羅府スケッチ(8)

赤野達哉(自由主義史観研究会理事・西大和学園CA校、同補習校)
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誰でも持てる小切手帳
日本人の平均預金額は、所謂中流家庭では三百五十万円程度という。しかし、アメリカの中流家庭では、百万円の預金を持つ家は少ないだろう。アメリカは、個人の預金残高が少ないから、国が成り立っているといっても過言ではない。消費がアメリカを支えているからである。そして、消費の為に家計を支えているのが、共働きの女性なのだ。男女共同参画とやらの先進国を見習うのも良いけれど、そういったことまで考えているのか、首を傾げたくなる。
消費をやめてはアメリカ人ではなくなってしまう。懐が寂しい人も、多くはローンやクレジットで買い物をする。以前にも書いたが、テレビでは、二年間無利息とか、支払いは二年後からとかいうCMすら見かける。大学の学費を学生自身が低利で借りることも多い。どうしても現金が必要な場合には、パーソナル・チェック(個人用小切手)を換金してくれる店がある。一種のサラ金だ。
アメリカでは、収入や預金残高に関係なく、当座預金口座さえ開設すれば、個人でも小切手を切ることができる。かく言う筆者も、小切手帳を持ち、家賃や公共料金の支払いに重宝している。現金を持ち歩くより、チェックは遥かに安全だ。
もしも個人が不渡りを出した場合には、銀行から数十ドルのペナルティが課されることになるが、余程それを繰り返さない限り、口座を閉鎖されたり、破産を申し渡されたりすることはない。
日本人さえ信用しない日本社会
日本人、特に銀行関係者は、預金残高が数千ドルしかない「普通の人」に、小切手帳を持たせるのは無謀だと思うだろう。それは、日本人が、ある意味でお互いを信頼していないからだと思う。
日本とアメリカの人間に対する信頼度は、美術館における展示品と観客の距離に比例している。こちらでは、触ってはいけないものを展示していても、日本のように無粋な柵は設けない。
複合多民族国家・アメリカは、英語の読み書きすらできない「アメリカ人」も多い。にも拘らず、結構、人間を信用しているのだ。 その傾向は、交通機関でも見られる。ロサンゼルスには、郡営地下鉄が一路線だけある。ハリウッド及び韓国人街からダウンタウンを通って、アムトラック(全米で列車を運行している公社)のユニオン駅を結んでいるのだが、殆どが無人駅である。駅には自動券売機だけがあり、何と改札口さえない。勿論トイレは、犯罪防止の為にない。郡交通局の職員が巡回したり、検札をしたりしているが、それに出くわすことは稀である。その気があれば、無賃乗車は簡単である。
余談であるが、イタリア・ローマの公共交通では、バスでさえ車内で金銭や切符の授受は行われない。
似非平等社会が生んだ醜い嫉妬心
残念乍ら、このようなシステムは、日本では機能しないだろう。そのうち、誰も料金を支払わなくなるのがオチだと筆者は思う。
戦後日本は、誰かがうまく事を運んだら、「何故あいつだけが良い思いをするんだ」と嫉妬するような、レベルの低い発想をさせる似非平等教育を行い、それを民主主義だと勘違いさせてきたからだ。
かつて、ビートたけしは、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というフレーズで笑いを取った。だがこれは、アメリカでは通用しないだろう。何故なら、ここでは、ルールを守るという意識は、周囲がどう変化しても、個人の中では容易に変化しないからだ。
アメリカでは、高額の賞金や賞品を一般人が受け取るクイズショー(元祖「クイズ・ミリオネア」は、本当に最高賞金百万ドルである) や、困っている人の為に、スポンサーが全額を負担して、ボロ家を一週間で全面改築し、好みの調度品はおろか、冷蔵庫の中身まで面倒を見てくれ、更にはその家の子どもに奨学金を提供するというような番組が目白押しだ。日本では、そんなものを放映したとたん、「不公平だ」とのブーイングが巻き起こるだろう。賭けても良い。
民主主義を飼いならす「心」
日本人が民主主義に目覚めた大正時代、民族の魂としての神道があり、素朴な天皇崇拝があり、金儲けに毒されていない仏教があった。民主主義はそれらの、日本の「心」に支えられていた。
しかし、戦後、アメリカによって復活させられた民主主義は、本来それを支える原理であったはずの、その「心」を殺して作られた。その結果、民主主義そのものが機能不全に陥り、その副作用だけが症状として現れているのだ。
内外からの批判は大きいが、アメリカは相変わらず、国民が自分の身を守る為にという理由で、銃器を持つことを許している。勿論そこには、全米ライフル協会という、巨大な圧力団体の存在があるのだが、それだけではないと筆者は思う。
根本的に、アメリカという国は、人間の良心に対して、素朴に信頼を置いている。それは、民主主義という怪物を飼いならす為に不可欠もの、基本的には宗教心を、まだまだ大切にしているから生まれる発想だと思う。
残念だが、官僚がお上であった時代から、日本人は日本人にすら信頼されていない。物理的な銃はおろか、精神的な自由さえ行使できないでいるのはその為だ。
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