朝日新聞に見る靖国問題(4)

渡辺龍二(自由主義史観研究会会員)

今回は、昭和五十六年八月以降の朝日新聞を検討していきます。昭和五十六年八月十五日の鈴木首相の参拝の前後には十五の記事があります。

その内訳は、閣僚の参拝に関する記事が七つ、「戦没者追悼の日懇談会」の記事が三つ、その他が五つです。十五日の記事は『閣僚靖国へ 事実上の全員参拝』との見出しで、閣僚の『全員参拝』を『改憲論議、教科書検定強化、「愛国心」強調の防衛白書など一連の「右傾化」路線』と批判しています。首相の参拝に対しては、公式参拝でなければよいというスタンスです。

昭和五十六年十月十七日の朝日新聞は、『首相、靖国参拝』との八行の小さな記事で、気をつけないと見逃してしまうようなものです。この月には他に、『自民党の国会議員120人が靖国参拝』の記事と「追悼の日懇談会」の記事があります。

昭和五十七年四月二十一日の鈴木首相の参拝は『首相が靖国参拝』という二四行の記事です。「内閣総理大臣鈴木善幸」と記帳した』と『「私人としての参拝」だと従来の姿勢にかわりないことを強調した』の二点を報道しています。四月には他に、『靖国の春季例大祭 みんなで参拝確認 自民「国会議員の会」』と『靖国へ大臣ら150人春季例大祭 威勢よくかしわ手』という二つの記事があります。

昭和五十七年八月十五日の鈴木首相の参拝は、『靖国公式参拝に道 首相、公私の別答えず』という見出しです。この八月には十一件の記事があり、そのうち五件が私人か公人かという憲法問題で、その他に中国政府の反応の記事が二件あります。一件は、『靖国参拝は危険な動向』という見出しで、人民日報が『文部省の歴史教科書検定問題のほか、靖国神社公式参拝、憲法改正の動き台湾との関係などを、「中日友好関係を害する非常に危険な動向」として厳しく批判した』さらに『靖国神社参拝を人民日報がわざわざ取り上げたことは、日本の軍国主義復活に関し、中国が日本政府首脳への不信を表明したものとして注目される』と解説されています。もう一件は、『鈴木首相の「靖国」参拝中国が間接批判「公私ぼかした」と報道』という見出しの記事です。

朝日新聞は、昭和五十年に参拝に批判的な方向に転向してから、やっと中国政府からの応援を得ることかできました。首相の参拝は戦後もずっと続いてきたのですが、この時に中国政府の参拝批判が出たのは、同年六月に「侵略」を「進出」と書き換えたという教科書検定問題が報道され、日中間の大きな外交問題になっていたためだと思われます。

昭和五十七年十八日の鈴木善幸首相の参拝に対して、同月の朝日新聞には小さな記事が二つあります。『首相が靖国神社参拝』の十行の記事には、記帳の肩書きと玉串料がポケットマネーから出たことが書かれています。もう一つは『139人が靖国神社参拝国会議員の会』という十一行の記事です。中国政府の意向に敏感な朝日新聞ですが、中国政府からの批判の記事はありません。誤報であったことが知られて、先の教科書検定問題が沈静化したためです。これ以降、昭和六十年まで中国政府からの批判はありません。

昭和五十八年四月二十一日の中曽根首相の参拝は、『「総理大臣」強調 靖国神社に首相が参拝』という記事です。全部で四つの小さな記事があり、残りの記事は公的か私的かについての記事が一つと、国会議員の参拝についての二つの記事です。

昭和五十八年八月十五日の中曽根首相の参拝は、『首相と十三閣僚参拝 公・私の別あいまいに』という記事で、この月の朝日新聞には十六の記事があります。『本音やはり公式化? 辞めた閣僚、姿まばら』という記事のように、公式参拝への批判が主です。 昭和五十年に三木首相が「私的参拝」と述べてから、数年でこのことか大きな問題に育ったことがわかります。

また、中国政府による批判の記事が一つあります。『靖国閣僚参拝を中国が非難』という見出しの記事です。記事の内容は、『新華社は今年の終戦記念日について「今年は日本帝国主義降伏三十八周年だ」と指摘、中曽根首相をはじめとする日本政府の閣僚十五人が靖国神社に参拝したことなどを間接的に批判した』というものです。しかし、もとの新華社の記事が、実際に靖国神社に触れているかどうかは不明です。

昭和五十八年十月十八日の中曽根首相の参拝は、『首相が靖国神社参拝』という十三行の小さな記事です。内容は、参拝の公私についてです。

朝日新聞は、首相の参拝は当然という認識から参拝に批判的な路線に昭和五十年に転向しました。しかし、この頃までは、八月十五日以外の参拝は小さな記事が多く、私的か公的かを報道していた程度でした。参拝自体に反対というより公式参拝には反対というスタンスでした。また、朝日新聞がA級戦犯合祀を報道したのは昭和五十四年ですが、この頃はまだ中国政府や中国の若者たちも靖国神社に特別の興味を持っていなかったと思われます。

次回は昭和五十九年一月以降の朝日新聞の記事を検証します。朝日新聞は参拝批判を強めていき、昭和六十年からは、中国政府と呼応した形での一大キャンペーンが始まます

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