授業報告
かな発達の意義


文字を工夫する日本人

飯島利一(國學院高等学校教諭)

[授業のねらい]

日本が漢字を輸入してから、かなを発達させるまでの過程を具体的に見ることで、古代の日本人がいかに文字を工夫してきたかを学び、外来文化に対する日本人の意識を探ること。


[授業の展開]

1.日本の文字について考えてみよう

●雑誌をひらくと、あらためていろんなタイプの文字が使われていることに気づきませんか。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットもあれば、アラビア文字(数字)さらにフリガナの小さい文字。実に、にぎやかな文章であふれています。普段ほとんど意識することはないが、わたしたちは一つの文章の中でさまざまな種類の文字を使っている。そのため日本人の文字はとても複雑だと言われているのです。

問1 「せんこう」という漢字を書いてください。いくつ書けるでしょう。

●何個ぐらいかけたでしょうか。三つ以上書けた人は黒板に書いてもらいましょう。

○「線香・先攻・戦功」など

●そうですね。ほかにもいろいろある。専攻・選考・先行・閃光・潜行・先公(笑)。アクセントの違いはあるけれど、同じ発音の言葉に、文字は何種類もあります。私たちは自然に、文脈や会話の中からその漢字を当てはめて理解しているのです。

問2 「十一月三日はちょうど祝日で日曜日です」日の字を、それぞれどう読みますか。

○みっ「か」、しゅく「じつ」、「に」ちよう「び」。

●その通り。自然に読めますね。短い一文の中に4回も同じ文字が出てきて、すべて読み方が違う。あらためて考えてみると、私たちは、ほとんど一瞬に判断して読み分けている。かなりすごいことだと思いませんか。

【板書】 日本人の文字=言語←→文字
            
…複雑な関係  

このような言語と文字の例は、世界でもきわめて珍しい。そのため、日本の文字は風変わりで複雑なものと言われています。どうしてこのように複雑になったのでしょう。日本人は、文字とどう向き合い、どのようにつきあってきたのか。具体的に探ってみましょう。

2.漢字が入ってきた   

まず、日本人が最初に出会った文字は漢字でした。我々の先人が漢字を文字として使用するのは、諸説あるが、遅くとも4?5世紀、古墳時代にはみとめられます。

問3 漢字には、法律・宗教をはじめ中国文明の学ぶべき情報がたくさん詰まっていた。漢字を学んだ日本人は、しだいにその文字を自分たちの社会に役立てようと考えるようになった。そこで、当時の日本人はどうしたでしょう。  

1.漢字を正しく使いこなすために、当時の日本語(やまと言葉)をやめて、漢語(中国の言葉)を読み書き話す術を身につけようと努めた。

2.自分たちの言葉(やまと言葉)を文字で表そうと、漢字の音(発音)を利用して当時の日本語(やまと言葉)を書き表した。  

3.漢語(中国の言葉)を話すことはできなくても、文字の意味がわかれば文化は吸収できるので、漢字を強引に日本語で読んだ。

●簡単に言うと、Aは自分たちのしゃべっていた言葉を捨てて中国語を話すようにしたということ。Bは厳密言うと違うのだけど、よく暴走族がやる落書きで「ヨロシク」を「夜露四苦」みたいに書いた。Cは現代の私たちのイメージに近づけるために英語に置きかえて言うと、たとえば「DOG」という文字を強引に「いぬ」と読ませたということ。それでは、これかなと思ったものに手を挙げてください。

◎Aが1人。Bが24人。Cが12人。

●やはりみんな日本人ですね。当たっている。正解はBC、2つあったのです。まず?の場合から見ていきましょう。

【資料1】  

@獲加多支鹵大王
A巷宜有明子
B有麻移刀等已刀弥弥乃弥己等   

いずれも人名です。@は倭の五王のところで稲荷山古墳出土の鉄剣が出てきた。憶えていますか。

○ワカタケル。

●そう雄略天皇のことでしたよね。それではABは誰でしょう。

○よみづらい。…

●ヒントを言いましょう。7世紀はじめ、推古天皇のころの超有名人です。

○聖徳太子じゃん。

●聖徳太子って当時は何と呼ばれていたのだっけ。

○あっ、わかった。Bは「うまやどのみこ」じゃない?

●そう、正解。しっかり読むと「うまやととよとみみのみこと」となる。ちなみにAは「そがのうまこ」です。

○へえ、ちょっとわからない。

●それでは次に?の例をみていきましょう。

【資料2】

「十七条憲法」 『日本書紀』  

以和為貴、無忤為宗。

(やわらかなるをもって、とうとしとなし、 さかうることなきをむねとせよ。)  

これも復習。聖徳太子の憲法十七条の第一条でしたね。この文章は、漢字ばかりで一見漢文風だけど、実はやまと言葉でないと読めない文章。漢字を強引に日本語で読んだ例です。たとえば「和」という字は本来「わ」としか読みようがないのに、「やわらか」という日本語の訳で読ませることにしたということです。

●それではまとめましょう。Bの表記を音仮名、 Cは訓書きと言います。ここまでいえば、漢字には音読み・訓読みがあることに思い当たるでしょう。音読みは中国語的な発音の読みで、訓読みは日本語で訳した読み方なのです。

【板書】 漢字による日本語の表記
    B=音仮名(中国文字の音)
    C=訓書き(日本語の訓訳)
※画期的=中国文字を学んでも日本の言葉を捨てず

●とりわけ、ここで強調したいのは、訓読み・訓書き方式の発明は、画期的だったということ。と言っても、みんなは小学生の時から訓読み・音読みを体得させられているから、驚くに値しないかもしれない。「山」を「やま」とよむのは当たり前と思うでしょう。
しかし、これは相当奇抜な発想だと思いませんか。例えばmountainという英語があります。これはマウンテンとよんで「山」のことだと習いますが、英語のmountainを直接「やま」とよむのだ、dogを「いぬ」、catを「ねこ」と読むのだと言われたら、相当戸惑うでしょう。私たちの先人たちは、見ようによってはかなり大胆なことをやってのけた。すなわち訓読み・訓書きは、漢語(中国語)としてよむ以外にないものを、自分たちの言葉でよむことに成功し、内容豊かな古代中国の古典の学習を可能にした画期的な発明だったのです。

●ちなみに?の場合。たしかに当時の日本人は漢語をかなり懸命に勉強したでしょうが、決してやまと言葉(日本語)を捨てようとはしなかった。もし自分たちの言葉を捨てていたなら、中国文明の影響によって、日本独自の文化形成は阻まれていたかもしれません。

3.万葉仮名という方法

●漢字を学んだ日本人は、次第に自分たちの言葉に近づけて文字を表そうと模索します。そもそも中国語には助詞がなく活用もない。さらに語順も違うのです。純粋な日本語を写そうとすれば、漢字の表記をそれにあった方向にもっていかざるをえません。そこで、当時よく使われていたのが万葉仮名。漢字仮名交じり文ともいい、万葉集で使われていた日本語の表記方法なのです。

【板書】万葉仮名
 中国語に助詞なし・活用なし・語順が違う=日本語独自の表現ができない
 →漢字仮名交じり文(万葉仮名)の発達 

問5 次の文字は暗号のようにみえるが、実は『万葉集』巻第三・318 山部赤人の和歌(日本古典文学大系『萬葉集一』)。訓として読む漢字(訓書き)と音として読む漢字(音仮名)とを区別して解読してみよう。

  田児之浦従 打出而見者 眞白衣
  不盡能高嶺尓  雪波零家留

●読めますか。傍線部を助詞・活用語尾と判断すると分かりやすいと思います。できた人に読んでもらいましょう。

○田児の浦? 打出で見れば しろたえ(白衣)の 富士の高嶺に 雪は降りける

●惜しい。いいところまでいきました。と同時にいいところを間違えてくれました。正解は「田児の浦 打出で(て)見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」となります。
意味は、「田子の浦(現在は静岡県富士郡)を通って(眺望のよいところに)でてみると、真っ白に富士山の高嶺に雪が積もっていることだ。」雪化粧をした富士山とは、実に日本的な風景ですね。  
いいところで間違えたとは、「白衣」を「しろたえ」とよんだところ、やはり「しろいころも」と思ってしまいますよね。でも答えは「真白に」。「衣」の字を助詞として音仮名で読んでいいのか、「ころも」と訓で読んでいいのか、わかりづらいということです。  当時の日本人にとっても、全部漢字で書かれているので、その区別が難しかった。和歌のように五七五七七と定められていればそれに合わせて読めばよいが、散文では訓としての漢字と、音として読む漢字としての漢字の区別がよけいに困難になるということです。そこで、ひらがな・カタカナが登場してくることになります。

4.ひらがな・カタカナの発明

日本の文字は、平安時代中期、いわゆる摂関政治の時代に大きな転換期を迎えることになります。すでに9世紀ころから唐の衰退により遣唐使の廃止が建議されたのが八九四年でしたよね。唐文化の影響力は低下していて、漢字をもとに略したり、部首をとってみたり、独自の「かな」が用いられるようになります。

【板書】  ひらがな…安=あ 以=い
      カタカナ…阿=ア 伊=イ

問6 当時の日本人が発明したひらかな・カタカナをどのように生み出されたのでしょうか。

@唐に対抗して、日本独自の文化をつくろうという国風文化の風潮のなかで、天皇や摂関家など貴族が中心となって、かなを制定し国を挙げて日本の文字として推奨した。

A貴族社会のなかで、日常の細々とした記録や消息、本の書きこみなどから字形の簡略化がすすみ、自然発生的にかなは生まれてしだいに普及していった。

●平安貴族がかなを制定したのか、それとも自然発生的にうまれたものなのか。これというものに挙手してください。

◎@と思う人(2人)、Aと思う人(37人)

●正解は?。わかりやすかったですか。中国の文明の象徴である漢字の威厳にとらわれず、日本では実用性から労力経済が働き、しだいに文字を簡略化する方向にいったと考えられます。

【板書】 情報伝達の手段など実用性
       →やがて庶民に普及

●日本の「かな」は実用性から出発したために、しだいに庶民にも広まります。ところが中国では、文字は支配階級(士大夫)の特権だったらしい。文字は生活に余裕のある者だけが学べるものであり、一般大衆を寄せつけなかった。だから漢字には威厳があり、そのためには必要以上に難しくないといけないという風潮があったようです。その点、実用性からうまれ、やがて広く庶民にも普及した、日本人の文字とは対照的ですね。

6.まとめ 日本人の文字

@かなの発明が日本にもたらしたもの

●日本人にとって、かなが生まれたことはどのような意味があったのでしょう。

【資料3】
紀貫之「ひらがなの序文」

「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。よのなかにある人ことわざしげきものなれば、心におもふを見るものきくものにつけていひいだせるなり」

(意訳)「和歌というものは、人の心の中にある感情を核として生まれた言葉によってできている。世の中に生きている人間にはいろんな事が起きて忙しいけれども、その忙しさが人間に働きかけて、いろんな感情を生む。その感情があるからこそ、人間は何かを見たり聞いたりするにつけて、自分の感情を形にした歌を詠むのである。」

●これは和歌について語る文章ですが、人間の感情の発生を語る文章でもあります。そして日本人にとってその心を最もよく表現する道具は、外国語である漢字や漢詩ではなくて、日本製のひらがなであったことを示すものです。

【板書】
かな発明の意義=日本人的な感情・思考を日本の言葉と文字で自由に表現
→国文学の成立

●自分たちの考えを自分たちの言葉と自分たちの文字で、何の束縛もなく自由自在に記しうること、そして、日本的な感性を育んだこと、この重要性はいくら強調してもしすぎるということはないでしょう。

●さらに言えば、『古事記』『万葉集』から『竹取物語』や『源氏物語』『伊勢物語』『平家物語』、さらに歌集・日記類から随筆『徒然草』に至る膨大な「かな古典文学」ともいえるものが創造されなかったら、現代の日本文化はなかったと言えるでしょう。日本人は「かな」をつくり、「かな」が日本の文化をつくったということです。

A漢字を捨てなかった日本人、その理由

かなができたからと言って日本人は漢字を捨てたわけではありません。むしろ積極的に漢字の良さを自分たちの文化のなかに取り入れようとしています。

【資料5】

@鰯・鰹などさかなへんの漢字

A政界・政局・政断など「政」に関わる語句

B「はかる」という日本語 =「計・図・測・謀・量」の使い分け

C谷川俊太郎
  「このこのこのこ どこのここのこ
   このこのこののこたけのこきれぬ」

●@は日本人が元来の漢字にはない日本製漢字を生み出した例。Aは漢字を組み合わせて、日本人はあらたな造語をつくった例。Bは漢字を使い分けることによって、一つの意味であった和語(日本語)が精密化された例。D漢字によって文字列が読みやすく、かなだけでは理解しづらい例。

【資料6】中国の外来語辞典に載る和製漢語
 背景 理想 版画 不動産 領土 理性

●これらの語句は、中国の外来語辞典に日本の語として掲載されたものです。驚いたことに、日本人がつくった語句を、現在、中国人たちが使用している例なのです。中国では、ちょうど漢字の「逆輸入」ともいうべき現象がおこっている。それだけ日本人は漢字を自分たちのものに消化したことを示しているのではないでしょうか。 B日本人の外来文化に対する意識

●最後に、山本七平氏の一文を読んで終わりたいと思います。

【資料7】山本七平「日本人とは何か。」
「日本人は、かなによる自国の世界を生きつつ、同時に漢字という当時の東アジアの「世界文字」につながって生きていたということ。すなわち日本の独自性と世界の普遍性を併せもつことで日本の文化が形成された。その姿勢は多様性を認めるということ。漢字を捨てず平仮名・片仮名など文字や文章に統制を加えず、自然のままにしておく。日本人は、文字をはじめ文化に対して多様性を尊重する民族と言えよう。今日私たちの周りにある衣食住をみても思い当たる節があろう。」

★生徒のおもな感想

○いままで「日本は中国の文化を取り入れてばかりで、自国の文化を守っていたのか」と少し疑問に思っていました。でも、今日の授業でかな文字の成立までの流れをしっかり見つめ、日本人は同時の文化を守りつつ中国から取り入れていたことを活用していたのだと分かりました。

○国風文化は好きなところなので、今日みたいな授業は面白かったです。中国の文字を学ぶだけで泣くそれを自分たちの言葉に組み込んで新しい文字まで作ったりして昔の人は頭がいいなと思いました。ひらがなを作ってくれて本当によかったです。私は漢字が苦手なので、ひらがなを使ってすべてのことがあらわせるのはとてもありがたいです。こんな面白い日本に生まれてよかったです。

○ふだん何気なく「日本人の文字」を使っていたが、奥が深いのだなあと思ったら、今現在自分たちが使っていることにすごさを感じた。日本人は「日本語の誇り」を感じていたから、_捨てなかったのかなあと思った。文字に対する昔の人の考えが今私たちが使っている日本語に詰まっていると思った。

○毎日何気なく使っている文字にはとても深い歴史があるということを今回の授業で学んで日本特有の文字がもっと好きになったし、千年も前にその文字を着く他人たちの思いを受け継ぐためにも、もっと文字に触れる機会を作らなければいけないと思った。

○昔の人に感謝。中国文字を学んでも日本語を捨てなかった日本人はえらいと思う。漢字だけでは表せない感情を「ひらがな」という文字で表しているので、今日の私たちがこうやって文章を書いているのかと思った。


[参考文献]

@山本七平「文字の創造」『日本人とは何か。』PHP文庫 一九八九
A樺島忠夫「漢字からローマ字まで」『日本語の歴史』大修館書店 一九七七
B樺島忠夫『日本の文字』岩波新書 一九七九
C小松茂美『かな その成立と変遷』岩波新書 一九六八
D西尾幹二「日本語確立への苦闘」『国民の歴史』  一八九九
E高島俊男『漢字と日本人』文春新書 二〇〇一
F大野晋『日本語はいかにして成立したか』中公文庫 二〇〇二

授業づくり最前線の目次へ