朝日新聞に見る靖国問題(5)

渡辺龍二(自由主義史観研究会会員)

今回は昭和五十九年一月以降の朝日新聞の記事を検証します。一月五日の中曽根首相の参拝に関しては、『首相が靖国参拝 就任一年余で四回目』という記事があります。内容は公式参拝についてです。

昭和五十九年四月二十一日の参拝には、四月に二十一件の記事があります。八月十五日以外の参拝では、珍しく記事が多くなっており、朝日新聞が批判を強めつつあることがわかります。二十一日の『私費で玉ぐし料 就任後五回目 首相、靖国神社に参拝』というように、ほとんどの記事が記帳と玉ぐし料と公式参拝についてです。

昭和五十九年八月十五日の中曽根首相の参拝は八月に十六件の記事があります。十五日当日の記事は『首相と12閣僚参拝 靖国公用車使用増える』というものです。朝日新聞は「公式参拝」という言葉を使って参拝を批判していますが、「公式参拝」とは何かという肝心なことはあいまいにしています。

公式参拝批判で象徴的なのが、八月十六日の『既成事実、着々と 公式参拝の経過』という見出しの記事です。この『既成事実、着々と 公式参拝の経過』という見出しの記事には、『しかし、別表のように、首相の公式参拝色はなしくずしに強まってきた』という内容の文章と、『8・15 歴代首相の靖国神社参拝の経過』という別表がついています。

この別表は、最初に三木首相が私人の資格で参拝をしたところから始まって、福田首相は『私人』として参拝し、大平首相は参拝せず、鈴木首相の最初の参拝は『私人』としてだが、二回目は『公私の別には答えない』となり、次の中曽根首相は『内閣総理大臣たる中曽根康弘として』になったと記載しています。

この記事を読む人は、最近になってなしくずしに「公式参拝」が企図されていると思ってしまいます。しかし、事実はそうではあません。トリックのタネは『8・15』の参拝と限定している点です。

日本が独立してから首相の靖国神社参は続いてきましたが、それまでの首相の参拝は敗戦の日の八月十五日でなく、春秋の例大祭の前後でした。また、三木首相が昭和五十年に八月十五日に参拝したときに初めて「私的参拝」と言ったので、これ以降、朝日新聞などが私的か公的かを問うようになったのです。

つまり昭和五十年八月十五日までは、公的参拝とか私的参拝とかが問題にされることはなく、当然に内閣総理大臣として参拝してきました。「私的参拝」がされていたのではありません。

もちろん首相の参拝は内閣総理大臣と記帳し公用車も使ってきたのです。例えば、この記事では参拝せずとなっていますが、昭和五十四年からの大平首相の三回の参拝も内閣総理大臣の肩書きで記帳しています。

公式参拝の是非は別にして、公式参拝になったから問題になったのではなく、「公式参拝」という「言葉」を使ってだんだんと問題にするようになってきたのです。しかも朝日新聞の「公式参拝」の定義はあいまいです。

次の昭和五十九年十月十八日の中曽根首相の参拝は十月の朝日新聞に二件の記事があります。十月十八日の記事は『首相、靖国神社に参拝 秋季例大祭 自民議員も集団で』というものです。

昭和六十年一月二十一日の参拝は首相の動静欄に『公人と私人かけもち』という記事です。昭和 六十年四月二十二日の参拝に対しては、四月の朝日新聞に五件の記事があります。いずれも小さな記事です。

そして、昭和六十年八月十五日の中曽根首相の参拝に対して、朝日新聞は一大キャンペーンを開始します。批判の中心はいつもの「公式参拝」ですが、この時のキャンペーンの特徴は三つあります。第一は突然の大キャンペーンだということです。八月に九十六件の記事があり、今までの記事の数とは隔絶しています。第二は中国政府からの批判についての記事が七件あり、中国政府からの批判と呼応したキャンペーンだということです。第三は、A級戦犯に初めて明確に触れたという点です。

第一ですが、直前の四月の参拝時は小さな記事が五件、一月の参拝は一件です。例年八月十五日の参拝は記事が多く、前回の五十九年八月十五日の参拝記事は十六件です。しかし、それが突然に九十六件になったわけです。朝日新聞は参拝批判を強めていたとはいえ、突然になぜこれだけ大量の記事になったかは、推測するしかありません。

一つの推測として、この頃に最も大きな政治問題になっていたのは、防衛費がGNPの一パーセントを超えてよいかどうのが議論でした。一パーセント枠問題に関して八月の朝日新聞には四十以上の記事があり、靖国参拝批判と防衛費一パーセント問題を連結して記事にしているのも八月七日『アジア諸国の目』などかなり多くあります。

このことを含め、突然の大キャンペーンの原因について各記事を検討するのは興味深いものです。また、中国からの批判と初めてA級戦犯に触れたことなどについて実際の記事の内容を検討すると、意外な事実がわかります。とにかく、このキャンペーンによって、首相の靖国神社参拝が断絶してしまったのです。

次回は、この昭和六十年八月の朝日新聞のキャンペーンに対して、その分析結果を述べたいと思います

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