を始めている。同年、松木薫さん、石岡亨さんがスペインで拉致されている。また、日本の「チュチェ思想研究会」に所属し、北朝鮮に渡った際に「よど号」グループの柴田泰弘と結婚した八尾恵は、1983年、ロンドンに留学していた有本恵子さんを騙して北朝鮮に連れて行っている。[5]
さて、李恩恵と呼ばれた田口八重子さんが、大韓航空機爆破事件の犯人・金賢姫の日本人化教育の教官であったことは、後に金賢姫や韓国に亡命した元工作員の証言から明らかになっている。二人は、1981年から一年八ヶ月にわたって寝食をともにしたという。ソウルオリンピックを翌年に控えた1987年11月29日、バクダッド発ソウル行きの大韓航空機がインドからマレーシアに至るアンダマン海峡上空で爆破された。直ちに、経由地のバーレーン空港でこの飛行機から降りた日本人二人が拘束された。日本の旅券を所持する「蜂谷真一」と「蜂谷真由美」と名乗る親子である。男はまもなく服毒自殺を遂げたが女は自殺に失敗し、韓国に移送された。[6]
やがてその女性は、北朝鮮の工作員・金賢姫であることを認めるのである。もし、金賢姫も自殺に成功していれば、果たしてこの事件はどうなったであろうか。日本人の旅券を所持した男女の遺体だけが残ることとなり、当然韓国の反日感情はとてつもなく盛り上がり、日韓関係は極めて困難な状態に陥っていただろう。ソウルオリンピックも失敗に終わった可能性が高い。当時、北朝鮮はこの事件を韓国のでっち上げと批判した。日本国内でも、社会党を始めとする進歩派は北朝鮮の主張に同調し、北朝鮮の対南工作の実態が国民に明確な形で認識されるには至らなかった。当然、日本人拉致という認識にはまったく及ばない状況であった。
ところで、韓国当局が金賢姫の洗脳を解く上でもっとも効果があったのが、ソウルの街中を連れて歩くことだったという。北朝鮮の工作員教育では、南朝鮮(韓国)はアメリカの植民地で、人民は飢えに苦しみ悲惨な生活をしていると教え込まれているため、実際のソウルの街を体験すると北朝鮮での教育がまったくのでたらめであったことが分かってしまうからである。[7]
結局、大韓航空機爆破事件は、北朝鮮の仕業であることが明白になったのである。このため、北朝鮮は、工作員教育の方針を転換した。ソウルと同じ街並みの地下都市を建設し、そこで工作員を生活させる、つまり実際の韓国を知らしめたうえで工作活動を教育するようになったのである。[8] しかし、韓国の自由を知った工作員の中には、矛盾を感じて韓国に亡命する者も出てくる。その一人が安明進元工作員である。
安明進元工作員は、1987年から六年間工作員としての訓練を受けた後、1993年に任務として韓国に侵入した際に亡命した。そして1997年、1987年の朝鮮労働党創立記念日に金日成政治軍事大学において、横田めぐみさんを目撃し、その後も1991年まで数回目撃したことを証言した。[9]
「亡命者の証言は割り引いて受け取らないといけない」とよくいわれる。実際、安明進元工作員の証言後、この内容を疑問視する声が出た。たとえば、吉田康彦大阪経済法科大学教授は、1997年5月27日の国際紛争予防研究機関の学習会で、「正体不明の工作員の証言なども信憑性に乏しくいい加減だ。極めて政治的な色合いの濃い仕掛け爆弾、政治工作だろうと考えられている。」[10]と発言しているし、和田春樹東京大学名誉教授も、「日本人拉致疑惑を検証する」という論文で、安明進元工作員の証言には一貫性がないと指摘し、《横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである。そういう情報が韓国情報機関から流されているという疑惑が生じうるという以上の主張は導き出せないと思われる。》[11] と述べている。
しかし、北朝鮮に住む肉親と自分の身の安全のために、拉致に関することを公の場で具体的に話すことを拒否していた安明進元工作員が、1998年に実名を出して『北朝鮮拉致工作員』を出版した理由は、ソウルに来た横田めぐみさんの両親と会い、良心が回復したこともあるが、何よりも当時の日本の外務省アジア局長が「亡命者は何をいうかわからない」と発言し、日本政府が自分の証言を否定して北朝鮮に大規模な援助を実施しようとしていることに衝撃を受け、国際世論の力で北朝鮮に圧力をかけるほかなく、そのためには自分が知っていることをすべて公開しなければならないと決意したからだという。[12]
1998年、出版社の招きで来日した安明進元工作員は、西岡力氏との会談で、「私は殺されるかもしれない。そこまで覚悟して証言をしているのです。」と述べたという。[13] 金正日総書記の私生活を本にした北朝鮮からの亡命者が、韓国内で北朝鮮の工作員によって射殺された例もある。亡命したとはいえ、彼は何をいっても安全な生活を保障されているわけではない。まさに、彼にとっては命を懸けての証言であったのである。西岡力氏は、《当時(1997年)、一定のリスクを覚悟して実名を公表して世論に積極的に訴えていくことを決心した横田めぐみさんの両親の訴えが、安明進氏の良心に響いたのだ。
―中略― 人権や主権は、ただ座っているだけでは守れない。それぞれがリスクを背負って戦うことによってしか守れないのだということを、めぐみさん拉致が明らかにされた以上のようなプロセスを感じながら強く感じる。》と述べている。[14]
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[1] 1963年、石川県沖で漁を行っている途中で北朝鮮に連れて行かれた寺越武志さんのケースがこれに当たると思われる。横田めぐみさんのケースもこれに当たるという見方がある。
[2] この事件に関し、1972年に北朝鮮を非公式訪問した韓国の李厚洛中央情報部長に対し、金日成主席は、「朴大統領には大変申し訳ない。あれはすべてわが内部の左傾盲動分子が行ったことで、けっして私や党の意志ではない。」と謝罪したという。
(金学俊『北朝鮮五十年史「金日成王朝」の夢と現実』朝日新聞社、1997年、299頁より) 今回の金正日総書記による日本人拉致事件に対する弁明とまったく同じである。
[3] 西岡力『闇に挑む』徳間文庫、1998年、35頁。
[4] 藤岡信勝「北朝鮮と拉致問題の基礎知識」自由主義研究会編『歴史と教育』第68 号、2002年、4頁。
[5] 八尾恵『謝罪します』文芸春秋、2002年、に詳しい。八尾恵は、1988年、日本で活動中に逮捕され、2002年には有本恵子さんの両親に直接謝罪している。状況は異なるが、実は私自身も、中国吉林省に留学中の1989年、親しくなった北朝鮮からの留学生の勧めで平壌を訪問する段取りになった。しかし、そのことを知ったある中国人大学院生(共産党員で大学のリーダー的存在であった)から忠告を受け、訪朝を取りやめた。「彼らにはまったく悪気はないけれども、彼らの行動はすべて北朝鮮労働党のためのもので、それは決して熊谷さんにとって好ましい結果になりえない。」との忠告は、大学は純粋に学問をする場だと信じていた当時の私にとっては大きな衝撃だった。
[6] 自殺に失敗した女が所持していた旅券には男の番号が記載されていたため、すぐに偽造旅券であることが判明した。服毒自殺を遂げた男は、実在の蜂谷真一さんの偽造旅券を所持していた。
[7] 金賢姫『いま、女としてー金賢姫全告白(上・下)』文春文庫、1994年、に詳しい。
[8] 前掲「北朝鮮と拉致問題の基礎知識」5頁。
[9] 安明進元工作員は、1994年に韓国の月刊誌『月刊朝鮮』のインタビューで、北朝鮮の実態を暴露しているが、日本人拉致者についての具体的な話は行っていなかった。
[10] 佐藤克己『拉致家族「金正日との戦い」全軌跡』小学館文庫、2002年、176頁。吉田氏は、2002年9月17日以降、自らのホームページで「自分は北朝鮮当局や朝鮮総連のように、拉致はありえないとかでっち上げとかいって、全面否定したことはない。」と弁明している。
[11] 和田春樹「日本人拉致疑惑を検証する」『世界』2月号、岩波書店、2001年、 158頁。
[12] 前掲『闇に挑む』21,22頁。
[13] 同前11頁。
[14] 同前、22,24頁。
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