授業報告
歴史からみた日本人の名字

私たちと歴史のつながり

飯島利一(國學院高等学校教諭)

【資料1】有名な名字のルーツ

苗字
人 口
 
佐藤
約1,928,000
藤原秀郷の後裔、左衛門尉公清が佐藤を称するに始まる。
鈴木
約1,707,000
物部氏族穂積氏の後裔、紀伊国熊野の豪族で熊野神社勧請で広まる。
高橋
約1,416,000
物部氏族の高橋連、伊勢神宮祠官、弥彦大宮司など全国的に諸流多し。
田中
約1,336,000
蘇我氏族の田中臣、清和源氏、桓武平氏、藤原氏、橘氏などの諸流多し。
渡辺
約1,135,000
嵯峨源氏、源融四世の孫、渡辺綱の後裔。摂津国西成郡渡辺発祥。
伊藤
約1,080,000
藤原秀郷の後裔、佐藤公清の曾孫基景が伊勢に住み称したのに始まる。
山本
約1,077,000
賀茂社神職家、清和源氏、桓武平氏、藤原氏、日下部氏など諸流多し。
中村
約1,058,000
中村連、清和源氏、宇多源氏、桓武平氏、藤原氏など諸流多し。
小林
約1,019,000
大神姓、清和源氏、桓武平氏、藤原氏秀郷流など、神官系が多い。

10

斎藤
約980,000
藤原利仁の子、斎宮頭叙用が斎藤を称するに始まる。
11
加藤
約860,000
加賀の藤原氏。藤原利仁の六世正重に始まり、全国に分布。
12
吉田
約835,000
吉田連、卜部姓公家、吉田社社家、清和源氏、桓武平氏、藤原氏など諸流多し。
13
山田
約816,000
山田臣、山田連、山田県主、平城天皇の山田皇子裔、源氏、平氏、藤原氏など。
14
佐々木
約716,000
近江国蒲生郡佐々木より起こる宇多源氏。
15
山口
約641,000
山口臣、清和源氏、桓武平氏、多々良氏、日下部氏、小野姓横山党など。

16

松本
約634,000
伏見稲荷神職家、石清水祠官、清和源氏、宇多源氏、桓武平氏など諸流多し。
17
井上
約610,000
清和源氏頼季流(信濃国高井郡井上)、安倍氏(三河)などが有名。
18
木村
約584,000
藤原氏秀郷流(下野)、紀氏(近江)、物部氏(摂津)、穂積氏(紀伊)など。
19
約541,000
林連、林臣、林宿禰、大伴氏、越智氏、清和源氏、桓武平氏、藤原氏など。
20
清水
約524,000
丹党、清原氏、清和源氏、藤原氏秀郷流など諸流多し。


【資料2】名字の歴史

平安時代
武士の間で生まれた通称が「名字」。同姓のものを区別するために「字」(あざな)を通称として用いるようになり、とくに地名を名字する武士が多かった。「名字地」すなわち自分の支配する名と呼ばれる領地の地名を名のるということ。
鎌倉時代
しだいに名字は、先祖代々の本領、すなわち「名字の地」をまもることと併せて重んじられ、鎌倉幕府の成立にともない、将軍に奉公する御家人に対する領地の安堵(御恩)に利用され一般に普及。すなわちこの頃までに発生した名字は地名とのかかわりが深く結びついている。
南北朝・
室町時代
地域の武士(領主)が所領内の家臣や有力農民、やがては庶民にまで、自分の名字を与えるようになった。この頃から武士の血縁的な結びつきは弱まり、かわって地縁的な結合が重要になる。そこで領主は自分と同じ名字を領内の者に与えることによって、血縁関係のない領内の有力者に同族意識をもたせようと考えた。領主から領民までが、みな同じ姓をなのるという現象がおこる。
戦国時代
下剋上の時代だから、実力のある者が大名にのし上がることが多かった。そのような出来星大名は由緒ある筋目の人ではないので、伝統的な権威のある名字を名のるという場合があった。当時の価値観では、武家の指導者としてのし上がった者には、それにふさわしい名字が必要であると考えられていた。また、戦国時代は、武士と農民の別が固まっていないので、庶民にも出世の糸口を手にするために、さまざまな名字をなのる者が現れた。
安土桃山・
江戸初期の時代
大名の領国支配が確立するとともに、大名が家臣に名字を授与する、名字を名乗らせる現象がおこる。大名の家臣統制の一手段であったと考えられる。また、天下統一を成し遂げた秀吉・家康が、大名に対して自分の旧姓である羽柴・松平を授与するという場合も見られる。名字を与えられた大名は、日本の統治者の親族に準じる者として扱われるようになり、これが安定した国内秩序の形成につながった。
江戸時代
幕府は安定した秩序を維持するために、いわゆる士農工商という身分制度をつくり、武士のみ(全人口の1割程度)に苗字帯刀を許した。以来、幕府は農民・町人などに対して特別の許可がない限り名字を公称させない方針をとった。
明治時代
明治維新後、四民平等の社会になり、明治5年の戸籍制度によって、それまで名字を公にできなかった者や名字をもっていなかった者が、正式に名字をもち、新たに「明治新姓」が誕生する。さらに明治8年、太政官によって名字必称令がだされ、これまで名字を必要としなかった地域の人も含めてすべての人が名字をもつようになる。

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