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第18回自由主義史観研究会全国大会・模擬授業報告
祝祭日を忘れた日本人

飯島利一(國學院高等学校教諭)
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《はじめに》
戦後の日本は、祝祭日が単なる休日化・世俗化している現状にあり、その由来・意味が忘れ去られているのではないか。そこで今回の授業では、まず祝祭日の本来の意味を考え、つぎに占領期の祝日法の制定をとりあげて、GHQの占領には日本の伝統・歴史・文化の断絶が意図されていたことを確認する。祝祭日の大切さを見直すことで、国民意識の形成につなげたい。
《授業展開》
1.祝日と祭日はどう違う?
@ふだん私たちが意識しないところに、意外な歴史が隠れていることがあります。今日は、「祝祭日を忘れてしまった戦後の日本人」をテーマに考えていきましょう。
まず、皆さんは祝日をどんな風に過ごしていますか。およそ、その日が何の日かほとんど意識せず、単なる休日と思っていませんか。また、祝日は現在15日間ありますが、全部あげることができますか。2月11日は何の日でしょう?あるいは文化の日は何月何日でしょうか?
《資料1
日本の祝日》を見てください。2月11日は建国記念日。文化の日は11月3日でした。こうしてまとめてみると、意外と憶えているようで月日が曖昧であったり、すっかり忘れてしまっている日もあるのではないでしょうか。
A祝祭日について、基本的なことから確認しましょう。
〈問題1〉祝日と祭日の違いは何でしょうか。説明してください。
いざ説明しようとしても、なかなか難しいように感じます。そこで、考える手がかりとして諸外国の例として《資料 2おもな世界の祝祭日》を見てみましょう。
国によって祝祭日はさまざまであることがわかります。★印のついているものが国家的な記念日にあたるもの。その一方で、国によってキリスト教だったり、仏教だったり、イスラムだったり宗教的なものがある。そこで次のように考えました。
【板書1】
祝日=国家にちなむ記念・お祝いする日
祭日=宗教的行事に由来するお祭りの日
↓
その国らしさ(国柄)歴史や文化を表すもの
→自分たちの国の来歴を再確認する意味
祝祭日はいずれも、その国の国柄、精神、歴史や文化や風俗習慣などを表すもの。祝祭日を見ればその国がどんな背景をもつ国かおよそ推測することができますよね。
さらに、祝日には、自分たちの歴史・文化を再確認する意味があると言われています。この国の今日があるのは、その歴史的事件があったからという、国民みんなで共有する公的記憶(パブリックメモリー)の確認を、毎年その祝日に行うのです。
《資料
3アメリカの独立記念日》の写真左は、ワシントンDCのホワイトハウス前に何万人もの人が集まっている様子。右はボストンのハーバーフェストでのパレードの写真。このようにボストンでは、歴史的な場面を毎年再現して独立の日を祝っている。祝祭日は歴史的な意味をもち、世界中の国でとても大切にされているのです。
Bしかし日本の場合はどうでしょう。例えば建国記念日を、国民全体でお祝いするという雰囲気はありません。また日本の祝日は日本らしさに乏しく、無国籍的だとも言われます。(せいぜい天皇誕生日くらい。)さらに、日本では制度上、祝日のみで、伝統的な信仰に基づく祭日はないのです。どうしてこのような状態に陥ったのでしょうか。次に我が国の祝日の成立について考えましょう。
2.祝日法の制定とGHQの占領政策
@次の問題に挑戦してください。
〈問題2〉現在の祝日はこれまでに何度か変更してきましたが、基本的な原形はいつできたのでしょうか。次の中からイメージでこれと思うものを答えてください。
(イ)平安時代 (ロ)江戸時代 (ハ)明治時代 (ニ)GHQの占領期
正解は(ニ)です。祝日の起源をたどれば、その出発点は見方によって弥生時代にまで遡ることができるでしょう。しかし、現代における祝日の枠組みは、日本が戦争に敗れ、GHQ(連合国軍総司令部)によって占領されたときに定められたものなのです。
【板書2】
昭和23年 祝日法の制定
GHQの占領期→「民主化・非軍事化」による日本社会の改造…神道指令
現在の祝日は、祝日法という法律によって定められ、これは昭和23年に制定されました。いまだGHQの占領期です。アメリカにとって、日本が二度と脅威にならないように、GHQはいわゆる徹底した「民主化と非軍事化」を実現しようと、さまざまな政策を実施しました。
【板書3】GHQの占領=間接統治方式
祝日法は、神道指令の影響のもと定められました。神道指令は、日本の伝統的な神道や皇室に関わるものを国家から排除しようとするものでした。当時アメリカは、日本の軍隊の強さ(玉砕・特攻など)の原因は天皇と神道にあると見なしていたのです。
A祝日法はどのように成立したのでしょう。(【板書3】図を使って解説)昭和22年12月、GHQ民政局の宗教課長バンスが、従来の祝祭日を全面的に見直しさせ、とくに神道・皇室祭祀に関する祭日は廃止させ、祝日のみに一本化するよう日本政府(片山内閣)に指示しました。これを受け政府は政令であらたな祝日を制定しようと検討します。しかし国会で一部の識者がこれに反発。国民を尊重する意味で、国会が決めるべきだと主張しました。GHQの了承をえた国会は世論調査を実施して検討します。
B世論調査はどんな結果だったのでしょう。
〈問題3〉このとき(昭和22年)の世論調査の結果は?次の中で国民が最ものぞんだ祝日はどれだったでしょう。
(イ)終戦記念日 (ロ)平和の日 (ハ)こどもの日 (ニ)建国記念日
意外に思う人も多いと思いますが、実は建国記念日。(ニ)が正解です。
【板書4】
建国記念日 世論調査81.3%
紀元節=『日本書紀』神武天皇の即位の日…国民に親しまれていた記念日
建国記念日は紀元節といわれ、『日本書紀』によれば初代の神武天皇が即位した日で、日本が建国された日にあたるのです。紀元節には、多くの国民が建国を祝って過ごしたと言われています。とくに《資料4
紀元節(皇紀二六〇〇年)》では、盛大な催しが各地で開かれた写真が残っています。写真左は山口県豊北町のもの。右は皇居外苑における記念式典。これまでの祝祭日は国民の暮らしになじんだものだったわけです。
そして国会では次のような原案ができました。《資料5
衆参両院の祝祭日原案 戦前の祝祭日との比較》を見てください。たとえば、明治節が文化祭(衆)・憲法記念日(参)。新嘗祭が新穀祭(衆)・成人若人の日(参)など。注目したいのは、このように祝日の名称を変更しても、日にちだけはそのまま残こそうと努力していたことです。
Cしかし国会が決めても、当時はGHQの諒解が必要です。
〈問題4〉国会の案に対して、GHQはどのような反応をしたのでしょうか。
(イ)祝日の制定は日本の国内問題であり、世論調査をふまえてやったのであるからGHQとしては関知しない。
(ロ)GHQの方針は民主化にあるので、国民がのぞむ記念日であれば承認する。
(ハ)GHQの占領方針(神道指令)と合わない記念日が含まれているから、了承できない。
実は正解は(ハ)。しかも占領方針と合わないとされたのは、何と建国記念日でした。
【板書5】GHQの対応
@建国記念の日を認めず
A法案文一部削除を要求
正しい伝統を守り」→「美しい風習を育て」
GHQの占領の目的が、本当に日本の民主化であれば、(イ)(ロ)のような判断が妥当です。当時の戦時国際法(ハーグ陸戦法規第四三条)でも、占領下の国のあり方を変えることは禁じられていました。しかし、実際は国民の熱望にもかかわらず、GHQは建国記念日を認めませんでした。
さらにGHQは、この法案文の一部「正しい伝統を守りつつ」という表現を削除するように要求。結局「美しい風習を育てつつ」と改めました。まさに日本の伝統が否定されたのです。
Dこの事実を考えれば、GHQ占領の本当のねらいは明らかです。表向きには日本の民主化といいながら、日本国民の意志よりも自分たちの思惑を優先させていたのです。
【板書6】GHQのねらい
精神的武装解除…日本の文化・伝統を断絶 ※占領=戦争の継続状態
彼らは、日本が二度と脅威にならないために、我々日本人を精神面から作りかえようとしたのです。これを精神的武装解除工作と言います。占領の真のねらいは、日本人がこれまで大切にしてきた歴史や文化、伝統を断ち切らせることだった。結局、占領とは形を変えた戦争の継続なのです。
E結局、占領下の特殊事情でやむなしと、国会は法案を成立させ、国民の祝日が制定されました。《資料5》の右の欄に○印をつけながら、GHQの諒解のもと定められた九祝日を確認しましょう。1月1日=元日、3月春分日=春分の日、4月29日=天皇誕生日、5月3日=憲法記念日、9月秋分日=秋分の日、11月3日=文化の日、11月23日=勤労感謝の日。これに加えて1月15日が成人の日、5月5日がこどもの日となりました。
3.戦後の法改正 建国記念日の制定
@日本は、昭和27年4月28日に主権を回復し、6年8ヶ月に及ぶ占領から独立できました。これをうけて、建国記念日を設けようという運動が湧き起こりました。
〈問題5〉建国記念日設置の法案は、日本が講和条約を結んでから、何年たってから成立したでしょうか。
(イ)三年後 (ロ)五年後 (ハ)十年後 (ニ)十五年後
国民がずっとのぞんでいたのだから、すぐにでも成立したのではないかと思いますが、実は正解は(ニ)、15年後です。昭和41年のことでした。
【板書7】戦後国民の紀元節復興運動
昭和41年に建国記念日が復活
しかし・・・
この年の第51回通常国会で、体育の日と敬老の日といっしょに法案が通過し、ようやく成立したのです。
Aここまで年月を必要としたのは、米ソ冷戦構造のなか、法案成立をめざす保守勢力と革新勢力が対立し、国会が混乱状態にあったからです。《資料6
各政党の建国記念日の日取り案》を見ると法案は成立したものの、建国記念の日をいつにするかをめぐって、いろんな議論があったことがわかります。
B【板書7】「しかし・・・」の意味が重要です。建国記念日が復活したからといって根本的に問題が解決したことになりません。その他の祝日は、基本的に占領時代のままです。何より国民の祝日をみんなで祝い、喜びを分かち合うことを我われ日本人はやらなくなってしまったのです。
4.まとめ
@最後におさらいです。
【板書8】祝祭日を忘れた戦後の日本人
日本の文化・伝統・歴史の公的記憶を喪失
占領をきっかけに、私たちは祝祭日を大切に過ごすことの意味を忘れてしまった。それはつまり、先人が育んできた歴史・文化などの公的な記憶を、さらに言えば国民として心のよりどころとなる精神を失ってしまったことを意味します。
AGHQの占領によって日本人は解放・自由を獲得した、というイメージが根強くあります。しかし実態としては、占領によって日本の歴史・文化・伝統が歪められたという視点でとらえることが大切です。《資料7
ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』》を読めば、説得力をもってGHQのねらいが理解できます。
Bしかし暗い話ばかりではありません。
〈問題6〉平成十九年度から新しい祝日が誕生します。何でしょうか。
(イ)みどりの日 (ロ)原爆記念日 (ハ)昭和の日 (ニ)平和の日
正解は(ハ)昭和の日。昭和天皇の誕生日だった四月二九日は、みどりの日から昭和の日に変わります。
【板書9】
昭和の日=激動の日々を経て復興を遂げた昭和の日々を顧み、国の将来に思いをいたす日
せめてこの日は、例えば今日の授業で学んだように、何かテーマを見つけて激動の昭和という時代をじっくりと振り返ってはどうでしょうか。
〈問題7〉最後に今後、新しい祝日をつくるとしたら、あなたはどんな祝日を望みますか。今日の授業を参考に考えてください。
独立記念の日。一例として、主権回復をはたしたこの日、四月二八日を新たな記念日にすれば、意義深いのではないでしょうか。これについては井尻先生の参考文献「主権回復を創設する秋」を参照してください。この日を自覚することで、占領の実態がどんなもであったのかを知るきっかけになると思います。
《おもな参考文献》
@薗田稔・所 功・加瀬英明ほか『日本の祝祭日を考える』てんでんブックレット3展転社(H6)
A高橋史朗『検証戦後教育』広池出版(H7)
B高橋史朗『歴史の喪失』総合法令(H8)
C『近現代史の授業改革5「日本の占領」これだけは教えよう』明治図書(H8)
D井尻千男「主権回復を創設する秋」『発言者37』(H9)
E坂本多加雄『歴史教育を考える』PHP新書(H10)
F産経新聞取材班『祝祭日の研究「祝い」を忘れた日本人へ』角川one テーマ21(H13)
G所 功『「国民の祝日」の由来がわかる小事典』PHP新書(H15)
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