南京70周年を反撃の年に

飯嶋七生(自由主義史観研究会会報編集長)
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1937年12月、日本軍は蒋介石政府の首都南京を陥落させた。南京城壁の上では兵士が万歳を叫び、国内においては勝利を祝う提灯行列が行われていた。今から70年前の、その瞬間は国民の歓喜に彩られていたはずだった。それが現在では、人類史上最大の汚点のひとつ「南京大虐殺」があったとして、毎年多くの子供に刷り込まれている。
かく言う私も、高校生までに近代史に特別な関心を払っておらず、教師の言うまま、そのようなこともあったのだ、と思っていた。だが、幸運なことに、その頃はまだ戦争経験のある老先生が教壇に立っておられたのである。先生は「南京大虐殺というのは、つくり話なんだよ。戦争だから人は死ぬ。けれど、女子供まで片っ端殻殺しまくったということは絶対にない。それどころか、子供にお菓子をやろうとして、その子に吹っ飛ばされた戦友もいたくらいだ。報道されていることが、すべて正しいわけじゃない」と、寂しそうな口調で話された。
今にして思えば、私にとって初めての「メディアリテラシー」体験であったかもしれない。先生は、昭和20年8月20日に特攻隊として飛び立つ予定で、形見として爪を切って白木の箱に入れたことなどを穏やかな笑顔で語ってくれた。
あれから20年、教育現場からそうした先生が姿を消していく一方で、悪質なデマゴギーが幅をきかせるようになった。
贖罪意識ゆえのPR不足か?
昨年から、南京陥落70周年を期して、「南京大虐殺」をハリウッドで映画化するらしい等の情報が、真偽取り混ぜて報道されはじめた。今から10年前の、60周年のときにはアイリス・チャンによる『レイプ・オブ・ナンキン』が出版され、アメリカでベストセラーになった。そのとき、藤岡代表や東中野修道教授が中心となって独自に翻訳・検証した結果、掲載写真はすべて捏造であり、内容についても、到底、歴史書と呼べない「偽書」であると喝破した。そのはずだった。
それが、またこの節目の年に蒸し返され、あろうことか、同書を元にした映画が作られるというのだ。我々は、10年間、手を拱いてきたわけではない。それにもかかわらず、世界はそれを認めない。慰安婦問題についても同じである。慰安婦の「強制連行」はなかったことが実証され、もうこの問題は終わったものだとばかり思っていた。しかし、海外メディアの報道をみると、なにひとつ伝わってはいない。伝える努力をしてこなかったのだろうか。
巷間、言われるように、日本人の中から国家意識が失われたせいか、竹島問題・東シナ海のガス田問題にしても、日本人の多くが「怒り」を忘れてはいないか。普通の国家なら、領土侵犯されれば抗議の声を上げるであろうし、道理の通らない言い掛かりには毅然としてノーというはずである。贖罪意識−過去に日本がアジアを「侵略」したという−が、何を言われても仕方ないと諦観していることもあろう。実際、アメリカに対しては主張する場面も多少は見られるものの、東京大空襲(これこそ「東京大虐殺」と呼ぶに相応しい)等の無差別都市爆撃や原爆投下について、アメリカを批判するわけでもない。つい最近も東京大空襲の被害者が、日本国政府を相手に訴訟を起こしたと報道されたばかりである。
情報戦に対する無策
日本には情報戦という概念が欠落しているのか。調べてみると、我が国は、日露戦争の頃からこの分野にかけて非常に粗末な手段を重ねてきたことか分かる。
蒋介石軍が、米国育ちでキリスト教徒でもある夫人、宋美齢を使って欧米人の同情を中華民国に集めることに成功したのとは対照的である。そればかりではない。中華民国は、日本を悪虐な侵略者とイメージ操作するために、「田中上奏文」なる偽文書まで作成し、世界中に流布させた。当時、松岡洋右外相が国連理事会で反論したものの、欧米諸国において一定の成果を上げた模様である。というのも、「松岡は『上奏文の用語に熟して』いれば誰でも偽物と見抜くだろうと言った。だが、『熟して』いたのは日本人でも一部。まして一般の欧米人が『容易に』偽物と見抜けたとは到底思えない」(木下、62ページ※参考文献参照、以下同)からである。
結局、「田中上奏文」の真贋論争は第二次大戦後まで持ち越された。我々は虚偽はいつか明らかになり、真実がおのずと理解されると思っているふしがある。しかし、レーニンが言ったように、ウソも百遍くり返せば事実になってしまうのである。
使い古されたプロパガンダ
あえて、南京事件と似た構図の例に絞って記せば、第一次大戦中のドイツ軍が、ベルギー難民の子供たちの手を切断するなどの残虐行為があったとされ、「かわそうなベルギー」のイメージが、アメリカの世論を欧州戦争介入に向けて動かした。(モレリ、92ページ)
また、最近のコソヴォ紛争でも、アルバニア系難民がその役割を演じた。カナダのテレビ局は、アルバニア人少女が目の前で妹を殺されたという悲劇的証言を大々的に報じたが、調査の結果、少女の家族は全員存命でまったくの作り話をしていたことが判明した。(同上、106ページ)
類似例は枚挙に暇がないが、同じくカナダのCBC放送は、姉がセルビア人警官に強姦され殺害されたと訴える女性を取材した。後日談を報じるために彼女の故郷を訪ねると、姉は元気に暮らしており強姦などされたこともない、と言った。
驚いた取材陣が、証言の女性を追及すると、悪びれる様子もなく「私たちはやるべきことをしただけよ。私たちの力だけではセルビア人に勝つことはできなかったんですから」と言い放ったという。(木下、273ページ)
使い古された戦争プロパガンダに、人類は何度も騙されてきたのだ。イラクに侵攻されたクウェート人少女が米国議会で行った涙の証言は、フセインへの憎悪をかきたて、湾岸戦争を正当化した。
そして、宋美齢の涙、上海の泣き叫ぶ赤ん坊、南京のかわいそうな中国人たち…は、今後も日本人の頭を押さえつけてゆくのだろうか。
今後の課題
慰安婦問題についても、今さら、とうに破綻した「性奴隷」など馬鹿げた主張をする者はいまい、と思っていた人も多かろう。だが、レーニンの言葉どおり、世界中ではそれが「事実」化されていることを、今回、身を以って知った。南京問題もしかり。情報戦で有効な手を打てなければ、学問としての歴史が汚されるばかりでなく、歴史を武器にした政治・経済・外交も敗北を続けるしかない。戦争の真実を知る元特攻兵の教師が姿を消しつつある今、日本の子供たちは一方的なプロパガンダを刷り込まれている。
本来はメディアを駆使した国際情報戦略が最重要ではあろう。だが日本のマスコミの現状を見れば、それもたやすくはない。せめて、現場の教員ひとりひとりが、穏やかな笑顔で知的に「南京問題」のからくりを、本当はそこで何があったのかを語りかけることは出来ないだろうか。
既報のように、藤岡代表は、今年2月26日、超党派の国会議員・地方議員を集めて「南京事件の真実を検証する連続講座」を開催した。歴史の専門家ではない議員を相手に、簡潔に要点を絞って講義するのは容易なことではない。
あまり専門的になってもいけないし、議員が「南京大虐殺がなかったことは分かったけれど、それを他者に説明しようとしても上手く話せない」ほど、緻密に解説しても意味を為さないのだ。
プロパガンダ写真・プロパガンダ文書、そして使い古された「証言」。
これらすべてが、南京問題に登場する。70年前の南京で何があったか、そして、そこでは戦闘行為以上の許されざる罪があったのか、なぜ「大虐殺」があったとされていったのか
。
南京研究はこの10年で大きく進み、見えなかった糸が徐々に繋がってきた。
今はその成果を広める時期に入った。教師会員のみならず、機会を捉えて一人一人がスポークスマンとなるべく、私たちは、あらためて、その活動を始めたばかりである。
○参考文献
・『戦争プロパガンダ10の法則』 モレリ・アンヌ/草思社
・『メディアは戦争にどうかかわってきたか』 木下和寛/朝日新聞社
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