朝日新聞に見る靖国問題(7)

渡辺龍二(自由主義史観研究会会員)
|
今回は、なぜ中曽根首相は参拝をやめたのか、その謎に迫ります。
昭和六十年八月一日の朝日新聞に『靖国神社民族的霊場として復活を中曽根首相 拓大総長時に 講演』という記事があります。それによると中曽根首相は昭和四十三年に「われわれの共同の尊敬す べき、またわれわれが感謝すべき人たちを祭って霊を慰め、お祭りをする、そういう民族的霊場として 靖国神社を復活したらよいと思う」と講演しています。
歴代の戦後の首相は、ほとんどが春秋の例大祭の頃に参拝し、一年に一回か二回の参拝でした。 しかし、中曽根首相は、春秋の例大祭と新年と八月十五日に必ず参拝し、中断するまで三年間に十回も参拝しています。
また中曽根首相は「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」通称「靖国懇」という私的諮問機関を設置し、公式参拝反対論に対抗しようとしていました。これらから考えても、「連続して参拝を強行するつもりははじめからなかった」(天地有情 中曽根康弘 五十年の戦後政治を語る 一九九六年)と後に語っているのは、つじつまあわせだと思われます。
歴代の首相の中でも、中曽根首相は特に参拝に熱心な首相でした。
中曽根首相は昭和六十年八月十五日の参拝後も参拝に肯定的でした。
「首相の一八〇六日 」という番記者の一問一答をまとめた本があります。
それによれば八月二十二日の段階では
「野党の反対は・・・イデオロギーによるものだ」などと参拝に意気軒昂でした。(中曽根内閣史 首相の一八〇六日 (上)七六九頁)
それが十月九日には、
問「例大祭は見送るとの報道があるが」
答「研究中だ」
問「直前に決めるのか」
答「とにかく研究中だ」
と変化しています。(同書七九八頁)
そして、実際に十月十七日〜十九日間の秋の例大祭の参拝をやめました。この日以降、戦後も綿々と続いてきた首相の参拝が中断されました。
中曽根首相は初めて公式参拝をしようとした首相ではなく、初めて参拝を中断した首相です。
なぜ中曽根首相は靖国神社参拝を中断したのでしょうか。昭和六十年八月の朝日新聞の公式参拝反対の大キャンペーンが原因だったのでしょうか。
八月の朝日新聞の記事は九十一件です。同じ月の読売新聞も、二十七件の記事があります。しかし先に述べたように八月二十二日の時点でも、中曽根首相は参拝に肯定的であったし、九月に入ると朝日新聞も熱が冷めたのか靖国問題の記事は三件に減っています。
これらから考えても朝日新聞などの公式参拝反対の大キャンペーン自体が参拝中止の直接の原因ではないと思われます。
もちろん中曽根首相はA級戦犯が合祀されていることは従来から知っていましたし、八月十五日の参拝後にA戦犯合祀について新聞記者に問われても、参拝に強気の姿勢をくずしていません。
確かに八月の朝日新聞にA級戦犯に関連した記事が八件あります。しかし、全体の記事の量からしても、取り扱いからしてもマイナーなものでした。むろん六十年八月の時点では、A級戦犯は主な議論ではありませんでした。九月の記事でもそうです。また、八月の参拝後にA級戦犯合祀が大問題になったわけでもありません。
A級戦犯問題が中断した直接の理由ではありません。
しかし、この昭和六十年八月時以降、中国による靖国批判が始まります。朝日新聞の八月の中国関連報道八件のうち四件が中国からの批判であり、その四件は十五日以降です。中国からの批判はそれまではほとんどなかったので、朝日新聞などのキャンペーンにつられて出てきたといっていいでしょう。九月十八日には、北京大学と天安門広場で学生や青年による反日デモがありました。
朝日新聞などのキャンペーンが中国政府に影響し、それがデモにつながるというパターンです。中国では報道は政府に統制されています。また中国で許されるデモは、ほとんどが政府の政治的意図か権力闘争がからんでいます。
中曽根首相の言葉を信じるなら参拝をやめた理由は、中国の胡耀邦総書記を応援するためです。
中曽根首相自身は参拝をやめた理由を、「胡耀邦さんを守らなければいけないと思った」(正論平成十三年九月号「私が靖国神社公式参拝を断念した理由」)と述べています。中国共産党の総書記で改革派の胡耀邦氏が、中曽根首相の参拝で困っていたというのです。
未来のために豹変し簡単に過去を切り捨てられるのが、中曽根首相の性格であり政治家としての長所かもしれません。また国際的政治家を志向し、レーガン大統領や胡耀邦総書記との個人的つながりを重視していたのも事実です。しかし、靖国神社に祭られている英霊や遺族会に対しては冷たいと感じます。しかも胡耀邦氏はこの後の昭和六十二年一月に失脚します。
そもそも中国の改革派や保守派の抗争といっても、一党独裁の中国共産党内の権力闘争にすぎません。そのために参拝を犠牲にして中断したことが、将来的に参拝を日中間の大問題にしてしまったのです。
この記事の続きを読む 歴史論争最前線の目次
|