米下院・慰安婦対日非難決議の深層

藤岡信勝(自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授)
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安倍首相の訪米後、5月中にも米下院の慰安婦対日非難決議が採択される可能性が出てきた。事態は深刻である。この問題について、私は5月1日発売の雑誌『正論』に背景を分析し、私見を述べた。本稿は『正論』の拙論と一部重複するが、紙数の関係で盛り込めなかった内容を含め、またドキュメンテーションの機能も意識して、慰安婦問題の深層を書いてみたい。
自民議連の政府への提言
自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(中山成彬会長)は、3月8日、政府に対して次のような提言を提出した。
1.「慰安婦」問題に関し、今、米国下院に提出されている決議案は、「若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性奴隷化」、「輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴行が含まれるかつて例のない」、「20世紀最大の人身売買」などの客観的史実に基づかない一方的な認識により、日本政府に対して謝罪を求めている。日本の名誉のためにも米下院関係者を含め、「慰安婦」問題に関して内外に正確な理解を求め、決議案が採択されないよう、引き続き外交努力を行う。
2.今回の慰安婦決議案も含めた数々の「慰安婦」問題に関する誤った認識は、平成5年の河野官房長官談話が根拠となっている。
当時は公娼制度が認められており、慰安婦の中には不幸な境遇の方々がおられたことは認識している。この点に関しては同情を禁じえないし、遺憾の意を表する。しかし、我々の調査では、民間の業者による本人の意思に反する強制連行はあっても、軍や政府による強制連行という事実はなかった。1件だけ、ジャワ島における「スマラン事件」があったが、これは直ちに処分されており、むしろ軍による強制連行がなかったことを示すものである。政府として本問題の根本的解決のため、再度の実態調査を行い、関連する資料の結果を全面的に公開することを求める。
この内容は2月末までには固まっていたが、補正予算成立の日程と絡んで、河野議長がこの提言に反発し本会議のベルを押さないかもしれないという噂が永田町を駆けめぐったため、提出を一週間延ばしたといわれている。しかし、新聞などには3月初めまでにはその骨子が報道されていたから、実質的な違いはなかったとも言える。自民党議連の提言は、米下院の慰安婦対日非難決議を阻止するという緊急目的のため、慰安婦問題の誤った認識の根拠となっている河野談話の問題点をついたもので、画期的な内容であった。
議連は昨年12月、古屋圭司氏など郵政解散選挙で自民党を離れた議員の復党を機に活動を再開した。官邸の意向を受けたもので、安倍首相も同意した上の活動再開だった。議連が官邸を突き上げる形で提言し、それを受けて政府が河野談話に代わる新しい談話を出す、という筋書きだった。(「新しい歴史教科書をつくる会」機関誌『史』2月号の中山成彬議連会長とのインタビュー参照)議連は慰安婦問題を調査する小委員会を組織し、合計6回の研究会を積み重ねて右の提言をまとめたのである。2月末の段階では、関係者はこの問題をやや楽観的にとらえていたように思われる。
首相の発言と米メディアの狂乱
3月1日、安倍首相は自民党議連の提言を実質的には受ける形で、記者団の質問に答え、慰安婦問題についての見解を表明した。これを報じた朝日新聞の見出しは<首相
河野談話見直しを示唆/「強制性裏付けなかった」>というものだった。記者団とのやりとりの詳細を、4日付けの朝日新聞から引用する。
…自民党議連で談話見直しの提言を取りまとめる動きがあります。
「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」
…強制連行の証拠がないにもかかわらず(強制性を)認めたという指摘もあります。談話見直しの必要性は。
「(強制性の)定義が(「狭義」から「広義」へ)変わったということを前提に考えなければならないと思う」
…(議連の動きは)中韓との関係に水を差す懸念はありませんか。
「歴史について、いろいろな事実関係について研究することは、それはそれで当然、日本は自由な国だから、私は悪いことではないと思う」
安倍首相のコメントは、日本人が一読者として読めば至極当然の答え方をしているように受け取れる。ところが、たったこれだけの短いやりとりについて、安倍首相の発言を合図にアメリカのメディアが一斉に安倍発言を非難し始めたのである。アメリカのメディアは、早くから日本の政府・与党の動向を察知し、安倍首相がこの問題について発言する機会を手ぐすねをひいて待ちかまえていたのである。そうでなければ、直ちに長文の記事を送ったり、社説を書いたりすることはできない。アメリカのメディアの反応のうち目立ったものについて要点を列挙してみよう。
▽「安倍首相は日本政府の長年の公的立場と矛盾する、日本軍が外国人女性を強制的に性奴隷としたことを否定した」(ニューヨーク・タイムズ、3月2日、東京発)
▽「慰安所は商業施設ではなかった。女性たちの調達には、隠然・公然の暴力が用いられた。そこで行われていたのは絶え間ない強姦であって売春ではなかった」(ニューヨーク・タイムズ、3月6日、社説)
▽「ホロコーストを否定するようなものだ」(サンノゼ・マーキュリー、3月6日)
▽「この問題を修復する最適任者は天皇本人だ」(ロサンゼルス・タイムズ、3月7日、社説)
▽「慰安婦問題への謝罪を無視して、他方で拉致問題を持ち出すのは二枚舌だ」(ワシントン・ポスト、3月4日、社説)
まるで、熱病のような日本たたき、安倍たたきのすさまじさである。ホロコースト否定と同じだとか、天皇が謝罪せよとか、北朝鮮による拉致と相殺するなど、まったく信じがたいほどの狂乱ぶりである。
米メディアの無知と誤解
では、これらのメディアは、一体、どの程度の事実認識に基づいて社説を書いているのか、代表的なものをのぞいてみよう。
3月2日付けのワシントン・ポストは、1日東京発のAP電で首相談話を伝え、大きく取り上げた。「日本の首相は第二次世界大戦中、日本軍が女性を性奴隷として強制した事実を否定したが、これは過去の日本政府の謝罪に疑問を投げかけ、近隣のアジア諸国との緊張緩和を危うくしている」と書き出されたこの記事の核心部分は次の通りである。
歴史家たちは20万人の女性(朝鮮半島と中国出身者が多くを占める)が1930年代から40年代を通じアジア全域で働いたと言う。日本軍部隊によって誘拐され、性奴隷になるべく強制されたと多くの女性が語っている。しかし、昨年9月に就任して以来、学校での愛国心教育と、主張する外交を推進してきた安倍首相は、「女性を売春婦にするよう強制したという証拠はない」と記者団に語った。首相の発言は、1992年に発見された公文書の証拠と矛盾するものだ。それは軍当局が業者と一体になって女性を売春宿に強制的に斡旋する上で、直接に関与していたことを示すと歴史家は語っている。
間違いだらけの悪意に満ちた記事である。以下、その間違いを列挙する。
1.「20万人」という数字は誇大である。慰安婦研究の第一人者である秦郁彦氏は、様々な観点から慰安婦の総数を検討し、2万人という結論を下している。(『慰安婦と戦場の性』新潮社)
2.「朝鮮半島と中国出身者が多数を占める」というのも間違いで、前掲書における秦氏の見積りによれば、日本人が最も多く4割を占め、それぞれの地域の現地人が3割、朝鮮人2割、その他1割といったところがおおよその比率である。
3.「日本軍部隊によって誘拐され」というが、今日に至るまでただの1件もそのような指令書は見つかっていない。
4.「性奴隷になるべく強制された」。「性奴隷」とはいかなる概念か曖昧であるが、これについては後述する。
5.「1992年に発見された公文書の証拠と矛盾する」。中支那派遣軍あての有名な文書である。よく知られているように、それは軍が、誘拐まがいの方法で慰安婦を集めるような業者とは契約しないようにという戒めの文書であり、話は全く逆で、軍が強制連行をしていなかったことの証拠になるものである。
一記者が一国の首相の発言に対し、自分の書く記事の中で平気で一方的に批判する。しかも上に見たように間違いだらけである。報道と論説を取り違えている。実は、この記事は対日非難の決議案と全く同じ立場で書かれているといえる。AP通信のこの記事を書いた記者は、タブチ・ヒロコという名前の日本人女性である。ちなみに、慰安婦問題を調べていくと、いたるところで日本人が顔を出すという構図になっている。
この記事については、自由主義史観研究会・北米支部の赤野達哉氏が早速反論の投稿をワシントン・ポストに送った。
「性奴隷」という言葉の発明
メディアの認識の核心にあるのは、「慰安婦=性奴隷」論である。すべての偏見は、「性奴隷」という言葉を使うことから方向づけられている。一体、この言葉はどういうところから出てきたのだろうか。
そもそも慰安婦問題とは、「強制連行」問題であった。慰安婦の強制連行があったかなかったかが争点となり、「朝日−産経論争」を経て、1997年3月までに論争の決着がついた。「あった」派の朝日新聞は敗北した。日本人はこの経過をよく知っているから、アメリカのメディアや議会の誤解と狂乱の背景にあるものが、よく分からないという面があるように思われる。
日本で慰安婦が問題化される上で決定的役割をはたしたのは、詐話師・吉田清治の『私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行』(83年、三一書房)だった。一時日本人が「強制連行」を信じ込まされたのは、ここに書かれた済州島の「奴隷狩り」の記述によるものだった。それが偽書であったことが判明して、日本の慰安婦問題は下火になったのである。
日本における「強制連行」という言葉が果たしたのと同じ役割を今、アメリカで果たしている言葉が「性奴隷」である。この言葉を流行らせる上で決定的なエポックをなしたのは、1996年の第52回国連人権委員会に提議された「クマラスワミ報告」である。この報告書成立の舞台回しをしたのは日本人の戸塚悦郎弁護士であったといわれている。人権委員会では当初、ユーゴ内戦で「民族浄化」を名目とする計画的な集団レイプ問題を取り上げる予定だったのだが、慰安婦問題にすりかわってしまったらしい。ユーゴの「民族浄化」と日本の慰安婦を一緒くたにするとは、あまりにもひどい話である。
慰安婦問題の特別報告者に指名されたのが、スリランカの女性活動家、ラディカ・クマラスワミ女史であった。彼女は95年、ソウルに5日間、東京に6日間滞在し、英文37ページのレポートをまとめた。しかし、その内容は、たった2冊の本をもとにまとめたもので、秦氏の評価によれば、学生レポートなら落第点というレベルのものであった。その2冊の本とは、吉見義明氏すら「誤りの大変多い著書」と指摘した、オーストラリアのジャーナリスト、ジョージ・ヒックスの『The
Comfort Women』であり、そしてもう一つは、驚くべきことに、吉田清治の『私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行』なのである。
しかし、いったん「性奴隷」 という言葉が発明されると、英語圏の世界では、実態とは別に慰安婦を「性奴隷」として最初からみなして、全ての情報をそういう眼鏡を通して解釈することになる。素材となった事実の信憑性などどうでもよい。こうして、いつの間にか日本の公娼制度の戦地への延長形態にすぎなかった「慰安婦」システムが、20世紀奴隷制の一形態だということにされてしまった。
米下院決議121号
マイク・ホンダ議員によって、1月31日、下院に提出された決議案121号は、次のように述べている。
日本政府により強制された軍事売春である「慰安婦」制度は、その残酷さと規模の大きさにおいて前例のないものとみられるが、それは集団レイプ、強制堕胎、性的恥辱、性暴力を含み、結果として身体障害、死亡、最終的な自殺にまで追い込んだ、20世紀最大の人身売買事件の一つであった。
その上で日本政府に、
1.(上のことを)明瞭かつ曖昧さのない仕方で公式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れる、
2.日本国首相の公的な資格でなされる声明として公式の謝罪を行う、
3.日本帝国軍隊のための「慰安婦」の性的奴隷状態と人身売買はなかったといういかなる主張に対しても、明瞭かつ公然と反論する、
4.現在と未来の世代にこの恐るべき犯罪について教育する、
の4点を求めている。
この決議には上記のような背景があったといえる。この決議を日本人として、何としても認めることはできない。あらゆる方法で採択を阻止すべきである。
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