日本の人種平等案を否決したアメリカ

安達 弘(『教科書が教えない歴史』執筆者)
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「1914年(大正3年)、主にヨーロッパを戦場とし、世界じゅうをまきこんだ第1次世界大戦が起こりました。この戦争では、負けた国も勝った国も大きな被害を受けました。そして二度と戦争が起きないよう、国際連盟がつくられました」(小学校社会科教科書より)
この国際連盟をつくるとき世界の国々はどのようなことを話し合ったのでしょう。
「国際連盟をつくろう」というのはアメリカの大統領ウィルソンの意見でした。大戦でひどい被害を受けていた国々はこの意見にみんな賛成しました。そして、1919年に開かれたパリ講和和会議でこの国際連盟の規約について話し合われることになったのです。
この会議で日本の代表・牧野伸顕は、とても重要な提案を行いました。「人種差別をやめよう」という『人種平等案』を規約にもりこむという提案です。このころ日本からアメリカに移民した日本人は人種差別を受け、とてもつらい思いをしていました。ですから、日本政府はなんとか人種差別をなくしたかったのです。人種差別で苦しんでいた黒人をはじめとする有色人種の人々も日本のこの提案にとても期待していました。
ところが、予想に反していくつかの白人国家がこの提案に強く反対したのです。そこで牧野たちは粘り強く交渉を進め、新しく修正案を提出しました。こうした日本の努力でこれまで反対していた国々が賛成に回り始めました。そして、日本が採決を希望し、挙手による採決が行われました。結果は日本の提案に賛成が11人、反対は5人。
日本の提案が通ったと誰しもがそう思ったその時、議長のウィルソンはこう言いました。「日本の提案は全員が賛成ではないので否決されました」。
明治の元勲、大久保利通の次男である牧野は叫びました。「なぜです!これまでこの会議では採決したときは多数決で決めてきたではありませんか」。
ウィルソンは答えました。「このような重要な問題は全員が賛成しなければ認められません」。信じられないことに、ウィルソンのこの言葉で日本の画期的な提案は否決されてしまったのです。
なぜ、ウィルソンは日本の提案を否決したのでしょうか。当時、アメリカはアジア人・黒人と白人の間の人種問題を国内に抱えていました。ウィルソンは日本の提案した、「人種平等案」が国際連盟の規約の中にもりこまれてしまうと、その影響を受けてアメリカ国内の人種問題がさらに大きく広がってしまうと考えたのです。
この時の日本の提案がアメリカのウィルソンの一言で否決されたことは当時の日本人たちをガッカリさせました。日本の新聞には落胆と怒りをあらわにした記事がのりました。この時の日本の対米感情が日本とアメリカの間で起きた戦争のひとつの原因になってしまったという見方をする人もいます。
※この記事は、藤岡信勝・当会著『教科書が教えない歴史』第1巻(扶桑社刊)からの抜粋です。
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