靖国問題とサンフランシスコ平和条約(2)

杉本幹夫(自由主義史観研究会理事)
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前号に続き、靖国問題に関する野田佳彦質問について記す。
[質問]1 「A級戦犯」が法学的に根拠を持たないとすれば、「A級戦犯」はそもそも戦争犯罪人に該当しないと解釈できるが、政府の見解はどうか。
[回答]2 極東国際軍事裁判所において被告人が極東国際軍事裁判所条例第五条第二項(a)に規定する平和に対する罪等を犯したとして有罪判決を受けたことは事実である。そして、我が国としては、平和条約第十一条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している。
[コメント]
政府答弁に合意すると共に、野田議員の主張通り、その一一条により既に赦免されていると主張すべきだと考える。
[質問]2 日本政府は、昭和四十一年に、極東国際軍事裁判の裁判官の一人として、同裁判の判決を全面的に否定したインドのパール判事に対して勲一等瑞宝章という、他の極東国際軍事裁判経験者には与えていない高ランクの勲章を与えているが、これはいかなる理由であるか。
[回答]2 ラドハビノッド・パール氏については、従前から世界の平和と正義を守る精神を強調し、これがため努力を傾倒している業績に対し、昭和四十一年十月四日、同氏の来日を機会に、勲一等瑞宝章が贈与されたものである。
[コメント]
素直に東京裁判において日本の名誉を主張された業績に対する感謝の意と何故主張しないのか、情けなくなる。
[質問]3 昭和二十六年十月十七日、衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会で、西村熊雄外務省条約局長はサンフランシスコ講和条約は「日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によってなした裁判を受諾いたすということになつております」と答えている。また、同年十一月十四日には、大橋武夫法務総裁が衆議院法務委員会で、「裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考える」と述べている。
一方、昭和六十一年に当時の後藤田正晴官房長官が、「裁判」を受け入れたとの見解を示して以来、現在の外交当局の見解も後藤田見解と同様となっている。
判決あるいは裁判の効果を受諾したとする場合、裁判の内容や正当性については必ずしも受け入れないが、その結果については受け入れたと解釈できる。一方、裁判を受諾したとする場合は、日本は「南京大虐殺二十数万」や「日本のソ連侵略」等の虚構も含め、満州事変以来一貫して侵略戦争を行っていたという解釈を受け入れたことになる。
日本政府が見解を変えた理由は何か。
[回答]4 平和条約第十一条は、前段の前半部分において、我が国が極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾することを規定しており、これを前提として、その余の部分において、我が国において拘禁されている戦争犯罪人について我が国が刑の執行の任に当たること等を規定している。このように、我が国は、極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。政府としては、かかる立場を従来から表明しているところである。
[コメント] これでは回答になっていない。国の見解が変わっていないと言うことは、大橋法務総裁見解も正しいし、後藤田官房長官見解も正しく、日本としてどちらが正しいか判らないという事であろう。
以上が野田質問に対する政府答弁と私のコメントであるが、その他私は次の事を主張する。
1.中華人民共和国は大東亜戦争時、存在せず、日本と戦争していない。サンフランシスコ条約二五条の連合国の定義に入らない。又台湾は一度も中華人民共和国の支配下に属したことはない。従って完全な別国である。
しかし、中華人民共和国は蒋介石政権の後継国として台湾の領有を主張している。であれば、日華平和条約とそれに関する各種措置を認めるべきである。それを認めないなら、台湾の領有を主張する資格がない。
2.A級戦犯が合祀されたので、天皇陛下が御参拝されなくなったと言われるが、天皇陛下の最後の御参拝は昭和五〇年で、総理の参拝が、公的参拝か私的参拝かが問題となってきた時代である。A級戦犯が合祀されたのは、色々ないきさつにより、昭和五三年の秋である。
3.中国が始めて靖国問題を取り上げたのは昭和六〇年八月であり、それまでは毎年首相が参拝していたが、文句を言われたことがない。この時は中国の政争に巻き込まれたものであり、更にその後は江沢民の反日教育によるものである。
ここで問題とすべきは産経新聞すら、十一条後半の持つ意味の重大さに気づかず、judgementsの和訳問題ばかり言っていることである。私は裁判であれ、判決であれ同じだと思っている。受け入れざるを得なかった事である。それと共に東京裁判の否定はナショナリズムの高揚として、アメリカ世論も敵にする危険が潜んでいる。むしろ東京裁判は受け入れる。同時に十一条後半の規定により、戦犯はすべて赦免されていると主張した方が国際世論の賛成を得やすいように思う。問題点は既に死刑執行済みの戦犯に対する判断であるが、国内的には四度の国会決議で免責済みであり、国際的にも終身刑に処せられた賀屋興宜が法務大臣に就任したことに、どの国からもクレームを付けられなかったときに、国内措置が追認されたと考えるべきだと考える。
この問題に関連してマスコミは今一度、しっかり過去の経緯を見直すよう要望する。又このような答弁をさせた外務省の無能力、中国に迎合した姿勢に呆れた。尚内閣官房長官は細田博之、外務大臣は町村信孝である。
話が変わるが。一九九九年ドイツが戦時中の捕虜に対し、個人補償することを決定した。それに伴いアメリカのカリフォルニア州で大東亜戦争時の捕虜が個人補償を求めて日本と日本企業を提訴した。その時日本のマスコミで日本はサンフランシスコ条約で個人補償済みであることを主張したマスコミがあったであろうか。私は寡聞にして気づかなかった。
日本は十六条で個人補償は済んでいるのである。、同盟国、中立国に持っていた資産をすべて没収され、旧捕虜に国際赤十字の手により、個人補償したのである。その金額は一人平均二万九千円弱で、一九五六年ポンドと六一年ドルの二回に分けて、ほぼ半分ずつ支払われている(朝日新聞『戦後補償とは何か』より計算)。たった二万九千円と思われるが、私は五六年に大学を出て社会人になった時、初任給は約一万円であった。大学卒初任給の約三ヶ月分である。
この時のドイツの補償額は一般の強制労働者に五ー六千マルク(三〇万円前後)、強制収容所で奴隷労働に従事した人には一万五千マルク(約八〇万円)との事である。統計資料を見ると、全産業の名目賃金指数は一九九五年を一〇〇として、五五年は四・五、六〇年は六・〇である。それぞれほぼ半分ずつ支払われているので、平均すると、この間に約一九倍になっている。(尚年次のずれは概算ということで無視する)このようにして計算した、日本の個人賠償金額は、現在価値で、五五万円くらいに相当する。ドイツの今回の合意額である、ユダヤ人等の奴隷労働者に対する八〇万円よりは少ないもののの、一般強制労働者に対する分、約三〇万円の二倍近い金額である。
更にイギリスは上記に、日本から接収した資産を売却した資金を加え、合計一人当たり八万三千円配分している。今回奴隷労働と認定される人に対する二倍近い補償金を受領済みなのである。
又アメリカはこの配分の権利を放棄し、一人一日一ドル支給している。開戦初期に捕虜になったとすると一三〇〇日くらいである。当時一ドル三六〇円とすると当時のお金で四六万八千円に相当する。これだけの補償金を貰いながら、更に補償金を要求するとは「盗人猛々しい」と言わざるを得ない。
米比軍の捕虜数はフィリピン戦で約八万三千人、グァム・ウェーキ島で約二千人、合わせて約八万五千人である。フィリピン人四万四千人は国際赤十字から補償されているので、米人は約四万一千人である。一人前述のように一人一三〇〇ドルとすると、約五千三百万ドルで足りる。
それに対し、アメリカが接収した資産は、大蔵省財政史編の『昭和財政史 終戦から講和まで1』のGHQ民間財産管理局の調査によると、アメリカ、南洋委任統治領の非軍事資産だけで、一四七百万ドル、フィリピン一二六百万ドルである。アメリカ接収分だけでまかなってお釣りが来る金額である。
この裁判はアメリカの最高裁で、日本はサンフランシスコ条約により、既に個人補償が実施されているとして、却下された。それには元駐日アメリカ大使が連名で、日本は個人補償済みだと指摘したからだと言われる。そんなことはアメリカ大使に指摘されなくても、サンフランシスコ条約を読み直せば誰でも判ることである。政府・マスコミの怠慢に怒りを感じる。
この接収された資産は非軍事資産が、満州八六億ドル、中国本土四七億ドル、台湾一九億ドル、計一五三億ドル、軍事資産二六億ドル、総計一七九億ドルに達する。尚その他ソ連に引き渡した軍事資産は三一億ドルに達している。蒋介石が蒋介石秘録で主張している三一三億ドルには達しないもののかなりの資産を残してきたのである。
尚朝鮮に残してきた非軍事資産は北朝鮮三〇億ドル、韓国二三億ドルに達する。日韓基本条約で大騒ぎして決めた日本の経済援助は無償援助三億ドル、長期低利借款二億ドル、民間資金借款三億ドルである。
如何に多額の資産を没収されたか判る数字である。
しかし中国の主張も我々の主張も共通していることは、二度とあの悲惨な戦争をしてはならないという事である。その為に彼らは勝者の論理を忘れるなと主張している。
二月一六日の産経新聞に「米紙「麻生」たたき社説」という記事が掲載された。NYタイムズ、ボストン・グローブス等が、中韓の主張を丸呑みし、麻生外相の最近の発言を非難している、とのことである。又朝日新聞等では。最近の日本のナショナリズムは、中韓のみならず、アメリカをも敵としており、大変危険だと主張している。彼らの主張は東京裁判史観は、敗戦国として不磨の大典であり、神聖で犯すべからざるものと言うことのようである。
あの大戦が終わってから六〇年もたっている。すべての関係国とは講和条約を締結し、賠償は終わっている。講和条約や平和条約とは戦争についての双方の主張をすべてお終いにして、それ以上相手に補償を求めないのがルールである。中国とは一九五二年国民党政府と「日華平和条約」、一九七八年中共政府と「日中平和友好条約」を締結し、すべての敗戦処理は終わっている。
しかしあの大戦については、二度とあの不幸を繰り返さないためにも、原因の徹底的な検討が必要である。これはナショナリズムの問題ではない。我々エンジニアはプラン・ドウ・チェックのサイクルを回すことの重要さを常に教えられた。計画し、実行し、目的通りの成果が得られたかのチェックである。
大東亜戦争について考えると、アメリカの目的は中国貿易についての機会均等であり、日本の独裁政権の追放であった。日本には独裁政権など元々なかったが、対米追従政府の確立には成功した。しかし最大の目的だった中国貿易では機会均等どころか、完全にシャットアウトされた。アメリカの対日・対中認識が全く間違えていたからである。その原因の究明がマッカーシー旋風であり、共産党についての認識が間違っていた事が明らかになり、共産党の追放運動となったのではなかったか。。
一方日本は戦争に敗れたが、戦争目的として掲げた東南アジア諸民族の解放に成功した。この東南アジア諸民族の独立は、アフリカ諸国の独立につながり、更にアメリカにおける黒人の解放となり、今や国務長官までもが黒人となったのである。
中国の目的は何だったろうか。外国人支配者の追放、中国人政府の成立である。それには成功した。しかし中国人は幸せになったであろうか。一九五八年から六一年の四年間で三千八百万人の人が餓死又は過労死したと言われる(『マオ下』一八九ページ)。又一〇年間の文化大革命では二千万人が死に、一億人がひどい目にあったと言われる(『中国がひた隠す毛沢東の真実』北海閑人二九八ページ)。「外国人に支配されることは不幸である」と言う命題は間違っていたし、共産党により、貧富の格差を少なくするとの理想は幻影に過ぎなかったのである。
この戦争原因を考えて痛感するのは、日本の情報発信力の不足である。第二次国共合作に当たり、中国共産党が握ったのは宣伝部門だけである。この宣伝部門はアメリカ世論を反日に導くことに成功し、近衛首相の最高ブレーンである尾崎秀実、西園寺公一を使い、支那事変の長期化、日独伊三国同盟の成立、アメリカの参戦に成功した。そして中国の覇権を握ることにも成功した。
一九三五年コミンテルン大会でスターリンは「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前にアメリカを参戦させ、立ちはだからせよ。日・独の敗戦は必死である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域と、疲弊した日独両国をそっくり共産党に頂くのだ」と演説したと言われる。
日本では二・二六事件の若手将校の主張は天皇制の問題以外は殆ど共産党の主張と変わらない。そこを尾崎秀実に突かれた。ゾルゲ事件である。尾崎は近衛の信頼を得、日本の国策の決定に大きく関与した。
三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』自由社を読んだ岸信介は「近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私を含めて、シナ事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなればスターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる」と書いている。
これから数回に分け、大東亜戦争開戦の原因について述べる予定である。あの悲惨な戦争を二度と繰り返さないために必要なことは、勝者の歴史認識を強制することではなく、真実の原因を追及する事だと考える。
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